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ARCHIVE - 2014年10月

2014
10/15

石巻市は1.3m


生業の糧が南三陸町にあるが、胸のドキドキ感が今は無い。仲間も個々の生活で日々を送り、将来を決められないままで不安の中で、皆が暮らす時に贅沢と言われそうだ。「有言実行」で自分に課題を造り、その目標で今まで生きて来た。震災の混乱からの一日も早い脱出をめざし、多くの問題を背負いながらも、一歩一歩の発生する障害を取り除いて生きている。

昨日はしばらくぶりで気持ちのイイ、緊張感を味わった。場所は石巻の中州のまんがミュ―ジアム隣りの、被災した造船所での進水式だった。
南三陸町は黒崎・戸倉在郷・汐見・清水・荒砥・伊里前の、台風19号の襲来による冠水で、国道45・398が通行止めとなった状況で、米谷経由の三陸道で石巻の会場に向かった。
震災後に知人の誘いで参加した「海花日本復興の会」の、被災地で水産業支援で、アメリカで造船業で成功した福島出身の佐藤社長が、地元被災造船会社を手助けしての船舶製造を石巻から始めた。その第一号の「Good Go ET180 完成進水式」に招待された。第一号は静岡のオ―ナ―に引き渡された。決して漁民ではなくレジャ―としての購入と言う。実はこの会の出資者と後で聞いた。息子さんは南米のパラグアイの同系列の造船所で働いていると話す。造船所の少ないパラグアイでの会社設立で、昨年の同日に第一号の進水式には、国の大臣4名が参加し、大統領からの支持を受けたビデオが流された。パラグワイからの来賓もあり、世界的でグ―ロバルな構想に参加でき、「テ―プカット」もさせてもらった。
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「東日本大震災の復興は石巻から」が合言葉で、石巻市沿岸は1.3mも地盤沈下した、その門脇の小さなテントからのボートの製造ながら、震災から3年半で一つのステップを達成した。「突然の祝辞をお願いします」と言われ、震災から人との繋がり「絆」と、南三陸町も石巻も「海」で生かされた町です。水産業の多角的な船舶による人との交流の必要性を話した。宮城県の出身の衆参の全ての国会議員からの祝電には驚いた。100名を超える関係者の夢と希望の光がここにはあった。最後の万歳は、神様に・石巻復興に・ボ―ト進水に・海洋平和にと、「四唱」を高らかに唱和した。

心優しい人達の会に癒された。私は納得しない町の「復興計画」とのギャプに、この町で暮らし続ける自信が減少していく。石巻の被災した海岸線の家々が、そのままで残る中で、住民移転が着々と進んでいた。1.3mも地盤沈下した土地の再生よりも、住民の生活場所の確保が第一の、石巻市の意識の高さを感じ、町民生活を第一にと考えへの、町の行政の転換を今後も私は言い続けたい。

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