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ARCHIVE - 2014年12月

2014
12/31

あと1時間で今年も終わる

2011-04-12 15.29.35
「海が見えない」と歌津寄木地区の漁民の方が、高台移転場所の整備地で言う。震災後の新たな住まいの造成地に、「海が見える所を」と住民の高台移転も、海岸から遠かったり防風林があったりと、多くの漁民の新天地からは、日々の生活の糧となる、海の様子を伺いしる事は厳しい。

是非に新しい南三陸町の観光にも「体験型」といように、計画に盛り込まれる親水地区を多くと取り入れて欲しい。
海水浴場は早期整備が求められるが、県事業としての区分であり、行政もいち早く整備への活動を始めて欲しい。

こんなにも綺麗な広大な志津川湾、全国の世界の皆さんに体感して欲しい。少しは海産であるツブや時にはオワビなどの、捕獲できる特別地域の整備なんかも、面白い観光地づくりへの足がかりとして挑戦してみてはどうだろう。子供たちの宝探しとして、喜ばれる事まちがいなしだ。
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2014
12/30

苦境を楽しむ


8泊9日の入院が終わる。手術もうつ伏せ寝も苦しく、一日中その姿勢でいる事は、以外と簡単なようで辛い。
病院で電話での仕事受注と段取りと対処は、従業員そして父親の手助けで乗り越える事ができた。今日の退院後は津山から登米市そして町内と用事を予定する。従業員が指示どおり段取り済なので、2時からでも6時前には帰れそうだ。
苦しい・厳しい・大変だ……! だけでは辛いだけで、「こんな時間はめったにないから」と、なんとか楽しむ方法を考えると、以外と苦しみも短く、あっという間に終わり通り過ぎる。できない事はできないと、苦しむ前に決断しあきらめられる事も必要だ。無理すると苦しみは倍増し増殖する。
12月の10日間は会社に居て働かなくても、従業員と92歳の父親に助けてくれた。私の仕事の要でもある目の病気ながら、ここまで来たが、先生は「まだ安心はできないよ」と言う。朝の回診で「出血がある、本当はもう少し入院しててほしい」と話している。帰っても明日からは安静を心がけよう。
昨年術後の大変な時にお世話になった看護師さんが、何も言わないのに病室に最後に来てくれた。今回は感謝の気持ちを抱きながら、帰ろう。今回も何気ない心の支えとなった。日赤の看護師さんはみな? 素晴らしい、また、何かで入院する時は「石巻日赤」を指名したい。

もう退院の時間まじかだ。60近い人達にはこんな時間が必要です。還暦は再来年の2月で、長く生きて来た疲れが体にでる時期と理解する。

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2014
12/29

パラサイト


医学の底知れぬ技術の進歩に感謝だ。
22日の入院で11時からの目の手術は2時間半で、東北大の先生による出刀だった。眼球に4つの穴を空け、吸引・メス・レーザーなどの管を入れての治療だった。眼球の中で血液がグルグル回り吸い上げられ、眼底の幕を管の中の小さなメスで切り裂き取り除く、次に網膜剥離と出血部分をレーザーで焼き・固める。紫色の閃光が小さい管の先で光る。こんな光景が局部麻酔の中で、私の眼球内で繰り広げられた。少しの痛みはあるものの、最後の私の手術と位置付けた、この時間を楽しむ事とした。
昨年の5月の「網膜剥離」「白内障」の手術から比べると大分楽だった。
今日で8日目となり目の中のガスも、うつぶせ寝の効果で半分位となり、退院のレベルに達した。明日の退院で進むが、先生の判断と指導に感謝だ。私はわがままな患者と自分自身理解する。自分の身体は何とかなると常々思い、会社と家族が気になり、自分なりの生き方を求めている。

寄生虫は自分の中にもいるだろう、人に迷惑を掛けるし、時々相手の気持ちを見失う。我が町のパラサイトはどうだろう……?
これが私の今年の休暇です。帰っても安静に先生は言う。しかし、これができにいのが私の性分です。




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2014
12/28

なぜ遅い我が町の再建


最近の世の中の動きの速さに本気度を見る・
*景気対策・地方創生に3.5兆円を政府が決めた。第三期安倍政権の政策の一つが示され、国民への活性化策に本格的に取り組む。
*小保方さんの「スタップ細胞」は、ES細胞の混入と理化学研究所は断定し、来年3月までの調査を打ち切った。「スタップ細胞はあります」の言葉だけが空しく響く。
*岩手の山田線がJR東日本から切離され、三陸線の延長として宮古と山田を結ぶ路線として、沿線自治体で「30億」を負担し、再建へと動き始めた。
*小泉元首相が「郵政選挙」とし、国民の理解が得られ、民営の日本郵政となり3部門に分かれた。今回株式上場となり、その売却益を震災復興資金にあてる。こんな形で被災地への追い風として、郵政民営化の恩恵が被災地に配られる。

*さかなのみうらさんの再々オープンは、火災から3か月余りでの自己再建で、蘇り復活した。

この中で山田線の復活は地域の願いであり、JR東日本任せの我が町とは大きく違う。戸倉までの復路復旧鉄道が残り、関係自治体の協力で、南三陸戸倉までの復旧は容易にできる。震災から4年も過ぎて、私も提案したが「戸倉地区の土地整備の測量」だけである。戸倉地域の議員や地区民のみならず、南三陸町民の大きな期待を行政は本気でやる気が無いようだ。予算がとかJRがとかは「言い訳」でしかなく、行政の早期再建の想定にはないようだ。

町民の皆さん町の事をもっと考えましょう。町の再建は行政の仕事であり、町民が政策に意見するのは当然のことなのです。

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2014
12/27

まず自分から


何とか小さな自宅と物置を改装し工場にして、白内障と眼内の治療も済ませ、新たな気持ちで新年を迎えられそうです。

なかなか進展の大き姿が見えない、志津川地区の市街地住民の新たな町はまだ時間がかかるようだ。仮設から出られない高齢者や弱者の方に、少しでも笑顔や光が見えるように、我が家から輝きを造りました。
今年のクリスマスに合わせ、会社玄関に写真のような、粗末ではありますが、花とイルミで彩りました。近くに来たら寄って下さい。夕方3時頃には暗くなる今、商工団地内のローソン下に、工場の立ち並ぶ中央に位置します。簡単には郵便局の上です、父親は寂しがりで人が来るのを楽しみにしています。

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2014
12/26

風化と風評被害


歌津地区にも津波襲来の数日後に、国道45号の開通後に地区に入り、その津波の襲来跡地を撮影した。歌津バイパスの寸断した場所も、ギリギリまで行って撮った。あれから、震災瓦礫は片付けられたが、嵩上げも整地や市街地再建も進んではいない。

防災庁舎の「震災遺構」の問題は、遺構審議委員会で日本の震災津波遺構として残すべきと結論付けられ、解体問題がまたの激しい議論の対象となっている。土地の整備は都市計画が県の事業としてあり、そこのある防災庁舎も権利として、県と町に半々の立場がある。村井知事は国県の為にも残すべき、町は維持管理費の問題が県に移れば、観光拠点として「高田の一本松」と同じ、観光客の誘致をここに目論んでいねように思える。

ある社長に聞く。原発の30k圏内ならず、福島の近隣の県の総ての物に、放射線量のチェックがあり、全国の自治体の監視はまだまだ厳しいと言う。韓国の食品監視は未だに輸入禁止措置は解けてなく、テレビで監視団の調査をしていた。南三陸沿岸から茨城にかけては今もなお海産物の流通には厳しい目がある。

反面、被災地の支援の風化が加速する。ボランティア・義援金も感心や支援は少なくなった。「継続は力なり」と言うが、天災は東日本大震災だけでなく全国で発生し、少子化・人口減・過疎化など、社会災害は今後も厳しい状況となっていく。
被災地は近い将来忘れられ、過疎化が進み更なる市町村合併となるだろう。その時、志津川がどうなっているかが心配だ。

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2014
12/25

クリスマスにひとり政治 バカじゃないの


朝8時過ぎにユラリユラリと部屋が揺れた。少し長めに周囲がめまいのような状態に、震度3宮城北部とテロップが流れた。これが「耐震構造」での建築物の揺れを初体験した。南三陸病院も耐震構造で現在建造中ながら、私の体調には大きな揺れを逃す構造は、船酔いのような気分となった。4階でこれだから高層ビルはかえって怖い。

クリスマスは飾られた小さなツリーに癒される。晩の食事にも8コもイチゴが出た、これがクリスマスプレゼントなのだろう。さすが目の前のイチゴハウスで採れたて「美味い」! 現在我が社事務所玄関にもイルミが輝く、少しでも町が我が家が明るくなればと、今年から飾っている。

介護報酬引き下げと現政権は、社会保障の充実のためにと言う。以前すら聞いていたが介護施設への国からの補助が少なくなる。高齢化社会への一途を辿る日本社会で、施設への補助金の値下げは、直接に入所者と家族に圧し掛かる。「こちらを取ればこちらが立たず」だ。介護施設で働く職員の給料が安く、なり手がいなく職員の不足を聴く。また、介護報酬引き下げは入居料金の高騰へとなる。その現実が私の母の月々の入居料が、来年7月から現在の入居料37000円から、7万円を超えると打診されている。

私が思うのは消費税の「10%」は、社会保障に回すと言うことに賛成だ。将来世代にツケを回さない為にも、1年8か月の延長せずに踏み切った方がいい。しかし、議員定数削減と不要な報酬のカット、そして公務員報酬の減額をしてからにしてもらいたい。大企業の給料に合わせ公務員報酬を決めていると言うが、給料を下げて、もっと貰いたかったら大企業に行けばいい。国の為に働きたい人だけても公務員は集まる。
今の国民総ての平均給与からしても現行の30%下げても地方公務員の生活は大丈夫だろう。
子供を大学へは年間で普通300万円は掛かると言う。ビンキリながら医大はその10倍以上と言われ、医師不足の中で医大に関しては無料とすべきだろう。

いろんな事を自分なりに考え思う。こんな日々はあと3年ぐらいかな。自然と戯れながらその後は生きようと構想する。政治への熱意が日々減少している。

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2014
12/24

かごの鳥


クリスマスイブは私にとっては、いつも一人ぼっちの生活で、ケーキを食べるくらいだ。ケーキの大人食いがこんな体にしてしまった。

南方の知人が「登米と志津川は違い過ぎる」と電話をくれた。私も南方仮設の2DK公営住宅は我が町とは大きな違うと感じた。「もう半分の人は仮設を出た」と言う。まだそこまででは無いが深刻な状況には間違いはない。
議会での人口減少が「町の危機」との認識は薄く、その仮設決定へのプロセスを検証することも無いようだ。住民の町離れの対策と離れない方策をもっと講じないといけない。私一人の活動と発信では、その問題解決とはならないのが現実だ。登米市の戸建災害公営住宅には14世帯が南三陸町から入所した。年金世帯の二人暮らしで「9000円」の入居費で、車一台は別に2千円かかると言う。建物も仮設とは違い本格二階建てで、普通の建物と変わらなく、町の住民が登米市の住宅に同化している。

石巻の市立病院は当初70億の建設費だったが、資材・人件費の不足による建設経費の増額は、130億の倍となった。国県からの追加の補助は無く、石巻市での資金の調達はかなり厳しいものと言うる

南三陸町は「おらほの町」と多くの補助事業と銘打ち、町づくり事業を展開しているが、そんな目を引くだけの名前より、もっと深刻に事にあたるべきと感じる。我が町の病院も予定どおりできるのだろうか/ 心配でならない。町の財政破たんは現トップとその取り巻きの責任と私は思う。あと2年もすると私の年金の掛け金も終わり、その後5年で年金受給者となる私です。


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2014
12/22

健への戦い


ここから新たな病気との闘いが始まった。糖尿病はインスリンの自己注射により、糖値のコントロールはこれまで何とか調整はしていた。しかし、震災で薬の総ては流され、避難生活から病気への治療ができなく、2か月位したころに少しの傷が化膿し苦しんだ。この時の血糖値は400近くとなり、ヘモクロビン数も相当高かっただろう。

今日の朝の空腹時血糖値は「161」で、正常値の110とはまだ遠いが、私にとっては正常と言える。色々な先生方が私の病気と係り、今までのコントロール不良が諸々の症状を生んでると診断する。

今朝3時頃に「1型糖尿病」と戦っている人達を紹介していた。風邪などのウイルスにより膵臓が機能を失い、インスリンの投与なしには生きられないと言う。そんな病気とトランポリン選手が戦っていた。一日6回前後のインシュリンを打つ位で、生活に何の不自由もないと話す。毎日6回のインスリン投与の大変さを思う。小学生低学年の女の子は、インスリンと血糖値測定を自分でする。「250」は自分の正常値と言う。「80」の時の辛い顔が判る気がする。しかし、友だちは何の事も無いかのように遊ぶ。これからが自分たちの生活と行動と違うと、「差別」となると母は心配する。

Ip細胞への膵臓の細胞再生が期待される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:36 】

2014
12/21

事業所の再開は被災地の事業所に恩恵をもたらす


華やかな再オープンに多くの買い物客が集まった。祝いの花も多く飾られ、震災後の賑わいが減少している今、「さかなのみうら」の開店は買い物の場が町に少ない中で、家庭の主婦にとって南三陸町に明るい嬉しいニュースである。
復興市も来客の減少が見られ、仮設商店街の来町者も少なくなった。その中で地元の人の為にも頑張っていた途上で、店舗の火災で営業を休止していた。しかし、3か月余りで新店舗での復活は、町民の為として新らたな出発となった。
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新たな事業所の再開は被災事業所のブラスともなる。漁民の水揚げした物を少なくても快く買い上げるなど、小さな漁業者にとっても助かる。これからも被災者の事業再建の情報を伝えていきたい。

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2014
12/20

歌津地区の道路整備に避難路路を見た


昨日の忙しさったらない。商工団地内の行政施設に納品を雪が解けた10時ごろから行動する。年末の支払もピークとなり、資金が足らなくなり漁協のなけなしの定期を崩し回した。
その後で気仙沼市本吉まで出掛け、小泉の「はまなすの丘」より被災した市街地を撮った写真です。光景は何も変わってなく私には写る。被災地高台の仮設にあるお世話になった先生を訪ねた。先生は来年秋ごろの100世帯規模の宅地整備地に移り生活を始める、その頃は80歳越えになるだろうか、再建の力をまだ持っている事が嬉しい。本吉の知人は震災後に若い来町者の運転の貰い事故で身体を痛め、まだ60歳前ながら家業と田んぼを止めた。寒さのせいか痛みを癒しに温泉に行っていた。個々の諸々の苦しみの中で前を見て生きている。
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帰りは小泉から「グリーンロード」を通り帰った。南三陸町の合併の中で財産のあった町「歌津」、合併前は財産を施設・道路の整備に使った。志津川は財政の厳しい中で、整備は下水道で国庫の補助を受け、合併交付金を更なる整備に使い、総てが震災津波により「無」となった。
二つの町の合併で「町庁舎建設」を約束するも、財政難を理由に建設審査委員会でも建設の中止を決めた。これが多くの職員と町民の死に繋がったと言っても過言ではない。これを私は政策の大失敗と損失として言い続ける。
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被災後に海岸線の国道45号の通行止めで、本吉まで知人の消息を探しにいった。電話・メ-ルの不通は生存の確認する「術」を失った。その時の「グリーンロード」は、歌津と本吉を結ぶ道路は途中から赤土と砂利の道路だった。昨日通ると4mの相互通行できる道路に変わり、復旧道路の役目を果たしていた。

疲れたせいか昨夜は爆睡で6時間も眠り、3時は目が覚めた。今日は「さかなのみうら」の再開店の日となった。多くの町民がまだかまだかと首を長くして待ち望んでいた。20日オーブンは「予定」に終わるかも知れなかったが、無事に多くの企業や役所の支援によりこの日を迎える。私も年末の贈り物は三浦さんと決めていた。「開店は無理だろう」と思っていたが、「成せばなる」で店主・社員の尽力に感謝です。




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2014
12/18

異常気象はこれからも


この異常気象は今年ばかりではない。とテレビのコメンテータの言葉が頭から離れない。
温暖化は二酸化炭素のオゾン層破壊からで、気温の常勝と海水温の0.7度の常勝による。高気圧と低気圧の関係が異常な気圧配置となり、局地的豪雨や豪雪を引き起こし、爆弾低気圧の気圧は900hp以下となり、その脅威から逃れる事しかその対策は無い。1hp下がる事で海水面の1cmの上昇と低気圧の風向きが、丁度釧路市となったために、写真のような商店街を高潮が襲った。海上自衛隊の艦船も40mを超える強風で岸壁にたたきつけられ、船底に穴が開き浸水し、漁船は陸地まで打ち上げられた。フィリピンの台風の高潮での6千人の死者が出た事を思い出す。
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海岸線の志津川低地部での事業所は、造船所とスタンドがある。今後の冬季の豪雪による海水の逆流の冠水を心配する。

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2014
12/17

マイナスの原点


この瓦礫の中を小松さんと、奥さんの消息を求め共に歩いた。
奥さんは志津川小学校で近所の人達と一緒に津波から逃げ避難していた。
小松さんは志津川の東地区の東の災害公営住宅の抽選に外れても、「しょうがない」と笑顔で答えていた。
外れは初めでは5人と聞くが、昨日は12人とある人は言っていた。その彼は2DKを射止めた。
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現在のこの地は被災の跡地は瓦礫は撤去されたものの、この写真のように3年9か月が経つのに、あまり変わっていない気がする。復興復旧の遅さを露呈している。
この日は現場の方は天候異常により、祝日も働いているのが現実で、その道はまだまだ遠い。

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2014
12/16

私の暮らした本浜はこんなにも変わった


土曜日に本浜の防潮堤に上った。チリ津波の5年後の誕生日である私は、5月24日の津波襲来に関係し、津波と共に人生を送り、その3分の2の過程の途上と認識する。たしか5.4mの防潮堤もあの津波で現在は地盤沈下・嵩上げで2.1mの高さとなっていた。
防潮堤からの景色は大括りで、海の荒島を見る光景は変わらないが、内陸地はあの街並みは消え、津波襲来で瓦礫と化した市街地は嵩上げが進み、新しい町づくりの途上にある。しかし、町づくりの後の町民の平安な営みを、想像する事を私はできないでいる。
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今を生きている事を、家族と一緒な事と、何とか家が持てた事と、仕事ができる事・皆さんと一緒に楽しめる事など、多くの幸せを噛みしめ生きている。
昨日は92歳の父親である社長と共に仕事をした。まだまだ元気な父は耳が遠くなったものの、この年にしてまだ伸び伸びと老いの人生を送っている。78歳の時に40歳の次男の私に会社を任せた。昨日は一つの仕事の共同作業で印刷をした。誰もが92歳の親と59歳の息子で仕事ができる事を、幸せな家庭と思うかも知れない。しかし、現状は母の施設生活と父も持病を持ち、私も生活習慣病の合併症と闘病中でもある。
家族が助け合い家業を続け、支えてくれたお得意様の為に自分の為にと、細々と印刷業を引き継ぎ経営をしている。親が子を、子が親を心配しなから片寄せあって生活をしている。こんな穏やかな暮らしがいつまで続けられるか私も判らない。
現在、親子の繋がり絆が希薄となり、色々な事件が発生している。子が親の背中を見て育つ事で、人間の道徳を学び、人としてしてはいけない事を学ぶ。自分だけが良ければイイと考える人が増えた。
震災で地域の繋がりもバラバラとなり、子供を叱る人は減り、他人が我が子を叱るとそれに激怒する親が増えた。。理不尽な子供に対する暴力は別として、自分が一人で生きられる力が養えない環境が今ある。私は身近な子供は愛情を持って叱る、それが必ず子供の為になると確信し指導してきた。
今日は10年前に中学校で剣道を教えた生徒と忘年会をする。幸せがこんな所にもあった。

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2014
12/15

雪が始まった


窓を開けようとしたら凍って開かなかった。我が家の窓からは今年の雪と景色が広がっていた。
限られた道路の通行で復興の加速による、トラックの量も増え、朝晩の車は混雑を極める。知らないうちにガードレールの至る所で損傷を目にする。



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2014
12/14

発信の弊害


昨夜は私の加入している仲間の忘年会があった。会場は志津川仮設商店街の飲食店で、5月連休に別の町内での店で開催したのが、震災後初めてのゴルフコンベの表彰式があった。あれから8か月ぶりに顔を合わせた。個々の中での生活に大きな変化があり、地元への住宅再建を成し遂げた者、登米市への移転を決めた親友、子ども達の移り変わりを、これまでの58年間を語り合った。その数々の変遷があり現在の今の生活があると話す。何かを得られたがと言うと、寂しさばかりで「これからも共に」だ。みな変わった気がするが、自分も変わっているのだろう。今度会うのは何時になるのだろう。仲間の助言を真摯に受け止め、こけからも自分なりに生きたい。

まるか食品? の「ぺヤング焼きそば」にゴキブリ混入事件があった。当初は「ツイッタ-」の写真によるつぶやきからと聞いた。この会社は全ての商品の販売を中止した。商品販売の問題発生の保険も掛けてなく、今後の再建に大きな障害になると言う。一通のツイッターの大企業の危機、発信者の責任はというと私には判断できない。

自分の発信に今後も注意していきたい。



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2014
12/13

私の行動と町の近況


明日の選挙投票日となった。320議席に達する勢いの自民党、「憲法改正」「集団的自衛権行使」など、一党による採決で法案が国会議決となる。国民は安倍政権にもう少しやらせてみようとの、判断の世論が渦巻く。強権政治と言われた「閣議決議」があり密室でなくても、自分達だけで自分たちの提案が国会を通る現実が、目の前に見えてきた。私の町とどこかよく似ている。
他党はと言うとテレビでの決められた政権放送でしか無く、小沢党首の雪の中でのビール箱の上での演説は、野党の危機感の現れと思った。民主の政権改革があり維新の橋下のカリスマがあった。以前の「新進党?」細川首相もその影は無く、自民の政権交代の体験が自民党の結束を、固いものとし「もう野党はいやだ」が、安定政権でも更なる体制づくりが、2年目での解散にある。円高・株高の大企業は現政権の維持に努め、今後への益々の大企業の拡大を目指す、良い事ばかり続くはずは無く、「リーマンショック」のような世界恐慌はサイクルで起こる。

狭い視野で町を見る。漁業は震災からの復興の途上から、来年には通常となる。国からの多大な支援補助が終わる。これからは漁業の高齢化による組合員の減少があり、担い手不足の解決策を図っていかないと、志津川・歌津の漁業は厳しい。今日の報道で「大槌町」の現状があった。漁民が震災前の半分になり、ボランティアで来た32歳の男性が漁師を目指していた。3か月間の漁師修行とその間に月20万円の支給をする。男性は資格を取り養殖業をしたいと言う。震災から初めてのワカメの収穫で、漁師の「やっぱり海はイイ」とその笑顔が忘れられないと言う。志津川と歌津の組合員の数が気になる。以前は志津川が800・歌津が600ぐらいだっただろうか? 漁業の養殖の近代化と所得向上と仕事の生活環境の改善がカギだろう。
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写真は町内のキャベツ畑で年明けの出荷を待つ。生産者は72歳と67歳のバリバリの盛年だ。後継者はと言うと厳しい。町の農家の現状維持も行政の手厚い支援が欠かせない。

今年は千葉のり店さんの「龍の子海苔」を20個を歳末の品に使った。昨日、志津川仮設商店街にはクリノマスの大きなリーフが、中央の広場に置かれてあった。三浦魚屋さんの再建まで新鮮な海の幸は、年末年始の使い物として買えそうもない。
今夜はさんさん商店街で仲間との忘年会だ。本当は同級生の震災からの「新築祝い」で、南三陸町に残ってくれた事への感謝だ。多くの同世代の同級生は登米市への住宅再建を決め、既に新築し暮らしている中で、彼と今後も共に志津川の地で生きる。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:39 】

2014
12/12

おら死んでしまう


南三陸町の志津川変電所は仮施設の役目を結えた。震災後の電気のない生活に苦しんだ事を思い出し、電力会社の活動に感謝し、あの不便は忘れる事はないだろう。
写真の左側にセブンがあるが今後の復興の為に、町内の清水・戸倉・御前下など多くのコナビニが、復興の工事のために解体され、天王前もなくなると聞く。買い物の場が無くなっているが、町内の商店で買おうと言う方は少ない。震災後の諸々の噂が購買拒否となっているとも聞く。
女川の震災遺構の横倒しの四階のビルが解体へと決まった。我が町の「防災庁舎」の鉄骨は慰霊の場としては余りにも、空しい今の錆びた鉄骨の哀れな姿にしか見えない。新しい町づくりにはふさわしくない鉄の塊がまだあるだけだ。町は慰霊碑の整備も進まず、東側の整備には来町者にこのままの錆びた鉄の塊は、震災の風化を防ぐものとしてはふさわしくない。

町の再建の遅さや工期の延期が今後も続き、戸倉団地の造成は28年度には出来ない、「それまで生きられない」と言った先輩、既に建設会社との住宅建設の契約も済ませ、土地の造成がなればと嘆く。戸倉小学校が来年秋にできますよとの話にも、人が居なくなるのに造成が先だろう! と言い、「人が住めば子供達も増える、先に人の生活の場の確保だろう」と話す。今は戸建が50戸にもなったと言う、私は90前後の災害公営と90世帯の戸建も聴いているが、その方に本当の現実を伝えて欲しい。高齢者は余生を考え仮設で暮らしている。その悩み苦しみを取り去り土地の整備が早期に終わり、生活の安心を報告してほしい。東の東の志津川の災害公営に外れた方の落胆ぶりに、慰める言葉も無かった。
今日の新聞に「戸倉子育て支援施設建設」、28年1月完成で保育所も隣接する。
命の終わりで新たな町を見ずに天国に旅立った方々へのお詫びの言葉は、紙に綴られた文字だけで、私には「申しわれない」との言葉の響きは感じられない。




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2014
12/11

安全運転・安全生活


昨日は仙台からの営業が「大型トラックが多くなりましたね」と言う。復興の低地部の嵩上げが工期を前に旧ピッチなのだろう。今朝は黒崎で大型トラックが絡む事故発生で、通勤時の大渋滞となっているとの、ラジオ放送が聞こえる。

先週の日曜日に「気仙沼線なんとかならないの」と、開通に尽力した夫人の方が電話をくれた。当時は町の悲願として仙台の事務所に、国会へと陳情は町長・企画課長・関係者で何度も陳情に行き、町民上げての開通式で駅ロ-タリ-が人で埋まった。なんで戸倉までの開通とはならないの?と言う。
一人の町民の声ではなく、高校生の通学には欠かせない交通機関で、気仙沼高校への町の生徒も多く、BRTの長時間の通勤に耐え勉学に励んでいる。800億とも言われる全線開通は無理でも戸倉駅の再建は、町民の仙台圏域の交通手段としても必要と望んでいる。
町の陸前戸倉駅の調査費に1000万円は何処に消えたのか? その使われた経費の使途も聴く前に議会から私は去った。南三陸町の志津川市街地再建計画には、最低でも志津川までの鉄路再建は欠かせなく、国・県・JR東日本の協力と、町からの資金の捻出でも開通させる努力と知恵を発揮して欲しい。
町の再建活性化には絶対必要な事と思う。こないだ戸倉BRTのトンネルの入り口でカモシカの親子を見た。復興の為の森林伐採で行き場を失ったからなのか。自然実溢れる志津川戸倉がここにあるのか、今の町の復興の姿がこれでいいのかと、頭を捻る毎日が続く。

昨日、先輩が電話をくれた。70歳前後の農家の二人で1万玉の「キャベツ」の生産をしていて、山形県庄内地方に来年2月頃の出荷を計画していた。この活動を「是非私の情報紙に掲載させて」とお願いした。
こうした南三陸町のためにと自立した事業を考える若者が減少し、町外から町の為にと「志」を持ち、町来ている若者の活動が目立つ。




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2014
12/09

何故町は町民の不便を早期に改善しないのか


今、インフルエンザの流行に子供を持つ親は早く予防注射を、高齢者は大病で命の危機にも関係するため、家庭への迷惑とならないようにと病院へ行く。個人開業医員が近くにあり報道での早期の流行発生に対策をと、こないだの週末の土曜日などは2時間待ったと、受診者が我が社の駐車場から帰路に付いた。昨日も路上で診療を待つ車の姿があった。国道沿いの商工団地入口の病院関係施設場所は運転に気を付けて欲しい。

9月だったか魚屋さんの火災には、町民の重宝であった「買い物の場」の消失は、南三陸町の被災者に更なる生活の混乱の状況となった。御前下への再開店を計画していると聞くが、探しに行ったが店は確認できなかった。安く志津川の海産物を販売し全国へ発信していた。私も「さかなのみうら」さんから、支援に来てくれた長野・大阪・東京へと、新鮮な海産品を送って上げた。「美味しい」と帰って来る言葉に、送った私も嬉しく誇れる。三浦さんが無い事で今年は海産品の「歳暮」はやめようと思う。一日も早い再々建を願うばかりです。

今日は運転手付の病院なので午後は会社を休む、年老いた社長が留守番ながら、耳が遠くても大助かりである。御年92歳まだまだ我が社の力となり、「何でもやっから」と言ってくれる。




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2014
12/08

町のスポ-クスマン


土曜日にNHKのスペシャルドキュメントで、現在は南方の一期仮設自治会長といて活躍する宮川さんが、当時の志津川市街地の「ジオラマ」作成に、全国の大学の建築学生と共に、震災以前の風景を思い起こし市街地模型に助言していた。南方仮設の集会所が作成場所のようで、汐入の芳賀さんや大工の佐藤さんが、その作成中の模型に涙し参加していた。
天王前に「私の家はここにありました」と、東山公園の下を示し、東山の桜と椿の満開の光景をもっと華々しくと学生に注文し、志津川湾の養殖イカダは沢山あり賑やかだった事を伝えた。流出した被災町民の町の想い出は、一人ひとりが鮮明にその姿を記憶していた。
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志津川地区の桜の名勝であり、津波避難所としての場所である「東山公園」にしばらくぶりで、階段を一歩ずつ踏みしめ上がる。市街地襲来の皆さんの避難行動のドラマがここにあった。
現在の志津川地区の嵩上げの状況が一目で解る。45号のアスファルトがはがされ全ての土地に土が盛られる。しかし、本浜の一軒だけが今も残っている。今になって思うが私も瓦礫の撤去もせずに、震災遺構として我が家我が社をそのままで残すくらいの土地に対する愛着を持って、震災復興計画の意義異議・抵抗をしてもよかったと思う。行政の成すがままの町づくりの危うさに毎日継承を鳴らしている。




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2014
12/06

志津川地区津波望波防潮堤

入谷地区の災害公営集合住宅の断水は解消されたものと思っていた。その後も断水が別の部屋でも発生していると聞く、震災時の水がない生活を思い出す。
南三陸産牡蠣の生産が、戸倉・歌津の牡蠣生産施設の完成もあり、生産量・金額ともに前年の3倍なったと報道は伝えていた。私も昨日は知人から牡蠣をもらい、「カキの酢の物」「カキ鍋」の2種を作り、お酒も少しすすんでしまった。志津川市街地の南町の京極さん及善さんのあった場所は、昨日も海水の逆流で冠水して当時を思い起こさせる。
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大森から本浜の海岸線をしばらくぶりで通過した。写真は造船工場の内陸側の工事で、防波堤が建設予定で、すでに本浜の旧防潮堤は解体されて無くなっていた。巨大重機に基礎の杭打ちには嵩上げの大工事を感じる。青空に高く突き立つ柱は、まだまだ時間のかかる事を物語る。

陸前高田の嵩上げはベルトコンベア-により、市街地は12mを土盛りする。昨夜のテレビで老舗の若い店主は、再建を悩み今の仮設商店も被災1年半後再開だったと言う。今後の新しい商店街は嵩上げ後、最初の市の事業なから、あと4年後だと言う。震災から8年もかかりやっと事業の再開となる。菓子店の五代目も閉店か再開かを苦しみ今を迎える。現在6割の商店が再開を目指し、3割はすでに廃業していると言う。残りの1割はまだどうするか決めていない。「高田の一本松」に手を合わせに来てくれる人があるあるから、店主は頑張ると言う。また、昔のお得意様が私のお菓子を待っていてくれる、だから続ける事を決めた。

現在の高田の仮設商店街は小さく、道路向かいの物産の直売所も今年行ったが、商品の充実とはなっていない。その隣に「黒ゴマ担担麺」の店があった。担担麺は辛くて自分はあまり食べないが、この店の担担麺は店主のこだわりで、小さい店ながらお客さんがいっぱいだった。二人の店主は互いの再建を、嵩上げした市街地でと誓っていた。
嵩上げのベルトコンベア―での特殊工法も、震災から8年も掛かるのかと落胆する。南三陸沿岸の豊富な水産物があっても、お金に変えるのは充実した販路だと再確認した。

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2014
12/04

復興への取り組みが他とは違う南三陸町


南三陸農協に半年ぶりに出かけた。理由は資金の枯渇でなけなしの少しの金額を、ロ―ンの支払いに回すためだ。
ここには福祉の里の「社協」と「老人施設」があった。多くの町民と職員が津波で命を奪わわれた。こないだ親戚の葬儀で喪主が母の死までの状況を報告していた。慈恵園に短期入居があり3日間の初日の3時15分ごろに津波は避難場所でもあった、旧中学校跡地まで高台を囲むように津波は襲った。
その初日のショ―トステイ時の津波襲来で、職員と高校生の究極の環境での脱出劇があり、高校生の献身的救助活動で命を救われたと言う。当時は90歳であれから4年余りを生き抜く事ができた。93歳の手術にも耐え、余命3か月の中で11がか月以上も生き抜いた。昔の人は身体が丈夫と言い、両親も高血圧から「心臓」「脳梗塞」の病を克服し今も元気で92歳を共に迎える。

現在は写真のように、あの福祉の里には粗末な祭壇が雨に打たれ野ざらしで、町の為に生き抜く町の為に震災で散った、住民の御霊はどこで追悼すればいいのか。
私は思う時間を掛け立派な物を造るより、一日も早く亡くなられた家族が手を合わせる場所が欲しいと、小さな慰霊碑が建立されるべきと思う。たしか女川の中学生は各地区の津波到達地点に「小さな慰霊碑」を造った、行政のトップの決断と死者への哀悼の意が薄く、それより将来の観光振興と、観光地としての慰霊施設の建設は、誰の為なのか? 亡くなにれた町民の家族の心を癒すためにも必要で、私なら明日にも行動を起こす。震災1年目ごろから行政に訴えるも、今だに町その行動は無く遅い。

写真の林の切れた隙間に高校裏の志津川の西の西団地が出来る。慈恵園跡地には建設の現場事務所が建てられている。その校庭の端に農協志津川支店がある。今年度中に南三陸農協が事務所を本設する。


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2014
12/03

町の発展と衰退


松井田から大上坊に向かう入口に「葬祭会館」ができていた。町外の会館で、一年間の町民の死亡者は一定の数となり、経営的には衰退しないと言う。向こうには三陸道の支柱が2本建設中で、ここにも高架橋ができる。建設会社従業員の活気かる声が山に響いていた。
衆議院議員の選挙が始まった。南三陸町の投票者数は男5873で女6156の合計12027人だった。そんな時に後輩が町の出生者が年約20人との話に驚いた。それと共にスポ少剣道の教え子に子供が生まれたと言う。関わった10歳5年生が15年経ち、早いもので25歳になるだろう。しかし、震災後は気仙沼市で住み町の人口増とはならなかった。
昨日は良い事が一つあった。剣道の指導者になりえる人材を見つけた。女性で震災後に県外から南三陸町に移り住み、町内で仕事をしている。
話しだと「若い同世代の人たちも町内に入ってますよ」と言い、何とか支援したいと思っている。
志津川中学校の1.2年が、県新人中総体で準優勝となった。志中魂の爆発である。若い世代が今後の町を造るが、児童・生徒の減少と、町で若者が暮らし子供をつくり育てる環境の早期整備が必要ながら、計画どうりでしか進め方はないのか。



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2014
12/02

人類も地球も病んでいる

2011-05-14 10.04.35
温室効果ガスco2の削減は急務であり、日本・アメリカなどの大国から、世界の中堅国までもがその大きな地球の危機に動き始めた。
日本特有の「オレオレ詐欺」が10700件450億円となり、昨年の記録を書き換えそうだ。昨年の480億円は年末に向け、多くの対策啓蒙活動の中で今後増える事を予想する。
日本の国際の格付けが又一つ下がった。円が1ドル118円を超え、株価が18000円に近付いている。そんな状況下で消費税の引き上げを伸ばした事で、世界は日本のデフレが続いているとの判断からだ。
政府はデフレからの脱却と、安倍総理3本の矢で打開を図ったが、政策の対策はデフリ改善の方法では無かったのではと思う。

あの日の光景から町民の生活は4年目を迎えようとするのに、町民個人の生活再建での変化はあれど、町の復興はまだまだ先で、高台の土地造成は世界の温暖化対策を考慮しない政策で、このツケは広い視野で町民に降りかかる。第一次産業への局部的な被害の発生を懸念する。
南三陸町の町民に「オレオレ詐欺は無い」は決して言いきれなく、住宅再建での多額の建設費の増額は、別の意味で平時と比べ詐欺的な町民の負担と言える。建設内容の規模は別として、セキスイハウスや一条工務店は、「坪100万」と、建設関係者から聞く。大工賃金の高値にも小さな再建にも、被災者の苦悩の声がある。

我が社の壊れた窓枠から公立志津川病院を望んだ。青空に病院の壁の白が輝く、震災直後のあの日の光景だった。

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2014
12/01

ショック! 苦しみ増幅


昨日は志津川市街地に現在の状況を写真に収めにいった。車では通過し見ているものの、その様変わりようがあり、誰もが知る以前の面影は消え、これからも私たちの暮らした町は、大きく変化を遂げていく。
住民の方が電話をくれた「ショックで落ち込み報告できなかった」と言う。土曜日の災害公営住宅の抽選会があり、希望の場所への入居は叶わなかった。家族的にも福祉枠が認められても良い家庭状況ながら一般枠として、東の東の18年第一4半期に入居できると、私も本人たちも思っていたので、その落胆ぶりは尋常じゃなかった。また新たに希望の住宅を申請し、抽選による入居に挑戦する。公正公平な手段は抽選しかないのかと、仮設住宅の抽選の苦悩と混乱を思い出し、検証と反省の対策はこれでいいのか。障害者枠での抽選があり、外れると一般の方と同じでまた抽選となる。志津川3地区の高台の一番最初の入居の災害公営で、病院・役場にも近く高齢者や弱者の希望が多い。80世帯位の限られた数で、総てを弱者に回しても良かったと私は思う。仮設入居の住民の行政不信へとならないか心配するし、これによる町離れを懸念する。
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志津川市街地の十日町の国道45号の、アスファルトが取り除かれ、いよいよ国道も嵩上げへと進む。動線・河川の場所移転へと新たな段階へと復興へ向かう。
羽生がNHK杯で4位に入り、0.15差でファイナルへの出場となった。ショ-トの2分半と次の4分半の演技は、冒頭の4回転失敗し、それ以上演技を見る事は私はできなかった。しかし、翌日の結果を見ると5位、そして4位ながらアボット選手の結果、0.15差でファイナル出場と強運の持ち主と、彼のこれまでの成績から感じ取る。「花が咲く」のエキシビションの演技の最後の、少女からの一輪の花は、我が町にはない弱者への優しさと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:58 】


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