ARCHIVE - 2014年10月

2014
10/31

何してんだが!


今日のブログ更新はこの時間となった。
色々な来客があり、社会の動きでも大きな物があった。午後に保険屋さんが来た、今回の入院のへ保険給付の申請用紙と説明に気仙沼から来た。今回の入院の3日間があり、26万の保険適用支払額で「高額医療証明書」の提示で8万円の支払いとなった。3割負担なので100万に近い手術・入院費が掛かった事になる。我が家は国民健康保険の恩恵に大きく依存し、生計が成り立っている。3日からの入院給付となり対象とはならず、手術給付で5万前後となれば嬉しい。また、新築の家にベンキが掛けられ、住宅の保険が適用となるかの、別の保険会社ながら、加害者が修理する事なり、保険金の給付は難しいと言う。はっきりと言うとできないである。

夕方のニ―ュスで石巻市に「国立の震災記念公園」を造る方向で、宮澤復興大臣が記者発表をしていた。今回の震災復興の象徴は「南三陸町」であると、多くのメディアや報道であり、議場で行政に「我が町はそんな立場にある。」と、常々言い続けていた。そんな中で首長は「防災庁舎解体」と、紆余曲折し最終的な判断で、「解体する」と言う。最近の世間の風潮では、震災遺構として防災庁舎の存続を言い、町民・遺族の中に「何処で手を合わせればいいの?」と、存続の方向に気持ちが傾きかけている中で、国の「祈念公園」の石巻市への建設構想は、風化しつつある「南三陸町」の更なる疲弊へと向かう事が目に見えている。

「ショッピングモ―ル」の建設が現実味を帯びてきた今、「祈念公園」の西岸への整備は、管理維持費の町財政からの支出があり、財源の確保がならないと言う理由から、用地の縮小と早期の記念公園の整備もならないままで、今に至っている。「防災庁舎」のどうするかの記念公園が現状としてある。商店街の整備だけに政策展開を強調する取組が、町にとってマイナスの方向へ傾いている気がする。持ってる残った財産そして開発を、将来への町の復興に同時に進行すべきと私は思っている。

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2014
10/30

16年12月めざし志津川シッピングモ―ル着々


写真は志津川地区の新しい五日町の嵩上げで、建設予定地の嵩上げが大部分を埋め尽くしている。
志津川40店・歌津20店で南三陸町の商店街の新しい施設の接説明会が28日開催された。まちづくり会社「南三陸まちづくり未来」(仮称)が事業主体となり、2016年12月の開業を目指す。事業主が沢山亡くなり町外に移転し、残った商店主達が新しい商店街の建設に、商工会出身の首長と共に、観光に向けた町づくりに邁進し、早期商店の再建に突き進む。

自分達の生き揚々とした未来への歩みをここに見る。住民の高台移転の小規模の「防災集団移転」も造成完了し、住宅建設が順調に進んでもいる。2016年は志津川3地区の災害公営の入居の、28年の年にあたり商店開業の12月までには、全ての入居が終了している時期と重なる。また、土地取得が28年頃となり、住宅建設は個々の状況があるものの、同時期の住民再建計画とも同じ時期を目指す。順調に工事が進む事を願うばかりだ。

「小渕氏議員辞職へ」と小さな記事が掲載された。この話で小野寺五典氏を思い出す。選挙区に線香を配り「公職選挙法の寄付行為」で辞職した事だ。小渕氏は親の地盤を次ぎ20代で国会議員に最年少で当選した。後援会会長には地元の町長が就き、父親の秘書だった。政治管理団体の収支報告は後援会に任せ、資金管理や地元の後援会活動の全てを、会長・秘書にまかせっきりだった事が、今回の辞職の方向にむかせた。観劇会の3000万近い政治資金の不明、ワインやカレンダ―の配布は寄付行為として、公職選挙法違反になって当然ながら、周囲にまかせっきりの体質が今回の事件に発覚した。政治資金の有耶無耶な活用は自己の、議員としての精神と人としてのモラルがあり、議員一年生の時の議員講習でも学んでいて、自己の議員として資質を問われる。次々と発覚する政治家の不正支出が今も出ている。大臣となると収支報告が公表されるが、されない義務のない議員はどうなのか気になる。国民の血税である。

宮城県の選管で不祥事が発生した報道はされたが、大きな取り上げも検証も県民には、それ以上の何の報告もない。地方議員の後援会などは「政治活動費収支報告」の義務があり、5年間は保存が義務づけられている。このような法制度の中で、地方議員の報告書の22年度と23年度を県選管が紛失した。間違って廃棄処分をしたらしい。私も後援会を設立し、看板の掲示には組織が必要だからで、献金も会費も発生しないけど、後援会の収支報告は毎年出している。こないだ報告書に一部訂正のハンコがないと登米支所に、呼び出された事を思い出す。厳しい報告書の提出の中で、こんな不祥事も起こる。やはり関わるのは人であり、職員の周辺のチェック体制、益々の充実とミスをしない環境作りが必要だ。

昨日、役場に行くと玄関の掲示版に、「兵庫県議会視察」があり、ここに目が止まった。写メも本日の会議内容として撮らせてもらった。判る人には判る今話題の県議会でもある。

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2014
10/29

壁!


2泊3日の白内障手術から今帰りました。左目が明るい視野となりました。手術を受けた方々に聴くと、「世の中の風景が変わった」と、白内障状態の時と術後の変化を良く聞いた。しかし、総てがそうとは言えない現状も耳にはしていたので、少しの不安で挑戦した。日赤の先生からは紹介状を持って行って、今回の手術で2回目となる。

手術が押していて1時間遅れての開始ながら、30分くらいで手術は終わった。前回は糖尿による網膜剥離の手術も一緒で、2時間前後の大変な手術だった事を覚えている。手術室には4時20分に入り、所要時間30分で今回の手術は楽だった。「レンズ」の支持は終了5分前で、確かに先生の声を聴いた。入院時からは血糖値の安定の糖尿食となり、一日1600kcのおかげで3日目の朝は、「120」と安定値となった。最近は食事調整と投薬とインスリンで、糖尿病対策は治療が遅かったものの、今は安定している。

昨夜から目のレンズ交換の点眼が始まった。7時・12時・16時・20時の4回を、日々の日課に食い込ませる。糖尿・白内障の治療も苦労と思わず、少し適当でも良いと思っているが、忘れない限りは真面目にやっている。

昨日の今日ながら、パソコンキイボ―ドの打ち間違いがなくなった。良く見えるせいなのだろう。一日の休養は身体・精神のレフレッシュになった。又、病院で震災で家を無くした剣道の教え子に偶然にも会う、今は登米市で暮らしている。互いの時間が作り出す出会いの不思議ながら、私にはまさかこんな所でと言う事が以外にも多く、事あるごとに驚かされる。自分の持って養われた力と、勝手に思っている。

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2014
10/27

懐かしい我が故郷


今日は書く事が何もない。
写真の被災前の想い出がある。ここは新井田川の水門があった所で、海に向かい左に造船所があり、家々も立ち並ぶ大森地区でした。しかし、強固な防潮堤は跡形も無く、住まいのあった場所は津波でえぐられ水没した。右側には水門から旧市場の防潮堤が海に伸び、本浜地区の漁民の方の船が係留されていた。水門の内側には民家が隣接し、本浜地区の住民が肩寄せ合い暮らしていた。
水門の場所は「ハゼ」が遡上し、「うなぎ」が夜になるとエサを求め集まり、石の下を探ると日本うなぎの幼魚に出会った。海水と淡水の交わる砂州には「アサリ」が群れを成し生息していて、コメの袋で2つも獲れた事を今でも思い出す。この場所を見つけ父親とスコップとザルを持って、干潮になると共に汗を流した。それを見て近隣の人たちが集まり、川の中州は隙間もないくらいの場所となった。獲ってもとっても「アサリ」が沸き出て来る感じだった事を今でも思い出す。自然は測り知れない凄さに触れた。
写真を撮ったこの日も、復旧工事の「防潮堤」の8.7mの大工事が進む中を、水門の傍らで釣り竿を出している人がいた。あの自然の姿は戻る事はないだろうが、私が亡くなり50年100年も経過したら、町には人が減少し、自然に人の手が付けられ無くなる事で、自然治癒力が働き、恵み豊かな海に変わるだろう。

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2014
10/26

厄日ってあるんだ


昨日は色々な問題が発生!
忙しいなかで仕事をしたせいで、なれた仕事を甘く見て失敗した。
隣りの家の屋根のベンキ塗りで、缶をひっくり返し、新築の我が家にバサとペンキが掛かり、壁と窓を取り替えますと隣の家主が、お詫びを持ってきた。人の過ちはあるのは解るが、何でこの日なんだ。「なおします」で解決する物でもない気がする。
「・・・亡くなった」、知人が電話をくれた。身内筋ながら判らなく、数軒に電話するも誰も出ない。突然で多忙な皆さんだから、この出来事はしょうがないと、心を落ち着かせ今日の葬儀に参列した。

土曜夜の「議会と住民の懇談会」に、どんな質問が出されるか出かけた。私を含め5人が志津川地区開催の、ポ―タルセンタ―に集まった。初めの質問は「被災者雇用」の事だった。今年中で制度が終わり、高齢者の方に仕事を与えてほしいだった。その後で被災者雇用の必要性は理解しながら、若者の働く場所を創出する為の資金として回すべき、だった。両方とも被災者と持つ町づくりに取って必要な事と感じた。電話の呼び出しでそのまま帰路に付いた。

写真は志津川産業フェアの風景です。役場の駐車場を利用しての、初めての開催で、この催しも3年ぶりの開催と言う。

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2014
10/25

志津川の海に抱かれて


私はこの町「志津川町」で昭和31年5月24日に生を受け、海に抱かれ、山で遊び育った一人です。

海からの恵みは多くの生業の根底に位置し、水産業は勿論、商店は魚の販売があり、その加工で働き家族を養い、神社・寺院とて氏子・檀信徒も、玉串料・布施で神に生活の平安を願い、先祖の暮らしを引き継ぎ守り、町に根ざし住民は生きてこれた。全ては海の幸からの頂き物から始まる。

何気なく人が訪れる為に何が必要かと考えた。仙台市に松島水族館の移築があり、「三陸の海を表現」とそのコンセプトがあった。
南三陸町には被災前に「ダイビングスポット」として、青島の海底の生物を発見した人がいた。現在はその方が活動する場が見えない。「クチバシカジカ」「ダンゴウオ」など、海底の神秘は人をひきつけ癒す。秋田の水族館では「クラゲ」だけを展示し多くの来場者を迎えている。
人に暮らして住んでもらう為にどうしたら? の町協の問いに、福祉・教育・子育てなどの環境の整備が出されたが、この町の自然も魅力と参加者皆が言う。この発信方法として「南三陸志津川水族館」があり、漁民目線ではなく、自然を愛する住民の考えを取り入れ、ダイバ-・水中写真に係わった、地元出身者の採用で、住民の呼び戻しや海底の神秘を観光客に伝える、政治戦略は良い考えと思うがどうだろう。

水産物を売る事や遺構・モアイで人を呼び込む事は限界がある。自然の未知の力を、自然の脅威で町の消滅を経験し、それ逆手に利用する事を、町の再建・存続に繋げる事は、大きな発信の力となるのではと考えた。

「過疎化指定」「人口減少」と言う、避けて通れない今後の問題には、大きな政策変換が必要とされ、コンパクトシティ-も中途半端で、「職住分離」とて海岸線・山里と、点在する集落存在の町づくりは、将来に向けた対策とはならない。


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2014
10/24

震災がもたらす人々の友好


今日は京都で全国印刷文化展が開催されている。宮城県印刷組合からは13名の関係者が参加し、今月「友好支部」となった東大阪支部は、50名が式典に出席し、宮城と東大阪の交流が直ぐに実現した事になる。本吉・気仙沼支部との友好支部締結なから、当支部からは京都までの出席は、私を含めた会員の参加は無理である。しかし、来年は福島での開催で、是非それには支部長として、県の理事として全国の印刷文化を通した交流を深めたいと思っている。

昨日は山梨の業者が我が社を訪れ、被災地の事業所との営業が皆無となったと言う。震災により40社が事業をやめたと言う。お得意先は被災地から新天地で新たな仕事を始めたり、地元を離れ他の地から地元での生活を模索していると聞く。被災地の復興がままならない中で、現在の生活の維持にやっきとなっていた。
災害公営住宅の建設にあたり、生活が色々変わる環境で、意向調査通りにならない現実の話に、行政の柔軟な対応に欠けている。住民の現実の生活を把握できない、苦しみ不安を解決できない復興体制に、これでは町民の流失の阻止はできないと実感した。
確かに住民は行政の進める復興計画には、わがままな部分も多いと私も感じるが、経験した事のない大災害からの住民生活再建は大変だろう。公務員としての高給取りとして、今がその報酬に対する成果を発揮する時と思う。その先頭となる町長・副町長の職員指導がものを言い、他に類を見ない政策を、我が行政は果たしてないと私は思っている。今までの経緯を見れば歴然としている。

今日はスポ少指導で、明日は「議会と住民懇談会」に夜出かける。家に閉じこもっていると新鮮な町の動きと、住民の活動が見えてこない、町を歩けば自己再建の住宅が次々と進んでいる現実を知る。
良い話では建設の終わった災害公営の住宅の空が埋まったと言う。戸建・公営の移動を求めても入居者は既に決定していると言う。 これは良い事・まずい事?

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2014
10/23

イベント満載の三陸沿岸


昨日、車を運転中に「気仙沼産業まつり」の開催情報が流れる。震災後初めての開催と言い、震災で壊滅した気仙沼市場での開催を果たす。まだ市場周辺は震災の爪痕も多く、盛り土などでの工場の建設が進む場所であり、その復興の姿を見て欲しい、復活した地場産業を感じ、南三陸沿岸の海・山・川の恵みを知って欲しいが、その開催の理由と言う。
今日の河北の朝刊には「南三陸産業まつり」の広告が掲載されていた。ベイサイドアリ―ナが会場となり、月末の恒例の「復興市」と同じような開催ながら、産業と言う事は森林組合も後援となり、どんな事を発信するのか楽しみだ。南三陸の産品は「高い!」と言う噂も聞くが、震災からの復興での事業の再開には、諸々の経費の上乗せがある気がする。その辺はご理解をお願いしたい。まだまだ「海産品の大判振る舞い」とはいかないようだ。
昨夜は牡蠣の生産者と会った。10K25000円は市場価格であり、小売りで販売となる時は「500g1000円」で今年の初めに買い求めた事を思い出す。志津川の牡蠣は内陸の方々へのお土産には、大喜びされる。
大久保の「さかなのみうら」さんの火災は、南三陸町の住民にとっては、身近で安い買い物の場が無くなったと、町の主婦の噂を聞く。あれから2か月はなるだろうか? 再々オ―プンの期待も高いが、震災での壊滅からの再びの開店は、周囲が考えるより大変である。行政・組合などの支援で「買い物の場の確保」とはならないかと思う。一事業者の支援には行政は動けるはずもないが、住民の生活環境整備の観点からの後押しはできないものだろうか。

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先週の日曜日に「みなさん館」に出かけた時、しつもなら「がら空き」の伊里前商店街の駐車場は、車でいっぱいだった。工夫やペイントを凝らしたワゴン車で、張られたテントからは笑いが沸き起こっていた。商店街の企画受け入れがあったものと思う。予算も少ない商店街はどこも同じで、被災地支援を続ける団体には頭が下がる。

こうした繋がりの継続を私は受け皿として続けていきたい。また、新しい取り組みを「南三陸マイタウン情報」で開始する。被災し止む無く町外に住所を移し、南三陸広報の死亡欄に掲載されない方々の、死亡の掲載を希望に沿い行う。震災で目に見えない活動があり、広報では伝えない話題を今後も提供していきたい。

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2014
10/22

ソフトの町づくりは若者たちに


現在進む市街の整備は国県による事業です。高台造成と並行しての工事で、町が中心ではなく、UR都市機構とゼネコンによる、国の後押し主導で工事は進んでいる。

昨夜の町協は「みらいづくり部会」があり、20名の委員の中の16名前後が集まった。「何故町に暮らしているか」「町の良い所は」「どうしたら町に人を増やせるか」について、全ての委員に答えを求めた。希望した会員のこの設問への町づくりの個々の考え方を発表した。ワ―クショップも良いが、こうした提案の仕方が私は理想と思う。
発表の中で、被災前は町に暮らしていなく、そして今、町外から南三陸で暮らす若い人たちが、以外と委員には多い事を知った。
・南三陸町は良い所・自分のやりがいのある場所・自然と「山海の恵み」に恵まれている町・子育てをする町に適している・震災からの復興に尽力したい・・・など、多くの話に部会メンバ-の良さを強く感じた。また、子育て世代と言われる30代前後の女性も多く、南三陸町の自然の緑に触れられた生活を素晴らしいと言う。その上で子供たちの生活環境の整備を訴え、病院・教育・福祉など広い分野で要望があった。産婦人科・小児科など診療科を設置して欲しい。高齢者が安心して暮らせる環境整備も忘れていない。半分以上が30代前後で40代と子育てど真ん中の女性の行政への注文は、切実に提案として行政の対応がどうなるか、今後の推移を見つめて行きたい。
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その他に行政の対応にも注文を付けた女性もいた。「一生懸命に震災復興に努力している」は解るが、町民対応や来町者への接客など、南三陸町の顔として、もう少し挨拶と笑顔をお願いしたいと、新しい町づくり協議会として、別な大切な部分に注文を付けた。

私は部会員の中で年は上から2番目となんとなく判った。若者たちが活躍できる環境の在り方を、彼らの為に、また剣道の教え子の為に道を切り開きたい。高齢者の暮らす環境をどうするかも、町づくりに反映させたいがある。多くの若者達の中で私は場違いとも感じるが、還暦・定年を控えた町民の今後の不安払拭できる、町づくりの為に多くの疑問・注文を行政に向けていきたい。

写真は水尻川の橋梁工事で、川をせき止め後1年半後の完成を目指す。志津川市街地の仙台からの入口として重要な工事である。下は「黒崎パ―キング」の下の護岸補強工事で、現在も続く雨水により国道冠水対策として、新たな国道45号の整備を進める。

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2014
10/21

大森地区の新設防潮堤


今月中の地区配布に大森地区の防潮堤の場所と、現道路と震災前の防潮堤の配置図があり、だいたい同じ位置ながら、防潮堤は少しバックし、その高さが河川堤防と同じ「8.7m」で設置される。以前の行政の提示の高さと同じならで、十日町・本浜・南町は10mの高さの嵩上げで進めている。

1か月ぶりだろうか海岸線の道路を通った。馬鹿高い大型の重機の稼働が、その堤防の高さと工事の大規模さが物語る。
心配なのは新しく出来た造船所も含め、市場事務所・施設など、海の隣りに建設されている事だ。新造船の進水式から必要な接地ながら、異常気象による高潮・海水上昇など、これらの施設の危険性を感じる。
我が社も一階部に大型の印刷機器を設置していたが、電気回路の海水による被害は致命的で、津波被害を想定するならば、高台の工場移築しかない。
現在も臨時的に設置した水産工場があり、再度の津波被害は経営継続の多大な障害となり、再建は難しいだろう。国の補助事業は返済が終了するまでは、国の持ち物として使われる。1億の補助事業を受け7500万の補助ながら、2500万には利子を含めると多額の負債としての支払ある。
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気仙沼市の同業者が設備の4分の3事業を受け、次の段階の施設の4分の3の補助金を申請し、10月8日がその補助の結果がでると日と言う。制度の変化・変更が今後も沢山出て来る。今後も再建の拡大を模索する方は、国の支援事業には注視して欲しい。

市街地再建の構想図が時々変化しながら住民に配られる。新しく生まれ変わる志津川市街地を見るまでは死んでも死にきれない。
志津川地区で亡くなられ・町外に移転した住民の方々、2200人の皆さんの為にも、この町で暮らし続け見届ける義務が、町民にはあるし、行政の復興計画による再建の進め方も含め、住民の目として検証してもらいたい。
「議会と町民の懇談会」が、志津川地区に置いては10月25日、ポ―タルセンタ―で開催される。是非参加してほしい。

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2014
10/20

一つの「輪」となって


私の戦いは何時まで続くのだろうか? 理不尽な人達への「怒り」が、自分の行動の力となっている。昨日はひと時の安らぎの時間を過ごす事ができた。

昨日は今週の志津川地区町づくり協議会の資料が届き、人口減少の地区ごとの人数が示され、志津川地区に置いては、1880人が町外に流出していた。逆に入谷地区の117名の増加となっていた。戸倉・歌津の両地区も大きな減少が見える。震災死が751人で町の人口減が「2788人」あり、震災前から比べ3539人が町から消えた。地元の志津川地区の1880人の減少は、落ち着いた数字と思うが、南三陸町の人口は今後も減少は進み、26年9月現在の14276人から、10年間の復興計画の町の再建の途上で、1万人弱と予想する数字も、まんざら架空の物でもない気がする。
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午後から南三陸町歌津の「みなさん館」に出かけ、地元の野菜を買い求めに行った。入谷よりも現在は歌津の方が近い。お昼の焼そばや野菜6品で740円、地元生産品は新鮮で安い。石巻の「道の駅」よりも格安だ。ス―パ-と比べると2~3割は違う。
その後は荒砥の介護施設「いこいの海」に、母と会いに父と出かけた。この日はビデオと写真を持って、家族三人の鑑賞会となった。震災直後の被災地報道の取材の二人のビデオは、倉庫での介護生活の姿で、こんな事があったと再確認した。「一人では逃げられない、一緒にいる事が私の人生」と言い切る父の言葉、母は父親の事を「頼もしく安心できる人」と、報道の記者に寝たきりになってもしっかりと言っていた。今から一年前は、膝を悪くし体重の増加もあり、車イスの生活となり、「認知」も進んだ状況から、施設の入所を余儀なくされた。なかなか変わらぬ現状ながら、ビデオ映像で父親と私の名前まで昨日は言えた。家族が定期的に寄り添い、映像や写真で共に振り返る事で、年老いた頭の活性化になる事を知る事ができた。

帰ってから父親と今後を話し合い、私のこれからの考えを聴いてもらった。その後は体の為に「ジムへ」と思い出かけると、商工団地メイン道路は大渋滞で、バスケットのBJリ―グがアリ―ナであり、その帰りだった。ジムが休みだった事を思い出し、「どっ」と疲れで昼寝をした。大きな会社にとっての問題や出来事を乗り越え、また、第二次の問題に向かう。

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2014
10/19

生活習慣病の恐怖


58歳となり多くの情報の中で、健康の大切さと健康への過信が長い時間の中で、体の臓器に影響が現れる、重篤な病と発展していた。

30才前半に「糖尿病宣告」を、公立志津川病院の医師だった笹原政美先生に診断された。当時は血糖値が「350」で空腹時ではない値ながら、「気を付けなさいよ」との忠告を今でも覚えている。当時は飲み薬を2種くらい処方された。
あれから25年が経過し、ヘモグロビンA1Cが糖尿の判断数値としていわれている。正常値は「6~7」と言われている。
医師の指示も「自分は大丈夫」と大きな過信で、震災前の今から10年前に素直に「インスリン投与」を始めたが、適当な単位を打つ自己判断で続けた。震災後の薬が無い事で、少しのキズが糖尿のせいで悪化した、その怖さを知る事となった。この頃から目の異常が少しずつ現れていた。
飛蚊症が進み右の目が半分見えない状況に驚き、佐藤徹先生から登米市の眼科の三浦先生を経由して、石巻日赤の前川先生の診断で、白内障と網膜剥離の手術をした。右目は結果的には視野狭窄となり、視力も「0.6」となったものの、局部的に見える現状となった。

昨日、佐藤先生に行きヘモグロA1Cが「8.1」まで下がった。最大で13.5まであり前回の採血では8.5だった数値からだ。血糖値も目安となる「110」があり、空腹時が基準となり朝の簡易キッドで、一日おきに計測している。今日が「181」で昨日は「161」で、一昨日は「141」とまだ高いながら安定はしてきた。
現在の「食事療法」は自分で調整している。一日三食をとり間食はできるだけしない、ドリンク類も「無糖」にし甘い物は避けた。食事は野菜主体とし、「サラダ」「野菜の煮物」「枝豆」なんて晩御飯もある。
先週まで仙台通いが続き、自宅での食事ができなく、帰り道に「ラ―メン」「チャ―ハン」を食べた。お酒は毎日に近いが「350ml」のビ―ルか焼酎「1杯」と決めている。別に何の苦でもなく、これで今は満足している。後は週一の剣道指導とジムの運動を励行している。

震災後に知人の3人が糖尿病からの腎不全による「透析」を始めた。また、従弟が透析を始め、兄弟も透析予備軍として診断された。「透析治療」と聞いて初めて糖尿病の怖さを知る。腎臓の機能低下には「尿タンパク」の値がある。私もこないだまでは+++が常だった。昨日は「++」と尿タンも数字が下がった。自分の健康は自分が注意し守るしかない。年老いた両親と私は互いに食事を準備する。料理作りが好きな私の趣味が病気の改善に繋がった。

今朝の番組で北朝鮮の「キム・ジョンウン」が、40日間もメディアから姿を消し、杖を突き元気な姿を写真で示した。専門家は「糖尿病悪化による腎不全説」を唱える人もあった。
暴飲・防食や不摂生な食生活習慣は、間違いなく最悪の状態へと突き進む。「透析」「失明」の他に糖尿病による体内の全て臓器に影響を及ぼす。糖尿病の怖さを知り、「生活習慣改善」に自己で取り組まないといけない。健康な今から考えて欲しい。飽食の日本社会では糖尿病患者が、こんなにも警告をしていても増加の一途となっている。
関わった多くの病院の先生と看護師さんの忠告は、患者の将来を案じての事と、今振り返り思い出す。

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2014
10/18

「命を守る」住民サ―ビス


我が家は震災後に病院に大きくお世話になっている。
父は石巻日赤で「ペ―スメ―カ―」を入れ、今月15日に一年間の検査で診察を受けた。半年ごとの定期検査ながら、日赤からの連絡が伝わらなかった。昨日も11時からの予約で志津川病院に送っていく、駐車場は9時30分になると、来庁者と来院者の車で一杯になる。
母は仮設生活時に、脳梗塞と肺炎で救急搬送を受け、志津川病院に幾度となく救急車で運ばれ、現在は介護施設で元気に暮らしている。

現在進む公立南三陸病院の建設は、来年の4月開院の予定だったが、10月ごろの遅れとなったと聞く。「透析施設設置」が議会でも要望され、住民の病院に透析施設の設置要望書の嘆願活動が懐かしい。新しい病院には透析施設設置となるものの、一緒に活動した方は町外に生活の場を決めた。反面、腎臓病による透析患者は町で少ないながらも増加している。町では透析担当の先生の招聘はどうなっているのだろう。新しい施設は出来ても先生が見つからない、こんな状況が被災前から続いている。震災後も準備はしても活用されない、施設のムダが被災地の自治体にはあってはならない。
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私は簡単にできるようになった、「白内障」の手術を日赤でする、その日程が決まった。石巻日赤の玄関に入ると、常勤する先生方の名前一覧があり、その数の多さが目を引く。そして、現在は隣に増院の工事なのか、4階のビルが建設されている。仙台の大学病院も増築をしていて、患者は先生の揃う施設の整った病院での、治療・入院を求め高度な技術のある所に行く。震災で今回の病院に必要なのは「患者の事を大切にする先生」で、行政の職員としての先生ではならない。患者に寄り添うと言う精神を持つ、一線から退いた先生が勤務してくれればと私は思う。一時診察・診療といての位置から、地域の中核病院の連携で、今も地方病院の在り方が模索されている。

高速道路整備が進めば、石巻へ仙台へと「紹介状」をもらい、継続診療と言う事で大きな病院での治療を受けられる。
私は町の病院よりも、地元の個人病院の先生の患者として、今後も諸々の病気の対応をしてもらいたい。「急病の救急搬送」による診察は公立南三陸病院と思われる。旧雄勝町が5000人の人口が1500になったと言う。今回の大震災は築いてきた暮らしの伝統が消えようとしている。地元に根差したお寺は決して消えることはなく、菩提寺には他の地に移り住んでも、旧町民は先祖の御霊に頭を下げ続けるだろう。

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2014
10/17

震災直後の初動の遅れ


震災直後の混乱で適切な対策が講じられなかった。これに対して当時は疑義を言う事はタブ―だった気がする。行政の多くのすべき事を思っての事で、無理難題を提案できない状況だった。

気仙沼市の仮設の建設が報道であった。被災事態の状況は違えど、一日も早くの被災住民生活の確保が最大の目的にある。2か月後に仮設が建設され、その数は100戸で300人の生活の場を確保した。我が町の仮設建設の始まりは7月前後で、大きく時間の差はない。双方の違いはコンビニを隣接であり、気仙沼市は団地内に大手コンビニ会社に出店を依頼した。小さいながらもセブンイレブンが建てられ、被災住民が生活する事を助けた。普通は3000品目ながら、800点の直結する生活用品を販売した。

地主と建設会社との仮設建設の提案を、議員の私と3者で行った事を思い出す。勿論、買い物の場を200世帯の仮設に建設を考え、診療所の建設もその団地に計画した。少数の人間たちでも仮設に必要な物を設置する案は立てられる。南三陸町には100世帯前後の大団地仮設が8団地はあるだろうか、仮設に隣接の買い物の場は一つとしてない。気仙沼市のようなコンビニの隣接があったら、人口の一世帯・一人でも多くの流出阻止はできた。町が経費より難題であっても住民サ―ビスの考えで、大手コンビニに打診していたら、こんなにも長引く仮設生活者の大きな力となった。コンビニ会社は被災地救済を積極的に推進していたので、実現可能な行政対策だと思う。

気仙沼の仮設のコンビニは現在、高齢者などの買い物弱者の「宅配」も始め、市民から好評と言う。こんな話題がニュ―スで報道された。我が町はボランティアの受け入れや、話題性を重視した自治体活動が多く、義援金による公的施設の確保が多く見られる。
以前から私は、町民生活をもっと重視すべきと思っている。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:22 】

2014
10/15

石巻市は1.3m


生業の糧が南三陸町にあるが、胸のドキドキ感が今は無い。仲間も個々の生活で日々を送り、将来を決められないままで不安の中で、皆が暮らす時に贅沢と言われそうだ。「有言実行」で自分に課題を造り、その目標で今まで生きて来た。震災の混乱からの一日も早い脱出をめざし、多くの問題を背負いながらも、一歩一歩の発生する障害を取り除いて生きている。

昨日はしばらくぶりで気持ちのイイ、緊張感を味わった。場所は石巻の中州のまんがミュ―ジアム隣りの、被災した造船所での進水式だった。
南三陸町は黒崎・戸倉在郷・汐見・清水・荒砥・伊里前の、台風19号の襲来による冠水で、国道45・398が通行止めとなった状況で、米谷経由の三陸道で石巻の会場に向かった。
震災後に知人の誘いで参加した「海花日本復興の会」の、被災地で水産業支援で、アメリカで造船業で成功した福島出身の佐藤社長が、地元被災造船会社を手助けしての船舶製造を石巻から始めた。その第一号の「Good Go ET180 完成進水式」に招待された。第一号は静岡のオ―ナ―に引き渡された。決して漁民ではなくレジャ―としての購入と言う。実はこの会の出資者と後で聞いた。息子さんは南米のパラグアイの同系列の造船所で働いていると話す。造船所の少ないパラグアイでの会社設立で、昨年の同日に第一号の進水式には、国の大臣4名が参加し、大統領からの支持を受けたビデオが流された。パラグワイからの来賓もあり、世界的でグ―ロバルな構想に参加でき、「テ―プカット」もさせてもらった。
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「東日本大震災の復興は石巻から」が合言葉で、石巻市沿岸は1.3mも地盤沈下した、その門脇の小さなテントからのボートの製造ながら、震災から3年半で一つのステップを達成した。「突然の祝辞をお願いします」と言われ、震災から人との繋がり「絆」と、南三陸町も石巻も「海」で生かされた町です。水産業の多角的な船舶による人との交流の必要性を話した。宮城県の出身の衆参の全ての国会議員からの祝電には驚いた。100名を超える関係者の夢と希望の光がここにはあった。最後の万歳は、神様に・石巻復興に・ボ―ト進水に・海洋平和にと、「四唱」を高らかに唱和した。

心優しい人達の会に癒された。私は納得しない町の「復興計画」とのギャプに、この町で暮らし続ける自信が減少していく。石巻の被災した海岸線の家々が、そのままで残る中で、住民移転が着々と進んでいた。1.3mも地盤沈下した土地の再生よりも、住民の生活場所の確保が第一の、石巻市の意識の高さを感じ、町民生活を第一にと考えへの、町の行政の転換を今後も私は言い続けたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:57 】

2014
10/13

台風対策を


予定のル―トを今、台風は通過中だ。975hpaで最大風速35mと威力は少し収まり、上陸し偏西風に乗り速度を増し、明日の9時には三陸沖に抜けそうだ。各自治体が避難指示を出し、停電も各所に出ている。
今日は高校の仮設に用事で出かけた。登米市の知人が仲間2人の支援品も送ってくれ、それを高校仮設に持っていった。高校から西地区高台に続く工事用道路を撮影した。志高の裏山は大きく削られ、赤土が露出し土砂災害を心配する。「工事道路を高台造成後に活用はできないのか」、こんな問いが行政に出され、「13度の勾配があり危険で、土地の確保維持費など使用は考えられない。」と言う。町中の被災で出た瓦礫・土砂は幾度となく、積み重ねたり移したりと無駄な運搬が多いと感じるのは私だけだろう。
全国に出ている避難勧告は増え、気仙沼市でも避難勧告がラジオから流れる。「1000世帯1400人に」は例だが、独居世帯の多さに驚く、中堅の自治体は人数を世帯数で割ると、かろうじて2人以上となる。志津川の人数の把握に、災害公営は2.5人で、戸建は3人として高台移転の人口をはじき出す。もっと少ないのではと私は思う。
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写真は水尻川の新しくできる「国道45号」の橋工事です。以前にあった橋の位置で、元の川幅全体が基礎作りで埋められ、被災前に家だった陸地が川となっている。現在は秋サケの遡上のシ―ズンで、気仙沼市の大川のサケ捕獲が予想以上と言う。南三陸町は全ての川で捕獲用のワナの設置が今年はない。しかし、サケのふ化場の整備が完成すると言う。定置網や刺し網漁で捕獲したサケから、採卵し受精させ孵化させ育成する。故郷の川にきっと帰って来てと漁民は願う。
寒くなり牡蠣の出荷が始まった。震災前の3分の1まで回復したと言う。銀鮭養殖も「がんばる漁業」の終了となり、支援も終わり自活へと向かう。牡蠣養殖も高齢者の問題での牡蠣漁民の減少が、今後の大きな問題である。私が生まれる前から行ってきた「牡蠣養殖」、途絶える事はないが町の衰退で、伝統が築かれた継続してきたが、大きな企業の参入も視野に、行政は経営転換で水産物の維持を、考える時代が来た。
「登米市との合併」を県議会選挙の訴えた、今の現役町議会議員がいた。町の噂ながら行政も「登米との統合を模索」なんて、絶対嘘である。「志津川町」がなくなり、また「南三陸町」が消えるなんて考えたくもないが、時代は非常である。
いま、気象庁が「気圧が上がり熱帯低気圧になりつつある」と伝える。まだまだ警戒を怠ってはいけない。青森県のりんご農家は収穫に大忙しと言う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:11 】

2014
10/12

河川堤防へ


町の光景が一変する時期に来た。志津川市街地の嵩上げは10mに近づいているが、歌津市街地は何の方向性も決まっていない。行政の復興進捗に格差が生じている。
仙台まで毎日のように通過する戸倉地区、コンビニが解体され基礎部分が残るだけとなり、一時期の観光客・工事関係者のお昼の休憩場所となった「ほったて小屋」は、改装工事と思っていたら解体するようだった。戸倉の折立川の津波対策としての河川工事の為と、考えれば納得できる。
今日の写真は国道398号の対岸の助作の道路で、河川の雑草をブルド―ザ―で整備が進んでいた。八幡川は8.7mの河川堤防の整備が始まるのだろう。3.11の震災から5年間で復旧工事を済ませる、国の工期があるからで、後1年半となり急ピッチで整備が進められる。
国道398号の道路沿いの商店も、立ち退きが今年中とも聞く。そうしないと予定どおりの工期に間に合わない。これまでの工事内容とは大きく変わり、交通も益々混乱する事は間違いがない。一つのう回路でも来町者の混乱を耳にする。こんなにも町が変わる被災の自治体は、無い気がする。

今日も石巻と仙台に行く。発展してはいるが大きな変化は無く、通過しても安心感がある。

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2014
10/11

ス―パ―台風


紀伊半島から関東にかけて、台風18号は大きな被害を残し、改めて台風の怖さを実証した。その被害を踏まえその対策に、家へ台風防衛をするのは当然の事と思う。
南三陸町には、台風は茨城県から太平洋に抜け、偏西風に乗り加速し災害を免れた。今回の台風19号は前回の経路から、内陸よりで列島縦断の経路を通り、2004年の月に二つの台風と同じル―トを通る予想が気象庁よりだされた。2004年の台風は死者95名・不明35名の、人災を起こし甚大の被害となった。
今回の19号の衛星からの映像では、「台風の目」がはっきり大きくその異様な光景があった。ス―パ―台風19号は当初は900hp・風速85mで、このままだと窓ガラスは吹き飛び、電柱も傾くその想像を絶する威力と言う。現在は930hp
・風速50mで風対策を、既に沖縄の人たちはその防衛に動いていた。
昨年のス―パ―台風はその勢力を維持したままで、フィリピンを襲った。死者6000人以上を出し、高潮は海岸線の質素な民家を全て破壊し、大きな船が気仙沼のように内陸まで運ばれた。
南三陸町の沿岸には人は今は住んではいないが、現在も造船所や牡蠣剥き場が低地部に残るだけながら、高潮・満潮が重なり、それに強風も加わると海からは、津波のような波が陸地に押し寄せる事を警戒しないといけない。まさか「さんさん商店街」までは来ないだろうは、その甘い考えが命取りとなり得る。
自然災害の恐ろしさを、「地震」「津波」「豪雨」「竜巻」などで知っているのに、天災の情報を聴いていても、人間のその想定はまだまだ甘いようだ。防災庁舎のあの悲劇を思い出して欲しい。
今日は気仙沼まで用事で行って来た。三日町から気仙沼駅に向かう、右側の高台に住む方を訪ねて行った。家主は台風の襲来に対した、家の補強をしています。と話していた。対策して何も無ければイイし、災害警報も町民が心配するから防災放送を控えるなんて事は、これまでの検証から二の足を踏む事はしない。対策するに越した事はない。

現在暮らす我が家は高台で、周囲も家に囲まれて心配はない。仮設や施設への影響を懸念する。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:14 】

2014
10/10

ほっと1


ここ一週間は、仙台市・気仙沼市・登米市など、車に乗っている事が多く、長い時には6時間にも及ぶ。それが連日となれは、夜は毎日のように「爆睡!」である。そんな連日の日々で大チョンボをした。締結式や用事で一日走り回り、剣道指導に穴を空けた。夕方の安堵感からビ―ルを一口、その時電話が「先生今日の剣道は・・・」だった。10年を超えこんな事は過去に1回在るか無いかで、優しい家族に私は恵まれている。

運転中の携帯使用で被災の半年後に、警察の指導を受けた。この写真は黄色信号で止まった時に、前車のBRTの派手な町の宣伝ボディ―を撮影した。偶然に前方の右折するBRTも入っていた。
この場所は役場へ続く交差点で、現在の南三陸町の目抜き道路でもある。ここまで来ると「ほっと!」する。ここを右に右に左に曲がり、3軒目が我が家であり、1分と掛からず到着できる。勿論「海は見えない」、高台移転の会議で町民がUR都市機構や行政に聴くのは、「海は見えるんですか?」だ。
志津川市街地に住んでいた人の過半数は、「海が見える場所で暮らしていた」と言っても過言ではない。私も生まれ育ち58年間を、窓からの海、5分歩けば海に触れる事ができた。しかし、これからは高台が生活場所で、海と共に暮らしてきた高齢者は、海は怖いとの気持ちもあるものの、海への愛着はきっと強いと思う。
内陸部・登米市での生活の場所を決定した町民は、後ろ髪がひかれる想いで、生活場所を決めた事と思う。

今日も仙台です。

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2014
10/09

全国初


大阪府印刷工業組合東大阪支部と宮城県印刷工業組合本吉・気仙沼支部の全国で初めての「友好支部締結式」が、昨日、南三陸町歌津「コクボ荘」を会場に開催された。
この繋がりのキッカケは、昨年7月に東大阪支部の支部総会を、「被災地応援隊」として気仙沼市での移動支部総会が開催された。当支部が招待を受け2社の参加があり、被災地の現状を伝え、「東北がんばれ! がんばれ気仙沼!」と義援金を支部で募り、見舞金として被災支部に頂いた。
本吉・気仙沼支部は被災前に8社が加盟していたが、今回の地震と津波被害で、全社が大被害を受け6社が再建し営業再開したものの、2社が震災の被害が多大ゆえに組合支部の脱会となった。東大阪支部は42社が加盟し、大きな組織で被災地の支部との絆を結び、今後も支部応援を続け、互いに交流していきましょうとの趣旨に則り、友好支部の締結となった。

大阪より3名が飛行機で朝9時に仙台着し、8時に帰ると言うハ―ドスケジュ―ルの中でも、出会いの遠藤未期希さんの両親への挨拶や、防災庁舎への献花も毎回のように実施している。支部会開催の100名のイベントの、商品を南三陸町の10店以上から買い求め、大阪に南三陸町をアピ―ルしてくれるなど、「観光支援」「買い物支援」を続けている。昨日も多忙な中で地元の商店からの、お土産の買い物を欠かさない。

友好支部締結書(最終) (1)
宮城県本部より専務・常務も参加し、地元支部からは4社が集まり、9人の締結式で、交流会では民宿の豪華料理の数に皆が驚きながら、今後の友好の在り方について語り合った。祝電は東大阪市野田義和市長と南三陸町佐藤仁町長や印刷工業組合の府理事長と県藤井理事長から届いた。

支部長として被災後に役目を引き継ぎ、今回の「友好支部締結式」の場に立ち会えた事を光栄に思う。双方の市町のトップや府県からの祝電など大々的な式典となり、互いの友好の絆が、疲弊する全国の印刷業界の発展や交流に繋がればが、互いの支部長の願いだった。

震災から多くの人命や財産が奪われた、その中でまたこうした人と人との出会いや、助け合いの心が、全国の国民間で芽生えた事は、被災から得られた素晴らしい財産として交流を続けていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:58 】

2014
10/08

台風一過の青空の下で


平成26年10月8日は特別な日になりそうだ。歌津の民宿を会場に印刷組合の「友好支部締結式」が、大阪と宮城の支部会で関係者9人が集まり、調印式の開催となる。しかし、今から7時出発で仙台に用事があり、とんぼ返りで午後1時開催の式に臨む。その後で志津川に戻り気仙沼に向かい、帰ってから6時半からの剣道の指導に行く。

歌津のコンボ荘は大阪からの来客の常宿として紹介し、その繋がりで今回の会場をお願いした。昨日打ち合わせに行き、晴天となり伊里前の今を写真に収めた。新聞には「市街地予定地が凸凹」と見出しにあるが、何処の被災地も同じで、この光景の市街地を見守る「三嶋神社」から撮影した。震災から5年目・10年目の変化を、今後も紹介したいが身体がどうなるかは判らない。現在は整備を目指し先行測量と言う。

時代は一部の若者達に変調を来し、「脱泡ハ―ブ」の乱用があり地元仙台でも事故を起こした。屈折した愛情が猟奇的な犯罪となり、幼児の誘拐や殺人へと考えられない行動へと進む。北大の26才の男性はイスラム国への入隊を志望し、「人を殺害する事は喜ばしい」と、その言葉に真意を知りかねる。
昨夜の報道には日本の科学者三人が、「ノ―ベル物理学賞」を受賞した。発行ダイオ―ドの青色の発見で、色の三原色となり全ての色を作り出す事ができた。60才前後の科学者に85才の活躍に、この年齢でも大きな可能性の高さを感じる。

台風19号の発生も確認され、18号と同じコ―スが想定される。一週間ごとに毎回のように事件・災害が起こる。1ドル108円も今後の日本には大きな問題として懸念される。エボラ出血熱が世界へと増殖を続けている。平和な世界はいつ来るのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:29 】

2014
10/07

また台風19号が来る 早期対策を

台風18号が太平洋岸を駆け抜けた。2人死亡5名不明の人災が起き、愛知・名古屋・神奈川などに冠水や崖崩れによる被害が出た。名古屋は300mmを超える大水害は記録的なものと言う。
被災地宮城の被害は海岸線に発生し、女川町は1mの地盤沈下の復旧工事中の土地が、高潮と豪雨そして満潮が重なり、何処が道路か土地なのか判らない状況の中で大型トラック運搬がテレビで映る。最大風速も33.4mを女川で記録した。震災で大打撃を受け復興に向かう中での台風災害は、光と希望が見えてきた住民の気持ちを落胆させる。気仙沼・本吉の停電も2200世帯となり、台風で家にいる住民の電気の不便は、大きな不安へと助長する。
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南三陸町の被害は昨日の「防災無線」3時40分の被害報告では、戸倉の黒崎から折立そして旧警察署前から駅前までが冠水となり、また、天王前・伊里前も同様に状況となった。放送は注意しての通行を呼びかけた。通行止めは権現地区の倒木によるものだった。
全ての冠水場所は震災後も地盤沈下により通行不能となった場所である。病院前の国道が20cmの嵩上げがなったものの、震災から3年半が過ぎても冠水対策が講じられない現実はなぜなのかと思う。志津川市街地はう回路ができ、10mが土盛りされても交通の安全確保はできていない。こうした自然災害での問題解決を解消しない町は、「震災復興で手が回らない」と言うが、それは理由とはならない。
町の生活道路としての国道45号があり、「職住分離」を町再建の第一に上げるなら、新たな動線の整備もその視野に入れるべきと、昨日突然に来社した同僚議員は言う。多くの知識人が町再生のビジョンを私は聴くが、奇想天外とその提案に行政は耳を貸さない。「陸の孤島」と言われながら何年も経ち、高速道路ができたとしても人の流出は加速、観光客の流入もあるだろうが一過性のもで、その観光客持続の政策も年々続けないと、確保は難しい。
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震災から3年7か月が経過し、ボランティアの数や「震災支援」の観光客は、間違いなく減少し、事業再建の段取りをしている方々の、再会の時期に頭を痛めている。南三陸町で経営が成り立つか、5年後10年後を見据えた生活を考え、断念をした事業者の話を多く聞く。

前に進むも後ろに残るのも、大変な生活には変わりがない。私はいち早く再建はしたものの、将来への不安はぬぐいきれない。しかし、今は前に進むしかなく、こんな環境でも一歩前進したことで、「頑張らないと」と言う気持ちを強く持つ。決断の途上の事業所は、高台の土地が確保されれば、前に進めるが制度の変化や新しい支援制度など、アンテナを張り再建の手立てを選択し、少しでも心を痛める事無く、生業の生活を確保して欲しい。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:33 】

2014
10/06

台風接近何もないことを祈ります


震災後に台風や豪雨被害が発生している。南方・横山仮設が水害に合い、大変だったと報告を以前聞いた。それ以外の仮設被害は、私の耳には入っていない。町内の被災地は台風などの大潮や高潮があり、排水溝の目詰まりなどで、残った道路の冠水で町の交通が混乱をした。今回の台風は大型と言い、被害の発生を心配する。
月初めの町の資料に、土砂災害危険個所(急傾斜地)86カ所と、(土石流)130カ所が示された周知情報があった。全国で豪雨・天災での災害発生があり、危険個所として町が町民にあらかじめ知らせた。
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我が社はお陰様で商工団地内に会社を移し、仲間の声掛けで赤土の土地も、アスファルト工事を済ませ、今回の台風も心配からは少しは回避できそうだ。低地部にあった頃は台風の高潮で、玄関ぎりぎりまで海水が押し寄せ、その中に海の魚が泳いでいた。こんな考えられない現象が起こった。今は場所も高台で安心だが、二階からの志津川湾の風景が望めない事が寂しく感じる。町の現実を見れば贅沢ですね。

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2014
10/05

自衛隊さんありがとう

台風が来ている960ヘクトパスカルと、上陸台風としては今年最高と言う。
御嶽山の不明者捜索が難航している。火山灰のぬかるみでの急傾斜があり、火山ガスの発生を検知器で確認しながら、救出を待つ家族の為に危険の中を、自衛隊・消防・警察が不明者の発見に努めている。昨日は4人を発見した。
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自衛隊の活躍が「東日本大震災」以後、多発する自然災害での活動に、その存在の必要性がクロ―ズアップされている。救出に全力であたっているが、二次災害の発生を防ぐ事も考え活動している。「苦渋の決断」と過酷な活動を説明していた。
「集団的自衛権」が閣議決議され、臨時国会2か月の中で与野党の攻防がある。中国の進出や世界のゲリラ活動など、今後の世界の社会情勢に日本を防御するためにも自衛隊は必要と思う。中国の領土獲得の強硬な軍事行動があり、「日本は何もしない」との中国側の考えがある。北方領土のロシアの警備は、領海侵犯には発砲・拿捕など強硬な対応は、侵入者への抑止力として他国からの侵略を防ぐ。世界各国からの批判の渦中にある中国だが、領海侵犯の船に対し海上自衛隊が強硬にでても戦争にはならない。日本の国土を守る自衛隊の必要性を、強く感じるような、国の周辺事情なった。
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昨夜は映画「アバタ―」を3時間見た。自然の力と科学進化での侵略との戦いながら、未知の力を秘めた自然の環境に、描く内容の同感を得た映画だった。地球人が「エイリアン」と言われ、侵略者として普通の生活をする星を侵略すると言うストリ―だっだ。10年前ぐらいに特撮が話題となった映画だが、内容に引き込まれ0時の終了後も、2時までその余韻で眠れなかった。
昼間は戸倉経由で石巻の得意さんに仕事を貰いに行った。戸倉の折立の「セブンイレブン」が閉店していた。折立川の「河川堤防」への準備なのだろうか。志津川も旧クボの前にある焼き鳥さんも近々移転と聞く。震災の復旧工事は5年と期間があり、いよいよ国道と河川堤防の工事が本格化する。

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2014
10/04

登米市に南三陸町街ができた

地方の活性化はやる気のある自治体を国は応援する。そんな国の考えは特色のある町形成と、その経済効果で「消滅自治体」になるか、国庫支援しても無駄な町と判断される。
観光の町は水産・商店が先頭に立つ事となるが、多くの活気のある積極的な人は町を離れ、新たな環境で生活わ始めている。単独の私のような人間の小さな活動が、町に存在し結集する事で何かができそうな気がする。
海外からの観光客が85%の増加と言う大阪府、10月からの免税の緩和策は5千円以上となり、食品などが減免されるからで、その効果は空港の近い都市へと効果が直ぐ現れたようだ。観光客の誘致に「我が町」は他と競える利点は、私には何も見当たらなく、観光立町としての想定は既に狂い始めているように感じる。
南三陸ホテル観洋そして気仙沼の阿部長商店の協力が欠かせない。歌津韮の浜出身の会長さんの生家もあり、一代で築き上げた、そのグル―プのクロ―バル戦略のノウハウをお借りし、海外観光客の誘致は重要なカギと私は思う。靴のはき違えが大きな影響として、町経済に波及しない事を願いたい。独りよがりの集まりの一握りの人による、町づくりの想定は良い方向には繋がらない。

登米市に「南三陸街」が出きつつある。大きな復興計画の予想しない状況が、登米市の人口減少阻止政策として、26年6月1日に工事が始まり、今月20に完成を目指し、もう一か所の市役所近くに建設が進む。大きな災害の無い登米市、建設会社の充実での工事の速さに驚く。

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登米市の災害公営住宅を見に行った。町民の方の情報どおり、一期工事は20日までの工期で進んでいた。多くの建設業者の車が現場に張り付き、仕上げ工事にあたっていた。
登米市の建設会社が9つの工区を落札し、一つの会社が3つぐらいの現場を持つ、登米森林組合が元受となり、地元の建設会社に委託しているようだ。南三陸町も森林組合連合会経由での、住宅建設ながら住宅の建設の形は、大きく違っていた。写真を撮っていると声を掛けられた。「私もここに住みます」と言う。新井田に暮らしていた知人だった。私は震災後に多くの人への帰郷再建の手助けの、情報提供をしてきたが、もう気持ちは登米市のようだ。
南方一期仮設の現状は驚く。300戸と150戸の一期二期の450仮設があり、マイタウン誌は300枚の配布で全てが終わった。10軒並ぶ仮設で6軒が「空室」には、こんなにも町民の流失があるのかと思った。今回の登米市の災害公営住宅建設で、28世帯が登米市に移転となるのか。帰り津山総合体育館の仮設は「空室」は、数えるくらいしかなかった。ある方は「自分の菩提寺がある、それを守る為に南三陸町に帰ります。」と力強く話してくれた。
こうした人たちの心が折れないよう、被災者支援・心のケアをもっとすべきだが、自分の事が一番の行政体質であり、町の為の復興計画に私の眼には写る。
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2014
10/03

登米市にいくわな!


志津川小・志中・志高の仮設に「マイタウン誌」を配布した。仮設のネットで仕切られた中では、子供たちが運動と部活に励んでいた。志中のちょうど野球部の練習中で、その中間にはボ―ルの防御に高く網が張られ、ネットは灰色で、子供たちの元気な姿が良く見えない。子供たちの元気な声を走る姿を、高齢者は今後の励みと希望に必要と私は思う。
志津川小学校から八幡川の旧助作の道路を通ると、「はぜ釣り?」の竿が5つ6つとあり、平日なのに仮設暮しの人達だろうか。仮設に「空き室」は3つの学校内は大きな減少はなかった。
昨日は登米市の南方仮設の半分を歩くと、大きな変化があった。仮設内の移動が沢山見られ、道路側の蔭の方から、集会所の表の方の空家に仮設を移した人も多い。仮設の空室も大きく増えていた。4・5人の方から話を聴けた。自己再建や体の関係で仙台などに移転すると聞いた。もうそこまでの28年には戸建の土地と災害公営の計画が見えてきているのに、被災者の高齢化と2年間の月日が長いと、仮設生活者は「終の棲家」を求め行動をしていた。
登米市はここ半年で、南三陸町の被災者の為の「災害公営住宅」の建設を進めている。3人以上の22戸と2人以下の6戸があり、22戸の二階建ては完成し移居へ、平屋の6戸も来月には移転だと言う。また、南三陸町民が減る。今がチャンスと布施市長は人口減少対策を講じ、それが確実に成功へと向かっている。
今日は横山と柳津と南方にまた行く、人口の減少の現実を目の当たりにする事となるだろう。
昨日は自己再建のロ―ン補助の確認に、行政職員が来た。8月4日に申請書を出し、高齢と病気でロ―ン内容が変わった事も、補助金の支払いが遅れている理由だろう。しかし、自己再建が予想以上に進み、書類整理も増加している事も支払いの遅れの要因になっていると思う。
資金の確保に苦しむ私には、本当に助かる。昨日通帳記帳したら、県と町からの義援金が3種類に分かれ「39000円」も振り込まれていた。これも全国の皆さんからの心遣いに感謝である。そんな中で被災後の自治会で、あの人もお金・・・、もう聞きたくもない。

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2014
10/02

地域の情報に注目を


今日の一面には気仙沼市議(62歳)が、飲酒運転疑惑で「議員辞職勧告」を受け、市議会の全会一致で決議可決となった。しかし、本人は議員を辞職はしないと言う。勧告の効果は強制力はないようだ、今年の選挙で新人として当選した。事件発覚は議会への「投書」であり、本人は「記憶がない」と言う、自分が一番解るし支持者の気持ちは複雑だろう。残り3年半をどう議員活動してくしのだろう。名前は地元紙に載り事件は有名となった。

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9月20日の紙面には南三陸町の名前が躍る。町長らが観光客誘致で台湾へ、震災支援の台湾PR」とあった。病院の建設への支援があり、観光都市を目指す我が町の来客誘致が必須だ。だが、想定どおりいかないのは町長が一番知っている。医師の誘致問題も10年以上も経ち、被災地「南三陸町」と有名となっても、常勤の医師の確保は順調にはいっていない。次に「全国から語り部集う」があり、27日から3日間南三陸ホテル観洋に300名が集まった。震災教訓「語り」の力で後世へ、観光地化へのステップだろう。「あさひ幼稚園」の園児が呼びかけ、「運転気を付けて」とドライバ―に、「ほほえみ作戦」は良いアイテ゜アだ。「南三陸産米出発式」があった。今年は天気にも恵まれ、豊作で品質も上々と作況指数も105位だった。「地元の人たちにこそ味わって」と、JA南三陸は話す。

三陸新報には南三陸町の記事が満載ながら、震災で新聞の志津川営業所も流出し、住宅建設の住民の再建もままならず、新聞の地域の配布はまだ難しいようだ。こないだ「北海道新聞」の記者に学校で声を掛けられた。復興途上の被災地の教育環境の状況の取材と言う。

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2014
10/01

何かが起こると予知していたような行動

2003年から新しい会社の事業展開として、自分が取材したり、地方紙から抜粋したりした記事や、町の行事・自然を掲載した「マイタウン誌」として発行を始めた。第一号は表紙に志津川新漁港の全景と、志津川中学校をカラ―で紹介し、2003年6月からの町内の出来事の始めには、大森地区で一戸全焼があり、志津川中学校の世界で起こる災害に募金活動をしているや、志津川・歌津の合併への「本吉南自治研究会」が設置され、これから合併へだった。

初めは同級生に町の変化を伝えるから始まり、多くの好評を受け事業拡大へ繋がると思い、ペ―ジを増加し多くの人たちに見てもらおうとの、気持ちで現存「第26号」の2009年の10月までの、町の動きの情報が残っている。大震災が2011年の3月で、一年間で4冊の発行で、3か月ごとを町の出来事があるが、会社の全壊流出により、その間の27号以降の4冊のタウン誌は、作成したはずだが欠号となってしまった。

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26号には歌津の産業まつりの餅まきの光景があり、街なか交流館のテ-プカット風景が残った。25号には八幡川の灯篭流しと、志津川高校の夏祭りの「トコヤッサイ」や駅前の「仮想行列」がある。24号は小森地区の「三陸道ル―ト」地区として風景を紹介し、志津川湾の自然風景と海の宝庫を伝えていた。23号はサン―オ―レ袖浜を暗い内から、個人的に清掃活動をする二人の姿を紹介し、年末年始の風物詩の「おすばで奉り」と「消防出初式」の光景を紹介した。

世間から注目もされないで、自分の「志津川の良さを伝える」の事だけに終わった気がする。しかし、今となれば自分の「マイタウン誌」であり、南三陸町★大好き! と自分の郷土愛を貫いた。結果的には高台に残った貴重な志津川の6年間の資料として、その風景や出来事を残す事となった。
今後の構想として、志津川市街地で流出した自宅・工場跡地の、嵩上げ10mと同じ場所が換地され、その場所で「震災前の志津川」と「震災の復旧から復興までの町」を、町民に来町者に伝え発信していきたいと考える。過去を振り返り学ぶ事が大切と、亡くなられた人たちを忘れない。こんな事を後世に伝えたい。


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