ARCHIVE - 2013年12月

2013
12/31

3度目の年を迎える


戸倉から登米市・仙台市に多くの方が移転し暮らし、人が脱出している。この雪の南三陸町の姿にまた寂しさが募ってくる。
戸倉地区の「戸倉団地」の建設計画を議会傍聴で見る。限られた時間でメモを取り伝える義務を感じる。こないだまでは全ての町計画の情報を、得る立場でブログを通し伝えてきた。インターネットによる町計画を私を介し知る人は少ない。一番伝えたい生活弱者への、「南三陸マイタウン情報」が形に残るものとして有効だったと思い、震災後2年5か月余り配布してきた。戸倉団地の高台へは戸建の100余りと、災害公営の90前後と、当初の戸倉に戻りたい人の数は変わっていなかった。
天気予報を見ると明日の南三陸町の太平洋側は、太陽が見えそうなので、平成26年の日の出をブログで配信したい。
恒例の「おすばで祭り」も雪のせいで、テレビでの人出は少ないように感じた。石巻の個人での仮設商店街も昨日閉店し、ボランティア支援者・商店主が涙する。南三陸町の中小基盤機構の事業制度での仮設商店街も5年の半分を経過した。国の制度の活用で商店主救済を図った。観光客の推移は2020のオリンピックで、一時的には減少するものの、観光での町づくりを町は目指す。建設が本格化すると工事関係者の動向が、現在一番心配だ。
地元の昔なからの商店が半減した。半世紀掛けて造ったお得意様が、震災で多くが無くなり、復興特需の業者の再建は進むものの、特需の恩恵のない事業所の、再建は出来なく、事業を努力し始めている方々の苦悩の話しが、私の耳には入ってくる。行政支援をと訴えるが公正公平の面からできないと言う。しかし、震災以後と今後を、町民の皆さんはどう思うだろう。タイやエジブトの国民の怒りの行動に、我が町の町民のエネンギーは震災で消えつつあり、諦めの声を知る。
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2013
12/30

アパーテがもうできた


10月に基礎工事が始まり、施主が話すように今年中にアパートができた。建設会社は岩手県と言う。契約どおり完成に、我が家との大きな違いに怒りさえ思う。
この300坪の仮事務所の前の土地に、初めは戸建が3棟平屋ででき、そして今回6部屋のアパートが出来、入居者を募集が直ぐに始まった。
今までもアパートが商工団地や沼田にできるとすぐに、入居で満杯と聞く。それが町職員やその家族や派遣職員と言う。そんな事だけではないと思うが、被災後町民は仮設入居の優位性も職員関係者にあると噂する。一握りの声ならまだしも、多くの声にまんざら本当のような気になる。仮設の入居の疑問もある。今後の高台移転や災害公営住宅でも、そんな事のないように、町づくり協議会高台移転部会で議論が今交わされている。
来年の2年目で各部会員の任期を迎え改選と言う。私はまたできれば部会員として、高台移転入居の公正を図る為に、立候補をしていきたい。

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2013
12/29

震災遺構は観光客のため


昨日も震災遺構を何処にしたら、その必要性を県の遺構審議委員会の委員長がテレビで言っていた。被災地は今後観光で生きて行く、そのためにも保存と震災の風化を話す。
被災地では生活の環境整備が先と被災民は言う、行政・商工関係者は、賑わいと生業の確保を「震災遺構の保存」を言う。
現実的には町長は3つの問題点を話す。「維持費」「復興の障害」「被災民の声」を上げている。県知事は遺構としての「維持費を国に」と言う。気仙沼の大型船の解体が終わると、市民は遺構の事を口にしない。「前に進まないといけない」、これが自分の目の前の事だからだろう。市民の意向調査では6割以上が解体を望み、それに行政が答えた。南三陸町は「遺構調査」で町民の意向を問わないのかと言う議論もある。そんな中で町長は「防災庁舎解体」を決定した。その後で「県の審議委員会で残した方がいい」の方向性の提示にも、町長は苦渋の決断で解体しかないと言い続ける。当然の事だろう。被災地の復興の足かせと「防災庁舎問題」がなっている。テレビで町民が話す「町外の人たちの考えは被災地に住んでいなく、この大震災を経験していないから」と、一刀両断だった。
昨日は防災庁舎を襲う津波の光景の写真がテレビで流れた。震災直後のスポ日の7コマの写真を毎日見ているが、その津波の脅威と恐怖を感じた。ここで良く10名近くの職員が生き残ったと思う。職員の不明発見もテレビは伝える。何日後・何か月後に湾内で発見された。との報道に必死の捜索活動が、何も無くなった町で、町民が生きていた裏でこんな活動があった。
私は家族も無事だった。これが最大の幸福だった事を再確認する。今後の多難を思うが一歩ずつ進むしかない。写真は志津川市街地に残った「電電公社」の電話回線の建物で、足場が築かれ解体へと進むようだ。その影に防災調子やが静かに立つ。

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2013
12/28

白銀の世界


今年一番の積雪になった南三陸町志津川地区の市街地、長距離バスを待つ二人の寒さが伝わってくる。向こうの旧天王山は国道45号が移転整備される、そのために中央に盛り土として、土が高々と積まれている。手前の鉄の柵は市街地嵩上げの安全柵で、道路の両脇は10mの嵩上げが27年とまでに完成を目指す。今日もトラックが町中を走行し、造成現場からの土が置き場へと運ばれ、重機が山積みの土の整形に動いていた。
我が家の自宅建設も昨日で今年の工事は終わった。来月から入る業者もはっきりしていなく、完成の今年11月から冬季を越え春になると思っている。建設事情は今後益々厳しい中で、気仙沼市の災害公営住宅建設に800戸を、地元建設団体と森林組合との提携契約を昨日交わしていた。南三陸町も一年前ぐらいに、同様な提携を結んでいた気がする。公営住宅から個人住宅の建設まで、まだ遠い先となる。防災集団移転は各地区で造成が始まり、50戸から5戸までの小さいもので、27年度には造成が終わる見込みです。しかし、住家の確保はどうなるか厳しいと思っている。
今日牡蠣を買ってきた。一週間前は「1000円」だった物が、今日は「2000円」と年末の価格となっていた。この寒い中での牡蠣の水揚げ、牡蠣剥きと大変な作業に、当然の価格と私は思う。

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2013
12/27

苦悩と苦痛そして悲しみ涙


仲間の輝く生き方・活動が眩して、自分の多くの出来事と現実に打ちのめされている。そんな時にお得意の社長さんに「悩んでもしかたないよそんな事」「守る物は必ず無くなる」という言葉に、少し癒され不安が減った気がする。
50代は人生の折り返しと捉え、生活・体調など色々な事が発生する。周囲の人たちに見守られ助けられて人は生きる。しかし、神も仏も人間に多くの試練を与える。昨日はその裏と表を体験した。そこに「クリスマスリーフ」があり、その気持ちの両方を慰めてくれた。
これからと言う60歳前の生活環境の変化はあるものの、これから人生にひと段落を付け、第二の人生へと向かう時、なんのためにここまで生きて来たのか?と、自問自答の私だった気がする。それほど走り続けた日々を思う。
15年の住宅ローンからの早期脱出を模索している自分があり、「15年で何とかすればいいし、出来なかったらば土地を手放せばいい」が社長の考えだ。会社の維持と土地を守るがあるが、既に57年も生きた「家」と「土地」も無くなっている。


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2013
12/25

志津川の被災地を滑走する


昨日今日と厳しい寒さとなっている。水尻川の人工の圧力ダムのあった所は、自然に戻った流れとなり、川水と気温の差が湯気のように上昇していた。
7時50分に新井田川を渡る事は今までなかった。大森から自転車での二人の中学生通学を見かけた。全てが通学バスを利用していて、またこの寒い中を自転車は大変と思った。これから雪が降り道も凍結する中で、その大変さを思う。
私も本浜から志中・志高と自転車で通学していたが、当時と今はまるで違う。通学を多くの人が見守り途中には知っている方も多い。今は被災地の中であり、復旧工事が進む中で工事トラックの通行など、沢山の危険を秘めている。
現在、町の復興の最先端の情報は私は知り得ない。議会傍聴も2回はしたものの、それは一部分であり、私には時間の余裕はなく、今後の自己の問題に取り組む現実がある。
昨日も志津川の町民の方が電話をくれた。住宅建設の補助金の件で、「150万円を貰えなかった」と言う。それはローンを組み「金利補助」を受けた方は、この150万円の補助はない。住宅補助に関してはどちらかとなる。もうひとりの方は85歳までローンを組んだと話す。何のことはなく子供さんがいるからに他ならない。跡継ぎのいる事の存在は大きな物と私も実感する。
政府の「弾薬1万発」を韓国に提供は、「武器輸出禁止三原則の憲法」に触れるが、国連からの要請と言う。「機密法案処罰法」と言い、政府の一方的な判断で、数の論理で大きな憲法に関する法案を強行に進めている感じがする。民主主義と数の論理だけで、政党の一人歩きや楽して政治を行おうとする、こうした政治体制の構築ばかりを政治は追いかけている。

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2013
12/23

宝クジの販売が先週金曜までだった


震災直後に「被災地支援宝くじ」が発売され、支援の意味を込め100枚購入した。少しの期待と夢を買い、6000円も戻ってきて、残りが被災地支援に回ったと言う事になる。しかし、多くの義援金・支援金が、被災地に被災者に有効に使われているかは疑問だ。
昨日は志津川地区の細浦地区に行った。お寺までの道路も修復され、水田も綺麗に圃場が成され、除塩対策を講じられていれば、来年は水田となり、たわわな稲穂の波となる事を期待している。
写真の手前に「宝くじ」の基金で作った石碑を見つけた。桜の苗が植えられ津波到達地点でもあった。多くの宝くじの基金が被災地に回されている。叶わぬ大金を手にを「夢」に、求める事は少しの「楽して金をえる」事への善悪感はあるが、こんな手段ながら何もしないよりは、社会貢献となっている気がする。
被災した「石屋」さんが、志津川地区の4つのお寺に「慰霊碑」を寄付する。25日に建立される。社長が話すには、「長年町民の皆さんにお世話になった恩返し」と、胸を張っていう。震災時には怪我をして施設に入っていて、津波の沖からの襲来を見ているものの、町が大津波で襲われる姿は見ていなく、震災後に自宅も工場も無くなっていた、何日か後に志津川市街地を見たと言う。高齢者となる皆さんの志津川を思う心に頭が下がる。
政治には向かう心が薄れているのも現実で、昨夜夜中に「物言わぬ語り部」と言う番組があり、同じ立場なら番組を見て、その内容を伝えただろうが、気力の低下とその意味する事や行動に疑問を自分に投げかけている。家庭も家族も作れない守れない者に、他人の事が出来るかと自問自答している。

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2013
12/22

震災対応はごてごてに


震災直後から天候の異変があり、写真の場所は多くのその問題を秘めていた。国道45号の海岸線の道路は震災での工事はままならない場所、う回路は3倍もの時間と、山間の細い道路であり、走行の危険もある。今後が心配だ。
津波の襲来で地盤沈下があり、護岸と海底の形状から、今回の880ヘクトパスカルの巨大低気圧が太平洋を通過し、今回の波浪となった。波は海底の石を路上に押し上げ、国道を波が横断し車両も交互通行を余儀なくされていた。荒町に来る途中重機が下され、今回の護岸被害の災害復旧の工事が始まっていた。写真からも歩道のガードの根本が流失していた。自然の力の大きさを再認識する。
今日は母の実家が住宅建設中を知り、お祝いに来てくれた。大工の棟梁をしていた事もあり、建築中の家をみてもらった。多くの問題点の指摘があり、壁の断熱材の水漏れにより水分を含み「取り替え」を、断熱材の上に貼ったボードに水の染み、「ボード・断熱材取り換え」、天井の断熱材交換、屋根裏の合板の水の染みも「張替」など、屋根を上げトタンもしないで2か月も、ほって置いた為の状況がある。被災地での建設事情もあるが、我が家の計画も大きく変わった。地元の建設会社・工務店の確保が出来ず、愛知の建設会社の安定的な材料の確保に惑わされてしまった。
現在も新たな問題を2つ3つと抱え、少しずつでも前に進む。「雨の日は雨の中を!」と生き方を心に決めていたが、自分の行動・考えが「雨を嵐」に変えてしてしまった。もう後戻りはできない。

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2013
12/21

大荒れの豊潤の海


昨日の志津川湾の象徴の「荒島」は、大荒れの風景となり、海水浴場の石段だった所まで、大きな波が押し寄せ、大きな飛沫となり舞っていた。
地盤沈下のせいか海岸線道路まで波の飛沫が押し寄せ、荒島の堤防も波が越え内海まで流込んでいた。その途中では護岸の復旧工事が進んでいた。袖浜の牡蠣剥き場何時になったらできるのだろう。

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2013
12/20

眩しすぎる仙台の町


昨日は仙台で宮城県印刷組合役員会があり、本吉・気仙沼支部の支部長として役員会に参加した。午後5時「勝山館」での会議で、私が一番遠くからの参加だった。
現状の支部報告では、8社あった組合員が2社廃業した事と、東大阪支部からの本吉・気仙沼支部への被災地応援で来たくれた事を伝えた。
仙台の年末恒例の風物詩「イルミネーション」を初めて見た。仙台市内は「忘年会」「イルミ見学者」で、車の通行はままならない混雑となり、タクシーの指定場所への落車も「ここでいいですか」と、混雑への侵入を控えていた。
「銘酒勝山」の酒造元は現在、「勝山館」として、ビルとなり会議・宴会などのイベント会館となっていて、多くの来客で賑わっていた。仙台はマンションの建設ラッシュとなり、景気の上向きで人出も昨年よりは多く、活気に溢れていた。
南三陸町も復興特需の中にあり、震災復興・住宅建設・トラック需要など、その関係業種の盛況は今後も続くと思う。反面で事業所の廃業も200社となり、事業を再建を目指し、高台移転の早期実現を目指していた知人も、これから4年以上も住宅土地確保、建設に要する時間を考え、年齢もありその意欲は無くなっていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:14 】

2013
12/19

こんなにも凄い


袖浜地区の変化を50年も見てきた。「袖浜海水浴場」のイカダまで泳ぐことが大変だった事を覚えている。また、海水浴場は普通にアワビの姿を見る事ができ、ウニも溢れるくらいに生息していた。50年前に栃木の叔父がバスで袖浜に、ウニを袋に入れ帰りのバスでも誰も咎める事がない時代だった。今なら後ろに手が回る事となる。
その後に袖浜漁港の整備工事となり、船着き場・物上げ場・牡蠣剥き場など、漁民の環境整備となり、志津川袖浜民宿として、多くの海産物の確保と「おもてなし」の、志津川の観光の玄関口として全国に知られる事となった。
そして今回の津波で袖浜の民宿街は壊滅的な被害となり、民宿の再建はあるものの、進まず廃業する所も多いと聞く。そして現在海岸道路沿いの資材置き場に、写真のような高い盛り土がされていた。これが「8.7m」位あり、旧道にある荒沢神社も見えなく、37mの太郎坊の頭が少し見えるくらいの状況下になっていた。
岩手の城壁のような防潮堤を思い出す。大津波は城壁を乗り越え町を飲み込んだ。防潮堤が津波の行き場所を奪い、湖のようになった事が報道された。
こんな震災復興が現在町のあちこちに建設を予定する。国任せ、県まかせの災害復旧工事は、震災から5年での建設を予定する。あと2年3か月で大きく町の様相が変わる。

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2013
12/18

同級生の両親


先週この場所で水尻橋の矢板打ちの状況を、惣内山の大きな雲と青空に魅了され、携帯の写メを撮った。
大久保地区は同級生も多く昔遊んだ仲間がいる所でもある。現在、大久保仮設を借りて、洗濯や入浴に使わせてもらっている。これも何かの縁と思う。
震災からその以前と「葬儀参列」は親戚縁者・知人だけだったものが、議員としてお世話になった方、お世話になった地域またその繋がりの方々と、この範囲を広げてきた。100名以上には行っただろう、慶弔の両方だと最低でも100万円以上の出費となった。
現在は従業員の給料と住宅建設のローンがあり、出費節約の中にあり、父親と共に取り組んでいる。これが全てを失った被災者全てが抱える、事業所の現実だろう。まだまだ自分は幸せと受け止め仕事を頑張っている。
在る方に「葬儀出席してください」と声を掛けられた。私の大久保仮設の地主さんだからと言う。悩んで出席した。結果的には参列して良かった。同級生の親だったからで、同級生も数人いた。何故なら被災地の葬儀は、旧家・名家であっても、ほとんど死亡の報の把握は厳しい、これが町の生活環境である。
「仮設では死にたくない」が公営住宅希望者から多く聞く。諸々の事情の中で土地付き戸建てを諦めて、災害公営と意向を変えていた。手助けになりたい! があるが、町づくり高台移転部会では、その情報の収集さえ難しい。議員だったらと今も思う。
希望者に聞くと「災害公営住宅について行政から情報は、何の話しもなく今となっている」と言う。多くの不安の中で仮設生活をしていた。

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2013
12/17

志津川災害公営住宅の3地区で約200戸減少

志津川地区の3地区の災害公営住宅は、当初の681世帯から、最近の意向では「489世帯」に減少し、驚きでしかない。
町づくり協議会の会議の進捗を伝えたいが私にはある。協議はあるものの、「そこの所は難しい」と行政はいう。その最たる物が「防潮堤の高さ」であり、「河原を広くして欲しい」の提案にも、計画では難しいと言う。
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2013
12/16


昨日、ホテルに車を止め志津川の市街地の雪風景を撮影した。今年の冬は「厳冬」となりそうだ。布団をもう一枚追加しないと、足先が寒すぎる。別の訳もあるんだが、とにかく広い天井の高い倉庫の自宅は、12月ながら厳しい冬に突入した。
何時も見る志津川の海からの雪景色は絶景で、後ろにそびえる惣内山とのバランスに、寒さの中の外での撮影も苦にならない。
北朝鮮のナンバー2でジョンウン氏の義理の伯父、そして後見役の突然の会議での拘束、即日の処刑に全世界が驚いた。数日前の会議のトップに居た者が、国のトップの判断で独断で亡き者とされた。その罪は国家の私物化への動きと、贅沢と女性とのみだらな行動と言われ、一番はある会食での「万歳行動」だと言う。国への反逆罪で裁判もあったが、ジョンウン氏の思ひのままに動く国で怖い。
権力と実権がここまで及ぶと、国としても自治体としても「独裁」としての政治となる。猪瀬東京知事の5000万円の使途が明らかになってきた。ポツリポツリと発言の嘘が暴かれている。「総務委員会」での追及があり、次に「百条委員会」へ進むかは今後だが、震災後に石巻でも建設会社の不正に、議会の百条委員会もその後の経過は把握していない。町の問題のグレーゾーンは、被災地だから復旧・復興優先と、与野党の構図の中で問題が発生しても、町民の願いは早期の高台移転にある。
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ハナ*ハナコンサートがアリーナであった。「さよなら大好きな人」がヒット曲にある。「寂しいよとても、悲しいよとても、でも大好きな人」は、酔っ払い歌う歌が無いと、勢いで歌う。
3時の開催とチラシで見て行くと、アンコールをしていた、「今来てくれた人もいるので」と、もう一曲歌ってくれた。今来たは私かもしれない。なんの事はなく開催は13時だった。
ドジは時々あるが大きな迷惑は・・・・。
昨日は父親と二人自宅に、すーっといて仮設のお風呂に父を連れて行った。

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2013
12/13

43名の死と震災の苦しみ忘れないで


数週間前に何気なく撮影した「磯の沢」の三陸道の高架橋だが、手前の擁壁の何かが判った。三陸道の一部と思っていたが、ここに新しく志津川の変電所が移築される。131212_124020.jpg
写真は現在の「仮変電所」である。震災で町の変電所が津波で流出し、電気が1か月以上も町にはなく、あの寒さの中の生活を思い出す。
当初は入谷地区の方から、登米市から近い入谷を通し、変電所は入谷へとの話もあった。入谷は南三陸町にあり、大きな壊滅的に被害が無かった地区でもあり、当然の提案ながら町は受け入れには消極的だった。入谷への被災からの移転場所としての、「第二の町形成」の私の提案も一部の地元有力者の中から、「行政と一緒に」と受け入れてもらえなかった。現在、「入谷地区はあてしてない」との行政の一部の声に、そうなんだと今になって、その理由がわかった。
「3・11を忘れない」と私は言い続けたい。防災庁舎の同級生や仲間の死も、あの壊滅的な町の姿も、何もないあの町で町民と共に苦しんだ日々も、忘れる事のないようにパソコンの「マイピクチャー」を開けば、当時の多くの苦しみと共に、多くの問題や不正な義援金の流用話が思い出される。

「かぐや姫の物語」で、「今のすべては過去のすべて、今のすべては未来の希望、必ず覚えている今の記憶」と、挿入歌がある。この言葉の意味を今考えている。

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2013
12/10

人の人気も時間と共に


震災直後にベイサイドアリーナの入口の交差点角に「ミニストップ」ができた。当時は何もない町に以前同様の食品を、被災者に提供し店内は、駐車場に入れないくらいの盛況だったのを思い出す。また、「エムズ食堂」も我が倉庫の住居前にあり、居酒屋としてお酒にはまる、被災者も多くいたと聞く。こんな時期が次々の「復興のスピード」の中で忘れられている。「のど元過ぎれば」のことわざ通り、良い事も悪い事もすぐ忘れる、人間は都合の良い部分も多分にある。
昨夜は友だちの誘いから11時に就寝となり、朝6時30分まで爆睡した。起きざまに「でぐさん来るのか」「まだ雨ふってば」と、次々と私を責めるような言葉に、毎日の事ながら、言っても判らない高齢の父と会話で一日がはじまる。
他の人よりも早くにと、仮の工場で会社の再開を遂げ、土地があったので住宅・会社移転に家の建設が進む、千葉印刷の頑張っている姿を見せようと、ここまで来たが、そのしわ寄せに今少し苦しんでいる。
今日から12月議会だ。・・・・・・

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2013
12/09

明るい年へお正月準備


朝7時に志津川字林で「事故発生」だ。いま起こったばかりで、これから通勤ラッシュの月曜日で渋滞となりそう。戸倉から志津川に向かう、林の峠の前のカーブで、事故が発生するような場所でもないのに、スピード出し過ぎかなと思う、今朝も寒いとはいえフロントも道路も凍ってはいないのに、不思議な事故と感じる。
昨日は「伊里前福幸商店街2周年記念」が開催されていた。志津川との人での違いが見てとれる。この改善を何とかならないものかと、以前から思う。ステージでのイベントもあり、開催は引けをとらないのに不思議だ。店舗数の関係もあるが、行政の支援協力による「観光客」の誘致が必要だ。
仮設商店街の開催は5年間と決まっているが、伊里前市街地は来年から防潮堤と嵩上げが始まる。結局「8.7m」となったと言う。昨日は「歌津大橋」が解体へと工事が進んでいるようだ。南三陸町は全てで町が新しく生まれ変わる。震災の面影は一つひしつ無くなっていくようだ。
12月議会は7名の一般質問者らしい。現職が3人と新人が4人壇上から町長に、新しい町づくりに関する質問となる事だろう。現職の三人の質問がどんな物なのか楽しみだ。
写真は「さんさん商店街」の大駐車場側ゲート前の「門松」で、ケーキと海苔を買いに行ったが、観光バスの3台があり、千葉のり店さんのその混雑は朝10時前なのに凄い、狭い買い物場は10人がいて身動きもとれなかった。今日改めて「龍の子のり」を使い物にしたいので買いに行く。
今日も頑張って仕事をしないとローンが払えない。

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2013
12/08

南三陸町との触れ合い


BS朝日の番組に「中村雅俊が巡る被災地の未来」の番組に、BSチューナーが無いので、友だちの家に御呼ばれした。
被災地にボランティアで生徒に勉強を教えている3人の学生の活動を取材していた。番組の初めに、南三陸町の防災庁舎に立ち屋上を見つめる眼差しには、子供たちの未来への希望を叶えて、との願いを込めた顔に映った。
「100年後に語り継ぐ中学生の震災物語」の作成にあたり、私の同級生が南三陸町の津波災害の歴史を子供たちに話していた。その後で何を町の為に自分のできるかを聞かれ、「みなんの役に立てる仕事に就きたい」と、画用紙に書いてくれた。子供たちに将来の南三陸町を託して行く事になる。
仮設にあったギダーで「ふれあい」を唱ってくれた。テレビ番組「俺たちの旅」の主題歌を「ふと」口ずさむ。当時ヒットした「ふれあい」は私たちの青春の応援歌でもある。
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2013
12/07

小森御前に守られて

小森
戸倉小学生の「九死に一生」が裏山の「五十鈴神社」であった。そして昨日「小森御前」で命が救われた話に、災害の歴史に「神社の意味」が、物語られていた。
写真に写る小高い神社が新しく新設された「小森御前」で、以前は国道398号沿いの道路のすぐ隣だったが、今回は階段を付け上に上げた。今回の震災の津波は写真の山の頂上まできて、そこで一人の女性が助かった。こんなにも内陸のここまで津波は来た。その方は現在登米市に家を建て移住したと聞く。
現在この近辺には多くの店が現在建てられている。そこに「入谷横断1号線」の整備にあたり、その沿線の事業所の一つが現在建設されていた。昨年度に1千万の調査予算が付き、既に熊田橋から入谷林際への道路の拡張と整備が、こん震災の住民の高台移転が進む中で始まろうとしていた。
咋朝7時30分の気仙沼に仕事で出かけ、帰りに本吉町により選挙を経験する知人とあった。話していたのは「歌津選挙」と「当選しても落選しても大変」という事だった。一つの話に、町政に疑問を持ち若くして立候補した町職員が、思いどおりいかない議員活動で「自殺」したと言う。上位当選し支持者の期待も大きく、その期待の重圧と議員の力の無さに、精神的に追い詰められたのだろえか。誰かが言っていた「議員は何もできない」「町長でなと」だ、私も4年の任期の中で、行政トップの業種の独裁的な受注を指摘し、現在改善され少しは楽になった。それは一部にすぎない。しかし、被災地の事業所が半分となり、「寄らば大樹の影」と、仕事の流れは皆無に近い、行政の仕事が40%から半分に近かずいている。これが被災地の事業所状況だろう。
今日は子供の活躍を伝える記事を取りに行く、隠れた頑張りを伝えたい。復興特需の華やかな表面的情報を伝える気分とはなれない。夜は知人の優しさに触れに行く。多くの会に誘われるが、何時までも断るのもおかしいと思う。

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2013
12/06

何も変わらないと


昨夜の高台移転部会の会議には、昨夜も7名が参加して開催された。部会員は22名くらいだったと思うが、ここ6回はこの6~7名がいつもの数だ。
傍聴の方にも参加してもらい、東地区の戸建の土地決定のシュミレーションをした。その参加者の模擬要望が東の西地区の設定に、URの担当が説明(写真)をする。
傍聴で来られた方は、「造成が遅い」「高齢者は町で死にたい」「時間がない」など、URの職員に詰め寄った。委員長は「傍聴者の発言は一回で」と言う。確かに始めてきた方で、今まで出た事で、それをここで又の議論はとの時間に余裕はない。傍聴に会員の参加が少ない事で、テーブルに付かせた事で、こんな事となった。
私は「災害公営住宅」の今後が心配で、事務局に聞くと高台移転部会では扱わなく、公営住宅は町の方で行うと言う。町の財産となる「町の公営住宅」との考えかららしい。無くなったコミュニティーの住民の繋がりの「絆再生」を私は模索し、「もう一度地域の方々と暮らしたい」と言う、住民の希望は汲み取ってくれないのか。最後には双方を考えて行きたいと話す。その場しのぎの言葉と思う。
傍聴の方に「町長の方は忘年会」と聞いた。この方は仙台から傍聴に来ているのに。選挙の想定したいた通りの結果に、仲間が集ったのだろう。敬老会を開催しているが、もっと被災住民の「集い」に自分から出向いて欲しい。自分に異論を言う方々へもだ。

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2013
12/05

医師の想定どうけには


「YMCA」の西城秀樹さんも目の病で苦しんでいた。内膜症・白内障?・・・など手術はしたものの、思い通りの完治には至っていない。目の不自由さは当事者でないと解らなく、普通に目が見える人には、「どうして?」があるだろう。私もそうだった。
私の「白内障」は震災後に一気に進み、糖尿病による「網膜剥離」は失明にも及ぶ重篤なものだった。白内障のレンズの交換で「世界が変わる」との、手術をした先輩に聞いた。しかし、親戚の叔母さんも未だに目は前のように見えないと言う。
私は医師の「左目の白内障手術をしましょう」の提案を断った。右が前のように見えないのに、まだ良く見える左の眼のレンズ交換はありあない。
現在は写真の「眼の薬」を日に4回点滴している。緑内障の先輩にクスリの大切さと必要性を聞かされる。絶対違うからと、面倒くさらず続けた方が良いといわれる。半年後の検査にあたり、その薬の量は半端なく、最初の眼科からの処方の薬の中身は変わらず、残っているクスリの量はちょっとした箱に現在いっぱいとなっている。
西城秀樹さんも「再手術」と聞くが、あの元気な姿と歌を聴きたい。同世代の活躍には刺激され、元気を貰える気がする。
旭は眩しすぎる。朝夕の太陽の角度は、私の目には悪く、信号の角度もあり極力避けてはいるものの、お客さんの都合もあり生活の中で難しい。
今日も町内で東西南北と車を走らせる。

多くの時間を持て余し、「ツイッター」「フェイスブック」を始めた。とにかく町の事を「つぶやき」「発信」していきたい。

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2013
12/04

多くの混乱に町民はどうでも感


本浜地区は海になっていた。大潮が午後2時ごろで、お客さんの所に行くにあたり、震災で何も無くなった旧部落「本浜町」を通る。道路以外は水浸しになり、57年暮らし住んだ土地は海の底となっていた、(写真)
昨日は驚くべき自民党の提案変更に「何!」って感じだ。東日本大震災の津波防災の為に、岩手・宮城・福島の三県の津波防潮堤の総延長「370K」を見直すと言う。事業費8000億円がかかる事業を見直す。国の赤字財政の中での、社会保障費・医療費の増加があり、「無い袖は振れない」の状況となったのだろう。
志津川市街地も8.7mの防潮堤、西は若い人たちの提案で「高さを低く」がこれで現実のものとなるかもしれない。市街地の嵩上げは10mが最終決定され、それに向かい高台の土地の土が運ばれている。
「すり鉢状」の道路8.7mの中に4mの土盛りから、予算操作で6m、現在は10mで進んでいる。今までの行政との市街地形成での私の議論は何だったんだろうと思う。引き換え近隣の石巻・気仙沼そして女川は、議論し決定した市街地整備を順調に進める。気仙沼は3.2mの防潮堤と、フラットゲイト?で津波発生での1mの津波対応をすると言う。我が町の二転三転の計画の変更過程は、無駄な職員の仕事の浪費であり、高台移転の遅延となる。高台造成は進んでいるが、坊集の集落も決定してた一区画が、現在入居者を募集している。遅れれば遅れる程、町民の考えも変わる。
高台造成の整備も手順のゴタゴタを聞くが、さも順調に動いているような、町からの情報発信と、町民の「復興は進んでいる」との状況把握の錯覚は、難しい環境を行政が利用しているかのようだ。国の行政監察が今必要で、国民の生活を守る政府の仕事で、被災自治体にばかり任せてはおれない、この現状を検証するべきと思う。私がまだ議員なら、12月の機会はこの辺を町長に強く言いたいが、新人4人に期待するしかない。
今日は仙台に出張で、今日も朝から父親と住宅建設で、口論となった。多くの問題を抱えているが、心静かに生きたいのだが。戸倉の向かいのアパートは施主の予定通り、契約書どおり今年中の建設が完成しそうだ。我が家の建設会社を声高に今まで言っていたが、もうこの社名を言えない、恥ずかしい工事遅延の限りで、町もこうならないよう願いたい。

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2013
12/03

遅れまい負けまい


昨日は父親の知人の葬儀に参列した。父はお使いを貰い、私は現社長との仕事関係で告別式に参加し、家族の頑張りと震災後の生活に、父親の先見の目があった事を聞いた。性格の違いから経営でぶつかった事など私と変わらない、跡継ぎ問題に触れていた。
83歳で父より8歳も若く、事故の後遺症でベットから会社経営に取り組んでいた。私も仕事で呼び出され、幾度となくその呼び出しの要望に向きあった。事故から20年と言う喪主の御礼の言葉の内容に、その家族の長期の介護の労苦は、如何ばかりかと思い察する。私も後6年でこの年ながら、突然の事故での身体の不自由は想定もしていない。そんな中で今後の仕事の展開や、「ローン契約」を締結し、体の不自由など微塵も考えていない。何かあれば保険からの支払い・・・、夜中「ふと」こんな事も考える。
法要は志津川の袖浜地区の津波から再建した民宿であった。いち早く震災の年に再建した。昨日の袖浜では一軒が被災した場所に民宿再建中で、一軒は土地の造成が終わり、来年夏前には建設が終わりオープンする計画だ。被災地の建築状況は大工さん不足の中で、計画どおりは進んでいないようだ。多くの問題が今後大きくクローズアップしてくる。行政の事前の対策や取組を早める事で、町民の高台移転が順調に進む。
昨夜、私の知人の多くの苦悩に、私のアドバイスは判りにくいと言われた。多くの物事に取り組み、周囲に負けたくない遅れたくないが、私をここまで走らせることができた。自分で厳しい環境を作り、目の前の事を一つずつ片付けてきて今がある。何でも出来る私ではない事を判ってほしい。出来る限り支援を多くの人にしていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2013
12/02

スポーツイベント真っ盛り


楽天が「さんさん商店街」に来る。と言うチラシが仮設に回された。楽天の日本シリーズの優勝でのパレードが先週盛大に仙台市内を練り歩いた。されど引き換え被災地の現状は地域により進捗もまばらで、南三陸町の高台移転・公営住宅の復興は、一番遅れている気がする。他の地区での何に力を自治体は入れるのかで、大きな違いを感じるのは私だけだろう。
昨日は東北6県9カ所で「楽天報告会」があった。南三陸町の商店街の優勝の盛り上がりが全国で放送され、それに対しての楽天の来町と私は思っていた、さんさん商店街には、楽天の斎藤隆選手とマキタ選手が来た。地元の野球少年も沢山訪れ歓喜に溢れていた。集まったのは2000人で、石巻にも700人がホテルに集まり松井カズオ選手が、元気を被災地に届けてくれた。斎藤隆は宮城出身、確か東北高校だったかな?、先発から最後は太洋の抑えとして活躍し、昨年までのダイリークで、今年から「楽天」に入り、ストッパーとしてピンチに活躍した。あの大混雑に入る勇気は私には無かった。
志津川剣道協会の有段者練習会のカギを取りにアリーナへ行くと、プロバスケットの仙台バスケチームのプロリーグ戦が開催されていた。駐車場は車で満杯となっていた。
町外からも多くの楽天ファンやバスケット愛好家と学生が、普段見られない、プロの選手を試合を見られると言う事で、多くが町に集まった。
そんな中で志中剣道部の生徒が、中学校の長い石段を登ってきた。「こんにちは」と礼儀正しい姿に、武道に取り組む姿指導に素直に取り組んでいると感じた。
イベントは誰の為、町民に元気を、子供たちにプロの試合を感じてもらう為。しかし、町外の仮設、山中の仮設の高齢者に元気が届いているか疑問だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:33 】

2013
12/01

あせらないで


一日も早く将来への見通しと、安心感を得たい気持ちが強すぎるのかと、今の自分に言い聞かせる。
昨日は気仙沼の知人と多くの話題で、自分の今後を語り、どうしたらと意見を聞く事が出来た。15年のローン返済は私が初めて経験する事で、その年月の長さを思う。知人は30年間のローン返済が60歳までの、あと5年と言う。30年の月日をどんな感じで過ごきたが、大いに興味があった。基本的には私と同じ「まだこんなに残っている」と日々感じていた。と言う。25年間の順調な返済は、安定した生活と収入があってこそと思っている。
被災して会社の再建をして、生活住宅の建設への自分の動きは、決して間違っていないと確信している。しかし、住宅建設の被災地状況があり、その大きな障害に毎日頭を痛めている。名古屋の建設会社さんには、この苦難を残り得て何とかして欲しい。2~3か月は遅れている。
早期の仕事の再生は事業を続けていく上で、顧客の確保が出来た。お客さんあっての千葉印刷である。印刷業の南三陸町の業務拡大は、今の設備では無理で、死んだつもりならなんでもできそうだ。新しい事業計画には3つぐらいのプランを考えているが、失敗も多くの出費も許されなく。被災地の風化防止や現状の発信があり、先人たちの文化の伝承など、南三陸町の良さを伝える活動で、少しの売上増加へと繋げたい。
今日も「あんだは一番やったよ」と、私の議員としての一期を労ってくれる連絡があった。電話ながら感謝感謝です。多くの皆さんに私は包まれている。と周囲の人との会話から感じている。
写真には私の暮らしてきた思い出はない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:40 】


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