ARCHIVE - 2015年06月

2015
06/30

志津川の自然の力に抱かれて


私のパソコンのトップ画面がこの写真です。私には志津川の自然がピッリ合う。こないだまでは震災後のサンオーレの日の出だった。自然のエネルギーはパソコンを開く朝から感じ、皆さんにも南三陸町のパワースポットとして紹介したい。

仕事も暇なので「安保法制」の国会のごたごたを私の思うままに言いたい。安倍政権の強権と傲慢さは数による与党体制に起因する。こんな時でも「襟を正す」が、自民が野党となった時の党幹部だった石破氏などは言う。個人・集団的自衛権・憲法改正は、ある部分で必要とは思うが、余りにも強硬な態度と姿勢が国会にある。
野党も連携とならない党が問題を抱え、与党の強硬な提案に不足する部分への突っ込みで対応している。「閣議決定」の連発という今の与党の制度決定に、議論を尽くす前に政府は法案を通そうとすることへの、与党の不満は増幅している。少しの与党の不適切発言に「こんな事がある」と、委員会で安倍総理を正す。辻本氏と安倍総理のやり取りは、国会の議論の面白さを感じる私には、応えられないくらい面白い。今までにない国会の姿のように見える。

もうやめましょう空し過ぎる。

「永遠のゼロ」の作者の百田氏の「報道弾圧」的発言の沖縄の2紙はつぶせばいい。はその後のツイッターで冗談だと否定し、再度肯定するなど信念のなさを感じるが、発言は角度により大きく変わる。政治解説者は「永遠のゼロで涙を流した私が馬鹿でした」と話す。この勉強会の報道の指摘に、政治家は何の反省する姿も示さず、出身の選挙区も表示すべきと解説者は言う。後は有権者がこうした問題にどう投票行動に移すかです。国民が若者がもっと政治に興味を持つ事で、幸福追求の国家を造れ進められる。
野党は「対案」を早期に示す事で、少しは野党の存在も「安保法制の議論」で、提案が通らない事を知っていても、政治家・政党としてやるべき事をやった方が良い。
国会議員の平均報酬がラジオから流れてきた。「2427万円」だが国会議員特権はこれには含まれない。
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2015
06/29

周囲の人たちが眩し過ぎる


サッカーの「なでしこジャパン」が準決勝に進んだ。岩渕選手は膝を壊し苦しいリハビリからの復活弾が、チームジャパンで初めてのゴールと言う。ドイツ?で活躍し155㎝の身長ながら、175㎝の長身の外国選手を得意のドリブルで抜き去る姿とあの笑顔は、私には眩し過ぎる。
地元でも20代若者の新たな挑戦の姿に、60歳近い私には全てが羨ましく、何か支援をしたいと思うが、静かに成功を見守るしかない。その後ろには多くの全国の支援の若者達がいた。
土地の造成が最終局面に来ている。志中下の農地は嵩上げが見上げるまでに進み、町の陸上競技場となり、八幡川の右岸は祈念公園の計画が、築山や自然環境活用センターなどの建設計画が少しづつ発表され、情報が新聞に掲載されている。また、左岸は「道の駅」と観光客の集客場としてのショッピングモールの建設が、想定外の状況がある中で、商工会と行政と出店者の相談の元で町開きへと進む。人々の営みの場所は、「職住分離」の再建計画の中で、あの志津川地区民の昔の生活とコミニティーの再建はもう無理となった。行政と商店主と土地の買い上げとならなかった住民の換地により、人が住めない場所と志津川市街地はなる。
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2000世帯近くか住んだ志津川はもう無く、行政の描く町が広がる。
今週は週末に大阪から来客があり、6人の交流会を歌津コクボ荘で開催する。県の印刷組合の展示会に二日間理事の活動をする。仕事は皆無であり、また週末金曜からスポ少の剣道練習が始まる。
人は体を動かす事で熟睡ができ、普通の生活が出来る。体の疲れも無く夜に目覚めたり、眠れない日々が続いている。仕事に追われた日々が今となっては懐かしい。

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2015
06/28

邦泰先生安らかに


昨日は「涙雨」だった。私が30代だった頃に、志中で校長をしていた「西條先生」が亡くなり、葬儀が横山「大徳寺」であり、今までのお世話になった最後の別れに参列した。遺影のお顔はいつもの穏やかな笑みを浮かべ、昔から知っている西條先生だった。
多くの学校の教員と校長を知っているが、校長である事も目上である事を強く主張しない、童(わらべ)に向かっていた先生と、弔辞で教育関係者は話す。戦争を体験し、昭和19年に国民学校助教として21年には教員資格取得をした。横山中学校時代に一時学位取得の為に退職し、中央大学法学部に入学し卒業した。33年3月まで地元横山で、子供達への教育や自分の学力の向上と勉学に自分に厳しい人だったが、全て人には優しかった先生と皆が話す。
本吉小泉小・中で教頭、戸倉中・浅水小・佐沼小を終え、50年気仙沼市月立小で校長となり、大谷小・津山中、そして最後の我が母校「志津川中学校」で退職した。昭和59年頃からの仕事を通しての西條先生との付き合いとなる。その後は津山町教育長となり活動に多くの新しい事に取り組みを図って来た。
川柳・俳句にも取り組み、我が社で作成した「句集 来し方回想」は私が関わり制作した。この先生に生き方に感化された私がいる。7つの句にはじめの「都への夢もありたり年惜しむ」、最後には「いたわりの深さに死への距離測る」と、俳句に自分の人生を織り込んでいた。私は足元にも至らず、先生の生き方を告別式でもっと多くを聞き、その悲しみを深くした。
今の先生に欠けている、自己への厳しさと信念を持ち、総ての人への優しさはと言うと、自己への「保身」の考えが強過ぎる思いしかない。全ての先生とは言わないが、少なくない。西條先生に叱られそうだ。
「送ることば」では元の教員仲間の話に、ここまで多くの活動をしていた方は聞いた事は無い。温厚で誠実で国際交流にも貢献していた。教育功労でも叙勲を受け、輝かしい教育活動を紹介した。各学校での当時の先頭を行く「緑化運動」にも取り組み、「海外青年協力隊」にも参加していた。保護者・地域から熱い信頼を受け、津山中学校時代は県大会のバレー部3連覇を果たしていた。「教える事は学ぶ事」と教育に情熱を傾け、2期8年務めた教育長時代は、人材育成の大切さを唱え、国際交流協会員として津山町に外国人を招いた。また、男女共同の参画の活動も続け、「宮城女性の翼」にも参加した。赤十字への活動も盛んに取り組み、日本赤十字特別会員として、その尽力に宮城支部長村井知事から弔電が届いた。
西條先生の、「激動の荒廃する社会に、的確な判断と豊富な知識で、生き抜いて来た」、教育者としての立場で社会へ進む子供達に、多くの影響と教訓を指導してきた。
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私のしている事を先生は、「頑張っているネ」と応援してくれた。震災前の年の事だった。最近も先生の体の変調の中で、もっと生きたいとの気持ちが、最後の生きざまにあったと言う。まだやる事がいっぱいあったのだろう。父の3つ下の大正15年生まれ、89歳とまだ教育界に必要な人だった。

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2015
06/27

何も判らない


旧「くろしおグランド」から防災庁舎を望むが、6m位の河川堤防の基礎嵩上げがそびえ何も見えない。八幡川が新しく生まれ変わり、中橋は人が歩くモニュメント構造となり、観光客で埋め尽くされると構想を町は描く。失敗できない町づくりが進む。
昨日、「グループ補助事業」の説明会がポータルセンターであった。30名の事業主が最後に近くなった補助事業の説明に、真剣に耳を傾けた。商工会の担当者は言う「補助制度は厳しいです」と前置きして始まった。私も5名の異業種のメンバーを集め、昨年取り組んだが、新しい制度の改革があり、それで申し込んだ方が良いとの商工会のアドバイスから、今回の説明に臨んだ。多くのメンバーで新しい「グループ補助事業」に取り組む事で、通る可能性が高いと話す。しかし、「事業が通過しても大変です」と念を押し話す。
希望する事業者も、ここ一年での諸々の個々の状況から、断念する人も多く、私もその一人です。人・事業所の少ない町で仕事の急激な減少を肌で感じる。少しの復興特需があり再建の光明が見えかかったが、その厳しい環境に今後の経営の在り方を再度考えた。不況業種で高齢化と町の人口減、新しい生活状況に色々な事業を試したが、中途半端の事業は簡単に成功する訳もない。
今更何ができるだろう? 30代の毎日が多忙な時期を15年間過ごし、普通の時代となり50歳代で厳しい経営の時代となり、大震災で我武者羅にここまで生きて来た。
何も無くなりそんな中で、ここまで不安も怖い物もなく進んできた。少し落ち着き将来を考えた時、何処かで歯車が変わってしまった。
工場・自宅再建で、関わった人間からの理不尽な対応を受け、国の制度も年々変わる事に付いて行けない状況に、自分自身情けない。人の為に何が出来るかと言うと、限られた情報と行動力を活用し、身近な所に支援するしかない。
夜中に「ふと」、大きな借金と問題に押しつぶされそうになる。何もしない事が一番楽と思う時に、私のこれまでの「志津川の為」が、日々薄れて行っている。一人では何もできない事を今頃知った。

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2015
06/26

生活不活発病の改善は仲間と集う事から


こんな光景が高校の登校坂下にあった。ある地元復興で活動している町外の建築会社の支援で、グランドゴルフ場が整備された。昨年の事ながら被災地整備があり前年度末で撤去されるがあった。しかし整備の計画変更か遅れかで、現在もファンが集い少しの蒸し暑い中で、プレーに取り組んでいた。復興の遅れが良い方向になる事もあった。
私の仲間も60歳と間もなくなる。「グランドゴルフ」をしそうな仲間はまだなく、身体に変調はあるものの時間を見つけ本当のゴルフをしていた。
私の眼底への衝撃で、再度の出血を懸念しゴルフは控えるようにと医師の指導を受け、まだゴルフをできないでいる。今年3月末の退院から1年目の春には、もう一度クラブを握りたい。
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スポーツを通しての体を動かしての活動は、身体や心、そして脳の活性化となる。「生活習慣病」や「生活不活発病」の予防に、子供達への剣道指導が唯一の運動だ。糖尿病の数値は通常の値にもう少しだ。アリーナのジムでの「ウォーキング」などの軽い運動も始めようと思う。わざわざジムでなくても「自宅周辺の散歩でも」と知人は言う。現在はテレビにはまり、生活不活発病となりそうだ。そんな意味でも子供達への剣道指導は、「老体に鞭打ち」、私が行かなければと言う思いで、体を道場に運んでいる。私にとっては良い事と言い聞かせる。
志津川の高台移転の「中央区」に給食センターを建設すると言う。こないだの歌津ギョリュウ化石の入谷での展示提案など、歌津から地域の施設を志津川地区に持ってこようとしている。両地区の亀裂と発展しないようにと、首長には配慮をお願いし、歌津地区への公的施設の設置をお願いしたい。
歌津地区の平成の森の球場・サッカー場は旧歌津町が、合併以前の整備した物で、合併10周年を今年10月1日に向かえるが、歌津地区への町の箱物らしきものの建設は無いように思う。
二つの旧町への公平・公正な町の施設整備を考えて欲しい。議員の数は現在志津川11対歌津5で、体制的にも旧志津川町出身者が多く、地区で言うと戸倉5と入谷4と志津川2となっている。
12次交付金が発表され、南三陸町は「18.9億円」で、県内4番目の額となった。申請額は「16.6億円」で113.9%の交付率となった。増額率では2番目となった。
国の昨年度の税収は「53兆9千億」となり、株価の売却益と消費税で2.2兆の増額となった。高景気が何時まで続く訳も無く、将来を見据えた町の財源の確保を図らないと大変な自治体となる。

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2015
06/25

母校の姿は変わらず


こないだ用事で高校に行った折に、同窓会のポスターを玄関に見つけ、事務室に確認を取り写真を撮った。フェイスブック・ツイッター・各種ブログで、同窓会の開催を発信しようと思う。
7月17日(金)の午後6時から南三陸プラザで総会が始まる。同級生が西高から校長に昇任し、志津川高校の母校に帰って来た。応援の意味を込め31年生まれの地元に残った同級生に声を掛け、広く参加するよう活動したい。
高校の玄関は勿論、私が卒業した40年前と同じで、来賓玄関の上から卒業の全員の集合写真を撮った事を覚えている。津波で大切にとっていた学生時代の思い出アルバムは、流出し今はない。今度、還暦の同級会が来年の1月末にある。その時に複製を政策する事を考えているが、その思いの自己の活動も気力が薄れている。
震災から5年目となり、当時の我武者羅に活動した、会社の維持と生活再建の疲れが出てきたのかな? 勢力減退を強く感じるが、一番の震災特需は我が社への恩恵は無く、一時期の行政の仕事も落ち着いてきた。事業所の減少と町民の流出など、仕事の受注減の状態に厳しさが、日に日に増していく現状が強く現れている。
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そんな被災地の環境の中で、高校時代の仲間が集まり顔寄せ合い、昔話から今の状況までを語り合う事で、大きな活力が得られる事に期待したい。
震災後に還付金のミスなど、行政の仕事に大きな不安を思う。来た通知・割賦などは間違いがない事で住民は納税する。書類の精査などできる訳も無く、そのミスの記載であっても、記載どおりの納税を町民は文句を言いながらも、納税に励む。人口の減少は町財政に大きく影響し、その確保に町職員や町長と幹部職員はやっきだ。住民負担は多くなり、逆に住民サービスは低下する。その良い例が「町民巡回バス」の有料化を行政は計画する。また、橋の建設にあたり「デザインコンペ」があり、最終選考に5点と報道にあった。150万円の優秀賞の賞金だと言う。他の自治体でこんなお金をかけた施設整備は、私が知る限りない。石巻の亀山市長も気仙沼の菅原市長も、震災復興の交付金の無駄の無い使い道で、自治体の早期復興を図っている。どこか違う南三陸町の町再建のやり方がある。

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2015
06/24

防災対策庁舎保存決定へ


昨日も防災庁舎の瓦礫の前には多くの観光バスから、観光支援・教育旅行の学生や、乗用車の来町が暖かくなり増えてきた気がする。
今月30日に庁舎の県有化の有無を発表すると言っていたが、昨夜「県有化」を決定したとの報道があった。遺族からの解体要望があり、一時期は要望に応え遺族に沿った解体となった。「町長に生きて下さい」と肩車で電波塔に押し上げた、その職員の家族の願いを叶える、「解体」へ舵を切った。その時の理由に、市街地の整備の支障になる。庁舎の維持費が掛かる。などを上げていた。
今回は県の村井知事の有識者の考えを聴き、県の震災遺構の最優先に南三陸町の「瓦礫の防災庁舎」の県有化保存を提案した。遺構の維持費は全て県の持ち出しとなり、町の負担とならない事が大きい。後は町民意向という「パブリックコメント」の町による回収で、6割が残すべきとの意見が寄せられた。意見は全世帯の約4800件のうち約600世帯の「14%」の保存すべきを、町民の6割と多くの意見のように言うが、たかが14%を住民の意見とした参考は無理な解釈でもある。一番の影響力は30歳前後の遺族・町民の若者が、「もう一度時間を掛け話し合い議論すべき」の請願の効果が大きい。
人口が減少し町の税収確保は交流人口の拡大と言う、行政の方向性の考えの元で、町民を納得させる住民意見の解釈を強くした。町の思惑と違った結果なら、住民意見の14%では判断効果は難しいと言うだろう。
人の解釈は利用し方でどうにでもなるようだ。大阪都構想は66%?と投票率も高く、反対が1票でも多かったら構想は無効と、分かりやすい住民の意見・判断を府民が決めた事になる。
写真から見ても河川堤防は底辺25mの台形で形成され、防災庁舎の焼香台まで達する。工事の形・工法も見直しとなり、予算も増加となる気がする。全て県が財政負担をする。
自分たちの町づくりの形を、町外の決定のままで進む状況が多い事となる。市街地形成と防災的な嵩上げ・道路・河川などの多くが、町決定ではなく国県が決める。町の農地・漁港・市街地の土地環境整備も、基礎となる大部分が国県の意向が強い。その上を飾りつけるのが町となるが、その一部も広く若き設計者のパブリックコメントを採用する。その一番手が市街地形成計画の隈氏のグランドデザインである。もっと町の町民の意見を町づくりに採用すべきと思う。

将来の子供たちに、社会での競争意識の学校生活の為の、人口増加や子育て環境の整備と、高齢者の生活しやすい福祉・医療環境の整備をお願いしたい。私ひとりがこの町を捨てても、そんなに影響はない。しかし、今は町民一人の確保が大切な時期にきている。

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2015
06/23

食べれることの幸せ

27.6.23ブログ
昨夜は突然だったが北海道の同級生が帰郷したので、仲間が集まり、今が旬の地元の山海の幸とビールと会話で楽しい時間を過ごした。
旬のカツオの刺身やアスパラとサラダが並び、主催者の父親が獲ったと言う、刺し網に掛かった「カニ」の美味さに驚く。こないだNHKのドュメントで「不活発病」の前兆として先生の指導を受けていた。そのお父さんが漁で獲った物だと言う。
震災で海底がかき回され、生まれ変わった豊潤な志津川湾が広がる。今が節からは過ぎたが網にかかったらしい。魚屋で売っている物とはまるで違っていた。

北海道の同級生は言う。認知症や体の維持の健康ために色々な事をしていると。北海道からわざわざ飛行機で「マージャンパイ」を持ってきた。認知症の対策として麻雀は良いゲームと言い。現在、教室に通い勉強している。また、ゴルフも始めたと言う。これまでクラブを握った事も無いのに、ゴルフに挑戦し「打ちっぱなし」で先生に付き練習をしていた。
地元の同級生は59歳還暦を前に、震災復旧と地元の再建に最後の時間を仕事に頑張っている。仕事で頭を使い「ボケ」ている暇など無いが、記憶で「名前がなかなか出て来ない」と皆が言う。

震災後に少ししかない地元の飲食店は全て制覇した。食べる事が今は最大の楽しみでもある。町外へ出掛けて「パスタ専門店」に入った。最近のおすすめは石巻ジャスコの海鮮パスタで、パスタのチェーン店とは比べ物にはならない。入っている「具」とトマトの味が違う。こないだは仙台に「お中元」を買いに行った。地元の贈り物はだいたい使い物で、被災地に来た支援者に海苔や若布・生ギンザケなど海の幸の大部分は送った。今回は仙台名物の最中と白石温麺をセットで送った。その買い物に仙台三越に行き、地下の食品売り場で「チーズの食べ比べ」を買い5種類を帰って食べた。仲間には「ブルーチーズ」を注文し沖縄で笑われた事を思い出す。エビのソースを何にしますかと言われ、迷わず「ブルーチーズソース」頼み、仲間からは「無理すんな」と言われたが、私的には大丈夫だし美味しかった。こんな仲間達との沖縄ゴルフ旅行を思い出した。ブルーチーズは少し酸っぱいが臭みも無く、ビールのつまみに最高だった。5種類を切ってだが多めに食べたせいかお腹をこわした。
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「食べなくなったら終わり」と高齢者は言われる。私はまだまだ大丈夫、また少し太った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:35 】

2015
06/22

マンツーマンの少数精鋭もありかな?


土曜日に大雄寺さんに行った折、若い方々が花に水やりをしていた。震災後にボランティアさんの手で、斜面に花が植えられていた事を思い出す。参道が津波被害を受け全てを伐採した。その樹齢百年以上も経つ杉の木は、現在あさひ幼稚園の新築された園舎の建物として、志津川東地区西の一角に「凛」として佇んでいる。殺風景となった山門の隣りに震災後に植えられた花が、「紫陽花」だった事を昨日知った。藍色・白などこれからは土壌のpHにより色合いが様々出て来る。お盆の墓参りの檀家さん達を楽しませてくれそうだ。今年は正面が咲き、土曜日は墓地の登り坂の斜面に、支えの杭が建てられ水をやり、再び別の花が色を付け咲き誇る事となるだろう。
鎌倉の長谷寺?は今見どころとテレビで、その素晴らしい光景が映され、多賀城市のあやめ祭りも紹介されていた。花を眺める余裕は南三陸町の被災者に芽生えてきただろうか。我が家にも鉢の紫陽花がリビングのテイブルで、二週間目となるが満開に咲き誇っている。花は人に心の落ち着きを与えてくれる。

新聞の27年5月末の人口動向に当然の数字があった。我が町の人口が14000人を割り、志津川地区は26年9月末から「232人減」となった。震災から5年目を迎え、津波で死亡は566人で不明は213人と今現在の数字の中での人口減となった。志津川地区の人口流出の多さは他との地区別でも最高で、震災前7823人が5711人と「2112人減」の数字に驚くが、みなし仮設の県の補助が終了する来年度末?には、必ず数字はまた大きく減少する。
今回の議会でも町は人口減少対策と人口増加を重点目標に置いたが今からではもう遅い。多くの全国の行政の人口増対策の大きな支援と補助があっても、厳しい人口減少の問題の中にある。今まで暮らしていた住民の、町で再建したいの気持ちの強い間に、町づくりの土地を確保すべきが、5年6年とこんなにも時間が経ってはもう遅過ぎる。

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昨日の剣道の一試合で、小さい選手が我が団の安部で、身長の大きく違う選手と対等に渡り合う姿が、会場からの大きな拍手と声援が飛んだ。小さくても「この機会」を逃さない、時期とチャンスを生かし頑張って、大健闘を果たした。私の力は小さいが人が戻れる環境支援、人がリピーターとなり観光振興に繋がる活動を、今後も続けて行きたい。全ての残った住民がこんな気持ちを持って、また町で暮らせば将来が明るく見えてくる。

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2015
06/21

本吉郡学年別剣道大会に健闘記


昨年は人数の少ない事と、まだ大会での試合は無理と大会出場を諦めた。
今年は志津川スポ少2年4年の二人ながら、志津川中学剣道教室の一人を加え、3人での5人との対戦に臨んだ。個人戦は4年生が一回戦で敗退したが、出場選手が7人と多く、全選手が過去に無いくらいレベルの高さがあり、接戦の末1回戦で敗退した。
団体戦は4チームが参加し、総当たり戦となり2敗からの対戦は難関と言える。歌津の道合剣道と雄飛剣道の主力チームとは善戦した。最後の雄飛Bチームとの対戦は、先鋒の安部兄が一本取られ一本返し引き分け、次鋒は不戦敗し中堅の安部弟は2年生ながら、背の高い相手と互角に戦い、小さいながらの面打ちで一本を取り、一本勝ちとなった。副将は不戦敗で対戦は1対2となり大将戦で決着が付くが、二本勝ちで引き分けながら、大将戦も一身一体で面で一本取ったものの、相手も負けてられないと食い下がった。時間切れ寸前面を返し勝った。
結果は2対2となり本数は4対5で、相手の勝利と思ったら同率で3位となり、勝った我が志津川剣道スポ少連合が三位の表彰圏内に入った。
3人個々の戦いの結果が3位となり、チームワークの成果と私は思う。両親もこの結果に喜び、祖父母も孫たちを讃えた。これが私の目指す剣道で、こうした志津川剣道の伝統の戦いが減ってきた。

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2015
06/20

手を掛け見守って育てる 人も野菜も同じ 金を掛けるだけでは


5月植えたカボチャが今たわわに葉っぱを付け、小さな実を付け始めた。葉っぱを食べる虫も集まり、花芽の受粉もどうなるかと思ったが、ハチが何処からともなく集まっていた。
3月に本吉町の漁民が漁の網に大腿骨が引っかかり、県警のDNA鑑定と発見場所から、本吉町の小野寺さん(当時73歳)と断定した。家族は「震災後のことを話したい」と語る。行方不明の捜索が3月11日に毎年開催されているが、警察は「絶対家族の元に返したい」との一念で、可能性が毎年低くなる現状で、震災の風化を防ぐ意味でも、今後も消防などと共に活動続ける。
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カボチャは工場の狭い空いてる土地に植えた。野菜を造る楽しみと成長を見続け、最後には食卓に並べようと考える。生活費の削減は会社衰退と所得が年々減少する我が家の生活防衛策であり、町や他人が支援してくれる訳もなく、自分で確保する他ない。親戚の高齢化と家族兄弟の生活もあり、家督として今後生活をどうして行くかは、自分の役目として「両親の送り出し」までがあり、「自分の将来」についても考えている。
全国の事業主の共通の問題は後継者であるとのデータは、50%ともなり自分だけの問題でもない。行政・商工会などの支援を考えるが、、「頑張る」「努力する」「可能性」のある事業所しか支援対象としていないようだ。声を出す事をはばかる環境と慣習が私の町にはあるように感じる。
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カボチャが実を付けた。この何気ない事に感動し、可能性は「ゼロ」でない事を、自然の力から感じる。食卓へは8月頃だと言う。それまで雑草を除去しせっせと水を欠かさず、成長環境を整え成長させたい。
明日は本吉郡の小学校の剣道大会が開催され、我が志津川剣道スポ少からは2人の選手が出場する。今年度に入り4月から本格練習を始動した。練習回数は1回1時間半前後、18回の練習の成果が試される。今年は級審査を断念し4年生の県大会出場を目標に立て活動してきた。向かうハードルは高いものの、「少年よ大志をいだけ」の精神で頑張って欲しい。
他人の「ふんどし」で相撲をとる事は絶対させたくない。「継続は力なり」との戸倉剣道で掲げた精神と共に、子供達の剣道指導は「辞めてください」と言われれば、辞めようと方向性を決めている。

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2015
06/19

戸倉中学校の活用


こないだ戸倉中学校の現状を見に行った。戸倉団地の造成を見に行こうと日曜日、入口は侵入禁止の看板があり入る事は叶わなかった。戸倉小学校が建築されている中で、2学期から授業が新校舎で始まるに先駆け、生徒達が学校を見に来た報道がされていた。戸倉団地に行く事を希望していた地区民も減少をしているとの話しもある。戸倉地区民の震災前は「2296人」だったが、一年後は死亡もあり1997人になり、昨年9月に1757人で、27年5月末で「1693人」だった。浜区の地域性もあり志津川地区に比べると人口減少率は低い。しかし、平成17年3月の2684人のデータと比べても、震災前から地域の住人は減り続け、震災で更なる減少となったが伺える。
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震災した戸倉中学校の有効利用があり、体育館もその一つとしてあり、体育協会の理事会の席上で、「屋内運動場への活用」という話があった。岩手県藤沢町には屋内ゲートボール場などがあり、町にもこうした場所があれば雨の日でも活動が出来るとの話が出た。だが、津波の被害が体育館の土台にあり、補修しないと使えないとの意見があった。解体費より補修費の方が安く済むとの話に、是非とも補修して活用すべきとなった。あくまでも体協の中での話であり、町当局へのお願いする事となった。戸倉中跡地は地区公民館としての活用も話に上がっている。
津波で残った公的施設は利用すべきと思う。多くの思い出がある建物で当事者の感慨も深い。
今年3月の報道記事に戸倉地区にあった「自然環境活用センター(ビジターセンター)」が志津川の松原公園跡地に建設を予定する。10mの嵩上げし木造平屋で、5千㎡の土地に整備する。建設完成は28年度との計画だ。震災で流出した公的施設には、復旧工事の交付金が充てられる。人口が減少し以前あった建物が、交付金が支給されるからと言って「建設ありき」での町の政策に、将来の付けとはならないか心配だ。
昨日の議会で議論が過熱した。歌津のギョリュウ化石を入谷への仮収蔵の行政提案に、「歌津地区の化石、地区内に保管すべき」との議論だった。その中で「多くの人達に見てもらう為」との行政の説明は、歌津への集客を妨げるものと思う。
町づくりが圧倒的与党の力で、行政の思うがままで進んでいる。最終的判断は「採決?」となると、まるで国会のように思う。町民が選んだ首長・議員の行為、しょうがない事となる。

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2015
06/18

私の7つのブログは旧志津川の写真の宝庫

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現在、我が社のホームページの作成をしている。昨年の3月から更新が途絶えて、何とか見てくれる皆さんに町の変化を伝えたい。
作成にあたり今までの発信データの整理もしていて、その中の写真に懐かしさを感じ見いってしまい、昨日は何の仕事もできなかった。5人の20代の従業員の「ヤングブログ」に目を通し、こんな賑やかな楽しい時代があったが、今回の大震災で全てが変わった。従業員は全て無事で新しい生活に今頑張っているものの、総ての従業員の仕事の維持は、工場・自宅の全てを無くし、多くの優しいお得意様も被災し、仕事の流れの変化もあり、継続の雇用とはならなかった。20代の若い女性従業員4人は町を離れ、新しい地で生活を再開している。私は若いI・Uターンの求職者を震災3年前から、多く雇用を続けた。何気なくやっていた会社の運営は、今考えれば社会的な人口減少を見越した活動だったのかもしれない。私が経営の主体となり二人が結婚し、今も町に残っている。
震災前に退社した従業員の作成のブログがあり、目を通し「助けられなかったかな?」と、当時の1年を思い出す。彼の作ったブログの形は今後も残し、再会し更新を考えている。
写真は八幡川川面に映る川沿いの家屋です。今は何も無くなったが、私の所には思い出す材料が沢山ある。津波は全てを破壊し、全てが「海の藻くず」となってしまった。今後どこかで公開できる方法を考えている。
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以前は志津川に多くの「蔵」があった。倉は火災などから古い歴史を伝える物を残してきたが、大震災の津波は土台も残さず、その脅威の破壊力を町民は知る事となった。しかし、自然災害は繰り返されて、その時代で集落の再建を果たしてきた。今の日本の置かれている「人口減少」を考えれば、各々の自治体が残っていくには人口の確保でしかない。
何も考えられない、対策をできない多くの全国の自治体がある。一人一人の町民の心が一つにならないと、この問題は解決できないと思う。

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2015
06/17

少数精鋭で頑張る

来月の第一土曜にまた大阪から南三陸町の民宿に来客を迎える。今年で3年となる印刷業者間の交流が続いている。
今回は大阪から3~4人の参加と、本吉・気仙沼から同数の会員との宴席を予定する。大阪の東大阪支部長の永谷さんは、歌津地区のコクボ荘さんの接客を大分気に入っている。来客を飽きさせない会話と、被災時の事をありのままに語ってくれる。また、目の前に並ぶお膳が「物凄い!」。当事者だけでなく被災地の事を思う交流を今後も続けたい。いつも一人の対応なので楽しさから少し飲みすぎる。
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戸倉地区の変化に驚きだった。折立の橋から滝浜・寺浜の神割崎までの国道398号の沿線は、大きな様変わりとなっていた。波伝谷地区の「まやま」の高台造成があり、海洋青年の家・自然活用センターの周辺の土盛りと、周辺の嵩上げと高台の住宅建設があった。被災地の瓦礫処理場だった波伝谷・在郷・門前の場所は、あの大がかりなプラントの面影はなく、広々とした原野が道路から伺える。波伝谷の漁港は港嵩上げが本格化しているようで、大型重機が漁船の係留場前にそびえていた。
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人口減少の中で残った町民による、「少数精鋭」での町づくりがこれから繰り広げられていく。高齢者は75歳まで出来る活動をしてもらい。50歳前後はその一線で町づくりを考え、20・~40代は将来の町づくりに自分をアピールする。小中高生は、学業に励み多くの知識を身に着け、人口減少社会の中で、南三陸町のアピールで町存続の大きな力を発揮して欲しい。そんな学校生活の一面を昨日覗いてみて、何も無くなった被災地での頑張りの姿を確認した。
40・50代の成年家族が震災で何も無くなった町から、将来を懸念し町外の脱出を多くが3世代で共に決めた。復興特需が終わった後が、どうなるかが本当の正念場となる。あと5年9か月の10年の復興計画の元に進んではいる。実質あと2・3年で大きな復旧工事が終わり、後は残った町民と町外の支援者の見守りで、町は生かされ生きていく。
昨夜の夢がある。平磯を通り荒砥の母の施設まで、父と向かう途中に目が見えなくなった。いくら待っても、どうもがいても「道が見えなかった」、こんな夢だった。ある意味で今後の姿を暗示しているかのように思った。
道未だ険しい千葉家の現状だ。昨日は愛知県に建設会社問題の相談書を提出した。どんな対応をしてくれるのだろうか期待する。今夜は剣道の練習、面への打突で眼底に影響が無い事を願う。

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2015
06/16

生活弱者のことを考慮に入れた政策を


仮設を登米市に建設した行政の決断があり、この事で大きな町への影響が出ている。生活環境の良い南方仮設の町民の3分の1が、復興が進まない南三陸町を諦め登米市での生活を決断した。横山地区の町の仮設は商店が無く、登米市まで買い物に向かわないと、生活ができない為、登米市まで買い物に行くしかない。この場所への仮設は住民の2次被害的として考える。住民の多くが知らぬ間に移転し、被災地区から集まったコミニティーの助け合いは薄れている。各々の地区での習慣や昔ながらの繋がりは、異質なもので密接な繋がりはなかなかできないままでいた。長屋の仮設には半分以上が移転していた。豊里の駅前の土地造成地は坪「3.5万」であり、町の土地確保には5.5万~6.5万円と、町への帰還は自己の財源が繁栄され、以外と多くが登米市豊里で再建を果たしている。
志津川高校の校舎裏の志津川西地区の造成は、高校の直ぐ裏山まできている。造成地の土砂災害を心配する。
町の仮設集約があり、空き部屋に新たな住人が入る。行政は近隣の仮設との交流を促し、どんな人が町に入って来たのかを、個人情報の壁はあるだろうが、安心して生活できる環境の確保は当然の事だろう。高齢者も多く脅威・異変に対応はできるはずもなく、おとなしく静かに仮設で暮らす苦痛を感じる。
「買い上げ住宅」の期間が、福島は16年度で終了する。宮城県でも同じと思う。現在の町民が暮らす仮設以外が「みなし仮設」と判断すると、県の事業として実施し、この16年度は再来年末にあたる。この事業が終わる事を町は理解し、その町民の帰郷に対策は出来ているのかと言うと疑問である。ここにはっきりとした町の人口が表れてくる。
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生活環境の整った生活から、何もない復興途上の町に帰って来れるだろうか。みなしは現在600世帯があり「50世帯」は既に、買い上げ住宅から自己の生活再建を確保し、次の新しい生活に入っている。
プレミアム商品券が順調に買い求められている。そうは感じていたが、登米市に暮らす仮設生活者は購入しているかと言うと違っていた。買っても町までわざわざ来れないし、近くに買える店も無いと言う。こんな話しを聞くと誰の為の町の政策かと頭を抱える。他の自治体に無い「4割増し商品券」の半分の財源を、介護保険料の上乗せ分の「1500円」に充てる事を考えなかったのかと思う。地方創生の予算ながら、別な理由で高齢者の救済はできたはずだ。
昨日の議会委員会の「請願の採決」は10対4で採決された。今後は行政トップの判断へと移る。絶対に町は「保存」で行くと思う。「住民で議論する」はどんな方法をとるのか。「後世への遺構保存」は県有化の20年で、保存・維持費が捻出され町の持ち出しはないが、復興の工事の遅れや、土地整備の遅れは町にどんな影響を与えるのかは、今の所わからない。
私はあの場所は「遺族にとって特別な場所であり、あの防災庁舎さえなければ」との思いは強い。「遺族の物ではない」は権利上なのか、町の為に尽くしてきた家族の死を、人間の「情」としての心の欠如がある。今後、新しい町を担う若者達は、古き伝統と先人の言葉にもっと耳を傾ける、人に優しい町づくりを願うばかりだ。
請願者の心情は「もっと議論をつくして」ながら、町は「観光で人を呼び込むのに欠かせない」との、町財政の確保を視野に入れてのもので、決して請願者の思いを大切に考えての事では無い。
今後の町と議会の取組と、議員の個々の活動を注視していきたい。互いの利益共有が錯綜する防災庁舎問題、部下だった職員の家族を思う気持ちが、時間と共に消えうせていると思う。

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2015
06/15

冷静に保存・解体を町民の議論の場に

防災庁舎 - コピー
防災庁舎は請願の採択を賛成多数で可決し、請願者の「時間を掛けて町民で議論し考えるべき」とし、「県有化の受け入れ」を求める請願の内容が、議会の起立により採決で9対6の賛成多数で採択された。
請願紹介議員は、後藤委員を先頭に、小野寺・佐藤正明・村岡の4人の各委員だった。初めに請願の紹介議員が一人ずつその理由を語った。「時間が経ちもう一度冷静に議論すべき」と同様の意見だった。15名の委員がいて、議長に発言権はなく3人の委員が発言なく委員会の推移を見つめて、結果的には賛成多数の採決となった。
反対討論では三浦委員が、「請願としていかがなものか」と、議会への請願の中身の不備を根拠に意見を述べ、賛成討論では、後藤委員が請願紹介となり「議論を深める事と解体・保存だけではなく、後世に何を残すか議論を尽くすべき」と、涙の訴えをした。最後にタブーな言葉ながらの発言と前置きをし、「防災庁舎は遺族だけのものだけではない」と言い放った。私はイイ方があるのではないかと思った。「みんなで悩み続けましょう」「避けて通る問題できではない」と最後を締めた。
私は政治家としてふさわしくないのなか? 涙と情に流される。やはりあの場所での保存は反対で、双方が納得できる形を執行責任者である町長が、打開策を提示すべきと思う。
傍聴席で参考人の若者達の生き生きとした発言と、特別委員会の各々の委員を町長の影響力と与野党としての視点から見ていた。新人議員の今回の数の論理を生む為に、裏で緻密な工作があったと勘ぐる。しかし、これが政治と国会の与野党の構図からも判断する。
参考人の若い3人の発言は立派だった。政治力に流される事ない意見に、これからはこんな若者の時代と思った。委員会で所々での委員間の綻びが発言にあり、一体だった議会の分列を思った。前議長・副議長の中立の立場での発言、委員会を締めた対応に、素晴らしい正副議長と共にいた事を感謝したい。今後はどうなるか議会体制に不安と、しこりの回復を懸念する。

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2015
06/15

明日に向かって

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昨日は「グループ補助事業」の商工会から通知書を希望する方々に届けた。町内の2軒と横山駅裏仮設までで行った、ついでに知人の仮設に寄った。少し暑いけど電気の節約を図っていた。
本浜地区の方で旧行政区の人達と連絡も取り合っていた。仙台の災害公営住宅に二世帯の方の入所が決まり、子供の家に落ち着く方もいたと言う。家庭の状況の中で行く先も悩んだ上で、「終の棲家」を決めていた。知っている方の震災の悲劇の話も聴く事ができた。当時の行動の差が生死を分け、家族を思うが故の予想を絶する津波が襲来したとも言える。
5年目を迎え遅い団体の事業所救済の情報に、「今頃もう遅いよ」と話す人もいる。家族を抱えその世話と自己の生活の確保があり、生まれた町で今後も生活する方と、地元再建は無理と双方に厳しい状況が待っている。
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もう一か所は西戸の折立川右岸の農地圃場と、自分の夢を明日に向かい再建する、若手酪農家の所に行った。震災後に酪農を再建する時にはお願いします。と言われた事を思い出す。5年を迎え再建の方法を自分で見つけたようで、真綿らしい牛舎の柱が建ち建設が進んでいた。若手事業者を外部から引き込むより、地元で頑張っている人への町の投資が早い。業種により支援の助成の手段がないと、震災後に行政担当課が言っていた事を思い出す。
現在「人口減少対策」に、子育て支援として医療費や養育支援を図っている。それと同時に交流人口の拡大として観光・商店街の振興に大きな資金を町は投じている。また、Iターン・Uターン・Lターンなどの対策を考えているようながら、震災から立ち直っていない地元若手20代~40歳前半の住民の、再建支援に動くべきと考える。
現在町から他の自治体への移転再建者の大半は、生活が安定し資産・所得も多い方が、一早く自己再建し町を離れた。こうした町の資産家と言われる方からの税収は残った土地の固定資産でしかない。町に残るのは高齢者が4割を占め、高齢者予備軍がそれに連なる。復興特需・水産の復旧は、震災による知名度が現在の町の発展の元ながら、必ず風化し衰退していく。住民が町に残り人口維持が町の財政の元として永久ながら、人口減少を軽んじ、今頃対策をしている危機感の無い行政の政策に、町の将来を案じている。昨日も「登米市の税金は安い」「病院の負債が又増える」と言う町民もいた。税金の高い町に誰が残るだろうか、将来の生活に安堵できる所で、余生を過ごしたくないは当然の行動と思う。税金が上がり支払う事に苦しみ、初めてその現実に向き合う。今から町の経営策を真剣に考えないと後で痛い目を見る事となる。
今日の2時から「議会特別委員会」がある。防災庁舎の保存の要望を出した人が、「参考人」として議会で発言する。被災地の議会の混乱とメディアは砂糖に集まるアリのように、面白い話題として又全国で放送され、防災庁舎がテレビ・新聞で報道される。「ただ」でのメディア戦略とも取れ、これを幸いと思う人達も我が町には少なくない。反対に見るのも嫌だと「解体を求める殉職者遺族」は、また辛い思いと忌わしい記憶を思い起こさせる。最大の当事者の町長の決断の無い曖昧な行動・発言が、合併で「一つ」になった住民を、二分する問題の根源だと私は思うが、町民の震災の傷か癒えない中で、防災庁舎問題への関心が薄い事を良い事に、町は住民の早期住宅再建の仕事も後回しに、議論が別な所にある事で、火の粉が自分に来ない問題を作っているようだ。

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2015
06/14

生活不活発病


昨夜「南三陸町の生活不活発病取り組み」のドュメントをNHKで放送していた。懐かしい顔ぶれの高齢者と保健福祉課の職員が、生活不活発病の日本での取り組みの先端者に、被災地で生活する高齢者から聞き取りで、生活の仕方で生活不活発の改善に取り組んでいた。
現在の町の高齢者の置かれている状況に病が潜んでいた。このままでの家に閉じこもりは、筋肉・心肺・脳の老化と、将来に寝たきりとなる原因とリスクがあると、その先生は話していた。「楽しい事をしましょう」と語る。ある高齢者は「姉に会いにいきたい」とその望みを話し、膝が痛い腰が痛いと、坂を上っての姉への家まで行けなかった。先生は「歩いてみましょう」と言う。速足のおばあさんに「少し休みましょう、ゆっくりと」と助言し、姉も妹の来てくれた事に驚く。もう一つの夢だった「孫の結婚式」にも参加できた。たしかその男性は志中剣道部男子のキャプテンだった。「こんなにも大きくなり結婚!」、私はこの事に驚いた。寝たきりになると生活も限られるが、高齢になっても歩ける事で、家族と沢山の場を共に喜びを感じられる。
出ている高齢者は町の関係の方が主だった。もっと苦しい仮設生活者を思うと、その視点を眼の届かない生活困窮者に向けて欲しい。
「生活不活発病」を生活習慣病と勘違いしていた。このテレビで朝に家族会議となり、歩く事と何かの目標を持つ事、好きな事楽しい事を積極的に行う! などを話し合った。しかし、もっている病気と先生の指導の元にと付け加えた。

町への支援をした方々に地元の物を贈り続けたが、「もっと喜ぶものを」と町外に求め、仙台に行って来た。当初はワカメ・のり・蒲鉾・お菓子・お酒など、地元の商店から買い求めた。もう何を贈ったらいいか思案に苦しんだ。思い切り仙台のお中元セールを見学に行き、「白石うーめん」と「仙台最中」を贈った。大阪での至れり尽くせりの招待を受け、申し訳ないとの気持ちが募った。「何もいいから」と大阪の知人は言われるが、何時までも対外的に被災者とは私は思っていない。対等の間柄で未だに苦しんでいる方々への、支援の綱渡しが私の使命でるあると考える。
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帰りは石巻ジャスコによる。体系的に異常な私の体、合う服が地元では買えなく町外に行く。車の免許証は生活の生命線でもあり、こうして遠くまで買い物へも行ける。
今日は昨日戸倉西戸を通過すると奥の方で棟上げをしていた。剣道の教え子が牛舎の建設と以前フェイスブックで見たので、お祝いに行ってみようと思う。また、高校仮設で暮らす知人の友達への顔出しに行って見る。その他に商工会の「グループ補助金」の説明書を町内と横山まで持って行きたい。
こんな行動からも私に生活不活発病は、まだまだ先のようだ。

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2015
06/13

震災後の全国からの剣道防具に感謝


全国の剣道愛好家の皆さんから送られた防具、色が剥げて傷ついた汗のしみ込んだ面・小手に皆さんの心が詰まっている。
震災後の電話で「使っていた防具ですが送ってもいいですか」、こんな電話が数軒、千葉県・佐賀県などから届いた。支援の心を無にする事はできなく頂いた。「何も気にしないでイイですから」の言葉に甘え、宅急便の連絡場所も混乱の中で紛失した。電話での感謝の言葉で終わってしまった。戸倉の教え子も剣道のサイトから、「出身の少年団が被災し支援を」とお願いし、それにも全国の少年団が応えてくれた。そんな使い込んだ防具の数々は捨てられなく、「あの世まで持って行こう」と思わずにはいられない。
日本剣道連盟の被災地の剣道少年にも防具の支援があり、我が団だと9個ぐらいは小学生から、進んだ中学校で本人が使い、現在は返って来た2個しかない。いつまでか私の剣道活動が続いていたら、南三陸町の新しい子供達にも使ってもらいたい。
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現在2人の兄弟が志津川剣道スポ少の団員として、21日の学年別の県剣道選手権本吉大会に出場する。昨夜も厳しい指導と撃を飛ばした。素直で優しい子、剣道剣士として開花するには、もう少し時間が掛かりそうだ。4年と2年の二人だけの団で、昨年・一昨年と入れ替わりはあるが団員は二人だ。
震災の時は「戸倉剣道スポ少」だったが、私の器の小ささから、震災の影響で在籍していた8名の子供達は中学生となり団を去り、3人の兄弟が残り3人も小中の団員から退団した。中学校の指導者からの誘いはあるが、愛着の強い私の性格は、更なるのめり込みと、自我の強い剣道指導は輪を乱しそうで怖い。無理かな!
戸倉スポ少から古巣の「志津川剣道スポ少」の伝統を引き継ごうと、大先生の「遠藤さん」の指導を学び、舞い戻り継続し指導にあたっている現在です。「継続は力」と言うが体調が年々悪くなっている。あと何年・何か月続けられるのかと考えると、今の子供達への熱意がある限りは続ける義務を感じ、前のめりで大好きな剣道を続けて行きたい。
1年生の「陽」の泣きながら向かう姿に、涙が出てしまう、頑張る子供たちの姿勢に力を貰い、南三陸町の大人も子供から学んで欲しい。「頑張りましょう南三陸町で!」、子供達もこんな厳しい環境で頑張っているのだから。
嬉しい事が一つ、仲間の再建に伴い、疎開していた家族が帰って来た。長女の学校への転入などがあり忙しいと話す。離ればなれになっていた家族5人が、志津川で又共に暮らす。5年目を迎えてのバラバラとなった長い生活にピリョウドを打つ。

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2015
06/12

規則正しい生活は生活習慣病の悪化を抑える


2か月に一回定期的に病院で薬を貰い、現在の糖尿病の診察で状況を知る。「178」の空腹血糖とヘモグロビンA1Cが「7.7」とまた2ポイント減少した。病気の現状を維持する事は出来ても、病気が治る事にはならない。
先生の診察の中で「3回の食事を励行しています」と告げると、「当然ですよ」と言われた。食事には多くの気を使い生活している。野菜主体で写真はある日の晩の食事で、筍の煮ものと野菜と若芽と竹輪の酢の物です。質素に材料代も筍堀のご褒美と、野菜は100円・若布は増えるので少しと竹輪は一本です。それにご飯と水を1杯、だいたいこんな食生活を心がけている。
昨日は大根とイカの煮もの、カブとキュウリを一夜漬け、さやインゲンとブロッコリーの茎をボイルしサラダに、台所で一人調理した。40分ぐらいだが、以前なら惣菜を買いビールを飲んでいたが、今は料理をしないといけなく、嗜好品をたしなむ時間もない。こんな食生活が生活習慣病の抑制となっているようだ。
季節感を取り入れた料理と食事は楽しい、飲食店での飲酒は少なくなり被災事業所の支援とはならないが、来客を迎えた時は少しの贅沢をする事にしている。自分で食卓を彩る事の、食事の料理と時間が楽しい。お酒もビールながら週「350」を一本で満足、こんな食生活が糖値の維持と体の病の目安を低下されている。
眼の眼底出血が私の病気の主で、肝臓の状況も正常で尿タンパクも正常値になった。今の現状に甘える事なく、普通に今の生活を維持して行こうと思う。
昨日は魚屋さんで買い物、友人の奥さんも旦那の為に刺身を買いに来ていた。私は父の好きな子持ちの切り身を煮魚で今日食べさせようと思う。父の食卓に気を使い好きな物を準備する。肉類を余り好まない父には、さばの焼き物と蒲鉾と野菜の煮物を買った。さんまの佃煮が三浦さんは絶品だ。一回の買い物で父の食事の3~4日分は大丈夫だ。二人の生活なので食費は多くは掛からない。
血糖値でもう一つ発見した。2日に一回の「空腹時血糖」は朝6時の測定時を決めている。普通は「150前後の高血糖値」となった身体、「110」位で具合が悪くなる時がある。食べ物で「天ぷら」「焼き鳥」を食べた晩の翌朝は、200~250と糖値が多少高くなる。油やタレの成分が血糖値を高く押し上げる事を知った。大好きな食品ながら抑制するよりも食べない事で、体内の状況を維持できる。
私の先輩の病状がこうした取り組みの根源にある。志津川に透析施設が設置される、「公立南三陸病院」が今年の10月に完成する。最先端の透析機器の設備と聞く。透析患者の少しでも楽な治療になる事を願いたい。町の透析施設の完備を要望していた方が、私もお世話になりながら知らない内に亡くなっていた。(合掌)
生活習慣病を甘く見ると一生に後悔する事となりますよ!(喝)

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2015
06/11

自己防衛


国・県・町も被災した自治体の住民は何もしてくれないと言う。しかし、自分が求め考えるようになどなる訳も無く、自分が道を切り開くしかない。その結果が住民の流出であり、商店形成の参加・諦めを決断させた。
ここ2・3日のメディアの情報に町の将来を垣間見る。先月末で南三陸町の人口が1万4千人を割った。まだ人口の真実の数は現れていない気もする。出生率が発表され、南三陸町は4・38で人口千人当たりの出生率だ、普通は出産できる人口を出生数で割るもので、「1.2」とかこんな数字だと思っていたが。一年間の死亡が163人で出生は62人だった。結婚は49組で2組多いが、離婚は25組で11組増えた。色々な数字被災地南三陸町の将来への厳しい現状を図り知る事が出来る。
2つの地区の商店街形成の数字が固まった。来年10月の完成で進んでいる。商工会の見込みより3割減少で、歌津20志津川40が当初の考えでスタートした。敷金・家賃など目の前の負担で、ポツリポツリと抜けたが、始め商店主は大きな期待を持っていたが、ここでも自己再建への動きが加速した。志津川31と歌津8で今後の観光に向けた出迎えの商店街が造られる。
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常に町の今後を思った時、商店形成への町の取り組みを余りにも過剰と思っていた。浜々の小規模の防災集団移転の整備で、大規模な志津川・戸倉の土地造成に遅れを、商店の「町開き」を先行で進めた結果が人口流出に繋がったと思っている。高台からの土取りの残土で、低地部の市街地への嵩上げがあり、盛り土の確保と嵩上げが一体と行政は説明し、この方法で町の再生を図った。しかし、「住民は待てない」と自己再建が加速し、計画面積・戸数が減少し、今後のギリギリまでその変動を予測する。国の住民の移転しない土地の整備へは交付金を出さないと言う。更なる町の財政難となり、住民サービスの低下と増税となる事を、住民は知らないでいる。
情報を取得する住民はこんな状況を見れば、早期再建を他の安定している自治体に求めるのは当然の動きである。住民の生活確保が先で、町の商工・観光はその次に考えるのが、自治体の当然の在り方ながら、商工関係の力の強い町体制、こうなる町づくりがこれまでもあり、農協・漁協・林業までもが、震災復興特需で町の復興に現在向かっている。もっと真剣に住民再建と町にとって必要な事を考えるべきと思うのだが、その動きとはなっていない。
防災庁舎問題の請願者の呼び出し出席が15日に決まった。提出協力議員が誰かも判る。その議員の発言も楽しみだ。

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2015
06/10

何も見えねー


新聞に歌津地区の枡沢・歌中裏の「防災集団移転」の見学会があり、現地を見て住宅再建の一歩が見えてきたと話す。反面両地区とも自己再建が加速し、希望者が双方5世帯前後減少していた。引き渡しは来年3月を予定しているが、必要以外の土地造成の国の経費は出ないとなり、計画の変更を余儀なくされている。
志津川小学校から下り国道45号のう回路とぶつかる、「何も見えない」写真の壁とぶつかる。復興途上ながら完成まで何年かかるか、この状況は町の疲弊と過疎化が進み、人口流出が続く事となる。この場所は「ショッピングモール」と「道の駅」など、先行嵩上げ整備地区にあたり、「町開き」を28年11月に予定をしている。現在はこの高さの嵩上げ9mで今後「10m」まで土を盛る。
志津川市街地の驚くべき嵩上げの場所がある。志津川自工の跡地付近は、現在7mながら最終盛り土高は「14m」と予定している。中央区の新井田遺跡のあった山造成があり、山を崩す事を少なくするため、その前の土地を高くする工法をとったのだろうか? この場所は17年にスーパーの建設を予定している。工事が新井田川・国道のルート変更と河川堤防の工事と、市街地の大工事が一揆に始まる。その間の志津川市街地の観光は皆無で、右岸の「祈念公園整備」もまだ先となる。
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私も来年還暦となり老人の仲間入りだ。自分の病気のせいか体調も布団から起きるのも大変になった。寝るのも早く目覚めも早い、トイレも夜に数回は立つ。生活習慣病の当事者であり、その対策と予防を予備軍に人に強く進めたい。
お世話になった方が又ひとり亡くなった。高齢者の転倒と骨折は間違いなく寿命を縮める。まだ70歳過ぎなのに早い死だった。石巻日赤に入院していての「脳梗塞」だと聞く。病院に入院していても亡くなるのかと、「絶句」した。老衰で逝くのなら病院は分かるが、骨折からの退院を前の突然の逝去と言う。
我が両親も苦しむ事無く逝くことができたらと最近思うようになった。

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2015
06/09

普通の生活


我が家の台所とリビングの私の席から現在見える光景がこれです。アジサイの薄紫が咲き乱れ、壁には叔父の絵と叔母の絵があり、佐々木久義さんの絵と知人の娘さんの作品、母の自宅への施設からの初めての帰郷の家族写真がある。今までにはない環境づくりは、自分の思うままに余生を過ごしたいを実践している。
父の所へ茨城の水戸からキリスク教の方々が月2回来てくれる。この中の医師の先生がいて、町へのイスラエルの診療所の設置に貢献した。私も笹原先生の治療で糖尿病の怪我を完治してもらったと、震災当時を振り返る。お世話になった電気屋さんも施設の設置で尽力された。
朝のニュースで愛媛の大学とイスラエルの医師が、手の震える病気の治療開発の研究をしていた。30代からこの病気に掛かり、仕事も転職し現在も生活に苦しんでいる方は、奥さんの介助なしには食事もままならない。脳の中心部のある神経がその原因である事を突き止めた。放射線治療の臨床途上ではあるが、この方はためらう事なく治療をお願いした。3時間の治療後に手の震えは改善し、治ったら食べたい物があり店での「うどん」で、普通に出来る事がこれまでできなかったと言う。
イスラエルの医療の先進国である事を多くから知る事となり、震災の支援を忘れる事のないよう、現在の町の診療所前にはモニュメントがある。
一日も早い「普通の生活」が仮設生活者にも戻る事を願う。町民希望の全員が災害公営住宅に入れるのが28年度末まで、後2年掛かる事になる。戸建となると住宅建設のラッシュ時、順番となり約3か月で家は出来るものの、まだ普通の生活へはほど遠い。

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2015
06/08

また子供たちの事件が


人は悪行を繰り返す動物ではなく、考える動物なはずなのに!
14・15・16歳の子供がまた同じような事件へと発生した。以前のナイフによる19歳以下の殺人事件も、記憶に新しいのに、「仲間意識」が別の方向で刃を向ける事件となった。リーダー核の稚拙な人生観の経過から、両親の適切な教育がないままで事件へと発生するケースが多い。仲間の女友だちの問題でリンチされ、「川を渡ったら許す」の単純な制裁に、川に流され行方不明となった。こうした過剰なグループ活動の実態をもっと学校は把握し指導と監視をすべきと思う。
免許証の更新での教官からの運転教育があり、スピード超過による大事故に至る現状が説明された。「飲酒運転」に匹敵する重大交通違反であり、ある意味犯罪に波及する。北海道での重大事故は1家族が巻き込まれた。44歳の夫婦と子供2人が死亡し、次女だけが重体となり病院に運ばれた。乗用車と軽ワゴンの事故で家族は軽ワゴンに乗り側面に乗用車がぶつかった。交差点の事故でどっちが優先かは調査中だ。北海道は速度規制が意外と高速であり、道路も真っ直ぐな事も多くあり、スピードが速い走行を北海道では眼にした。乗用車の3人には命に別状はないと言う。長男は事故現場から800m先の路上で発見された。車外に投げ出され別の車に引きずられてここで発見された。この運転手は警察に自主をしたものの、事故の発生の救助義務とはならないのか。日本の人口減少が叫ばれ、夫婦とその子供達3人の交通事故を、防ぐ手立てを国は講じる事をできなかったのか。ハンドルを握る運転手の責任とは言え、年々の反則金や制裁が重くなり、まだまだ強化すべき事と思う。日本の将来への宝物を強く守る国家政治の対策は適切なのかと思う。地方の一国民のささやかな疑問ながら、取り組む必要性を感じる。昨日の事件であり日本の将来を築くであろう、知るだけで3人の子供が亡くなった。
昨日の事件の発生に「また!」と憤りの一日となった。
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町役場と診療所の前にはつつじが咲き乱れ、道路を挟んだ向かいでも、病院・ケアセンターの巨大な構造物が建設されている。町が復興計画でうたった震災5年後の予想人口、「13500人」までの減少から以後は増加に転じる想定、その予想を加味しての病院規模だろう。発表された10年後の人口動向の「1万人を割る」と言う現実に、病院経営の負債の発生は巨大なものにならないかと、今から心配をする。
国は自治体にも復興経費負担をお願いするとの発言に、南三陸町は「1億の増」と試算した。自治体破たんは無い! 経費増で「破たん」の可能性があるとしたら、ギリギリの財政運営の中に町はある事を実証した事になる。本当に大丈夫なの?

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2015
06/07

静かな日曜日


朝8時半ごろに同級生(親友)が来た。プレミアム商品券の4割増し販売の先陣を切って、ベイサイドアリーナで9時から販売が開始される。それを買い求めに奥さんと来たと言う。8時半ごろには200人余りが9時の販売を前に並んでいたと話す。200人が上限5万円を買うと1千万で、400万円が上乗せされ、その資金は地方創生資金からで行政の事業として支出される。
果たして限られた予算の割り増し商品券を買う方はどんな人だろうと考える。地元の商店活性化と住民生活支援としての取り組みで、来年の1月頃まで使え重宝はできる。
我が家を取って見れば、月の経費を考えても食費が主体で、5千円も使わないのが実情だ。プレミアム商品券が使える事業所としても登録はした。登米市で暮らす仮設生活者は買うのだろうかと思う。地元限定での使用であり、登米市から物を買いに来るのにもガソリン代の経費が掛かる事を思うし、困窮家庭は無駄な経費の余裕はない。町民に公平・平等に「地方創生資金」の活用となるかと言うと、違う気はするが決して事業を否定するものではない。住民生活の一人でも多くの支援となる事を、子供達の笑顔が増える事を願う。
しかし、私の周囲の事業所は登録をしない人たちが多い。果たして自分の仕事で商品券を使う人はいるだろうか、居ないと分析しての判断と言い切る。
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今日は家の片付けをしようと思う。昨年4月17日の引き渡しから、あっと言う間の1年2か月が過ぎた。他人に見せ自慢できる家でもなく、整理整頓はできないままで暮らしている。被災地事情のお得意様事業所の廃業と、復興特需企業からの仕事は皆無で、我が社にできる仕事も少ない。支出を抑え出来る仕事で繋ぎ、ローン支払いをしている。決して苦しんで生活はしていないが、楽な生活でもない。私の周囲の人達は生活場所の確保など、多くの問題を抱え生活している事を思えば、何かに恵まれた生活でもある。
父親のデイサービスへの通所は週2回で、月額経費「5千円」と言う。日本の高齢者の社会生活保障の充実を思う。こんな人がいる、私よりも大変と施設での事わ話す、一日の親子の話題が増えた。
今日からのプレミアム商品券の発売ながら、明日からはさんさん商店街・商工会などで販売をしていき、商品券が無くなり次第終了する。全世帯が5万円を購入し「2万円」の割り増しを受けられるまでの事業費ではない。購入希望者は早めにと言うしかない。2万円3000世帯で1億2千万となるが、予算は「約9千万」だった気がする。ここまでの購買を行政も考えてはいないようだ。とにかく求めたい人は早くに越した方が良い。

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2015
06/06

自然の生み出す流れに人間の過剰な手入れ必要かな


朝、フェイスブックを覗いた。町外に生活地を移転した懐かしい方を見つけた。「ここまで嵩上げは必要」「住民を一番に考えるべき」と、今の町の現状を見て正直な意見を述べていた。
写真は新井田地区の現風景だ。道路は国道のルート変更でう回路の整備が先月末に終わった。新井田川は旧河川が新しい川ルートで建設中。UR都市機構は河川堤防となるので、大雨などによる被害はルート変更でも心配ないと言う。自然の脅威を大震災で味わい、また自然の力を軽く見てないか心配を大きくする。
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議会の混乱をメディアはなおも伝える。一部の議員の動きで、「委員長に不信任決議案を含め対応する」と言う。やるべき必要性が住民のためならやるべきで、自分のアピールの為ならしない方が良い。議会が一体となるような議論を全員協議会でするべきと思うが、住民の為に公式の場で必要ならやって欲しい。民主主義の観点からで過半数の決を採り、皆の議論を深めて欲しい。15人の議員がいながら、何の発言もしない議員の皆さんにも是非意見を述べて欲しい。
「庁舎県有化」の特別委員会の裏での動きがあった。「請願者の招致」と言う意見があり、委員長が「招集を求める要望があったので」、と閉会を宣言した。この日はメディアには請願紹介議員4人の新人議員への意見を述べる予定だったと言う。今後は六月定例会前に採択するシナリオだった。「真摯に向き合って」と新聞には見出しがあった。誰がの利益共有・影響力が働いていたとしても、自分の考えで議論を交わすのが、議会議員としての在りようだろう。
私も以前議会で「議員辞職勧告」を出す事を進めた。その時の議長に説得され謝罪を受け、取り下げを決めた。ある意味では良かったかも知れないが、今の体制を考えると「実行」しておけば、議会体制も現在より変わっていたかも知れない。今回の新人議員4人の行動の裏の真実を私がしる由をないが、是非新人4人の「防災庁舎の是非」の意見を聴きたい。非公開にはして欲しくない。
JR東日本の気仙沼線の議論が、国土交通省とJR東日本と沿線自治体が集まり、東京で会議を開いた。700億円の経費の400万円を国と自治体で負担がある。石巻・気仙沼は鉄路復旧を強く求めている。我が町は「期を逸した」と町長は話し、「町民も求めてない」と言っていた。東京の会議に出席しての発言が欲しかった。高齢化が進み人口も減少し、財政的にも厳しい状況がある。防災庁舎問題を早く決着し、住民の住宅再建にもっと力を注ぐべきと私は単純に思う。

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2015
06/05

町の造成数も混乱状態で議会も混乱と報道は伝える


昨夕のニュース報道にビックリ、「議会大混乱」と見出しが付いていた。委員長の「散会」の言葉の後で、委員たちが委員長席に集まり話す映像は、正に国会の会派の議長への抗議風景と同じだった。
理由は請願者の出席を求める事となり、請願のの審査をしないでの散会を、委員長が独断で散会を決めたと言う。多くの報道陣や解体要望の殉職家族は複雑な気持ちと、町議会の現状を露呈し、混乱の議会体制が伺える。

日本創生会議分科会の報告があり、東京・埼玉・神奈川・千葉の首都圏の高齢化が進み、福祉・介護の不足が生じると言う。会議ではこれまで「過疎指定自治体」を発表し、今度は、福祉や介護の充実した「地方への移住」をと言う。室蘭・別府・盛岡など全国の約20自治体を上げていた。突然の発表は元岩手県知事の増田氏の研究・調査の、創生会議からだ。10年後の団塊の世代の増加は首都圏では、全国で533万人の増加に対し、東京圏で175万人と3分の一を占める。高齢化率も「38%」と急増する。地方だけではなく首都圏でも高齢化問題があり、国レベルでの多くの対策を講じるものの、全国民が光輝いた高成長時代はもう来ないようだ。
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しばらくぶりに議場に入り傍聴した。
今日の午後1時半からの特別委員会に、メディアのカメラ5台と新聞記者が10名近く、傍聴者が10名余りで席はいっぱいとなっていた。
山内孝樹委員長の開会の言葉で、パブリックコメントの説明が執行部よりあり、議事に入った。
後藤委員の「県有化決定のような報道、町長の発言したのか」、次に高橋委員は「出したくても出せなかった人がいるのでは」、及川委員は「提出のパーセンテージは」があった。4人目は三浦委員で「県有化が決まったかのような町と議会の報道に対して」「町のHPを見れる人が何人いるのか」「経費はいくら掛かったのか」の質問があり20分間の休憩に入った。
休憩後、ホームページの紙ベースの住民意見を配布、新聞社への抗議文が提出された。次に阿部委員が「パブリックコメントの開封は誰があたったのか、第三者が開封に立ち会った方が良かったのでは」と質問した。
質問者は5人で、解体すべきと改選前の意見の方が3人と、新人2人が質問者だった。他の10人の委員は質問はしなかった。町内に留まらず県内外での話題の的となっている南三陸町の大問題、もっと議員の活発な議論があると思っていた。
委員長がこれで特別委員会を閉じますとの発言に、要望書を出している議員の方が、「閉会を承服できない」と発言があった。他の議員の数名は退出し、一人の議員と委員長の間でやり取りがあったが、閉会した。「陳情を出した一人として」、納得がいかないと議員が委員長に詰め寄った。
これが議会の今日のやり取りだった。執行部側の対応はこれまでの多くの議論と同じで、行政の正当性を述べるに留まった。

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2015
06/04

割り切った人生設計で


昨日は自分にとって大きな障害になっていた、運転免許証の更新に挑んだ。普通の人なら難なく通過できる事ながら、10月・12月・2月と左目の3回の手術による、視力の回復途上での6月24日までの更新が必要だった。視力の一回目は「これが見えないと駄目ですね」と、裏の部屋に回され、視力専用機械から昔から眼科にある視力検査機で、何とか眼鏡使用で無い検査を通った。
更新は「石巻運転免許センター」で行い、私の5年で1回の携帯電話で24年の違反で、一時間講習は8人と「30分講習」の3人だけだった。以前までは地域の警察署で更新し、震災前は25名前後が更新講習に参加していた。
30分は交通規則の変更部分の説明だけで、1時間講習はそれと併せて、事故発生の注意する点と、運転義務者としての心がける部分を、県内の事故内容を通し説明があった。「高齢者が加害者と被害者になる時代」「死亡事故の保険金のアップ」「免許書返納の意義」など現代の運転事情を講習した。私の実践では「構え運転」を実行している。何時です直ぐにブレーキが掛けられる状態を保っている事だ。適正試験では「わき見」「だろう」「考えながら」など、私は性格的には適さない運転者なのかも知れない。でも良かった! 今後の5年、事故をしない運転に心がけたい。5年後は64歳となり「高齢者運転者」となるが、これからもだが南三陸町での自分の生活は運転免許なしには無理だろう思う。
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午後4時に午後の免許証更新を終え帰った。夜は6時半からの志津川剣道スポ少の練習へ、大会を21日の日曜日に合わせ、「時間の大切さ」「自分に甘えない事」を練習の目標にしている。小学2年と4年には難しい話に、団員は付いてきて努力をしている事を肌で感じる。2時間の練習で帰りは9時近くとなる。晩御飯を作り食べ、就寝は11時頃となる。しかし、毎日を充実した時間を過ごせている。大会申し込みとスポーツ保険の申請も昨日に完了した。
今日は10時から「東日本特別委員会」が、議会であり、防災庁舎の解体の是非が議論される。今、南三陸町の新聞・テレビの話題の的となっている。震災からの住民の再建よりも、南三陸町ではこの事に行政は時間を取られている気がする。早く解体して右岸の整備を図って欲しい。どう防災庁舎を復興に利用できるかは、行政と町長の判断に係っている。「県有化」は県の整備予算に目がくらんでの祈念公園の被災地整備としたら違う、国がやるべき震災遺構保存ではないかと!

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2015
06/03

三陸復興国立公園に編入


昨日は三陸復興国立公園と3月31日に告示された、南三陸町の景勝地「神割崎」に行って来た。4月1日から観光協会に管理委託された「神割崎プラザ」に食事と思い出かけた。しかし、火曜日定休日!」こんなの知らなかった。この日も「いわき」「那須」などの県外ナンバーの車がUターンしていた。来町のお客様神割崎のプラザは火曜定休日ですので、確認し気を付けてお出かけ下さい。
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この日は、南三陸町志津川地区の小学生の「ふるさと学習会」で、佐藤教員長をはじめ職員が引率で故郷の名所を訪れ、神割り崎の言い伝えを勉強していた。
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お昼を目指し神割崎まで来たので、何処で食べるか考えたが「ホテル観洋」のレストランに入った。さすがに平日の1時、お客さんは疎らでメニューにはキラキラ丼が並び、今は「うに丼」が2300円と2600円の2種類があった。知人は「みそカツ定食」で私は「海鮮スパゲティー」を注文した。さすがに水産加工会社も兼ねた会社、中身のあさり・ムール貝・エビ・ホタテなど、新鮮な具沢山のスパゲティーに満足した。午前11時から午後8時までの営業で、8時過ぎからは「居酒屋」に変わると言う。町内での飲食は限られ仲間内の飲み会の場がこんな所にもあった。
町の65歳以上の介護保険料が4500円から6000円になった。一般財源の「財政調整基金」が底を尽き、今回の値上げになったと言う。気仙沼市での26年度税収が57億3千万円で前年度より8億2千万円上回った。固定資産税と個人市民税が増加したのでと言う。震災から5年目となり住宅建設や事業所再建が進み、各種税金の免除も終了した。これからは自治体の税収による、平時の財政運営・運用に返り、将来にツケを残さない財政運営が求められる。「身の丈にあった財政運営を」が被災自治体のこれからの取り組みとなる。
昨日から父親が「多機能福祉施設」のデイサービスに初めて行った。多くの話題を見つけ昨夜は、それを伝えようと一生懸命話をしてくれた。話題が見つかり二人家族に会話が生まれた、良い事なんだろう。

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2015
06/02

中央政治と地方自治の考えの相違


政治家の訃報に驚く。町村衆議院議長の突然の死だった。名前は信孝で私の「のぶたか」と同じながら、国会議員の強権的に姿勢を強く感じる中で、町村氏の温厚な政治姿勢と、国民への説明も優しく語り掛けてくれる事が、私には親近感として伝わっていた。病気は脳梗塞で70歳とまた若く、惜しい人が政治家から居なくなる。体調の異常を感じ議長を辞し、病気の治療をしていたと思った、治療入院中の脳梗塞での死なら、医師の先生方が最善を尽くしても、命を救う事が出来なかった事になる。
2月の新聞記事を一揆に読んでいる。南三陸町地域観光振興協議会の「南三陸てん店まっぷ」が、宮城県の「おもてなし大賞」に輝いた。観洋の阿部隆二郎会長を中心として会員76店舗が加盟している。前南三陸町観光協会会長であり、南三陸町に留まらない、全国のホテルの中でも上位に入る、「おもてなし」で有名である。
昨年は大阪府東大阪市の印刷支部のビアパーティーの、商品の買い物に町を訪れ、私が配る商品の選択を任され、佐長酒店さんのお酒の買い物時に、「てん店まっぷ」を50部いただき、商品袋に入れて送った事を思い出した。
26年の気仙沼・本吉の救急統計が発表された。出動件数は3417件で搬送人員は「3051人」だった。震災時を除き過去10年で最悪となった。また、6割が65歳以上の高齢者だった。南三陸消防署から志津川診療所から、石巻日赤への救急搬送の救急車は、私の会社の前を通る為、搬送の多さは耳で感じていた。高齢化率の上昇はさらに搬送回数が増す事へ繋がる。
今後10年の人口動向で4割が65歳以上となる。若い世代や子どもの減少が、企業の誘致にも大きな不安材料となる。求職者が求める働く場が無い事で、人口の減少は今後も続く事になる。ある人に「パチンコ店町に来ないかなー」と聞かれ、事情が分かる人に聞く事できた。出店には人口が関係し、遊ぶ人の層を考慮に入れ、今後の子供から若い層の遊行人口を考えると、何年で元を取る事が出来るかと言うと、厳しい出店状況があると言う。今まで遊技者が高齢となり遊興費がない、若い世代は住宅再建に、子供達の減少など、10年後の町の疲弊する状況を想定しても、市場調査の元に出店をする企業は、そんな経営にリスクを冒す事などできない。
いま置かれている状況を目先の輝かしい町復興像だけを見て、町の基礎となる定住人口確保の部分を後回しの政策に、不安ばかりが私にはある。私は終わる人間であり、これからの人達の育成に現実身溢れるような取組を掲げて欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:37 】


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