ARCHIVE - 2014年05月

2014
05/31

消滅可能性都市


「士道」に生きたい。そんな事を昔の時代劇から思った。「武士道」の苦しみ喜びの中で、中高時代を過ごしいろんな事が身についた。親子の愛情と、我が子を愛しいと思う親子の姿にもだ。こんな破面に私は弱く「涙した」、何か月ぶりの涙だろう。劇画での「しどうに生きる」は、私は「志道」と思う。一生涯を自分の生き方で人に流される事無く貫く。これにより人も離れ、新たな人との繋がりもできる。生きる事の厳しさで毎日を、過ごしているが今でもある。

元岩手県知事の増田氏は、元総務大臣から現在は企業の社会経済総合研究所の所長をしている。今回発表したのが「消滅可能性都市」で、2040年には半分の都市が消えると分析していた。ウェークアップの番組出演で、2040年には日本の都市半分が無くなると言う。日本地図に描かれた消滅予想都市に、「南三陸町」もあったように見えた。周辺の都市の石巻・登米・気仙沼は入ってなく、全国で886都市が消滅かると言う試算に、視聴者は驚いただろうし、それが地方の町村だけではなく、東京の「豊島市」も入っていて、都会とて例外ではない事を意味していた。
東京の女性の子供の出生率「1.09人」と、高齢者の自然人口減少で、人がいなくなることで市町村の行政運縁の破たんとなると言う。問題解決には、東京の一極集中から地方への機能分配、男性の所得の向上と、子育ての環境整備など、国が政策を立て主導で対策にあたらないと、将来は間違いなくこんな予想となる。日本の人口が1億2千万人から、2040年には8千万人となる、以前試算した数字がこれなのだろう。

人口流出の対策を危機感を持ち、政策第一に掲げない自治体は、「消滅可能性都市」への道を突き進む。回避する対策に、「観光振興」「交流人口拡大」などが上げられていた。この対策により人が移り住み、人口の流出を抑えると言う。子供が3人いて15年後に結婚し、子供が2人生まれ6人の赤ちゃんが、成長しまた子どもを生む。若者家庭が子育てできる環境が必要な事は、誰でもが理解できるが、出て行った住民の分、人口を増やすのは、日本を取り巻く状況からも厳しい。

南三陸町志津川地区の行く末を考えない時は私にはない。工場も自宅も町の為、地区民の人たちの為であり、町の存続の為である。

スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:01 】

2014
05/30

素晴らしいグランドデザインに拍手


今朝は眼に大きな変化はない。「加齢黄斑変性」の治療の一つ、「ルセンティス治療」を昨日から開始した。白目の部分への薬の注射で、周囲には「目に注射」と言うと、皆が顔を顰める。網膜剥離の「レーザー治療」の10回を超える、目への放射は痛く辛く、レーザー治療は私の中の「トラウマ」となっている。三割負担で5万8千円と治療費も高く、月一回の残り2回続け、結果を見て回数を増すと言う。会社再建・自宅建築・両親施設入居・仕事の減少など、新たな生活は出来ているものの、ローン返済による支払いに追われる中で、加齢黄斑変性の治療費の私への財政負担はきつい。ルセンティス治療は石巻・気仙沼圏域で、石巻日赤でしか治療は出来ないと言う。それは高額治療費のせいと思う。来月もまたで今からもう嫌である。
26日の建築家の東京大学教授熊氏のグランドデザイン説明会の、多くの来場者に資料の不足となり、町長も「想定外の来場者」と驚く。世界的に有名の建築家の、震災の象徴となってしまった「南三陸町」への関心は、全国の建設会社からの参加があり、メディアもそんな南三陸町の姿を追いかけていた。
有名な熊氏の被災地の再生計画であり、説明会への参加の少ないのは、町としても避けたいとの考えがあったのだろう。満杯の500名の来場には、町の作業着姿と黒服の企業の社員らしき人たちが、前列に座っているようだった。
私は行政の「復興計画」に「進捗状況」に今まで異議を言って来た。そんな事よりも一日でも早く土地の整備と、住民の住宅建設への意欲の減少防止や、町から人が離れない方策が気になっている。行政のパフォーマンスは勝手にどうぞ! と言った感じだ。
昨夜の街づくり協議会の総会はさすがに不参加だった。町協の3部会から一つに今後なる。同じ部会仲間と又「町協」に参加しましょうと約束した。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:03 】

2014
05/29

待望の集える憩の場所が東浜に


今今日29日から商工団地の役場に向かう大通りの右側道路沿いに、被災前は駅前にあった「リッチー」さんが、再建を果たしその開店の趣旨に賛同した。

町民のみなさま・町の復旧復興に尽力されている方々、厳しい環境での生活お仕事御苦労様です。
当店「リッチー」も仮設店舗での営業を3年余り続けてまいりました。そんな中で、「地域の皆さんが集まれる場所」「家族でくつろげる憩いの場所」が欲しいとの要望や、「南三陸町へのボランティア支援」「復興で働いている方々」に少しでも心身共に休んでいただける所を提供したい。被災後の私どもへの多くのご支援への恩返しの気持ちを込めまして、「ランチ&カフェ★リッチー」をこの度オープンいたしました。
町民の方々、復興事業の建設関係者、観光支援で来町される皆様に、がんばろうと感謝の意味を込めまして、新店舗での営業を始めました。今後とも町民の皆様と、早期に南三陸町の新しい町づくりが誕生するよう、一生懸命に営業いたしますので、よろしくお願い致します。
ランチ&カフェ★リッチー 店主

正規の補助を受けてはいるものの、合わせて借金も背負う。被災地再建者は当然ながら利益追求の人たちが多い中で、被災しお世話になった方へ、自治体派遣・ボランティアさんに、仮設で暮らす町民の皆さんが、集まれる場所を提供したいとの考えで、店の早期オープンをした。
商売はボランティアとはいかなく、経営者として利益が出して、長く経営が成り立つ。しかし、その経営理念の前提に南三陸町の為にという趣旨が強い。
私は何とか4年目に入っても、仕事と共に被災者支援・地域に貢献したいと、自分なりの活動を続けている。意を同じくする仲間との、理念の追及の継続に、今後も励みたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:56 】

2014
05/28

なんだか疲れた一日


やればできる! 続ける事で我慢する事を学ぶ! 苦労は買ってまでもしなさい! 継続は力なり! 親離れ、子離れを!
こんな事を剣道の指導を通して今まで言ってきた気がする。月曜日にお客さんに「できねのが!」に発奮して仕事を受注した。普通は1週間は必要な納品までに、3日間で仕事の達成ができた。
朝から登米市に向かい、津山町柳津に行き、また入谷まで1時間45分を掛けて仕事終了とした。その後は気仙沼市「観洋館」で、気仙沼・本吉印刷支部総会で、当支部の現状報告をした。大谷海岸のホテル・イヘント結構式施設の海洋館は、1年半で被災した場所に再建され、素晴らしい風光明媚な「館」として生まれ変わった。
写真は結婚式のゲートらしき物で、白い砂浜と碧い海のロケーションに、気仙沼・南三陸の綺麗な風景がここにもあった。しかし、海水浴場の再建は出来ていない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:52 】

2014
05/27

お母さんありがとう


昨夜は6時30分から、南三陸町志津川の「グランドデザイン」の報告会があった。熊研吾氏により志津川市街地の、これまでの復興計画の姿を地区民に発表した。私は「町づくり協議会」で熊氏の描くデザインは、資料として配られていた。細部の本人による説明は、行政からの委託者の説明は説得力に欠け、報告には説得力を感じた。
コンサルタントはまだ決定していないと、町長と担当課は言うが、熊氏と言う事は町協会員は薄々気づいていたと思い、それで間違いない。東京大学教授であり、多くの自然と調和して、海川と緑の融合と、街づくりによる観光と地元の人たちとの交流と、伝統の継承を大切にする、多くの建築設計があった。登米市の「能楽堂」や東京の「歌舞伎座」など、世界に通じる建築物を設計していた。この人ならと思うし、何も隠す必要はない。しかし、「市街地再建グラントヘデザイン」はもう決定していないと、町の設計計画はないに等しい。

5月24日何気なく朝ラジオを聴いていた。「南三陸町・・・」に耳を凝らした。番組の中で「花束をプレゼントする」と言うコーナーで、電話してきたのは「しげるさん」、いつも妻に家庭の総てをまかせっきりで、名取に在住で昨年母を亡くしたと言う。まさか。繁さんの話が続く、普段は何も言わない母が、「千代子に感謝している」と言っていたと話す。実家が南三陸町で震災により家は流失した。そんな中で自分の母の看病と、実家の両親と兄弟の事と頑張って来たと言う。繁さん一言のアナウンサーの問いかけに、「千代子は今日誕生日」「お母さん、いつも私たちの事を考えありがとう」だった。「これからは大好きな楽天を応援に行きましょう。」、「後一年で定年となる、これからは一緒に・・・」と話していた。
話しの中盤で誰かは気づいた。チリ津波が誕生日は以前聞いた事があった。私と同じで、被災後は大久保仮設にいて、近くに千代子さんの母の仮設があり、お母さんからこないだイチゴを買った。繁さんは宮城県志津川合同庁舎に若い時勤務し、そこでの旦那さんとの古き出会いも、まんざら偶然ではない気がする。戸倉に仮設住宅建設の申請に行った時の方が、繁さんの上司だった事もあり、自然の導きに驚いている。
今夜は眠れない。今日の緊急の仕事依頼に追い回され、朝9時には行動しないと、お客様の注文に応える事はできない。頑張れば何とかなるものです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 00:48 】

2014
05/26

歌津地区探訪


26日曇りながら雨の無い休日となった。歌津開催の「田束山つつじ祭り復興市」に行って見た。多くのイベント・企画の中で、会場からは若者達のステージからの元気な声と、活気のある叫びが響いていた。若い力の被災地への声援と、地元のバンドの頑張るぞ! との歌津からのメッセージとして感じる。しかし、伊里前小の駐車場には昨年のような、多くの車はなかった事に来場の減少を思う。被災地のイベントの参加の意識が、少しずつ風化しつつある現状がある。私たちの町はイベントは町民皆で守るしかない。私の登米市の先輩は、歌津の「ホヤ袋詰めほうだい」を楽しみに、必ず行きますと嬉しい言葉をくれた。
CIMG7363.jpg
その場を後にし歌津中学校の裏の、伊里前地区の「防集」の高台移転予定地の場所に行って見た。被災後に開発が進む自己移転場所の、道路向かいの山が写真のように開発が進んでいた。広大な土地の開発整備に、その規模の大きさを知り、地元の建設業者だけでの高台整備ができない事を、肌で感じた風景だった。被災地支援の観光客の眼の届かない場所が、南三陸町には 50? 100? カ所もある。その数の半々で震災復旧と高速整備がある。
CIMG7375.jpg
次は石泉地区に向かった。写真は志津川から続く、高速道路の予定地の整備開発があった。「この場所を高速が通ります」は、議会の現地調査で行政職員より告げられた場所でもある。1年前の事でこんなにも山肌が削られていた。どんなふうに私の住んできた街が変わるんだろう。どんどん自然が破壊され、宮崎監督のジブリ作品「平成のポンポコ」を思い出す。

土曜日に先輩たちに招かれ「新築祝い」をしてもらった。断り、断っても無理で甘える事にした。登米市からの帰り道に、日本カモシカが横山峠前で、車と衝突したようで、道に横たわる姿が「大きかったね」と運転手さんは言う。そして、「こないだ熊が出たんですよ」と言う。初めはまさかと通報はしなかったが、多くの目撃情報があり確信したと言う。志津川でも「磯の沢に出た」があり、歌津地区でも見たとの話しも聴く。
歌津の山に探索で行き、整備地の撮影に「熊でないよな」との気持ちになった。山菜が「筍」「わらび」「ふき」等と、まだまだ山の恵みに恵まれている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:44 】

2014
05/24

自分のできる事で


「りく!」「よう!」と剣道の指導が私の団員の呼び方だ。昨日は「剣道がしたい」との気持ちいっぱいの子供達で、このやる気が子供たちを強くしていく。理解してくれる親と共に活動する事で、指導者も集中して楽しく指導にも身が入る。
「まちづくり協議会」「剣道指導」と、出かける事に「おっくう」になっている今がある。自分の置かれている状況と、年齢のせいか心が動かない。しかし、出かけると多くの収穫があるのも事実です。いつも私が言う「外へ出掛けましょう」は、自分への言葉なのかも知れなかった。
真奈さんから御礼の葉書が届いた、文章の最後は「合掌」で、やはり奈良のお寺の真言宗の和尚の娘であった。大阪の印刷会社の東大阪支部長との出会いが昨年あり、この社長さんも奈良で、今年は「奈良県」に繋がりがありそうだ。本吉・気仙沼地区への被災者支援があり、フィリピンでも大天災があり、縁あって支援にも行って来たと言う。南三陸町にも知人二人が、フィリピン出身の奥様で働き物で地元の人たちにも親しまれている。「働き者の頑張り屋」と地区民も親近感を持ち、地域と交流や御付き合いをしていた。世界各地での地球的な異常があり、世界の人々の絆を深めている。
18日の「しろうお祭り」は晴天にも恵まれた。今週の25日は「田束山つつじまつり復興市」が伊里前仮設商店街で開催される。天気も良く暖かくなりそうで、田束山のつつじの群生や南三陸海岸のパノラマも見えそうだ。我が町の自然美を味わって欲しい。三陸の海山の食材だけでない、多くの味わいが山積する町です。思い切ってお出かけ下さい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2014
05/23

目標に向かい最後まで打諦めない


昨夜の女子サッカーアジア大会、「なでしこジャパン」の中国との準決勝、延長のアディショナルタイムの、「PK戦」からのゴールと言うギリギリの戦いを制した。セットプレーからのヘディングでの得点は、90分戦い30分の延長と、120分が過ぎ、2分のアディショナルでの決勝点だ。
澤・宮間・川澄のベテランに若いメンバーの融合の活躍がある。「負ける」の考えは何処にもなく、「楽しめました」としっかりとして言葉は、練習による自身の賜物だろう。中国選手と比べても体格の差は歴然で、精神力と言う「大和魂」が、スホーツの中の武道と同じ「道」、こんな気持ちが日本の選手にある気がする。決勝は一回戦で引き分けのオーストラリアです。二日後の決勝は絶対に見たいと言う気にさせる、「なでしこ」の戦いは続くが、負けたらと思う事で、私は飛び飛び試合を見ている。決勝はじっくり腰を据えて見たい。
今日もスポ少指導があり、明日は先輩たちが私の「新築祝い」と、会を設定してくれた。日曜は歌津のイベントを写真に収めたい。26日の月曜は志津川市街地のグランドデザインを手がけた「熊研吾」氏の、説明発表がアリーナで6時半からある。28日は県印刷組合支部総会が気仙沼大谷であり、観光協会・商工会の総会をキャンセルした。29日は石巻日赤病院に行く、夜の剣道指導は厳しい。1日は中学の本吉郡剣道大会が歌津である。反面、仕事と言う仕事はなにも入っていない。
会社決算が5月で、今月の残りは書類整備に時間を費やそうと思う。写真は元気と癒しを貰った真奈尚子さんの熱唱のお顔です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:38 】

2014
05/22

理想と現実の狭間で


町外の仮設で暮らす被災者の数名と話す事ができた。「人口流出対策室」を南三陸町に設置すべきと、現実の危機感を肌で感じる事となった。
仮設で一人暮らす知人の母は。既に病気のせいで息子と暮らす事となり、東京の生活に「寂しいけどしょうがないね」と、志津川の地を去った。もう一人の方も病気のせいで、苦渋の選択で先祖代々の土地を離れ、別の街で生きる事を決めた。また、志津川での再建を考えていたが、多くの問題の為に悩み苦しんでいた。それは地元の土地確保が最大の課題で、それが解決できる手段は見つからず、親の老いもあり、南三陸町を離れて暮らす事を心に決めているようだった。5名がまだ町の住基台帳には記載がある。こうした人々が今後帰るとの「理想の数字」が町広報や、行政の見方である。「一端住民は出るが戻ってくる」、こんな甘い考えでの町運営者がいる。私は残された余生と諦めも付くが、これからの若者、子供たちの将来を考えると複雑だ。
昨日は6時30分からの、小学生を対象とする「志津川剣道スポーツ少年団」に行ってきた。1年と3年の二人の兄弟への指導ながら、若い両親の理解もあり、厳しく6月22日の級審査に向け指導をした。私は「目標を持っての練習」が、子供たちと家族が、頑張ってスポーツに熱中できると思う。私の身体の相談で、一か月・一年を節目として指導を続けたい。今を、時間を大切に生きたい。
多くの被災事業所への補助が期限の終わりを迎えようとしている。制度を活用せずに個人で自力再建をしている人もいる。制度を知らぬままで参加・申請できず苦しんでいる人もいる。多くの補助事業の中身が、県や商工会・観光協会・農業漁業組合などで告知されているが、毎日の生活に追われる中で、事業期間が終わっている事も多い。
多くの補助制度には国の思惑もある。社員・従業員の「社会保険加入」が、進まない中で補助申請には「加入が必須」だと言う。弱小事業所の再建は制限され、人員確保も会社負担も厳しい、総て津波で流出した事業所の再建事情がある。南三陸町でも多くの商店・会社が廃業をしている。これで町民からの税収確保での町運営ができるかは疑問だ。
こないだまでの朝の通勤がなくなり、この時間で毎日のブログ更新が楽にできるようになった。
写真は病院に張り出された「公立南三陸病院」の完成予想図です。想定人口に合わせた規模で、日々変わる人口で、町財政の負担増を懸念する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:06 】

2014
05/21

静かに生きる


朝食は「スムージー」が、一週間の内4日自分特製で作り食べている。今日はバナナ・デコポン・牛乳、そして氷をジューサーで仕上げる。コップ二杯でお腹が満腹となる。体重は半年で5K減少し、今は69K前後を維持し、血糖値も145前後とピークから100は違う。
定期検査で眼科担当医師より、今までの血糖値の高い状況が今に出ていて、震災後の半年での悪化は、被災後の半年の薬治療が出来て無いためという。今が血糖値が低くても異常が目に表れていた。友人は言う「糖尿を甘く見るなよ」と。人生80年時代となり、この病気で亡くなる人は多く、こないだも突然の心筋梗塞で亡くなられた人は、この病気を持っていた。
今日の写真は我が社の前の道路で、電燈が無く暗い道で、撮影時は夜6時ながら現在は明るいが、冬は午後4時でも暗くなる。先週末に自販機を設置した。知人のアドバイスで、置いてあるだけで防犯になり、社員の福利厚生で設置していると言う。我が家は商工団地の「エムズローソン」の下の道路で、真ん中の自販機のある家が目印となった。見ての通り看板も表札も判りにくい。
志中剣道部に7人の一年生が入部したと言う。現在は3年生だけで、今年も部は維持していける。志津川中学校には79名が入学し、その一割近くが剣道部に入った事になる。2年前の今の三年生も15人近くいた。学校側の指導で「部活に上手に散らばるように」、と言う話も聴いた。被災地の子供を持つ家族の流出が、この問題の根底にある。しかし、今年部員を確保できた事で、志中剣道部の伝統が守られた事になる。
私の家にはまだまだお金がかかりそうだ。家の登記・抵当権作成経費があり、アスファルト舗装・会社看板などがある。ローンの返済計画が狂い始まった。人生設計も諸々の事で大きく変わってきた。頑張らないと!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:05 】

2014
05/20

歌の力


先週末の17・18日の二日間の「真奈尚子」さんの、南三陸町においての「応援コンサート」は短い時間での準備ながら、老人介護施設「ハイムメアーズ」、引き続き「戸倉中仮設」のコンサートも、大盛況だった。来場してくれた皆さんに本人もさることながら、主体となり準備した「今野漁網」さんの、会社ぐるみでの真奈さんの意を酌んでの、被災地でのコンサートの成功を導いた方々に、感謝を述べたい。
地元の方々との交流を希望した真奈さんに、毎週のイベントの過密な中で、参加して下さった「コール潮騒」さんにも感謝しかない。阪神淡路震災で神戸復興に作られた「しあわせ運べるように」のコールさんの歌声に歌詞に、私は感激した。今回の震災に合わせ一部歌詞を変え、ふるさとバージョンとして、交流参加で披露してくれた。「傷ついたふるさとを元に戻そう」「支え合う心と明日への希望を胸に」・・・、この歌詞にジーンときた。最後は真奈さん・コールさんと、会場の皆さんと「花は咲く」を、共に歌った。主催者も目頭に光ものがあった。集まった皆さんが、真奈さんが感激し涙した、こんな支援コンサートは初めてだった。
CIMG7246.jpg
旧戸倉中学校の裏山が「戸倉団地」だと思いこんでいた。写真の右側の赤く削られた山は、個人の自己造成地と決めつけていた。コンサート会場で戸倉の先生に聞くと、学校裏から戸倉団地は右に広がっている事を聞いた。また小学校は27年度に完成との議会のネット傍聴は、28年の造成からの完成と、土地の整備完了引き渡しとの予定だとも聞く。まだまだ先に「これでいいの?」と、町の復興計画を思う。CIMG7274.jpg
17日のこの日、戸倉海岸で津波以来初めての「アサリ開口」と聞き、収穫はどうでしたかの、漁業権を持つ方は「結構採れたし大きかった」と言っていた。自然の再生力に人間はかなわないと感じる。昔のように入場料を払い、アサリ堀のできる日が待ち遠しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:13 】

2014
05/19

自然力に感謝


「チャゲアス」の飛鳥涼何やっているの? 「セイエス」「ヤーヤーヤー」など大好きな歌と歌手だった。苦しいから「コカイン」、被災地の皆さんの苦悩から見たら、何で「麻薬に手を出す」、自分さえ良ければと言う考えが、こんな事が起こり、「芸能界の薬物汚染」と言われる。
自然に親しみ、自然から力を貰い、自分の隠された才能を開花させてほしかった。薬物から復帰された芸能人の方の記憶が私にはない。相棒のチャゲの「待っている」との再三のメッセージ、良き仲間がいるのに、悪の仲間の囁きに屈してしまったのか。悲しい、そしてショックです。
CIMG7291.jpg
昨日18日は南三陸町伊里前福幸商店街で、「しろうお祭り」が開催された。我が家には朝から「しろうお」祭りの主賓が届いた。今年初で「お吸い物」にした。シンプルに豆腐と三つ葉が良い。しかし、被災した町には生鮮品の三つ葉は無理ながら、知人から畑で育っている物を、おすそ分け頂いた。晩御飯の食卓には、「ワラビのお浸し」と「筍」など、春の旬が盛りだくさんに並んだ。食材費は「タダ」で経費は係っていない。こんな自然の山海の恵みに包まれているのが、南三陸町である。CIMG7287.jpg
中国のベトナム・フィリピンへの領土介入、強大な経済力を持った者は、奢りと我欲を持ち、周辺の人々の平安に侵略を企てる。ロシアの隣国の隠れた武力を行使し、領土の侵略を続ける。昨日は「ルーマニアの悲劇」が映像で流れる。最大の被害者は子供であり女性だ。こんな人間悪がくれ返される人類の歴史がある。
これ以上何も悲劇や事件は起こって貰いたくない。「金欲」「性欲」は人間の成長には欠かせないと言う。「子供の笑顔」が無くなる地球はあっはならない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:03 】

2014
05/18

真奈尚子さんのありがとう


「あざみの歌」の一曲目から、人の心の痛みをしっている方と感じた。歌と会話の「真奈尚子南三陸応援コンサート」を、昨日「メアース」と「戸倉中仮設」で開催し、来場の皆さんは「真奈尚子」の優しさに触れた。
彼女の環境と苦悩が被災地の皆さんとよく似ている。お寺の娘のとして生まれ、姉妹は女3人で、二人の姉を亡くし、17年前に母も亡くした。仮設で集まってくれた母親と同じ年代の女性に、「大変でしたね」「辛かったでしょう」と、互いの苦境に似たものがあり、その気持ちを理解していた。
CIMG7268.jpg
今日の18日南三陸ホテル観洋で、1時30分からのコンサートにも、多くの皆さんにその優しさに触れてもらいたい。時間があったら聞いて下さい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:36 】

2014
05/17

復旧から復興へ


伊里前川は被災から何も変わらない気がした。「うたちゃん橋」に立ち撮影した光景がこれです。欄干は曲り防潮水門の左側が津波で破壊されていた。そんな中で自然の回復力の大きさに驚嘆する。「しらうお」の捕獲のザワが大分上流まできていた。その数も少なく祭りの開催に支障が無い事を心配する。140516_120253.jpg
伊里前福幸商店街には、広々とした大駐車場が広がっていた。昨年は確か払川ダムの落成式があり、「田束湖」の命名があった。しらうお祭りとの祝い会で、地元の神社の祭りが同時開催となり、祝いの山車と神輿に多くの人が集まり、「しろうお」のお吸い物に舌包みした事を思い出す。今年は人が集まるのだろうかと心配する。
昨日はお世話になった歌津のお寺の被災後の住職の死亡に続き、奥様の急逝に驚いた。息子さんが新しい住職となり、本堂の再建の途上だった。震災後の労苦と再建の疲れがあり、このような悲しい状況となった、と現住職は言う。「母の日」の3日前の急逝で、送った花が「枕花」となったと喪主の言葉で語った。葬儀の途中も突然の雷と大雨で、建設途中の本堂からは、雫が参列した方々に降り注いだ。まるで前方丈様の涙のように感じた。「檀信徒皆様の為に」との言葉は、両親が守ってきた寺を、住職としての仕事を全うする事で、家族・地域への恩返しとなるだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2014
05/16

志津川平磯地区の状況


介護老人ホームからの帰りに、今回の津波の前の年の、チリからの津波襲来の放送を受け、映像に収めようと陣取った場所に来た。母の日の11日に撮影した南三陸町志津川湾の平磯地区です。
この時の津波の襲来は「海底を津波が走った」と実感できた。決して大波ではなく海面が盛り上がるように、海上の船が舞い、見る見るうちに防波堤が海に沈んだ。養殖施設の吊されたカキが影響で流され、筏が煽りを受け被害となり、入り江の最後にその津波が姿を現した。海上の海面では陸地に到達すると、テレビ映像のような白波・大波となり、人間の生活地を総て奪った。今回の津波がそれである。
こないだ数字の小さい資料を見つけた。「東南海トラ地震」による、被害となる都市の津波の波高を示した物だった。現在生活する場所が海の近くは怖いが、地震から津波となったら「早く逃げる」、命あってこその喜びがある。今暮らしの中で貴重品をどう確保するかだけを、準備しているだけで良いと、今回の事から思えた。農協の地震保険は津波被害ながら、満額の半分1000万円が給付され、事業の再開の元金となり、4か月後の事業開始となった。命あってのものだねを、現実の事として実証した。

140511_131315.jpg
平磯地区の高台にできた、住宅再建の高台の土地が広がっていた。津波で海岸線の集落は消滅し、平磯の栄えた集落から500mの高台がここです。高台からは志津川湾がしっかりと見え、以前の生活の風景と変わらないようだ。ここなら「津波が来ても安心」そんな場所です。地震でも怯える生活はないが、これからの住宅再建が大変と思う。身内に大工さんがいても、基礎から棟上げ・内装など1年はかかり、その手だての無い住民は2年から5年と、「終の棲家」の道のりはまだまだ険しく先に思える。
現在町内あちこちの山肌の赤土が見える。高台の造成の加速が目に見えてきた。気仙沼市・南三陸町は「過疎地域指定」となり、現在復興交付金で復興計画するもの以外に、新たなハードな環境整備に関しては、「起債」借金しても整備ができると言う。箱物ではなく道路整備などの「う回路」の、生活の利便性のある使い道をお願がいしたい。南三陸町が「過疎の町」、誰がこんな事を考えただろう。震災で長引く復興計画の進め方や、その中身に問題がある気がしてならない。人が町から離れている現実が「過疎の町」へと繋がった。
女性が87歳で長寿世界一となり、男性の平均寿命は「80歳」となり、私も残り22年でそり年を迎える。今まである程度自分の生き方を貫いてきた。今後も変わる事はないが、このままで天命を待つ、こんな考え生活を希望する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2014
05/15

南三陸町応援団


国道45号の大久保「さかなのみうら」前で、テントが張られコンサートが開催されていた。野外でのバフォーマンスや歌で会場からは、笑いと笑顔が溢れていた。
 この団体は神戸市灘区の「SELFISH」で、「南三陸町応援団」として、2012年・2013年の5月に町内の仮設を廻り、ライブと炊き出しツアーで、南三陸町支援をしていたる。そして3回目の今年も応援に来てくれた。13日は「戸中仮設」「歌津平成の森」で開き、14日に志津川に入りさかなのみうらさん前で野外ライブとなった。大久保地区の皆さんも、早くから駐車場前に集まっていた。
 SELUFJSHの皆さんは、地元神戸市で「南三陸町応援団の活動資金にご協力をお願いします!」と、フリーマーケットや出品協力、そして共に活動してくれる仲間と一緒に、「ライブと炊き出しツアー」に参加してもらい、南三陸町を中心に支援・応援をしている。
140514_144938.jpg
一緒に来てくれたミュージシャンの石黒明里さんが、「聞いていって下さい」と声を掛けてくれた。そして活動の事を丁寧に教えてくれた。
多くの被災地応援の皆さんの活動を 町民の方々も一緒に参加したのしみましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:08 】

2014
05/14

人生設計

町民みなさんの生活設計も3.11の大津波で大きく変わった。生命の存続までの最終局面に至った。天災とは言え惨い仕打ちだ。生かされた私たちはその分生きていく義務を感じる。絶望の淵から立ち直れない人々が少なくない現実に、みなで支え合い今後も生きて生きたい。
入谷の災害公営住宅戸建がここまでできた。何処でもいいから仮設から出たいと思っている方も多く、町外に町民を出さない為にも、早い生活場所の確保が町の義務としてある。
仮設の建設に係る地元業者も、短い工期に追われ苦悩している。生きるも大変と思う、総てで誰かがいつも寄り添う事の大切さ、その意味の深さを感じる。

140511_152035.jpg
糖尿病患者そして予備軍の数は大変な数字となる。予備軍は今なら今後大きな生活設計の崩壊はない。医師への相談で予備軍からの撤退に努力する事を進める。
テレビでの透析の姿を見るが、「週に3回」の4時間は体にも大きな負担がかかり、生活スタイルも変えざる負えない。南三陸町には透析施設がなく、片道1時間も大きな患者・家族の負担となっている。
多くの合併症の中で、失明の危機に直面している方もいた。私も予備軍なのかも知れない。現在の糖尿病の検査数値は、ヘモグロビン数が8.8で、タンパクは「3」で、今朝の空腹血糖値は「130」と落ち着いてはいるが、大分眼底に影響を及ぼしていると言われた。
今後の生活設計の変更を余儀なきなった事を自覚する。
年金も後3年で掛け金が終わる。ニュースで国民年金を掛けていない人が、申請免除など3割がいる事に驚き、生活保護家庭が10年で受給者が倍になったとの報道に、日本の社会保障の崩壊の危機がそこまできている。
140513_152125.jpg
一昨日、知人からタケノコ堀に誘われ、ワラビ・たけのこの自然の恵みが食卓に並ぶ。最近はある物で食事を済ませている。質素な生活と食事内容が血糖値を下げ、今後の為の生活費削減の小さな生活防衛をしている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:56 】

2014
05/12

母が小さくなった。


家の引き渡しから3週間を迎えるが、まだまだ部屋には急いだままの、引っ越しの荷物が整理されないでいる。
仏壇の「芯入れ」の儀式を叔父にやってもらい、流出した家から先祖の霊を迎える準備が整った。芯入れのお経を聞きながら、これで昔の千葉家の姿に戻った気がした。
昨日は「母の日」、「何かしてあげないと」と大震災から生き抜き、現在は施設で一人暮らす母に、一輪のカーネーションを持って行った。ベットで布団に包まる母は、「何時帰っぺ」と帰れるものと信じ待っているようだ。体調も落ち着いているようだが、寂しい顔で小さくなっていた。家に連れてきたいとの気持ちは募るが、父と二人で母の介護は難しい。できれば一時的な在宅介護もして上げたい。
町議会の議長の父が亡くなり、今度はお世話になった方々の訃報が続いている。志津川入谷と繋がりのあった「沼田落葉」さんが心筋梗塞で急逝した。作詞作曲した織姫慕情があり、「ひころの里」のシルク館の、センサーによる繭産業の隆盛を歌にした歌で石碑が今もある。落葉さんが町の為にも寄贈した物だった。また、歌津舘浜の「津竜院」さんの奥さんも、旦那さんの元へ行くかのように亡くなった訃報を昨日聞き、私自身旦那さんの分まで幸せになって欲しいとの思いが、途絶えてしまった事へのショックがあった。
「桜植樹祭」に行ってきた。開催代表の加々美氏の挨拶で、「南三陸町は2011年世界の地から消えた。一瞬にして消えたとしても世界のメディアは一斉に伝えた。災害の希望の動きを考えた時を、思い出したくない。」の言葉は、新鮮なメッセージとして、私は心を打たれた。
地元のコーラス団体の参加があった。「コール潮騒」さんは震災で会員がバラバラとなり、会の洋服も流され一時再会を諦めた時があったが、歌で被災者の皆さんを力付けたいと、再度グリーンのTシャツを新調し活動をスタートした。
会長の挨拶・司会者の団体紹介の言葉・活動の姿に心を打たれ、出かける事で新しい希望が生まれた。10年後20年後に「5000本」の桜の植樹を続け、桜の花が溢れる南三陸町になるよう活動して行くと言う。私もピンクでいっぱいになった南三陸町を見て見たい。未来への希望が芽生えた気持ちとなった。
今日はゴミを片付けにクリーンセンターに行く。植樹の写真を活動の姿として収めたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:07 】

2014
05/11

忙し忙し


「真奈尚子応援コンサートin南三陸」のポスターを掲示願いに、朝から5軒も歩いた。いつも運動している「アリーナ」の担当の方も、快く掲示に協力をしてくれた。
アリーナには玄関のガラスに「第3回桜植樹祭・植樹祭記念コンサート」の、看板がはられていた。名士の佐藤さんと高橋さんが朝早くから、会場設営で活躍しておられた。
第3回になる桜植樹祭コンサートを初めて知った。新聞広告で配布したと言うが、現在は「1450枚」の新聞しか配られない、3600枚の配布があったが、まだ新聞を見る余裕はないと言う。こんな仲間の声に、私も三陸新報・河北新報を取ってはいるが、新聞を読む時間がないのが現状だ。
コンサートは今日の12時から開催される。3時45分からは南三陸町クリーンセンターの法面に、桜の食植樹がされる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:31 】

2014
05/10

多忙でタイトル入力忘れ


昨日の忙しさはない。午後3時からの宮城県印刷組合総会の理事として初めての出席に、仙台秋保「水戸屋」まで最低午後1時の出発があった。
会社での仕事は、機械修理にメーカーが来て、荒町の仮設トイレのひき取りに立ち会い、他の業者の営業さんが来て、朝6時からフートーの印刷をした。役場へは企画と総務の用事があった。
また、奈良出身の「真奈尚子」さんの2014.5応援コンサートin南三陸の後援をお願いされ、ポスター・チラシの周知活動と、時間を費やし向かう途中で睡魔から、矢本パーキングで睡眠をとるはめになった。総会終了後の懇親会の後の「二次会」は、担当支部のベリーダンスを見る事無く部屋で9時半には爆睡した。
こんな昨日の一日で、来週火曜も石巻日赤で再度眼科での治療が始まる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:13 】

2014
05/09

この町で


本吉の書店のレジ前に佐藤仁氏の本を見つけた。町民の被災者へのメッセージなのか、殉職家族・自治体派遣職員への言葉なのか、今度読んだ人から聞こうと思うが、私の周辺にはいないようだ。そくな余裕は被災町民には無い気がする。
昨日は仮設の引き渡しに同席した。早期の経費削減のため、水道事業所に給水停止を申請し出止まっていた。「困ります」と言われた。退出にあたり全ての生活環境の確認は、次入る人への対応と言う。1Kに次の町民被災者が入るだろうか。以前も話したが、エアコンの取り外しての持ち出しの良い所もあり、自治体の「もう仮設は必要ない」と言う所もある。エアコンを買うと10万円は掛かる。取り付け料の出費はあれど、大分助かる。この面でも被災者の町で生活する負担が増える。住むのに不自由は今後も最低で4年は掛かるだろう。

140508_130922.jpg
我が家にツバメが巣を作った。ここ5日位でこんなにもできている。新しい家に巣作りし、幸運を運んでくるんだと言う。玄関には「フン」が落ち、大変どうしようと父と話す。長い事はなくこのまま見守る事にした。
私の入っていた仮設でも16世帯が在り、知っている出た方が5人いて、2人が町を去った。他でも7世帯の内5世帯が町外との話には、人口減少で町はどうなってしまうのだろうと心配している。
豊里への人口の流出も聴いていた。日曜に豊里駅前の新興住宅の広さを見た。被災直後の高台移転希望で、その災害公営の入所金額に、豊里で安く住宅建設があるので、町から離れますとの話しを聞かされた。駅前の土地の造成を進めたが、登米市は当初予定どうり売却が進まなかったが、大震災の影響で多くの被災者が安価なこの地を「終の棲家」と決めた。
町の職員とて町外に土地を求め、生活の場は町外で、町職員が町に税金による報酬を貰い、町外に税金を納め、生活費を町外に支払う。これで被災した我が町の将来はあるだろうか。町民の在る方だが「町職員を辞めて貰っては」との話しをする。私も町職員であるからには、この町「南三陸町」で住んで欲しい。色々な事情は解るが、12500人の人たちは今もここで暮らす事を選択する。高齢化の増加は弱者と言われる方が、町に残った事につながる。
私はこの町で暮らし続ける。一人になっても・・・

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:08 】

2014
05/08

町の変化は急ピッチながら


志津川の商工団地内の自社から、登米市佐沼への時間を計る。米谷インターまでが25分で、登米・中田インター下り口までは5分、そこから登米「水の里ホール」までは10分だった。こないだ迄の仮の工場までは団地倉庫から17分で、そこから津山は15分、そして今度の目的地まではまた30分が掛かかった。この20分の時間の「無駄な時間の浪費」を痛切に悔やむ。しかしながら、戸倉荒町地区での仕事を早期にスタートさけた事で今があり、こうして新たな生活が出来ている。感謝・大感謝である。
登米市に行く途中十日町の信号前で黄色で止まった。待ち時間に一枚携帯で撮って気になった風景がこれです。45号のガードレールに工事の防御ネットが張られ、そのまた先に45号のう回路が、高台の整地残土として運ばれ積まれる。その高さに誰もが驚くだろう。津波避難場所の上の山緑地が、こんなにも低く感じられてしまう。今回の驚異の大津波は、政府の国民を守るために、多額の資金を費やし国土の再建に力を注ぐ。
そして2020年の二度目の「東京オリンビック」の開催の準備に掛かり、今後発生する「南海トラフ大地震津波」の防災対策を政府はしている。発生したら東京・大阪・名古屋の大都市の大被害が発生する。日本経済は国は崩壊すると言われる。東日本大震災から4年目を迎え、残り7年で被災地の再建を政府は取り組み、重ねてオリンピックの整備をしないといけない。「東南海トラフ」の大災害は2020年以降であって欲しいが、「災害は忘れた頃にやってきる」、これが私たちの町を襲った今回の災害だった。

140507_102538.jpg
入谷の災害公営住宅がここまで進んでいる。今年の夏に入居予定だが、なにもなかった場所で、土地の地鎮祭から2年余りでここまで進んだ。「人間はやればできる」がある。志津川の3地区があり、各地区の「防集」も、本気で早期造成もやり方を精査し、中身を集約し、「コンパクト化」で叶えられる気がしてならない。箱物行政政策で破たんした町は「夕張」だけでなく、日本には沢山ある。人口減少の問題は町の存続の最大の問題で、箱物の維持管理費の負担が大きく財政を圧迫する。最初は町民の税収アップ? 職員のカット・報酬削減などがある。町民の生活よりも自分の生活を守る意識の改革が必要だ。昨日聞いたが「国民健康保険料」が上がる、まさか! この被災した町民の負担増は、在り得ないがそれが起こる、震災と同じでそんな事が重る町でもある。そんな事を後世に語り継ぐことも、私の役目です。
「語り部」になれる資料を今作成している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:37 】

2014
05/07

地域格差まで


南三陸町の商店の復旧復興に格差を当初から私は感じている。商店街の総てを判る訳ではないが、被災地総ての商店街の疲弊を報道は伝える。来町者の数に商店街の盛り上がりは比例し、6日の最終日に歌津市街地を通過するが、大駐車場には車の姿は、比べると天と地ほど違う。
行政の力の入れ方も商店街の大きさもあるが、周知の形はチラシなどは同じながら、全国への周知・知名度も、「防災庁舎の南三陸町」の志津川地区が色濃く発信されている。
二つの被災地の違いは市街地の嵩上げでも、見る限りその進捗もまるで違う。地域が強く異議を苦情を申し立てないのも、他の被災地とは大きく違う。
連休に防災庁舎の祭壇に供えられた、「見舞い金」の窃盗事件が発生し、メディアは話題と伝える。窃盗は悪いが、その裏側の秘めた状況がある。私とそんなに年の差ない男性の犯行ながら、その事情を察する。

140506_155158.jpg
今月11日は町で「さくら植樹祭」のイベントがアリーナであると言う。18日は奈良県出身の「真奈尚子」の支援コンサートがホテル観洋である。その日は歌津で「しろうおまつり」が開催される。野外でのイベントで伊里前福幸商店街のステージでは、各種発表・演芸を予定している。天気が気になる開催者だろう。ゴールデンウィークは晴天に恵まれ、さんさん商店街もきっと大盛会だっただろう。
写真は「しろうお漁」の仕掛けで、ずいぶん上流にある物を写した。昔ながらの伝統漁この時期の風物詩でもある。
伊里前川の両岸の街並み、そして、桜の並木も見事で、私はその光景をブログで歌津を離れている方々につたえようと、毎年のようにプログで伝えてきた。しかし、今は何もない。「うたちゃん橋」と川の護岸に子供達が描いた、アザラシのうたちゃんと町の風景は、今回の大震災にも負けず残っていたと思う。是非、来町した時の隠れたスポットとして紹介する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:50 】

2014
05/06

もうイイのかな


一昨日、仙台から兄貴が孫たちを連れて、新築祝いに来てくれた。
一番上の男の子は中学3年生で、甥にあたるが成長の速さを驚く。義姉にお願いをした。「おふくろのホームへみんなで行って」と。ひ孫が4人・孫夫婦・兄夫婦、そして、父親の9人で母親の現在の住家、老人介護施設「いこいの海・あらと」に大勢で行ってもらった。小さな子供たちを含め、「迷惑のなるのでは」
との心配をよそに、施設での大勢の来訪者を快く迎えてくれた。
母の日も、これまでの家庭を守り続けてきた母に、どんな形でもいいから、認知の中で生前に一つでもいいから、体が心が癒せる事をして上げたい。「よぐ来たごだ」「気つげで帰らいよ」と、迎え送りだしてくれたと言う。私の姪っ子も病院勤務から、新しく介護施設に勤務すると、車いすの母の介助に「いい経験ができました」と言ってくれた。
昨日はプライベートでのゴルフを数名の仲間とやろうが、被災前のゴルフ仲間が16名集まり、14名のプレーと14名の飲み会を、沼田地区の「日の出」さんでやった。商工団地内の一角に、こんな穴場があるとは知らなかった。カウンターとボックス席があり、今度活用してみようと思った。アリーナジムでの運動から、「一杯のビール」が、帰り道に丁度いい。
桜の花びらが舞い、グリーンを埋める。そんな中でのパットも、優雅で面白かった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:54 】

2014
05/04

他の土地での活気に学べ


連休初日の3日に知人に誘われ岩手県へ出かけた。南三陸町を離れるのは病院や印刷組合の会議しかなく、特別な用事を持たず、のんびりと車でのドライブは数か月ぶりかも知れない。
志津川から2時間掛けて行った場所は、静かな温泉保養所で、連休初日ながら大分すいていた。この時期の岩手の水田は、代掻きや田植えの光景が広がり、そのために空いていると言う。我が町ではまだながら内陸部は暖かいのだろうか。
片道2時間の間「あくび」が止まらず、運転の知人には申し訳ないが、半分を隣で寝込んでいた。施設でもビールを飲み仮眠、帰りの車も、帰ってからもその睡魔に襲われて、夜中眠れず12時から3時まで仕事をした。
身体の変調は自宅・工場移転の疲れが一揆に出たのかも知れない。今日は気持ち良く起きる事ができる。
140503_161037.jpg
写真は岩手県川崎町の「道の駅」です。地元の人たちが「山の幸」を持ち寄り、多くの農産品が並べられ、観光客は元より地元の人も買い物に来ていた。たまに週末に以前寄った時も、連休ではなかったのに、産直は狭いのか行き違うのにも厳しいくらい賑わっていた。
暖かさから「冷たい物」をと、イタリアンチーズアイスを頼んだ。黒こしょうがきき、初めての体験ながら美味しく頂いた。9時半から5時までの旅なから、リフレッシュできた一日となった。
今日も午前中に東京から来客があり、「被災地の人たちに活気がない」震災復興に当初来ていた労務者が言い、震災復興の建設会社の人が「東京の方が良い」など、震災復興への気持ちの陰りを感じさせる話しを聞いた。
長引く仮設生活者の「このままでいい」は、その「再建への気持ちの低下」への表れと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:03 】

2014
05/03

町探索

CIMG7102.jpg
昨日は歌津石浜に向かう途中の新築物件を見に行った。地元の工務店の「本格木造造りの家」、私の家とは格段に違う木のぬくもりを感じる。家主も「知ってる大工さんなので安心です」と言う。私も名古屋の建設会社を選択したが、11か月の建築の遅れと雨対策も講じないままの、2か月間に苦悩の日々だった。あと2~4年も要する志津川の土地造成、被災者の仮設でのまだ長い生活に耐えられるか心配だ。
私の同級生のお母さんも、一人仮設で生活していたが、去年末に体調を壊し3年目余りの仮設生活にピリョウドを打ち、関東の弟さんの所に行ったと昨日知った。
写真の風景は今の「我が町」を象徴する光景があった。土取りの置き場か、かさ上げ土地の造成があり、手前のカーブには「しお彩」さんの移動販売車が、長須賀海岸のT字路に留まり客を待つ、たしか4時のオープンだった。遠くには気仙沼・南三陸町の生コンコンビナートが見える。被災地の現実を物語る。

CIMG7148.jpg
上山緑地公園は眼下に45号のう回路が建設されていた。遠くには赤錆た「防災庁舎」が見え、4日間の連休前日なので、訪れる観光客の車も疎らだ。

CIMG7169.jpg4
こっちは、十日町から大森方向で、新井田川の手前から「う回路」が45号と合流する。色とりどりの家の屋根で彩られた志津川市街地は無く、山から削られた赤土が、賑やかだった街並みを埋め尽くしている。
寂しい 悲しい 新しい町の再生には この方法しかなかったのか 今からでも計画の変更は・・・ 無理ですかね?

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:06 】

2014
05/02

春の恵みで元気になって


ゴールデンウィークは晴天に恵まれそうだ。雨天と晴天では観光客の入込も大きく違う。また、今月は南三陸町では毎週のように、週末はイベントや被災者復興音楽会がある。観光客だけでなく被災地で暮らす、町民の皆さんも春の訪れを感じて頂きたいとの気持ちもある。
写真は伊里前福幸市の18日に開催する、「しろうおまつり」の登りが既に商店街入口に立っていた。伊里前川にはしろうおが遡上を始め、それを迎えるように「こいのぼり」が川沿いに元気で泳いでいた。
CIMG6793.jpg
CIMG6812.jpg
南三陸町内の飲食店でも、「キラキラ丼」「春告げ丼」など、各店で趣向を凝らし南三陸の海を丼に込め、観光客を迎える。
私を兄弟と言ってくれる「田中前の親方」も、観光客として志津川商店街に来町してくれる方々に喜んでもらおうと、丼に「海の幸」をてんこ盛りにして準備を進めていた。
店のお勧めとして「まる特イクラ」「三陸の活アワビ」があり、商店街で一番人気の「ウニ」は今年は高値ながら、太っ腹で格安に提供すると言う。
観光客の気持ちに元気を貰い、美味しい南三陸の食材を食べて頂き、喜んでもらいたい。相互の元気が仮設で未だに暮らす、被災者の元気に繋がるように、共に幸せを感じられたらイイなと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:57 】

2014
05/01

志津川が変わっていく


私は被災地にあり皆さんと違う生活をしてきた。議員と言う立場に当時あり、町の早期再建を行政に訴え、被災地の状況をブログ・会社ホームページで全国に発信し、多くのボランティアの地元活動支援を続け、今も支援にはできる限り答えている。被災し広く散った仮設で暮らす方々へ、南三陸町の情報を伝え、早期帰還を、町再建を・人口流出の防止の活動など、「あの町の人々とまた志津川で暮らしたい」」と思い活動している。これが私のこれからの道と思っている。
震災を通して、多くの関わった人々には感謝しているが、神仏への恩恵を受け生きられている、偶然の生死の重みを受け止める。神棚と仏壇は現在準備を進めている。残った両親の3人の生活も、母の認知によるホームでの入居により変わった。両親の老いとの戦いはこれからながら、「自然に共に生きるのだ」と、福祉関係の方に教わった。決して戦うのではないと、私はまだ楽と知った。
4月30日は、被災から仮設・仮工場事務所との脱却の日となった。レンタルトイレの返却や、仮設の返還・戸倉の電源・水の中止などの手続きを終えた。
トイレの掃除にいった時に、こんな光景を目にした。戸倉の荒町に向かう西戸の向かいに、海を見渡せない程の土盛りが高く積まれていた。今の立場では行政に問い掛ける事を遠慮している。手前の銀鮭の稚魚養殖場に、覆い被さるまでに土が盛られている。2年半以上も見慣れた光景も、一週間足らずで大きな変化を見せ、復興へと進んでいるのだろう。
多くの地元の被災した人々が、緊急雇用の恩恵を受けている。被災者の行政への臨時の雇用は、13万~15万と技術取得により、違いはあれど「社会保険」などへの加入は、ありがたい雇用体系である。
あと7年の復興への歩みの中にある南三陸町、「平成の合併」での全国自治体の財政難を昨日報道でやっていた。合併による行政の簡素化を図り、財政の軽減を目指したが、3年目から人口の減少による、箱物建設の管理費など、財政の困窮の自治体があり、合併の半数以上も落ちいっていると言う。
12年目?の町政参画の 現町長の町運営を最後まで見届けるまでは死ねない。悪い事への方向性を考えるのは、私の臆病癖でもある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:40 】


TOP