ARCHIVE - 2014年02月

2014
02/28

一人になりたい


昨夜は6時に戸倉荒町を出て、ポータルセンターに向かう。6時30分からの「公園部会」の、第15回目となる会議の傍聴にいった。
途中、クボホームセンター跡地で営業ほする芳賀さんの焼き鳥を買いに回った。前のお客さんが買い求め売り切れた。「今すぐに焼きます」と言うので、15分話をしながら待った。次のお客さんも「ここの皮美味いんだよ」「これで一杯やるのが楽しみ」と話す。会議場への15分遅れながら、頑張る商店を応援の方が大切と思っての行動だ。
公園部会には予定通り15分の遅刻でした。公園部会ならではの議論があった。先月は産業・公園合同部会への傍聴をして、今月は所属する高台会議の3名の議論、傍聴では産業の参加が6人・公園が9人の部会員の会議、部会ごとの会議に多くの情報を得た。
昨日は、「避難路」「駐車場」など、志津川市街地の再生の形や、西岸と東岸の連携が議論された。そんな中で公園地区は4mの嵩上げで、五日町の現在の盛り土の高さが。今後の公園部と観光商業部の高低差だと発言した方に、感心した「なるほど」、あんなにも市街地に高低差が生まれる。
今週は仙台やスポ少の会議、町づくり協議会傍聴など、「なんのためにそこまでするの」と言われる。「志津川の為である」、その為に今後も行動したい。明日は高校の卒業式に「志津川広報センター」として取材をする。志高生の凛々しい姿と、校長先生の「式辞」を伝える予定だ。ここには大きな影響力はのだ無いようだ。加藤校長時代から10年目になる。
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2014
02/27

20090525_避難訓練_IMG_0972
「チリ地震津波訓練」の写真が残っていた。毎年5月24日の7時が訓練の時間で、地区単位で避難訓練に参加し、本浜は5区であり地区の旗を先頭に、志津川市街地から「上の山緑地避難所」に向け避難行動を取った。
昨日、志津川の津波の避難訓練の姿がテレビで放送され、けが人の救助活動・炊き出しや、ヘリコプターの救助訓練で、地上から被災者を吊り上げていた。前シルバー人材の勝倉理事長がインタビーで、「チリ地震津波を教訓として語り継ぐ事と、こうした訓練が大切」との内容を話していた。
2012.5.24の志津川地区の訓練には、中学校生徒が学校上げて参加し、自衛隊を従え坂を上がってくる佐藤町長を今も覚えている。いつのまにか津波の町「南三陸町」となり、津波の脅威よりも観光に津波の町をアピールする、行政の政策を強く感じた時だった。
この辺も「町政改革」「行政意識改革」が必要と思い始めた事案だった。

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2014
02/26

我が町の雪事情


平地にも南三陸町内は雪が残り、倉庫住居前は日陰とあり雪と氷で通路に今もある。朝、90歳の父は通路の氷を砕きに外へ、「転んで何かあったら」と毎日のように懇願するが、90歳過ぎても頑固一徹は変わらない。
今日は朝日が眩し過ぎ、丁度運転の真っ向にあたる。白く眩しいの状況が雪の色も加わり。日よけのガードは運転中はズーとそのままにしている。朝の戸倉街道はトラックや通勤の車で8時前になると、会社の入口になかなか入れないでいる。長い時は20から30台連なる。今日はライトのパッシングで入れてもらった。譲り合いの精神は大型トラックの運転手さんが互いに譲り合う、しかし、全てのドライバーとは言えず、スピードに時々危険を感じる。日中の薄暮化は復興工事のトラックの粉塵と、中国からのPm2.5の影響もある。
昨日は仙台の印刷組合に25年ぶりに出かけた。理事の選任の支部長会で、各支部の報告では津波の被害の無い支部では、支部活動が発表さ利た。私の番で「支部の活動状況は震災なしでは語れない」から報告をした。8社だった組合員は2人が退会した。全国の印刷組合員は5000社余りで、毎年300社の減少があり、今後は3000社まで減少すると予想する。
写真は横山峠の雪の除去で、道路を狭くする位、隅に氷と雪が重なり、大型トラックとの交差に「ヒャッ」とさせられる。こうして春に一歩一歩近づいていく。
3月1日は志高の卒業式があり、2日は戸倉中学校の閉校にあたり、校舎への「さよなら会」があり、引き続き生徒・父兄・関係者が「南三陸プラザ」で、会を持つと言う。震災で戸倉中学校の統合が早まったのが現実です。
中学校下に「戸倉中学校を残そう」と立てられて看板を思い出す。戸倉地区は600余りの世帯があった。現在戸倉団地には95戸の戸建と公営住宅80戸の建設予定があり、荒町に100戸と浜に建設される「防集」で、半分ぐらいの世帯数になりそうだ。
今日は町協の「公園部会」がポータルセンターである。新たな情報と議論を聴きに行く。

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2014
02/25

気になる数字と出来事


220億の埼玉県の農業被害だったと、中間発表された大雪被害による損害を知った。南三陸町はと言うと、入谷ではハウスの30棟が倒壊、牛舎がつぶれ牛が死んだと言う。海の被害も昨日あり若布・牡蠣など3億を超えたが今後の調査次第では、その額が増加して行く。「激甚災害指定」となると災害補助の率が上がる。こんなに自然災害が多発する時代、復興交付金の被災地への補助の影響が無いか心配だ。
写真は戸倉折立の護岸の津波による破壊で、今もそのまんまとなっている。自然の再生は巨大な石にビッシリと「ふのり」が付いていた。震災遺構は「祈念公園」の海岸部に、津波被害のそのままの姿を残すと、町の復興コンサルタントが構想していた。現在は干潮の水位が低い時期で、戸倉折立手前の海岸線の復旧工事が、3月末工期とあり海の干潮時期の関係もあり、その工事の進捗は早い。
原発の風評被害の現状について「国会」の議論があった。福島出身の質問議員へのヤジに「県議会の質問だ」とのような言葉があった。福島のまだまだ被災・風評からの被害から脱していない現状の、国会での小さな報告・問いかけは、テレビ放送の国会で議論すべき事に、議員のヤジも稚拙すぎると感じた。
銀鮭の養殖の女川の業者が、地震・津波発生の地区から日本海に移した。今後の天災のリスク回避の事業展開と言う。日本海のシケの脅威に養殖事業の展開に挑んだ。被災から3年を迎え何とか軌道にのり来月に出荷が始まる。養殖にあたりシケでも無人でエサを与えるシステムを導入した。日本海での養殖挑戦は成長も早く、肉質も固くさっぱりしたアブラと言う。挑戦して発見した多くの結果に、既存の養殖からの脱却で、「女川が一番」から日本海の都市が一番になる時代が来るかも知れない。

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2014
02/24

未来の子供たちにツケを回すな


昨日はアリーナへ、中学生が沢山でてきた訳は、卓球大会が開催されていた。剣道も仙台で大会があり、武道館での志中生の強化練習は中止と協会会長が連絡をくれた。
アリーナの通路には「姉妹都市」の庄内町の、余目中学校の生徒が文字手紙で、エールを色とりどりにくれた。私も運動に行って元気を貰った。
20100211_防災対策庁舎_100209_125406
議員なりたての時に税金回収の「物納」の事案があった。物納されたものを「インターネット入札」で販売をしたり、役場駐車場に競売の車両を展示したりしていた。震災前から「未納税」の滞納が問題になるくらい、町財政の厳しさがあった。。
その時に二階から携帯で撮影した「防災庁舎」の玄関を懐かしく思う。やっぱり基礎の嵩上げも少ない「海抜1m」の位置にあり、町の防災体制の拠点として、何の政策・対策も講じられたかった。
震災3年目を迎え、「復興交付金」で職員報酬・復旧工事・病院維持・医療費・仮設維持など、多くを国の交付金に依存する。残り7年で総額4900億円と言う、町の再建に国費が投じられる。当時示された額ながら60年分の町の予算にあたる。若い人材の流出に、町財政の今後を懸念する。
亡くなった役儀職員の父親は言う、「病院から町役場に移動になったら地震・津波に気をつけろ」だった。今さら何を言っても命が帰っては来なく、庁舎の警察による検証でも、議会の責任追及も、家族には亡くなられた「愛する家族」は帰ってこない。
復興が進む中で私の歩んだ記録は、写真・建物・地域風景などなにもかも無くなった。3.11の東日本大震災により、生まれた昭和31年5月24日から平成23年3月11日までの生活の記録が全て「リセット」された。
平成23年3月11日3時30分から、新たな「第二の人生」となった気がする。「リセット」される前の人生は私にとって、何だったのだろうと振り返る。

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2014
02/23

過去の災害記録を基準にならない


NHKの大震災の記憶は今日は「閖上」地区だった。この場所の津波襲来のあの時を、何人かの人たちが振り返る。
閖上大橋は名取市に繋がる橋で、5差路手前の橋であり、事故が発生し交差点は大渋滞となった。中学生を亡くした母親が当時の事を話していた。閖上地区には4千人が住んでいたが、誰一人こんな大きな津波が来るとは予想はしなかった。と言い切る。そんな中で一番目に避難したのが二階のある公民館で、防災無線が壊れ、微かな放送で「10mの津波」と聞き、少し先の閖上中学校にバラバラで逃げた。息子さんは2週間後に瓦礫の中から発見された。母は息子は中学校をめざし逃げる途中で、津波に飲み込まれたと確信する。そして中学校に「慰霊碑」を亡くなった中学生と共に名を刻んだ。息子が目指していたのはこの学校で、ここしか慰霊碑を建てる場所はないと、賛同する方々と建立した。一年後に「語り部」となり被災の事を風化させてはいけないと活動をしていた。初めは被災地でピースサインで記念写真を撮ってる姿に、心が煮えくり返ったと感じていた。しかし、今は何回も来てくれる事に感謝と言う。震災で亡くなった方々の思いや、津波は怖いもので地震が来たら逃げる事を伝えて生きないという。閖上には昭和8年に昭和大津波が襲来し、その慰霊碑には「地震が来たら津波の用心」と刻まれていた。
私も多くの方々が被災で防災庁舎を訪れ、庁舎の前での「ピースサイン姿」を見てきた。やはり同様の気持ちになった事を思い出す。
岩手県大船渡の70歳ぐらいの男性の、被災地を見ると土地の整地は進んでいるが、早期復興の姿が見えてこないと話す。人口が減り過疎化の町にならないよう、早く対策を講じないといけないと、NHKのテレビでメッセージを送った。
我が町の町民はどう考えているのか、行政への町民の異議は私には見えてこない。写真は閖上中学校で450人?が助かり、5差路の高架歩道橋では40名余りが津波から難を逃れ、津波で流されていた女の人を一人ながら助け、雪の降る夜はみんなで服を貸してあげたと言う。閖上では750名が亡くなり40名が今も行方不明だと言う。震災直後は閖上の海岸線に数百体という遺体が、上空から発見されたと報道があった。

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2014
02/22

制度活用のむずかしさ


多くの時間の余裕から、気仙沼地区と県内の被災地の復興の情報を読みあさっている。その中で目立って多いのが「東松島市」で、大型ベルトコンベアーの導入で、早期生活地の確保があり、メガソーラーの設置で非常時と今後の電力対策と、将来に向けた事業展開を企業と連携をしていた。今後の人口減少での国民健康保険の基金不足の、税の徴収率を18%上げた。勿論市民の反対はあるものの、財政破たんの危機に対応した政策へと、苦渋の選択を公表した。「女川町」は、中心市街地の早期の再生を目指し、たしか5mの市街地嵩上げをして、以前のような商店と住民の共存する町づくりを進めている。また、女川中の生徒による震災を記憶に残す活動が、全国・世界からの共感で早期の資金ができ、卒業に合わせ震災後の生徒の活動の発表がされたと言う。南三陸町の復興情報の少なさにガッカリしている。
災害公営住宅は個別面談で、移転入居希望者と行政の中で把握し、個人情報と一般人には知る方法すら限られ、「町づくりニュース」でその動向の一端を知るしかない。そんな中で昨日のテレビニュースで山元町では災害公営住宅に、特別工法を取り入れた企業を採用したと言う。通常は集合住宅と戸建の災害公営住宅がある。長屋式の戸建と思うが、一棟建築するのに普通は3~4か月掛かる工期を、1.5か月に短縮できる工法を山元町は取り入れ、260戸の建設を決めたと言う。南三陸町は今年の8月に入谷・歌津の84戸が完成するが、志津川市街地の大部分は平成28年度中と言う。そんな中で27年4月の開業を目指す公立病院も、多少の遅れると聞いた。一日も早く南三陸町での住民帰郷できる事を望むが、これ以上の遅延は人口の減少に繋がる。
昔の知人の息子さんの成長に驚く、知人は今回30歳の息子さんを社長にし、新たな事業展開をする。子供が後継者がいる事は大きな力になる事を知らされた。
写真は「さんさん商店瑞」の向かいの、志中の下を通るトンネル工事で、夜7時になるというのに「ガタン・ガガガ」と大きな音をたて、夜中も工事わしていて早期「三陸道」の開通を目指す。高台造成もUR都市機構の話だと、遅延とならないように昼夜を問わず工事をすると言っていたが。

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2014
02/21

先行町開き


第13回志津川地区まちづくり協議会「産業再生専門部会」が20日6時30分からあった。部会員の出席は6人で委任状を加え成立した。会員の数は一人減り20人と言う。
高台部会との合同会議は3月の初めに予定するが、傍聴で聴く範囲では、議論の中身に町づくりの協議会部会が、誰に何処に向かうかで、合同会議の発展的な議論は難しく、現在までの各協会議の進捗内容を伝えるだけになりそうだ。
志津川市街地形成にはコンサルタントの熊氏が携わり、昨夜はその構想が部会で示された。その全ての観光・商業の多角的な世界の場所を模範とした、地図や写真で示された構想に、驚きの志津川地区日地被災地の再生が伝わってきた。だが、「本当にこんな町ができるの」と言う疑問もある。商店主がこれだけいるのか? 他の地区から事業者の参入があるのか? など、人口が減少している中で、こんな物凄い構想が実現するのか。と思った。
「これからの町は戦略的ではいと駄目」と言う方に同感はする。「生産者も販路の開拓を」「道の駅の構想も」など、発展的な情報も聴けた。行政からは次回の合同部会で、高台移転の個別相談での「店舗付住宅希望者」の数も報告出来ると言う。
最近仲間と夜語り会う機会が無くなった。雪の為・寒い冬だからなど、互いに多忙なのかも知れない。私も少し忙しいが運動行ったり仕事したり、色々な町民の方と会う。家に閉じこもる事を避け、日曜だけは父と一緒にいる事を心がけている。

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2014
02/20

政治と教育の中立性

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被災前の志津川中学校から旭ヶ丘団地を望んだ。平地は過去の風景となってしまったが、貴重な一枚と私は思う。清水小・荒砥小・入谷中の閉校の、校舎内の教室・外構など、解体され更地となるとなる前に、校舎の風景を記録しようと思い、写真データで保存していたが、津波でパソコンの入れて置いた数10万枚の、今まで撮りためた南三陸町の記録を、全て失った。被災前から各種のブログを9年間続け、公開していたブログに被災前の町の風景が残っていた。これが私の一番の宝かもしれない。
国会で「教育委員会改革」の議論が重ねられている。日本維新の会の中田議員(元横浜市長)は言う。24年の児童・生徒の自殺が196人あった。全国でいじめの確認ができた数は、19万8千人で1日500人となる。「日本は自ら命を絶つ国」となってしまった」と話す。学校・教育委員会で発表する19万8千人の数は氷山の一角とも語る。
教育委員会の学校の「いじめ」に対する公表が二転三転に、その在り方に問題がある事を物語る。国会でのA案・B案は改革の形だった。教育委員は行政のトップが指名し、その委員会メンバーの中から委員長と教育長を選ぶ。政治と教育の中立性が求められ、行政と教育のすみわけは「教育に政治の圧力がかからないように」する為だった。今回の教育改革の議論でこの事を知った。現在、教育委員長は行政職員で、教育長は町外の元町内校長を教育委員とし、教育長とした。大きく行政が関わる教育委員会となっている。
2代前は現町長が公募によるものの、実質町長が引き入れた。こんな環境を作ろうとした事は、学校PTAも自分の思い通りにするためと思う。これまでの校長・教育長は行政と対等の立場にあり、子供達を守る為に熱心な、町と時には対立する「気骨」溢れる人たちが多かった。学校への行政の影響力は、生徒・児童を行政が利用する方向になる事にもなりかねない。教育委員の皆さんには一定の行政トップとの距離感を考えてほしい。

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2014
02/19

志津川磯の沢現風景


写真は新井田の国道45号の最終津波到達地点だ。私が震災3日目に歩いた時は、一台の重機が交通の確保の為に稼働していた。
磯の沢地区はギリギリ津波を逃れた。この場所を選択し事業の再建者もいるが、水道が通ってない。議員だった頃に震災一年後に、住民から話しを聞く「国道をまたぎ水道本管埋設は個人で1千万円以上もかかる」と言っていた。3年目を迎える今やっと工事が始まった。これを聴き議会で早期水道引き込み支援を、と訴えた事を思い出す。復旧工事は年度内の期間ながら、黒崎パーキングの折立の国道への海水浸水対策も、現在工事が行われているようだ。
磯の沢地区へは現在「志津川変電所」が建設され、三陸道の高架橋は新たな工法で工事が成され、今のコンクリートの塔から橋をせり出させていく段階へと進んでいた。
商工団地内も事業所の再建工事が進み、町全体が工事現場となっている。事業所の4分の3事業も期間が迫り、年度内の工事の開始を目指し、事業主が金融機関を駆け回っている。
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国会の安定多数を衆参で取った安部政権、三本の矢により「円高」「株高」となり、大企業の経営上昇となり、予算審議もあるだろうが、国内・都市の豪雪対策の遅れを、「ゆるみ」と政治解説者はいう。
都知事「枡添」の誕生は、自民・公明の指示のもと、厚生大臣の就任経験もあり「高齢者対策」「待機児童対策」など、社会福祉の整備の必要性を訴え当選した。100万票を超えたものの、猪瀬前知事の「400万票」からは遥かに低い。当選し都議会の自民の指示も受け「ゆるみ」を感じる。2020年の東京オリンピックで、「ソチ視察」とは言っていたが、都民の「檜原村」の住民の孤立が大雪で発生し、豪雪対策・都市の麻痺への対策も、現場で支持することも無かった。以前から枡添氏は「現場へ行かないと」と、常々言っていたがここに大きな肩書とバックの政党の支援から、自分の政治姿勢を忘れたかのようだ。
南三陸町の復興への歩みは、高台造成と被災地の嵩上げの段階に進み、県事業が旧ピッチで進む。行政はと言うと税収の減少の埋め合わせに、町民へ周知・お願いをしていた。町の主体となる多くの町民が町を離れ、住民の仮設での生活に、高齢者が残る状況からは、税収拡大は望めない。

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2014
02/18

生死の狭間で


山梨のニュースでの集落の孤立に驚き、東京都の村の孤立、そして、宮城県丸森町の集落の一時1100人が孤立していた。2週連続の大雪で都会の交通マヒ、普段10分も掛からない所で4時間を要した事に大変さを感じていた。中央道の長野・山梨の大雪による、事故などで40Kの大渋滞で3日間も車に缶詰となり、車が雪に埋もれるなど、今日時点で今回の大雪で19人が死亡した。
我が家も工業団地内の倉庫を住まいに、昼間は90歳の父親一人の生活で、孤独の上に孤立そして今回の大雪と台風並みの風と、雪かき作業は最低限度と、静かに家にいてと言う事しかできない。倉庫の一本の「雪かき」は大変役にたった。
今日の朝は2時30分のジャンプ団体の始まりと言う事で、3時頃から一番目の清水が130mと一組目2位スタートだった。二人目は竹内で3人目が伊東で、最後に41歳のレジェンド「葛西」が飛んだ。日本の金を目指し多くの国民が夜中ながら応援した。若い清水と次に竹内、膝の痛みの中でみんなの為にと132mで倒れ込み、葛西が134mと安定した飛距離をだした。
チームワーキの3位の結果だろう。無理せず確実に距離を出し、皆がみんなの為にと自分の力を発揮した。団体戦に何が必要かを教えてくれた。私の周りには「自分だけよければいい」と言う人が多い気がする。そんな中での早期復興や、真の未来に向かう町づくりにはほど遠く、その化けの皮がはがれないで進む事を願う。
バリのスキューバーの不明者が3日目に発見された。5名ながら残り二人の可能性もまだある。多くの理不尽な死が続く中で、「人の命の尊さ」を再確認する。

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2014
02/17

二人の家


昨年5月10日に「前金」から9か月が経つ、建設完成は90日ながらまだ半年も掛かりそうだ。町内の住宅建設は後から始まっても、次々に完成となっている中で、今思うと確実な資材確保の高条件と甘く見てしまった。被災地の建設状況は、顔の見えない業者の選択は、多くのリスクを抱え一日も早くと、無理をしての再建は多くの心労と、父親との口論の火種となっている。
朝の血糖値に驚く。最近の不節制から最近は210から290の値に、何とかしないとと考えていた。日曜に1時間30分のジムのウォーキング・筋トレを始めて5週目を迎えた。、朝食事は軽く、昼食も戸倉事務所に在るもので、夜は普通の食事と時々のピールを心がけた。
昨日は運動し9時に睡眠に入るものの、夜のオリンピックのせいか、朝7時なっても布団から出れなかった。いつもの朝一の日課で検査キット、針で採血を今日は親指にした。なんと今までで最低の「132」に表示がでた。一昨日前作った料理のあんかけ汁の効果か。
鳥ミンチとマイタケととうふ、ネギを入れあんかけにして卵のスープにした。丼に軽く一膳のご飯に掛けて、昨日の朝から4食を同じものを食べた。昨夜はサラダを添えた。食後はジューツーでバナナ・人参・みかんのジュースと、体に良い物を摂取した為の、低い血糖値の理由かもしれない。
昨日は父親の志津川で仮設に暮らす、同じ90歳の親戚の所へ、震災以来初めて行く事を強引に進めた。昔話から今の暮らしなど多くの事を話したみたいだ。私はその間ジムで汗を流した。迎えに行くと「ここの仮設温かくていいな。」と言う。ちょっと行っただけだから、そう感じるのだと私は思う。
最近になって戸倉までの通勤に「おっくう」を感じるようになった。

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2014
02/16

震災の苦しみの中で


男子フィギャーで羽生選手が優勝した。前半で100点越えの世界最高点を出し、昨夜のフリーで4回転を失敗し、19歳で初めての五輪のプレッシャーが出た。仙台出身で練習中に被災しフィギャーを続ける事に疑問を感じ、苦しんでいた時に荒川女子金メダリカトが背中を押してくれた。荒川さんの「イナバウァー」を演技に取り入れ、震災支援へ多くの皆さんへの感謝だと言う。けなげに頑張る姿に世界へ感動を与えた。
志津川高校に羽生先生と言う方がいた。当時友だち付き合いをしていた。震災後に何度か支援を来た。また、志津川の悲惨さを伝える機会を頂いた。何もできない震災後の空しさの中で、自分の出来る事を見つけた。二人に繋がりがあるか判らないが、今度会えたら聞いてみたい。
羽生結弦には共同記者会見で笑顔が無いと言われた。被災地の事を常に思っていると言う。復興が進まない中で喜べない現実に帰ると言う。被災地ではこの栄冠に「元気」「感謝」ですと言う。東北高校の後輩たちに夢・希望を持つ事の大切さを教えてくれた。
夜中眠れずテレビ見ていた。「自分はウツかも知れない」と感じる放送だった。日本には100万人のウツ病患者いると言われ、一生で5人に一人はウツになると言う。仕事バリバリの人間が、100時間を超える残業をこなし、精神的にイライラや不眠に襲われ、検査したら「ウツ病」と診断された。
真面目すぎる・正確性を求める・笑顔が減った無いなど、思いあたる事々が多い事をテレビを見て感じた。人の事なんか気にするな・適当に生きればいい・楽しい事はいっぱいしなさい・仲間と遊びなさい等、昔の自分らしさが無くなっている気がする。目の前の問題も早く解決を求め・早く金銭的に楽になりたい、そんな行動ばかりの対応に追われている。そんな毎日のような気が売る。生き方を変えないといけない。
葛西の「ラージジャンプ」が後2時間で始まる。明日の灯油が無くエアコンで暖を取っているが、倉庫は寒い。明日は雪が少ない事を願うばかりだ。

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2014
02/15

雪の海と町の象徴?


こんな大荒れの海は見たことがない。いつもの場所からの写真ながら、国道への波が覆う事はなかった。海岸線の震災の改修工事がなされたためなのだろえか。
太平洋沿岸は波浪警報で、波は6~7mで風は30mと言う、ワカメの収穫の真っただ中、水族の被害が出ない事を願いたい。
ワカメの生育は順調で「だぶつき」の状況で、値段が安いとも聞き、仲買や生産者の昨年までのワカメも冷蔵庫に満杯で、それを出荷しないと保存して置く所がないと言っていた。今回の大気圧の発達は「986気圧」と、北上と共に発達し続けていると言う。東北のヘリ沿いを通過するために、南風を下から巻き込み、これが雪から雨となった。三陸沖海上なら北風となり大雪となったと言う。
自然異常は3年前の大津波、今年の記録的な大雪と、仙台に「27㎝」の二度目の降雪となり、75年ぶりの異常気象を生み、関東の甲府では100㎝に迫る積雪は、観測して120年の大雪となった。
午後からの雨は、35㎝の雪に昨夜の更なる雪ながら、南風の雨が寒さで固まった積雪を溶かしてくれるだろう。若布の生産過剰の調整も、この大嵐により調整される気がする。自然は人の営みのバランスを取っている。不思議ながらこれが長年繰り替えされている。
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2014
02/14

仕事ができる事は嬉しいが


年度末を前に何とか仕事が動いている。先週末の宮城の32㎝の積雪は、山の上の牛舎改造の工場までの、1K足らずの行き来なでも大きな障害となった。
国道から町道の小川沿いの道路がただ一つの交通手段で、35㎝にも及ぶ積雪は一週間がたっても、溶ける事なく車は蛇行を繰り返し工場にたどり着く。車の足を取られると「右の水田」「左の小川」への落下が、通行するたびにハラハラする。
自分が早期の工場再開へ取り組んだ事に間違いは無く、石巻の91年ぶりの大雪の異常は、人間は我慢し努力し生活するしかない。納期のある仕事には、自社の現状など猶予するなど、そんなに甘くない現実がある。従業員が工場へ行くにも、私の4輪駆動者でないと行けなく、いちいち送って行くしかないのが現状だが、在り得ない現実が目の前に広がる。
被災しての苦悩の原因は、住宅建設の9か月経っても完成にいたっていない事に、総てが起因する。町の復興も住民の土地確保も順調ではなく、個人再建も多くの問題が山積する。
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何処かの山国のような写真の場所が現在の会社工場です。

昨日の「町協」、町づくり協議会高台移転部会は、大雪と会員の都合が重なり、6人の参加確認があり委任状10人で会議が成立した。急遽参加できないが2人あり、4人の会議となった。
傍聴の男性は言う「この人数で会議になるのか」と、確かに高台移転部会の出席率は、最近6名と同じ顔ぶりがある。部会長・副部会長と部員の二人で、この日は「コレクティブタウン」について、高校生が先進地視察の報告があった。コモン(集会所)の様々な活用の在り方、役割・利用方法などが、高校生の視野で「こんな形」と提案を頂いた。
私も部員の出席率に違和感を感じていた。しかし、南方仮設・歌津の仮設・雪の様々に散らばった方々は、今回の解けない雪道を会議に出席するのは厳しい。毎月の開催を計画するが、会議が同じような内容の気がする。2か月に一回でも今の状況なら良い気がする。災害公営も防災集団移転も、「個別面談」へと移り、被災住民の今後の方向性が決定へと進んでいる。
5月には防災集団移転の、志津川の三地区が住民意向が決定する。私はいつも言うルール作りの必要性は解るが、3地区の場所を決めた住民が顔を合わせて、初めて前へ進み諸々の事案が決定して行くと思う。
28年3月に土地造成が終わると「議会だより」に掲載されていた。後2年間が掛かるが、2年間は場所の決定期間としては、そんなに長くもない感じがする。
被災し自分の生活の時間を割き、他人の為に尽力するかと言うと、そんな余裕は50代60代が多く残る南三陸町民にはない。移転部会の会員募集は現状からも厳しいだろうが、今後も私は参加し続けたい。本浜地区民・志津川市街地の住民への、情報発信を続けていくためだ。昨夜も6時から9時で時間を費やした。


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2014
02/13

迅速な県の工事


水尻川河口に朝行って見た。橋を渡る時に橋の隣りの工事が気になってもいた。何の工事かと言う事を知人に聞くと、震災前のコンクリートの橋は半分が残り、その川にある橋の残骸の撤去だと言う。今後の河川堤防と嵩上げの橋は、現在の橋の直ぐ隣の上流に10mに、その高さを超える橋が出来る。
震災後からこの場所は荒島ごしの日の出、松原住宅の解体の姿、一次瓦礫置き場となり、現在は破砕瓦礫や土どり置き場として、震災瓦礫の混合土の製造はとして、テントを張っての作業現場だった。現在は土が高く盛られている。
今回の30㎝を超える雪は、この場所に残った「ちんざんてい」の住宅の生活者や、20世帯余りの仮設生活者の生活の障害となっている。急な坂道の凍結や、登れない時の下の駐車地の、低気圧や高潮などの浸食の影響を受けていた。
小中学生か徒歩で登校をし遠くに見える学校まで、雪と凍結道路の通学を見たが、きっとたくましい強い大人になると思う。この環境に子供と暮らすのは大変だろうが、南三陸町で最後まで生きようと、同じ気持ちで私も頑張るつものだ。

「必死」という言葉「あかしやさんま」が彼なりに分析していた。「必ず死ぬんだから」「人は必至に生きれる」「どうせ死ぬんだから思い切って生きなさい」と、こんなメッセージと受け取った。今年5月で58歳となり、2年で60歳還暦となり「おじいちゃん」である。最後まで自分なりに自分らしく生きて行こうと決めている。圧力や失敗そして孤独を恐れていたら何もできない。どうせ生を受けたのだから子供達にも、夢に向かい高い目標に向かって生きてもらいたい。

子供の衝動的と言われる「自死」は、積もり積もった心の不安が原因と思う。周囲の環境と家庭の子供への注視の減少で、「うちの子は」と何の意味も無い過信がある。私の同級生は高校を卒業後の同級生が3人も「自死」を選んだ。みんな町を離れての死だった。被災地で暮らす仲間とは「無理するなよ」が互いの合言葉だ。いま還暦祝いの準備が進んでいる。

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2014
02/12

南三陸町の子供達大活躍


昨日は登米市水の里ホールに、第46回「仙北地区ピアノコンクール」に行ってきました。
大会は登米市を中心に、石巻・大崎・南三陸から多くの幼小中のヒアノ大好きの子供達が集まった。プログラムの発表予定は、130名を超える参加者だが、100名と言う発表があり大雪の中を集まった。
そんな新春発表会に南三陸町からも、戸小・入小・志津川小・戸中の名前が、プログラムに載っていた、15割ぐらいが我が町からの参加を占めていた。E~Aまでの入賞者には、D級で入谷小の三浦さんが最優秀となり、B級でも戸中の佐々木さんが最優秀を取り、大会の特別賞も受賞しました。南三陸町のピアノのレベルの高さに驚きました。
「遠藤ゆかりピアノ教室」は震災で五日町にあった教室や楽器の全てを流失し、子供たちの「先生に教えてもらいたい」の気持ちに、自宅を改装し無償で子供たちにピアノを指導している。今回、被災しながらも頑張っている子供達を取材してくださいと依頼され、子供たちの活躍を見届けた。7人の参加で大部分が各クラスの賞に入った。
写真は入賞した子供達だが、半分以上が南三陸町の子供達だった。子供たちの個人の活躍を南三陸町の仮設で暮らす町民の人達に、「子供たちが被災しても頑張っている姿を届けたい」と、遠藤先生は言う。
登米からの帰り道にラジオを聞く。企業の廃業・倒産が過去最高と言う。その数は28400を超え、その一位が「建設業」と言う。政府は民主党の「コンクリートから人へ」と、政治政策を変更し、自民党に再度変わりその方向性を元に戻した。3.11の大震災での建設業の特需があり、2020年の東京オリンピックがあり、建設業倒産は不思議である。我が町も復興の事業もあと5年で終わる。次への事業展開を建設事業所は考えるべきと思う。ゼネコンに7割の復興交付金の工事費が流れ、地元の建設業者の「内部留保」に少しでも繋がれはと思う。
昨日は被災自治体の財政状況が報道され、東松島市は平成29年には保険財政が破たんすると、市長が18%の国保税を上げたいと、市民に伝えていた。その次に出た情報は南三陸町の税収の現実だった。被災地でその減少率の上位にあった気がする。「37%」との数字が何を意味するかは記憶が薄いが、大変な状況にあるようだ。

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2014
02/11

雪の影響まだまだ


志津川市街地に嵩上げされた土の上に雪が盛られていた。嵩上げには余計な仕事が増えていた。昨日も道路の縁石に乗り上げている車もあった。都会のような坂を上れない車の立往生などは、さすが東北の地、30㎝の雪でも特別な通行に支障がないようだ。国道の除雪はされているし、主要道路も除雪が進められていた。商工団地の会社倉庫の裏に郵便局がある。父が朝、近辺の様子を見に行くと、車が道路を横に止まってしまった。近くにいた人が車を押し脱出した。私が見えない所で影響がでているようだ。
昨日は太平洋上で発達した低気圧、その影響で黒崎パーキングに打ち寄せる波、誘われるように「サーファー」が海上にいた。
オリンピックが始まり3日が経つ、日本選手の入賞はあるものの、表彰台にその姿はまだない。モーグルの愛子ばかりがメディアにその雄姿が流れる中で、宮城からの伊藤選手が大会前の練習で膝を痛めた。大会に出た気がするが怪我で予選で途中リタイヤした。4年間のオリンピックに賭けた月日の活動に、どう自分の中で整理したらよいか、その心の整理に時間と苦痛を感じる事だろう。スピードスケートの長嶋・加藤のメダルへの期待は大きかった中で、表彰台を逃した。労い・良く頑張ったなど慰めの言葉はかえって、選手にはつらいと「舞の海」さんは言う。私も中学生の時、色々な挫折の時に「慰めの言葉」が、反面辛い事を思う。相手の性格と・その気持ちを酌み、そっと見てて上げる事が、一番良いと思うが、厳しく言う事も将来に向けた反省と検証でもある。
今夜は「サラが飛ぶ」、そっと見守って上げたい。

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2014
02/10

被災者は行政の復興のやり方を見ています

2011-04-24 13.52.43
大雪の「雪かき」に町民が負われた昨日と今日だった。
遠くの場所から普通タイヤで被災地に入った人達も多く、週明けに東京まで帰らないといけないと言う。週末は車屋もスタンドも閉店し、チューンの確保もできず、「死ぬよ」「危険」のアドバイスも聞き入れようとしなかった。その後どうなったか怖くて聞けない。
震災の光景に思う。亡くなられた方々に恥じない復興と、町づくりに恥じない行動を。自治体派遣者の心のケアは、課内の「飲食」「慰労」だけではない気がする。それが町外と言う話も聴く。
震災の姿から大きく脱却はしているが。

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2014
02/09

78年ふりの大雪


昨日お昼からの大雪はピークが夜八時頃となり、夜中3時にはその大雪は小降状態となった。朝6時頃から父は起き大騒ぎ、自然現象には「やり過ごす」とか、人間は勝てなく「危険なので無理に外出をしないで下さい」が、テレビのニュースから呼びかけられた。
町の防災無線からは特段放送は無い気がする。電源をパソコンに変えたかせである。一晩通したニュース放送では、被災地「南三陸町」の被害情報は無かった。仙台が35㎝で78年ぶりの降雪となり、石巻は38㎝で91年ぶりと言う。南三陸町は写真の仮設トイレの上の積雪から30~35㎝と思われる。
町の交通網状況は国道には出ていなく、倉庫でおとなしくしている。気仙沼線は運休という事は「BRT」も止まっているだろう。高速は三陸道・東部南部北部、東北道は現在全てが通行止めで、仙台空港・新幹線も仙台は運休となっていて、観光・建設業者などの人たちに大きな予定の変更を余儀なくされている。各種通行の復旧の見通しは立っていない。

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2014
02/08

オレオレ


耳の遠い父親に電話をする。「もしもし」なんて決して言わなく、「オレオレ」と私は切り出す。何事にも慎重な父親、決して「オレオレ詐欺」には引からないが、そんなお金は何処にもない。
気仙沼市で「6千万」を超えるオレオレ詐欺が発生した事に驚かされる。被災者かは判らないが、そんな大金がある所にはある事にびっくりする。その後も仙台市で300万円の被害者がでた。「かわいい子供が困っている」との母の優しい気持ちへの悪事、高齢化による判断の欠如に付けこむ犯罪は許せない。
昨年の「オレオレ詐欺」の被害が過去最高となった。額は「486億円」で一日に換算すると、「1億3千万円」となる。しかし、現実的にはその10倍とも言われている。警察・金融機関が多くの犯罪を未然に防止活動をしていても、減るどころか増加の一途を辿っている。「家族の絆」をと言うが、仕事・生活環境の現代性に、これを求めても難しい。
昨日は沼田の交差点にある気仙沼信金にいった。裏側に先月末に足場が組まれていたが、写真のような建物が出来ていた。交差点を右に「きりわり」と言われていた所に行って見た。本浜にあった「渡辺呉服店」さんの看板に驚く、志津川モータースさんも検査場にトラックが沢山入っていた。運送会社のトラックがあり、学校の送迎バスもその場所の隣りに置かれてあった。また、二階建ての家も新しくできていた。
写真の建物は「小規模多機能ホーム」となっていた。わずか3週間前後でここまででき、3月10日の工期に驚く。一般住宅は多くの時間を要しても、なかなかできないのに行政の関わる施設はこんなにも早くできる。建設・設計も町内にある事業所で、町の関わる仕事にこの二つが関わる事が多いと私は思っている。だが被災した町内の事業所で、安定した建設工事が出来るのはこの二つかも知れなく、他の建設会社は災害復旧や高台移転に係っている事も理由として上げられる。
南三陸町を少し広く歩くと、また新しい発見に驚く事ばかりです。

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2014
02/07

「助けて」の声が聞こえますか


今朝の通勤で車を出して間もなくの国道に、一時停止できぬまま、新雪の下が凍結し「交通事故」の寸前、すへったままで国道に侵入し、後続車と衝突を回避でき流れに入れた。神様に感謝です。

2月の町広報に「税収強化月間」として、2月~3月と明記されていた。
私も1月~3月までの税金がまだ残っている。今月末には資金が確保できるので、25年度内の税金「固定資産」「国保税」の自分のと、両親分も含め支払う予定の中で、広報の強化・納税推進月間である事を、広報の1ページを割き告知している。
私も震災前頃から「国民年金の滞納」があり、今後を考え3年分をまとめて納税を今年度に考える。町税も残りは少ないものの痛い。昨日も被災者の方と話したが、年金世帯・仕事をしていない・職が無い、こんな中で土地の買取の資金が、生活費・納税・町税として、今の手持ち資金が無くなると嘆いていた。
市街地の嵩上げの土盛りが、朝緑商店跡地の上に「10.6m」と看板に架かれてあった。河川堤防の関係で60㎝が高いのだと理解する。志津川市街地は基本は「10m」で、高台移転部会で道路・嵩上げがシュミレーションを通して説明されている。
税金は被災者にとって再建への重しとなっているが、「国民の義務」として逃れる事は出来ない。こないだ住民の登録ミスで1400万円余りが誤支払され、過剰に給付された世帯には、たて前上「月賦でも改修したい」と言い、少なく支払いへは予算が残っているので、至急支払をしたと思う。
納税のされない方には諸々の理由があり、以前悪質な物には「物納」「追徴金」は当然と思うが、被災者の不納税の理由を精査して、被災者に優しい適切な回収判断をしてほしい。公務員の所得感覚を納税義務者全てにそのままで、適用するのは被災からまだ2年11か月で、生活の再生に至らない中で、強化だ推進だは、強い威圧と私は感じた。物納に車の写真がある。被災地で商店も無く買い物に苦しむ人達へ、その足を奪うような表示に、広報の提示品に御役人気質を感じる。
まだまだ町職員としての「公僕精神欠如」を議会で指摘したかったし、町民の為に何をして「こんなに高給を」とっているのか。何人かの人に正したかった。
議会の広報に「副町長二人制」が元職員の議員さんが再度提案していた。誰の為の議員活動なのかを町民も考えて欲しい。以前にも同じ議員さんが同じ提案した時、先頭となって反対した事を今も覚えている。そんな町の予算があったら、究極の生活の中に苦しむ被災住民に支援をしても、町民の誰ひとりとして反対する人はいないだろう。
昨年12月末の人口が広報だと「14683人」で11月の減少が55人と言う。昨日ある仮設で「登米市に行きます」と言う話しを、おばあさんがしていた。減少率は岩手県大槌町と同様の約21%で、被災地のトップクラスに驚く。

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2014
02/06

ゴーストライターは誰


余りにも被災地・被災者の心を踏みにじる事件が。連続して発生した。NPO法人の交付金の詐取があり、被災者支援の為に訪れ難聴の作曲家がいて、「ゴーストライター」に作曲全てを丸投げした。広島被ばく二世の立場を悪用した、石巻市への支援活動が発覚した。壁に頭を打ち付け、頭の中で岩から溶け出すような感覚で、楽譜を書いたとテレビの姿に、感動したのは私だけではない。
祈念公園となる川の左岸は、写真のままで多くの議論の的となった、遺構とすべきとの残骸も、極寒の雪の中に寂しく昨日も佇み、訪れる観光客もない。志津川に用事で来た人がいる。ホテルの宿泊地の料金「22000円」と言われ民宿へと変更した。
震災からの復興にこんなにも時間を掛けるのは誰の為と問いたい。
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福岡の薬物よる繁華街での、逃走の為の信じられない運転の姿に驚かされた。アグリフーズの従業員による毒物の混入は、契約社員の不満からの行動だった。年収は200万円でボウナスは20万で、残業手当も高く設定ながら、残業も減らされ従業員の不満を、自分がその代行を取ったと言う。宮城の教員が被災者としての「みなし仮設」を、知人に貸し賃料を取っていた。学校の先生の稚拙な犯罪に驚かされる。
写真は「電信電話局」の施設だった場所、3年目を迎えようとしている今、全ての解体を終えた。祈念公園予定地区に後残るのは、「高野会館」と「伊藤屋スタンド」「宮城商店スタンド」、営業しているのは「三興石油」さんだけとなった。その障害は石油タンクの処理に高額の資金を要するからと言う。
災害復旧は震災から5年間となっている。予算も期間内で消費しないといけないが、住民の高台移転は大部分の完成を「平成28年3月」と報告されている。町の事業が遅延なく進む事を願うが、表と裏の話ではあるが、大部分が再建できる状況にはないと思う。

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2014
02/05

npo法人の逮捕


NPO法人の被災地への多くの人道支援がある中で、岩手県山田町に入った北海道の「大雪・・・」、今回3千万の横領で逮捕された。
昨年の夏ごろに35歳の代表がテレビで、その正当性を訴えた事を思い出す。岩手県の山田町への復興交付金の「被災者雇用事業」のNPOの団体への委託事業として与えた。12億を超える事業予算の内の、6億数千万円がこれで流用されたという。
代表は北海道で以前川でおぼれた子供を助け、人命救助で感謝状を授与され、その頃からボランティアといて、「山古志村」に入ったり、2011年の大震災で「山田町」に入り、町の被災者への雇用の場の創出に取り組んだと言う。
当初事業予算が12億余りで、県の雇用促進事業の予算が無くなった事で、この団体の事が発覚したと言う。調査時の団体の残金は「35万」しかなく、その後に団体は「自己破産」したと言う。震災前のNPOの収益で600万・700万と言う団体が、億もの事業資金の活用をするには、余りにもその力量に問題がある。そんな団体に12億もの事業費で委託した町にも責任がありそうだ。町はこの事業委託に係った職員を処分するという。当然だろう国民の税金の活用に、町の監視は当然で議会でも議論され、行政の判断の追求と町長への責任追及へと、今後のこうした事案の発生防止を図るためでもある。
震災直後の活動にシュノーケルによる人命の捜索があり、被災された方々の仕事を作り与えた。その影で町の体育館改装費として1億5千万の活用、役員に30人にアルマーニのスーツ支給、隠し部屋を造る、高級肉での飲食など、被災者救済・被災地支援のNPO団体の活動としては、あり得ない活動があった。県・町の復興交付金の使途の監視は無かったのか不思議だ。小さな団体で使うには途方もない予算、小さな被災自治体での運用は出来ないと言っても過言ではない。運用するには難しいと専門家は言う。我が町にもNPO法人の不透明な地元の方との係わりの、撤退を何喧嘩聞く。
我が町でも年間80億の予算なのに、現在までに1千億円ものお金が震災復旧で使われている。予算の使いきれない部分は「基金」として、町予算に残し今後使うという交付金の使い方で、資金の適正事業で活用がきる。
今日は大雪となった南三陸町。昨日前までの10度を超える気温から、一揆に-4度で吹き付ける雪となり戸倉までは、時速40K以下で20分以上も掛かった。立春となったのに、これから時々の大雪がある。なんとか交通事故を見なくなったのに、これから南三陸町を訪れようとする方に、スタットレスは4月上旬までとアドバイスしたい。
写真は南三陸町入谷童子下に建設とれている「特老ホーム慈恵園」である。今年6月~7月のオープンに向け、入所者・職員の募集を始めている。

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2014
02/04

デイサービス


先月に「戸倉デイサービスセンター」が完成した。
志津川デイサービスセンターが震災で流失し、当日施設利用の多くの入谷の方々が亡くなられた。あれから高齢者の施設利用者は、当初、歌津デイや被災を免れた福祉施設にお世話になっていた。被災後に最初「入谷デイサービス」ができた。歌津までの通所が大変という事からで、そして、今回「戸倉デイサービス」が完成した。
場所は「宮城県海洋青年の家」の国道398向かいで、「ベンション・オーイング」さんの入口から入り、右が「戸倉デイ」である。この場所なら津波の心配はなく、志津川湾の景色も格別である。
父親の記憶力・物忘れ、歩く・立つ事への不自由が少しずつでてきてと感じる。「包括支援センター」に相談し担当者に来てもらった。100個の項目に対し「引っかかる事は無い」と父は言う。しかし、一日中私がいない中で、食事や話し相手のない倉庫の生活は、「要介護」「介護」の認定が無いと、その生活補助は経費を必要とする民間委託となるが、そんな事業所もない。高齢者を抱える家族の苦悩を思う。
橋下大阪市長が市長を辞職し、「大阪都構想」が進まぬ事に対し民意を問うと言う。大阪市議会での法定決議の他の会派が4つの案に、一つへの合意ができなく、今回の辞職によって市民の判断を仰ぐと言う。大阪市長選挙には他の党は候補者を出さないという。政治の双方の考策が渦巻く。「一日も早く結果を」と言う私のやり方と似ている。「慰安婦問題」で躓き、「参院選挙」で維新の会の加速が止まった。改革の先頭を切ってきた「維新・橋下」の最後のカンフル剤となるかが、この橋下の市長辞職で市民の民意を問う選挙となる。
大きな傘の下で「危機感の無い政治」、弱者後回しの対策に橋下は、政治を変えたいと彗星のごとく現れたが、細川氏・ホリエモンのごとく消滅しない事を願うが、その分岐点に今橋下がいる気がする。でしゃばる・現政治に改革を求める者に、既存の大きな政治団体はあらゆる手段で消しにかかる。新星となる改革の政治家は「民意の後押し」なしでは、力が発揮できない。都知事選挙も政党が付く事を候補者は嫌い、無所属出馬を都民は応援する傾向にある。
地方は都会型の選挙では勝てない事をまざまざと知らされた。縁故・派閥には勝てない事がはっきり解った。都知事出馬の田母神候補の「自己犠牲の精神」は、自衛隊精神が作りだした、日本人の愛国心から来たものと歓迎する。

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2014
02/03

道理に外れる事ばかり


震災後にがむしゃらに生きて来た事での、多くの見えない問題を先送りしていた事が、今、目の前の障害として大きく圧し掛かっている。
NPOの「被災者の皆さんを支援したい」と言う、住宅建設の事業への参画があり、現在の被災地の住宅の現実を思えば大怪我せず、周囲に迷惑を掛けずに済んだ。そして、自分だけの被害に納まった事を、「不幸中の幸い」と感じている。
住宅建設も現在で2か月が伸び、完成は半年伸びる事を覚悟している。建設事情はこんな事が被災地には多いと、関係者の周囲には言われる。今日は愛知県の建設業者が、地元での建設会社・工務店の住宅下請けを断念し、愛知から3人の従業員を派遣し、一気に内装・電気工事に、朝7時に来て工事を進めている。とにかく暮らせる住宅が直ぐに必要だ。一か月の遅延する事での経費が10万を超えて掛かる。×伸びた月が予定以上に建設遅延により発生し、残り少ない生活資金から支出する事で、将来の親を送り出すなど諸々の生活経費貯蓄からの出費となる。今を何とか日一日と生きられる事に感謝もあるが、不安の方が強い。
昨日も夕方アリーナの「ジム」に行った。ジム仲間としばらくぶりで会い話しをすると、彼にも大きな生活異変があった。ウオーカーを20分と、自転車を15分、何種類かの筋トレをし1時間たらずの運動だが、汗をかく機会の少ない生活の中で気持ち良かった。少しお腹がへこんだ感じがするが、きっと気のせいだろう。
アリーナの玄関に写真のような応援の看板が出ていた。南三陸町出身の若者が、苦しみ悩み頑張って、「夢」である甲子園のキップを仲間と共に掴んだ。子供たちは学校・友だち・生活の中で苦労する事で、大人への精神を養う。挫折を大人になって経験する若者が今は多く、色々な社会問題に繋がっている。
子供と本気で真剣に向き合う事で、子供たちは成長すると今も思い、自分の人生で培った生き方を子供への指導を貫いている。大人との付き合いも自分流ででしかない。

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2014
02/01

復興への槌音


先週の臨時議会で地域防災集団移転が、全て議会で採択された。最後は荒砥と平磯となった。平磯はおふくろの入所する施設への裏道で、自己再建の人たちが建設を終え、もう少し行くと防災集団移転の平磯地区と思えるが、造成は既に進んでいて、海岸道路にでる所は農地の圃場が昨年初めから整備されている。
志津川市街地の先行嵩上げ場所の五日町に、「この高さまで嵩上げします」との看板が、土盛りの上に建てられた。現在まで、住民への嵩上げ高さの告知が、「戸倉松原海岸防潮堤」と「八幡川の町からの登り口」に、8.7mの防潮堤・河川堤防の予定高さが示されている。
「ショッピングモール」はトップが進める、町の産業振興再生の「観光」「商工」「漁業」の中核地区であり、志津川卸売市場の大森地区部分が、水産業の中心施設として、志津川市街地の嵩上げ整備を図っている。
いま近隣の被災地で防潮堤や嵩上げの高さが議論されている。女川は被災地を5mの嵩上げし、前あった所にスーパー再建をすめと、32歳の若き社長は言う。多くの家族を確か5人亡くし、従業員4人も津波で尊い命を失った。看板だけが残りボロボロになった店舗を解体し、「この場所でしか再会は考えられない」と言い、現在は仮設への販売車をだして、お得意さんを支援そして守っている。
気仙沼でも5mの嵩上げだと言う。住んでいた住宅は流され、家族も亡くし祖母が施設で助かった。85歳の祖母に孫は言う「家は必ず建てるから早く家へ戻ろう」と。気仙沼の定点カメラで2年11か月の光景が流される。残った基礎地には無傷で残った「父のイス」をズーとここに焼いていた。彼も30代半ばの男性である。まだ、嵩上げ・住宅再建など先が見えない中で、一歩一歩と前へ進んでいる。若者たちの可能性に期待大である。
今朝も石巻「桃浦」に水産特区としての立ち上げた、水産会社に派遣社員をしていた、40歳初めの男性が、経験したことのない水産漁業への挑戦と、新たな進路を決め頑張っていた。
私に「57歳若いから頑張れ」と周辺の人たちは言う。印刷業の古い仕事しかやれない私に、今更何ができるか思案中である。

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