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ARCHIVE - 2014年12月

2014
12/04

復興への取り組みが他とは違う南三陸町


南三陸農協に半年ぶりに出かけた。理由は資金の枯渇でなけなしの少しの金額を、ロ―ンの支払いに回すためだ。
ここには福祉の里の「社協」と「老人施設」があった。多くの町民と職員が津波で命を奪わわれた。こないだ親戚の葬儀で喪主が母の死までの状況を報告していた。慈恵園に短期入居があり3日間の初日の3時15分ごろに津波は避難場所でもあった、旧中学校跡地まで高台を囲むように津波は襲った。
その初日のショ―トステイ時の津波襲来で、職員と高校生の究極の環境での脱出劇があり、高校生の献身的救助活動で命を救われたと言う。当時は90歳であれから4年余りを生き抜く事ができた。93歳の手術にも耐え、余命3か月の中で11がか月以上も生き抜いた。昔の人は身体が丈夫と言い、両親も高血圧から「心臓」「脳梗塞」の病を克服し今も元気で92歳を共に迎える。

現在は写真のように、あの福祉の里には粗末な祭壇が雨に打たれ野ざらしで、町の為に生き抜く町の為に震災で散った、住民の御霊はどこで追悼すればいいのか。
私は思う時間を掛け立派な物を造るより、一日も早く亡くなられた家族が手を合わせる場所が欲しいと、小さな慰霊碑が建立されるべきと思う。たしか女川の中学生は各地区の津波到達地点に「小さな慰霊碑」を造った、行政のトップの決断と死者への哀悼の意が薄く、それより将来の観光振興と、観光地としての慰霊施設の建設は、誰の為なのか? 亡くなにれた町民の家族の心を癒すためにも必要で、私なら明日にも行動を起こす。震災1年目ごろから行政に訴えるも、今だに町その行動は無く遅い。

写真の林の切れた隙間に高校裏の志津川の西の西団地が出来る。慈恵園跡地には建設の現場事務所が建てられている。その校庭の端に農協志津川支店がある。今年度中に南三陸農協が事務所を本設する。


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