FC2ブログ

ARCHIVE - 2013年10月

2013
10/09

仮設で死にたくない


昨日は「千葉のぶたか後援会会報」を一人で、志津川市街地で家屋が流失し、仮設で暮らす志津川と入谷地区に建てられた仮設の方々を廻った。
役場の周辺にある「沼田仮設」では、知人のおばさんに「議員はいったい何をしてるの!」と怒られた。町の行政の事を常々心配されている中で、町長と議会のやり取りの報道を注視していた方でもあり、議会議員の活動に不信感を持ち、町長には反感が無かった事に不思議を思った。役場向かいの東浜地区の造成は、写真の通りキューピッチだが、病院は27年度末で戸建・公営住宅は27年度末から順次入居で、29年度末が全て完了の計画を立てている。
CIMG3904.jpg
小森仮設に行くと以前は無かった新築の家が5軒も建設、あるいは建設中だった。48戸の仮設ながら空き部屋が1~2戸しか無かった。
ここで同級生の仮設が3戸もあった。怠慢で判らなかった訳ではなく、本当に多忙だったし被災民は同級生だけではなく、南三陸町民の7割が何がしか被害を受け、全てに目を配らないといけない。突っ走って来た2年7か月であった。
町内に仮設を得た人は流出とはなっていなく、登米市南方は空室が多く、仮設入居が300戸と少ししか無い気がする。郵便ポストはチラシでいっぱいとなっている所もあった。
この場所への町民生活を守るための移転は、人口減への大きな政策の失敗と確信した。荒町仮設200戸建設を達成できなかった事を今も悔やむ。
CIMG3907.jpg
ここを何処かお判りだろうか。昔あった「小森自動車教習所」で、被災後は被災車両の置き場として、この後は高校生のバイク練習場として使われ、現在は良く見ると基礎瓦礫置き場のようだ。
町中の病院・工場跡地の基礎瓦礫の破砕で終わりが、まだまだこんな所に持ち込まれていた。決して行政のあら捜しではなく、南三陸町の被災地の現状が厳しく、今も残っている事を示していた。
CIMG3912.jpg
あんなに山と積まれた震災瓦礫そして基礎瓦礫が1年半で片付いた、このスピードに驚かされる。何故と分析すると、一極集中の工事のやり方と私は思う。
町の志津川地区の津波拠点事業による高台造成は、大部分が29年度末を予定している。早期の完了の事業展開の方法が在るはずだが、その完成時期の短縮方法は現行政のトップは、すもつもりもない現在までの復興事業となっている。
今日は入谷の奥地に建設された仮設を廻る。また、その状況を伝えたい。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:19 】


TOP