ARCHIVE - 2014年04月

2014
04/30

入谷地区に又造成が進んでいた


入谷に災害公営住宅の戸建と集合住宅の建設が進む中で、入谷に事業所や住宅再建の場所として建設も多く進んだ。
志津川市街地が全滅し、その代替地として「入谷地区を」の私の発言は忘れられた言葉となったが、今では個人再建は20軒近くもなり、事業所も飲食・製造業・サービス業など多くが、入谷地区での再開を果たしといる。
一時的でもこの地に、「避難・仮設・再建場所」を町が選択していたら、こんなに多くの人口の流失は無かった。
私も何気なく購入していた、20年前近く沼田の「商工団地」に土地を取得していたせいで、工場・自宅の確保にこぎ着けた。ここから気仙沼には45分、佐沼へは35分、石巻へは50分と、地方の大都市までの中間に位置する。
メガネが壊れ町民移転も多い「登米コープ」付近まで出かけ、その帰りに入谷鏡石付近の光景です。まだまだ土地も広く「農地転用の申請短縮」となり、この場所の2万前後の土地代は嬉しい。高台移転は「5万から6万円」と、土地取得も大きな負担と言う。
私もローンによる住宅建設の途上ながら、銀行への土地の抵当権・建物の抵当権・ローン期間の火災保険一括払い等、予定もしていない55万円が掛かった。ローン金利免除・浄化槽補助等、基本的な補助200万円はあるが、今後の建築経費として固定資産・建物取得税など、被災者救済策はあるものの、大きな出費に頭が痛い。家を建てたから終わりで、ローンを払うだけでは無い事を、初めて住宅を建設する町民の皆さんは、解らない人も多いだろう。
最近「このまま仮設で良い」との話しを聞く。生活の場所にも狭いながら慣れ、被災者救済の生活場所は、慣れてしまうと生活もしやすいし、普通の生活経費も、食事ぐらいと言う。
「新しい生活をする」と言う希望が薄れ、生活力の低下が心配だ。町の再生には住民のパワーが必要な時に、町からの住民への「再建のメッセージ」も少ない。今後の住宅の確保まで何年か伸びるとの、県知事の情報もこうした県民意識に繋がっている気がする。
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2014
04/28

ポプラ並木は町の人の生き様を見続けてきた

何度も旧志津川中学校から志津川を見る、何も変わらない市街地が、この角度からは広がっている。命からがらこの坂を駆け上がり、助かった人たちは、他の場所に移り住み、町の再建を見る事なく亡くなった人も多い。避難場所だった「福祉の里」は現在、JA南三陸志津川支店・西工区の現場事務所が出来ていた。老人ホームの脇の広場には静かな公園だけがのこり、ここを通るのは高校生で、誰も訪れる事なく静まりかえっていた。
100以上も前から「ポプラ並木」だけが、日々の市街地の移り変わりを見てきた。町の人の生き様をポプラはどう感じているのだろう。
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旧志津川中学校の桜の光景は一部だが、今も変わる事なく昔のままで、満開の時期を逃してしまった。良き志津川の光景と自然に包まれ、静かに生きる事もまた楽しいかもしれない
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2014
04/28

志津川市街地復興への思い色々

昨日は本吉剣道連盟の総会が歌津地区であった。津波で更地となった「管の浜」に飛上と言う中華店が会場となり、10人が集まった。ゴールデンウィークの前半ながら、お客さんが11時前から、途切れる事無く来店していた。地元の人に聞くと毎日こんな感じだと言う。地元の方が仙台から帰り中華店を開店したと言う。震災で新たな生き方がここにもあった。
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袖浜の「荒沢神社」のお祭りが晴天の中で、地域の氏子さんに見守られ開催された。隣の平磯地区まで移動して「神楽」を奉納していて、神主さんは出かけていた。地域全体で神社を守っていた。CIMG6928.jpg
志津川市街地の高台移転の拠点が東浜の工区の東で、造成はここまで出来ていた。大きな法面はあるものの、林野は切り開かれ一部の平地が完成していた。アリーナ前では「復興市」の後片づけをしていた。志中の武道館の剣道練習のカギ明けが事務局の仕事を全うした。

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旧志津川中学校の桜の光景は一部だが、今も変わる事なく昔のままで、満開の時期を逃してしまった。良き志津川の光景と自然に包まれ、静かに生きる事もまた楽しいかもしれない。

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2014
04/26

誰の為の町づくり10

「防災庁舎は残した方が観光の為になる」と来社した方が言っていた。
私は殉職遺族の意向を前面に支持し、当初は早期解体を行政に訴えた。1年が過ぎ進まぬ庁舎の解体に、「残すなら移築や保存の方法を模索しては」と、防災庁舎の前で「Vサイン」の記念写真に心が痛んだ事を今も思い出す。その後町に「震災支援」で多くの人が「南三陸町」を訪れてくれる、この姿は防災庁舎を中心に集まり、その効果の大きさを知る。しかし、そのままであの記憶で苦しむ人も、今もいる事を私は知っているし、忘れて風化しないようにしていきたい。

20081005_DCPR出発式@志津川駅_IMG_3996

被災前の志津川駅の「あさひ幼稚園」の鼓笛隊の風景写真がブログに残っていた。私の同級生の「石田屋」の看板も写っている。あの賑やかな駅前の再建は、私が生きている内は望めないだろう。
現在町の人口はある筋から「1万2500人」と聞いた。こないだ仲間が集まり、その話だと「町の人口が1万人を割る」との噂も、まんざらではない気がする。「商売はなるのだろうか」「税金が高くなるのでは」など、心配と不安ばかりが頭を過る。私はいいが、南三陸町で暮らしていく、これからの若者と、その子供の行く末が心配だ。復興計画では人口が減少しては行くが、これが落ち着き、人が戻ってくる。「出る人はしょうがない」的な発想は、あってはいけないと私は思う。

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2014
04/24

一歩暗闇から


こないだ志津川トンネルの第1号の開通が、テレビで賑やかに光景を伝えていた。登米市と我が町を繋ぐトンネル開通の事を思い出した。「命の道」としての三陸沿岸道路の位置づけがあり、被災地の復旧復興を加速する為に、国上げて工期を短縮し、志津川第1号トンネルも昼夜掛けて、志中直下を採掘し続け「あっ」と言う間の貫通だった。

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新井田地区の「志津川地区中央区」の、高台移転地となる場所に、第2台3のトンネル工事現場事務所があり、国道45号からの「山桜」に挟まれた事務所が毎日の通勤光景に映る。
JR東日本気仙沼線の三陸沿岸の線路も、多くのトンネルの合間の、三陸のリアス式海岸が見える。三陸道も志津川第1が約400mの開通で、次の第2第3の事務所があると言う事は、それよりも短いトンネルになるだろうと想像する。たしか今後5年後頃、商工団地付近に「志津川インター」の開通の予定で、それに先駆け来年志津川小森ICが来年にはできる。
高速道路が住民の復興よりも先で、商工・水産業の再建も志津川地区の集団移転よりも早く進む事に、「違うだろう」と私は強く思う。ある仮設では今年に7世帯が移転する。入谷公営ができ、自己再建もあり登米市に移転もある。
人口流出が今後も加速しない、政策・事業の転換が必要だが、そう思うのは私だけなのかと思う町がある。

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2014
04/23

町民の期待遠のく


県の復興計画の2か年の遅れを知事が発表した。土地の造成嵩上げ、道路網の生活資産など、県下の自治体の住民再建に級プレーキがかかった気持ちにさせられる。

こないだまで「仮設備品を持ち出せる」との親戚の言葉で、退去にあたりエアコン・物置・ガス台そして電気器具の果てまで持ち出せると言う。
1週間前に行政の担当部署、「被災者支援センター」に聞くと、最初は追加の備品のストーブ・畳・コチツは大丈夫ですと聞く。「戸倉の人はもうエアコンはずしてますよ」の話に、偶然に役場内で課長に会い確認を求めた。「駄目です」と言う。
知人は「県のホームページでも配信している」「報道・新聞でも伝えているのにおかしい」とくいさがらなかった。
町にもう一度聞いても「町のもので持ち出しは出来ません」と話された。最後に県の担当部署に確認した。その判りやすい説明で、夏得ができた。できれはこうした対応を町にも取って頂きたい。
結果的には行政の言う事に間違いはないが、震災復興の形・進捗による違いが見えてきた。県内の被災地で備品ほ餅出せるのは6自治体で、半分ぐらいにあたる。持ち出せる自治体仮設は、災害公営や土地造成が進み、仮設の不要となった自治体であった。我が町などは住民再建が進んでいない遅れがあり、今後「みなし仮設」から町に戻る住民もあり、集約を図り被災者を町で受け入れる場所として、まだ仮設が必要な為だった。
県内の被災自治体の状況により復旧の進め方で、備品の生活再建の活用に公平でないのはおかしく、6点セット以外の「エアコン」「ガス台」「電気機具」などの購入にも、再建には実費がかかる。被災住民支援の面からも、行政の想定の甘さがある。最後に仮設が必要でなくなった方には持って行っても良いでは、不公平となる。また、数千台の仮設の「エアコン」「物置」などは、県の今後を考えた場合、町に払いさげとなると、その保管費用も倉庫など膨大な経費が町民に掛かるという事になる。まだまだこの問題は続くだろう。町民の人たちにも考えてもらいたい。「復興計画これでいいの?」と。

この美しい海の場所に戻りたい。「必ず戻れる場所ができるまで、待っていてください」、この行政トップの言葉がこんなに長くなるとは、町民の誰しもが思ってはいない。本当に死んじゃう!

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2014
04/21

桜を愛でるゆったりとした時間もなく


前回のブログの夜桜の提灯の明かりの昼間がこんな感じだった。
今日77銀行で南方仮設で暮らす、男性に会い「あんだへの一票もったねがったなー」と言われた。頭を下げた。「今後も被災者支援します」答えるしかなかった。彼もも登米市の災害公営を、当たらないかも知れないけど、申込みましたと言う。
午後に「会いたい」「来てくれ」、そして突然のお客さんが4人、商工団地に会社を移したら多忙を極めたが、今日だけの事だろう。戸倉の事務所まで呼び出された。わざわざ二回も訪ねてきてくれる、本当にありがたい。被災し再建を23年7月にして、お得意さんが付いてきてくれた。
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20日の晴天の日曜日、「西宮神社」の例大祭を東山の「大登り」を立ち知らせる。写真を撮ろうと坂を上り、被災した十日町を見渡す。嵩上げの工事が日一日と高くなり、市街地は様がわりしていた。坂から灯篭越しに天王前の、土盛りに「大事業」が始まる事を告げる。新井田川が現在の国道を流れ、ここまで自然を変える事に何の問題も無いのかと、問いただした事もあった。自然の驚異を忘れたかのようだ。
東山の坂を着物姿の二人が登って来た。上の山八幡宮の工藤宮司さんと娘さんで、私がここに来たのも偶然ながら、西宮神宮に二人が来たのも10時なのだろうが、この偶然は何等かの繋がりを感じるのは私だけだろうか。
天皇陛下の「園遊会」に南三陸町長が招待され、エグザイルの「ヒロ」と並んでいて、町長がお声を掛けられたと、知人から聞いた。羽生選手も勿論いた。町民もゆったりと桜を見れる日は何時になったら来るのだろう。

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2014
04/19

心新たに夜桜の明かりも何処か違う


志津川地区の桜の名所が、800名余りの尊い御霊に、この桜の灯篭の灯りで、天から見つめられている事と思う。南三陸町の町民の幸せを、普通の生活に早く戻れるよう見守って下さい。
平成23年の3月12日の翌日から、商工団地内にあった17坪の倉庫で暮らし初め、母の認知との戦い、父の孤独があり、被災生活と事業再開そして仮設の洗濯・入浴場所確保と、三重生活からやっと解放された。
17日の家の引き渡しは、理不尽な建設会社との戦いにも疲れ果て、「どうでも良いから家を仕上げて」と、17日の建物使用ができた。これは千葉印刷の再スタートでもある。17日の印刷・製本機などの搬入も済んだが、動力の電気は21日の通電と、配線工事も2日前から始まった。何とかと各種の業者に頭を下げてお願いするしかなかった。あとは少しずつ新しい環境を作りなじんでゆくしかない。
本格的にこれで15年のローンを支払い、志津川地区の町の支援活動と言う、私のライフ生活となる。「千葉のぶたか後援会事務所」はそのまま残し、住宅再建者や生活弱者といわれる方々に、できる範囲でおお手伝いをしていきたい。それができる環境は整った。
昨日は「寒かった」、朝4時からの倉庫の片付けや、引っ越しなど、事務機器の配線が終わったのは夕方6時で、6時30分からの剣道練習のカギと道場を確保した。「寒かった」、でも子供たちは3人が参加してくれ、58歳の老体となる体にムタ打つ、私の身体の内面はボロボロである。
そんな時に「東山公園」の登り坂に架かる灯篭の明かりは、周囲の被災地も真っ暗で、何も変わらない昔の光景に近い。4月末で明日は荒砥の神社の祭りと言う。桜が心を癒してくれそうだ。

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2014
04/18

自力再建


やっと次の所まで辿り付けた。限られた寿命で震災からの、事業の再建・震災の土地の各種手続き、地域の繋がりの継続、顧客の確保など、生活の糧を再建できた。後は両親の異変にも安心して対応できる。形としては神棚・仏壇にこだわり、初めに購入を決めた。震災から逃れる事ができたことの感謝と、自然と神仏に真摯に謙虚に向かい。これから生きる事も、邪心を少しでも消すようにしたい。
昨日は久々に千葉家が賑わった日となった。機械の移動が6人があたり、自宅の事では、大工・電気・水道・ガス・電話・ハウスクリーニングの最終確認で、13名が集まった。一人で仮設で生活して3年二か月の父も、安心感からの笑顔に包まれていた。弁当も歌津の大衆さんにお願いし、大衆さんも店・自宅は既に建築ずみと言う。こうした皆さんが早く安住の地に落ち着く事を願いたい。
昨夜は建設に携わった建築者2人に、招待を受け町内の店で、これまでの契約から完成までの1年余りを、互いの労苦を語りあかした。
今後は朝夕の時間に余裕ができるが、市街地の状況変化には縁遠くなりそうだ。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:45 】

2014
04/16

見えない生活苦


スーパー「ウジエ志津川支店」の建設予定地に、新たな看板4が掲示された。
写真の土地は旭ヶ丘団の眼下にあり、仮設の志中・小森・高校・志小からも近く、入谷・戸倉・歌津からも15分圏内に位置する。
23年の震災の年の後半から、新店舗としてこの場所に、建設の協力を町に求めたが、許可も支援もなく、今年度26年からの、嵩上げ整地・建設へ、やっと進む事ができた。
これまでは入谷地区は「中田店」へ、戸倉地区は佐沼・飯野川のスーパーへ、歌津地区は本吉・気仙沼へと、車での買い物を余儀なくされた。現在ガソリン代がリッター「160円」となり、燃料費が生活費を圧迫している。
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看板には「正社員・パート・アルバイト募集中」とあり、以前聞いた50名前後の地元雇用を生む。緊急雇用も今後も継続と聞くが、長期の雇用の場を確保する事が、今後の南三陸町に定住し生活する基盤となる。
「頑張る漁業」も今年でおなり、自力での生活費の確保が求められる。気仙沼市でも災害公営・戸建建設から、何時までも待てないと、市の示す移転計画の意向を、自力再建に変更する人が増かしている。
東松島市の「大型ベルトコンベアー」の稼働で、高台造成を加速する。その経費に70億は決して高くなく、メガソーラーも計画として進んでいる。気仙沼市本吉新明戸の水田にも、「メガソーラー計画」があり、300世帯の電力をまかなう。
南三陸町はどの自治体よりも、被害は大きく、復興計画の中身も大きく違うが、人口減少率は女川町には及ばないものの、減少率は被災地で群を抜く。復興への何かほしないと町民は戻らなく、新たな流入も難しい。
日本の人口が約1億2千万人となり、国民4人が1の高齢者を支える。15歳から64歳までの生産年齢人口が8千万人となり、この現象は年金と大きく関わってくる。外国人の人口も増加し、米国化していく気がする。

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2014
04/15

前略 佐々木ご夫婦へ


今月の9日、「母校」志津川高校の卒業式に参列した。その帰りにこの絵に出会った。
本浜町出身で障害を持ちながら、趣味を超える絵画を創作し愛した「佐々木久義」さんがいた。津波の2年前に創作した絵の作品集を制作し、出版祝賀会を天王前の民宿に、親戚・知人・近隣者が集まり、文化勲章受章と共に祝賀会を開催した。私も参加させてもらい、楽しいひと時を過ごさせてもらった。その久義さんは津波で亡くなられた。震災後に奥様も後を追うように、志津川に帰還できる事を夢見ながら亡くなられた。
震災前の自宅に御邪魔した時は、自分の描く絵をよく見せてくれ、自宅には畳一畳もある物から、A4版の小さい物まで、絵が自宅いっぱいに置かれてあった事を思い出す。
荒々しい南三陸の海と岩の自然の光景を描く絵が沢山あった。その一枚が高校の玄関に置かれてあり、懐かしく嬉しくて写真に収めた。
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作者「佐々木久義」、寄贈「村田・・」となっていた。「南三陸の汐騒」とあり、志津川周辺の海が大好きだった事を物語っている。御夫婦とも心温かい方で、恵画は大部分が津波で流出したが、作品集のデータが残っていた。
作品集データは会社にあったが、津波で全てのデータはパソコンと共に流出した。しかし、作品集の制作にあたり、仙台の印刷会社にそのデータが残っていた。私はもう一度世に佐々木久義さんのデータとしてある、佐々木さんの古き良き、志津川の南三陸の風景を紹介したいと思っている。
連休には何点かの絵を、リビング展示じを考えている。本浜の人たちには是非見てもらいたいと思っている。

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2014
04/13

やっと春が


この写真が何か解る人は少ないだろう。南三陸町の蔭の場所の光景である。三陸道が志津川小森インターが来年度にはでき、5年後には商団地にインターが出来る。その途中の「磯の沢」地区の、山と山の高架橋を空中での工事で橋を造っている。この工法は「三陸道」では初めて取り入れられた。被災地での「観光支援」の見学地としてどうだろう。CIMG6504.jpg

「磯の沢」を国道45号から望と、風景が見え中央部は「新志津川変電所」であり、現在建設中だ。青空に浮かぶ今度のボックス、早期の「命の道」としての役目を持つ、三陸道の早期開通で被災地の再生を加速の為と言う。工事は国土交通省が管轄し、その力の傾注力がゼネコンへ波及され、被災地の工事よりも人層で動いているきがする。

昨日突然の訃報を聞く。9日に無くなれたものの、その報は昨日の午後に知った。父の同級生で「91歳」の大往生だ。志津川で「カネゴ行忠商店」と言ったら、大森地区の魚仲買人として、志津川では知らない人はいないだろう。父と同じ剣道5段で凄みをもった人だった。勿論自宅は津波で流されたが、工場を高台に持ち、息子さんが被災後直ぐに仕事を再開した。
祖父を送る言葉はお孫さんが語り掛けた。幼稚園・小学・中学・高校・大学・社会人として、祖父の全ての頃の思い出を披露した。優秀な孫さんと聞いたが、何も見ずに遺影を見つめスラスラと役目を終えた。
昨日は兄貴が志津川に来た、施設に入所中で認知が進む母親が、「大工さん来てたの」「気をつけて帰らいよ」の言葉に、兄も父もそのしっかりさに驚きを隠せなかった。


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2014
04/12

また交流人口増加の五月が来る


昨日に知人より「うに丼」の看板を作りたい旨の電話がきた。今月末からのゴールデンウィークに向け、商店街の飲食業者の年最大の繁忙期が来る。ホテルの女将が命名の「春告げ丼」の真っ最中ながら、最高の人気丼はやはり「うに丼」です。
年中販売の「うに丼」ながら、南三陸産のウニの水揚げ期は、夏が本番ながら北海道のウニが流通で使用されいいると聞く。
こないだ志津川商店街の「豊楽」さんに、食事に行き大好きな「五目ラーメン」を食べてきた。その店に貼られていたのが写真で、「日の丸」の国旗に寄せ書き、大和魂を感じさせられる。豊楽さんのアピール「キラキラ丼」は、しらす?しらうお? がのった丼だった。地域の産品が丼にのったことで、南三陸丼と私は提議付たい。
昨日は志津川剣道スポ少の初めての練習会を行った。日中は暖かいものの朝晩は寒い日が続いている。2人の団員から1人が辞め、1人が加わっての団の始動となった。被災で児童数が減少し、武道の人気が低迷し、団・部員の確保が厳しい中で、活動が続けられているが、今後活動する上で将来の活動の発展は厳しい。私の関わった剣道の団員が「小牛田農林高校」に入学した。宮城の剣道の名門で、小5から指導してきたが、芽が出なかった。秘められた可能性を見つけ、夢・目標に向かい頑張れ! 私の一つ後輩で「日本剣道選手権」に宮城代表として出場した、遠藤氏の子供さんも入学したと、人づてに聞いた。
志津川の剣道精神は、親が地元の先生方から学び、その武道精神を子や孫へ引き継ぐ、私も甥っ子姪っ子のその子供たちが、学校に入ったら剣道をまた始める事を願い、関わっていければと思う。
その頃に南三陸町「志津川」はどうなっているのだろう。

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2014
04/11

スポーツ少年の抱負


昨夜7時からの「平成26年度南三陸スポーツ少年団結団式」があり、アリーナ入口には、子供達と親たちで身動きできない、賑わいを見せていた。
少年団の山内本部長は、「スポーツを通して仲間を作って欲しい。常に感謝の気持ちを持って一年間を過ごして欲しい」と語り、佐藤教育長は、「スポ少ではきちっとした態度を学べる。スポーツはいいなー。世界に羽ばたく人が出ればいいなー」と子供たちの前で、目標に夢に向かってとエールを送った。
誓いの言葉では、志津川ミニバスの伊小6年阿部くんと、志小6年の小山さんが、前に立ち団員を先導し、「健康な体と心をつくる・他人に迷惑をかけない・自分の力を伸ばす・友だちと協力する・世界中の子供達と力を合わせる」など、5つの少年団綱領を読み上げた。
また、今年から各団体の団員代表が、「今年度の豊富」を述べた。「一つでも多く勝ちたい」「友だちと一生懸命頑張りたい」「今年は一勝する」など、団員の代表として、今年の目標を仲間を代弁して述べた。指導者からは、「挨拶は元気よく」「礼儀正しい子供に」「多くの仲間と交流しましょう」と、一年の活動が有意義なものとなるよう、意気込みを語り掛けた。

今週も残り2日、8日の志中入学式・歌津舘寺上棟式、9日は志高の入学式があり、10日は自宅の最終締結・スポ少結団式、今日は夜に志津川剣道スポ少がある。8日夜には仲間との「お花見会」もあった。多くの行事と相続や、建設会社の問題交渉があり、地元の5社の住宅建設関係者の段取り、在り得ない一週間だった。来週は「工場移転」「住宅の移転」があり、それに伴う多くの契約終了の手続きもある。できる事とできない事を、はっきり仕分け前へ上を向いて進みたい。

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2014
04/10

新生「志津川中学校」


私が在学していた「志中」今から45年前は、5クラス1クラス40人前後で、ⅰ学年240人あまりの大所帯だった。そんな志津川中学校の大運動会は、旧「福祉の里」跡地に、志津川地区全域から多くの学区民が集まり、地区上げての大イベントだった。
8日の戸倉中との統合による、志津川中学校の入学式は、3クラスで79名の一年生のスタートとなった。入谷中学校が5年前?ついこの間「統合合併」となり、今回の大震災による戸倉学区民の隣市への仮設建設にあたり、人口の流出が加速した。、早期の子供たちの生活確保や、集団移転も長引き諸々の理由から、生徒児頭の減少へと繋がった。戸小も5名の新入生で始まったが、高台の「戸倉団地」に27年に小学校建設予定の、今後の小学校の児童減少を心配するのは、私だけではないと思う。
中学校が志津川になったなら、生活場所も志津川にしたいと言う人達の声も聴く。生活の糧を海岸に求めている漁民の方々は、はやり地区で生きる事を選択するが、そうでない若い夫婦は、子供に苦痛とならない生活を求めているのも現実です。
2050年には日本の少子化が進み、人口は8000万人台となり、避けられない問題ながら、住み良い南三陸町「志津川」は、自然・水産・農業に恵まれ、やりかた次第では環境に支えられ、人口減少の鈍化へと進む事もできたと思います。震災からの対策・対応の間違いは、人口減少を加速してしまいます。今からでも復興の一部修正を、勇気を持って行う事も、町の存続へと繋がります。学校の統合合併から、今度は市町の財政難からの吸収合併とならないように、町民が今の政治を正し、新しい町づくりを目指す! こんな私の夢は叶わないでしょうか。
佐藤校長は言う。「命の大切さ」「大きな事で挨拶」「夢を持つ事」「学力を高める事」が必要ですと。この生徒達に託された町の再建、未知の可能性に賭けるしかない。

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2014
04/08

町民の願い


戸倉小学校が志津川小で3年目を迎え、私と同い年の歌津の山内新校長が赴任してきた。新入学生が5人で戸倉学区民の震災による流出が数に現れている。28年3月末に戸倉団地に小学校が新築される、新たな戸倉地区の歴史が始まり、戸倉小学校の子供たちの声が校舎に、数多く響く事を願いたい。
仙台市に災害公営住宅の3200戸の内、504戸が完成し被災者に引き渡された。4地区でのこの戸数の完成は仙台市だからではなく。被災者住民の流出を防ぐ政策である。ある部屋は4K65㎡で隣との防音対策も万全と聞く。
4年目になり、あと今年を含め2年で、市街地嵩上げ・高台土地造成完了・防潮堤・国道整備の総ての終了を目指す。県事業は建設ゼネコンが本気で工事をするが、町発注の工事も厳しく工期の遅延なきよう、県・国の指導の元で、早期の住民再建を第一に考え、人口減少対策として取り組んで欲しい。
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「北リアス線」が昨日開通した、地元・沿線の住民の笑顔に、被災地の早期復興への期待へと、今後の期待・夢が繋がり、開通が生活再建の希望と重なった。
先週のチリ津波で気仙沼線は夕方6時まで、津波注意報の間、運行が停止となった。戸倉停留所にはJR東日本の車が赤色灯を付け、BRT停留所に留まり通行止めとなっていた。
気仙沼線の鉄路での「早期開通」を住民は願うも、BRTの通行より鉄路は当分は無理と、今の運行が始まりBRTを認めた事で、鉄路の復旧は遠い未来の事になってしまった。岩手県では三陸線の再建が復興の第一歩として、地域民が再開通を願い要望した。気仙沼線は町では「陸前戸倉駅」の再開と仙台への運行を、町民・地域が要望する。あらゆる手段で、何でもいいから町民の喜び笑顔が、被災地で生まれ全町民が喜べる事を、叶え実現して欲しい。
三陸線も南リアス線と北リアス線が開通はしているが、「山田選」を始め気仙沼まではまだ開通していない。だが2区間の開通で全線開通への夢が見えてきた。
登米市に行った昨日、また嫌な情報を聞いた。2世帯の住民が町を張られる事と、市街地以外の防災集団移転も予定から、半年・一年・それ以上の遅延となると言う。28年後半は市街地以外ではなかった造成計画、何で遅れる事への手立てをとらないりか不思議手だある。被災地の建設状況はこれまでも把握はしているのに、「なぜ」「何故」と言う気持ちが、行政の対策に対してある。

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2014
04/06

南三陸町を巡って

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先週は町内のなかなか行けない場所や、入谷地区の変化を見に行った。
前回話した上の山の住宅への「う回路」の話しをしたが、ここが入口となり上の山八幡宮から、志津川保育所に行く道路が、看板と共にアスファルトの2車線の道路ができた。保育所だけでなく上の山の高台住民の為の生活道路としても、最低限の重要な道路となる。上の山の地区には私が知るだけで、20世帯前後の町民が今も限られた生活の場で、不自由ながら生活を続けている。
町内の一時的な瓦礫置き場から、三陸道・45号線の道路の嵩上げに、土地造成土・被災破砕瓦礫の運びのトラックが、何回も場所を変え、不要の時間を費やしている気がする。時間短縮の為にも、復興交付金の無駄を無くし、早期の復興につなげるべで、行政は考慮を深め、人口の確保の政策を住民と共に進めないといけない。住民不在が震災で残った地区の活用をしなかった、しわ寄せとして今、人口流出がある。入谷や戸倉荒町の土地利用を何故しないのか、しなかったのかを、震災復興の検証として、町長・御製に議会での議論が必要と思う。

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入谷に老人ホームが町民の有志により6~7月ごろにオープンの予定だ。町の多くの協力支援がかかせない。多機能福祉施設・福祉モールの町構想で、施設間の高齢者を取り合うような状況にならないように願いたい。




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2014
04/04

変わりゆく愛する志津川


五日町の交差点の信号で、トラックの間で信号が見えず、黄色で余裕で停車し周辺を見る。大長さんの裏に蔵のあった石垣の撤去がされているようだ。十日町側から五日町に抜ける、国道45号の近道といて通行していた。現在、45号のう回路の整備がされ、この道路は無くなり旧城洋さんり跡地からは、上の山・保育所・海円寺さんへは行けなくなる。旧保険センターの所に広い道路ができていた。ここから保育所を経由して、上の山の高台の住宅地に行けるのだろう。
昨日の津波は夜中3時に注意報がだされ、夕方6時に解除され、志津川市街地の工事の全てが止まっていた。宮城県は20㎝と岩手が久慈市の60㎝の津波襲来だった。漁師の方は大丈夫と漁に出た方もいると聞く。長年の経験と判断から出船したが、家族は気が気ではないだろう。養殖施設にも被害は無く漁民は安堵していた。
今日の朝は45号沿い被災地は冠水となっていた。道路の嵩上げがあったものの、川からの逆流は3年が経過しても対策はされていない。三興石油さんの敷地内も浸水して、今日の営業が心配だ。雨も午前には小康状態になりそうで、これ以上の冠水は大丈夫だろう。今日の復興工事は稼働しそうだが、諸々の天候変異で遅延はしょうがないにしても、そうした想定も加味し町の再建を進めるのが役目だろう。

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2014
04/03

オオカミが来たぞ


大震災の前の年だった、同じようにチリで大震災が発生し、荒島の高台でビデオをかまえ、到達時の間30分間待つ異常はなく、平磯地区に移り様子を見ていると、防波堤がみるみる間消え、海上の船が木の葉のように海面を流された。写真の水尻川河口は、河北新報の航空写真で海底が、どす黒い海底の泥が舞いあがった新聞の記事を思い出す。
到達総距離1.7万キロを22時間、「時速800K」で、海底を津波は激走する。今、6時52分久慈市に20㎝の報道がでて、また、30㎝と上昇中との臨時速報があった。23時間かかりチリから日本に到達した事になる。
今回のチリの地震はM8.2で、1960年のチリ地震津波は過去最大の9.2?で、志津川には4.7mの津波が来た。その時のチリの津波は崖を駆け上がり、20数mに及んだ。今回は地震発生後19分後2.55m、ハワイは58㎝で、日本では1mを予想するが、結果的には未だに到達5時30分ながら、南三陸町の海は写真のままです。7時50分「到達中」とテレビは伝えていた。
チリでは6名が亡くなった。私の5歳の誕生日の「チリ津波」、150余りの死者ができと言う。この後も地震が多く、その度に上の山に何回も逃げたが、一度として津波襲来はなかった。朝、父と当時の話しをした。私は地震の強さに大きく比例し津波の大きさがあり、それで適切な判断をすれば良いと思っている。自治体の過剰なまでの避難対策は、3.11の大震災があり、ここまで過剰な自治体の行動は、生活の混乱がある。想定外の自然の驚異は、今までの津波の検証で対策・対応が行政に求められる。しかし、自治体行動は過剰なまでの活動でないといけない、何か起こった時の対応とだからだ。
市場も朝の水揚げを停止し、BRT・長距離バス・町巡回バスは運転停止となり、「海や河口に近寄らないように」と、8時の防災無線は鳴る。4年前はM8.8のチリ地震では、養殖施設が被害となった事を思い出す。
「オオカミが来たぞ」は物語で、いつも嘘をついていたが、また嘘だろうと逃げなかった為に、被害にあったと言う物語で、「用心する事に越した事は無い」という内容だ。「自助」が叫ばれ自分の命は自分で守り、自分の適切な判断で「共助」へと繋げる。
仙台港に7時36分20㎝の津波が到達した。昨日の8時46分の地球の裏側から津波がまた来た事になる。

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2014
04/02

福祉の町で


南三陸町で多機能福祉施設の内覧会があり、先週末の強風の雨の「内覧会」に出かけて来た。町からの指定を受け、当初は戸倉小学校裏に建設予定だったが、今回の大震災で場所を失った。そして、商工団地入口の交差点の角にある、気仙沼信金の裏に26年度内に開設された。
スタッフ総出の出迎えがあり、雨の中で車の乗り降りまで傘をさしてくれる対応が嬉しい。施設内容は「ショートステイ」「訪問看護」「デイサービス」の、3つの介護支援事業を展開する。施設整備のこまい所まで、高齢者の体の不自由を考えた施設設備に驚くばかりだ。
ショートステイの洋室は個室で、通常の施設より9㎡広いと言う。洗面台は上下し、トイレは左右の不自由な方の為に、右側左側使用の手すりやペーパーが設置されていた。和室は2部屋で低い段差にも、収納付の引き出しの階段を設置していた。
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個室の洋室の収納机の一番下には、写真のように非常時の備品が備え付けられていた。
非常用の貯蓄備品・食糧・水などが、今回の震災で「常備品」として家庭が普通に備える状況となり、今後色々な災害発生で必要性を町民も肌で感じた。設置には非常品を販売する会社との提携してと言う。母の入居の施設に2施設の個室を体験したが、このような施設設備はなかった。災害時の避難所としての活用も考えられる。
高齢化加速の対策や、人口不足を交流人口でカバーする。こんな町の体制づくり政策に、「これで街を守れるの」と思う。全てが高齢者や他人の力で、町づくりを図ろうしていとしている。こうした町に住民は魅力を持てるだろうか。行政の職員が安定した生活ができるのは、町民がいてからこそと自覚してほしい。誰かが言っていた、「登米市との合併」はこのままだと現実味を帯びてきた。
原発の被害のある町への帰還が可能となったが、戻る町民は半分以下だと言う。私たちが愛した志津川町はどうなるのだろう。一人の想定の甘さで・・・

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2014
04/01

喜びが一つ


いつもは苦しみ・悲しみ・憎しみ・落胆が混在するばかりの中で、ひと筋の光の報告を聞いた。初めて一人で指導を始めたスポ少の教え子に、子供が授かった。本当に何一つとして心から喜びや楽しみといった事がない今、この嬉しさを一人で噛みしめている。無事に生まれる事を、会えることを夢見て生きれる。
本当に周辺で自分も病院が近くなった。判る人は写真をここと思うが、50m手前で1時間1m進めない、仙台・病院の交通事情に驚きしかない。相乗りで訪れる人は路上で、予約に遅れると安全を確認し徒歩で、車を諦め下車していた。遠くから来られてのこの交通事情を、仙台市に解決策を講じて頂きたい。
4月から「消費税8%」が始まった。その他に「地球温暖化対策税」なる物まで始まった。政治家が今後の国家の対策として、国民サービスの為に、将来の生活の確保の為に、対策を講じるのだと言う。全てが反対ではないが、そのレベルを所得高・地方・高齢者と考えるかによって、増税対策をしているようだが、お金の無い人は静かに暮らすしかない。しかし、生きている上は税金から逃れる事は出来なく、政府の社会保障に縋るしかない。
また、2つ3つ挑戦する事を、この4月1日から始めたい。

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