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ARCHIVE - 2014年09月

2014
09/02

おくりびと


先週末に知人を訪ね林に国道から入った。同級生の土地は雑草で昔のたたずまいの面影は無くなっていた。そして、ここまで津波が襲来したのかと、再度驚かされた。被災し地道に生活をする家々も見られ、震災の戦いはまだまだ続いていた。
親戚の「納棺」を初めて見届ける事となった。葬儀屋の専門の方が1時間掛けて、死に衣装と化粧をする。献身的な一つ一つの順番を、汗を拭き拭き家族が見守る中で、棺に納めその仕事を終えた。
「おくりびと」が映画の映像で流れた時に、その俳優の無心に葬儀の儀式をする姿を思い出す。昔から続く死者への最後の仕事であり、私も祖母と叔母を送ったがその記憶はなく、今回は無事に納棺まで手伝った。

以前親戚の叔父が「覚えておきなさいよ」と、町への報告や火葬、お寺への連絡などを12年前に教えてくれた。「死亡診断書」や、寺への報告は役場に「死亡届け」をだし、「死亡証明」の発行を町から受け、それが火葬証明書となる。叔母の時は町から死亡見舞金として直ぐに出たが、今回は後期高齢者であり県の連合会からの振り込みと言う。私の父と同じ大正12年生まれの「91歳」の天寿の全うである。
本家が絶えてそこから出た千葉家と芳賀家があり、互いに本家として事在るごとに変わる。高齢となった父は人前では饒舌だが、出る事を嫌う。車で出る事と歩くと体が疲れるからと言う。90歳を超え私と二人で住み、母は施設生活で一人世帯という、施設で暮らす事は世帯的にはそうなる。この介護制度の在り方も私としては納得がいかない。母も大正12年、施設ではまだまだ元気のようだ。

友だちと若い頃よく酒を飲みながら話した事がある。「50歳で自分たちは終わりだな」と、しかしながら私は親を「送り出す」役目が家督として残っていて、住宅のロ―ンも72歳まである。こんなに生きる事となるとは夢にも思わなかった。
3日での葬儀までの日取りが決まり、仕事は従業員にお願いした。急ぐ仕事が切れた9月あたま、安心して火葬・葬儀と手伝えそうだ。

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