ARCHIVE - 2014年03月

2014
03/30

不都合は秘密に 混乱を避けるためは


今日の写真は議員だった頃に配布された復興計画です。今になって計画の見直しがされている。想定以上の人口流出は、町の存続危機となり、税収と雇用は密接に関係し、若者が地元に残り働く事で、将来への町づくりと進んで行く。
こないだ知人に話しを聞く。子供たちは1時間以上も掛けて、仕事場を町外に強いられ、生活費の捻出に奔走している。朝から晩まで働き、将来の仮設から高台移転へと、自己の再建計画を立てているのだと思う。
現在復興に問題が発生している。高台への土地確保は100坪と町民は考えているが、土地に多くの法面ができると言う。町民の考えているのは平面の高台100坪で、その広さを自宅として店舗付住宅へと、2年後の計画を進めている。こんな状況下で、藤浜・寄木などで住民の異論が出ている。「法面」は自己での造成整備と言い、大小はあるが200万円前後の経費が掛かる。本吉地区のあるは高台なから、90戸ある土地を道路が囲み、中央に公園を配置し全てが法面なしと言う。中央区はひな壇での造成で、法面の土地が多く、この問題の重点地と聞き、140余りの戸建が「100戸」へとなったと知人は聴いたと言う、大人気の中央区いったいどうなるのだろう。
人口の流出の町にとっての厳しい問題対策はなに一つ見えてこない。石巻では30年間「無償土地提供」と言い、仙台に至っては「50年」と言う。東松島に住む被災した仲間は、南三陸町はいったどうなっているかと言い、土地価格も提示してくれないと話す。28年度中ごろに土地造成・引き渡しは「本当にできるのか」と怒っていた。
被災前に18645人だった人口は、震災で17944人となった。これからの人口動向を26年16483人、28年に15750人は震災死を想定しての人口である。震災死・町外流失を考えると、26年に15193人、28年14500となり、復興計画終了後の33年には「13365人」を町は想定する。
26年1月末現在で「14643人」と町広報で伝えている。既に26年最悪の想定から、まだ11か月あるのに「550人減少」と厳しい状態となっている。
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2014
03/28

官僚政治の打破・子供たちの笑顔


仮設の町庁舎の階段の踊り場に、戸倉の子供たちが地元の「郷土芸能」の姿で、中学校が志津川に統合されてもも、伝統の継承を誓い笑顔で、記念写真におさまっていた。
大相撲にまたモンゴルの横綱が誕生し3人横綱時代となった。袴田事件の再審が決まり、48年ぶりに袴田さんが釈放された。マレーシア航空消息不明・クリミアへのロシア軍事介入・みんなの党党首の5億円の政治資金問題など、多くの大きな事件に続き驚く。
みんなの党渡辺代表の8億円の無利子の借用は、猪瀬都知事の5千万から比べても大きく、「議員の収支報告」への不実記載もあり、議員としての釈明に「初歩的なミス」と言い切る。政治と金の繋がりが、一般庶民では判らない。被災地の我が町ても、復興での4千億以上の復興交付金の使途は判りにくく、絶対に便宜供与が業者と、町の発注に「利権」が必ずあると思え、関係者は「そんなものだよ」と言う。
渡辺代表の「官僚政治の打破」を、党の公約にうたった事に、賛同したDNAの会長が8億の提供者の思いがあり、その活動が薄れに告発へと向かった。
公務員改革は自治体トップ次第で、公務員の住民の考え方・見方がある。トップに感化されるのではなく、自分で公務員の何たるかを突き詰め、選んだ職業の「志を全う」して欲しい。トップの部下で在る前に、一人の人間である。

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2014
03/27

志高よ永遠に

近隣市の3つの高校が一つに統合皿、新年度からスタートする。戸倉ちゅうも志中へ統合され、、戸倉学区から中学校が消えた。気仙沼でも統合の小学校があるが、南三陸町は事情が少し違い、被災した海岸線で、仮設生活が隣の市に置かれ、住民が近隣市に流出した。復興計画での想定外の結果となった。もう「想定外」は行政トップには許されず、町からこれ以上に町民を減らすことは許されない。
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送辞には大坂君が「後輩の目標だった」と、行事の中でのクラスの結団力を話した。「尊敬する先輩たちがいたから充実した学校生活を送れた」と言う。「志津川高校の伝統を引き継ぐ」と力強く語った。 答辞では及川友太君が、2011年3月11日震災の年、3年前の入学だったと振り返る。「津波の被害で、心にキズを負った人、不安な気持ちを持った人がいた」、「この3年間がかけがえのない時間だった」と言う。「あたり前の事がかけがえのない時間だった」「何よりも友達が大切だった」と学校生活があった事、「私を支えてくれた先生」「18年間私たちを支えてくれた家族」に「これからも見守って」と話し、「これからはほこりを胸に、努力し夢や希望に向かって行きます」と。最後に「志津川高校生活は何にも変えられない財産」と結んでくれた。 保護者代表謝辞では、3学年委員長の佐藤信一さんが、「復興への3年間」だったと話した。明日の見えない希望の日々と被災後の生活を過ごし、自分を見つめ、友だちを思い、励まし合い、社会人としての礎(いしずえ)を築いた。オリンピックで体操銅メダリストの亀山選手のメッセージとして、「世界を見つめ、世界に羽ばたいて欲しい」の言葉を伝えた。 阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件と、歴史に残る激動の年に生まれた卒業生、「支えられ、支え合い、必死に生きた3年間」、先生方への感謝の気持ちでいっぱいですと、涙ながらに話してくれた。また、今年は「創立90周年」にあたる事を伝えた。

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2014
03/26

こんなにも苦しんでる人たちが


3.11の朝の庁舎前の光景です。メディアは鉄サビの防災センターで、手を合わせる遺族の姿をカメラで狙う。報道の使命は被災地の現状と、復興への進捗を伝え、被災地の支援・風化防止が最大の、現在の役割と思う。
昨日の地元紙の報道は、気仙沼市で4軒の大火と、歌津地区の死亡事故を伝え、東陵の初戦1対8で白豊大足利に敗れた事を伝えた。
野球の1点を取れた事で、被災民は大敗ながら「元気を貰った」と話す。志津川中学校出身の小林選手は、9番で先発で出場し3打数0安打ながら、志津川地区の人々に「頑張ろう」との気持ちにさせくれた。
南三陸町の「死亡事故0」は昨年11月からだった。旧歌津町で続いていた「死亡事故0」は、来社した方が「23年だったんだよ」いう。79歳の仮設暮しの高齢者を、70歳の女性運転手が跳ねた。高台の仮設から国道沿いのコンビニに、道路を横断中の事故だった。午後6時20分で薄暗くなる頃だった。
元県の庁舎跡地は現在仮設商店街の駐車場として利用されている。これからの河川堤防の8.7mの建設で、それに関わる商店がこの跡地に移ると聞いた。
スーパー出店でこの場所を活用して、スーパーのテナントとしての、土地活用を訴えてきたが、こんな形での活用を町はするようだ。全ての町民の事業所の支援は、町として当然ながら、公平公正そして住民の平等の再建に、こんな町の計画に少し不満を感じる。

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2014
03/25

佐藤校長の言葉を胸に


 宮城県志津川高等学校の平成25年度「卒業証書授与式」が3月1日開催され、卒業生131名が被災地の混乱の3年間をを無事に過ごし巣立った。 情報ビジネス科第16回生26名を代表し、佐藤光揮君が代表して「第585号」の証書番号で、佐藤校長から「おめでとう」の言葉を送られ授与された。 普通科第66回生は、2組33名を代表し阿部想君が「第8928号」を、3組34名の代表は佐藤純君が「第8975号」、4組38名の代表は及川友太君が「第9002号」として、長い歴代の卒業生に名を連ねた。 佐藤充幸校長の式辞では、「この三年間語りつくせない苦労があった。」と被災の年に入学し、多くの混乱の中で高校生活を思い起こす。半月遅れの入学式、2校への分離授業となり、8月になって本校に戻ってきた。「不安と戸惑いの連続だった。」と。中学生から高校生になったばかりで、「多くの支援に感謝の意を忘れないでほしい」と述べ全国・世界そして地域の住民のみなさんの応援があったことを、卒業後も胸に抱いてと話した。  社会・大学に巣立つ生徒に、「小さな壁大きな壁も安易に逃げたりしないで、粘り強く初志貫徹してほしい」「未来に貢献する事、自分のためだけでなく、他人のために額に汗して下さい」と話し、「人の一生は重きを背負って・・・行くがごとし急ぐべからず」「不自由を常と思えば不足なし心に重き望みおこらば困窮な時を思い起こすべし」と二つのことわざを、はなむけの言葉として送った。 佐藤町長は、3年が過ぎても校庭には仮設が建っている。「全国全世界からの心温まるご支援、温かい声援に感謝の心を再確認させられた」、そして「大いに飛躍する事を期待します」と祝辞を述べた。 

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2014
03/24

一日も早く手を合わせる場所を


数日前に心温まる光景に目を奪われ写メを撮った。旧志津川消防署跡地で、隅っこにあった小さい慰霊の場に、被災地に来られた団体が手を合わせていた。その後でモアイの前で記念写真を撮っていた。これが被災地支援観光のように感じる。
大槌町の町長を初めとする職員の40名の殉職には、庁舎の前に板で囲まれた焼香台、献花・観音像が建立されている。我が町にはいまだに、慰霊の場所は野ざらしの焼香台だけだ。部下の職員に「生き残って下さい」と言われた。とメディアで報道されていた。生き残った10名がいる。生き残った職員は町の再建もあるものの、身を呈して行った行動に、一日でも早く報いて欲しい。
さんさん商店街の繁盛店の年間売上を聞いてビックリした。格安での被災地支援光者に提供しているとも聞く。今は「春告げ丼」で各店舗が趣向を凝らし、南三陸の産品を賞味いただいている。
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仮設者の停電復旧は長いもので2日間を要した。今日からは18度前後の気温で、やっと春が来た感じの季節となる。しかし、4月にもう一度雪が降る。毎年繰り替えされる南三陸町の天候です。
大阪市長選挙には6億円が掛かった。橋下氏の「大阪都構想」の市議会の反対への、民意を選挙を通して問いただした。無効票6.5万票のうち、4.5万票は「白票」で橋下氏の行動への反発だろう。行政は無駄なんかしている余裕はなく、市民の生活困窮者にしっかり目を向けるべきだ。前回の投票率60%から「23%」へで、今回の行動がいったい何だったのかと思わせる。
「日本維新」「橋下」、今後とうなるのだろう。一つの躓きが将来を左右する。

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2014
03/23

後輩たちにハ栄あれ


我が母校「志津川高等学校」の卒業式の光景を「南三陸マイタウン誌」に、スペースの許せる限り町民の皆さんに伝えた。聞き取りでの掲載なので、小さな文言の誤字脱字はお許し頂きたい。
今年の26年度は「創立90周年」と言う。被災住民が仮設から戻り、一時町内を離れた住民が戻り、昔のような町民の暮らしが再度生まれる事が、私だけでない最大の願いです。同じ思いの中で「行政政策」の甘さもあり、被災地での想定を絶する状況で、住民は一日も早く正常な暮らしをめざし生活をしている。
また、限られた人員・時間での報道には、ミスがあります。「南三陸から町民流出を一人でも減らしたい」が、発行最大の目的です。
今週も記事掲載の依頼もきている。若い被災者就労を支援する団体からで、「是非使って下さい」と伝えた。
今年のワカメも宮城県漁協志津川支所の「終了」が、町の防災無線で報告されていた。

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2014
03/22

あの生活を思い起こす停電


木曜の午後から降り始めた水分を含んだ重い雪は、南三陸町にも大きな影響を及ぼした。気仙沼・南三陸町1万2千世帯が停電した。電気での水道タンクからの給水もできなく、給水車も出動した。仮設での生活者は「集会所」に寄り添い暖を取る。仮設での電気・水の無い、雪の夜の不安はみんなで寄り添い、取り除ける。今週の高台部会の会議での集会場の必要も、こんなところに活用がありそうだ。
この夜は建設会社との最終打ち合せで、場所を「はしもと」さんにおじゅまし、テレビで紹介していた「春告げ丼」を頂いた。「メカブ天ぷら」を初めて賞味した。煮詰めのタレの甘さとのマッチングで、格別な味だった。帰り際の9時過ぎに3度4度の停電が発生した。復帰したが、やはり重い雪が樹木の電線に垂れ下がり、停電を発生させた。
また、国道も45号は何か所かで、事故が多発し一時期通行止めとなった。398号のトンネルまでの坂道でも事故が発生し、我が家の工務店のトラックも一端とまり動けなくなり、タクシーで町まで戻ってきた。
私の仮設のガスが何故か稼働しなくなった。連絡先のフリーダイヤルに電話するも、メーカーのコールセンター、「計器を見て下さい」と言う、ガスは怖いので来てくださいに、「明日以降となります」、諦め仮設対応の「町建設課」へ電話した。町ではできないからガス店に連絡してと言う。もう少し労わる気持ちで私以外の高齢者に、対応の言葉を考えて欲しい。
ガスの機能に驚く。通常の使っている量より多く使うと、自動的にガス供給が止まると言う。仮設のガス担当店は、入谷にあり昨日は気仙沼から駆けつけくれた。感謝感謝である。
現在も20世帯の停電は、唐桑と南三陸町だと言う。

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2014
03/20

偶然の発見と出会い


南三陸産牡蠣と言えば第一に「志津川牡蠣」、そして昨年から本格的始まった「戸倉牡蠣」と思っていた。夕方定時のニュース番組を見た。そこには自力で「牡蠣養殖再建」に奔走してきた、牡蠣漁業の歌津の千葉さんが写しだされていた。
震災三年目にやっと牡蠣の出荷ができると涙を見せた。全てを失って今まで関わった牡蠣養殖の再建に。多くの多難の末にりっぱな大きい牡蠣を生産できた。最終段階の「牡蠣の滅菌施設」の設備整備に、1500万円の資金が最大利カベとしてあった時、千葉さんの牡蠣再生の活動に感動し、支援金を寄贈して下さって方が現れ、今回の初出荷となった。その感謝とこれまでの苦悩の涙だった。
「頑張る漁業」による地域の水産業再生が主流で、団体での水産業の早期再建が、南三陸町の沿岸漁業救済で、現在漁場の再生となった。
そんな中で昨日石巻の同級生が来た。お彼岸という事でお墓に来たと言う、彼が言うには会社の船も流され新造船は、政府の支援・指導により操業がはじめられた。しかし、会社・乗組員も漁獲した巻き網の魚に手をつけられないと言っていた。これも「頑張る漁業」だった。残りあと一年、自力での漁業の次のステップへと移る。

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家族で笑顔で仕事が出来る環境は、全ての被災者が望み考える状況だが、全ての町民に多大の影響を及ぼした東日本大震災、町の復興計画の元「職住分離」の、町長の考えで低地部の観光・商工の再生と、高台の生活の場確保で、現在建設会社がUR主導の元で進んでいる。
昨日仙台の甥っ子が電話をくれた。仙台でも工事・建設の入札不調と話し、資材・建設費は1.5倍と言い、建設期間の延長も当然のように起こっていると話す。防集での土地取得しても自宅建設の大変さを思う。震災10年後の平成32年に家に入れるか、60歳を超え仮設で生活する人たちが、自分の家に移り住む事が可能かと、大変さばかりが脳裏を駆け巡る。

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2014
03/19

17回高台部会


昨夜は入谷公民館において6時30分から、町づくり協議会「高台移転部会」が開催された。始めに「南三陸町まちづくり情報センター」の整備が報告され、震災復興計概要・町づくり模型・震災から復旧のバーチャルリアリティーなどを置く、志津川高校美術部と行政が手掛ける、町の姿の模型が展示され目玉となりそうだ。
協議では「集会所の在り方」について、集まった6名により議論がなされた。参考の地区を写真の「東地区西工区」として、1.集会所の設備・運営 2.行政区についての二題を行政担当と委員の、質疑応答が1時間行われた。
現在の意向調査では戸建100世帯、災害公営が200世帯で、集会所の役割として、災害時に対応できる施設に、建物の設計も住民提案で、などが出された。行政は2~3年の集会所管理をし自治会(行政区)に引き継ぎたいと言う。行政区の区割りでは、行政の地図には災害公営と戸建地区に各一戸の集会所を地図に示していた。高齢者の多い災害公営との300世帯にすると、コミニティーで見守りができる。100世帯が地区民をまとめるのにちょうど良い、他に東地区西工区を1行政区とし、班に分け自治会長を3名置くと管理しやすいとの話しも出た。地図の戸建と公営の今の配置計画では、「二つに三つに分けるのも難しい」など、志津川市街地の再建に向け活発に議論が今後も続く。
4月には最後の委員会となる。5月には「総会」が予定され、今後の委員そして取組が話しあわれる。

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2014
03/18

絆は永遠に

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バソコンが思うように動いてくれない。一定の操作はできても、パソコン設定は難しく私の手には負えなく、今まで採用した従業員の4~5人の手によって、ブログ・ホームページを作成し、これまで発信してきた、少し回数を減らしたりしないといけない。
震災の頃に、電気は勿論、パソコンまでが被災で流失した。その特に神奈川のいとこに携帯で、写真や文章を送りブログ発信したのが2週間後で、その後でタブレットを購入し、4か月後にノートパソコンとモバイルを使いここまで来た。毎日の更新の時間的・精神的な苦痛から、最近はとぎれ途切れのブログ更新となった。周囲に言わせると当然だよといってくれる。
昨日は戸倉中学校仮設に用事で出かけた、今月に入り「校舎さよなら会」「閉校記念式典」など、戸倉学民は閉校にあたり、行事が重なっていたようだ。写真は校舎前の閉校記念碑と、「絆は永久に」の石碑があった。今後はここも入谷の中学校のように、施設が生まれ変わる事と思う。
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南三陸町の漁港整備は年度末までに、改修工事が終わるようだ。昨日のニュースで県管理の、気仙沼。雄勝・塩釜の3漁港は、資材不足・人員確保の問題により、2年間伸びるという。
ふと考えた事がある。当初の住民意向の戸建てが、個人面談により志津川3地区において、100世帯の減少の途中経過が報告された。100坪で100世帯の減少だと、予定工事面積の1万坪が減少する。早期造成を目指し、すでに土地の買い上げも進み、今更土地の縮小は難しいと以前聞いた。今後どうするのだろう。
今日は入谷で6時半から「高台移転部会」がある。今夜は何人集まるだろう、傍聴者の数よりは来てほしいが。

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2014
03/17

引き波は何処まで思い出を


昨日の報道番組を見ていると本浜町の遠藤さんが、大きく画面に現れ、漁業・漁場の今を話していた。志津川湾の25~30Kの沖の海底には、震災瓦礫の姿は無く、「水中カメラロボット」による海底捜査、画面いっぱいに写し出された。
先週は「水中カメラマン」の佐藤さんの活動と、2週に渡り南三陸の海がピックアップされた。海底には水生動物が群がり、タラなどの大型魚が悠々と、海底500mを泳ぐ光景が広がっていた。今回の捜査はひき波により、瓦礫が海の何処に消えたがを探す事が最大の目的だった。被災沿岸から海流の早い海溝へのロボットで、写し出された映像は、車と漁網らしきものだった。この瓦礫の周囲には魚やヒトデなどが、水族の住家となっていた。
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今月8・9日のフォーラムがポータルセンターであった。その資料に「南三陸町にて実施された調査・研究・活動等調査報告書」があり、ここに「海洋研究調査機構」の活動があり、テレビ報道はこの情報だった。多くの団体による被災地「南三陸町」での、調査が実施されている事に驚く。
知人から「ウジエスーパー開店」への道のりを聞いた。議会での町長の報告で、スーパーは26年後半があり、26年度には買い物の場ができると思っていた。知人は今年秋にに工事が始まり、27年秋の開店と話す。まだまだスーパー開店による、買い物弱者・車弱者といわれる高齢者の救済までは、時間がかかりそうだ。

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2014
03/16

メディアの注目低下


23年3月11日の過去に類を見ない津波が発生し、失われた街や亡くなられた方々を忘れない為にも「風化防止」を叫ぶも、長期にわたる復興に向けた支援をと、政府もメディアも常々言ってはいるものの、現実に取り組み発信は薄れ、確実に震災風化は進んでいる。
3.11の一週間前は数々の特別番組が編集され、3周年当日も被災地を結びも「あれから」と「いま」そして「こんご」を、国民で考える機会を与えてくれた。しかし、3周年以後の震災の被災者を伝える番組は、まるでなく、ニュースで短時間放送するだけだ。
被災地では、福島では先の見えない現実に、自殺者が増えているし、海岸部の復興の遅れに住民が、早期再建を内陸に求め移転している。仙台の高台の住宅地の震災復旧工事は、10%にも満たないと聞く。海岸線の道路整備で6mの嵩上げは、今後5年かかり森林の丘の整備で、二重の防御を構想する。
気仙沼の小泉の防潮堤問題は、小泉川の二重堤防構想と言う。約14mの第一防潮堤と、もう一つの堤防を背後に造る話しだった。国と県の防潮堤計画は変えないと言いきる。住民の為の町づくりが、住民が求める町を早期にと私は思うが、無理のようだ。
写真は南三陸町戸倉地区に建設されている、国・県の事業で建築士会と森林組合が進める、地元材活用の「モデル住宅」で1月に始まりまだ2か月と言うのに、ここまで出来上がった。わが自宅兼事務所は、基礎工事から10か月がすでに経過する。被災地事情もわかるが、皆さんの場合にはこうならないようにと願いたい。
昨日は「戸倉中学校閉校式」がホテル観洋で開催されたようだ。津波での統合が早まった。被災地総てで統合が加速しているが、全国的な「少子化」が最大の根底にある。

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2014
03/14

鎮魂の場を

3周年追悼式があり、会場のアリーナからの帰りに、仮設消防署の隣りを通り帰路に付きました。東区東の造成地を左に見ながら、消防署を横切ろうと思った時に、消防署の駐車場に消防署員・消防団の「慰霊碑」が建っていた。
保宏さん・武敏さんの名前に、背筋がピンとなった。二人の先輩の震災での死は私の復興の為に頑張る気持ちを増幅させた。町民追悼の「慰霊碑」が未だに建立されず、町長は慰霊碑の建立に市街地の整備を理由に、防災庁舎の解体の経緯を見極めと言い、一向に南三陸町の慰霊碑の話しすら、町長の声を聴いた事がない。
そんな中で「沼田第二団地」の花壇の部分あり、仮消防署の土地は町の物と理解するが、消防関係者の「慰霊碑」を建てられていた。本当に良かったと思う。しかし、多くの亡くなられた町民皆さんの「慰霊碑」を、何故建設に至らないのか、行政のトップの決断に係っている。
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「故郷納税」が数千万も町外へ出た方から、町の被災地支援と考えての方々が、納税行動を取ってくれる。納税者の要望が納税にあたり記載される。この中には「町の為に使って下さい」が沢山ある。また、私は生協・全優石のブロジェクトの、行政との橋渡しを昨年の今頃した。「南三陸町にモニャメントを」と、その趣旨に多くの支援があり、南三陸町でしか使えない募金と言う。町でもこの活動を受ける事としたと言うが、その具体性は見えてこない。
個人で、地域で、グループで、被災地に「慰霊碑」が建立され、3周年にあわ全国から映像があった。被災地なら当然の事で、「尊い命」不合理な災害死には、生きている者が早期建立する義務と私は思う。何で我が町の町長が、「アンテナで生き残って」と職員に言われながら生き残った。しかしながら、どの場でも自分から「慰霊碑」を建てたいとの言葉が無い事に、私は不思議でならない。今回の選挙でも当選へと被災4年目のかじ取りやくとなった。優しい町民がいっぱいいる。
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2014
03/13

大好きな町名「しづ川」


私は南三陸町の現在の名前をいう事に、今だに愛着を持てない。「志津川町」がつい言葉に出てしまう。
叔母が老人ホームで津波で亡くなった。ホームに入る前に身の回りの物を、会社の倉庫に一時置いていた。震災で現在倉庫に住み家となり、後一か月で移転するにあたり、倉庫を工場にする為、必要のない物を処分している。その中に叔母の「しづ川」と入った浴衣が出てきた。
地域の行事や町のイベントに積極的に参加していて、お祭りなどで着ていた浴衣で、「地域の繋がりや絆」が、長い歴史の中で築かれていった。今はその面影が叔母の死とともに無くなった。昔の街並み面影が全てこれから無くなる。
求人にあたりハローワークに募集掲示をお願いした。「フルタイム」週40時間があり、社会保険への加入が出来ないと、国の機関「ハローワーク」では、募集の会社案内は出せないと言う。被災前の就職氷河期が現在は、復興特需で求人倍率「2倍」と言う。弱小の被災地での事業所の再建は厳しいよりも、出来ないが現状である。強い事業所が艦艇した企業が残るこんか状況となっている。我が社も淘汰される時期はそんなに遠くはない。

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2014
03/12

とうさんありがとう


東日本大震災3周年追悼式典が全国で開催された。南三陸町でも2千人を超える遺族・町民、関係者が集まったが、この日は特別な日と皆が捉えている。しかし、4年目を迎え一つの区切りとしての考えもある。風化もあるし東京オリンピックもあり、何時まで「我が町」を忘れる事無く、人々がいてくれるかと思う。女川町が人口の28%流出で、コンパクトシティーでの早期建を目指す。我が町は18%の減少があり、市街地再生があり住宅地造成の順に、町は事業の展開を進めている。名取市閖上は商店主たちの活動で、「朝市」は現在被災前の1.5倍の集客をしている。町との違いは商店主が一体になれない、商店の廃業・自己再建・「あの人達とはいやだ」と一部の声も囁かれる。
昨日は役場職員の殉職者の息子さんが、「遺族代表の言葉」を語った。阿部慶一は入谷出身で、中学時代の私の剣道ライバルでもあり、議員としての時に同僚として町の事業に関して議論もした。初めての執行部との親睦会で、私の隣りに座ったのが偶然にも彼だった。今も思い出す「行政は色々あるんだ」と彼は言い、私は「おかしいだろう」と言った。こんなやり取りからお酒が進み、同じ剣道仲間だった勝倉と、剣道・行政の事を話した。
志津川夏祭りの剣道大会個人戦の準決勝で彼と対戦したのが初めてだった。余り記憶にないが負けたものの、その悔しさは一つも無かった。その後も入谷の中学生の指導者として、私は志津川の指導者として戦った。いい思い出であり、息子さんも志中武道館で練習にきていた。
遺族の言葉では、彼の卒業の時らしく、その時に伝えられなかった言葉を伝えた。「とうさん無事卒業したよ。4年間ありがとう。4年目を迎え努力する約束をします。」と檀上で語った。こうした若者たちに南三陸町の未来はかかっている。
話しでは阿部君の二人の息子さんも就職したと聞くが、私は道半ばで亡くなった阿部慶一の為にも、「町の職員として働いては」と助言をしたが、その願いは叶わなかった。
被災地の若手の地元定着には、工場・企業などの働く場が必要と、給料制度も将来に繋がる形態でないと、若者は残らない。我が社も被災後の雇用は厳しく、賃金とて恥ずかしい限りである。

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2014
03/11

合掌


3年目の震災のこの日を迎える。防災庁舎を向かいの対岸から望み「合掌」。ここはサトークリーニング店さんがあり、議員としてこの店舗を利用し、新たな活動・事業にと、出向くと町役場・防災庁舎・第二庁舎を望んでいた事を思い出す。八幡川の流れを見ながら、川の恵みを頂きながら育った。
国会で被災地への支援が、3.11の前日国会で議論されていた。「復興が遅い」「福島は何も変わっていない」かど、被災地住民が思う事はみな同じだ。
「復興交付金」の延長が求められている。10年の復興計画の中で街・地域の再生が進められ、10年に渡り復興交付金が事業申請により、認可され被災自治体へ来る物と思っていた。交付金は5年で支給が終わり事業を消化すると言う。国会で復興交付金の延長を言う。3兆3千億があと7年間で活用される。交付金を自由に使えるように、自治体へ渡し「基金」として積み立て、工事の進捗に合わせ使えるよう制度を変える事が必要と言う。
防潮堤の県の工事は土地の買収から工事設計と進む。防潮堤の設計変更は事業の遅れとなると言う。村井知事は見直しは出来ないと話す。高台移転の意向が「土地取得」が減少の一途を辿っている。土地買い上げも進み、今からの造成地の縮小は出来ない。
多くの犠牲者を悼み遺族の「家族の死」に、今だに立ち直れない人々の生活をテレビが伝える。「自分はまだ幸せ」と、総てを津波で無くししたが、家族が助かり今生きている事で感じる。
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手を合わせる被災者をメディアのカメラず追う。震災を被災地の「風化防止」が今世間で語られるが、南三陸町が全国・世界から忘れられない為にも、報道は大いに必要と思う。

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2014
03/10

復興加速


日曜に入谷から志津川の高台移転の現場を見て歩いた。
土曜日に仲間4人と、しばらくぶりで会った。話の中での色々な町民の町の変化に驚いている。入谷の災害公営住宅も集合ビルの建設と、戸建ての公営住宅の区画も十分に進んでいるようだ。志津川の東地区の東も、昨日出かけたら山の造成が始まり、赤土の山肌が大きく広がっていた。ここまでが早いが環境整備として、「電気」「上下水道」「区画整理」「道路など、まだまだこれからだ。サッカー選手長谷部の支援の、「あさひ幼稚園」の移築も決定していると聞く。
昨日は村井知事が話していた。27年度で造成・道路・防潮堤の工事が完了すると! 住民の生活再生はまだまだで、どの部分を主眼に置いているのか、我が町でも判らない部分だ。
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2014
03/09

グランドスカルピン


震災前に南町にダイビングショップ「グランドスカルピン」があった。南三陸町の志津川湾の素晴らしさを伝えていた。水中カメラマンとして、「ダンゴうお」「くちばしカジカ」のいる海を全国へ発信していた。ショップ名は「くちばしカジカ」の事で、町の観光キャラクターして、商工会でも使用している。
「色が無くなった」「陸が海底に沈んだ」と震災後に、しばらくぶりで海底を見て語っていた。最近海底に潜っての光景は、自然の回復の姿を伝えた。2匹の愛らしい魚を見つけ、感動と喜びを話していた。
写真は再生した天然ホヤの前を悠々と泳ぐ「くちばしカジカ」、自然は確かに再生を遂げていた。
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こんな綺麗な素晴らしい「志津川の海に是非会いに来て下さい」と私も強く言いたい。交流人口の増加を商工観光関係者は言う。私の本音は「志津川での静かな町で自然と触れ合い今後も生きたい」である。あと7年後の年金生活、「天国の楽園」を夢見る。

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2014
03/08

またこの日を迎える


今週中ごろの五日町のカメラクルーが何か解った。土曜日の読売の「ウィークアップ」は毎週の日課で、今日のテレビで五日町の盛り土の10mの看板を取材していた。
昨日は別な番組で「南三陸ミシン工房」の熊谷さんを紹介していた。震災直後からボランティアで町に入り、その後NPO法人として工房を立ち上げ、被災された方々に仕事の場を被災地での仕事を始めた。神奈川出身で45歳ごろに「カーテンショップ」の、自律開店を目指して資金ができた時に、震災が起こり南三陸町に来た。
私のミシン工房との出会いは、被災前からお得意さんだった奥さんが、仮設でのミシン作業だった。「happy in there」のロゴを入れたバックを製造していた。「頑張ろう一緒に」がこの意味だと言う。テレビでは6人位の女性が働き、仮設での内職もあるようだ。全国からのミシン支援を400台以上得て、この被災者支援活動が始まった。バックだけでなく、今回制作会社会社からの「フナッシーぬいぐるみ」が、全国でフナッシーブームの中で、話題となり、被災地での制作が話題となった。どんな形でもいいから「風化防止策」として、南三陸町が報道される事で町民は頑張れる。反面テレビ取材へのアレルギーも、仮設生活者にはあるようだ。
働く女性は言う「明日仕事ができると言う喜びがある」と。給料は10万余りというが、被災者が仮設で生活するには、大きな力になる。これが一日でも長く、こうした被災地で被災者を手助けする、事業所への国の支援もお願いしたい。熊谷さんの開店準備金も使い果たしたとも言っていた。「明日何かが出来る」こうした喜びを被災者に与えて欲しい。
今日は町内の中学校の卒業式です。

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2014
03/07

普通の生活がしたい


福島県浪江町の被災者が子供を抱え、いわき市に移転する事を決めたと言う。「町に戻って暮らしましょう」と、町外に避難した町民一軒一軒歩いていたのが、旧商工会長さんでこれまで1000軒?にも近い町民宅を訪れたと言う。両親は「原発が無ければ、家が壊れても家を建て町で再建します」と話す。福島沿岸の状況は他の被災地とは大きく違う。
昨夜は、第16回高台移転・第14回産業再生合同部会が、ポータルセンターで開催された、高台部会からは5人、産業再生からは6名が参加して、二つの会の意見交換の場が初めて持たれた。
「店舗付住宅希望」は、東区14人(未定3)、中央区18人(未定3)、西区5人(未定1)だった。2月24日現在の数字と言う。3地区の高台移転希望者の推移も、中間報告があった。戸建土地付きには当初「435戸」から「360戸」と60世帯も減少した。災害公営住宅は「560戸」から「500強」とこれも減少していた。志津川市街地から3地区への移転は、25年11月で公営・戸建を含めて約924世帯から、今回報告で約860世帯と減少した。被災住民の声として、資材の高騰・建設業者不足の今後の状況が伺え、そうなる前に早期造成をと言う声を聴く。しかし、その影で住民の住宅再建は、地元・町外で続いている。
合同会議の中では、一人づつ持っている考えを言い合った。「低地部の商店形成はこれからの町開きに欠かせない」「商店の高台での出店は経費的にも難しい」「巡回バスや販売自動車での対応では」など産業再生部会からの意見があった。高台部会は「高齢者の買い物弱者の対策として店舗付住宅は必要」「高台にも商店の集約を」「グループ補助は活用できるのか」など、住宅再建と生活設計での問題点を議論でき、有意義な会となった。
シャランQの「つんく」が喉頭ガンを告白した。シングルベットは私の持ち歌で、最近のつんくの声がおかしいと思っていた。本人は言う7~8年前から「おかしい」と思っていたと。喫煙者に多く発生者がいて、90%がタバコを吸っている。筋肉内にできた癌は、前身麻酔で手術し開いて解った。血液検査では判りにくいと言う。早期がんは回復率も高く、誰かが「おかしいよ」と異常を伝え、自分も「勇気を持って診察する」、こんな事で大事には致らない。
自分も15年前「甲状腺がん」は友だちが異常を眼で見つけてくれた。
写真は他の被災地での公営住宅のコミニティー再生の懇談会で、模型が示され市民と有識者の話し合いです。

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2014
03/06

引きこもりたい


NHKのアンケートは私にとって被災地の現状であり、伝えたい真実がある。
石巻のかいせい団地の、「家にいる事が多くなった」と言う。当初の8%から13%となり、今回の17%と時間が経つにつれ増加している。時間と共に仮設での周囲との活動が少なくなり、緊急雇用の瓦礫処理の仕事もなくなり、将来の展望の不安も募り、考える事が多くなったからと思う。これから「災害公営住宅」に入居などの、高齢者の新しい場所に映るとまた、引きこもり・孤独などの感情が高まり、厳しい今後を予感する。私もすべきことのが無くなり、目標を失いかけた時に同様の精神状態になる。「人間はみな同じ」である。
朝、「南三陸町」とのテレビからの話しを聞いた。震災後の「FMみなさん」の発信が、被災者に対し送られた。東日本大震災のドキュメントが現在作成されている。その中に偽装作曲の佐村河内氏の作曲した物が、FMみなさんで放送それ、被災地で流れ放送された映像が、このドキュメントにあった。こんな事が新聞の記事にあったと言う。
昨日はお客さんが来て、南三陸町の事業所の社長が、「飲酒運転」「公務執行妨害」「暴行」で逮捕されたと言う。再建にあたっての多くの多忙から、お酒におぼれたか、気の緩みがこんな行動に繋がったのか。
こんな厳しい環境の住民がいる中で、昨日の議会では町長が、現在町に住む人が12900人で、町外で暮らす住民の16%だと言っていた。足すと14900人となる?。この16%の方々に戻って頂く事を、現在の目標していると、人口減少の問題の質問に対しての答えだった。18500人の住民が住んでいた町は、多くが津波の犠牲になり、今、多くの住民が生活し易い場所へと移転していっている。被災地何処でも同じで「15%」の人口の流出が大きな問題と言ってはいる。自治体の長の取組みには、重視する部分が大分違っている。
大川小学校の亡くなった生徒の分まで、地域民はここで暮らす事を、気持ちを強く持っている。

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2014
03/05

袖浜から細浦の海岸線の再生は


石巻のかいせい団地は、県内最大の1000棟の仮設のアンケートに、350軒余りが回答に応えた。石巻専修大学の調査での、仮設暮し動向で1.4倍で家族が仮設かせ離れていた。仮設が狭い・子供達の進路・離婚などがあると言う。3年目を迎える仮設の長引きで、家族離れが加速している。荒砥地区ながら震災から何も変わっていない状態が広がっていた。
震災遺構が女川では3つあった横倒しビルが、2つり解体へと町が決定し、今週から解体が始まった。我が町は防災庁舎・高野会館が2つあるが、志津川市街地の都市計画の再生事業は、県の管轄となったせいか、その動向は「町は解体」から、保存についても町づくり協議会でも議論さえ行われていない。
釜石の「防災センター」に200人の市民が避難し死亡した事に、調査委員会は市側の責任と位置付けた。石巻の大川小小学校は学校の避難行動に対し、市の責任と遺族は位置づけ、法定へと進んでいる。幼稚園児の送迎バスの避難行動はすでに、法廷で幼稚園側に責任があると裁判が続いている。女川の77銀行の職員の屋上避難指示は、銀行責任者の指示として「想定外の津波」と判決があり、控訴で今進んでいる。
我が町の防災庁舎での43名の、職員・町民の死亡で、警察の現場検証があったが何の責任問題の進展もないようだ。防災庁舎の在り方・避難行動の結果責任は、何も法定での判断に委ねられない現実に、疑問だけが私には強い。震災の検証と今後の防災体制の構築など、津波の被害を後世に繋いでいく事も、ここから始まると私は思う。志津川はこんな町だは無かったのに、行政に意見する有識者のいなくなった事に、「町長の物言う」人々の移転・流出したためと、町の今後を心配する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:43 】

2014
03/04

被災地域とのつながりの御縁


平成26年3月4日、東日本大震災を3年目を迎えようとしているこの日、島根県浄土真宗本願宗派西本願寺45歳の団体が、縁があり繋がった荒砥地区おいて、今回僧侶11名が来町し、「東日本大震災追悼供養会」を荒砥センターで開催した。
震災直後から荒砥地区に入り、復旧活動支援・物資支援などを続け、地域民との交流など3年目を迎えた節目にと追悼供養会を行った。団体会長は「遠藤さんを通してこの地区とのご縁ができた」と挨拶で述べた。島根県と宮城県荒砥との被災者支援の交流は、島根の浄土真宗会派での被災地の報告会や被災者への心の支援まで、被災地の苦しみを癒す活動を、幾度となく来町し行った。交流は今後も続けていきたいと話す。
地域の高台のお寺隣りにあるセンターながら、こん高さまで津波は押し寄せ、センターのガラスドアはベニア板で今も補修たれたままだ。危険区域でありセンターも移転すると区長は話していた。見下ろす荒砥地区では30軒が津波被害を受け更地となり、高台の造成は6戸で夏頃には土地の確保がされ、住宅再建がされる予定だ。
9時からのからの法要会の、浄土真宗の読経が11人の僧侶の方々により。センターにと響き亘り、参加した人は手を合わせ、亡くなられた方々を忍んでいた。
町の追悼式は11日の2時30分から、総合体育館で開催される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:42 】

2014
03/03

一日でも早い高台移転な町民の願い

2011.3.11から3年目まで10日を切った。テレビではこの時期に防災への検証として、津波被害の再放送が色々と報道されている。そんな中で各被災地の災害公営住宅入居の光景が多く見られる。我が町も2カ所で夏ごろに公営住宅完成となり、防集も今年中には半分以上で土地造成が完了し、住宅の自己再建が本格化する。

志高の仮設に行って見た。知人の家に行くと郵便受けには名前もなく、生活感の無い仮設に寂しさだけが募った。高校と高校仮設を写真に収めた。
東区の造成が進む中で、西区の場所を知らせようと、裏山を写真でスームアップすると、山の上に重機を2台見つけた。造成工事がスタートしていた。これは「復興は進んでいる」との実感を感じた一瞬だった。
こないだも阪神淡路の復興の「光と影」をブログに書いたが、釜石の復興計画に若い副町長が、「ジャスコ誘致」を進めている。市民の流失を防ぐ政策に舵を切った。地元の商店の疲弊も指摘されたが、町の存続の行政の政策として、理解を求めていた。600余りあった事業所が200軒震災で無くなった。我が町と同じ減少であった。
志津川地区に行政へは「買い物弱者救済」を訴えるも、大型スーパー「ウジエ」の出店には何の支援もせず、妨害的にポータルセンター建設と私は思う。27年3月になると志津川市街地には「ショッピングモール」に、さんさん商店街の仲間が出店を予想する。
公園部会で「巡回バスは良いアイデア」と話が出た。在る被災地で巡回バスの実施をし、一日80名を予想したが、たった「10人」の利用しかなかった。志津川市街地への巡回バスの活用は考えているらしいが、被災地での事業政策には「職住分離」の方向決定で問題点が浮上する。

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昨日と今日、志津川市街地の造成状況の発見をした。志津川地区の「高台移転造成」と「志津川市街地都市再生整地」は、飛島・大豊建設の共同体で、県事業として工事が進められている。地元の建設会社が下請けで参加して、27年3月には市街地が、28年末には高台造成が終了する工期である。
新井田地区の「中央区」は私の知人が多くここを希望している事が解った。ここには現在JR東日本の「BKT」が走っていて、将来はターミニルができる。土地の買い上げも少しづつ進み、森林伐採・土地造成の進捗が見られた。これからだろうが期間内に進む事を願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:09 】

2014
03/02

災害への映像は語る


昨夜はフジテレビ55周年のバラエティーで土曜の夜を楽しく過ごしていた。政治から震災支援から少し離れようとの気持ちが、何も出来ない事で諦めの境地になってきていた。そんな時のNHKの震災ドキュメントの「災害へリ~映像は語る~」に目を奪われた。出来る事をやろうと言う気持ちが募った。
仙台市・名取市の平地を襲う津波の光景を、災害ヘリが津波被災地の記録収集で飛ぶ、救助活動は出来にく、12日の翌日から始まった。志津川中学校の上空の3機・5機のヘリのライトがあった。しかし、当日は「危険と」着陸が出来ない状況が、向かいから見た私の「なぜ」だった。このドキュメントから知った。
松島の自衛隊航空基地も津波の被害を受け、航空機を失った。近隣の出動できる基地から自衛隊機が上空を舞い、11日は状況把握で、12日から救助にあたったと言う。勿論、志津川病院の屋上の避難も確認し、夜明けとともにヘリでの救助搬送、陸上から自衛隊の救助の活動が自衛隊の映像として流れた。
全国から200機のヘリが、被災地全県での活動をした事に感謝である。
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岩手県山田町の津波・火災の状況も伝えていた。志津川においても新井田地区の火災があった。山田町の悲劇は津波で2400戸が瓦礫となり、津波で助かりながら火災で160名余りが亡くなった。消防隊員は言う、子供を抱えた母親と子供が骨となった姿に。当時の光景を想い出し涙していた。火災はプロパンガスの爆発で、ボンベが壊れガスが至る所で発生し、1時間後には各所で火災が発生し、山田市街地は火の海となった。ここでも消火ヘリが出動し炎症を防いだ。
多くのヘリが飛んでいた中で、空白区が「牡鹿半島」だったと言う。震災まもなく捜索ヘリも、半島の小さな入り江の集落は跡形もなく、人影も無かった。そんな捜査の中で高台のグランドに「SOS」「ミルク」「汚物」などの文字を発見する。津波発生で海岸部の人々は高台に避難していた。
女川町では今年には200戸の災害公営住宅ができる。震災直後から町の高台のグランドを、住民のために、早期造成を図った。被災者は「綺麗で早く入りたい」と話す。3年目での完成だ。土地が少ない入り江に開けた狭い平地の町ながら、町長・行政は住民の生活対策に大きく力を傾注した。
メディアの情報は、最新の被災地の活動であり、震災復興が遅れている我が町は見習うべき所が多い。今まで行政に異論を持ち、町長に意見していた人たちは、多くが町を離れ、町外で再建や生活を始めている。

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2014
03/01

我が母校伝統脈々と


3月1日は恒例の志津川高校の卒業式です、前々校長の加藤校長先生との交流から、卒業式に招待され母校の卒業の今を、全国の同窓生・同級生に伝えている。時代と共に人口の減少と共に、生徒の数もクラスも減少の一途となっている。隣町の本吉響高校は定員が20名の減少し160人募集と聞き、登米市は3高校が一つにと統合編成となるようだ。
私たちの時はビジネス1クラスと普通科4クラスで、普通課1クラス50人はいた。今から40年前の頃である。志津川高校の後輩たちは学校の伝統を今後も守っていくと、卒業生を送り出した。校長先生は2つのことわざを、大学・社会人となる卒業生に、大人としての生き方・心構えを諭した。
県の予算議会で1400億の復興予算が、使われなく国庫へ返納と報告する。被災企業への再建補助金が資材・人材不足で、補助金が使われず448億があり、町再建資金?が357億、瓦礫の処分の予算が想定より137億余った。
復興は進んでない現実が予算執行にも見られる。仙台市立病院が良い例で、4月1日の開院が、資材不足で7月まで完成がずれ込み、11月1日の新設オープンと報道されていた。我が町も被災地のど真ん中で、この現実の場に置かれている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:03 】


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