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ARCHIVE - 2015年03月

2015
03/12

共に歩もう

毎年3.11の鎮魂の日を迎え、震災2日目の活動を思い出す。
寒い雪の積もった朝を迎え、命からがら助かった歌津地区の議員さんと職員を、入谷から払川の峠を越え、歌津までの道のりを入谷の入口まで送った事を思い出す。
工務店社長さんの軽トラックが、町に入れず途中に駐車してあり、その場所への道なき山道を歩いた。3人を送ってから社長さんの奥さんを探しに、アリーナに行き私の仲間や知人と会う事ができた。そこから十日町を通り熊野神社の山を通り、志津川小学校に行き奥さんを見つけた。こんな翌日の行動だった。
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昨夜は震災4年目のこの日に、新たなスタートを始めたのが、袖浜民宿街にあり大津波で民宿向改め「明神崎荘」の社長さんがいる。この節目の日の再スタートの日と決め、再建を進め多くの困難の中で、「プレオープン」を迎えた。牡蠣の養殖もしていて牡蠣剥き場の仲間が、小宴を企画し、私も「追悼式典」の後で、オープン祝いの花束を持って、「共に頑張りましょう」と、町の復興の為にその一助となるよう、花と言葉を送り互いに誓った。
多くのメディアが、防災庁舎の「解体問題」で有名となった町を取材で訪れ、その数も昨年より遥かに増えた気がする。3.11に再スタートと位置付けた「民宿明神崎」さんにも、NHKの取材クルーが来ていた。新しく出来た高台の民宿から海に向かい、午後2時46分の黙祷のサイレンで、頭を下げる姿が夜の番組で流されていた。

もう一つの再スタートは私の同級生の料理長としての、新しい職場「民宿明神崎荘」だった。年齢も同じ59歳で、これからの南三陸町の再建の一役となればと思う。腕によりをかけた御馳走に仲間も喜び、メニューへの改善など。新しい生活に叱咤激励のエールを送った。
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スタッフの女性も何とかこの日まで見つけた。働いてもらえる人探しは、被災地の雇用の厳しさの中で、重大な問題としてある。これまでの被災者雇用事業も、今月末で終わりとなり、後二人の面接も今後予定している。人はこんな困難の中で、多くの問題での心労の時、働き喜びを見つける事で、道が開ける気がいる。

4か月ぶりの仲間との会食、還暦前で生活環境にも大きな変化があった。
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