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ARCHIVE - 2014年09月

2014
09/12

私の部屋から見た秋の青空


仕事が無く、何もしていないとすぐに眠くなる。仕事があると言う事は幸せと思っていいのかな。市街地の赤土も・仮設の生活も・大型トラックの姿もない、こんな時が必ず、南三陸町志津川の「我が故郷にくる!」と信じて今を生きている。町民の皆さんもそう信じて、様々な土地で場所で今を暮らす。しかし、今日の青空は皆さんの所まで続いている。

昨日は今年の初サンマを買いに「さかなのみうら」に、1匹150円のサンマを氷の入った発砲から、大きい物を4本社長さんは選んでくれた。その足で横山仮設の恩人に物資の「長野の米」を持って行った。90歳近い年齢ながら笑顔で元気に迎えてくれた。震災後に荒町でお世話になった工場のあった場所へ、何も変わらなく農作業に励む「お父さん」が、荒町の大火後の再建経過を教えてくれた。「備えあれば憂いなし」、当時火災保険に入っていたのが、自分を含め2人で「50万」の保険金は今の100倍との話に、「うそ―」と、今と過去の現実に驚かされた。
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朝、福島の畜産農家の方の震災からの頑張りに、仲間が感謝の言葉を送っていた。原発後に町からの退去勧告となり、地元の銘柄牛を守ろうと千葉県に、5年間の期間で牛舎を借り、自分の牛のみならず仲間の牛も引き取り畜産を続けた。その子牛がメス牛としてまた子供を産んだ、その牛の飼い主の名前が牛舎に書いてあった。すでに飼い主へ買い取られてはいるが、仲間の牛を責任を持って育て銘柄を守っていた。しばらくで帰宅許可が始まった我が家へ、3年半経つのに「放射能汚染」は、自宅の除染はこれからで、牛舎・牧草地の今後の除染はまだ決まってないと言う。牛舎を見つめ「むなしい!」と思うしかなかったと言う。夜に畜産仲間が集まり、「あの時の牛を手放した事」「自分の牛は」と、震災時の畜産仲間が頑張って下さいと、ビ―ルでエ―ルを送り、地元の銘柄牛を守って欲しいと託した。
こうした皆さんから比べれば、私の家の伝統の継続など、なんて事は無い。しかし、これがある事で私は頑張れる。

今からサンマの塩焼きの仕込みをし、父親の昼食に間に合わせたい。小さな幸せが普通の生活にあった。
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