ARCHIVE - 2014年07月

2014
07/27

私の夢はこれからも続く


夏祭りの花火の音だけが、私の枕もとの耳に響く。現在住む家からは花火は山蔭で、3分の1が山から顔を出す。さすがに新漁港の道路は通り抜ける事ができず、「年に一回のお祭りですので」と、車の通行を警備員は優しく誘導していた。

朝5時の時報と共に、「夢の後」を見に行く。昨夜の車の賑わいは無く、軽トラックの荷台に多くのカラスが群がっていた。
早起きのご褒美は「旭に輝くウニ開口」の風景だった。荒島は何事も無かったように力強く鎮座していた。荒島の左の岩場の間の狭い場所にも、うにを求め二艘の船がうに漁をを競い合う。この場所は小学生の頃に潜った記憶があり、春の磯狩りでも漁場として干潮時には、沢山の「カラつぶ」を取った。しかし、現在は密漁として後ろに手が回る。離れた岩場の割れ目に沢山のアワビがいた事を、今も脳裏にはあり、豊潤の海を満喫した幼少の頃があった。住み良かったころの町の、人間関係を懐かしく思う。
CIMG8005.jpg
志津川市街地への換地の時の、新しい町の光景を夢見る。花火が上がり人の賑わいも感じ、高見からの見物ができる事を、今、構想している。10mの嵩上げでの海辺の風景、新しい市街地形成など、最後まで志津川地区を見届けたい。自分の命と共にである。
また、同級生の母が登米市で亡くなった訃報に触れた。

スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】

2014
07/26

南三陸の贈り物 第2弾


昨夜は私たちの同級会「三一会」の、再来年迎える「還暦祝い」の同級会の、第1回目の打ち合わせを沼田の「リッチー」さんに集まった。2時間余りの会ながら昔話と仲間の震災死の現実に、再びの驚きの状況に会話も止まった。

9時半には帰って就寝し、夜中12時に目が覚めた。昨夜は午後11~午前3時まで、我が家周辺は電気工事の為、停電となった。全てが真っ暗で熱帯夜の自室、3時まで眠れない時間を過ごした。震災時の電気の復旧までの生活の大変さを思い出した。昨日は電話が沼田地区で一時的に通じなくなった。お昼12時から午後4時くらいまで、電話での仕事の事業所は混乱しただろう。商工団地には町の事業所が集中し、電気・電話の支障は仕事の命とりとなる。

千葉印刷の「南三陸の贈り物」の第一弾として、南三陸から手紙を発信する為に、南三陸で作られた産品を集め、全国への発信をたが、結果的には全然ダメだった。今回第二弾としては、写真のような商品を集めた。興味のある方は連絡をお願いしたい。

昨日は登米の法務局で「建物登記書」を貰ってきた。「600円」だったが「り災証明をお持ちですか」と問われ、持っては行かなかった為に無料の所600円を支払った。法務局窓口で聴くと、住宅再建の為に法務局作成の書類は、土地関係は10年間が無料で、住宅登記に関しては1年間無料と言う。ぜひ「り災証明」を持参する事をお勧めする。銀行でも「住宅ローン」を契約した契約者には、「フリーローン」があり、住宅ローン返済中は金利が4.8%で、返済後は11%以上になる。有効に利用する為に200万枠を申請したが、銀行の審査しだいだ。住宅は建てて支払ったから、それが全てではない事を知っていて欲しい。
私の場合は、土地の抵当権設定が10万、建物抵当権設定が15万、火災保険が30万、その他にも電話・電気が引き込みは別に掛かり、物置・外構などでも出費があり、200万円以上は住宅建設とは別に掛かった。被災した皆さんはこれからが正念場です。

今日の「夏祭り」は晴天で気温も32度越えと、「熱中症」に気を付けて欲しい。祭りには商工・観光の在り方に意義があり、それを見る事は自分への罪悪感を感じ、会場に見学に行く事に消極的だ。ひと時の癒しの祭、皆さんには楽しんで元気を貰って欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:38 】

2014
07/25

夏祭りだ!


夏まつりが26日にある。賑わいを確保する為に「復興市」と一緒に開催する。私が幼い頃から楽しんだ「志津川湾夏まつり」は、荒島から荒島神社の神輿で神様が町に下りてきて、巫女たちが会場安全を願い、船上で舞を奉納する神聖な行事だった。本浜地区に仮の神社が設置され、そこに仮社務所を設け、役員・宮司・天狗・神輿かつぎ手が集まり祭に備えた。正に本浜町がメイン会場で町がそれを支援し、荒島神社やその氏子が主役となり、海に感謝する例大祭だった。客を呼び込む為に週末開催となったが、当初は7月24・25日の祭日と決まっていた。

しかし、現在は商工会・復興市が主役となり、町が大きくこれをバツクアップして、荒島神社の神聖な祭りが、町に人を呼び込む為であり、商工・観光の町づくりへとその方向性を強くしている。今から15年前の震災以前にも、町民参加の祭りとなり、地区からの山車などで、皆で楽しむ祭りへと変わってきた。
花火大会もあるが、震災前は志津川市街地などは、どこの家々からも花火が見えた。海岸線の見物席は町外からお客さんがあり、もっぱら町民は自宅から遠くの花火を見る光景がどこにもあった。
現在私の住む工場からも、山の蔭になり今年の花火は見えそうもない。多くの市街地の住んでいた町民は、夏祭りを町外でテレビで見る事に、寂しさばかりが募る。祭りの海上安全があり水産業者が成り立つ、その原点がこれまで引き継がれ、祭りの伝統が人々の生活を守ってくれた、この事を忘れてはいけない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:12 】

2014
07/24

激動の南三陸町

天皇陛下皇后様の御来町で町民は「また来てくれるなんて感謝です」とインタビーに答えていた。テレビをつけると町民の声があり、それが私の叔母だったからビックリ、叔母は突然の天皇陛下ご来町のテレビインタビーに、涙ながらの感謝を言葉を述べていた。
140723_181851.jpg
今日の朝は7時に気仙沼へ、気仙沼市での陛下の公務が今日もあり、9時~14時まで市内は交通規制が係ると言う。大谷からの裏通りの帰りは、いつもの4倍もの車の往来があった。
昨日役場に行くと職員の対応がいつもと大きく変わっていた。通常は職員も多忙から「会釈」も無いのに、課長はじめ職員の何時にない「笑顔」「挨拶」「対応」に、天皇皇后様の優しさに打たれたように、人への優しいいたわりの心を持つ事を、お二人のお姿から頂いた気がする。

皇后様のお持ちのバックは、南三陸町の「アストロテック」さんが制作の物をお持だった。こんな心遣いに国民を平等に公平に愛する気もちを再確認した。こんな気持ちが被災地には必要で、多くの人が映るテレビの一部の人たちに、つい私は目をそらしてしまっていた。昨日は10時30分からの石巻で目のレーザー治療だったので、夕方のテレビでのお二人の姿を拝見し、それで私は十分である。
140723_072805.jpg
咋朝7時ごろに韮の浜に配達に行く、漁民の朝は早く既に浜に仕事に出かけていた。45号から帰る途中に寄木・韮の浜の防災集団移転場所を見に行く。歌津つつじ園の向かいに造成が進んでいた。議会の調査でまだ木々の生い茂る山だったが、現在は広大な地区住民の生活の場所が、造成され新た終の棲家に生まれ変わる。

入谷・名足の災害公営での入居予定者が、入居取りやめに町では新たな入居者を募集している。その数が予想以上に多い事に私は驚いた。3年6か月余りの被災後の生活があり、その長さから意向の変更に至ったのだろうが、私としては町民の皆さんに戻ってもらいたい。しかし、家庭・家族・資金など多くの問題から入居を回避したのだろう。悲し過ぎる現実を止める手立ては行政にはない。
進む防集でも意向の変更が2割と言う。現在14500人の人口が町広報にあり、今後の数字の更なる減少が確実と言われている。ここで住んでいた皆さんと共に笑顔で暮らす事が、最大の私の願いとしてあり、その為の活動を今後も続けていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:26 】

2014
07/23

復興へ 前へ前へ


天皇陛下の来町に行政・警察・町民が、歓迎と敬意の気持ちを表す、国旗の掲揚と出迎えの姿に「日の丸」が揺れていた。今日は町内を視察し、午後には気仙沼市に向かう。陛下の優しいお気持ちが、長引く高台移転と仮設暮しに、心の支えになればと、南三陸志津川を愛する私は強く思う。私の今日は10時30分からの、石巻日赤で目のレーザー治療に出かける。

写真はさんさん商店街の南玄関の隣りの「復興スティーション」の、隈氏の街づくりのグランドデザイン模型だ。志津川の3地区の高台横断道路の位置がはっきり判り、私の生まれ住んだ志津川地区の変化を見る事ができる。新井田川の位置の変更と、志津川小学校の裏山が全て造成され、新たな住居として生まれ変わる。病院・役場の近辺の人気意向場所は、東地区北工区が半分に面積が縮小された。是非町民の皆さんには観に出かけて欲しい。

志津川地区の志中の前の津波浸水域に、5mの嵩上げをしてスーパーの建設を予定する「ウジエ」さん。昨日、車のラジオで子供たちの教育支援の活動が伝えられた。登米市の子供たち5名を、オーストラリア・カナダの世界の語学学習・生徒間の交流に、活動支援をする。各国からの全国の団体から、招待の支援が震災後にあり、子供たちは多くの支援に支えられ、少しでも被災の生活の、心のケアの被災地支援があった。これからは地元の企業がこうした活動を支援するべきであり、何時までも被災地ではなく、復興への独り立ちをしないと、町の衰退へと進んでいきそうだ。

今月の5・6日は東大阪印刷支部の南三陸町からの、イベント商品の買い求め支援があり、14・15日の長野県飯島町からの、マジック公演・物資支援があった。昨日はその商品の中身を商店から買い、メールで内容を提案した。また、物資の配布を終わらせる事ができた。一つの段階を済ませ安心して石巻へ行ける。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:08 】

2014
07/22

岩手の被災地を見て


昨日は陸前高田のベルトコンベアーによる、山からの被災低地部への土盛りの事業を見に行ってきた。「凄い!」の一言だが、被災地の状況は場所によって大分違っていた。気仙沼・石巻があるが、市レベルの大都市と比べると、陸前高田の元の市街地は跡形もなく、その被害の大きい事を理解する。観光地だった市街地は何一つ残っていなく、市街地再建はその規模と言い「我が町」とは比べようがない。こんな状況から「ベルトコンベアー」による土取り盛り土再建
を選択したのだろう。大型トラックを一部の地域では見るものの、ベルトコンベアーの集合体の周辺では、昨日の仕事をしていたようだが、トラックの姿は無いに等しかった。
CIMG7857.jpg
「高田一本松」には多くの観光客が、駐車場からの道のりを2Kを徒歩で歩く、往復で40分以上も掛かった。中央の高台の展望台が設置され、多くの人たちが全貌を見渡せるよう建設されていた。土の積まれた他の場所には、「14.1m」と嵩上げが表示されていた。高台からの一本松は、コンベアのベルト通路により阻まれ、観光の為よりも被災地の復旧を優先という状況が見て取れた。駐車場にはキーホルダーなどのお土産物店が、小さな屋根の施設だけだった。市の被災地の商店街も内陸へ2~3K走り、小さな商店街が数カ所あり、さんさん商店街とは大きく違っていた。これが被災地の状況の違いは、何に主眼を置いて復旧するかの、行政とトップの判断にある。隣の大船渡は高田に比べると、その被害の大きさは地形によって、平地部の多さ、津波の方向とリアス海岸の地形によって大きく違う。CIMG7834.jpg
テレビで見て知る「高田松原の一本松」とはだいぶ違う。一本松の下には被災した建物が今も残り、コンベアの先には大きな山が、まだまだ大きく山肌をそのままに、今後もここから低地部への盛り土が切り出される。多くの時間が我が町以上に掛かりそうだ。高田の街の入口には「小学校」の校舎が、まだ解体される事無く、コンクリートの地肌をむき出しにしていた。「児童は大丈夫だったのだろうか」と、その海の川の近さを見て心配する。
ここまでする意味を自分にも問う。震災後の女川町や牡鹿半島、女川原発の周辺への被災状況を見に行った。「政務調査費」がある訳でもなく、議員活動としての当然の事と、自己の再建がある中での行動は、町民に恥じる事ない行動と胸を張りたい。被災地南三陸町の情報とて「南三陸マイタウン情報」として被災の年の7月から、月一回の発行は実費で、ここので30号を数える。こうした事があと何か月できるだろうか。南三陸町で暮らす人を現在は中心に2600枚配る。
「南三陸町の街でまた皆さんと前のように暮らしたい」との気持ちからながら、いつまで活動が続けられるか、自分の懐と相談している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:43 】

2014
07/21

梅雨明けまじか


我が家の小さなプランターの「プチトマト」がこんなにもたわわになりました。収穫の時期もまじかになり、サラダ・ジュースに加え、野菜の一品の節約になります。その他に「オクラ」「なす」があり、太陽の陽を浴び成長する姿に、自然の力を強く感じる。

昨日は北海道からの同級生の帰郷に、6人が集まり近況報告に花が咲いた。地域に広く散らばった仲間の迎えは私のいつもの役目だ。初めに歌津吉の沢に自宅から10分ちょっと、そこから登米市米谷の雇用促進住宅の、みなし仮設の仲間へ、時間は歌津から25分は掛かっただろうか。二人と共に志津川小森へ、1時間ぐらいの迎えながら、心の通じる仲間とのドライブも、またイイものだった。町から離れても繋がっている同級生との交流は、年2~3回と震災後から少しずつだが増えつつある。

今週は自分たちの「還暦祝いの会」の、第1回目の会議を沼田の再建した店を会場に集まる。60歳を迎えたと言う意識は私たちは薄く、震災で生活の停滞が年を取る事が止まらせた気もする。震災でその労苦から老いを増してしまった仲間もいる。再来年の2月頃と思うが、県内・全国に散らばった同級生への案内も住所の確認に事務局は頭を痛めている。多くの亡くなった仲間も震災死と、以後に急逝と、思い出すと寂しい気持ちばかりが募る。

震災直後神奈川から送られた、「絵手紙」の「希望を失わないように」の一節が心に止まった。目標・希望・夢を私は持ち続けている。それが明日への活力となるが、町民の多くが疲れつつある現生活に、高台への移転・新しい被災地に類を見ない町づくりへの姿に、希望を持ち今を生きている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:20 】

2014
07/20

町復興までの拠点としての入谷地区

今日の新聞には「あさひ幼稚園」の解体への記事が掲載されていた。日本サッカーのキャプテン長谷部選手が、被災地の子供たちの為に1億を超える支援をしたが、開園2年目の解体となった。園児は言う「サヨナラじゃないよ」と。
志津川地市街地の東区北が、移転意向の2割減により、3分の1に減少となった。一町民ながら高台移転に関係ない町民には、その細部の報告はない。昨日志津川商店街隣りの「復興スティーション」に行ってみた。UR・行政の復興の姿を町民に、来町者に伝える為であるが、本当は町民に見てもらいたいと私は思う。隈研吾氏の志津川市街地再生のグランドデザインが、模型として展示してある。その模型で高台・低地部の再建が一目で解るようになっていた。その側に志高生徒による模型も作られ、自分たちの町の形を設計した隈氏事務所の指導の受け、将来の南三陸町の姿を考える。
CIMG7762.jpg
昨日は私の仲間の鈴木君の「おもちゃの図書館」の活動拠点が、入谷鏡石の入口にできた。それはログハウスで、立教女学院と関東の50を超える大学の支援により建設された。入谷地区の人々との地域との交流・支援の元で開設となった。
マーガレットハウスと言う名称ながら、別名を「くつろぐはうす」と鈴木君の友だちが命名した。「皆がくつろげるログハウス」としてもう一つの名前がある。「ぐ」の点は靴が二つあるデザインで、玄関に多くの人が靴を脱いて集る、こんな願いが込めてある。
CIMG7751.jpg
ハウス内はワンフロアでキッチン・トイレがあり、二階のロフトへは階段が設置され、子供たちの遊び心を掻き立てる設計が施してある。三陸道の現在の最終地点「米谷IC」から398号道路から、マーガレットハウスの姿が見える。
おもちゃ図書館連絡会の代表は言う。ハウスが多くの人達との交流で、たくさんの花で包まれる事を願いますと言う。
月に数回の活用ながら、多くの被災地支援や住民の活動の場所として利用して欲しいと、鈴木代表は挨拶で話す。地域の有志は「入谷は町再生までの町の拠点として必要な場所」と言う。今度入谷地区の出身議員と地域の会議があると言う。復興前の南三陸の拠点としての活動に期待したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:20 】

2014
07/18

土地があれば


昨日は母の入所施設「いこいの海・荒砥」に支払いに行ってきた。当初は7万~8万円だった入所費用がその半分になり、高齢者を抱える家庭には助かる、こんな日本の高齢者政策制度に感謝する。
その行きも帰りも沼田からの細い道を通り、平磯の真ん中の道路に抜けられる。途中には平磯地区の仮設があり、その向かいに防集の高台移転場所がある。昨日1か月ぶりに通ると写真のように住宅建設が進んでいた。少しの間にここまで進捗は、「土地が確保されれば!」、こんなにも早く住宅再建ができる。

140717_182859.jpg
昨夕テレビで「伊里前福幸商店街」の紹介をしていた。代表の山内さんは、被災前はスポーツ用品を多く販売する、洋品店として「平成の森」の下で営業をしていた。被災地では運動用品は売れなく、「ハンコ」などを販売していた。被災地ではすぐに必要な物が商店街で売れると言う。しかし、最近スポーツ用品も売れてきましたと話す。少しは生活に落ち着きができたのかなと言う。「今年は地区対抗ソフト大会を始めます」と、笑顔でインタビューに答えていた。
次に鮮魚店に回った。「うに丼あります」と店頭に書かれてあった。今年は歌津地区は4回?「うに開口」となったと聞く。歌津の地元産の新鮮なうにを、取材の女性が「甘い」「美味しい」と口に頬張る光景は、県内放送ながら行って見て食べたくなる。こんな心情にさせる。
こないだ3人・7人と県外のお客さんを、志津川地区のさんさん商店街に案内した。ちょうどお昼の混雑する時間、行列30分待っての「うに丼」に在り付けた。歌津までは15分もあれば着く、少し歌津への海岸線を見ながら「伊里前福幸商店街」でのう丼もお勧めだ。

南三陸町は防災庁舎だけでなく、まだ発見されない家族も多く、海に向かっての合掌もある気がする。来週の天皇陛下の来町にあたり、道路の整備清掃で町は一時期ながら綺麗な道となっている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 16:54 】

2014
07/17

拝啓安倍内閣総理大臣様


仙台に向かう「三陸道」の矢本左側に見える大規模団地がある。建設業者の宿舎と思っていた。
昨日は安倍総理が「東松島市災害公営住宅視察」で来市し、被災地の災害公営住宅の現状を見に来た。一年も前になるだろうか、住宅建設が進み既に多くの東松島市民が入所している。我が町はこの夏に入谷51戸と名足33戸の、災害公営住宅がやっと完成し、入居者に引き渡される。
昨日は震災特別委員会の「臨時議会」があり、換地問題を議論していた。都市区画整備事業は複雑で難しく、役場の窓口での議会中継でも、質疑でのやり取りで議会が中断していた。執行部の復興土地整備課の担当は、URの自治体派遣職員が担当し、その説明にも換地の特殊な言葉に理解できない答弁があった。
こないだまで「申出換地」の書類が2通郵便で来た。書類提出を多忙からフートーの封も切らずそのままにしていた。役場の担当課の職員から連絡が来て、その詳細を言葉できいた。換地はしょうがない状況から決めていた。その説明の換地方法・場所などから、元住んでいた土地が10m嵩上げされ、その場所も換地場所となっていた。先祖の土地の上でまた営業ができる。当初は広場として提示されていたので、この区割りゾーンから換地と場所を決めた。
岩手県の缶詰会社で違法就労で労働基準局で立ち入り・摘発をすると言う。被災地では会社の復活はしたものの、労働者が半分しか集まらなかった。以前の従業員の震災による内陸部での生活があり、事業所経営者の苦悩がある。この現実に自社は大丈夫か考えた。何とかクリアしていて、仕事も以前の半分以下なので問題とはならない。缶詰会社は従業員との協定から、時間外は42時間と決めていて、仕事の多忙から過剰労働が121時間と、規定の3倍になっていた。一日も早く借金返済のため、事業の回復の為と頑張っている事は、同じ被災地の事業所として、大小ある会社でも被災地事情は同じである。
制度・法律・規約・規制など、多くの縛りの中で被災事業所は、再建へと進んでいる。被災地の再建は地元の復興と深く関係する。水産業の復興支援があり、住民の再建の資金の確保がある。復旧復興が長引けば、被災地の自治体消滅への人口減少へと突き進む。国も国民を救うために思い切った「緩和策」を打ち立てて欲しい。これは被災地だけでなく、国の将来への問題でもある。
2006年「ジャワ島南部地震」が今日の発生だと言う。海岸には6m~12mの津波が押し寄せ、600人が亡くなった。今回の津波災害の検証で、防災対策の強固な体制作りに国はあたるべきだ、島国「日本」は避けて通れない現状からは逃げられない。想定外は今後は許されない。
薩摩川内の「川内原発」が原子力規制委員会で、稼働基準に問題はないと言う。あの「福島原発」の検証と問題解決はまだなのに、国民の安定生活への電力確保と、相反する課題の中で国の苦悩は続く。国民の話しに耳を傾け、「閣議決定」での集団的自衛権の決定など、現与党の命取りになりかねない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2014
07/16

多くの思い出と共に


防災庁舎に被災地支援の受け皿として、2週連続して「未希さんが最後まで頑張った所へ」と言う要望を受け、防災庁舎を案内し、当時の悲劇の姿を報道で流れるままの話しをした。

「日々折々の是々非々で」、こんな事を思う。当時は、殉職職員の家族の「解体してほしい」の希望を酌み、議会でも強く解体を行政に話した。その後、殉職職員の子供たちの声「もう少し考えて」の言葉に、この声にも応えないといけないと、解体への意識が少し低下した事を思い出す。そして今、町外からの来町者の声と、時間が立ち今後を考えると「残した方が」と言う声が、日増しに多くなってきた。

行政は議会で「解体宣言」し、既に解体は県の管轄となった「防災庁舎」は、県の遺構検討委員会で議論をされている。国でも自治体に一つの遺構との方向に傾いている。今後は保存に国費が使われると言う。
広島の「原爆ドーム」を見た遺族は、こうして悲劇の場所で辛い記憶が残るが、保存する事で亡くなった家族の想い出は残るのではと、こんな気持ちにもなったと言う
時間はあの辛い気持ちを少しずつ間違いなく癒していた。怒りの矛先を誰かに向けるのではなく、心に納め何らかの形で想い出を残す事に向かっている。決して家族の死を忘れる事無く、語る事で涙とともに辛さを、天国から家族を癒してあげている気がする。こんな遺族だけではないと思うが、家族の各々の気持ちを大切に行政には考えて欲しい。

「あの場所へのそのままでの保存でないといけない。」、そんな声を強く今回聞く。記念公園のこれからの整備には、「私たちは心にいます」との防災庁舎が町を家族を見続ける。行政の復興への取り組みを最後まで見ている。震災死の皆さんに恥じない町の再建をお願いしたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:48 】

2014
07/15

4年目を迎えた被災地支援


被災地の仮設生活者支援に、物資の支援が2年続き、3年目から物資とひと時の癒しと、マジッククラブの皆さんの支援となった。仮設集会所からは笑いと拍手と会話での交流があった。戸倉中仮設には30分遅れの開催ながら、皆さんは不平も言わず待っていてくれた。長野からは9時間半掛かり、私も開催一時間前に準備をして、まだか・まだかと車2台の来町に、焦りまくった初日のマジックショーだった。

物資・歌謡・交流などはあるが「マジック」は無いと言う。子供たちの不思議な目の前の手品に、一心不乱に見つめる姿に、受け皿として来町者支援の意義を感じる。

昨日は夕方に「未希の家」への4人の宿泊を案内し、時間が遅くれたにも関わらず、おばあさんが震災当時の荒砥の津波の事を教えてくれた。お父さんは8人のお願いの「焼香」を快く受け入れてくれた。翌日、未希の家では宿泊した長野からの4人に、ハッピを来てもらい家の前で記念写真に応じてくれた。その後で「防災庁舎」に線香を手向け、2日目の志中のマジックショーに臨んだ。集会所には35名余りが集まり、自治会長さんの気配りにより盛会に終わった。

終了後には皆さんと記念写真、集まった全ての人がフレムに入り、笑顔で答えてくれた。少しの憩いのひとときとなったし、癒し安らぎの時になった。お昼はさんさん商店街で、勿論「キラキラ丼」のうに丼に舌鼓、お土産もここで買い求めた。ここから入谷を通り「三陸道」に乗り、一路長野県への帰路に付いた。無事に9時間30分の往復、安着を祈る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:18 】

2014
07/14

ドイツの24年?ぶりの優勝


4年に一度のサッカーワールドカップに魅了された1か月だった。

オランダのロッペンの持久力とドリブル、コロンビの点取り屋のロドリゲス、メッシのドリブルは速さからのシュート、など等素晴らしいプレーの、サッカーの魅力にはまってしまった。日本のレパルはまだながら、そう遠くない将来の若い人材の世界での活躍で、経験を積み4年後のワールドカップの決勝トーナメントの出場活躍を期待する。

ブラジルサンパウロには(写真)こんな夕日があった。日本は朝5時頃の12時間違いの光景だった。優勝ドイツ・最優秀選手はメッシ・最優秀GKはドイツのノイアー・得点王はロドリゲスの6点だった。

活躍した選手は奥さんのサポートと子供の支えがあった。ロドリゲス選手は肘に子供の名前のタトゥーがあり、「何故ひじにキッス」と思っていたら、そこには名前が刻まれていた。メッシもヨーロッパで家族3人での暮らしがあった。家族の必要性を世界で活躍する選手の生活に知った。サッカーがこんなにも激しい体のぶつかり合い、そして緻密な計算があり、個人技もさることながら、チームワークやデータの戦いに、その深さを初めて感じ知った。

それに引き替え「地方議会」のレベルの低い、「金欲」に走る輩の多い事に落胆する。政治調査資金の制度の悪用は、一部の議員におさまらない事実に、その議員のモラル・姿勢に問題がある。議員必携により議員のあるべき姿を指導があり、議会からもその在り方を強く指導された。兵庫の野々村議員は、議会職員を「しかりつける」などの報道に、「あなたは何様」と勘違い議員がまだまだ多い事を知る。「議会は学芸会」とよく聞かされた。議員の質問の通告書があり、執行部からは答弁書があった。決められた議場での議論もあると聞く。議員の質問の趣旨を理解し、議場で瞬時に応え、議会が停滞しないようにとの「議員通告」と聞いた。今回全国の地方議会での問題に、換金できる物の購入は政務調査費として認めないがあるのに、兵庫県では「号泣議員」の他に9人が同様の切手購入をしていた。郵便局窓口での郵便料金支払いで領収書がもらえる事を知らないとでも言うのか。私の町議会では「政務調査費」は認められないと言う。今回、「号泣議員」は1800万円の政務調査費3年分を返還する意向を示したと言うが、まだ返金は無く、「辞職願は議長が受理」した。今回、議員の要求で一般質問を議会職員が作成すると言う話に、議員がお願いすれば、議会はモラルも考えず、議員の要求に応えたと言う話に、「議員活動ってなに」と地方議員のレベルの低下を感じた。

今日は町の南三陸病院の地鎮祭があり、私は午後から「長野県飯島町」の被災地応援の同行を会社として支援をする。サッカーが終わりこれからゆっくり眠れる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:38 】

2014
07/12

望みあり志津川高校


今朝4時20分ごろの、福島沖地震により震度4となった当地方、「津波警報」の形態がけたたましく鳴り響いた。津波避難が防災無線で呼びかけられたが、南三陸町の避難した人が無しに、当然の事と思った。これぐらいなら現在暮らす場所までの津波は到達しないと考えている。行政の防災無線はマニアルどおりで、気象庁より津波発生の連絡で、町内に義務的放送でしかない。3.11の大震災を経験し津波の怖さは身に染みて判って居る。今回の津波は石巻鮎川に20㎝の潮位を観測した。

以前の場所に今も暮らしていて、3.11の津波が他の地域であったら、真っ先に避難しているだろう。台風8号も私の街には被害が無かったものの、過去の台風の高潮で基礎が高い家にもあと少しで、床上浸水になった事を思い出す。今の暮らす商工団地は高台にあり、以前のような津波・高潮の災害の心配はない。しかし、自宅から海の見えない生活は生きてきて初めて環境で、志津川に暮らす良さが少し減った。

30年に西高と気仙沼高校が統合となる。本吉・気仙沼地区の高校生が、現在821人で平成33年には500人位になると言う。志高は今年の入学は114名でスタートしたと、校長の代わりに今野教頭先生が、挨拶の中で話す。今年は「創立90周年」を迎え、同窓会のご協力をお願いしたいと話す。

創立90周年は11月11日を予定し、記念行事として戦場カメラマンの渡辺氏が記念講演をする。出かけると多くの事を知る事ができる。佐藤仁後援会長は言う、3つの内の一つのお願いに、天皇陛下の御来町にあたり、さんさん商店街に御こしになる。沿道の「旗での出迎えをお願いしたい」があった。まだ震災からの復興が進まず、結構難しい問題と思った。天皇陛下はそれをご理解して御来町になる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:31 】

2014
07/11

感謝・感謝です。


「申出換地」で本浜の自宅会社の土地が元の位置に、嵩上げ後も土地を確保できそうだ。だが土地の相続は無理と判断する。10m嵩上げの志津川市街地は、都市計画の整備後は地価も上がり、固定資産税は上がるとの行政の説明に、「しょうがない」との被災住民の弱さを実感する。行政の言いなりになるしかないのか。

偶然に中学剣道の教え子が、志津川町内で就職し頑張っていた。「千葉先生しばらくです」と声を掛けられ、顔を見ても思い出せない、胸のネームを見ると「佐藤・・・」、その成長に驚き「8年ぶり」ながら、彼から「今度飲みましょう」と誘われ、彼はもう23歳になっていた。同時代の志中剣道部の先輩の震災死に驚いていた。
震災で帰って来る若者の再会に、私ももっと頑張らないと、町再建の力の一部なり彼らの為に、共にまだ努力しようと思った。志中剣道部時代の教え子が身近に接してくれる。今の志中の現状に怒りもあるが語るまい。

長野県飯島町からの物資が毎日のように、宅急便で届き玄関は一杯となっている。4年目となる長野からのじゃがいもなどの仮設の支援は、今年も来週月・火曜日となる。今回は80世帯規模の仮設にマジック・物資支援をする。既に58仮設の3分の1に物資を配った。しかし、「私の所にはもう物資は来ないですよ」に驚く。今後は情報を聞き支援が来ていない仮設への、物資の配布を今後もしていきたい。一世帯にネギを2本・ジャガイモを6個・米は一握りなど、少しでも支援はありがたいの言葉に、これからも善意の物資を配布していきたい。

自分の恥をさらしても、これから住宅再建の南三陸町の住民に、注意喚起と業者選択は慎重に、多くの人たちのアドバイスに耳を傾ける事の必要性を、伝えていきたい。「顔の見える建設会社」「地元の真面目な安定した工務店」など、大切な自己資金を無駄とならないよう、これからの「終の棲家」の実現に協力したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:06 】

2014
07/10

自然災害の恐ろしさを胸に防災を考えよう



長野県南木曽町の台風8号の一時間に97ミリの集中豪雨により、土石流の発生し中学生がその犠牲になった。
長崎県雲仙普賢岳の大火砕流、和歌山県那智川の土石流など、視察で行きその被害の恐ろしさを肌で目で見て感じた。南三陸町を襲った東日本大震災を経験したが100年に一度と言われるもので、自然災害は年に何度も襲来する、同じ自然発生の災害です。現在町の多くの場所で高台移転の造成工事があり、集中豪雨による二次災害が心配でならない。

人間の無謀な開発は、宮崎監督の「平成の狸合戦ぽんぽこ」で、最小限の開発で自然を考え、動物と人間と自然の共生を訴えた映画だった。震災からの復興の高台の造成は大規模開発ながら、災害の発生を十分に考慮し、造成整備をお願いしたい。
現在は全ての町の移転場所で造成が進む。赤土が多い我が町の高台は、災害発生の可能性を常々考える。志津川高校の裏山があり、志津川小学校脇の新井田中央区の広大な造成地があり、復興途中での異常気象発生のこの現状での、「土石流災害」を心配する。5年前の翁倉山の土石流が戸倉地区でもあった。過去の災害の検証で今の山地の災害を最小に、人災とならないように防げる気がする。

小学校の防災教育の教員の集まりが一昨日志津川小学校であった。小学校の公的施設の災害時の活用が新聞の記事にあった。住民の避難場所としての機能、備蓄として毛布などの確保、食糧の備蓄など多くの救済の方法を備えた学校を目指すと言う。太陽光発電や発電機の設置が求めせれ、飲料水は今回の災害でも一番欠かせない物と解った。

現在は九州に上陸した台風8号、宮城には11日に通過する予定だ、長野県もルートの真ん中に位置し今後の更なる被害が心配だ。台風はこれから一気にスピードを上げ日本を縦断する。今後は災害が無い事を願うしかない。被災地の災害復旧を早急にと思うが、その被災地の復久工事が町の復興に影響が少なくあって欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:47 】

2014
07/09

身を呈しての告発?


今日は南三陸町で早朝から車両火災が歌津港地区であった。サッカーではブラジルが前半で「0対5」と、ネイマールとキャプテンがメンバーから欠場での準決勝の失点に、サッカー場はこの結果に、ブラジルサポーターが涙に包まれた。

昨日の報道に今の日本の闇が見えてくる。この間も警察官幹部の自殺があり、「バワハラ」とメディアは報じていた。こんな中で隣の町、登米市佐沼警察署で遺書を残し警察官が自ら命を絶った。遺書には二人の上司の名前が記載していたと言う。「パワハラか」「目の前の実態を解決できない未熟さか」、現実は自死と言う事で、何が起こっての死に至ったかは、加害者と被害者の真実内容は解らないままで終わる。こんな事が起こらないよう対応する警察署の事件、これが日本の実態とは思いたくない。
昨日も「脱法ハーブ」の事件が二件報道され、仙台がこの一件であり、身近な所と思ったが、使用していても発覚しなかっただけだろう。国の脱法ハーブの取締りの遅さ、販売店の捜査・摘発など警察対応の遅さばかりを感じる。

死んだつもりなら何でもできるし、目の前の自分への過剰な攻撃に、「正義感を持って戦う事」を学んだはずの警官の死は、現代の病と思う。「戦え!」「悪に挑戦しろ!」と今後の発生阻止に、叱咤激励の言葉を送りたい。陰湿ないじめは想像を絶する心境となる、その前にそこから脱失する事が出来たはず、「もう少し頑張れば」と無理は禁物だ。事前に防ぐことで犯罪の拡大を防げる。それが警察で発生した事は深刻な社会問題と受け止める。

内部告発は「悪」ではなく、「善」と言う意識を持って欲しい。「あの人の為」「町の為」は自分を捨てている。これでは町民の幸せはない。自分本意な人間が、富と幸を得られる一部の現実に、人間社会からの反逆がある気がする。「普通が一番」「生きている事が幸せ」と、自分の障害となる現実と向き合う事をやめる事も、勇気ある行動と思う。

「成るようにしか成らない」は、自分の思うように総てが進まないのは当然と、私は考え事で気持ちが楽になる。こんな大天災を経験した私たち、「生きているだけで丸儲け」と明石家さんまの言葉を思う。生きているだけでいい。命を奪ったのは誰だ!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:01 】

2014
07/08

入谷地区は福祉の里


昨日は入谷地区に買い物にいった。新鮮なお得意の魚屋さんが「マルヤス及川」さんで、カツオとホタテの刺身と、蒸しホヤを買い食卓に載せた。当然「うまい」である。

2か月ぶりに慈恵園建設場所の前を通った。6~7月の完成予定で、この様子だと8月頃にはオープンとなりそうだ。自然いっぱいの人情味溢れる入谷地区の環境は、老人介護施設として申し分ない。私も将来年を取ったら「慈恵園」が、資金的にもここしかないだろう。
また、障害児を持つ家族の拠り所としての、「やもちゃ図書館いそひよ」が、今回入谷地区に建設となった「マーガレットハウス」を拠点として、活動の充実を図っていく。その他にも「デイサービス」があり、高速道路とも近く、仙台から来るにも交通の便が良好だ。「福祉の里」にふさわしい南三陸町の入谷地区、震災直後に南三陸町の第二の町の拠点として、多くの人に構想を話したが、その話に耳を傾けてくれたのは一部の方だけだった。

仙台の災害公営住宅の施設の不備が新聞に掲載されていた。「ペット帯同」「車イス」限定など、入居者希望のミスマッチがあり、完成した住宅への入居が空室1割超えとなっていた。被災者の要望を総て聞き入れるのは無理と思うが、残った空室住宅は自治体の負担となり、今後重く財政に圧し掛かってくる。

昨日から南三陸町は警察署員が、国道沿いに多くいると、来社する業者が言う「なんでですか」と、先週新聞掲載となった、南三陸町・気仙沼市への天皇陛下の視察が23・24日で、その警護の警察の事前の体制確認と思う。

新聞には多くの南三陸町へ気仙沼市への「被災地支援」の記事もあった。知らない多くの皆さんの支援に感謝しかない。昨夜飯島町からの南三陸町支援日程がメールで届いた。随行で段取りを付けて下さった竹澤議員のご苦労にも感謝です。

大型台風が日本列島を横断しそうだ。11日頃に私の街にも来るルートだが、支援の日が14・15日で台風の影響はなさそう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:22 】

2014
07/06

南三陸町応援支援随行


東大阪印刷支部会の皆さんが南三陸町の商品を買付し、支部会のビアパーティーの景品を買い付けに来た。どこの商店かの手配を任せられた。

待ち合わせ場所は「防災庁舎」で、他から来て市街地の目立つ場所と言えばここしかない。この日も多くの観光支援者と、殉職職員の関係者がこの場所を訪れていた。志津川地区は「上の山津波避難場所」・「町の社協跡地」「志津川中学校」の高台を案内し、今の姿を見せ状況を伝えた。志中の場所には被災前の志津川の姿のパネルがあり、その大変わりした風景に驚いていた。
次は一路歌津「コクボ荘」さんの民宿に案内した。食事の風景写真で昨夜は少し飲み過ぎた。大阪からのお三人は南三陸町の民宿のご馳走に、凄い美味いと大感激だった。ヒラメのお頭付の船盛りを「こんなに凄いの」と、10品を超える品数に「南三陸町の民宿はイイですね」と言ってくれた。
翌日は「未希の家」にまわり、仏壇の焼香をお父さんは快く了解してくれた。次に一軒目の仕入れ先の「かね久」さんで、乾物のセットを作り「40個」を注文した。その後で私の会社の跡地の場所により、海岸の防潮堤の津波崩壊の姿に驚いていた。2カ所目に「さんさん商店街」の、「ちばのり店」さんと「及善蒲鉾」さんで、残りの「60個」を調達した。その後で昼食は今が旬の「うに丼」を頬張る。「松原食堂」さんも行列ができ、「フードコート」にも各店からキラキラ丼が運ばれ、驚くほどの賑わいを見せていた。県の庁舎跡地の広大な駐車場は、大型バスが並び満車状態だった。震災からの復興を伝えるセンターが「休館」なのが残念だと言う。

今度は来週の月曜に9人が、長野県飯島町から南三陸町に仮設生活者支援に来てくれる。1泊2日で町の復興支援に訪れ、その手助けは地元支援と私は受け止めている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 20:05 】

2014
07/05

自分ができる事


金曜日の一日を精一杯活動した。病院通いが家族内で重なり、今週は3日しか働けず、南三陸町への被災地支援も二つあり、その準備と「マイタウン情報」の発行をした。そして私の心のジャンヌダルク精神を植え付けてくれた、佐藤美枝子さんの追悼句集「紅樹」も完成しその発送など、亡くなられた方に報いる活動に、全勢力を費やしている。また、昨夜は仲間が8人集まり、しばらくぶりの情報交換をした。

戸中・志中仮設集会所でマジックショウの準備に追われた。2年目となる「南三陸応援」のマジック公演は、昨年からで南方・歌津での開催を皮切りに、今回は二つの仮設集会場に決めた。まだ開催していない仮設からと思い選択した。自治会長さんの協力と仮設生活者の理解が無いと、多くの方に集まって貰えなく、是非皆さんとの交流と支援の気持ちの仲介にしたい。今回は9人の長野県飯島町からの来町で、高齢化が進む町として全国放送でも伝えていた。長野県ならず全国での人口減少と高齢化は避けて通れず、国の大きな問題となっている。それを解決するヒントが南三陸町の人口流出にあるかも知れない。外国人労働者を受け入れれば良いではなく、「この町でこの国で生きたい」、こうした世間の風潮と若者の元気を取り戻す事が、この窮地からの脱出のカキとなる。

我が団「志津川剣道スポーツ少年団」が、来月の試合参加に向けて練習内容を変え取り組んでいる。昨夜は1年が8級、3年が7級の合格証書の伝達から練習を始めた。二人にとっては初めての剣道防具装着、そして竹刀を操作するのは大変な事だろう。できる事から一歩ずつ目標に向かい剣道に取り組む事は、努力する我慢する等多くの生きる為の「術」を身に着けられる。親の意向を聞き自分なりの指導を理解してもらい、剣道スポーツを楽しんでもらいたい。我が団は子供の可能性を伸ばすために、私が58年間培い生きてきて学んだきた、子供たちの成長にとって良い事を、親が否定しても了解し団員になって貰う。私の指導に異論があるなら、辞めてもらってもいい。志中でも戸小でもチームの統率・チームワークを乱す生徒は、話し説明し理解得られなければ辞めてもらう方向でやって来たが、退団した生徒は記憶にはない。他の子のマイナスは指導者が判断し対策を決定する。石巻の7段の剣道指導者指導でもある。

今日は東大阪の知人が、夏のイベントの商品を、南三陸町から仕入れ「被災地のお役に立てれば」と、一泊二日で来町する。地元の商店3店に協力をもらい、勿論地元の民宿に泊まり、食事は「うに丼」を食べてもらう為、志津川商店街に回る予定だ。これが今日の私にできる事です。

今日は印刷組合の展示会が仙台であり、県の理事として会場の運営支援をする。これで今週に石巻・仙台は4回目となった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:03 】

2014
07/03

君の役場窓口の笑顔のままで私の知る未希は生きている


「未希さんの家に伺えませんか」とまた、私の知人から連絡が入った。全国放送にお母さんの心からの「おもてなし」に、全国の国民が何かしてあげられないかの反応と思った。2日の開店で訪れた3人は、福島原発の生活制限区域の、大熊町と双葉町の仮設で暮らす方達だった。てんこもりの「うに丼」が両親の心ばかりの感謝の印だろう。再来週に南三陸町へ長野県飯島町からの応援支援に来てくれる方も、「是非未希さんの家に泊れませんか」の願いは、4週間以上も前に予約し、聞き入れてもらった。

両親は話す「未希の願いを叶えて上げた」と。決して商売では無く、娘の願いと我が家・地域を支援して下さった皆さんへの恩返しと言う。心無い言葉もある。「メディアの宣伝もありいいな。」とか、色々あるが言葉にするのも、私自身ご両親がそんな人ではない事を知っていて、言葉を発する人には「そんな事は無いですよ」と説明をする。
震災前に町民税務課の私の同級生の課長の下で、税収の滞る私の支払いにも「笑顔」で対応してくれた。その窓口の業務の笑顔ままの彼女が、今も私の知る未希さんです。ついつい今の被災地での現状と比べてしまうが、彼女なら「みんな同じですよ」と答えが返ってくるだろう。志中の剣道部主将であり、私の剣道の教え子として私は接してきたが、防災対策本部の立ち上げ方と、トップの体制づくりに今も腹が立って仕方ない。彼女はそんな私にも「千葉さん責めないで」と言うだろう。だからこそ人口減少での町の危機となっている事に、「人口減少はしょうがない」と言う、行政のトップたちの言葉が許せない。貴方たちを生かせたのは殉職した職員であり、「亡くなられた職員の為にも頑張る」と言った言葉の、裏腹が今の現状から許せない。

都議会の議員の女性差別発言があり、申し出て謝罪したものの、自民以外の民主党の議員も続いて申し出た。「彼女を救った言葉」と言うが、若い女性の一般質問の初めての事に、やはりこの時の発言は謝罪しても、二人に次はないだろうし、有ってはいけないと思う。今度は兵庫の県議会議員で、温泉に195回行き政務調査費「300万」を使って、報告書も記載しないし、議会報告もなかった。その謝罪記者会見の見るに堪えない「号泣」に、いったいこの醜態は何と思った。信じられない地方議員のモラル・レベルの低さを痛感する。神聖で簡単に席を置く事ができない、議員にこんな人間がいる事に、日本の行く末を按ずる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:46 】

2014
07/02

生活習慣の改善で将来への身体の予防を


脱法ハーブによる車の暴走が頻発し、何の関係も無い人々がその犠牲となっている。大阪でも暴走事故が発生した。

今回の事故の原因が判明し唖然とする。糖尿病による「低血糖」がその原因であり、私も最近「低血糖」による身体の異常を実感した。まだ軽く「冷や汗」「体調不良」があったが、医師に聞くと気を気付けないといけないと、処方の薬の変更指示を受けた。以前にも知人が車運転中に意識を失い、交通事故に至ったと聞いた事がある。糖尿病予備軍が日本には沢山いて、普段からの病気になる前兆時に真剣に改善に取り組む必要性を訴えたい。私も「あの時に!」と今になって後悔する。
テレビでの「長州小力」の糖尿病診断があった。甘く見て番組のコーナーで治療に取り組むも、「大丈夫」と食事治療や運動などで、血糖値を下げられ安心し、また一時期血糖病の改善に取り組みをやめた。今回本気で治療し、血糖値120とヘモグロビンA1Cが8.2と改善されたものの、「2型糖尿病」と診断された。3代合併症は網膜症・腎不全・神経障害があり、小力さんは近い将来に「人口透析治療」となると診断された。体内のアルビミンの値が以前までは「60」だったものが、今は「600超」なり300以上は腎不全と診断される。一年もたたずして最悪の状況となった。私も甘く見た一人で、現在「進行性糖尿病網膜剥離」と診断され、今治療している。神経系では血行不良による「壊疽」がある。合併症の悪化で普通生活ができなくなり、寿命もちじめる事となる。

喉が渇くが最初の症状だった気がする。あれから28年ぐらいが断つ、眼科で先生に「血糖値は順調です」と言うと、今の血糖値ではなく以前からの病気が、体に影響を及ぼしている、と言う。自分の糖尿体験を言う事で、患者が減れば嬉しい。

今日の新聞には、気仙沼と西高が平成30年4月に統合となると掲載され、天皇皇后両陛下が今月の23・24に気仙沼市・南三陸町を視察する。また、旧役場周辺に「祈念公園」が規模を縮小し整備へと、地権者説明があり「もっと早く伝えて」と声があがった。1年前には既に縮小で行政は動いていた。町民の皆さんともっと町の情報に耳を傾けて、発表した時は既に決定している事案が多い。

米谷高校の最後の高校野球に向け、生徒が頑張っている。ピーク時に700人を超えた生徒数が、今は3分の1と言う。我が町も・我が高校もどうなるか判らない時代にいま生きている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:34 】

2014
07/01

町の実態を知れば知るほど空しい


昨日は5月の南三陸町の状況を地元新聞で、一気に読み現実の寂しさと、震災から復興の対策での、町民離れに驚き、その真実の把握を公表していない、町の姿に空しさを感じる。

他人任せでは何も前に進まなく、住宅建設も「坪40万」での格安の業者選択がありそのツケが、期間の延長と自己での業者を探し、ここまで来た。昨日で自宅の予定だったアスファルト舗装も、終わり5月10日からの住宅建設を終了した。

南三陸町の大震災で3300世帯が被災し、意向が示されない町民が650世帯ある。既に町外に出た人や、老人ホームに入居した方など、諸々の被災後の生活があるようだ。行政からの報告は自己の今の生活に、何のプラスともならないから、行政へは自己のこれからの意向を示さないのだと思う。気仙沼地区でも人口減少なのに世帯が増えている。南三陸町も同じで、家族が分離する事で被災者支援策が、対象となり再建にプラスとなるからだろう。

志津川地区の3地区の計画が2割減少、計画の修正が余儀なくなった。
東地区は防集135戸(46戸減)、災害公営281戸(89戸減)
中央区は防集135戸(10戸減)、災害公営147戸(24戸減)
西地区は防集70戸(20戸減)、災害公営98戸(27戸減)
合計で防集は359戸で76戸減少、災害公営は526戸で150戸減少となった。私の会報では25年11月には、議会での私の集計で防集388と公営442戸であり、26年2月では議会広報の情報では、防集435戸と公営526戸であった。結果的には住宅建設の難しさから、多く戸建が公営住宅に変更したようだ。

町の報告からの志津川市街地住民戸数は961戸から、885戸となり2割の650世帯の動向があるが、半分の増加も難しい気がする。
余生を考え自分の行動や生活設計を立てる。多くの町民も自己での再建は、自己の置かれる環境から、これからの生活を考えている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:00 】


TOP