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ARCHIVE - 2015年04月

2015
04/01

清水地区の今


日曜に清水地区に行って見た。小さな漁村で海岸線や川沿いに家々が集まり、集落を成していた。決して空家が多い訳でもないが、10年前になるだろうか小学校が閉校になった。今年の志津川小学校の入学生は28人で、荒砥・清水小が統合された上でのこの数字だ。清水小学校がこの場所にあって今度の震災となれば、どうなっただろうかと思うと「ぞっ」とする。
地区の守り神の「久須志神社」は地区民が居なくなった、集落を今も見つめるようにある。集落を走る45号線沿いは、津波の通り道となり全ての家屋が流失し、高台に2軒がのこるばかりとなっている。向かって左側の山に、地区民の高台移転の「防災集団移転」の土地の造成が行われている。当初は50世帯の住民の土地希望が、現在は35世帯になり、15世帯が地区での再建を諦めたと言う。
現在は集落の川「さくら川?」が整備され、写真手前の工事は上下水道工事だと言う。中心にあったコンビニも工事にあたり撤去され、遠くには気仙沼線の高架橋が二つに分断され、今も震災当時のままで残っている。小さな漁村集落ながら大きな工事事務所が、二つも地区に建設されていて、家々の跡地は高台の残土が高く積まれていた。
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今日の河北新聞には、今が旬の三陸産ワカメが、復興市の「メカブ詰めほうだい」の写真があり、気仙沼・本吉の教育関係で、理科離れに対し、小学校教諭のクループ活動に「野依科学奨励賞」が贈られた。先生方の理科指導方法に「ヒント集」を作成した事が認められた。
昨日は気仙沼の「県税」と「ハローワーク」に行った。大谷海岸までの順調な車の流れが一転、階上の海岸から大型トラックが、国道に15台も一斉に入ってくる。大渋滞が平日の日常で今があった。帰りは三峰病院から海洋館への道を選択した。鼎が浦高校跡地の県仮設事務所から海洋館までの裏道だと、丁度20分で辿り付けた。45号を使ったらその倍はかかるだろう。しかし、裏道に流れた車は速度を増し、少し危ない状態になっていた。大型トラックも時々あり交差が大変だった。
国道沿いの港地区の「防集」の10戸余りの団地は、造成から約1年となり総ての住宅が完成、完成間際となっていた。国道沿いの個人の造成地も多く見られ、市町の行政の土地整備とは別に、急ピッチで土地の整備が進んでいた。工事に時間のかかる場所選択の造成があり、この部分で土地の整備が一般の土地開発会社との、時間の差となり再建場所の変更を被災者が選んでいる。

昨日テレビで退職する南三陸町の職員を、仮役場前で「胴上げ」する光景が流れた。被災しいまだに仮設で暮らす住民はどう思うのだろう。ミスマッチの姿が我が町の中枢で繰り広げられている。

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