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ARCHIVE - 2015年03月

2015
03/30

こんなに海と川に近い教育現場だった


こないだ三重県松坂市の方と、南三陸町の被災体験の方々との、津波防災を考える会が開催された。
そこで学校教師の方々の津波対策を想定した画期的な行動を聞いた。
東日本大震災の1年前に、チリ津波の発生を体験した。平磯の高台から平磯船揚場の堤防を見ていた。係留されている船が木の葉のように揺れ、見る見る内に堤防を海面が隆起し乗り越え、平磯湾に津波が押し寄せたが、今度のような大きな津波変化を見る事はなかった。
その後で、戸倉小学校の先生方の津波避難について話し合いがあっと言う。避難マニアルでは屋上の2階上が避難場所と指定されている中で、隣の保育所児童と小学校生徒の避難行動をどうするかが、双方一緒に話し合われた。「幼児・児童の教育の場からの避難は、浦山にしよう」と話され、地震があったら一緒に「五十鈴神社」に避難する事を決めたと言う。
内陸まで押し寄せた昭和35年5月24日にチリ津波では4~5mの軒下までの津波と父に聞いた。この津波で4~5mの堤防が設置された。しかし、戸倉地区の保育所・小学校での避難を裏山へは、先生方の自然災害の図り知れない威力への、最大の心の準備で、総ての幼児・児童の命を救った。この場所の住民も多くが津波で亡くなっている中でだ。
こんな判断が津波防災対策本部の本部長にあったら、優秀な幹部職員と将来を有望視された若い職員を、一人でも多くの命を救えた気がする。
終わった事と片付けるのではなく、将来に生かすのはこうした実証と、指導者の防災意識の養成にある。独裁的な管理下での強制的な強要による判断は、将来への教訓として、「何がいけなかったか」「何で行政機能の停滞となったのか」「復興が遅れ人口の減少となったのか」……など、将来にこの検証を伝える事が大切と思う。
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