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ARCHIVE - 2014年09月

2014
09/16

新天地で再建への挑戦


登米市の建設会社さんの温かい支援を受け、土地確保から早期住宅再建と、一歩ずつ新しい環境での、一つの家族の再建への姿を見てきた。
両親の為に子供の為にと住宅建設を決め、この親戚筋の上棟式に少しお祝いを持って行って来た。上棟神事そして餅まき、祝いの席で家主は「今後とも宜しく」と頭を下げた。ここが平時・南三陸町なら、多くの知人・親類が集まり、近所が一つになりお祝いの言葉で包まれると思った。
志津川からは私と本家が参加した席、子供たちの成長に驚く。あれから3年半が経ち、小学生から中学生に、三世代6人が南三陸町から、苦渋の決断で「子供たちの為」と登米市での生活を選んだ。町の再建を担う子供達、家族には兄弟がいる、その兄弟の孫・ひ孫がもたらす町への経済効果は計り知れなく、一握りの仲間や一部の業種を守る為に、大きな代償を、町の復興計画・トップの震災再建対策が生んでしまった。中田地区のこの周辺には戸倉地区からの移転の方も多く、その家族構成も3世代が多い。今度は病院の個人開業の計画もあると言う。
年老いた両親も生まれ育った志津川に住みたいとの願いも、孫たちの教育問題や家督の判断に将来を託した。良く聞く話に「ア―パト代」「災害公営住宅代」
など、今・そして今後の経費を考えると、50歳台の内にこれからの生活の基盤の、住宅再建を再建補助金の活用できる間に、建設への決定をした。
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驚く事があった。登米市の建設会社の社長さんの支援を受け、3か月の11月には入居できる建設期間、働く大工さんが志津川出身と聞いたことだ。建設会社事情はいったいどうなっているのだろう。住宅建設が決まり、金利補助のロ―ン申請から内定までの期間で、木材のきざみを済ませ、一気に住宅建設をするため、建築期間が各種建設メ―カ―から比べても早い。私の建設会社は名古屋で、契約書を交わしてから基礎工事があり、県内の工務店が棟上げまでして、その後から内装工事の関係の地元業者を探すと言う、ずさんな工事計画となり11か月も、尻を叩きながら引き渡しまで漕ぎ付けた。
顔の見える建設会社としては、登米市の社長さんは間違いのない方と思った。施主の足元を見た悪徳業者が沢山いる中で、再建の住民の空きを見て多額の建設費を迫る。人から情報を聴き、地元密着の建設業者に建設を依頼する事で、不慮の被害を回避できる。なけなしの貯金で被災者は生きている。
復興庁に建設の悩みを受ける相談部署はない。何が「被災者と寄り添って」だろう。県もお金に関する事への介入はしない、「民民で裁判して下さい」と言う。誰も当てにならない現状に、地元がバラバラとなり、誰にも拠り所を見いだせない現状に、仮設で住む高齢者は悩んでいる。6月末の新聞に仮設孤独死112人が掲載されていた。県で宮城が51人と一番で、実態把握の仮設巡回「福祉士」も、ピ―ク時の半分になったとも聞く。被災地の各自治体でもその住民対応への違いを指摘する。

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