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ARCHIVE - 2014年05月

2014
05/01

志津川が変わっていく


私は被災地にあり皆さんと違う生活をしてきた。議員と言う立場に当時あり、町の早期再建を行政に訴え、被災地の状況をブログ・会社ホームページで全国に発信し、多くのボランティアの地元活動支援を続け、今も支援にはできる限り答えている。被災し広く散った仮設で暮らす方々へ、南三陸町の情報を伝え、早期帰還を、町再建を・人口流出の防止の活動など、「あの町の人々とまた志津川で暮らしたい」」と思い活動している。これが私のこれからの道と思っている。
震災を通して、多くの関わった人々には感謝しているが、神仏への恩恵を受け生きられている、偶然の生死の重みを受け止める。神棚と仏壇は現在準備を進めている。残った両親の3人の生活も、母の認知によるホームでの入居により変わった。両親の老いとの戦いはこれからながら、「自然に共に生きるのだ」と、福祉関係の方に教わった。決して戦うのではないと、私はまだ楽と知った。
4月30日は、被災から仮設・仮工場事務所との脱却の日となった。レンタルトイレの返却や、仮設の返還・戸倉の電源・水の中止などの手続きを終えた。
トイレの掃除にいった時に、こんな光景を目にした。戸倉の荒町に向かう西戸の向かいに、海を見渡せない程の土盛りが高く積まれていた。今の立場では行政に問い掛ける事を遠慮している。手前の銀鮭の稚魚養殖場に、覆い被さるまでに土が盛られている。2年半以上も見慣れた光景も、一週間足らずで大きな変化を見せ、復興へと進んでいるのだろう。
多くの地元の被災した人々が、緊急雇用の恩恵を受けている。被災者の行政への臨時の雇用は、13万~15万と技術取得により、違いはあれど「社会保険」などへの加入は、ありがたい雇用体系である。
あと7年の復興への歩みの中にある南三陸町、「平成の合併」での全国自治体の財政難を昨日報道でやっていた。合併による行政の簡素化を図り、財政の軽減を目指したが、3年目から人口の減少による、箱物建設の管理費など、財政の困窮の自治体があり、合併の半数以上も落ちいっていると言う。
12年目?の町政参画の 現町長の町運営を最後まで見届けるまでは死ねない。悪い事への方向性を考えるのは、私の臆病癖でもある。

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