ARCHIVE - 2014年09月

2014
09/30

仲間意識・友人愛のドラマ・・家族愛


4日目になった御嶽火山噴火、命からがら下山した皆さんの当時の、緊迫した避難行動と、仲間を助けようと噴石の中で、声を掛け蘇生の心臓マッサ―ジ、登山中の300名の一人一人の避難のドラマに、人間愛の形の「素晴らしいさ」行動に感激した。家族の消息不明に「早く情報を」と言い、看護師の女性の母は、娘は自衛隊の看護活動も経験し、こんな事が起こる日が来ると思っていたが、少し早すぎます。」と話す。恋人・息子・娘・家族、そしてまだ小学生もいた。

140929_221403.jpg
当日の御嶽山の紅葉と、山・青い空・秋の風景が感動的に素晴らしい。こんな光景が一変しての大噴火だった。こぶし大の噴石が降り注ぐ中で、九死に一生の状況があり、1㎝の噴石でも命を落とすと話す専門家の説明は、時速200Kのスピ―ドの小石が凶器となると言う。噴火口付近で3人の仲間との登山で、2人が下山したのに我が子が帰らないとの現実があった。仲間の二人の救うための行動は、噴石により足の骨が折れたとの報道があったが、しかし、噴石は足を切り離すまでの怪我だった。心臓マッサ―ジを最後まで噴火の中で続けたが、女性が息を引き取るのを確認し、二人は急いで下山し助かった。
多くの生活ドラマがあり人々の愛で、皆が生き日々を暮らしていた。自分だけがイイとの考えで生きる人も、仲間以上に多くの人々の「お陰様」で生かされている事を知らされた。

スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:25 】

2014
09/29

危険への気配りをしていても


神様も仏様もないのかとの気持ちにさせる、御嶽山の水蒸気噴火だった。安否不明の家族の身内の思いに、何とも言えない気持ちになった。
結婚間近のカップルや、息子の消息に何の情報も無いと、只々待つだけの家族に厳しい状況が伝えられた。
31名の心肺停止の登山者の発見だった。「こんなにも山頂に残っていた事に驚いた!」。ガス発生の危険から4名の、へりでの搬送で4人は死亡が確認された。残り27人の微かな可能性も消すかのような、厳しい結果をどう家族は受け止めればいいのか。

週末の秋の紅葉時期の絶好の時期であり、晴天でお昼の沢山の人が山頂に登頂し、御嶽山の噴火口を見ていたそのタイミングの、7年後の自然の火山噴火災害だった。何処にその無念さをぶつければいいのだろう。少女殺害事件も、少女の両親は我が子の「冥福を祈るだけ」と、整理の付けられない心情に苦しんでいた。
自然災害から人類は逃げる事はできないのか? そんな災害が発生周期を短くして発生する。その災害への防御はできないのだろうか。徹底した家族間の災害に合わない為の話し合いで、「自己責任」として納得がいければ、悲しみも薄れる気がする。
趣味の登山ながら、釣り船・ゴルフ・旅行などの、車・乗り物での移動事故もあり、危険は何処にでもある。どう人生を「生きて来たか」「生きているか」、その途中で何かが起こっても、納得の行く生活を私はして生きたい。私もしたい事は全て自己責任でしている。一人だから言えるのかもしれない。けど残された家族はきっと悲しむだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:08 】

2014
09/28

のれて腹からジョ―クに笑えた一時だった


コンサ―トではミュジシャンの話と、会場が一体となる雰囲気が私は好きだ。たまに来客と食事に行く店が、近い事もあり沼田地区の「リッチ―」さんに行く。来店した時にコンサ―トのチラシをもらった。「木内秀信」特別番外「ミニライブin南三陸」と題され、食事しながら歌を聴きに行った。
リッチ―さんでのミニライブは何の宣伝も無く、無料でのコンサ―とで、30名余りの来客の中で、ト―クに木内独特の歌風に感激した。キイボ―ド・ギタ―・パ―カッションのバンドを設え、木内のハ―モニカから始まった。「晴れた空」「キンモクセイ」やドリカムの「あの夏の花火」など、バラ―ドからテンポのある歌まで、来場者は一曲ごとに盛大な拍手で応えた。また、彼は声優でもあり「テニスの王子様」の忍足侑士役をしていると言う。

今回のライブには人と人との繋がりから実現した。店で働くボランティアの店員とパ―カッションの方がメンバ-と知人と言う事で、仙台のライブの前日に南三陸町に来てくれた。木内も阪神淡路の大震災体験者で、被災地支援に来てくれた「沖縄自衛隊隊員の姿がかっこく、迷彩服にあこがれた。」と話す。震災直後に南三陸町にも沖縄自衛隊が被災地支援に来てくれた事もを思い出す。何かの縁があった気がする。
来場者には長崎・岡山・東京からと各地からのファンもいた。13時間掛けて被災地「南三陸町」まで来ましたと、観客とのト―クで解った。被災地の為に支援ライブで町外からの来町者はありがたい。

「すいません」とお客さんのオ―ダ―の声が掛かる。木内は「ナポリタン」と、ライブ途中にも関わらず、店の営業にも応援する気持ちを忘れない。目の前の何気ないやり取りに、ビ-ルも少し入りほろ酔い気分で笑えた。4曲目あたりで帰り、会計でアルバム「桜の花」を買い求めた。途中退場だったのでサインしてもらい後でCDを撮りに行く。これが木内さんに出来る恩返しです。

こんな昨夜ながら、御嶽山の爆発があり不明者・怪我人が出た。27日11時52分の噴火で、当時の登山者のスマホ撮影には火口に立ち並ぶ人々の姿があった。長崎県雲仙普賢岳の大火砕流での災害で40人・70人?からが、発生を予測しながらも想定外の「大火砕流発生」となり犠牲となった。議会視察での記念館に行った事を思い出す。火砕流は100度を超える高温と言う。御嶽山でも火砕流発生とはいっていたが、後に火山灰と噴煙で、その噴煙にまかれながらも死者は無かったようだが、河口近くの人が7人不明とか4人が火山灰に埋もれているなど、今、救出調査に自衛隊・警察・消防団があたっている。300名の登山者のうち、昨夜では230名の確認となったが、70名を今確認中と言う。
自然災害が週ごとに被害を国内にもたらし、デング熱・少女不明殺害・自然豪雨災害と、新聞紙面に踊る。
夜9時からのNHKの「岩沼の住民高台移転」の活動のドキュメントがあり、やっぱり町の復興の計画は、行政の計画主導で住民の考えの高台再建への提案が、比べるとまるで含まれていない。岩沼でのこの地区での町づくりは、100%と言っていいくらい住民の意向が取り入れられていた。町民が動き町民の資金の支出も避けられないと、岩沼の300世帯もの住民の高台移転の姿が見られた。震災後の地区住民の集まりは120回と驚く数字で、県内一番で土地の造成となり用地の引き渡しが進んでいた。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:35 】

2014
09/27

静かに歩む


今週は台風の通過があり、町に最大接近の朝に、交通安全のブラカ―ドを持ち、商工団地の信号機の下に立った。昨日は石巻日赤に、夜は中央区のまちづくり検討会の傍聴に行った。今日は10時からの志津川災害公営住宅の説明会に行って見る。140925_074650.jpg
女川町の共産党議員の二人と無所属の議員3人で、2500世帯に「原発稼働有無」を問うアンケ―トを、自分達独自で始める事を発表した。
町議会の縛りの中で活動が制限されている状況で、独自の調査を実施する。「住民投票」「国民投票」が実施されるには多くの問題がある。政府も「18歳の投票権」「憲法改正」「集団的自衛権」など、国民の民意を確認するよりも、国民から選ばれた事実を盾に、「国民投票」には消極的で、民意を問うのは「衆議院解散」と総理も声高に言う。スコットランドの英国からの独立は、「住民投票」が世界から注目を浴び、賛成が45%で反対が勝利したが、敗れてもこの活動は多くの利益を賛成派にもたらした。
女川原発2号機の稼働を東北電力は、昨年12月に規制委員会に審査を申請している中で、今回の町民への稼働の賛否が問われる。
災害公営住宅・祈念公園の維持費や管理費など、今までにない町経費での維持費が求められ、これまでの病院の維持費の年3億を超える負債解消など、経費削減は優秀な人材の確保が最大の解決方法で、国をあてにした財源の確保だけでは、町の存続はない。女川町の共産党議員の活動を注視したい。
石巻地区の土地の無償での30年間、被災住民への貸し出しがあるのに、等価交換での土地の提供もなく、土地と住宅の建設と生活費の捻出は、住民にとって厳しい生活再建となっている。我が町の現実と、何故、仙台・石巻地域の違いがあるのか。それをただした時「無理です」との、答えしか町からは返答がなかった事を覚えている。
昨日、石巻日赤で志津川町民とあった。長引く仮設暮らしで、土地買取の資金も8年間と言われる、住宅再建までに「お金が無くなってしまう」と嘆いていた。被災者の取り巻く家庭環境それだけでなく、もっと多くの問題を抱えているという。
今以上に住民の事を深く考え、支援していかないと大変な事になる。私とて他人事ではないと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:44 】

2014
09/26

町税増額・住民サ―ビス低下


千葉県富津市の市長が4年後に「財政破たんする」と市の今後を示唆した。「財政再生団体」として夕張市が有名だ。それに次ぐ破たん自治体への今を分析する。
近年は4~5億の黒字財政ながら、東電の原発による税収があったものの、東電の厳しい会社経営から、今までの税収が確保されず、4年後には6億円の赤字財政に転じると言う。こんな所にも電力会社の原発問題の影響がある。女川町とて今まで原発立地の恩恵を受け、平成の合併無しに町として存続してきた。今回の住民意向の結果次第では、町が無くなり今の議員としての地位も無くなる現実を理解し、この行動は町民の安全と生活の新たな安定への取り組みと私は思っている。

一般財源の4分の3が人件費となる、富津市の財政の見直しが必要と、市財政の改革なしには市の存続は難しいと言う。財政の厳しさは市民税の増額となり、住民サ―ビスの低下となる。市は限られた財政で町民サ―ビス運営となる。
我が町も新しい町づくりは多額の復興交付金で再建されるが、今の人口減少や新病院の維持費など、財源の確保を今から講じている。震災公営住宅の大幅の増設による維持費もある中で、素晴らしい行政施設や観光施設の整備で、町の財政の確保は厳しいと今後を懸念する。
町の人口・規模や町民ができる事を分析し、町の在り方を町民と共に考えないといけない。一般財源の最大の支出は職員の人件費は何処も同じで、どうこれを削減するか、職員への報酬の減額を理解してもらうかなど、町の取り組みが必要だ。被災3年半から5年8年と進む中で、町の安定の為に方向性の修正や、限られた税収と財政の確保の把握をし、行政の運営をしないといけない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:33 】

2014
09/25

自分の小さな構想がほころび始めた

26年の最大の目標とした、工場の移転と自宅の建設完成移転があった。住宅の建設については業者の不誠実な対応に苦しんだ。建設当初から進まぬ住宅建築があり、遅くても25年度内が、26年の4月17日の引き渡しとなり、今も業者が苦情に応じない。会社に在りとあらゆる出来る限りの、各機関への解決方法の問いかけをしている。被災地の今後の大きな問題に発展しそうなのに、その対応が他の部署に回すと言う、国の対応の不備があからさまに見え、そう私には感じる。CIMG8514.jpg
140921_103648.jpg
商工団地内の我が家があり、ここには自宅としての住宅も少なく、メイン道路から一本入った場所で、夜になると街路灯も無く真っ暗であった。住宅ができ先輩のアドバイスで自動販売機を置き、その明るさで防犯対策を講じた。人の通らない場所に自販機の販売は厳しく、設置会社で引き上げたいとの話があり、「仕事での無理に無理は言えないね」と撤去した。この場所の殺風景に「オリ―ブ」の鉢植えを置いた。暗さは反応式の街灯を買ってきたが、外壁への設置が固くて自分ではできなく、知人に設置をお願いした。これで問題の一つは解決した。

殺風景な自宅兼会社に何かをと思い、夏ごろに「ミニトマト」「ナス」「オクラ」などの野菜を植え、収穫も終わり自宅から緑が消えた。それも在って鉢植えを買い植えた。小さなプンタ―に赤と紫の花を植え、鉢植えは自宅の事務所の玄関にも置き、少しは白黒の固い家が、チョットしたアクセントで柔らかくなった気がする。
140921_105846.jpg
140921_103624.jpg
震災の3年半を過ごした愛車「ビアンテ」も、傷だらけで昨日は足回りを修理した。その前には左前灯の玉が切れ交換した。タイヤは内側部分が減り、ワイヤ―が見える位タイヤのゴムが薄くなっていた。中古タイヤを探してもらい交換した。新品は4本で8万はする、中古は履き替え代を入れ1万で済んだが、今シ―ズンで終わりだと言う。車の至る所の消耗があり、車体はキズだらけと言っても過言ではない。一つ驚いた事がある、エンジンオイル異常のランプが点灯した。それでもオイルを継ぎ足し走った。後輩の車整備士に聞くと、車にも悪いし燃費も若いから交換した方が良いとのアドバイスをもらった。オイルエレメントも交換した。仙台までの往復2回で50リッタ―は無くなる。交換してからの燃費は別段に変わった。節約したつもりがそれ以上に経費が掛かっていた。

一つ一つ問題解決に取り組むが、預金は見る見るうちに減っている。これが被災者の現実だろう。東大阪支部の昨年の義援金の配分の「一万円」を、支部会員に送り昨日着いた。御礼の電話に「驚きました」の声が返ってきた。気仙沼市の同業者も「大変です」と話す。お得意様の減少と、再建が進んでいなく仕事の無さに苦しんでいますと言う。同業者の被災地での再建は本当に厳しい。行政の仕事なしには経営は成り立たないのが現実で、復興特需の会社との係わりがないと、町の事業所の被災地の苦悩は消える事はない。

震災支援から自立の途上に今ある。しかしその現状は震災から抜け出せない人たちが沢山いる。被災者緊急雇用が今年度で事業終了となる。南三陸町の1063人の職が無くなる。水産・建設などの求人は多くあると言うが、その雇用体系は厳しく、皆が職に就く事は難しい。国の「脱困窮」事業を、被災地に先行導入すると言う。国の仕事は規制も多く、生活困窮の救済には時間と緩和策が必要だ。
兵庫県の小学1年生女子が、無惨な姿で発見され、容疑者も逮捕されたが、生活保護・知覚障害者と言う。複雑な気持ちだ。47歳男性一人暮らし! 日本の将来の姿が垣間見れる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:11 】

2014
09/24

NHKの志津川病院の検証


昨夜の「志津川病院の震災の現場からの検証」が、夜8時から教育テレビで自治体病院の震災対応と、緊急拠点病院の石巻日赤の震災時の活動により、今後の医療機関としての「防災対応の在り方」について、震災現場の菅野医師の証言を元に検証をしていた。映像は病院への津波襲来の映像で、サンポ―トと今も残る「高野会館」の間を、津波が勢いよく志津川病院に向かい押し寄せる、初めて見た映像に、現場の危機感が伝わってくる。

このNHk教育の「医療機関の検証」の放映に関して、仙台局の方から志津川病院の震災前の写真を探している中で、私のブログに震災前の病院の写真があり、「使わせてくれませんか」と、担当ディレクタ―から連絡が入り、「被災地の為になるなら」と快諾した。後に別な所から写真をお借りしましたと、再度連絡があり、「23日の夜8時放送です見て下さい」と、電話を切る度に話され昨夜見て、ビデオにも録画した。

その中に千葉茂さんいた。震災前から良く我が社に年賀状を注文されている方で顔も知っていた。脳梗塞で入院中に津波が病室を襲い、患者の3分の1が職員の人力により屋上に運ばれたが、千葉さんは病室に残る事となり、津波が引き病室で波に巻かれても生存していた。10人が津波の中で生き延びていた。12日に当地方の緊急病院の「石巻日赤」に自衛隊のヘリで搬送された。病院には平時の10倍の患者で埋め尽くされと言う。限られた医師・看護師による患者対応は困難を期した。そんな状況下で「トリア―ジ」と言われる診察手段を取った。生死の緊急を要する患者や、既に治療しても助からない方、まだ大丈夫な方に分類し、重篤な患者からの治療をしていく方法だった。千葉さんは「黄色」の紙でまだ大丈夫の判断が下された。しかし、6日目に亡くなられた。当時は津波よる怪我人よりも、介護の必要とする患者が多かったと言う。当時の日赤の看護師は「緊急搬送者」への、トリア―ジの治療順番に悩み苦しんだと話す。
140923_201743.jpg
志津川病院での入院患者は106名で、菅野先生は「一人・一人と息を引き取る姿を見届けるしかなかった」と言う。屋上には患者職員「63人?」が津波を逃れ、寒さの中で7人が息を引き取り、14名が12日に石巻日赤に搬送された。総数が35名あり一週間市内で4名が亡くなり、志津川病院からの14名搬送のうち4名もが後に亡くなられた。

震災から3年半が過ぎ、震災の検証は時間が経つ事で記憶も薄れ、検証により将来の防災体制の新たな構築へと繋がる。防災医療センタ―の医師は、災害などの緊急時の医療の在り方は、こうした情報の収集分析される事が必要で、現実に見合った体制づくりが出来ていくと言う。

拝啓NHK仙台支局様、多くの町民が亡くなった公立病院の検証が、こんなにも今後の防災にプラスとなるなら、南三陸町の防災庁舎の津波襲来時の職員・町長の行動の検証を、関係者の記憶がまだ残る内にして欲しい。自治体の防災体制の新たな指針となるよう、国営放送として南三陸町の防災庁舎の本部体制づくりは、どうだったのかを検証する事が必要と思う。全国の自治体もきっと「検証結果」を待っていると思います。屋上での出来事を職員の行動を検証し知る事や、その町民として当時を見つめる義務がある。町民の為に命をかけて、町を町民を守ってくれた職員の事を!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:39 】

2014
09/23

逃げ得は許さない


愛知県豊田市の違法砂利採掘業者の問題がクロズアップされている。大村知事は「厳正に対処する」「逃げ得はゆるさない」と言う。県の採掘許可があり業者は採掘の深さ・面積を拡大し、砂利の需要に利益への追求があり、家の崩壊や道路の亀裂など、お構い無の事業収益の拡大を企てる。

緑の森は赤土の穴となり、自然破壊や住民の生活環境の不安へと繋がった。移転を余儀なくされた住民は、住み慣れた家を捨てやむなく移転していった。県は市はこうした違法悪徳業者への強い規制も、業者には何の圧力にもならない。法治国家して日本ながら、こんな事が周囲を見ても沢山ある。県警への刑事告発も「県民の助けとはなっていない」と報道を見て感じる。裁判で勝訴しても損害賠償の支払い命令も、紙に書いた単なる文字としか思えなく、命令に従わない人間が沢山いる。人に迷惑を掛けても何とも思わない「輩」が居る社会に、日本は成り下がってしまったのか。
悪い者がまかり通る社会で、弱者は最後には「泣き寝入り」の状況にある。こうした違法な業者には強硬な処罰をして、再発生の抑止を図るべきと思う。県民の「困りごと」に即座に対応する、起動能力に監視機能が低下している気がする。忙しいから手が回らないとか、県も自治体も言う。弱者への行政の目配りはしても、求める要望までが行ってないのが、被災地の現状のように思う。遠く愛知県の事件は決して他人事ではない。

兵庫県議員の活動がメディアにより暴かれている。号泣議員のあの声を「聴きたくない」と、私の周囲の人は言う。今度は「政務調査費条例改正」の議場から、記者の取材に30分も逃げる議員がいた。市中の市民が「ちゃんと答えればいい」と諭す光景に、当然の事と解説者は言う。議員がメディア取材で自分の潔白を表明すると言う、簡単で当然な事が出来ないのは自分に非があるからである。「切手三兄弟」を初めて知った。切手に「政務調査費300万円」は在り得なく、郵便局の特別郵便で窓口支払いをすればよく、3か月分を事前支給と言う、兵庫県議会の支給の仕方に問題があった。

今、直面する私の問題も代表社長が、私の電話への対応もしない、会社も異常状態ながら、知事許可の認定を受け、被災地での活動をしている。それに対して国も県も警察も、困り果てた末の連絡にも解決策の提示は、被災者が再建地途上で、被災地の再建もままならない状況で、被災者の再建の問題に「自分の事は自分で」と言うかのような答えだった。今後に自分のような事件が発生しないようにと、早期の被災地問題解決の必要性を思うのだが。「こうした事件が被災地には沢山あるんですよ」という答えに、国民の生活を守る所管しての役務を果たしていない気がする。
震災で全てを無くし、再建事業の恩恵も自分で切り開いて今に至る。「自分の事は自分で」「苦しい現状も自分で切り開く」、これしかないと今思い始めている。悪行を重ねてまで今を生きようとは思わない。今月の町税が14万になり、再建のロ―ンが他にある。綱渡りの生活がまだまだ続く。
140922_110525.jpg
町再建の高台造成と愛知県の砕石現場の風景がダブる。震災復興の為とは言え自然環境の膨大な破壊は現実で、CO2の町の森林の買い上げがされた被災前あったが、今は森林の破壊が自然環境への影響など考えている時ではないと言うようだ。
「職住一体」と言う誰かの言葉が、今、頭の中を駆け巡っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:13 】

2014
09/22

締結


磯の沢地区の「三陸道」の高架橋の建設は、特殊工法により造られている。昨日国道を通ると遂に接続となっていた。

先ごろ、大阪府印刷工業組合の東大阪支部から、「友好支部締結」への案内が届いた。震災後の被災地支援の繋がりから始まり、東大阪支部総会を宮城県気仙沼の「ホテル望洋」を会場に移動総会を開催した。6社ある本吉・気仙沼支部も2社が交流会に参加し、義援金を頂いた。その後は南三陸町の産品を、東大阪支部の「ビアパ―ティ―」のイベント商品にと、町内の商店10社から商品を買うなど、被災地「南三陸町支援」の活動を続けている。今回こうしたこれまでの交流と繋がりを、これで終わらせる事無く、今後もこの「縁」を形ある物にと、「友好支部締結」をする事となった。10月8日の締結式は、宮城県印刷工業組合の了解の元に、南三陸町歌津の「コクボ荘」を会場に、双方の7名が参加して行う。
CIMG8763.jpg
デング熱が昨日で140人を超える感染者となった。その中で蚊から人へ、そして人から蚊へと伝染が広がり、全国への「パンデミックス」状態になりつつある。アフリカの「エボラ出血熱」の大流行で、多くの人が亡くなっている中での、大流行は未だに収束とはなっていない。家族を自分で看病したいとの、家族の絆が更なる感染の要因となっていると言う。
私も蚊に刺されると大きく腫れ、完治までの時間が他人より余計に掛かる。何故かと言うとデング熱の感染の中で、「糖尿病の人は気を付けて下さい」と言い、抵抗力の低下が病気の治りを遅くしていた。震災後の倉庫での仮設生活で、蚊に刺され苦しい想いをした。

グ―ルプ補助の五人代表としてひと段落し、一つの方向性が見えたと思ったいら、今度は「友好支部締結」への取り組みが発生した。私は10月~11月に掛けて、目の手術を予定していた。また、仕事を受けてしまい多忙が続く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:37 】

2014
09/21

賑やかな音と人波がありました


昨日は石巻にお彼岸の仏壇あげ物や野菜・果物を買い、鉢植えと父親の求めるヘルスメ―タ―を大型ショッピングセンタ―、2カ所で全てを買うことができた。
石巻飯野川の「上品の道の駅」には、ハッピを着た踊り手が賑やかな囃子の音で、元気な踊り笑顔を来場者に振りまいていた。「彼岸の入り」とあり、お墓参りの供え物を買い求めに、地区民が周辺から沢山集まっていた。地元住民の新鮮な野菜やお菓子、フ―ドコ―トには住民が溢れ、舞い手は見学の来場者の中に入り、元気な姿を振りまき、皆がひと時ながら週末の時間を過ごしていた。
上品
町内でも商工団地内の「スワット」さんには沢山のお客さんが、花などの彼岸用品を買い求めに集まっていた。町の2カ所の商店街の状況は知る由もない。どうしても観光客が主体としての集客場所は、私には向いていないようだ。
昨日の道の駅でも町民の人に声を掛けられた、「はじらくぶりです」「そのせつはお世話になりました」と言われた。70歳位だろうか御夫婦で供え花を買いに来ていた。戸倉地区からは25分弱で来れて、津山・横山の仮設からは15分で着く。引き換え南三陸町の地元では、花の選択性もなく野菜価格も高いように感じる。住民の為の商店街が、観光客の為の店としての姿が色濃く、私も何の恩恵もない。町の為との考えを強く持つが、心はどんどん離れつつある。
140830_160242.jpg
ツイッタ―やフェイスブックで、「上品の道の駅」のソフトクリ―ムが濃厚で美味いと知った。登米でも食べたが、品物への付加価値の付け方が違い、美味しいと言う噂がレリピ―タ―を生む。
平日は観光客減少があり、ボランティアセンタ―が終了となる。今まで町に来てくれた方々が、色々な方向性の中で「震災支援」の意識も、間違いなく風化している。町民の既存のお客をあてにしない町の政策が、商店からの住民買い物客の減少への道を進む。復興市の来場者の数は目に見えて減ったと言う。
地元で自慢できる庶民的な物が、これからの観光に必要と外国人は言う。漁村・農村の里山の自然の生活が海外から観光客には、日本の魅力だと言う。
外国客の誘致に町は対策を講じると言っていたが、ホテル観洋の副社長が観光協会のゴタゴタで、会長職を離脱した。国内でも有名で外国との交流・接客も熟知した、前会長の離脱は町の外国客集客の大きな痛手と言える。誰がこんな結果を生んだかは、町の体制をしる人は解るが、口に出す事で火の粉をかぶる事を心配する。「丼」の命名権問題から、今回のゴタゴタに繋がった気がする。ホテルへの買い物場に出品もしている町の商店もあり、今後に大きな弊害やしこりとならない事を願いたい。共に助け合う昔からの志津川の生活が、薄れている現状はいったい誰が作ってしまったのか。

全国剣道選手権に宮城代表として、仙台剣道連盟の「伊東4段」が出場する。27歳で県警に勤務する方だ。是非ベスト8まで進んでと県連は言う。今日の河北にも「精神と礼儀」の修養には剣道は良いと、みやぎのエリア記事に載っていた。「志津川剣道スポ―ツ少年団団員募集中」です。入団は町の公民館へ!



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:33 】

2014
09/20

震災復興が進む 住民再建は途上

140919_105315.jpg
復興への足音が聞こえてきている。防災無線では災害公営住宅の住民説明会の情報が伝えられ、戸倉波伝谷の牡蠣処理場が1億9900万円余りで、6分の5の国県補助の元で建設され、完成式典があり、9月末に稼働し10月からの牡蠣の南三陸産の本格的出荷が始まる。生食用として県内に町内で滅菌しての販売となる。

1か月ぶりで荒砥の「いこいの海・あらと」に向かう、平磯地区への裏道を通る。震災で瓦礫と海水の塩害から、3年6か月が経ち錦秋の金色の稲穂が広がっていた。平磯の高台移転は6区画で、三棟は足場が外され内装工事に入り、もう一軒が基礎工事の型枠へコンクリ―トが流されていた。まだ造成して1か月余りなのに住民の自己再建の速さを感じた。
小さな平磯地区への造成の土取りの置き場の山が積まれている。異常気象での災害をいつも懸念しているが、我が町にはここまで豪雨災害は幸運にも発生していない。盛り土を良く見ると法面に溝があり、近くの河川への茶色の跡が残っていた。造成の赤土の海への流出による水族への被害を心配する。
今日の朝刊には「焼却灰」の集積場が今年中に満杯になると言う。焼却場のない南三陸町は気仙沼市に焼却を委託し、運搬費・焼却料を支払い生活ゴミを処理している。自己での焼却施設の確保をしないままに、現在に至っている。「何故自分の事は自分でしないのか」と行政に問い正したが、やはり「予算がない」と言う。財源の国への依存、先送りする問題など行政体質が、これからの町の衰退と疲弊を心配する。

140919_104203.jpg
全国の65歳以上の15%余りが認知症で、その数が465万人と言う。その原因が脳への「タウタンバク」の沈積により、アルツハイマ―などの病気となり、認知症の発症となる。環境により改善される事は身を持って体験した。
母は施設に入る前の震災後の一年間で、物忘れが酷くなり「認知症」の症状が悪化した。それから一年間在宅で介護が始まり、「家族を忘れ」「夜昼逆転」「今の状況把握も出来ない」など、父と私の「認知との戦い」が始まった。言う事を聴かない母を生活を守るためと、ベットに梗塞を試みた。これが病気を悪化させたと今思えば言える。私が目の手術で一年半前に入院し、退院のその日、肺炎で入院していた病院から、南方の施設に母を入所させた。
現在は今の施設で多くの介護者に管理見守られ、体調や精神も落ち着きを取り戻す事ができた。私の母は幸せだろう。今は町内で暮らす被災住民の事を思う。高齢者を抱え狭い仮設での生活の中で、介護者の精神的苦痛があり、財政的な困窮の状況からの脱出ができていない現状を聴く。親を看る為に自分の寿命を縮めているように感じる。
140919_104939.jpg
日本の全国的な高齢者問題があり、テレビでの介護の現状況を見た。妻を夫と姑の二人で認知症の在宅介護をしていた。夫は「大変でないとは言えない」と話す、朝の介護を終えデイサ―ビスに送り出し、4時間の仕事をする。65歳を超えて毎日の生活は厳しいながら、「妻を看る気持ちが愛情がパワ―となっている」と言う。介護をして10年を迎える。私は父が介護を震災後2年間倉庫で続けて、その後に母が施設に入り1年半となった。まだ震災からの家族の病気との戦いがあり、厳しい被災地環境の中で工場・自己再建と進めた。住民の再建も印刷業としての情報伝達の役目として、現在も続けている。

私たち親子はまだ幸せと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:32 】

2014
09/19

今のところ消滅自治体の回避対策は見えない


他の自治体には「災害ボランティアセンタ―」の存続は無く、ただ一つ残った南三陸町でも「一つの役目は終えた」と、今年度内の事業として来年には無くなる。来町し活動したボランティフ活動の述べ人数は「13万5千人余り」の集計で、家屋の清掃・被災地の瓦礫撤去・水産業支援など、震災復興への在りとあらゆるものの活動に、多くの人たちが救われた。
津波の襲来で泥だらけとなった家の清掃を思い出す。「ありがたい」と町民は口々に言う。だた、残った家は数少なく、津波被災の家で暮らす人たちも少ないと思う。私の受け入れは20名程度ながら、来てくれた方々にできる限りの支援をした。また、親戚・兄弟は個人の支援であり、延べ人数にはない事を考えると、南三陸町入りした支援はその数よりはるかに多い。

広島の豪雨災害へ町から20数万円の義援金が送られた。3週間余りで3万3千人のボランティアさんが来たと言う。場所的な理由もあるが人数制限のなかでの、この数字は国民の被災地支援の意識拡大がある。昨日最後の遺体が発見され、死者が74人となった。

2040年までに消滅する自治体は、「869」と言う。地方再生のもと石破大臣の手腕をためされるが、厳しいと専門家は言う。国は頑張る自治体は支援すると言う。自治体の長がこれから試されると政治解説者は話す。政治家のTPP対策に「農家への補助金」があり、これで農業を守ると言う。67歳の農業家は「こんな政策は農業を守る事にはならない」と話す。国の予算だけでは生計はなりたつはずもない。町も同じである!

今日の新聞には南三陸町の「老朽化の橋の延命に早期修繕」が見出しにあった。町内の町の管轄する約14の橋が上げられた。困窮する一般財源の中で、老朽の橋の新設はできないと言うのか。
基礎地下価格が公示された。志津川大森が1㎡16800となり、伸び率は0.0で、歌津枡沢は13000円で伸び率が1.6%、商業用地では天王山が16500円だった。石巻鹿又は全国で地価の伸び率が「16.8%」と全国トップとなった。鹿又地区は震災時からの住民の移転があり、以前は住民の減少に悩んでいたが、8月現在は4568人で震災前から15.6%も人口が増えた。

楽天星野監督が今季限りで辞める、病気で離脱した責任を取り、迷惑を掛けた事が理由で、今後も球団を支援して行くと言う。その裏の話を野球好きの知人から聞いた。楽天社長は臨時監督をした大久保氏を押し、球団社長は星野監督の留任を進めた。社長の子供の野球指導に大久保氏が関わり、その理由で社長の考えを通した。それで侍野球の「星野」が残留するはずもない。独裁的なトップがいるが、成功もするだろうが、企業家としての「おごり」が、人の繋がりにヒビを入れる事もある。

我が町も住民の繋がりのひびが人口の流出の一つの要因にある。行政の町へ残る事を促す活動に、もっと経費や時間を掛ける事で、一人でも多くの人が町に残れるようにする事で、町の消滅の回避になる。30代20代の若者や女性が町にいる事が、「自治体消滅指定」の汚名をはらす事となる。






【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:08 】

2014
09/18

豊潤の海に抱かれて


一昨日の戸倉「黒崎パ―キング」から望んだ志津川湾、何時もの青に空の青と雲の白と形のコントラスクに魅了され、撮った一枚の写真です。

自給自足の生活で今週の食事代は少なくて済みそうだ。日曜の釣りでの釣果のアイナメは焼きと物煮付けに、カレイは焼き物、そしてアナゴは天ぷらで、大物の残りはさばいて冷蔵庫にまだ入っている。友だちの船からの沖釣りは、震災後も海の恵みが豊潤な状況に帰っていた。
CIMG8582.jpg
140917_191213.jpg
行政には「弱者」「高齢者」の震災住民の救済をと言い続けたが、まだまだ手薄い。今日の河北新報に「母子家庭乏しい援助」の、トップの紙面に目が留まった。何人かの苦しい厳しい生活が紹介され、我が町の人も答えていた。南三陸町には母子・父子家庭が多いと以前から聞いていた。個々の生活環境は違えども、生活の苦しいのは皆同じで、実家や兄弟に頼る事も控え、我が子の将来の為に頑張っている。塾やスポ少への参加も取りやめ、自分の化粧にもお金を掛けず厳しい生活をしている。女性たちは生活が安定する「正規雇用」をと言う。
子供達を抱えて暮らす住民の保護は、町を担う子供たちの確保と繋がる。現在、復興事業に多額の資金が回されているが、その1%を回す事で多くの「弱者救済」ができる。将来への商工・観光・水産業の早期の再生も町の事業として必要だが、日々の毎日に追われる弱者への支援もお願いしたい。毎日が生活との戦いと私は受け止める。心の病が別な方向にならない事を願うばかりだ。

今日は仙台の印刷工業組合理事会に行く。ボランティアに近い県の業界の為の活動です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:47 】

2014
09/17

おてんとうさまは見ていてくれる


父親が「誰か判らない人がこんな物持ってきた」と、私に月中の行政からの配布を持ってきた。耳も遠くなり「認知症」の予兆と私は思っている。毎日の体重・血圧の記録記帳を日課とし、一日200歩の外を歩く事を目標に、週2回のゴミを集積場まで運ぶ、歩数を数え自分の体調と家の事をしてくれる。
配布物を持ってくるのは、父の同級生の娘さんで、幾度となく「・・・さんだよ」と言い聞かせているのに、直ぐに忘れ理解できないでいる。父は耳が遠く聞こえている素振りをする。「それは会話の障害だよ」と話した、「聞こえないのなら近くで話をしよう」と、今日二人の取決めをした。

今回の地区配布物には、南三陸町の防災集団移転の「第1号」の完成の紹介が、「復興まちづくりニュ―ス」のトップで掲載され、「希望への一歩が踏み出せて嬉しい」と後藤さんの声が載っていた。
町民への吉報は「義捐金6次支給」だろう。町の義援金の総残額は3453万円余りで、全壊世帯に「9千円」で、震災孤児に「86000円」と、津波の被害によって違う。国からの義援金は全壊で「2万円」となり、私の家には2万9千円が支給され、本当に嬉しい全国民・世界からの義援金に感謝です。震災死亡者には1万円で、今生きている人たちに、生活支援としての支給のようだ。被災者の長引く仮設生活などの苦しさへの、「共に頑張りましょう」との国民に気持ちと受け止める。町行政から支給とは絶対思わない! 何も町はしてくれないと、多数の町民の声が今も聞こえている。

一昨日前は復興途上の「さかなのみうら」の仮店舗火災があり、関係者や手伝いの方が沢山出ていた。朝刊には店主の話として「周囲に迷惑をかけ申し訳ない。再開したいが・・・」と言う。店舗を借りての再開で、再びの開店には多くの障害や問題がある。利用していたお客さんは、「震災時のお店がない状態になり困ります」と言う。大型ス―パ―が未だに町にはなく、町で暮らす住民の環境整備に、解決策をとらない町政に批判が再現しそうだ。

「かすむ復興」のサブタイトルが紙面に踊る。みなし仮設や隣町の仮設の暮らしは、生活費が嵩む大変さを取り上げていた。土地の買い上げ、義援金蓄財の枯渇があり、個人の再建への計画も今、厳しい状況で帰郷しての町の暮らしを諦める人もいる。
友人の気仙沼市への転出の話に、寂しさが増してくる。共に町で生きるとの両親との歩みの継続があったはずなのに、町の計画は「早期住民再建」からは程遠い、最低4年・7年の仮設での生活を求めた。
行政と住民の考えには大きな差があり、町から出た人たちの多くが、子供を抱えた方や、生活にゆとりのある方で、町にとって必要とされる人たちの流出となっている。高齢者が残り「福祉の町」になり、賑わいの町と言うが、この道は叶わない気がし、交流人口と言う町づくりの方向性に疑問もある。何処の自治体も同じ目標があり、大災害のない自治体との集客力の差があり、今後のシュミレ―ションに間違いはないのか?


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:17 】

2014
09/16

新天地で再建への挑戦


登米市の建設会社さんの温かい支援を受け、土地確保から早期住宅再建と、一歩ずつ新しい環境での、一つの家族の再建への姿を見てきた。
両親の為に子供の為にと住宅建設を決め、この親戚筋の上棟式に少しお祝いを持って行って来た。上棟神事そして餅まき、祝いの席で家主は「今後とも宜しく」と頭を下げた。ここが平時・南三陸町なら、多くの知人・親類が集まり、近所が一つになりお祝いの言葉で包まれると思った。
志津川からは私と本家が参加した席、子供たちの成長に驚く。あれから3年半が経ち、小学生から中学生に、三世代6人が南三陸町から、苦渋の決断で「子供たちの為」と登米市での生活を選んだ。町の再建を担う子供達、家族には兄弟がいる、その兄弟の孫・ひ孫がもたらす町への経済効果は計り知れなく、一握りの仲間や一部の業種を守る為に、大きな代償を、町の復興計画・トップの震災再建対策が生んでしまった。中田地区のこの周辺には戸倉地区からの移転の方も多く、その家族構成も3世代が多い。今度は病院の個人開業の計画もあると言う。
年老いた両親も生まれ育った志津川に住みたいとの願いも、孫たちの教育問題や家督の判断に将来を託した。良く聞く話に「ア―パト代」「災害公営住宅代」
など、今・そして今後の経費を考えると、50歳台の内にこれからの生活の基盤の、住宅再建を再建補助金の活用できる間に、建設への決定をした。
CIMG8586.jpg
驚く事があった。登米市の建設会社の社長さんの支援を受け、3か月の11月には入居できる建設期間、働く大工さんが志津川出身と聞いたことだ。建設会社事情はいったいどうなっているのだろう。住宅建設が決まり、金利補助のロ―ン申請から内定までの期間で、木材のきざみを済ませ、一気に住宅建設をするため、建築期間が各種建設メ―カ―から比べても早い。私の建設会社は名古屋で、契約書を交わしてから基礎工事があり、県内の工務店が棟上げまでして、その後から内装工事の関係の地元業者を探すと言う、ずさんな工事計画となり11か月も、尻を叩きながら引き渡しまで漕ぎ付けた。
顔の見える建設会社としては、登米市の社長さんは間違いのない方と思った。施主の足元を見た悪徳業者が沢山いる中で、再建の住民の空きを見て多額の建設費を迫る。人から情報を聴き、地元密着の建設業者に建設を依頼する事で、不慮の被害を回避できる。なけなしの貯金で被災者は生きている。
復興庁に建設の悩みを受ける相談部署はない。何が「被災者と寄り添って」だろう。県もお金に関する事への介入はしない、「民民で裁判して下さい」と言う。誰も当てにならない現状に、地元がバラバラとなり、誰にも拠り所を見いだせない現状に、仮設で住む高齢者は悩んでいる。6月末の新聞に仮設孤独死112人が掲載されていた。県で宮城が51人と一番で、実態把握の仮設巡回「福祉士」も、ピ―ク時の半分になったとも聞く。被災地の各自治体でもその住民対応への違いを指摘する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:20 】

2014
09/15

4年ぶりの趣味再開


朝五時林漁港へ行き仲間と沖に漕ぎ出す。椿島の沖合まで向かった、養殖いけすの数は復活はしたものの、震災前の半分まではいってないだろう。
2カ所目はアイナメから始まりカレイそして穴子と、三人で25匹は釣り上げた。今年最初で最後の三一会不釣り部会の活動となった。

林漁港までの手前にある「みうらさかなや」さんが、後で知る事となったが、夜中1時40分に火災が発生していた。二重三重の災害が発生していた。
また、登米市中田の親戚筋の斎藤さんの「上棟式」が今日あり、顔を出してきた。
CIMG8560.jpg
この二件とも同じ行政区の地区民です。悲しい嬉しいが混合する、現在の南三陸町の住民事情です。

眠い、船酔い、魚の捌きで指を切った。ブログの2日間休み解除の文字打ちは、目が疲れて打ち込み誤字打ち直しの連続で、普段の倍の時間が掛った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 20:23 】

2014
09/14

オゾン層の二酸化炭素による破壊



昨日は仲間の突然の「釣り呼びかけ」に、そんな気持ちにはまだ半分も沸かないが、仲間の震災からの脱却の誘いとして、その誘いに乗る事とした。
たまたま釣り道具は商工団地の倉庫に在り、流出を免れたが、救命胴衣は必要と石巻に買いに行った。私は地元での購買には意欲はある物の、歌津の仲間の釣具店も無くなり、助け合う店からの買い物を常としていた考えは、叶わなくなった。
「上州屋」は釣り専門店として、三陸道の石巻ICを下りてすぐの所にあった。釣りの仕掛けを買い、釣り気分の震災前の気持ちとなってきた。あの大津波が来た志津川湾に船出するが、海からの恩恵は水産業として、大きな恵みを災害数か月後から漁民は受けている。今の海の風景を海から撮影できる。これが今回最大の目的でもある。志津川湾の魚の復活は以前から聞いて居るが、実際に海に出るのは震災後初めてとなる。一つの趣味が復活する事でもある。
石巻の帰り桃生ICの通過中に、秋の雲の上に「積乱雲」を見つけた。

「バックビルデング」は同じところに、長期の局地的な豪雨の発生を生み、「ス―パ―セル」は巨大積乱雲で、竜巻などの発生をもたらす。その最大の原因は、30年前ごろから言われていた、オゾン層の二酸化炭素による破壊があり、海水温の上昇・ジェット気流の蛇行などにより、今までにない異常気象を発生している。その対策を各国が対策を講じてはいたが、今年の世界的以上気象の発生に繋がっている。対策の手薄さが今の現状へと繋がっている。
昨日夜、NHKにタモリさんが出ている番組で、異常発生に対する検証で、過去の異常気象を分析していた。北極の1000年前の氷の層からから、海水温が10年間で「10度上昇」していた時期があった事がわかった。現在は5度前後の海水温の上昇で、この程度の変化で世界的な自然災害の発生で、人間は苦しんでいる。
人類は千年前にこんな異常気象を乗り越え今を生きている。その異常気象の変化の中を、生てきた知恵や力も持っていた事になる。

この我が町を襲った巨大津波からの町再生は、100年に一回の大天災と言ってはいるが、100年ごとに人間はこの苦境から生き抜き、復活した事になる。その今のひと時の期間を生きている私たち、今、最大限の力を発揮し次の世代に繋ぐ事の役目を担っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:20 】

2014
09/13

理研「高橋先生」のips細胞の網膜移植


しん出型加齢黄斑変性とは、網膜の血管が増殖し膨らみ、目のゆがみ等の異常を発生させる。Ips細胞の発見の山中先生の、発見の成果を理研の高橋先生が、世界初の目へのips細胞の初めての人移植をする。
この型の加齢黄斑変性は70万人が、目の見えにくい現状に苦しんでいる。今回70歳女性がこの手術を受ける。理化学研究所の研究論文不正があり、上司が自殺し「スタップ細胞」の再検証で、小母方氏が再度細胞発生を現在進めている。論文どおり細胞の発生検証は、既に2か月が経ち、一時調査報告では発生を確認する事が出来なかった。

私も目の不具合の現状の中に居る。私の場合は「糖尿病増殖性網膜剥離」と「網膜浮腫加齢黄斑変性」の二つの目の病気を持っていた。昨年の5月の手術により、糖尿病での網膜剥離は、網膜の毛細血管の糖尿による出血凝固で、網膜がはがされる目の病気で、レザ―と手術で「0.8」まで失明の危機から回復した。網膜浮腫は眼球への6万円の注射で、網膜のふくらみを抑える事ができ、白内症もあり「0.4」と、レンズの交換で視力は間違いなく上がると思っている。糖尿病の宣告から25年目を迎え、現在その調整を「食事」「ランタス」で改善を目指し、ヘモグロビンA1Cが「8.4」と糖値が「150」を維持している。
眼は印刷業と言う職種では命取りとも言える。しかし、石巻日赤の若い眼科の先生の治療で回復している。今、周辺には「白内障」人が多くいる、震災での影響があると私は思っている。調査の必要性を感じる。

自分の身体は自分が守らないといけない。仕事も大切だか長く続ける為には、病気と上手に生きる事が必要です。親よりも前に死ぬ事は最大の親不孝ながら、58年間生きた事に私は満足している。両親の長命の否かを自分なりに考える。




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:50 】

2014
09/12

私の部屋から見た秋の青空


仕事が無く、何もしていないとすぐに眠くなる。仕事があると言う事は幸せと思っていいのかな。市街地の赤土も・仮設の生活も・大型トラックの姿もない、こんな時が必ず、南三陸町志津川の「我が故郷にくる!」と信じて今を生きている。町民の皆さんもそう信じて、様々な土地で場所で今を暮らす。しかし、今日の青空は皆さんの所まで続いている。

昨日は今年の初サンマを買いに「さかなのみうら」に、1匹150円のサンマを氷の入った発砲から、大きい物を4本社長さんは選んでくれた。その足で横山仮設の恩人に物資の「長野の米」を持って行った。90歳近い年齢ながら笑顔で元気に迎えてくれた。震災後に荒町でお世話になった工場のあった場所へ、何も変わらなく農作業に励む「お父さん」が、荒町の大火後の再建経過を教えてくれた。「備えあれば憂いなし」、当時火災保険に入っていたのが、自分を含め2人で「50万」の保険金は今の100倍との話に、「うそ―」と、今と過去の現実に驚かされた。
140911_142009.jpg
140911_142203.jpg
朝、福島の畜産農家の方の震災からの頑張りに、仲間が感謝の言葉を送っていた。原発後に町からの退去勧告となり、地元の銘柄牛を守ろうと千葉県に、5年間の期間で牛舎を借り、自分の牛のみならず仲間の牛も引き取り畜産を続けた。その子牛がメス牛としてまた子供を産んだ、その牛の飼い主の名前が牛舎に書いてあった。すでに飼い主へ買い取られてはいるが、仲間の牛を責任を持って育て銘柄を守っていた。しばらくで帰宅許可が始まった我が家へ、3年半経つのに「放射能汚染」は、自宅の除染はこれからで、牛舎・牧草地の今後の除染はまだ決まってないと言う。牛舎を見つめ「むなしい!」と思うしかなかったと言う。夜に畜産仲間が集まり、「あの時の牛を手放した事」「自分の牛は」と、震災時の畜産仲間が頑張って下さいと、ビ―ルでエ―ルを送り、地元の銘柄牛を守って欲しいと託した。
こうした皆さんから比べれば、私の家の伝統の継続など、なんて事は無い。しかし、これがある事で私は頑張れる。

今からサンマの塩焼きの仕込みをし、父親の昼食に間に合わせたい。小さな幸せが普通の生活にあった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:31 】

2014
09/11

被災地に局地的豪雨


平穏な町の姿に見える志津川小学校下の、津波から難を逃れた高台の家々です。しかし、その下の市街地「五日町」「助作」の低地部は何も無くなった。
朝から石巻地方に局地的な豪雨による、交通網の混乱が石巻に発生している。海岸線の隣に位置する「我が町」は何の気象異常も見られない、いつもと同じ静かな朝を今日も迎えた。これが気圧配置による局地的な災害をもたらしている。石巻のバス・電車が軒並み運休し、学校も休校や時間遅れ授業の情報がテレビテロップとして流れている。女川町は「孤立」している感じに思うが、今、石巻に起こっている事が何なのか、状況がまだ見えてこない。
北海道の白老町も局地的豪雨で、災害の発生の重大な状況にあると、「命を守る行動を」と気象庁は発表する。北海道には深夜70万余りに避難を呼びかけた。冷気が南下しまだ温かい海水温で、大気が不安定な気象の状況が、大阪・東京・宮城・北海道に日本中に異常豪雨をもたらした。雨で市街地商店の冠水は逃げる場を失い、どうしようも無い状況に人々は何もできなく、天災には人間は何時になっても後手のようだ。広島県に避難した知人の家族は、大丈夫だっただろうかと心配する。

今日で3年半が震災から経過する。新聞の記事は気仙沼市まだ1万人仮設暮し」の見出しに驚くばかりだ。現、町の在議会の3日目となり、町の現実が浮き彫りとなり、被災住民の現状が議会で行政に問われた。仮設の空室を「町営住宅に」と言う、入居料を住民から取ろうと言うのだろうか。町長が活用を示唆したと河北新報は伝える。

昨日はグル―プ補助金申請の仲間が初めて顔を合わせた。一人で悩み苦しんでいる人、震災直後の混乱でグル―プ補助に参加できなかった等、ここまで来た経緯を皆が真実を話してくれた。県や商工会には「何とか救って下さい」と、その胸の内を語る。

南三陸町の震災で身元不明だった人が、昨日の新聞に清水の鈴木さんと判明した。現在も身元不明が881体もあると言う。今日も月命日となり警察の捜索が海岸や河川で行われている。




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:31 】

2014
09/10

仮設生活は何時まで続くのか


被災地「南三陸町」にはいろんな出来事が沢山あり、被災者支援企画・高台の
検討会・造成見学会等など、私一人の身体では到底把握はできない。昨日から9月定例決算議会が始まり、8名の議員が一般質問の壇上に立ち、町の色々な問題への質問を行政に訴える。誰がどんな質問をして、それが本当に被災したこの町にとって重要かを、町民の皆さんにも考えてもらいたい。
国会議員や兵庫・神奈川など地方の議員の不祥事は、その人を選んだ国民にも責任があると、政治解説者の討論などで言われている。「原発推進是非」「沖縄基地問題」「社会保障」「政務調査費の不正授受」など、国民の生活の為や税金悪用など、今の国民の為に活動している方がいる中で、「我欲」の為に自治体トップ・議員となる方も少なくない。政治への関心は、自分の生活を守る事と理解してほしい。
野々村議員のあの記者会見場の醜態や、他の議員の多くの「言い訳」や追及に応じられない姿に、古い政治解説者は資質の低下や、国民の厳しい目が無くなったと話す。
CIMG8378.jpg
写真の内容から大きく話がそれたが、秋の恵みの稲穂がたわわに育っていた。稲穂を守るように「かかし」を沢山立ててある光景に、立ち止まりシャッタ―を切った。この場所は志津川字沼田地区で、高台に既存の団地が2カ所にあり、志津川地区の高台移転場所の東工区東の裏に田んぼはあった。周辺の田畑は造成され住宅が3棟建設され、今も嵩上げ造成の擁壁で法面の土地の有効活用をしていた。
東区の造成地では7日見学会があり、10時からの開会式には約70名が参加し、町長挨拶から建設会社共同体の関係者が、現在の状況を話してくれた。この場所での造成には75台の大型ダンプカ―が稼働して、その他にも造成に必要な大型運搬車が活躍している。一日も早い工事の完成を目指していた。東区東の工事の造成進捗率は60%で、並行して病院建設が進んでいた。

県からの仮設・みなし仮設の延長が一年延びるとの報道が7月の新聞にあった。現在、南三陸町の仮設生活者は、1959戸4951人あり、みなし仮設は町内34戸112人が町の住民基本台帳には載っている。町外には600前後の「みなし仮設」での生活者がいるとも聞く。仮設の延長は高台造成が遅い所で30年当初と言う中で、住宅建設期間を入れると、被災から10年は掛かる計算になる。阪神淡路大震災は17年も最終的に仮設に入所していた。100年に一度の大大震災、私にはその終わりが闇の中で見えてこない。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:51 】

2014
09/09

私達が暮らした志津川町がこう変わる


志津川市街地がトップの提案そしてそれを採択した、町民の代表者の議会により、行政の最終審査を受け新しい町形成が採択され生まれ変わる。
小さな家や昔ながらの老舗や、事業に成功した会社など、志津川地区民が寄り添い助け合った大きな集落が、津波で一瞬にして無くなり全てが消えた。
CIMG8451.jpg
何も無くなった志津川市街地のキャンパスに、トップ主導で商工観光・水産業の町の拠点が建設される。住民にも利用してもらえるようにと、高台からの巡回バスを整備し。住民にも来てもらうと言う。CIMG8150.jpg
イベントなどもここで開催される。以前は家から一歩でれば市街地の住民は、町の各種イベントを見る事や、全ての買い物ができたのに、こうしたこれまでの生活環境は高台にはない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:01 】

2014
09/07

谷川賢作東北ツア―


先輩たちが3か月前に私の為に食事会を開催してくれた。その時の話に「谷川賢作コンサ―ト」が先輩達の会話の主題だった。
戸倉・横山の10歳上の仲間があり、戸倉から登米市に被災で移り住んだ方、私の前主治医だった笹原先生も志津川から登米市で再建し病院を続け、登米市の仮設で暮らす南三陸町民や、移り住んだ町民の医療の受け座にとしてご活躍している。勿論、南三陸町内からも先生を頼り診察を受けている人も多い。4人の先輩たちは私の仲間のゴルフの会員として、15年以上の繋がりがあり、今も私と御付き合いして頂いている。

今回の「谷川賢作コンサ―ト」は、東北ツア―の2カ所目にあたり、昨日は古川で開催され今日は岩手水沢に行き、3日間のツア-開催と聞いた。ジャズコンサ―トで小さい会場に、ジャズファンが集まったと言う。
昨日の登米市の会場は「田園喫茶店」で70名余りの来客があった。1割が南三陸町にゆかりの方で、大多数が登米市の皆さんだった。佐沼のピアノ店の方が尽力され、折立の佐々木さんが賢作さんの繋ぎ役で、笹原先生のバックアップで、仲間がそれを支援した。登米市佐沼の安心安定した町、多くの市民がいるこの町でのコンサ―トの開催は、地域性からも大成功と私は思った。
140906_193313.jpg
谷川俊太郎さんの息子さん賢作さんは、志津川でも惣内の杉田さんのコンサ―ト会場でも2回ぐらい聴きに行ったからか、休憩での「会釈」は南三陸町の顔と知っていたからと思う。
お父さんの谷川さんは、岩手の印刷会社の津波被災から、「活字」を拾い集め詩の制作に取り組んだ。こんな新聞報道にも谷川親子への愛着が私にはある。
賢作さんのジャズ演奏は肩肘張らず、親しみやすく会場の笑いを誘うト―ク術も私は大好きだ。杉田さんの会場での演奏は家族的な良さを思う。最後はグラス片手にほろ酔い気分でのジャズ演奏も、私は気に入っている。

しかし、今は夜の佐沼までの車走行を、仲間は「気を付けて」と心配する。加齢黄斑変性の注射治療から劇的な目の回復があり、ご安心下さいと言いたい。

今日は志津川の高台移転地「東区東」と市街地低地部の嵩上げの現状見学に行って来た。10時から1時までで、開会式に町長が挨拶し、現地の説明も町長自ら行った。式には70名を超える参加者と、南方からの送迎バスも出て、現地説明に参加を呼び掛けた。マイクロバスでの送迎の車中、「おらいはまだ嵩上げされていないね」「自分のことろは嵩上げされたから何処が家のあった場所かわからない」など、しばらくぶりの再会に、現況を話し合っていた。
まだ見えてこない自分の土地の造成再建に不安の気持ちが伝わってきた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:48 】

2014
09/06

私が愛した「本浜」は何処に!


今の復旧復興の姿を見て、「風化を防ぐ」は復興のソフト面であり、ハ―ド面の土地造成・市街地嵩上げばかりが目立つ。復興をしていくという事は、震災の姿からの再生であり、震災の光景を無くす事は風化へと向かっていく。名取での行政への「津波避難体制」への住民の告訴があった。復興が進む中で「震災を忘れない」と言っているように、私は聞こえてくる。

昨日本浜の旧市場に行く事できた。市場の護岸には大きな坊波ブロックが置かれ様相の一変が見られ、船を繋ぐ鉄製の物は、しっかりと岸壁に残っていた。赤錆びた固まりはまだ大丈夫と、頑固に岸壁に貼り付いていた。「銀色の鱗がセメンの上で躍る光景」を身近で見る事も出来なく、新市場には多種多様な魚は今はもういない。今月末から「秋サケ」の定置網漁業が始まる。
CIMG8322.jpg
朝のTBS番組は地方創生の大臣になった石破氏が地方活性化は必要と、一極集中の現代社会の改革の必要性を話していたようだ。私が気を止め見たのは、5人の従業員の印刷会社の実態だった。被災前の会社の状態とよく似ていたからだ。社長は5パ―セントに消費税が上がってから苦しいと言い、8パ―セントになりなお苦しいと言う。現在2700万の借金があり、自分の給料は5万と言う。妻が3年前に亡くなり保険で以前の借金を払い、現在こんな状だと言う。従業員の給料も上げ、取引先からは消費税分価格を下げて欲しいと言われ、仕事の量も大幅に減少したと言う。社長は言う「弱い人にやさしい政策を」と。国も県も自治体も有望な企業には、資金的にも金融機関への声掛けなど、将来性のない事業所には、経営支援や今後の会社継続の指導などは薄く、「強い企業への支援」を声高に言う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:14 】

2014
09/05

ウジエ建設決定


今日の河北新報に、「ウジエス―パ―17年3月開業目標」と、宮城エリアニュ―スに掲載されていた。
当初の早期開業に向け、御前下地区への場所を確保し計画するも、河川堤防や高台横断道路そして国道398号のル―トの交差する場所に在り、多くの問題で建設が延び延びとなっていた。そして今回は志津川地区の高台移転「中央区」の予定地前の天王前への建設に固まった。
この場所は新井田川の河川の架け替えがあり、町の施設用地でもあり、町の計画とス―パ―の希望が合致しての、建設予定地に決定した。社員・パ―トを含め50名の雇用が生まれる。
これまでの御前下への建設予定が時期を二転三転し、ス―パ―の近い所と「西地区」への変更者多々あったとも聞く。予定地の地権者もウジエさんとの土地の賃貸契約での収入の確保を考えていた人も少なくはない。
町の誘致計画・企業の早期開店・住民の目論み・早期の買い物の場確保など、多くの問題がス―パ―建設にはあった。氏家専務は「1974年から志津川でお世話になり震災復興への支援をしていきたい」と話す。
震災直後の23年から建設への意欲のもと、行政への建設支援を求めていたが、市街地の再生の道路の復旧の面から、ここまでの遅れとなった。しかし、住民の買い物の場の道筋がはっきりしたことで、志津川地区で暮らす人達や、近隣で生活する地域から、全住民も大歓迎だろう。
土地は町を通して借りると言う。町の目論みどおりに土地の活用がなった。被災した土地の利用と、工業用地への企業の誘致がままならない中で、広大な土地の利用をウジエス―パ―が、その役目を買って出た気がする。
CIMG8276.jpg
今後あと3年後「アップルタウン南三陸ショッピングセンタ―」が天王前にできる。駅前の以前の広さより3.5倍と言う。ドラッグストア・コインランド―も隣接し、水産物・農産物の直売コ―ナ―や、イ―トインコ―ナ―も設置し、住民の交流の場もできる。諸々の地域支援がウジエ建設には盛り込まれている。

町の再生や住民の生活環境の整備など、これで町の復興も休息に加速しそうだ。問題は住民の生活場所の早期確保で、志津川津波被害地区の3地区の造成計画は後4年前後で、住宅建設は順番待ちとなり2~4年も時間を要すると言う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:23 】

2014
09/04

兄弟姉妹の絆


3日間で無事に故人を送り出す事ができ、親族・家族が残された者の役目として、それを果たす事が出来たようだ。夜になり本家役を務めた私に、従弟から連絡が入った。「・・・で何かあったの?」だった。平時なら多くの知る方法があるが、仮設でのまだ安定しない生活の中で、気苦労をさせる事を避ける為、あえて我が家の兄弟・叔父叔母への連絡を控えた。
故人の家族の子や孫・親類縁者、仮設で暮らす地域の皆様が送ってくれた葬儀告別式だった。父は「おらいは密葬でいいから」と朝から言う。そんな訳には家督としていかなく、つい世間体を気にする自分がいる。もう残された人生を納得できるよう過ごしたい。千葉家らしい自分らしく生きたい。

大雄寺さんの山門の前の地蔵様の穏やかなお顔に「ほっ」とさせられた。お寺の会館「旭祥庵」から葬列をつくり、本堂までの道のりを皆で歩く、昔ながらの葬列がここにあった。
140903_115019.jpg
昨日は戸倉小学校の着江式が、戸倉団地内であり、来年の2月完成・10月開校のような日程を聴く。世帯数がたしか650あった戸倉地区、この世帯の大きな減少の中で、生徒数の今後の事を考える。戸倉地区の住民にとっては、自分たちの巣立った中学校も志津川に統合され、小学校だけは残したいと学区民の願いは強い。歌津の地区民誌に、町の小中で生徒児童が1000人まで減少とあった。大きな町の再建が進む中で、学校の統合は気仙沼市でも大きく統合へと、震災を機に動いている。
テレビの「珍百景」である学校を紹介していた。20名の生徒数でも子供たちはいきいきと学校生活を笑顔で送っていた。湖の真ん中に位置する学校で、綺麗な自然環境にあり、残すべき日本の光景を感じる。財政困窮の自治体が多い中で、維持が大変だから廃校が進められている中で、存続の意味をはっきりさせることも大切だと思う。

戸倉地区をテレビが2題取り上げていた。もう1題は「慶明丸」さんでアメリカで店の看板の、浮き球「慶」の入った物が辿り着き返却された。亡くなられた旦那様の名前の「慶」の字を取り、店名にしたと言う。また一個浮き球が嵐で地元の浜に打ち上げられた。奥さんは旦那様の意思を継ぎ店の再建を行っている。こんな話題に町民の皆さんの再建への熱意を、維持・減少させないためのメッセ―ジのように私は感じる。
頑張ろう南三陸町の皆さん、志津川の市街地で共に暮らした皆さん、また一緒に暮らしましょう。何度も連呼するが、この「私の声」は届かないようだ。登米市に移転した皆さんの会が河北新報で取り上げられていた。役場公務員だった方が中心と父は言う。町の職員として生活が出来て、津波震災を逃れた方は、できれば南三陸町での再建をお願いしたい。しかし、現実は現職員ださえ町外での生活を多くが模索していると聞く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:22 】

2014
09/03

震災との戦いはまだ続いている


震災でまだ遺体の見つからない人々の戦いは続いていた。「遺体が上がるまでは
」と多くの問題に区切りを付けられないと言う。家族の願いが天に届く事を思うが、不明のご遺体は津波引き波で、海底の奥底に運ばれた事は皆が知り、覚悟はしているものの、踏ん切りが付かない状況は、家族や本人にしか、その着地点を決める事はできない。
そんな中で事業の継続が、その意思の継ぐ事で繋がっている気持ちとなっていると感じる。その事業の支援も私の役目として、小さいけど大きな企業との係わりより強く考えるべきと私は思う。

被災地南三陸町で多くの秋のイベントが開催されるチラシが、地区配布の広報と共に住民に届く。ハ―ドの部分が高台の整備と市街地嵩上げがあり、ソフト面がこうした歌謡・芸能の大会として、住民への癒し憩いの場として、行政や支援団体が活動をしている。
長引く住民の生活の場の再建に時間がかかる事を、こうした活動でカモフララ―ジュしていると、屈折した考えを私は持ってしまう。住民は一日も早く土地確保と住宅再建など、生活場所の落ち着きを求めている。
昨日は仙台の親戚に情報を聴く、2020年の6年後の東京オリンピックの建設従業員の確保で、仙台では募集・確保を大手建設会社がしていると言う。その現実の中で我が町の志津川地区の住宅地整備が、29年30年と危機感のない計画に、住民の更なる流出を心配する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:43 】

2014
09/02

おくりびと


先週末に知人を訪ね林に国道から入った。同級生の土地は雑草で昔のたたずまいの面影は無くなっていた。そして、ここまで津波が襲来したのかと、再度驚かされた。被災し地道に生活をする家々も見られ、震災の戦いはまだまだ続いていた。
親戚の「納棺」を初めて見届ける事となった。葬儀屋の専門の方が1時間掛けて、死に衣装と化粧をする。献身的な一つ一つの順番を、汗を拭き拭き家族が見守る中で、棺に納めその仕事を終えた。
「おくりびと」が映画の映像で流れた時に、その俳優の無心に葬儀の儀式をする姿を思い出す。昔から続く死者への最後の仕事であり、私も祖母と叔母を送ったがその記憶はなく、今回は無事に納棺まで手伝った。

以前親戚の叔父が「覚えておきなさいよ」と、町への報告や火葬、お寺への連絡などを12年前に教えてくれた。「死亡診断書」や、寺への報告は役場に「死亡届け」をだし、「死亡証明」の発行を町から受け、それが火葬証明書となる。叔母の時は町から死亡見舞金として直ぐに出たが、今回は後期高齢者であり県の連合会からの振り込みと言う。私の父と同じ大正12年生まれの「91歳」の天寿の全うである。
本家が絶えてそこから出た千葉家と芳賀家があり、互いに本家として事在るごとに変わる。高齢となった父は人前では饒舌だが、出る事を嫌う。車で出る事と歩くと体が疲れるからと言う。90歳を超え私と二人で住み、母は施設生活で一人世帯という、施設で暮らす事は世帯的にはそうなる。この介護制度の在り方も私としては納得がいかない。母も大正12年、施設ではまだまだ元気のようだ。

友だちと若い頃よく酒を飲みながら話した事がある。「50歳で自分たちは終わりだな」と、しかしながら私は親を「送り出す」役目が家督として残っていて、住宅のロ―ンも72歳まである。こんなに生きる事となるとは夢にも思わなかった。
3日での葬儀までの日取りが決まり、仕事は従業員にお願いした。急ぐ仕事が切れた9月あたま、安心して火葬・葬儀と手伝えそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】

2014
09/01

一人は疲れる けど仲間が一緒なら


二日間ブログを休んだ。グループ事業申請の代表としての活動や、書類申請の商工会の記入の確認の準備などで、土曜日は終わってしまった。日曜はスポ少の剣道大会の引率で、気仙沼ケ-ウェブで半日を過ごし、子供たちの剣道への元気な取り組みを見て力を貰った。

剣道大会は南三陸町志津川剣道協会からは志津川スポ少として、志津川小学校の一年と三年の二人が個人戦に参加し、初めての大会に臨んだ。まだ今年からの剣道への取り組み、先月一か月の本格練習と、夏の良い経験ができたと思う。剣道は勝つ子と負ける子が必ずでる。負ける事で「悔しさ」を学び、勝つ事で「喜び」を得る事が出来る。負ける事で学ぶ事が勝つ子よりも多いと私は思っている。継続への努力で結果がついてくる。「りく」と「よう」もこれから、一緒に頑張ろう。
また再ス―タトの弱小志津川スポ少、沢山の仲間の参加を期待している。

大会では鹿折剣道スポ少との交流があった。どこの団体も子供たちの不足があり、鹿折・志津川の連合チ―ムで、「Bチ―ム」として団体にも参加ができた。監督を任され鹿折の子供達とも交流ができ、親からもお世話になりましたと御礼を貰った。1年~3年のチ-ムで南気仙沼剣道スポ少Aに、0対5で完敗した。勝つ事よりももっと大きな物を子供たちは得る事できた気がする。団員の少なさから気仙沼剣道連盟の気遣いに感謝したい。これまでの志津川の剣道精神があったが、震災で志津川剣道精神の伝統の継承の何処かが変わった。

140831_134739.jpg
帰りに本吉に回り消毒綿を薬王堂で買い、地元のス―パ―の片浜屋で少しの生活食品を買った。少しは値段が高かったが、生鮮品・生活用品の店が、本吉には町内にある事は、常々知人の住民は安心と言う。志津川へのス―パ―開店は来年秋と言う。まだまだ我が町の生活の不便は解消されないようだ。
「愛は地球を救う」の募金活動を、本吉響高校の生徒がボランティアをしていた。片浜屋に来ていたお母さんたちが、「えらいね募金すっから」と財布を取り出していた。つられ私も少額の募金を箱に、昨夜の番組の最後に募金額「2億6776万円2362円」の途中報告があり、その中の数百34円が私の募金に、参加できた事の実感を得る事ができた。
昨日の剣道大会には志津川中は参加できなかったようだ。聞く所によると土曜日の運動会が日曜に順延したと言う。歌津地区は開催したが、志津川中のグランド状態が難しかったと言う。100人を超える気仙沼・本吉の剣道選手の大会は、今月の中学新人戦の前前勝戦として、せっかくの機会だったのに、気仙沼の唐桑の選手の活躍ばかりが極だった。

また、訃報が朝に届いた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:49 】


TOP