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ARCHIVE - 2015年05月

2015
05/01

ここで生きる


ネパールのM7.8の地震で現在まで6500人が亡くなり、1万人以上の怪我人がでた。そんな中で120時間ぶりに15歳の少年が救助され、その7階建ての崩壊現場からもう一人の女性も見つかった。
阪神淡路大震災でも6434人が亡くなり、1月17日で20年目を迎えた。何も無くなった被災地に、近代的な建物が再建され、震災の悲惨さを伝える「防災センター」が、その当時からこれまでを再現施設や被災品とその復興の歩み表で伝える。南三陸町の20年後を私は想像する事は、今の復興状況と昨夜の復興の説明では、想像することも将来を描く事も出来なかった。
工場・自宅再建を震災後3年1か月で、小さいながらも済ませる事ができた。ここ半年は、家族の生きる事への正念場だった気がする。私は目の失明という状況下で将来を諦めた時期を経験し、母は転倒で生死の狭間を何とか回避できた。父も心臓機能低下により、体内と肺に水が蓄積し、日々の生活に不安の毎日だった。今は家族三人がこの危機を乗り越え、平穏に日々を質素に生きている。
これまで被災地で生きる意義を、「住民の厳しい状況の発信」が、これまでのこれからも自分のライフワークとして行きたい。
今月は大阪の東大阪支部の永谷支部長さんの招待で、大阪府印刷工業組合の60周年式典に参加し、被災地「南三陸町」の現状を伝え、資料の販売と義援箱設置で、仮設生活者への支援に回せればと思っている。また、広島のNGO団体の来町があり、南三陸町の震災からのこれまでの勉強会を予定し、これまでの行政と被災住民の計画と生活を話し合いたい。
昨夜は志津川市街地の事業計画の変更報告があった。初めての事業説明会で、個別の相談ではないと資料に前説があった。参加者は20人余りで、担当職員と国道の整備関係者は20名ぐらいの出席だった。変更説明は1.換地の区割りの変更2.河川堤防・防潮堤や橋の変更3.道路を見直し宅地の拡大の三点で、30分で説明を終了した。その後での「質疑応答」では誰一人手を上げず、このままで終了と思い、「商店街の28年11月の整備と比べて、30年の工事終了と土地引き渡しは遅いでは」との質問に、「27年度から順次仮換地で引き渡していく」と言う。私は25年10月の換地確認で、「ここに換地したい」と伝え、その後での経緯説明が昨夜で、1年半も何も無く資料も何処かへ行ってしまった。私の土地は早い時期でも28年度後半から29年度のようだ。既に何をしたいが決めてはいるものの、この頃は60歳還暦を迎え余力もなく、70歳まで仕事をするつもりはない。土地引き渡しと同時に土地の固定資産税は普通に発生すると言う。土地の価値も上がり税金増は、更なる負担がかかってくる。でもこの地で生きようと今は思っている。
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今年も家庭菜園を始めた。昨日はミニトマトとサヤエンドウそしてカボチャを植えた。夏ごろの収穫を楽しみに夢見る。

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