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ARCHIVE - 2015年04月

2015
04/09

今年の抱負を町に係れの方々の考えを読む


昨日は石巻日赤に父の心臓のペースメーカーの一年検診で家を朝8時に出て、母を見舞い帰ったのは4時過ぎとなり、何もできなく一日が終わった。
母は7日の退院と決したが、町内の施設の送迎バスの都合により、13日になったが当初は「16日に」との話に、病院看護師からの要望で3日早まった。色々な施設の事情とは言え、家族が思うようにはいかない。
父は体に水が溜まる状況が続き、南三陸診療所の主治医の投薬で少しは改善した。昨日の石巻日赤の先生の診断で肺にも水が溜まっていて、ペースメーカーの動きを「45」から「60」に変更する調整をした。朝の父の第一声は「身体が軽くなった」と、いつものモヤモヤ状態から少し体が改善したようだと話していた。
新年1日の新聞には、村井知事・小野寺代議士・佐藤町長・菅原市長の、今年の復興についての考えが掲載されていた。特別な取組は無いと感じ、「粛々」と総ての事にあたるような、言葉が多く見られた。その中で強く感じた内容は、気仙沼市の人口流出が、25歳~44歳までのこれまでの転出が、転入の数がうわまわったと言う。市内に働く場が生まれたり、生活の場の環境が整備されたのか人が帰って来た理由だろうか。しかし、これまでの人口流出も落ち着き、復興への街の改善が進んだ為だろう。昨年は「808名」の人口減も、今後は流出も落ちついてきている。
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話題としては歌津寄木に「羊牧場」がボランティアの定住で営業していた。南三陸ブランドの羊肉「南三ブランド」を企画し、羊毛加工・触れ合い牧場・肉の生産で、被災者雇用を図っていた。町外からも人を受け入れている。昨年は20頭の子羊が生まれたと言う。将来に繋がる新しい動きとして感じた。
「おらほの酒」があった。2月23日から3000本を販売している。生酒で遊休耕田を活用し、開墾から代かき、田植えから収穫まで、歌津・戸倉の田んぼから1800キロを生産し、加美町の酒蔵に協力をもらい、「おら酒」として6時産業化を実践した。20代30代のボランティアによる、稲作りの素人が農家の手助けを頂き達成した。若者は互いに苦労しながら楽しみ笑顔で、今回のプロジェクトに人と人との繋がりの大切さを知ったと話す。
知らない場所で町外から多くの若者が、被災地「南三陸町」で頑張っていた。また、完成した災害公営住宅の高齢者たちも、町の復興への手助けとして活動をしている。
まだまだ捨てたもんじゃない、我が町の若者の活動に、将来を託せる担い手が誕生しつつある。
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