ARCHIVE - 2013年11月

2013
11/30

正しい事をするのだから何をやっても正しい


また、お世話になった方が亡くなった。気骨のある方で強い力にも屈することなく、我が道を歩んで来た。父よりも下ながら父に「弔辞を」と声が掛かった。父が出来るならやって欲しいが、無理をする事は無いと思う。本当は同級生がするはずだったらしいが、体調を崩し入院したと聞く、そんな急変する年齢でもある。
昨日は入谷方面へ出かけ、8軒ぐらいお世話になり、迷惑をかけた人達に自分のふがいなさを謝罪した。「選挙だからしかたないから」と言ってくれるが、・・・また考えさせられた。
建設業が全国的に「入札不調」が起こっている。建設業の不振は今の事でなく、景気の落ち込みや、「コンクリートから人へ」との、予算の使い道の移行の世論の流れで、建設人口の減少が背景にある。そんな中で今回の大震災、被災地の「入札不成立」は、宮城で24.2%で岩手・福島でも20%に近い。
今日の放送では八重洲での「新築地市場」の移転にあたり、土壌の入れ替え整備・建設に200億・100億を超える3カ所で想定額が示されている中で、「不調」となった。落札者がいないか、価格的に見込み額との差からなのだろうか。
被災地の復興に大手ゼネコンが入り、高速道路の「復興道路」建設に、全国からの建設業者が集められ、工事の落札価格も「99%」と、安定した工事価格があり、入札はあるものの工事を業者に分けていると言った感じがする。
そんな中で「オリンピック」が国・東京都の維新を掛け今後進められる。そんな状況下で、過当競争してまで仕事を得る事はなく、都の従来通りの工事予定価格に、合致させての入札には、建設業者も無理はしない。
南三陸町の高速工事の「型枠作業員」が居なく、いったんリタイヤした方など全国から集めていると聞いたことがある。建設に従事する「職人むがいない」と建設業者は言う。
2020年のオリンピックでの、建設業者の移動を、被災地では懸念する。決して私だけではない。
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2013
11/29

毎日の向寒の日々が


今日の朝7時の我が家の車は、フロントガラスに霜があり、エンジンを掛け5分は置かないと戸倉仮事務所までは行けない。
戸倉地区の不便さを昨日は身に染みて感じた。志津川町内のお客さん「商工団地じゃないんですか」と電話、20分掛けて倉庫の沼田まで配達に行った。また、沼田に仕事を届けてくれたお客さん、何処が場所かも判りにくいのに、わざわざきてくれる感謝しかない。
昨日は気仙沼からのハウスメーカーが「事務所に行きたい」、「どうやっていくのですか」と連絡があった。BRTで来ると言う。戸倉停留所から2.5Kはあるだろうか。「行きます、帰りはバス停まで送って下さい」と言う。あり得ない営業である。商工団地からタクシーで「2500円」は掛かる、戸倉荒町は残った集落ながら、贅沢だが大きな不便を感じる。
今年最高の寒さを更新した。2日前にタイヤ交換をしたが、まだ、タイヤ交換は県内で4分の1で、高速を通る時には、タイヤをスタットレスへの「早めの公開を」と呼びかけていた。週末は夜に気仙沼に行き、来週水曜日は仙台に行く、車の足回りは万全にしておいたので、凍結もあり雪が降っても少しの安心で迎える。
今朝も旧十日町の「長距離バス」のバス停には、二人の女性が7時過ぎのバスを待っていた。その姿の寒そうなこと、あと最低で2年はこんな状況が町には続く。BRTのバス停が仮設商店街にあるが、その設置場所も多くの問題があった。高校生の通学には以前より遠くなり、観光客を考えるなら「観洋前BRTバス停」も欲しい気がする。多くの希望を叶えるには難しいが、宮城バスとJR東日本の交通手段の合理化で、利用者の不便軽減が図れないものか、行政は被災者の不便の解消にもっと努力すべきと思う。
今日は「1.8℃」、やっぱり寒い。自宅建設も3か月は遅れている。これが地元建設会社に何のつてもない、被災者の建設事情です。しかし、私の震災から3年目での自宅建設は、周辺の支援と自己努力しかない。家ができたら最初に本浜地区の人たちを集め、現状を聞き支援できる事を手伝いたい。行政でできない部分の活動をしていきたい。

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2013
11/28

県下での頑張りを見つけた


先週の日曜日の「宮城県防具付空手大会」での対戦表の一部です。六年生男子の伊勢君が個人の部で優勝した。その他にも多くが優勝・上位入賞し、南三陸町の防具付空手はレベルが県下でも高い。
この間、中学校剣道新人県大会があり、志津川中学校は3回戦まで進んだと言う。10人を余りの2年生がいる男子剣道部員、互いの切磋琢磨と指導者の係わりにより成果が生まれた。自治体派遣の警察署の方々も指導者として来てくれる。皆さんの活動の協力に感謝してほしい。
瓦礫処理の残っていた「漁網の処分」が今月で終わる。頑張る漁業も今年で終わると聞いている。こうした方々の再雇用の場の確保は、町の事業・対策で作っていかないといけない。登米市で働く南三陸町の仮設生活者は言う、「働いていると安心します」と。
私の父親は日中一人倉庫にいる。夕方になると「暗いから気をつけろよ」と、普段は使わない携帯で連絡をくれる。固定電話には私の携帯番号が記憶されているからだ。

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2013
11/27

従弟たちは何処へ


「千葉家」の相続に昨日から動き始めた。生きている人からは贈与、亡くなっている方からは相続とあり、15名の親族からの相続放棄の手続きの為、準備と連絡に入った。
9名は住所を把握しているが、6名の従弟たちとの連絡と住所が判らない。震災直後に父の直下の弟の子供二人と連絡が取れない。震災後は叔母の津波での死亡があり、弔慰金の事で幾度となく取れていた連絡が、弔慰金取得後連絡が取れない。色々な事情があるのだろうが、昨夜は夜6時と9時過ぎに電話を入れるが、電話で呼びはするものの出てくれない。出だしから躓く事となった。時間を掛けてやって行きたい。
驚きの事件があった。60年間違う両親と生活していた、「赤ちゃん取り違え」の裁判があり、病院の過失を認め3200万円の慰謝料支払いが命じられた。訴えた男性は2歳で父親を亡くし、生活が苦しく大学にも進む事ができず、自分の人生が狂わされ、60年間の違った環境に於かれ、その苦悩の代償は大きくお金に変えられない。相手方が兄弟との容姿が違うと、取り違えは既に発覚していた。DNA鑑定で間違いない事が立証され、裁判判定で3200万円で人生が戻る訳もなく、どう自分の心を納得させるのだろうか。
猪瀬都知事への5000万円の無利子・無担保での徳洲会からの借り入れ、病院建設の便宜を図ってもらうための、資金提供なのだろう。政治の中の1億を超える資金の動きは、自治体と政治家の癒着は今後も決して消える事はなく。これに関係している輩は「巧妙に」「誰にも知られる事のないよう」に、その技は匠だ。
我が町にこんな理不尽な動向が無い事を願い、発覚となり恥をさらす事の無い事を祈るばかりだ。

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2013
11/26

多くの人たちの思い出の場所


遺跡発掘調査説明の時に新井田川の仮設の橋から、旧新井田地区と高台移転の中央区を撮影した。ここで多くの人たちが暮らしていた町の思い出を、私がブログで書くことに少しの罪悪感を思ってしまう。「生き残り何をしているか」と言われそうで申し訳ない。
キャロライン駐日大使が昨日「中瀬町仮設」を訪れた。仮設入居者が集まり皆さんとの「絆の握手」は、住民もキャロライン大使と身近に話せることで、「こんな所まで」「元気が出ました」と話す。中瀬町の活動の「手袋たわし制作」を見学しに来たと言う。
最初の訪問地は石巻の小学校で、英語教師の津波による死があり、教師の追悼と絵本の贈呈と、英語の絵本の読み聞かせの後で、「大使館に来て下さい」「米国へも来て下さい」と、優しく子供達と交流し合った。大使は作家でありご主人も同行していた。
また、南三陸町の行政には小泉復興庁政務次官が訪れた。自民党青年部会長であり復興庁政務次官である、小泉進次郎氏が同日に訪問され、南三陸町の現状を聞き取った。行政からは「公園用地の管理費を交付金で」と、要望書が手渡された。
ただ仕事をしているだけしか無い自分がいる。寂しいかぎりで、何かを一生懸命できていた日が懐かしく、時間に追われる日々だったが、充実したあの時が恋しい。

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2013
11/25

11月は週末イベント沢山


今日はさんさん商店街で「秋さけまつり」復興市があった。ベイサイドアリーナでは防具付き空手の県大会があり、低学年から一般までのクラスに分かれ個人別の大会に、総合体育館は熱気に包まれていた。
志津川剣道協会でも指導者育成をめざし、有段者の強化練習が今日の日曜から毎週の予定を計画する。午後2時30分から5時まで、協会会長がトップに立ち、居合道も含め指導にあたる。「来るものは拒まず」の体制で小中生も自由に参加できる。剣道人口の減少は深刻で県内は元より全国的に、剣道をする子は少なく他のスポーツに進んでいる。
南三陸町でも被災後にサッカーの団体による学校での指導支援や、楽天のイースタンリーグなどもあるし、県内での野球少年指導もクリネックス球場であったり、一部のスポーツへの時代の流れが続いている。中学校でも「武道必修教科」とはなっているが、相変わらず柔道剣道部に入る生徒は少なく、部活の休部もあり得る、我が母校の現状を嘆く。
今日は父親の友人が、父をスーパー銭湯に招待してくけた。胸の傷口が心配と躊躇しているが、「綺麗に治っていた」と鏡で見たらしく、安堵の声を聞く。手術から1か月半、勿論完治している。
一人家での留守番で誰一人客も来無く、一本の電話だけが鳴った。昨日は後輩仲間が「飲み会」をセッティングしてくれた。気持ちの少しの落ち着きの中で、今後の自分たちの未来の事などを話し、ひと時の将来の夢を馳せた。
勤労感謝の日との連休、多くの事を考えさせられ、父も老後の不安や認知による、親も介護などの自分達を心配し、私も身体の事など共に眠れずいた。テレビを見ていたら「老後の認知と孤独」のドキュメントが放送され、益々の不安に拍車となり、眠れずこの時間にブログを打ち終えた。
東地区の造成は木々の伐採も終わり、整地に向かう。早期完成が町民の願いですから。

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2013
11/24

歴史に学び夢馳せて


昨日は雲一つない晴天に恵まれ、新井田遺跡跡地の調査報告が町によりなされた。多くの歴史に興味のある方々が、発掘場所に集まった。地元の人たちもいたが、町外の歴史好きの人が多くいた。私は受付146番で午前中は200名弱が参加した。
志津川地区の高台移転場所の中央区の一部に、新井田の遺跡があり国の「遺跡調査」が行われ、25年度いっぱい掛かり調査を終える。写真の見上げる丘が城跡で、20名づつの組になり20分間の調査員からの報告を受けた。
CIMG4689.jpg
城跡の高台から天王前と大森そして志津川湾の光景を、皆さんに届けたくて今回の報告会に参加した。海抜60mの場所に平場が、手により整地され12mもの柱が建てられたと言う。600年前に強い勢力から自分の身を守るため、人力で素手で広大な高台に城を造った。
誰が城を築いたのかは、推測だが「千葉」「熊谷」との話しに驚く。藤原家・葛西家が有名だが、そこに私の名字の「千葉家」がある事で、歴史の奥深さを感じる。千葉家の後継は志津川にあるものの、意外と少なく家系が途絶えている現実も、私の親戚筋の衰退からも推測だきる。家系を守る事の大変さと、天性の千葉家の行く方にその結果を紐解く訳が、歴史からも伺え伝わってくる。
楽天の仙台のパレードは、資金不足が8千万円あり一口3千円の追加支援を、応援募金として募った。今日11時からの優勝パレードには、全国から20万人を想定したが、報道では21.5万人があったと言う。9年目の日本シリーズ制覇がある。次年度へは今回をリセットして向かう事を誓う。
日本の米国大使にJFKの娘キャロラリンが就任した。天皇陛下への米国からの親書を手渡し、今後は被災地を訪れると言う。こんな優しい女性大使の被災地訪問は、米国との交流の深い信頼感の構築となるだろう。
パレードの応援の中に「休んで下さい」との、言葉が書かれてあった。私への送る言葉と勝手に受け止めた。

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2013
11/23

オオケストラの音に心休めて


志津川の仮設商店街に用事で出かけた。
南三陸ポータルセンターから心地よい音楽が聞こえてきた。町内の学校の演奏会と思い、ドアごしに室内を見て入ると、オーケストラの演奏で、外国からの楽団の演奏20名くらいに、聴衆も50人はいただろうか。こんなイベントの開催も、告知が仮設のポストにあっても、毎日の生活に追われて行けない、忘れている、がある。
人づてに「新井田遺跡説明会」の話しを聞き、生涯学習課に行くと、23日の10時と1時からと聞いた。仮設に行くと町からの地区配布に混じり見つけた。10日も空けるとポストはいっぱいとなっていた。住宅建設のチラシ・イベント開催告知など、溢れるくらいのものが口からはみ出ていた。私は今日10時に行く、晴天で説明会には最高の条件である。志津川の新井田の歴史に触れましょう。
スタジオ「ジブリ」の高畑監督の作品の「蛍の墓」が昨夜やっていた。この作品の戦争の悲劇の中で、けなげに生きる二人の兄妹の姿を描いた作品で、バックに流れる音楽と、何もない当時の戦火を生きる二人を取り巻く暮らしの中に、自然の風景・生き物の姿に救われた。ホタルを集め入れたバケツから、蓋を開けると一斉に飛び立つ蛍の輝きに、妹の驚く姿に安堵した。厳しい生活の中で小さな喜びに癒され、ひと時の安らぎを得る事ができる。生きている事での喜びがある、こんな事をメッセージしてくれた映画と私は思う。
宮崎監督とは違った世界観がある。テレビで今予告放送をする「かぐや姫の物語」がある。高畑監督の作品で「月と共に走る追うかぐや姫」「花弁と舞うかぐや姫」の映像が流れている。今日から一斉公開となる。昔懐かしい絵のタッチが、今のコンピューター映像処理があるのに、何で昔の絵を使うスタイルの映像があり、その意味を知るには「かぐや姫り物語」の映画を見るしかない。
「選挙には金が掛かる」「選挙資金の調達先には持ちつ持たれつの相互利益を目論む関係が?」、昨年の東京都知事選挙の猪瀬知事に資金の授受があった。徳洲会の選挙違反の資料から、徳洲会の徳田会長から、衆議院議員となった次男から議員宿舎で、現金が手渡された。猪瀬氏は借りたと言うが、政治資金なら選挙資金収支報告に載せないといけないが、「借りた」と苦しい弁明を猪瀬氏は言う。無利子で5千万円は一般国民にはない。これが政治の世界では当たり前と言うが、私は決してそうあってはいけないと思う。
私も選挙に敗れたが町民に恥ずかしい事はしていない。立候補者も町民も金銭の授受は選挙違反として、後ろら手が回ると言う事が、私の町では「希薄」と昔から聞いている。明るい選挙の登りが空しく旗めいていた。

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2013
11/22

平成のジャンヌダルクが死んだ

2011-10-25 06.20.00
私の正義感の堅持はこの方の影響が強かった。
岩手県山田町出身の「佐藤美恵子」さんがいた。父親の川柳仲間で年齢は父より20歳は若く、仙台の大会で出会い互いに意気投合し現在に至っていた。震災前までは互いの交流から、月刊誌を作成依頼を受け、20年も継続しその総括として、200ページにも及ぶ「句集」を、3冊も制作させてもらった。
岩手から関東圏に移り活発な創作活動を続け、新たな相手を見つけ「平成の川柳のジャンヌダルク」として、日本の川柳会に旋風を引き起こした。相手が誰であれ理不尽な創作活動には、「あなたそれは違うよ」と、自分の考えを全うしこれまで生き抜いてきた。
多くの人生の岐路で良きアドバイザーとしての方で、時折々の生き方考えの疑問に、指摘を頂き自然とそれに従い、多くの考えに合致があった。正々堂々と正義感溢れる生き方に共感していた。私もこんな生き方を貫きたいと思った。
病気は「肺がん」と聞いた。勇ましく可愛くチャーミングで、たばこを吸う姿もカッコよく、もう話も聴けなくなった。貴方の生き方に学び、最後まで自分らしく生きる事を誓う。
被災し打算も芽生え、あなたの死に触れ「正直に正義感燃え」、生きる計算はしても、群衆の先頭に立ち、最後まで弱い者に付き、その敵と向き合う姿勢を貫きたい。
昨日、本浜町の自宅兼工場の土地の件で行政からの説明を聞いた。15分の6は父から私になった物の、土地の在り方は一筆として全ての権利者が土地を有し、相続ならない物と出来ている物を二つに分けて分筆する事はできないと判明し、あらたな土地の対応に取り組む事とした。旧五日町は「ショッピングモール」として形成され、以前聞いた「道の駅」はその場しのぎの行政のリップサービスになりそうた。
私の知人も広い土地の換地の立場にあり、その土地に借地としての賃貸で、被災市街地で営業をして南三陸町の現状と、文化・伝統・歴史を始めとして、津波被災の復興の歩みを伝えていきたい。
来月1日「楽天ゴールデンイーグルス」がさんさん商店街に来るらしい。出店している皆さんのプラスになる事を祈りたい。

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2013
11/21

フィリピンの大被害


高潮がフィリピンの小さな島々を覆う映像がテレビで流された。今回の故郷を襲った大津波は八幡川を遡上する姿が今も眼の奥に残る。違った種類の天災ながら、その跡地は同等の痛ましい光景が広がっていた。
台風30号は地球の温暖化が大きく影響している。このルートと強い勢力のままで、フィリピンの直撃し、最大風速90mは普通人間が体感しない勢力で。8百台の低気圧の力は海面に圧力となり、海岸線に大波となり押し寄せ、その波と風速が巨大高潮となり、平坦な島々を飲み込んで行った。鉄骨・コンクリートのビルも少なく、のどかな南国の島の住家は跡形もなく被災地を埋め尽くした。
写真は23年の3月12日の南三陸志津川市街地で、私には同じように見える。
そのフィリピンの光景が世界へ発信された映像で、死者は一万人以上と報道された。南三陸町も陸の孤島となり、外部との連絡も絶たれ、私も「町が無くなった」「志津川市街地の死者は1万人?」とその姿を見て思い、町が消えたと思った。現実は被災地の住民は迅速な津波避難をしたものの、900名余りの人が南三陸町で亡くなった。フィリピンでも死者・不明は5千人にも満たなかった気がする。人間の生きようとする力が、この二つの大震災から命を繋げた事となった。自然も素晴らしいし、人間も生きる事でまたイイ事が訪れる。亡くなられた方々の分まで、家族と共に生き抜く義務を感じる。
昨夜も9時に眠ったが夜中2時30分に目覚め、眠れずそのまま出社となった。多くの問題もあるが今後に向かう考え方のヒントが、ぼんやり見つかったかも知れない。

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2013
11/20

本浜地区が変わる


「本浜は駐車場」の言葉に大きなショックを受けた。
昨夜の町づくり協議会の「公園部会」に傍聴に行った。部会員は全体的に若い人たちが多く、多くの意見が全員から発言されていた。和気藹々の中で活発な斬新な、部会長の議事運営の元に会議が進められていた。
「築山」の話しを聞きにいったつもりが、新たな公園部会の内容に興味が深まった。そんな議論のなかでイベント広場が、産業再生部会と公園部会で提案され、駐車場の確保で本浜旧行政区の跡地が提案されていた。
写真の志津川市街地の見える、十日町・南町・本浜町があり、十日町はシッピングモウルと商店街が計画され、その背後地に駐車場・イベント広場が提案されていた。高台移転部会には、ここまで未だ伝わっていなかった。本浜が駐車場は、生まれ暮らした本浜地区民の、多くの触れ合いと賑わいがあった。想い出の中のふるさとのまた故郷の、その風景が様変わりする。
「築山」はまだこれから本格的な議論と、町との交渉とはなるが、高さ20mで底辺が100mともなる大きな物で、南三陸町の新たな名所として、私も山の形成もこれからながら、公園部会の提案提言を指示したい。
志津川市街地で暮らしていた町民の皆さん、こんなにも私たちの暮らした町が生まれ変わります。

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2013
11/19

出会いが終わりまた新たな


震災で新たな出会いも時間と共に風化して行く、年齢や生活の余裕での交流があった。私の知人も減ったり去って行ったりしている中で、父の同業や趣味の友が選挙前後に何人か亡くなられた。私は寂しい感を否めないが、父は意外と強い悲しみを感じていないようだ。
写真は「今生の別れ」と言って会いに来た、東京の土屋さんで父と近い年齢で89歳になる。私に「お母さん大切に」がお別れの合言葉のように毎回話す。父の友人ながら私にも優しく、多くの言葉を送ってもらい救われる。
昨日はいぶらくで知人とお酒を飲んだ。勿論選挙後お店でお酒を頂くのは初めてである。海の「頑張る漁業」で牡蠣と若芽などの、養殖業をしている。国の水産業支援も期間を満了し、もう少しで補助事業は終わると言う。今後この問題は町にとっての大きな問題になるかもしれない。
物資支援の方にお返しで「志津川タコ」と「ホタテ」を送った。知人の店は「ホタテはない」と言う。秋サケの漁が繁忙期となり、値段も良くそっちの方が利益になり、ホタテの水揚げをしないので、志津川地区ではホタテの品薄になっている。
昨日の会話は土地の換地や事業再建の現状と、漁業の面白さを知った。彼の知人に今度会う。海との係わりと触れ合える可能性を聞きたい。新たな出会いから今後の可能性を習得したい。楽しい人生を送る為に。
昨夜お世話になっている社長の奥様が、「まだまだ頑張って」と物資の食糧を持って来てくれた。有難い。

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2013
11/18

物資の配達


私の車はネギの匂いでいっぱいだ。長野県からねぎ10袋で、一袋に約100本で総計1000本にもなる。一本50円として5万円で送料も5000円にはなる。被災仮設の方々に2日掛けて配り終えた。日一日と寒さを増す被災地の中で、鍋などにして体の芯から温かくなってほしい。限られた数で一世帯に2本にして500軒分ながら、6つの仮設の350世帯余りに配った。「助かります」「ありがとう」との言葉は、が物資支援をしてくれた宮澤さんに伝えたい。仮設自治会長も御礼を言いたいと、電話を教えてと言われ伝えた。自治会長さんにはお手数を掛けて申し訳ない。
今日はその御礼に南三陸産の、「ホタテ」「タコ」を自腹で贈る予定だ。当然の事と受け止めている。
CIMG4327.jpg
こんなに立派なネギで、旬の野菜でもあり自宅でも5本頂いた。
宮城県の「根曲りネギ」をテレビで紹介していた。その料理で白い部分に長いままでバラ肉を巻き、油で焼きすき焼きのタレでからめる。これに挑戦し美味しくいただいたが、新鮮で一本噛みきれなかった。新鮮が故で甘く美味しく頂いた。
昨日、NHK教育の「趣味の園芸」で、私の1個先輩の先生が情報で紹介されていた。勿論被災し家は流された。その跡地の家庭菜園から「サンチュ」の株3個を、現在住むみなし仮設の庭に植え、収穫ができたとの話しだった。ほっとする話が少しずつ出てきている。

また、問題発生だ。「雨の日は雨の中を」、私の生きる原点の言葉を胸に、前へ前へ!

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2013
11/17

町の復興計画の修正


金曜日の高台移転部会で、「築山構想」があるとの話がでた。西地区の再生で町民の町協の「公園部会」がある。ここの部会も若い中堅層が多く、活発な意見があり、議会にも陳情を会員の一部の人が出したり、多くの提案を町に出している。
公園部会では「親水」の場所を昔のようにあった方が良い。とか、防潮堤の8.7mは海の景色が見えないと、防潮堤を低くや多重防潮堤など、景観を守るための活動をしていた。「築山」は20mと言い、遺構としての「高野会館」を遥かに超える高さとなる。まだ、決定ではあいが、今日上の山避難所の登り坂から、松原公園方向を望んだ写真に、それらしい被災基礎破砕瓦礫と焼却瓦礫の混合がこの山となり、「築山」のような様相を呈してきた。
昨日は長野県飯島町の宮澤さんが、1000本のネギを送ってくれた物を、町内の仮設の5カ所に配った。残った200本は細浦と伊里前の仮設に、これから持って行こうと思っている。宮澤さんとは飯島町議会議員の方との交流から始まり、23年にはジャガイモ、24年にはネギ、そして今年はジャガイモとネギがある。歌津と志津川に分け隔たりなく配分してきた。今回は志津川地区を中心に回した。平成の森・南方へはマジック慰問とネギ・ジャガイモと、大きな仮設中心だったが、今後は小さい仮設者への物資支援をしたい。仮設の生活者の苦悩これからが本番です。物資の「受け皿」になりますので、今後もよろしく連絡を含めお願いします。
土地確保配置・換地方法など、被災住民に公平公正にお願いしたい。こないだも町内の仮設入居にあたり、「行政の便宜あった場所がある」と密告してくれた人があった。昨日も選挙での自治会長が選挙活動に動いたなど、私への通報があった。「証拠がないんです」「噂ではどうにもならない」、と伝えた。我が町に自分が犠牲者となっても「内部告発」してくれる人は絶対いると信じている。開かれた不正のない「明るい選挙の町」となる事を願う。その為にも「不正の根絶」に町民があたらないと町は変わらない。
今日も東京から選挙後の議会の構図はと、知人が電話をくれた。10対6だと他の議員から聞いたけどと言う。「次回の選挙まで若いからまたやれるよ」の話に、「今は何も考えられない」、「そっとして於いてほしい」と話した。申し訳ないが今は何も考えられない。出来る仕事を見つけ、一つずつ今できる事をしていく事で、平常心に戻りたい。
仲間の優しい言葉を素直に受け入れられない心境に今ある。

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2013
11/16

くらしの懇談会の議論から


昨夜の高台移転部会は南三陸サポートセンターが会場となった。
この跡地は町営住宅で、ウジエスーパーの建設予定地の隣りである。23年被災直後から町に建設したいと伝え、被災者の買い物弱者となっている環境改善に動いた。被災地の復興がある中で町の支援無くして建設は厳しい。志津川仮設商店街とウジエスーパーが連携すれば、買い物弱者問題は一気に解消される。サポートセンターの一部を道路としてスーパー運営の為に、整備を町が支援して欲しいとの、住民の嘆願書には耳を傾けようとはしなかった。この日の会議でも災害公営住宅の買い物弱者対策は、3地区の高台移転で解決されるのかとの問いかけに、産業部会でも採算面を考えると、高台での出店は難しく、コンビニとて国道沿いでもなく出店はしないだろうと、高齢者や子育て家族の買い物事情は厳しいのではと、私は声を大にして話した。商店の再建は10mの嵩上げをする被災跡地で、新たな生業の場所として多額の復興資金を費やす。
昨日は臨時議会があったようで、議場で傍聴した。与党の議長の元に議案が審議され、「質問ありませんか」に、与党のついもの方が大きな声で「なーし!」と答える。いつもの議会の形があった。余裕を持った行政トップの議会運営と感じた。最長老の鈴木議員の質問の町長への噛みついての詩やり取りが懐かしい。鈴木さんも自治功労で11月3日文化の日に表彰された。ブログでの行政への指摘は、ブログを始めたキッカケでもあり、ここでの過激な発信はお許し頂きたい。町の再建を見届けけるまでは!
入谷と名足の集合住宅・戸建の災害公営住宅は、来年の夏には出来て入所ができる。コーディネーターの株式会社アークポイントが、高台移転会議で「くらしの懇談会」をやった。今後できる各地区への「集会所の在り方」が3つの班に分かれ、多くの提案・希望がだされた。4階3階となる災害公営の入居者は高齢者などの、生活困窮者が多く、地域が見守るコミュニティーの再生に、集会所の役割として何があるかを議論した。写真はその模型である。
今日は長野県の飯島町から来た「ネギ」を仮設に配る。会社の恩人の奥さんが亡くなった。焼香にも出かける。時計の修理した物を取りにも行く。

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2013
11/15

ひろしさんがいたらどうするだろう


私は不器用だが、少しのズルさはあるものの、自分だけの為にこの町で生きようとは思わない。議員には向いていないのかとも思う。弱い町民の為に何かをして上げたいが、常々考え思う事だ。
宮城県中央警察署から、尋問中の容疑者が脱走した。警察の問題もあるだろうが、警察所内からの逃走は信じがたい事実だ。3400名体制で容疑者を探すが、なかなか逮捕とはならなく、昨夜6時30分ごろ七ヶ浜の交番に出頭した。脱走3日目だと思う。
七ヶ浜町には多くの縁がある。同級生もここに住み、議会広報の調査にも役場を訪れた。そして今、自宅の建設の大工さんもここからだ。仙台近郊でベットタウンとしても栄えていた。今回の大震災の津波でここも多くの住宅が流された。住宅の建設が本格化となり、地元の工務店も忙しいのは当然である。従来のお得意様の建設依頼が優先するのは当然で、代行である我が家は二の次となるのは、当然の摂理だろう。「冬が来る前に」が私の思ういま最大の願いた。
週末は長野県飯島町から届いた支援のネギを配る。10袋もあり何処に配るかは、いま悩みながら考えている。今後も全国からの支援の受け皿となり、生活で困っている方々に手助けをしていきたい。
写真は城洋新聞社の二代目社長さんの生家で、震災で被害を受け、残った建物には会社の歴史があると聞いている。ここを何故写真にと思うだろうが、嵩上げの目安がこの位置と言う事で目標地にあげられる。家の建つ所から3m下がった所まで、市街地の嵩上げがされる。平成27年度までにはと言うが、あと2年でここまでの嵩上げを町は計画する。市街地が海抜で志津川仮設商店街を0mを基準に海岸線から、10mの盛り土が八幡川の右岸側に成される。高台の住宅地として予定する、山からの土を持ってくる。
ひろしさんが存命なら被災した町で何をしましたか。教えて下さい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:57 】

2013
11/14

愛する町から北へ南へ


この町の体制に嫌気が増してきている。町の自然は変わりないが、気配り広い視野への優しさに欠ける行政の運営を思う。税金が高い、商工観光依存、特定の人間の自分が良ければの考え、これに欲の強さを感じる。
行政の職員意識改革は元よりで、町民の行政運営への係わり指摘と、町民意見の強い発言が在るべき考える。町外の多くの人が言う、「町は地区は閉鎖的」「もっと町を町民が考えるべき」と、これに町民が取り組めば新しい町が作られる。と言い私もそう思っている。
現町長の政治は今回の選挙の当選で確立され、与野党の構図も大きく町長派の増加により、町復興へと向かう形は、「復興計画」どおりとなり、町長周辺の思いの町づくりできる事となった。今後2期くらいは対抗馬はなく、現在12年目でブラス3年、更に8年は続く「黄金期」となるだろう。自分の町と言うキャンバスに、仲間と自由に自分の為の町を描ける。
私は思う、一方的な町の形成は、同業者故になおさらいやである。今までの多くの問題を作り解決もしない事を知っているから、なおさらいやで町外の脱出も考えるが、この町に居ないと何もできない。とりあえず自分の背負う借金返済に全力であたる。他の被災者から比べればまだ余裕はある気がする。その分を被災弱者支援に力を注ぎたい。後10年、もっととなると15年の返済期間で、私も72歳となるが生きているだろうか。
長野県建設業の基金運用で、資金運用の担当者が24億を着服し、タイで悠々自適な生活をしていた。彼女を3人も抱えお金を使い果たし、貢ぐお金が無くなり金を彼女にたかり、彼女が警察に通報した。自業自得であり女性を泣かせ、犯罪を犯した末路はこんな物だろう。
写真は水尻川河口の海面の朝の海からの湯気で、今年最低となった南三陸町の気温が生み出した自然美だ。今日もこの光景に見とれながら通り過ぎてしまった。全国にこの風景を伝えようと戻って写真に収めブログにアップした。もう一人カメラマンがいた。
ブログの多くは私の愚痴だが、そのは「さらり」と読み流していただきたい。

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2013
11/13

広い倉庫の自宅は寒い


1DK仮設ではお風呂と洗濯機を利用しているが、毎日の生活は商工団地内の倉庫で3人で暮らす。天井の高い倉庫の朝は寒く、私を含めた家族の風邪を心配し、病院への一か月の定期検診があり、そこでのインフルエンザの感染を懸念する。母も半年前の「肺炎」からの危機を先生の治療により乗り越え、現在は車いすだが普通の生活ができている。
昨日は仙台の雇用創出支援事業の申請に、県より委託された「インテリジェンス」と言う会社の担当部署に行った。派遣などの就職関連事業を東北・北海道で展開している会社で、県職員の電話での親切な対応もあるが、委託された会社の社員の親切丁寧な説明に、制度活用が早期実現に向かうような心づかいを感じた。
その事務所のあるビルは、私が家業に付きタイプ教室を学んだ会社跡地に、10階位のビルテナント経営をしていた。今から30年前以後大きく仙台は変わっていた。現在はPCへと印刷業も技術革新の波は大きく、日進月歩激変の途上にある。
昨日の資料の不足で今日も気仙沼に行く。多くの書類をそろえる事の労力と経費の支出は、自宅再建のローンや会社再建の資金の減少となる。被災地の印刷業の仕事は激減し、現在はピーク時の2割の純利益しかなく、経費を差し引くと、どうしても手持ち資金を取り崩すしかない。こんな状況が被災した多くの町民が抱える悩みだろう。
自宅倉庫のエアコンが故障した。震災後倉庫の夏の暑さのため、両親の熱中症対策として、30万円を掛けて、大型のエアコンを設置した。修理にまたお金が掛かる。こないだも冷蔵庫が故障し3万円で買い替え、アンテナも2.5万円掛けて取り替えた。今月は想定外の支出が発生してしまった。しかし、ただ一生懸命に法に定められた制度の活用を図り、法律に違反する事なく、今後も生きていきたい。
徳洲会の徳田ファミリーの選挙違反で、徳田毅衆議院議員の姉二人が逮捕された。選挙違反連座制は違反者が禁固刑が決定すれば議員失職となる。
全国の徳洲会66病院の563名職員を鹿児島二区に集め、選挙活動をして1.5億の報酬を病院から支出した。選挙違反してまで当選したいのは、そこには議員としての利益があるからとしか思えない。
今日も多くの時間があり、有効に経費削減して復興への活動をする。朝一番の活動は被災地の状況報告のこのブログで、今日の寒さは戸倉地区折立の風景から伺えるだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:49 】

2013
11/12

津波の教えの碑の下で


昨日は午前に気仙沼に出かけ、納税証明書をもらいに行った。
震災から2年8か月の経つこの日、月命日でもあり、警察・消防の不明者捜索が展開されているとラジオは伝えていた。
震災から4か月目には事業の一部を再開した。国民金融公庫からの借り入れで、設備の一部を整備し始めた。自分自身での二分の一の事業再建補助事業の申請で、5百万円の補助が5か月間を要して交付された。そして今日に「事業復興型雇用創出助成金」の申請に県庁まで出かける。多くの書類の提出に各所を奔走し1週間掛かった。勿論一回で申請が済む訳もなく、何回か県庁に出向く事は必至だ。
県の助成金申請は国庫資金であり、助成の審査は厳しく事業再建助成でも、やり取りが5回で最終でも、2人の県職員が書類の不備と計画確認で来社し、これで全てが済み振込となった。書類は幾度となく書き直した。私の知能のなさにも原因はある。
多くはコンサルタントや商工・観光・会議所などが仲介役として、書類作成を支援してくれる。人との係わりや一緒に事にあたる事が苦手で、一人で夜も眠らず目標に向かうのが私のこれまでの生き方でした。
今回の選挙も多くの人たちとの接点もあったが、情報作成の自己のノウハウを最大限に活用しアピールしたが、一方通行だった事は否めない。
昨日は地域の人達の何軒かに顔をだした。「本浜地区の再建に取り組みます」と会報を配った。その中で今回の選挙は「今まで来ない人が多く来た」と言う。仮設生活者の一軒一軒を各議員が、直接顔を出し名刺を配り「お願いします」と回ったという。人と直接会う事の大切さと必要が、投票行動に繋がった結果を知る。判ってはいたが私には「新聞」「会報」で活動を伝えたとの自信があった。しかし、直性会い話す事で印象はまるで違うと言う。おごりと過信があった。「千葉君大丈夫だよ、新聞を被災後も続けてるんだもの、これは大きい!」と同僚の一言にやられた。この過信が仇となった。自分の甘さその物だった。
57年間生きてきて、その性格は変わる事もなく、今後も自分のやり方で生きていく。小泉地区の「津波教え」は大きい地震が来たら逃げる。天災は自助があり余裕があったら共助で、情報の把握と適切な対処であり、常々の準備と心がけだと思う。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:52 】

2013
11/11

電波が届かない


テレビがまるっきり映らない。震災から電気が開通し2か月目にテレビが見れ、震災情報がはっきり伝わった。私はワンセグで車で見ていたが、ワンセグの電波も限られた場所だけで、全ての放送局が見れる訳でもなかった。
そんな電気がある現在、先ごろまでテレビはNHKしか映らない日が一週間続き、電機屋さんを呼び調整してもらった。震災後に商工団地の会社倉庫には2軒ま、鉄骨の工場ができた。いま建設中の鉄骨と覆うシートが電波を妨害していると言う。アンテナを感度の良い物にしたが、いまたに放送が時々閉じる。2万5千円の経費が掛かり、仕事の無い現在はきつい。
被災地の建設事情の厳しい中で、一足先に工場建設を始めた、愛知の建設会社の利点は、材料の高騰ながなく順調に資材が入る事だった。しかし、大工さんなどの工務店は宮城での確保があり、大工の需要の飽和で工務店が自社の仕事を優先し、代行の仕事は二の次の現状があり、ここ2か月工事が止まっている。冬の寒さと板が氷り、その耐久性の減少を懸念する。父は言う、金払う必要ない、裁判にかける。朝からそんな重い話を父はぶつけてくる。
「今生の別れ」と父の40年来の友人は言う。東京から仲間のバスツアーに便乗し南三陸町に来た。最後の二人の出会いを私は見届けたが、この二人はまだまだ元気だ。決して最後の別れにはならないと思う。
フィリピン上陸の台風30号は最大風速90メートルと言い、レイテ島で1万人を超えると言う。地球的気象異常の影響があり、我が町とて現在の状態は危険で、嵩上げ高台移転は当然の再建事業です。小さな島々は数mの異常高潮により1K内陸先まで水没し、まさに津波と同じである。
「人生いろいろ」の島倉千代子さんが73歳で肝臓がんで亡くなった。彼女の人生も波瀾万丈だった。生きていればいい日がくると、シルバーの勝倉理事長も言っていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:21 】

2013
11/10

戸倉剣道の教え子の成長


今日の夕方に父の友人が東京から来る。
國誠流詩吟会での出会いは、40年前にもさかのぼる。前教育委員会教育長の田生さんが国学院大学での詩吟との出会いが、先代荒國誠先生との繋がりを生み、志津川地区に「宮城吟詠会志津川」を発足させた。ここから全国の詩吟会の会員との出会いが生まれ、ホテル観洋での「宮城大会」の開催は、田生さんと父親などの会員が総出で会を盛り上げ、その中に今回の父の友人の「土屋さん」がおり、40年来の友人となった。90歳と父と同じ年齢で、震災後も早く亡くなられた旦那さんの、まだ腕を通してない衣類を沢山支援してくれた。
「今回は多分最後の旅行です」「千葉さんと会えるのが楽しみです」と言う。震災後は私との電話での会話が多く、「お父様を大切に」と最後にいつも話す。柔い食べ物少し送りましたと連絡を受け、お土産に何かという事で名産の「海苔」を準備した。昨夕知人が来て「あわび開口」になったのでと、あわびを持って来てくれた。大きめの物を2個お土産にプラスした。きっと喜んでくれるだろう。
父の社交吟友の仲間も高齢となったり、病気や震災死により信頼できる人が減った。90歳を迎え、吟友との最後となる再開の締めくくりが、今日実現する。
昨日の荒町海円寺墓地での恩人の葬儀は、野外での開催ながら雲一つない青空の、温かい陽気の元で行われた。弔辞に立ったのは私の剣道の教え子で、恩人の甥にあたる。2年ぐらいの在籍ながら、機敏性と力強さと適応力を持つ子で5年生だった。自衛隊に入隊し20歳ぐらいだろうか。優しい伯父さんとの多くの思い出に、送る言葉は涙で言葉にならなかった。感受性の強い優しい自分が求めた大人になっていた。こうした親戚家族が生まれ育った地域を担っていく。
一つの仕事を終え、毎日時間をもてあましている。さっき以前の同僚が心配して電話をくれた。「なんて電話してよいか、4年間長いようで短い」と、私の支援者の「声」の代弁をお願いした。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:40 】

2013
11/09

名足小の児童の学区帰還


できる事からと色々とチャレンジするも、ことごとく障害があり、それをクリアするには過去の歩みの問題と父は言う。これを振り返っても今となってはどうにもならない。支援してくれた方々にどうして返そうか思案する日も、あの日から13日目を迎えた。
先ごろ、戸倉中学校へ業員に写真を撮ってもらった。この場所をどうするかも町の問題としてある。多くの震災の出来事があったが、風化しないよう語り継ぎ、校舎をどうするかは志中統合により、戸倉学区の今後の在り方をどうするかがある。
そんな中で被災した歌津学区の「名足小学校」が震災の津波で壊滅からの再建を果たした。一階部の冠水があり、一階の教室を全て2階以上に移し、二階から避難できるような、津波防災体制の構築をして、8日の昨日学校の復旧を果たした。「伊里前小学校と併設となり、私たちは学校に移れた事、伊里前のお友達が一緒に遊んでくれた事、多くの全国からの支援に感謝します」と大人びた言葉をテレビで答えていた。
父親分の相続されない15分の6の土地を、自分に相続した。これは換地審議委員会に立候補する為だったが、後二人の伯父叔母と3人の既に亡くなっている相続権利者の承諾が必要と、担当課が昨夕説明に来た。ギリギリ8日に父の土地を相続し、これからと言う矢先に、他の15名の承諾は土地買取から相続の難しさを知っての断念と、同じ理由から諦めざるおえなくなった。10日間で全国に散らばる相続権利者15名からの承認は困難だからだ。換地問題の地域の皆さんのお手伝いと言う観点から活動しようとしていた。
この現実は直視しないといけなく、出来る事から取り組む事で、心の落ち着きを自分に言い聞かせている。今から葬儀に行く。「合掌」。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:43 】

2013
11/08

行政の中枢への足はいまだに重く


一昨日の夕方に「町民の悩み」を行政に伝えに出かけた。その時に撮った役場前の志津川市街地の高台移転の、東工区東の現風景です。昨日も来町された方が、同じ風景をカメラに収めていた。
今日もこれから気仙沼の法務局へ向かう。途中までの母の施設に父を送っていく。朝7時前に、向かいのローソンに母へのおやつを買っていた。「プリンでいいよな」の問いに、そっけなく「いいんじゃない」、これが千葉家の会話です。
帰ってから恩人の急逝の火葬に向かいます。
また、選挙がある。「換地審議委員会」で公平公正に土地換地を図るための委員の選出です。有識者3名と12名を換地対象となる地権者から選ばれる。私の祖父の土地もあり、6名が権利を有するが3名は既に亡くなっている。
意見の言えない弱者の代弁者として、父の買い上げとならない土地の相続をしている。時間がギリギリ8日で、まだ、この権利を得られるかは微妙だ。議員でなくなり、そんなにやりにくい訳でもないが、今も課長・職員が気を使ってくれる。別な立場で被災地の被災町民の役に少しでもなっていきたい。
昨日も「戸建の土地」が「公営住宅」で悩んでいると電話がきた。役場から係が来て「どうしますか」と聞くも、両方書きましたが、これでもまだ大丈夫ですか? に、高台移転事業は移転する被災住民の数の分しか、基本的には予算が出ない。だから職員が住民の意向確認に出向いている。と話した。
ある人が言っていた。「はっきり何処かも、どんな形かも見えない場所を、選択できるか。」だ。「終の棲家」「家族で暮らす場所」の選択に、迷う事は当然と思った。しかし、こんな苦渋の決断が被災後に幾度となく町民には訪れる。こんな心境に精神的にも立ち直れない現状に今もある。
ハードの面はお金でどうともなるが、ソフトの心のケアと手厚い支援は、まだまだ手薄い。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:58 】

2013
11/07

しなければならない事を淡々と


昨日は知人のお父さんの逝去に気仙沼まで行った。今まで通りの行動にと取り組んでいる。
昨日夕方は登米市に親戚筋にお詫びで出かけて。「選挙は厳しいんだ」「地域の人がさっぱり来ない」など、選挙運動の不備を指摘された。志津川は地域・縁故の強い特有な町であり、「親戚が少ないお前は人一倍努力しないといけない。知人友人の協力支援なしには当選は厳しい」と、一括された。
夕方、会社に戻ると知人の突然の逝去が知った。前回の選挙でいっぱいお世話になった方で、夜に線香を手向けに行った。
帰ると友人がアルバイトを紹介した方の電話を教えてと連絡があった。相手側に電話すると「何と電話したらと考えていた」と話してくれた。「期日前に母と行きました」、本当に感謝しかなく、昼間も「千葉さんが落ちてくやしい」と激励の話しを聞いた。多くの支援者・社員の為にも、やれる事をしようと思う。
朝6時前に父が起き、「今日は何処に行くの」と聞く、「そんなにする必要があるのか」と、昨日の行動を指摘する。私を心配しての事と思うが、気持ちは解るが議員職がなくなったら、何もしなくていいなんて思えない。やれる事を淡々とするしかない。
写真は上の山避難所の下で、ローラー車が2.3日前から止まっていた。昨日はトラックで土が持ち込まれ嵩上げが始まっていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:32 】

2013
11/06

皆さんの為できる事を一歩づつ


昨日は役場企画課へ行く。「前議員の千葉です」で課の受付へ、課長が「どうぞ」と招いてくれた。議員でない今は自分の立場を考慮し担当課へ、申し入れをする。これが議員に落選した行政への私の対しかたです。
選挙期間中に「町の巡回バスを一本増やしてほしい」との仮設生活者の要望を伝えた。限られた予算での仮設と病院・役場の巡回バスの運行があり、登米市にある病院と仮設のバス運行経費が大きく係っている。行政が設置した町の施設、町長が決定した震災体制に、住民の生活支援として提供ば絶対である。
提案された要望は、町の財政は厳しい中で、「病院の診察を巡回バスに合わせてもらうような病院の体制づくり」が語られた。私としても「直ぐではないが巡回バスの少ない料金の有料化」も、長引く復興を視野に検討も必要と思う。行政の被災者の再建の為にも「何とか無料の継続を」と望むばかりです。
「緊急雇用の延長を」との声もあった。仮設の生活は仕事で働く事で安心感を得られる。「いくらでもいいんです働く場が欲しいのです」は、息子さんと共に暮らすお母さんの声だった。「今後延長となるでしょう」の答えに、私も当然と思っている。
二つが議員職をなくしての私の行動です。
私用で「障害者手帳の交付」を昨日は受けた。父が心臓のペースメーカーの体内への埋め込みにより、障害者となった。
医療費免除・高速料金無料・携帯電話基本料金半額・ホームヘルパー派遣無料など、日本の社会保障の制度充実がある。国民年金の制度の元にこうした障害者への生活保障がある。私の亡くなった叔母は失明で、年間90万円の生活保障を受け取って、何とか生活できると言っていた。25年前の事ながら日本の社会保障に救われた。
大震災の被災者への生活支援も日本の制度にある。被災自治体にも多くの町再生の復興交付金がある。年間100兆余りの予算での国運営の元で、現在1000兆の借金があり、アメリカに160兆を貸している。
3日の文化祭、高齢者の元気な活動に「ほっと」させられる。しかし、仮設で涙ぐむお母さんの不安な姿を思い、全ての人が同じとは言えない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:57 】

2013
11/05

和尚様に恥じない生き方をします


私が議員に立候補する時に、被災し復興に取り組む時も、蔭ながら私を支援してくれた和尚様を思い出す。
大津波によりお寺は流失し、民生委員長として仮設の入居の抽選会会場で会い、「がんばれよ」と硬い握手の感触を今でも覚えている。国際交流協会の会長もなされていた。その方の突然の自死に、復興への行政の改革が閉ざされたと感じた。
悪い事は悪い、していけない事は絶対許さない、強く正しい生き方を示し諭してくれた方だった。間違った事に加担し震災復興を利用し、ぬくぬくと震災利益に膨らむ者がまかりとおる。こんな町に志津川はなってしまった。
ある人が「こんな町はない」とか、「こんな行政トップはいない」と言っていた。負け犬の遠吠えではなく、今変えないと復興は誰の為のものか判らなくなる。「町民の為の行政、行政は町民の為に」とスローガンに掲げた先輩がいた。これを選挙公報で訴えないと、町民は気づかないから、これを唱った。
アメリカの大統領の「国民の国民よる国問のための政治」があり、民主主義の根幹がこの町には欠如しつつある。今回は与野党の構図は「10対4」となり、2名もグレーだがハッキリ野党とはならない気がする。町民の為の議会制民主主義となる事を祈りたい。
新人の2人は安定議会運営の根回しと捉えている。そんな事よりも正しい復興への加速に取り組めば、議会はおのずとついてくる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:19 】

2013
11/04

子供たちの活動に親が見つめる


戸倉地区の中学校の活動を、「防災庁舎慰霊祭」の終了後に見に行った。
「STAR」~守りたいことがある~と題された、戸中祭の学年別総合学習と合唱を見てきた。学習発表は学年別の行われ、一年は「戸倉を知る」、二年は「戸倉を考える」、三年は「戸倉を作ろう」が研究でその成果を発表した。
戸倉地区の養殖についての研究で、生産と共に販売の必要性を訴えていた。戸倉地区からの発信の「戸倉弁当」は、生徒の独自の弁当の校正と中身に、新たな南三陸の産品のヒントがある気がした。復興への取り組みとして「グッズ」の制作があり、タコの醤油差し提案は、イエス工房に提案を聞いてもらい「面白い」と言われた。と言う。価格の事から制作面で「中国製」でという中身まで検討された。逆に震災木での別な製品の開発も取り組んでみてはと話され、戸中の町への提案が現実も物になるかは、今後も学校で取り組むだろう。
26年度の志津川中学校との統合があり、新たな志津川の学区の中学校形成で、生徒たちの素晴らしいアイデアが、町の企画として採用される事を願いたい。
最後の公務は気持ちを静め臨んだ。議会議員からの撤退は意とする事ではないが、一般人となり町の震災復興に何が出来るか、今後の自分の課題として考えたい。
ローン返済までの15年間で工場・自宅の2500万に全力であたり、病気に本気で共生を考え、これが終わった時点で、余生をどうするかを考えたい、この時には72歳を迎える。両親をいかに送り出すかも自分に課せられた使命、「親より先に逝く」事だけは回避したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:47 】

2013
11/03

被災地に潜む危険


10月の月末31日に被災地南三陸町で起こるべき事故が発生した。新井田に架かる気仙沼線の高架橋に車に積んだ重機がぶつかり落下し、走っていた車が衝突した。
午後2時45分発生で町中が大渋滞となった事は以前にブログで発信した。今朝この場所を通ると今も「重機」が道路脇に置かれていた。セブン前と当初は聴いたが、このBRTの鉄道の高架橋七の道路は、高台移転の大型工事が進む中で、大型機材は工事の進捗を早める機能を有するが、大型工事の「牛歩のごとく」進まない現状に機材の運搬が難しい、リアスの海岸線の中の狭い交通網としての道路・鉄路の現状がある。
11月の8日から名足小学校が震災から、元の校舎へと移り子供たちの学校生活が始まる。それに先駆けで併設となった伊里前小からの移転があり、歌津の伊里前学区のPTAの皆さんが、名足学校の備品を伊里前小から、元の名足小への引っ越しを手伝った。
名足の学校の被災した一階から二階部に教室を移し、校舎二階からの避難ができるように避難路を確保しての学校再会となった。地元地区民の要望も高く、小学校の名足の浜区の早期の再開校となった。
しばらくは政治への批判は、落選の愚痴になるので控えたい。
自宅住宅の建設が1か月余り止まっている。地元の業者でない事も原因に上げられる。町民の皆さんの住宅建設への力になればと始めた建設です。補助制度の申請の仕方や、ローン申請の方法を教える為に早期の建設をおこないまた。今の現実の厳しさは、住宅再建を28年度30年度となったら、これ以上厳しい物となるだろう。住宅建設者も他県の業者にしのは、県内の建設会社・ハウスメーカーの不足解決の方策でもあったが、これも被災地の建設ラッシュの改善は難しいと解った。
普通の立場になり、今できる事は4年間の経験と、繋がりを活用し皆さんの為に使いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:57 】

2013
11/02

防災庁舎解体!


震災後の大混乱の中で、殉職遺族の意向は「防災庁舎早期解体」があった。これを見ると悲しみが蘇る。津波の恐怖が襲う。など、多くの皆さんの想いの中で、議会で「解体を!」と私も町長に求めた。
町のだけの遺構ではなく、この震災を「日本」「世界」語り継ぐためにも残すべき、遺族との子供達のためにも庁舎解体を考えるべきと、3つの要望書がだされ、議会で幾度となく議論された。あれから2年半が過ぎ、今日この「追悼式」を迎える。
同僚と顔を合わせるのは・・・と思うが、公務と受け止め最初からでるつもりだった。今日の追悼式典も立ち会えない町民の皆さんに伝えたい。写真のテントで座る事は初めだけにしたい。
とりあえず選挙の形跡は全て自分の目線から取り除いた。しかし、見回す全てに多くの関わってくれた皆さんの顔が浮かぶ。積み上げられた足跡が至る所に残る。もっと時間がかかりそうだ。

今日は休もうかな!

今日9時30分から戸倉中学校の最後の文化祭がアリーナである。追悼式が終わってから見に行くつもりです。体が空いている方には、一つの町の学校の最後の文化祭を是非見にいきましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:03 】

2013
11/01

予想していた被災地の事故発生


昨日も旧十日町の上の山の下に多くのボランティアの姿を沢山見た。選挙中にも福祉の里の下に雨の中で作業をする姿に、選挙の支援に来た私の剣道の教え子は、「ボランティアさんの目が辛い」と言っていた。こんな状況が2年半も続く中で、何も東京にいてできない自分への、故郷へのいら立ちからだろうか。「被災後に君も活動したいたじゃない」と話した。彼女も友だちとボランティア活動に来て、私の仮設で1週間弱生活した事を思い出す。

昨日は志津川市街地は大混乱となった。昔から主要道路は国道45号しかなく、事故が起こると町中は大混乱となったが、う回路は町に沢山あった。現在は工事のトラックそして復興関連の車両が、以前の数倍は走り町内の嵩上げもあり、う回路も無い状況による大渋滞となった。事故現場は天王前のコンビニ付近であり、大型トラックの荷台のユンボが落下し乗用車が巻き込まれた。事故現場の広い範囲は警察の交通規制となり、事故状況は見れなかったが、怪我人は救急で運ばれたが軽傷で済んだと言う。う回路は大きく魚市場を廻りアリーナを迂回し気仙沼へ、渋滞は1Kにも及ぶとラジオは伝えていた。大型トラックは狭い道路を通り二次事故の発生も心配した。渋滞は午後の2時から5時と、通勤時間でなかった事と夜でなかった事が、せめてもの救いとなった、

昨日も帰ると父は言う。「お前に入れるな」と入谷で選挙妨害があったと、父は告訴した方がいいんじゃないかと話す。そんな連絡がはいった事で、夜中から、朝もその話から始まった。私に何ができようか? 公正な選挙の励行は選挙では当然であり、後援会会報配布で個別訪問とはならない活動をし、勿論お金を使った選挙運動もない。選挙前から続けて来た定例会全てで質問など議員活動があり、選挙道具も以前に使用した物を活用し、前回は80万円使い、今回は50万円にも至らなかった。

昨日も会社社長に呼び止められ、選挙分析された。選挙前の選挙活動が必要」と。事前運動は何も考えず、選挙前に「後援会会報」で町の現状と、4年間の活動を伝えた。選挙前の9月議会でも一人1時間30分の時間をフルに使い、町長の復興計画を問い正し追求した。
選挙前の事前運動する事よりも、自分の議員としての活動・仕事で、南三陸町議会議員の自分を見てもらう事が、一番の町民からの指示に繋がる、と思っていた。それが甘と言われ、自分の奢りであり、志津川被災地の分析の欠如の、トリプル打撃となった。しかし、結果はどうあれ、286票の指示に恥じない行動を今後も続けたい。

日中も「ふと」時間の狭間でそんな事を考えてしまう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:10 】


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