ARCHIVE - 2015年04月

2015
04/30

;連休初日歌津にて


29日「昭和の日」、歌津の行事二つに向かった。9時30分からは中学生以上の稽古会があり、宮城県剣道連盟本部から有段の指導者が、地区の技量強化の為に2時間汗を流した。私は医師のドクターストップもあり、見学者になったが過激な運動はもう無理である。
その後は本吉郡の連盟の総会があり、本吉郡の剣道人口が減少している事が話題となった。震災後の児童・生徒の減少があり、子供達のスポーツ志向の変化も大きい。学校のチーム編成の為の、生徒の少ない部活への入部働き掛けがあるとも聞く。被災地に於いての剣道環境も厳しさの一途を辿っている。
会場は「大衆食堂」で、定期的に連盟で活用している。テレビでも放映なったが、大衆さんには後継者に新しい寿司職人が入り、1年ぶり来店ながら店の雰囲気も変わっていた。威勢のイイ出迎えに、被災地の必要な心意気を感じた。
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次に、歌津駅の裏山に整備された、「慰霊碑入魂式」の会に参加した。会場には歌津地区の被災された方々の家族や関係者が100名以上出席していた。地元のお寺の和尚様三名による「入魂式法要」が、厳粛に行われ震災当時の大混乱の日に、思いを巡らせた。刻まれた「119人」の死亡・不明者の名前に、手を翳し摩り私も知人に思いを馳せた。「篤実」早いよ、「何で早く逃げなかったの」と、地震発生時に同じ場所いた。役場議会職員とは言え、なぜ逃げなかったのかと、「43名の殉職」に対し、行政に疑念を今も持ち続けている。まだまだゴルフもしたかったし、ベガルタのサッカー観戦にも連れて行ってもらいたかった。もっと遊び共に南三陸町の為に頑張りたかった。優秀な人材の多くを津波で失った。
篤実よ、伊里前市街地と歌津湾を見下ろす丘から、これからも海で釣りをしながら、歌津の復興と家族を見守ってくれ。
夜は同級生に会食に誘われ、7時から民宿でもう一人のゲストを迎え、色々な事を話した。ビール・酒に氷を入れ薄めて飲んだ。飲み過ぎは体に毒だが、人との付き合いと再建した民宿支援を考える。帰りは勿論地元のタクシーを利用した。
地元の事業所に「金を落す」事は大切で、町外からの被災地支援だけを頼ってはいけない。地元の住民がお金を回す事も取り組む活動と思う。しかし、私の嫌いな事業所や、私の購買力もあり、その活動は限られてはいるが、気を留め行動をしている。今日は自宅に缶詰となりそうだ。
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2015
04/29

昔の賑わいが本当に戻るのだろうか

20100721_本浜地区「上棟式」の餅まき_IMG_1570
現在多くの住宅再建の現場が至る所で行われているが、一生に一回の住宅建設には、地域が総出で応援しその恩返しの「餅まき」を行う。皆が被災し家を無くし、「お互い様だから」と住宅は全てハウスメーカーや工務店に任せって、何も建築行事をしない。こんな形で良いのかと思っている。私は幸せにも多くの仲間が、生まれて初めての住宅建設を終え、お祝いの言葉そして祝い金を頂いた。神事も欠かさず芯入れも出来た。昔の習わしのどおりの住宅建築にあたっての行事は、するべきと思う。
本浜地区の震災前の映像が残っている。「流された家は見たくない」との声もあるが、私は流された家と土地に多くの思い出と共に愛着がある。だから嵩上げされた元の場所に土地を再度取得し、何かをしたく、この場所は私が生まれた育った本浜だよと言い続けたい。ここで何をしようかと思案の最中だ、元の場所に帰れる、こんな別の幸せも待っている。
20100705_南三陸町小学校ビニールバレーボール大会_IMG_0802
子ども達の躍動する姿を眼にする事が少なくなった。被災した地域の学校の児童・生徒の減少が続き、行政の人口流出の歯止め策も何の効果も見えないでいる。子ども達にとって勉学も必要だが、多くの仲間とのスポーツの大切さを思う。互いに大好きなスポーツを通し競い合い、悩み苦しみ「どうしたら上手になれるか」を模索し考え、生きていく方法を鍛える。人との付き合い方や人への思いやりなど、これから大人になって行く「術」をこの中で学習する。「健全な精神は健全な肉体に宿る」、人を騙し偽りのチームワークで、一人の子への嫌がらせ、こんな姿に何もできない、いやな時代が私にもあった。皆が誰の為に何のために一緒にやる意味を、伝える機会さえ与えられない事に苦しんだ。この子供たちが厳しい環境に順応していく事を、新たな人との出会いに賭けるしかない。
20100808_「黒龍会」のトコヤッサイの子供達_IMG_2548
伝統は時間の積み重ねにあり、当初は小さい固まりでも、徐々に人が集まり、皆が何の打算もなく参加し歴史へと繋がって行く。
一時期の栄光の為より、末永く続く事に私は伝統の意味があると考える。
トコヤッサイも夏祭りの一つの行事として始まり、年々いろいろな団体が参加し、街を代表する祭りとなった。多くの子供から高齢者までが、共に笑顔で町中を踊り舞った。多くの人が居てこれが成り立つが、人が離れ子供の数が減った町の将来は、日本の人口減少が地方での増加となるのは難しい。
何かがどこかで狂い始め、その狂いを食い止める事の出来ないままで、町の復旧復興は続いている。頭の良い人間が自分の為に動き、各々が自分の為に生きる。震災だから自分の事が大時だから、こんな流れが町にある。これで「一致団結」と言葉ばかりが先行する。
地元の早期復興をと建設会社は看板を出している。しかし、仕事が終われば又新たな仕事へと町を去る。
石巻市雄勝地区の人口は7割を切ったと報道は伝える。我が町の浜々も同様の現状がある。豊潤の海が広がっていても、町の人々の心が地域から離れれば町は無くなる。
公的施設がいっぱいあっても、人が居ない町には将来はないと私は思う。そうなる前に何にもできなかったのか? 連休に家でこんな事を考えていても、自分は十分に充実した日々を送れる。

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2015
04/28

八幡川の右岸・左岸のバランスに思う


ゴールデンウィークの前半に突入した。先週の土曜日には、山形県庄内町から議員時代交流した仲間が、ツーリングで会社に立ち寄ってくれた。現在は庄内議会の広報委員長と言う。現在我が社で作成中の、自社の広報に興味深々だ。議員当時に発行した「庄内町議会広報」は全国一位となった経緯もあり、今年もコンクールに出品すると言う。
今日は茨城県から父の友人がマイカーで家に来てくれた。父を連れ出し町内の桜を見に行くと言う。桜は既に葉桜とはなったものの、まだ八重桜が残っていると、町の散策に出かけた。
こないだ防災庁舎の前には大型バスが3台いて、庁舎の慰霊の祭壇に多くの人々が焼香で手を合わせていた。八幡川の向かって左岸は8.7mの堤防と、盛り土も8.7mで道の駅と商店街の場所となり、嵩上げが7割方完成しているように思う。防災庁舎の残骸の右岸は、5m以下の嵩上げとなるようで、川を境にする盛り土の段差が気になる。今見えるのは、荒島の頂上と堤防の基礎杭の機械だけで、志津川湾の海を見るのは難しいようだ。
仮設の集約へと段階は進んでいる。気仙沼市は92団地から25へと28年までに集約し、まず初めは学校施設の仮設が先と言う。南三陸町も昨日、区長会と仮設自治会の会議があった。世帯数の変化が進む中で、入谷福祉仮設の18戸に南方仮設から9世帯が、集約の初めとして新聞に掲載されていた。便の言い登米市佐沼から、何もない入谷林際への集約と思うが、住民の不便さは測り知れない。
気仙沼市本吉は今年の10月を皮切りに、12月翌年の1月には土地の引き渡しとなり、災害公営住宅も完成を迎え、仮設には今年2割しか残らないと言う。志津川地区の3地区の大々的な移転は今年・来年で、災害公営・戸建も住民への引き渡しと言う。しかし、気仙沼市本吉の土地の引き渡しは3月には区画が決定し、6月に土地引き渡しで直ぐにも住宅建設に入る。災害公営の入居も3か月前に決定し、6月の入居がある。志津川地区の私の親戚も昨年末の抽選会ながら、入居は28年10月頃と言う。この違いはいったい何なのだろう。
こうした他の地区での住民の移転状況を知らない事で、行政への苦情も言えないで町民はいる。観光・観光、商店の水産業の発展を主体に置く、町の復興計画は間違いと私は思っている。大きな修正を掛ける事で、この地に留まる人も出てくれるのではと、細やかな願いを持ち続けている。
これから商工会・観光協会の総会が始まる。会員はどのように今の現実を考えているのか? 会からの報告であとは「シャンシャン・シャン」だろうけど。

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2015
04/27

街造りに思う


東山の下から天王前・天王山・新井田を望む。志津川の中央団地がこの先にできる。造成地・三陸道の残土を被災地に持って来て、嵩上げかと思いきや、また削り取り別な場所を持って行く、こうした事が幾度となく、被災地「南三陸町」で繰り替えされている。
今日、私と意を同じくする方が、「町の復興計画に意義あり」と言う。南三陸町の人口流出に行政職員・町長自らこの町に留まるよう働きかける事こそ今必要だ。町を出る方の情報は多かれ少なかれ町にはある。その情報を検収しながら、人口流出歯止めにトップ自ら動く事で、ひとりでも町に残る人ができる事こそ、今やらなければいけないと、意見の一致を見る。
志津川地区の3地区も40区画前後の、土地希望者が町の土地を必要としなくなっている。今日配布の「復興町づくりニュース」に町内11カ所の防集の土地が、56区画の入居者予定の土地が残っているので、募集している。
今年掲げた町の最大の課題として「人口流失阻止」があるが、政策をしていると言っても、結果が何処にも出ていない気がする。登米市への住民の移動は今後も進みそうだ。私の知人も現在町内に土地を造成し、3~4か月ぐらいで家が建てられると言う。志津川地区の三地区の高台の造成は、どう考えても今年・来年度と遅く、病院・役場の建設以上に早期造成をしないと、まだまだ流出は続く。
役場職員の登米市などへの住宅建設もあるので、住民の流出を行政は何も言えないだろう。この町で生きると言う人の為にも、行政の人口増加策に期待するしかないのか。安心して欲しい私は70歳のローンの完済までは、志津川を離れる訳にはいかない。
ブログ27.4.26
袖浜の10軒以上あった民宿は、5年目を迎え再建したのが2軒と、観光客の受け入れ体制は、地元関係では農家・漁業民宿を入れても、志津川地区に来る大型バス満席の客を宿泊させる施設はない。1千人余りの宿泊のホテルが志津川に一軒あるだけだ。
震災直後JR東日本のホテル建設と、民宿を一緒に建て貸し出す話も、いつの間にか無くなったようだ。大手のホテルは南三陸町の観光客の将来像を描き、集客の可能性と維持を分析し、ホテル建設へと歩を進める。石巻市・気仙沼市・登米市には相次いで、「ホテルルートイン」が去年以前に被災後建設された。しかし、町には参入と言う形のホテルはない。
こうした市場調査をしたうえでの町づくり計画かと言うと、被災流失した施設の復旧の交付金活用がありきで、多くの箱物を同等の規模で町は再建している。
町が想定する5年後の人口「13500人」を元にと言うなら、間違いなく五年後はこの数字になる。しかし、その後の人口増と言いながら、人口動向では10年後に1万人割れを、国の調査予測はしていた。
先を見通す想定の甘さばかり随所に発生する。町づくりの想定外に驚く。
JA南三陸が志津川福祉の里(旧志津川中学校)に7月のオープンを予定する。本所と志津川営業所の併設ながら、規模は以前より小さい。農協収入は保険・貸出・ローンなどが大部分とも聴く。

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2015
04/26

気持ちを伝えたい


ドローンの犯人は言う「一人でも原発を止める」と、一連の行動をブログに書き留めていた。無職の男性と言うが私と何処かが似ている気がする。9日の飛来墜落から約2週間後に官邸で知ったと言う、お粗末な平穏な日本の姿を国民は知っただろう。
私も「ひとりでも戦う」が、これまで生きて来た自分の姿で、これをやめる時は一人の年金受給者になる時で、人の為・町の為にと自費を投じた活動の、これまでの全ての活動の休止しようと思う。残り何年になるか解らないが、ローンの返済と両親の送り出しで、今まで生きて来た事への終止符を描いている。犯人の原発の大被害は、他人であっても人の生活を全て消失させてしまった、人間の作りだした原発への憎しみと私は多少ながら理解がある。
昨日、午後3時に「防災庁舎」前には多くの観光客がいた。何時まであそこを慰霊の場として、町は観光交流人口増加と言う目論みを続けるのだろうか。殉職した職員の父は、自費で南三陸町歌津の駅裏に「慰霊碑建立」を、連休中の29日午前10時から、入魂式を行う。歌津湾を見下ろす高台に草木で囲まれた丘に、歌津の住民の震災死の119名の名を刻み、永遠と慰霊の場を提供する。5年目を迎えるのに慰霊の場は、計画はあるものの何の姿も被災した住民には見えない。この町で生き町を支えて来た住民が、一人また一人と亡くなっている。行政はこうした住民の気持ちの解消を、何時までしないのだろう。こんなトップで町民はいいの?と、更なる町のトップで居続ける事でいいのと言い続けたい。
昨日は仕事と、被災当時に時計やラジオなど、心の支えと支援したくれた、隣町の登米市横山の先輩の御夫婦を民宿に招待した。出会いからこれまでの諸々の話に、10歳年上の先輩とはいえ、友達といいあえる友達のいる事に感謝である。同級生の友達繋がりから、御夫婦との関係は不思議の何物でもない。気仙沼市で働く同級生の仕事の知人であり、荒町の同級生の従業員だったり、友達を介し知りあった年上の知人であったりと、人の繋がりは自分から努力しないと、このような友達ができないと昨夜話し合った。こうした事で自分の生活の幅ができ、楽しい日々を送ってこれ、今後も長くお付き合いをお願いした。また一つ気になっていた事を、自分なりのやり方で恩返しを達成した。
同級生の就職支援と民宿の集客、そこに知人を招待し寄せる。仲間が全て友達で繋がる。これが私の地元で生きる「術」である。現在は繋がった長野県・大阪府など知人を通して、更なる被災地の発信を続け、被災地への理解・支援の継続をお願いしたい。
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昨日は登米市で「オープンハウス」に入った。建売の会社は仙台で、登米市の中心部の市役所近くの250坪の土地に、土地付き住宅の3棟を建て販売していた。既に2軒が売れ最終の1戸の販売をしていた。建坪36の総二階で土地が80坪位で車駐車場と庭もついて、諸経費込みで「2390万円」と、格安で直ぐにも入れると言う。引き換え我が町は高台の土地は、遅くは28年度完成で、坪5.5~6.5万円で住宅建設は坪70万円を超えると言う。こんな事からも南三陸町で暮らす必要のない人達は、登米市での生活を選択するのは当たり前の道理である。私とてこの町で生業がある事で、町での暮らしをしている。
現在の町の再建の事情を考えると、人口流出は当然の事で、こうなる事を加味しない町の復興計画の町づくりは、既に失敗していて、復興特需や震災により観光での特需があるが平時に戻ったら、また二次の人口流出となるような気がする。高齢者の暮らしやすい環境はあれど、人が居ない過疎の町への過程に今ある。
この責任の追及なしには、町へのブログによる物言いや仲間との行政批判は、私一人でも続けて行く。

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2015
04/25

フィシャーマンズジャパン


朝の若者の地場産品の発信活動に刺激を貰った。被災当時ボランティアとして石巻に入った若者が、石巻の海産物の素晴らしさに触れ、宮城の水産品を石巻を中心に、各地区の浜々の特産品を集め、「フィシャマンズジャパン」と銘打って、日本全国から世界へと、三陸の美味しい水産食材を紹介し、若者漁師とのネットワークを生かし、自分の暮らしていた東京での繋がりも活用し、三陸の多種多様な水産品をiTなどと共に、発信をしていた。こうした今まで出来なかった事が、被災地に入った若者が地元漁師とタックを組んで、今まで販路の拡大や高収入となるよう、食品レシピや紹介などで、新たな付加価値と販路拡大を目指し活動していた。若布養殖の漁師は価格が以前の2~3倍となり、自ら営業マンとして世界と取引している商社を訪れ、丹精込め作った水産品をアピールしていた。
広く地元の若い漁師の将来を展望に、仲間内での事業ではなく、総ての地区漁民と公平に若者に呼びかけ、「やりたい!」と言う仲間を地域の代表として、地域から集めたこだわりの水産品を発掘し、被災地に来たボランティアの若者と共に、宮城の水産品を全国・世界に発信していた。錨の団体のロゴもイイ!
地域の漁師の生活が安定し、過酷な労働改善と高所得に繋がる、生産品をと販路拡大は、これまでの苦しいだけの第一次産業の在り方を、根本から改選する事業活動して凝視し学んだ。
いまだに沢山のボランティアが来ているが、ただ生産の作業ボランティアの状態は終わったと私は思う。若者が参入・参加できる漁業環境を、漁協が作る時代となった。私が知らない部分で既にこうした活動があり、我が町の水産業にも同様の事があるだろうか、それをしないと南三陸町の漁業は疲弊して行く。漁業を通し儲ける人間だけが得をする。こんな環境は町の漁業の担い手が居なくなる事へと繋がる。
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二つの国を騒がせた事件が昨夜おおきく動いた。18歳の女性誘拐・死体遺棄は、その女性友達の金銭関係問題によるもので、成人男性二人と未成年の男女二人の4人の犯行だった。死体は成田空港近くに1.5mの土地に埋められ、警察が発見し男性が逮捕された。未成年として名前が出せないが、20歳と19歳に何の違いがあるのか。凶悪犯罪に罪の意識が無い訳もなく、アメリカ同様に犯罪に応じ発表すべきと私は思う。
また、首相官邸の屋上に飛来し落ちた「ドローン」は、セシュームが検出され原発危険のマークがあった。中国製の小型飛行機、数万でネットなどで買え、世界に1000万台も流通し、日本にも数百機の流通があり、現在も1千万機が受注済みと言う。新しい事業の形がこんな所で成功をしていた。
昨夜、犯人は福井県小浜市の警察にリモコンを持ち出頭し、今日の午前9時に逮捕された。40歳の男性は原発の再稼働への国の政策推進に反発し抗議で事件を起こした。福島原発の土をプラスチック容器に詰め、セシュームは自然界に無い成分で、「テロ」との国も見方から公安庁と警視庁が大々的な捜査を展開した。結果的には一人の男性の原発抗議と、一人での政府への政策に反発しての行動だった。
福井県の南半分には原発が沢山あり。高速原子炉など国内の3分の1がここにある。と言う。無職の男性は国政の動きをモヤモヤ考えて、行動に移したのだろう。もっと別な所に自分の知識や資産を活用し、事業展開はできなかったのかと思うが、ここまで出来る人間は知識があっても数少なく、出来ないのが現状だ。とりあえずバラエティーニュースでの事件となりそうだ。
明日は南三陸町の復興市があり、今回はホタテが主役で「ホタテ焼きそば」があると言う。また、5月から「キラキラ丼」のウニ丼が始まる。ゴールデンウィークは好天に恵まれ、清々しい中で南三陸の水産品と自然美が楽しめそうだ。

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2015
04/24

小さなおにぎりとコップ一杯の水で


食事制限の我が家は米30Kあれば半年ぐらいはもつ! 親戚から頂いた米で十分で、買う事はない。登米市に親戚・縁類も多く、お米は30Kで年に一回、3~4軒から貰い、まだ震災の年の米も残っている。仙台の甥や姪におすそ分けで多くを配っても、今は3袋が工場の隅っこにある。今食べているのは「つや姫」で、これが又炊き立てが美味しい。ご飯だけで何もいらないと感じる。

震災直後5日目に歌津地区の避難所の歌津中学校体育館に行った。知っている方も多く、体育館の板の間にブルーシートを敷き、薄い布団に子供達が包まり暮らしていた。
千葉さんと呼び止める会社社長の奥さん、「おにぎり一個と水一杯なんだよ、何とかならないの」と言っていた。歌津地区は国道の南北が津波により、道路網の崩壊があり、物資の流入が何ともならず、行政の機能低下で、周辺の被災を免れた家々から米を持ち込み、震災時の生活面の大事な食事を確保していたが、一週間くらいが限界だろう。こんなに時代が進み、飽食の生活になっても、交通網の断裂は「陸の孤島」と言う頃に、一時的ながら戻った瞬間だった。
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今日のニュースに気仙沼線があった。柳津までの折り返し運転となり、気仙沼線の再生を南三陸町の自治体は断念し、JR東日本も鉄路復活には財政資金面などから諦めていると言った感じた。「今後も働き掛けて行く」とは町はいうが、その努力は被災当時からは毎年弱くなっている。
BRT運行があり柳津駅の電車とバスの連携が悪く、駅での一時間待ちの状況に、今回「米谷地駅」からBRTの気仙沼間の運行を決定した。今まで同様の電車運行ダイヤを残し区間バス運行を開始する。人は慣らされると鉄路再建など、被災地にある住民は求める事を諦める。
歌津漁船の転覆から一週間が経過するが、不明の二人の手がかりもないと言う。事故原因も親潮と黒潮がぶつかる場所で、波も高く危険な場所でもあったと言う。保安庁の事故調査もGPSが海水に浸かり、器機を調べる事は難しいと言う。生きて漂流している事を願うばうりで、桜の花が時期を早めて開花していて、天候も5月の気温と言ってはいるが、海の冷たさは漁師が良く知っている。一分でも一秒でも早い発見で命が救われる。宮城県漁協歌津支所の海難事故は漁協の仲間が仕事を投げ打って捜索活動をしている。
私は、多くの事件・事故で、生きている事の意味を実感し噛みしめ、今日を生きる。

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2015
04/23

新しい街造り

被災後
伊里前地区に残土の壁ができ、今まで直ぐ脇の海の姿を見ながら歌津地区を走っていた。それが昨日はいつも見える海が見えなく、近くにあり海の状況が見えない恐怖に駆られた。一時的な状況ながら直ぐ隣に伊里前の商店街があり、想定外の自然災害が発生している自然界、想定外を想定する必要性を感じる。
全国の地方創生の交付金の資金活用で、街の活性化を様々な構想が始まっていた。ある都市は50万円で12万余分に買える商品券の発行で、最高限度の50万円まで購入者が続発し、1億円が1時間で完売した。行列の途中での売り切れとなる好評を得ていた。地元でしか使えないながら、被災地の現状とは違い地方商店の一時的活性化となる。また、5千円で1万円の温泉宿泊や、鳥取県の芸子さんの一席2万円が、1万5千円で見られるなど、土地独自の「地方創生」の交付金活用をしていた。塩竈市の3割増し券と言い、5千円で6500円が使え、総額9億?の活用だと思った。人口に比例し交付金の額も多くなる。地元買い物といっても生活用品に回す住民が多く、誰の為の交付金活用となるのか、被災地の状況を把握し、被災町民にとって必要な「地方創生」に交付金の使い道を行政には考えて欲しい。「自治体の色」がこんな所にも出て来る。
仙台の高校生が社会人なるにあたり、被災体験を生かす講演に出た時の写真集を見つけた。何も無くなった志津川市街地の基礎跡に、愛着と暖かさを残った基礎の土地に、過去の生活の姿を思い浮かべ感じた。何もなくなっても良かった町の生活を思い出す。今は赤土の盛り土の中に埋もれている。寂しさだけが募るが、「新しい町づくりなのだ」と考え、過去の姿に終止符を打つしかないのか。震災から写真を撮り続け、震災後の写真に4年の歩みと、苦しいの中で走り続けた時を思い出す。
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津波の悲惨さは瓦礫に覆われた「防災庁舎」がある。引き波に養殖の資材が山側の庁舎に引かっている。この光景と被災市街地の基礎瓦礫の姿は、大きな衝撃として私にはある。庁舎に関わられた住民の民意が大事で、諸々の商売での観光での保存は別と、この激しい悲惨な姿を思い考える。ここで何が起こったか、多くの人が亡くなっている事を考え、この場所でのこのままの保存は私にはない。町は「新しい町の再生」の為に、躊躇する事もなく、市街地のこれまでの歩みを全て打ち消すかのように、建設業者が土を10mも盛り上げていく。新しい町と古き町跡のどちらが好きかと言えば、54年間生きた何も無くなった街並の姿が好きで、このままの街再建ができたらと思う。
3000世帯の被災家屋があり、堤防と避難道路の確保をし、一世帯に3千万を支給し、総額900億で町が個々に建設され誕生でき、被災した数カ所をそのまま「被災遺構」として、被災した場所に区切って残し、津波の恐ろしさを継承したら、南三陸町は風化せず今後も残り、古き良き町として全国・世界から注目を浴びられる。こんな出来そうもない発想に一人思う。
今年3月ごろの志津川市街地の航空写真が、復興ニュースにあった、市街地は茶色一色となって志津川市街地がある。キャンパスの準備が整いつつある。後はどう住民が絵を描いて行くかで、ここに行政の縛りが無い事で、志津川町民の個々の性格の発揮でき、多様化の個性のある町ができる事を願っている。

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2015
04/22

南三陸町「復興の橋」


私が震災前の22年度に開始した「結婚した~い!」のブログが「5周年」とFC2がメールで祝福し、アクセス数が2100件とあった。
町の事業で30万の補助で始めた個人活動で、震災の22年度末の3・4・5月の、報告書の提出があり、広告・活動経費の立て替えがあり、活動が申請しないと事業費が補助とならず、震災の混乱の中で大変だった事を思い出した。結果的には25万が補助され、一年目では結果が出るのは難しいと思った。
「出会いの会」を1回実現し、女性達の応募もあり、これからと言う時の大震災だった。南三陸町の今の現状があり、お嫁さんに来てくれる人があると言うと厳しい。しかし、何とかしないと町の存続を懸念する。結婚には「互いの希望のミスマッチ」がある。と行政は自ら結婚事業への取り組みには消極的と感じる。何でも町の将来に対し取り組む姿勢が必要だ。
気仙沼市の交付金が「9億減少へ」と記事があった。何故なら人口減少にある。7500人が被災後に人口が減った。国政調査が22年にあり5年目の今年10月にまた実施され、この人口の結果により「地方交付税」が算出される。一人当たり「12万円」で気仙沼市は9億円が減る事になる。
南三陸町は震災前から3500人が現在まで減少している。今回の国勢調査により今時点でも、「4億2千万円」の減額となる。今後の人口統計で10年後、9444人と言う事は、年間で500人として5年後2億4千万円ずつ減額となる。法人・個人からの税収も減少し、高齢者の街となり、住民サービスの低下を心配する。
水産特区・観光特区などの税金面や補助金などの優遇がある。今も行政の助言・支援は、地元での大企業に向けられているようだ。現在、町には鉄骨で工場らしき物が建設中だ。来社した方は「8分の7補助」だと教えてくれた。雇用を生み水産業の発展振興に貢献できる。これが対象となる企業の選択と思う。今騒がれている「企業格差」が益々広がる原因がここにある。新しい企業家への支援も町や商工会では、事業支援の形を示してはいるものの、取り組める人は限られている。
志津川市街地での換地の土地で事業展開を模索している。昨日、市街地の換地説明会が4月30日に役場大会議室で開催される。私も以前は「都市計画審議委員」として会議に出席し、市街地開発の状況を関係者に伝えてきたが、今は何一つ行政の市街地状況は聞こえてこなく、A4判の両面だけの情報提供でしかない。もっと現状を関係町民に提示した方が、町の将来を行政は描ける気がする。防災庁舎側の「祈念公園整備」も少しも前に進んでいなく、県のバック堤防・河川堤防・国道県道の整備が迅速に進むだけのように感じる。
今日は気仙沼に行く、復興加速で海岸線の国道は大型トラックの大渋滞を予想し、裏街道を廻って行くつもりだ。何もなく今日が無事に終わる事を願うばかりです。

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2015
04/21

沼田地区に移り住んで安全安心


こないだは商工団地の総会があり、先月までは地区総会や防火婦人部総会、その前には東地区の高台移転の説明が行政よりあった。そして一昨日の集会場清掃、今後は地区内清掃と植栽活動など、行事が目白押しだ。そのくらい地区民が集まる場所とは思わなかった。
ここの工場・自宅を建てて今月17日で一年目を迎えた。診療所や個人病院・歯科・薬局もあり、役場・商工会・コンビニなど、家庭や我が社の仕事・生活の場所としては申し分が無い。私の入院3回があったものの、多くの問題もあり短いようで長い一年間だった。
写真は地区の集会所に向かう坂だが、途中に地震でできたのか段差があり、徐行で通行している。向かいの東区北工区の場所が右側になり、今年度から工事が本格的に始まる。道路幅も広げ初めは5台ぐらいの大型トラック通行も、工事の中盤には一日50台以上が通行する。新沼田団地には子供たちの通学バスが乗り降りし、通行安全は工事の加速や慣れで事故へと発展する。私もアリーナまでの行き慣れたカーブ、わき見をチョットしたつもりが、カーブを曲がって来た車と、間一髪で衝突を回避した。
沼田地区は今後、東地区高台への災害公営住宅や戸建の住宅建設で、約400戸の世帯増となると思う。近隣の新井田・磯の沢など、世帯の区割りには多くの問題があり、行政と地区が話し合いで行政区を3つ4つと分けて行くと言う。これまで作り上げた地域のコミニティーが崩れる事の無いようにして欲しい。私は行政にも地区にも区割りの異論は持たないつもりだ。
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あさひ幼稚園はサッカー日本代表キャプテンの「長谷部氏」の1億の寄付金により、大雄寺の山門の杉林の林道の数百年の樹齢の木を活用した。津波の塩害で倒木の被害の木を生かした。長谷部氏は被災した南三陸町だけではなく、世界の発展途上国の貧しい子供達にも支援を続けていた。今度、結婚することとなり子供たちの祝福に包まれただろう。
先頃の河北新報に、あさひ幼稚園の建物も有名建築家による物との報道があった。志津川市街地も隈氏の設計と言う。地元の建築家・設計士の建物があったら、地元民による町の建物の構想であったら、自分たちの愛する町の創造に繋がると思うのだが、多くは町外の民間の「プロポーザル入札」は、町の力ではできない事の前提による建築物である。それを本当に私自身愛せるかと言うと違う。
一人色々な事を考えながら仕事と生活をしている。昨日は9時半から2時すぎまで、父のペースメーカーの検診に石巻日赤に行った。車で片道50分を要した。南三陸診療所の父の主治医も週一日との話に驚いている。心臓内科の名医と言う。石巻日赤の主治医は知人と父は言う。町民が何時でも安心してかかれる先生の確保は、できるのか心配だ。

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2015
04/20

合掌


朝に転覆した漁船の志津川港までの曳航と到着のニュースが6時45分から流された。居ても立ってもいられず、7時にカメラを持ち漁港に行った。大型クレーンと多くの関係者が、その様子を見守っていた。手を合わせずにはいられない感情に、漁船に向かい合掌した。お母さんの悲しみは測り知れない。操舵室は刺し網で覆われ、悪天候の中で積み荷の荷崩れが原因ではと報道は伝えていた。
昨夕に東山に行った。西宮神宮の大きなのぼりが建ち、お祭りの日を伝えていた。海の守り神でもあり志津川の市街地の漁民が常々信仰の場としてある。親子と訪れていた子どもが、桜と灯篭の東山広場にまで登ったのか、「写真撮ればとかったね」と、ほのほのとした関係に羨ましさが募った。
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今日も石巻日赤に父親の付き添いで出かける。土日といっぱい仕事をして、今日の病院での5時間をカバーする。
知人が「エンジンオイル大丈夫ですか」と来社、車は被災前から彼に任せている。彼も今回の津波で35年も働いた会社を辞めた。皆それぞれの新たな環境で頑張っている。

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2015
04/19

海には恵の慈母と自然の厳父がいる


今日の河北新報の気になった見出しがあった。海からは自然の恵みをもたらし、その影では自然との闘いの厳しさがある。海からは多額の所得へと繋がるが、それを得る為には多大の危険がある。その代償を知ってた上で、海で生きる事を選択し、海で生きるしかない現実もある。海は「慈母」であり「厳父」であると言っていた。
我が町の水産業を考えると、漁民の漁獲に対する対価が安過ぎると以前から思っている。そこに仲買があり商店がいて、「販路確保」を担っている。この部分が漁民の弱点でもある。ここの部分に漁民が参入する事を、多くの被災地で、被災後の漁民は「独自販路確保」を目指す動きをメディアは伝える。しかし、我が町の漁民の高齢化は新しい活動をするのには厳しい。
漁民会社の設立や、漁業の後継者が新しい漁業の経営体系の改善に取り組む事が必要と思う。漁民と仲買商店の売り上げ拡大は、相互の協力により、漁民の所得拡大を図るためにも、危険な海の水揚げの対価を、加工・販売商店の1円でも多くの買取価格の上昇を願い、漁協も仲買に働きかけに取り組む事の必要性を思う。
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今日は沼田地区の「集会所清掃」が、地区の5班が担当し集まった。10世帯前後の班で、奥様達が清掃をしていた。私も出て見たが何もする事を見つけられなかった。「帰ってもいいですか」の問いに、「いいよ」と家庭状況を理解してもらった。老々介護家庭ながら、呼びかけに集まり出来る事は地域の一員として、活動する事を当然と理解する。もう少し経つと沼田地域の恒例の「地域清掃」もある。地域民となったからには行事には極力参加したい。
たったいま今午前10時、歌津上沢で「火災」との防災無線放送があった。こないだは志津川地区の3カ所の信号交差点の一つ、旧警察署前でトラックの故障車があり、夕方の帰宅の車で大渋滞となった。高台造成の嵩上げの為のトラックの増加は、復興工事の加速を図るためだ。事故発生を知らない内に、ガードレールの損傷も色々な場所で見かける。私も先ほど衝突事故をギリギリで回避できた。連休を前に来町される方は、運転手のよそ見運転だけは絶対やめて欲しい。私の知人も震災直後の東京からの被災地への若者の車と正面衝突事故となり、今も骨折の痛みと保健会社との対応に苦しんでいる。最後まであきらめず回避処置で大怪我大事故を免れる事はできる。
東山の桜と「西宮神社」の氏子の灯篭が、広場までの坂に灯った。金曜日の9時頃、剣道の指導の帰りに写真で撮った。今日は夕方6時半ごろに、再度同じ場所から撮影を試み、ブログで被災地の真ん中の桜の名所を紹介したい。

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2015
04/18

また自然の犠牲にショック


町の異変は人口減少に留まらなかった。今日の新聞には志津川市街地の80cm~1mの津波による地盤沈下が、4年間で29cmも逆に隆起したと「国土地理院」が伝えたていた。海底の地形も南東方向に4~5m移動していたものが、更に1m移動したと調査結果が報告された。地形の異常など一般の町民が知る事は少なく、こうした異変に行政は、何かが起こる事を想定した調査をしないといけない。国土地理院から情報を拡大した想定をする事は、今回の大震災の戒めとして行政は捉えて欲しいと思う。
昨日の異常気象による突風の被害が全国から報告された。海上は何も遮る物がなく、その暴風は陸上の平地の数倍と言う。
そんな気象の中で、悲劇の海難事故が起こった。朝のNHKのニュースに眼が止まった。金華山沖で漁船が転覆し一人死亡、二人が不明と言う。昨年9月に新造したばかりで、一か月前から20歳の甥も乗船しての事故だった。もう一人の気仙沼の34歳の方も来月には仮設から、新築した家に入る予定だったと言う。船主は37歳と若い南三陸町の漁業の担い手として、有望視されていた。夢と希望と親の仕事を継いでの事故で、11時のニュースでも依然として不明の二人の消息は分かっていない。何とか救命胴衣で無事に漂流し、発見される事を心の底がから願い祈っている。
今回の大震災で南三陸町民に多くの不幸が発生し、新たな町づくりと家庭生計再建に取り組む中で、今回の事故に「上も仏のないのか」と思わずにはいられない。両親と家族の御心痛は私の感じる以上と痛感する。何とかどんな形でもいいから生きていて欲しいと私も願っている。

昨日の夜は今年度2回目の練習日だった。2人の団員も、両親の事情でスポー少の練習に通うのも大変と言うが、父親は「途中で投げ出す事はできません」と話す。私も色々あるが団員の為に今年も頑張りたい。「無理しないで良いから」と御両親には言っている。
歌津地区に「津波慰霊碑」が建立された記事が載っていた。29日に「入魂式」が開催される。一般の人たちも亡くなられた人への供養として、参加を広く呼びかけている。

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2015
04/17

みなみかた千本桜まつり


少し忙しい中の空きを利用し、宮城県印刷工業組合理事会に行く。幹部の社会の動きと対応力、また企業の会社管理への取り組みに、我が社との大きな違いに何からやればと、多くの置かれた現状に考えさせられる。
その話に「蔵王山」の一日200回に及ぶ火山性地震の話があった。1700年代に大地震が宮城県付近で発生し、その後に蔵王山の大噴火があった。大地震と火山噴火の連動が過去にもあった。こうした過去の真実を真剣に考え取り組む事で、人命が救われ防災対策へと繋がる。
今日の河北新報に遠刈田のホテルが、連休の繁忙期を待たずに廃業すると言う。現在まで蔵王周辺の宿泊地のキャンセルは「359人」あったと言う。
アベノミクスは農家への影響なのか、「59%」が悪くなったと言う。米の豊作で価格が下落したためと言う。
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仙台からは3時に帰り、お客様廻りで、落ち着いたのが5時過ぎだった。登米市で暮らす方が「みなみかたの桜凄かった」との話を聞き、本格的な多忙を前に5時半過ぎに登米市に出かけた。付いたのは6時半ごろ、薄暗くなってはいたものの、数キロ続く桜の回廊を車で歩く。行けども行けども桜の並木が続く、隣街の素晴らしい自然風景に、心の癒しを貰った。
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昨日は戸倉団地の戸倉小学校落成?とのラジオ放送を聞く。子ども達の「嬉しい」との声が聞こえてきた。自分たちの学校が再建された事は、地域にとっても嬉しいはずだ。
だが、町の財政を考えると、生徒の減少の先が見えていて、10年後20年後を見据えての岐路が、必ず地域に発生する。清水・荒砥・藤浜・林際など地域から学校が消えても、地域は活性化と子供との交流を、地域文化伝統そして芸能継承を通し続けている。叱られるかもしれないが、町の英断をする時が必ず来る。現在、戸倉地区の議員さんが5人いる。地域の学校が消えて行った寂しさを知っている。「地区の学校を存続」は住民の願いとしてあるが、過去の学校の統合にも学ぶ事がある気がする。
青森県西目屋村がある。以前は5300人の人口が今は1400人まで過疎化が進んだ、平成の合併を住民投票でしなかった。そして今回はじめて、全国の自治体で学校がない自治体となった。子ども達は言う。新しい仲間と共に勉強ができる。部活も仲間が多く野球ができて頑張りたいと思うと、弘前への学校合併を喜んでいた。
地域と子供たちの繋がりを大切に、消防・ゴミ処理そして教育連携が、人口減少の問題としていち早く取り組むべき課題と言う。これからは広域連携の大切さを解説者は話していた。
自治体の存続はその土地で暮らす若者と子供達に係っていて、それを生かす政策を、行政・議会が本気で「しがらみ」を捨て、取り組んで欲しい。私も来年還暦であり、若い人たちに今後を託したいと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:06 】

2015
04/16

町を歩けば

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日本全土が異常気象の気候異変に襲われた。宮崎では山間地で雪が降り、関東周辺でもキョウや突風にあり、夢々の中で見た本当のニュースでは、寺の屋根が飛ばされた。それくらいの竜巻のような風が吹いた。
私も「もう降らないだろう」と、タイヤ交換をした。小森の車屋さんに行き30分ぐらいで仕上げてもらい、夏タイヤにすると気持ちも春といった感じになる。河原の向かいには「山ざくら」が咲いていて、小川のせせらぎの周辺では野草の新芽が芽吹いていた。
その帰りに旧福祉の里の下にあった、ボランティア団体?の変わった建物が解体され、更地になっていた。三角屋根と残材で囲んだ塀が、震災直後からあった建物は、この辺の河川堤防の整備の為に立ち退きとなった。向かいにはボランティアの塾教室があり、高校の生徒達が引き込まれていった。旭が丘団地に入る信号の左にこれまであった。
旧駅前には大きな立て看板が設置され、被災地の支援への感謝の言葉が書かれていると思ったが、何のことはない「リフォーム会社」の宣伝だった。しかし、看板には「故郷の大切さ」がしたためてあった。ここに看板と言う事は、公園用地の開発はしばらくは無いとの事と理解する。洗車場の前にある看板だ。五日町・十日町の市街地は嵩上げ開発は進んでいるが、祈念公園は何時になる事やらだ。
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午前は歌津に行った。海から50mしか離れてない、管の浜に大きな鉄骨の建物が建設中だと言う。ここは歌津漁港から津波が押し寄せ、枡沢団地で田の浦からの津波が合流し、気仙沼まで国道45号の沿線の低地部の建物が全て被害を受けた。しかしながら、この沿線は次々と店・工場が建っている。何故なら都市計画が無く、浸水域指定として建設規制が無いからだろう。志津川地区の市街地には総ての規制がかけられ、新しい南三陸町の町づくりへの力の入れ方に違いを感じる。伊里前商店街の整備にも歌津民は、「おらほは遅い」と言う言葉を聞く。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2015
04/15

友がまた一人町から離れた 寂しい


志津川高校の登校坂の桜が気になっていた。高校の仮設に行きながら、カメラを手に撮った写真がこれです。市街地はこの角度だと4年目が経過するのに、大きな変化は見えなく、桜の花はタイミングを外すと直ぐに散ってしまう。今は3分咲だろうか。
時間は待ってはくれない。この現状で南三陸町の復興計画が進められ、また一人友人がこの町から離れた。子供たちの将来と津波の怖さもあってか、地元での再建をしなかった。
地域の仲間たちの世話役的存在だった。自分たちの来年の「還暦会」を前にして、今年は物故者の塔婆を建てる。震災では1人が亡くなっていた。志津川地区の私たちは5人が震災で亡くなった。仲間が亡くなる悲しさと、人が町を離れる寂しさは、私の生活や町の存続を考えても、突然の大きな出来事だった。彼もまた志津川高校の出身の同窓生である。
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気仙沼市の仮設の集約計画が新聞にあった。学校施設への建設仮設を始めに、28年6月からとあった。私の町の人口減少率は県内トップを行く。登米市の南方仮設は350戸あったが、今は250戸を切った。合併10年を今年迎え、合併時の約19000人から、現在は約14000人で、町の合併時から5000人が減り、歌津地区の人口に相当する。何の為の合併だったのか、町の職員や施設の一元化などを図ってきたが、この大震災で人口流出は加速の一途だ。今後は2千人減り、又2千人と5年ごとにでも、10年後の人口統計予想では1万人を切ると想定する。今後誕生する若き新しいトップに期待するしかない。「想定以上の…」と逃げ口上がまかり通る、自治体トップの人材では、地方の衰退からは逃れる事はできないだろう。
大衡村のトヨタ系列の会社の設立で村は潤い。街の存続へと繋がる。若者が減り家族で町を離れ、若い優秀な労働力が居ない町に、優良企業が来てくれるだろうか。町が消えるか人が町を去る前に、町の体制と住民の意識の改革なくして町の存続は厳しい。父親は「教育が大切なんだ」と言い続けいる。
志中の剣道部で指導した生徒が又一人町に帰って来た。役場への就職を目指し続ける教え子もいる。町で生き続けようとする若い人材を、吸い上げ生かせる行政運営が何故できないのか。多くの[しがらみ]を捨て町の存続の事だけを考えて欲しい。
「地方創生」の予算で我が町は、4割増しのプレミアム商品券を発行する。我が社も加盟店の申請を昨日した。その効果はどうなるだろう。確か約数千万の予算が行政から商工会に出た。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:29 】

2015
04/14

町開きに一歩また一歩


昨日・今日と天候が崩れ、気象庁は太平洋岸に大荒れを予想する。偏西風の蛇行が低気圧と高気圧の影響で、「低気渦」となり発達している。南三陸町は意外と穏やかな気候の町、I・Uターンでも良いから若者の帰還を期待する。

写真は市街地の嵩上げの今で、志津川地区の人たちでも「ここ何処?」と思う方もいる。旧役場向かいの五日町で、将来はショッピングモールとして、道の駅となり商店街が34店結集し、観光客を出迎える。
気仙沼では学生の流入が3倍と伝え、今日も南三陸町にも大型バスが被災した街を巡回する。被災地には「教育旅行」が多く、多くの児童・生徒・学生が、復興の姿を見に来て、自分たちの災害への防災意識の向上と、どうすれば災害から自分達の町を守る事を学ぶ。こうした教育旅行に応えられる体制が、南三陸町に必要ながら、体制はいまだになく、被災の今の町を見学するだけだ。あと3年5年と復興計画期間を経過しても市街地再生・住宅整備の完成とはならないと思う。
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旧クボホームセンター前の急カーブが改善される。河川のバツク堤の工事が本格化するが、防災庁舎を今後どうするかは、町長が話すように市街地再生の障害となる。県知事が遺構として残すなら、この辺の対策をしっかり講じて欲しい。町はこれを理由に「町再建が遅くなった」と、その理由として絶対認めてはいけない。しかし、南三陸町民は優しい人間がいっぱいいて、これが町の疲弊へと繋がっている気がする。

昨日は母の退院だった。日本の福祉保障制度の充実を強く感じた。先月16日の入院で13日の退院、約一か月の入院なのに、入院費が「21500円」と我が家にとっては大助かりだった。介護制度も福祉施設での生活があり、施設・職員が退院の総てを行ってくれた。この間の経費も「42000円」と母の年金に少しのプラスで生活ができている。日本の福祉制度で何とか被災後も生きている。子どもに帰りつつかる母、あと何年生きられるか、母の自分の力が続く限り見守るつもりだ。全国で発生している老老介護の「悲劇」の事件があり、私自身「他人事ではない」と、多くの現実を見て感じる。
朝起きるのが大変だ。足が痛い、腰が痛い、寝不足……、こんな毎日の朝を迎えている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:37 】

2015
04/13

市街地と桜そしてモアイ


津波避難場所指定の東山の桜を見に行って来た。平日はトラックの往来や立ち入り規制があり、近づく事も難しい被災市街地の状況に、桜の開花を待っていられなく出かけた。水仙が花満開ながら桜は5分ぐらいだろうか、花芽が毎年少なくなっている気がする。平時ならこの時期は多くの町民が東山に向かう。日曜なのに3時半に誰もいなかった。
花も見たいが市街地の嵩上げが一番気になる。大森地区と海岸部は、海と陸の境の防潮堤の建設が進むが、低地部の嵩上げも少しずつだが変わってはいるものの、目に見える進捗は判らない。
十日町から五日町の国道は、道路のアスファルトも撤去され、嵩上げが10mと進むが、ここから市街地の都市整備事業がどうなるかは、皆目見当もつかない。最近の町の報告に28年10月の「町開」が1か月延びて11月と新聞に載っていた。私の土地も換地の減歩約16%で「60坪」余りを用意されるが、何時の事やらとあてにしないで今を暮らしている。陸前高田は被災から8年を要し、商店街の再生へと進んでいる。8年経ったときは年金を貰う年で何ができよう!と言う。私も同じである。
5年半も掛かる市街地整備、住宅地の土地引き渡しの最後も28年12月ごろ、復興はまだまだ先の町の復興計画、もっと早く住宅再建の出来る計画は、本当に無かったのだろうか? 県・町主導の震災からの町づくり計画は、住民生活は後回しのようだ。
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登米市は大きな高校改変の変革期を今年から始めた。布施市長の将来に向けた政治姿勢が、厳しいとの政治決断もある。しかし、早期の災害公営住宅の整備で人口減少を食い止めた。高校の統合は新たに上沼高校に「登米総合産業高」を設立し、米谷工と登米高校そして米山高校を集約した。農業・商業など6学科で535人が在籍する。上沼高など4校の合併で寂しさもあるが、入学し再スタートで母校が今後も残る英断は、在校生にとっては嬉しい事である。登米市から3名の新入生が志高に入学したが、気仙沼線があったら通学に便利と思う。

戸倉小学校が2学期から共用が開始となる。地域に子供たちの声が聞こえる事は良いが、ある子供を持つ親は志津川小学校に合併する事を望んでいた。考えとして多くの児童の中で勉強させたいし、スポ少など多くのスポーツの選択もできると言っていたと聞く。バス通学にも慣れ両親もこんな生活を4年も続け、志津川小での隣接の生活も落ち着きた事も理由にあるだろう。
将来を見据えた子供たちの教育向上は、多くの中での切磋琢磨で、子供も親も知識を高める事が出来ると思う。母校が無くなる寂しさもあるが、新たな環境に子供達を置く事も、被災地の再生の後継者育成には必要と思う。
被災前に戸倉地区での「議会の住民の懇談会」でも、小学校の統合の話があった事を思い出す。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:05 】

2015
04/12

登米市鹿賀野に志津川会


昨日は登米市鹿賀野地区に行って見た。新しい住宅街には色々なハウスメーカーの住宅で、綺麗な街並みの建物と工事中や造成地が点在していた。
多くの志津川市街地の住民が被災し、諸々の事情で新しい南三陸町の造成地を待つ事無く、新しい「終の棲家」の創造をこの地に選択した。震災一年目から住宅移転は登米市のベットタウンとしての鹿賀野と、中田地区などの空き地・農地に住宅建築を図り、また加速しているように思う。人口動向では10年後に「1万人を切る」と言う人口が想定され、更なる移動がある。
南三陸町の行政職員の退職者・現職、病院関係者・教育関係者、高所得者などが町から去った。残ったのは高齢者・漁業者・生活弱者などで、この志津川でしか生きれない人達と思う。町の税収確保には厳しい「新しい町」の姿が見えてくる。行政職員は、役場・病院など222人の内、150人前後が派遣職員の他に、町の職員としている。「町から出た職員は辞めてもらえ!」と厳しい意見を町民から聞く。町の職員は基本的には町民である事が、今までの職員採用に縛りがあった気がする。
私が尊敬する教員関係者や、お世話になった方々も多くが登米市に脱出した。その中で止む無く二重生活となり、生活経費が過剰に掛かったり、税金の二重支払いも発生しているとも聞いた。しかし、安定した生活の確保は間違いがない。私の仲間も母の為に仕事の為に、登米市での早期住宅再建を決定した。登米市鹿賀野は土地代が「5万~6万」とも聞いている。志津川三地区の土地価格は「5.5万~6.5万円」と現在あり、希望者の減少と工事費の高騰で土地がまた上がる事を懸念する。
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昨日は3か月ぶりの糖尿の診察と薬を貰いに行く。朝の血糖値は「157」で、朝食と投薬をいつもの通りの生活をした。午前に何か体調が悪く、予定通り病院で採血すると、血糖値は「108」とこの下がった為と私は判断した。先生にはこれが普通なので「この値になれて下さい」と言われた。腎臓低下の数値は「尿タンパク」で+と以前の+++から改善され、ヘモグロビン数も3か月以前の数字ながら「7.9」と最悪の13.5以上から、少しずつ通常の「6.5」に近づいてきた。
この数字の結果は、基本に規則正しい生活があり、飲酒も控え、三食以外の間食とコーヒーの無糖を徹底した。自分の為と両親の為にも「先に死んでられない」が強い自分への縛りとした。

今日は菩提寺の「大般若会」に行き、親友に親友に「お返し」を持って行く。仕事も来週に備え5時間はしないといけない。規則正しい仕事・生活の励行で、普通の生活が維持できる。今月のスケジールは金曜日から一挙に入り、追われる事となりそうだ。明日は約一か月ぶりに志津川に母が退院し帰って来る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:29 】

2015
04/11

この子らの為に大人がやる事


県内の学校が震災後に60校を超える小中学校が統合され伝統に終止符を打った。南三陸町では戸倉中学校が志津川中に統合される事に留まった。被災3県でも160校が廃校となった。
震災前は林際小の入谷統合があり、清水小・荒砥小が志小に統合され、入中が志中へ統合された。震災により戸倉中学校も志中に、たしか震災2年後に統合された。志津川地区に置いては1中3小が以前より計画されていた。震災での児童生徒の減少が進み、これ以上に子供たちが少なくなると、教育環境整備改変があるが、子供達の減少で町の将来が危うくなっていく。
もう町の存続の為の財政的な町づくりを考えないと、多くの借金や維持費をこれからの子供達の負担となる。現在、自己再建が各家庭で相談され、子供達にこれ以上を苦労を掛けられないと、事業の廃業を決定したり、子供達は子ども達の人生と、被災地で暮らす事を親は子供に求めていない。でも本当は帰って貰い一緒に仕事を続けたいが本音で、子供達の選択にまかせている。
陸前高田の当時中学生だった少女は、「津波で多くの大切な物を失ったが、津波に負けたと言われたくない」と、NHKのドキュメント番組で話す。ある方は12mもの嵩上げの下に土地が消えたと言う。67歳を過ぎ8年も掛かる商店街の再建で、「この年では継続は無理です」と話す。震災から8年掛かる商店街再建期間は、住民個々に将来への不安と心配で、その再建への意識は年々減っていた。
市街地でお店をしていた方は、市街地再建で当初は「等価交換」の土地も、都市整備事業計画の事業手法は、今になり整備による土地の評価高により、土地の同じ買い上げ額だと3割の土地が減歩で採られる事を知り、新たな問題発生に頭を痛めていた。同じ土地に同じ規模で店の再建は、資金・広さなど問題で今後どうしたらいいのか、家族の希望の光は小さくなった。高校生になった少女は、今の気持ちを「時」と言い、被災地で活動している50歳の女性は「光」と、漢字一文字で表していた。
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南三陸町のスポ少決団式が昨夜開催された。志津川剣道スポ少の安部君は、「団員が少ないので募集しています。見学に一度来て下さい。」と話す。教えた訳でもないのに、堂々として全ての団員トップの抱負の発表に、私は頭が下がった。子ども達の可能性に期待するしかなく、失敗を恐れる事無く、学習し精一杯に被災地の復興の担い手となって欲しい。
高校の在校生のスポーツ・文化部の部員たちの「校歌斉唱」は、7年目の入学式への参加ながら、3年前ごろからこうした機会を設けた。素晴らしい入学生の歓迎行事として、私の後輩達にもエールを贈りたい。

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2015
04/10

まだまだ続く人類の戸惑い


天皇両陛下のパラオ訪問は、戦争への追悼・慰問であり、2泊での訪問は体へのご負担も多い中で、戦死した人たちと家族へ、そして島民への労いを強く国民には通じたお姿だった。
「天皇陛下に比べ安倍総理や知事町長のやっている事は何なんだ」と朝から、私に向けいつもよりも多くを話ていた父が居た。中国への派兵の名を受け戦争を体験した、老体は当時の事に思いを馳せ語る。

昨日は志高の入学式があり、101名の新入生が入学の許可を受けた。檀上で入学許可した校長が、志高時代の3年間一緒だった同級生だった。入谷出身で気仙沼で高校教師を17年間、震災津波の時期も生徒教育に頑張って来た。3年間ながら「裏の無い」「真面目一徹」の同級生だった事を今でも覚えている。固く交わした強い握手に、熱い血が漲って来た。定年まで2年? 震災の絶望を見た母校の生徒に、「初志貫徹」の気持ちを植え付け、南三陸町の復興の担い手となる人材を、一人でも多く排出して欲しい。
町長の代読で最知副町長が出席した。この日は代読ながら、公平な目で南三陸町の再建への取り組みを期待している。何かが変わろうとしている。
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天皇両陛下のパラオ訪問は、戦争への追悼・慰問であり、2泊での訪問は体へのご負担も多い中で、戦死した人たちと家族へ、そして島民への労いを強く国民には通じたお姿だった。
「天皇陛下に比べ安倍総理や知事町長のやっている事は何なんだ」と朝から、私に向けいつもよりも多くを話ていた父が居た。中国への派兵の名を受け戦争を体験した、老体は当時の事に思いを馳せ語る。

昨日は志高の入学式があり、101名の新入生が入学の許可を受けた。檀上で入学許可した校長が、志高時代の3年間一緒だった同級生だった。入谷出身で気仙沼で高校教師を17年間、震災津波の時期も生徒教育に頑張って来た。3年間ながら「裏の無い」「真面目一徹」の同級生だった事を今でも覚えている。固く交わした強い握手に、熱い血が漲って来た。定年まで2年? 震災の絶望を見た母校の生徒に、「初志貫徹」の気持ちを植え付け、南三陸町の復興の担い手となる人材を、一人でも多く排出して欲しい。
町長の代読で最知副町長が出席した。この日は代読ながら、公平な目で南三陸町の再建への取り組みを期待している。何かが変わろうとしている。

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2015
04/09

今年の抱負を町に係れの方々の考えを読む


昨日は石巻日赤に父の心臓のペースメーカーの一年検診で家を朝8時に出て、母を見舞い帰ったのは4時過ぎとなり、何もできなく一日が終わった。
母は7日の退院と決したが、町内の施設の送迎バスの都合により、13日になったが当初は「16日に」との話に、病院看護師からの要望で3日早まった。色々な施設の事情とは言え、家族が思うようにはいかない。
父は体に水が溜まる状況が続き、南三陸診療所の主治医の投薬で少しは改善した。昨日の石巻日赤の先生の診断で肺にも水が溜まっていて、ペースメーカーの動きを「45」から「60」に変更する調整をした。朝の父の第一声は「身体が軽くなった」と、いつものモヤモヤ状態から少し体が改善したようだと話していた。
新年1日の新聞には、村井知事・小野寺代議士・佐藤町長・菅原市長の、今年の復興についての考えが掲載されていた。特別な取組は無いと感じ、「粛々」と総ての事にあたるような、言葉が多く見られた。その中で強く感じた内容は、気仙沼市の人口流出が、25歳~44歳までのこれまでの転出が、転入の数がうわまわったと言う。市内に働く場が生まれたり、生活の場の環境が整備されたのか人が帰って来た理由だろうか。しかし、これまでの人口流出も落ち着き、復興への街の改善が進んだ為だろう。昨年は「808名」の人口減も、今後は流出も落ちついてきている。
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話題としては歌津寄木に「羊牧場」がボランティアの定住で営業していた。南三陸ブランドの羊肉「南三ブランド」を企画し、羊毛加工・触れ合い牧場・肉の生産で、被災者雇用を図っていた。町外からも人を受け入れている。昨年は20頭の子羊が生まれたと言う。将来に繋がる新しい動きとして感じた。
「おらほの酒」があった。2月23日から3000本を販売している。生酒で遊休耕田を活用し、開墾から代かき、田植えから収穫まで、歌津・戸倉の田んぼから1800キロを生産し、加美町の酒蔵に協力をもらい、「おら酒」として6時産業化を実践した。20代30代のボランティアによる、稲作りの素人が農家の手助けを頂き達成した。若者は互いに苦労しながら楽しみ笑顔で、今回のプロジェクトに人と人との繋がりの大切さを知ったと話す。
知らない場所で町外から多くの若者が、被災地「南三陸町」で頑張っていた。また、完成した災害公営住宅の高齢者たちも、町の復興への手助けとして活動をしている。
まだまだ捨てたもんじゃない、我が町の若者の活動に、将来を託せる担い手が誕生しつつある。

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2015
04/08

心の再建は行政任せでは遅すぎる


昨日は石巻の日赤に術後2か月目の定期検査に行った。少し時間があったので、日和山まで桜と被災地を見てきた。
4回目の桜の開花で、寒暖の差があり一休みの石巻桜の名所はひっそりとしていた。眼下の海岸部の市街地は何も無くなっていた。陸地を繋ぐ大橋で津波の襲来を、奇跡的に免れた事がテレビで放送となった事を思い出した。

昨夜、しばらくぶりの方から電話がきた。「歌津に慰霊碑建てるから来てください」と言う。29日の昭和の日に10時からで、歌津駅裏の山を整備して、津波で亡くなられた方「119名」の名前を全て石に刻み、慰霊碑を建立する。慰霊碑は世界的な建築家の安藤氏の手による設計と言う。どんなにか被災家族の心を癒す碑が出来る。南三陸町には4年も経つのに、慰霊の場が無く、赤錆びた防災庁舎が残り、何の鉄骨の保護も無く立っているだけだ。私も志津川市街地に換地で得た土地に、小さいながらも「慰霊碑」を建てたいと思っている。
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今日も石巻日赤に行く。父親の心臓のペースメーカーの一年の定期検診です。その後で仙石病院に入院中の母の状態を見に行く。3人家族皆が石巻の病院にお世話になり近くなった。どうせなら志津川の南三陸病院で最後を迎えさせたい。私もこの町でなくても良いとの気持ちが強くなってきた。
私の眼も大学から転勤になった先生が4月から看てくれた。大学で最初に診察してくれた先生で、眼底の血管は出血も無く、今の所落ち着いている診断に、「おかげさま」の気持ちでいっぱいだ。今から8時に家を出て、9時の予約にまに合わせる。
仕事が現在何も無く、のんびり生き延びた人生を焦らず生きて生きたい。桜を愛でながら。

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2015
04/07

生活困窮者への直接的支援を


「地方創生元年」として気仙沼市の先行事業が紹介されていた。経済復興と雇用拡大・移住促進など、市の再建に政府の交付金を活用する。その方法は自治体ごとに違っている。
気仙沼市特別福祉支援事業の「プレミアム商品券」がある。低所得者を対象に1人3千円を支給する。27年1月1日現在で、市民税非課税世帯が対象で、6500世帯1万5千人を想定し、総額3900万円を充てる。少額とは思うがこの額でも一か月の食費代としている被被災者もあると聞く。節約に節約を重ね、仮設で暮らす家族も少なくない。生活保護家庭が増加している被災地の現状でもわかる。
その他にも3人以上の子供を抱える家庭にも、児童手当を受けている対象児童で、市内で子育て用品を5千円以上購入の場合、上限1万円まで商品券を受け取れる。
市内での「気仙沼プレミアム商品券」は、2割増し商品券で、1万円で「1万2千円商品券」が購入できる。予算は9300万円を事業費として充てる。
新生児の27年度中に出産に対して、子育て用品購入に「1万円」の、気仙沼商品券を支給する。27年3月中旬から27年度に市外から転入した、中学3年生以下に世帯を対象に、1万円を子育て資金として商品券を支給する。
立ち上げた「けせんぬま創生戦略室」で、14事業を展開し、消費喚起・生活支援を図って行く。
世帯への生活資金としては微々たるものだが、助かる住民も多くいる。故郷創生がこれで出来るかと言うとまた別だ。
一日も早い生活再建をされた方も、現在町内の集落は住宅再建を終えた方も多い。こうした方々は「ふるさと創生資金」の必要性は薄いだろう。建設費高騰の中でいち早く住宅再建を終えている。世帯を対象とし町に限られた商店しかない中で、「プレミアム商品券」を購入する住民は何人いるだろう。やはり、欲しいのは「現金」だ。縛りを付ける事で町内の復興へ繋がるだろうが、地域性の違いを感じる。
紙面の片隅に「アサリ取らないで」と記事があった。南三陸町の海岸線の「春の風物詩」ながら、津波前とはまだまだ程遠い。

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2015
04/06

早期整備は市街地商店よりも住宅


昨日は登米市に住宅再建した親戚の、「新築祝い」で出かけてきた。5人家族で子供たちが中3・小6で、将来への希望を感じる。両親・家族が共に助け合い、生活の場は違えど菩提寺と志津川の氏子である気持ちは、町を捨てていない。
震災で家は失っても生活を続けて行かないといけない。子どもを抱えて生活は、親としての役目と子供の教育を遅らせる訳にはいかない。それを両立する為に登米市での生活を選択したのは、自然の成り行きと理解する。「誰も故郷を捨てたくて町を離れた」のではない。震災自治体とそこで住んできた人々の苦悩は、福島の原発で町を離れた住民と、その環境は違うけど究極の選択をしないといけない場面では同じかもしれない。だが私はこの被災地「南三陸町志津川」でしか生きられない。

シャ乱Qのつんく氏がいる。「シングルベット」「ずるい女」など、私はカラオケで彼の歌を歌う。母校の近畿大学の祝辞で彼が、モニターで新入生に話し掛けた。「一番大事な声を捨て、命を選んだ」と言う。声を無くし新たな生活と、大学の新入生に対し、「皆さんと同じ一年生です」と言い、共に新しい生活を始めましょう。とエールを送った。放射線治療の6週間で9割のガンが消えての再発、1年目の新たな決断だった。咽頭がんは「酒」「たばこ」が大きな原因と言う。嗜好を取るか命を守るかで、私の仲間は30歳を過ぎた頃に「たばこ」を8割が辞めた。
国会議員の又ありえない行動がワイドショーを騒がせている。議員に男女の別は無いとは言うが、女性の会社役員登用や政治中枢への参画を図っている時に、維新の党の上西小百合議員(31歳)の今回の行動は、今進む女性の進出にマイナスで、小渕氏と比べても謙虚さと真摯さに大きく欠ける。政治の本年度予算採決の本会議を体調を理由に欠席し、その前日に自民党議員とショーパブなど3軒をはしごした上の欠席だった。2日後には地元といいながら秘書と一緒に食事にいっていた。謝罪会見には橋下代表と共に出席し、謝罪といいながら「言い訳」を繰り返す。自分を擁護としか見られない言葉は、女性の価値を下げていると橋下代表は言う。自分が選んでもいる議員でもある。橋下氏の選挙戦略でメディアを利用した「維新宣伝」とも見える。政治は一部で汚い我欲が時々現れる。

朝の報道に自己の悔い改めないといけない事を学び、希望と「あきらめない」と言う気持ちを持つ事の大切さを感じた。

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2015
04/05

もっと志津川駅の再建に力を入れろ!


昨夜は2時間の「被災地の鉄道再建」を放送していた。沿線の自治体の鉄路復活への願いは強いが、南三陸町のトップの発言には消極的さを感じずにはいられない。「復興が進めば再建は難しくなる」との発言は、初めから都市計画には志津川駅の再生が無いがある。気仙沼市と我が町は復活に掛ける気持ちが薄く、住宅再建と水産業復活など問題が多い事も分かる。それに比べ岩手県の各自治体のトップは口々に鉄路再建の重要性を話し、商店主も駅の復活には、被災地への人口増加は厳しく、交流人口の拡大で商店や町の再生が図れると強い口調で言う。
気仙沼線の鉄路の復旧は700億円かかり、JR東は300億円は出せるが、公的資金の400億円で再建は可能と言う。南三陸町は以前までの線路は9割が生きているのに、志津川駅までの再建にはそれほど多くの資金が掛からないと思う。被災自治体の住民の多くは資金を出してもいいとの考えは、アンケートで8割近くが少額だが良いと言っている。町では陸前戸倉駅の整備調査費を1千万円予算から支出したと思う。それがBRTの整備の為だとしたら、JR東と本気で鉄路再建をするつもりに欠ける。三陸リアス線への地域民の願いは強く、そして線路が多く失っても開通で活気が生まれている。
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仙石線も野蒜海岸駅など、海に近いこの近辺は大打撃を受けた。そして新たな町づくりを鉄路再生と共に図っていた地区もある。駅の再建を取り入れない町づくり計画では、2400世帯の住宅総てを海岸部から内陸部に、駅舎・商店・公的施設などの整備を進め、コンパクトシティーで町の再建を考慮し、人口の流失を低く抑える事ができた。ある地区は嵩上げで同じ場所での町づくりを進め、地域民が約2000人から半分に減り、若者は仙台圏へ移転し、3世帯の家族は高齢の両親を残し若い家族は町から出て行った。そんな現状は町の児童・生徒の減少として、町にも大きな結果として現れている。

気仙沼線志津川駅の開通までの町民の血のにじむ活動を、今の行政は町民の開通への念願を、強く感じる事なく、それ忘れた自治体の町づくり計画がここにある。交流人口の拡大と言いながら交通網の整備を本気で考えていない。商店街が出来ても町民が居ない、来町するには交通の便が無い、これで交流人口の拡大は無理と思う。高齢者社会になろうとしている今、三陸道が開通する27・28年にこの問題は解決するだろうか。都会人は鉄道の必要性を一番理解しているのに、志津川駅の再建で町づくりの勢いは増す。商店と水産振興ばかりでは、将来の町づくりとはならない。
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被災地の再建を海岸線の自治体の活動に多くを学んだ昨夜だった。計画の修正や頭の付け替えによる。若者の構想での町づくりが理想だが、我が町にはこんな救世主はいないし、各関係団体でも若い発言者はいない。昨夜の発言する40代の声に厳しい難しい要望もあるが、若者・子供達が暮らす町、もう古き「しがらみ」での町づくりは終わった方がいい!

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2015
04/04

原村の心温まる支援に感謝


長野県原村と南三陸町の(荒砥・袖浜)の交流会
大震災直後から4年間の支援
 今回の南三陸町ボランティアセンター閉所にあたり、長野県原村から清水町長、農林商工観光課小林課長をはじめ5名が「感謝の集い」への参加のために来町した。14日の前日は新しくオープンした民宿明神崎荘を会場に、原村の方々とお世話になった荒砥・袖浜の皆さんの総勢15名余りによる交流会が開催された。
 原村と南三陸町をつないだのは、医療支援でおいでになった医師団の先生と保健福祉課の声掛による出会いと、受け入れから始まった。震災後の2ヶ月頃、荒砥小学校体育館に入り、地域の支援と町の被災がれき等の跡かたづけのボランティアに、小林課長さんはじめ5名の方々が支援に訪れた。
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 小林観光課長さんは、体育館で共に生活させてもらい、避難所自治会役員だった高橋源一さんの「一緒に食べましょう」との大変な中での気遣いに、心打たれたと話す。また、物資の配布があり、おばあさんがペットボトル4本を持って帰るのは大変と、自宅まで届ける途中で「ここが役場の未希さんの家です。」と教えてもらい、訪ねて行くとお父さんが心よく応えていただき、ご焼香もさせていただいた。多くの町民皆様が家をなくし、家族の不幸があっても支援に来られた方々への心温かい対応に頭が下がったと話す。
 長野県原村からは2人の自治体派遣があり、1人の方は遺跡の発掘支援に参加された。原村の清水村長さんは、「何もできませんけれども」と話し、南三陸町の袖浜の民宿のごちそうを「美味しいものがたくさんありますね」と町の旬の味を喜んでいた。
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 震災の23年に8回、以降毎年2回で計14回長野県原村に被災された地域民の心を癒しにと、南三陸町民を招待した。村でマイクロバスをチャーターし、宿泊をしてもらい体を休めてもらった。その数は延べ200名を超えた。荒砥地区から袖浜そして歌津へと範囲を広げ、被災地「南三陸町」の住民支援を続け、今後も南三陸町民皆様と支援交流をしていくと話す。
 袖浜地区の原村でお世話になった方や、荒砥の方々も加わり、当時の大混乱での原村の活動への感謝の言葉が、来町された清水村長さん、小林課長さんへ向けられ、会場となった民宿で時間のゆるす限り共に語りあった。

支援の輪の交流継続!

(原村は長野県の中央に位置し、43.1k㎡の面積で人口は約7600名、世帯数は2600余りの街です)

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2015
04/03

新井田地区の今


志津川中央地区の中心場所となる土地が、造成がここまで進んでいる。津波前は山の前には町営住宅と多くの民家があり、国道沿いには海産物店・自動車会社など、多種多様な商店が地域の生活に密着してあった。しかし、今は何も無くなり、新しい街並が生まれようとしている。造成完了は28年度内を予定する。
裸山の小さな看板が見える、これが何だか分かる人は数少なく、私も知らなかった一人です。日曜に町の風景を撮影に行った折、中央区の全景とアップした写真で、何と書いてある看板かを知る事ができた。
「ここの盛り土高20.4m」とある。ここまで崩すのかと言うと情報はない。
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新井田地区は津波犠牲者が一番多かった地区でもある。親戚が密集してあった、造成山の下では親族が半分近く2ケタ亡くなられたと、震災後知人から聞いた。その他に海産店・自動車会社でも、家族全員が亡くなった。私の同級生と家族全員が亡くなり、別の両親も死亡している。
原因は何処にあるか考える。昭和35年のチリ津波はここまでの到達はなく、当時ここの町営住宅の知人宅に身を寄せた事を覚えている。「ここまで津波は来ないが」あった。津波発生当初は防災無線は生きていたが、津波襲来で「津波6m」「今志津川湾に襲来」「市街地に到達」など、多くの情報が内陸の新井田地区へ伝わっていたら、必ず避難行動がとれたと私は思う。高台に津波監視体制が南三陸町には無かった事も、多くの町民が亡くなられた原因にあげられる。

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2015
04/02

志津川小森地区の今


志津川市街地を襲った3.11の大津波の最終到達地点が写真の小森地区で、この場所あたりで親戚の消防署員の芳賀さんが発見されたと聞く。消防署前か? 老人ホーム下で、避難してきた町民の車の誘導中に津波で流された。この日は非番で地震発生で駆けつけ「殉職」した。一緒に避難活動をしていた方は、「芳賀さん早く逃げろよ」と言い残し助かった。津波の方向を確認しながらの活動と思うが、こんな大津波を想定はしていなかったのだろう。
多くの人々が市街地からこの津波最終到達地点まで流され、旧自動車教習所の場所で地形がくびれ、また広がる形でここに多くの瓦礫が集まった。

写真は現在進む三陸道の小森の国道398号に架かる高架橋で、黄色の覆いが目を引く。今年中のこの場所が「志津川IC」として開通を予定している。本当に今年の開通かと思う現状で、国の工事は多くのゼネコンが参画し、工事期間の遅れを許さない。業者も必死に開通に取り組んでいる。
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写真は「小森水源工事」と言う。震災時は町中の水源がことごとく被災し、辛うじて保呂毛の水源が生きて、飲料水の供給が2か月後あたりに復旧したと記憶する。戸倉地区は半年以上かかった。主要の助作の水源は海水の混入で、飲料水には適さない状況が続いた。
この場所への水源確保は、今回の100年に一度の大津波でも、この最終到達地点への町の水源確保は、当然の町の対策対応工事と思う。
津波の4日後に398号の道路の瓦礫が片付けられ、入谷から登米まで向かった。徒歩での数名の方々とすれ違った、子供を背負ったおじいさんが居た。知っている方で孫を入谷の親戚まで連れて行くと言う。この先には町に入れない車が動けなく、長い列を作っていた事を思い出す。人がやっと歩ける状況で、私も残った自転車で向かっていた。

昨日は南三陸町の阿部企画課長が、「パブリックコメント」の受け入れ箱の設置を説明した。防災庁舎の解体の有無について町民より意見を貰うと言う。公正な意見が多くの幅広い町民から出される事を祈るばかりだ。我が町は政治工作があらゆる機会で行われ、社会的モラルに欠ける人も少なくない。「これが政治だ」と言うかのようだ。志津川にとって、南三陸の町民に対し最善の結果が適正に、選択される事を願うばかりだ。ちなみに私は「この場所から移し、解体して別な形で保存すべき」と思い。町長が副町長が命を繋げたアンテナに触れたい。そこで亡くなられた多くの職員の声をアンテナを通し感じたい。

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2015
04/01

清水地区の今


日曜に清水地区に行って見た。小さな漁村で海岸線や川沿いに家々が集まり、集落を成していた。決して空家が多い訳でもないが、10年前になるだろうか小学校が閉校になった。今年の志津川小学校の入学生は28人で、荒砥・清水小が統合された上でのこの数字だ。清水小学校がこの場所にあって今度の震災となれば、どうなっただろうかと思うと「ぞっ」とする。
地区の守り神の「久須志神社」は地区民が居なくなった、集落を今も見つめるようにある。集落を走る45号線沿いは、津波の通り道となり全ての家屋が流失し、高台に2軒がのこるばかりとなっている。向かって左側の山に、地区民の高台移転の「防災集団移転」の土地の造成が行われている。当初は50世帯の住民の土地希望が、現在は35世帯になり、15世帯が地区での再建を諦めたと言う。
現在は集落の川「さくら川?」が整備され、写真手前の工事は上下水道工事だと言う。中心にあったコンビニも工事にあたり撤去され、遠くには気仙沼線の高架橋が二つに分断され、今も震災当時のままで残っている。小さな漁村集落ながら大きな工事事務所が、二つも地区に建設されていて、家々の跡地は高台の残土が高く積まれていた。
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今日の河北新聞には、今が旬の三陸産ワカメが、復興市の「メカブ詰めほうだい」の写真があり、気仙沼・本吉の教育関係で、理科離れに対し、小学校教諭のクループ活動に「野依科学奨励賞」が贈られた。先生方の理科指導方法に「ヒント集」を作成した事が認められた。
昨日は気仙沼の「県税」と「ハローワーク」に行った。大谷海岸までの順調な車の流れが一転、階上の海岸から大型トラックが、国道に15台も一斉に入ってくる。大渋滞が平日の日常で今があった。帰りは三峰病院から海洋館への道を選択した。鼎が浦高校跡地の県仮設事務所から海洋館までの裏道だと、丁度20分で辿り付けた。45号を使ったらその倍はかかるだろう。しかし、裏道に流れた車は速度を増し、少し危ない状態になっていた。大型トラックも時々あり交差が大変だった。
国道沿いの港地区の「防集」の10戸余りの団地は、造成から約1年となり総ての住宅が完成、完成間際となっていた。国道沿いの個人の造成地も多く見られ、市町の行政の土地整備とは別に、急ピッチで土地の整備が進んでいた。工事に時間のかかる場所選択の造成があり、この部分で土地の整備が一般の土地開発会社との、時間の差となり再建場所の変更を被災者が選んでいる。

昨日テレビで退職する南三陸町の職員を、仮役場前で「胴上げ」する光景が流れた。被災しいまだに仮設で暮らす住民はどう思うのだろう。ミスマッチの姿が我が町の中枢で繰り広げられている。

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