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ARCHIVE - 2014年10月

2014
10/01

何かが起こると予知していたような行動

2003年から新しい会社の事業展開として、自分が取材したり、地方紙から抜粋したりした記事や、町の行事・自然を掲載した「マイタウン誌」として発行を始めた。第一号は表紙に志津川新漁港の全景と、志津川中学校をカラ―で紹介し、2003年6月からの町内の出来事の始めには、大森地区で一戸全焼があり、志津川中学校の世界で起こる災害に募金活動をしているや、志津川・歌津の合併への「本吉南自治研究会」が設置され、これから合併へだった。

初めは同級生に町の変化を伝えるから始まり、多くの好評を受け事業拡大へ繋がると思い、ペ―ジを増加し多くの人たちに見てもらおうとの、気持ちで現存「第26号」の2009年の10月までの、町の動きの情報が残っている。大震災が2011年の3月で、一年間で4冊の発行で、3か月ごとを町の出来事があるが、会社の全壊流出により、その間の27号以降の4冊のタウン誌は、作成したはずだが欠号となってしまった。

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26号には歌津の産業まつりの餅まきの光景があり、街なか交流館のテ-プカット風景が残った。25号には八幡川の灯篭流しと、志津川高校の夏祭りの「トコヤッサイ」や駅前の「仮想行列」がある。24号は小森地区の「三陸道ル―ト」地区として風景を紹介し、志津川湾の自然風景と海の宝庫を伝えていた。23号はサン―オ―レ袖浜を暗い内から、個人的に清掃活動をする二人の姿を紹介し、年末年始の風物詩の「おすばで奉り」と「消防出初式」の光景を紹介した。

世間から注目もされないで、自分の「志津川の良さを伝える」の事だけに終わった気がする。しかし、今となれば自分の「マイタウン誌」であり、南三陸町★大好き! と自分の郷土愛を貫いた。結果的には高台に残った貴重な志津川の6年間の資料として、その風景や出来事を残す事となった。
今後の構想として、志津川市街地で流出した自宅・工場跡地の、嵩上げ10mと同じ場所が換地され、その場所で「震災前の志津川」と「震災の復旧から復興までの町」を、町民に来町者に伝え発信していきたいと考える。過去を振り返り学ぶ事が大切と、亡くなられた人たちを忘れない。こんな事を後世に伝えたい。


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