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ARCHIVE - 2013年09月

2013
09/12

議会に対する姿勢は


昨日、自分の質問が終わった。成果はと言われると、今まで通りの計画で復興をしていくと行政からの答えだった。防災庁舎は今後も解体は検討する。早期の住宅再建は計画どおり進んでいるが。少しの遅れがある。合併特例債の使い道は、新庁舎建設は「新町づくり審議会」で建設の必要なしとの判断があり、特別枠の債務としての資金は防災整備などに活用された。町長の権限による「新町庁舎建設」がなされていたならと強く思い、震災の犠牲者も減ったと私はと確信する。
写真は、平成の森の仮設住宅で、イオンの販売車が来ている事を初めて知った。

4年間の私の議会活動を檀上にて述べさせてもらった。
私の議員としてのスタートは、行政の入札や政策の中身について、多くの疑問や怒りから、議員への立候補を告示ギリギリで決断しました。予算の使われ方、職員の「町民の公僕」であるはずの公務員の在り方など、町長に多くの疑問をぶつけて、改善・見直しの気風が高まってきた時の、今回の「東日本大震災」の大津波がありました。
町が壊滅的状況となり、被災者の安否確認や、被災地の情報発信、スポーツ少年団の維持支援、大地震の記録収集をしながら、議員としての被災住民の声を、町の担当部署に伝え住民支援を続けてきました。長いようで短い2年半だったと私は感じています。住民雇用も会社の再建も進め、5か月目には仕事も再開し1人から2人と、被災地で頑張っている住民の、少しではありますが、雇用をして住民の生活再建支援をしてきました。しかし、一人の議員の発言の弱さを痛感したスタート、被災直後でありました。
被災後の行政の講じた復興政策の疑問点を付き、改善・修正を求めてきたが、仮設の登米市への建設、防災庁舎問題、戸倉ゴルフ場跡地利用、産業廃棄物の出土があり、町としての存続に繋がる町民の流出が進む中で、その適切な対策を今だに取れてなく。各地区の防集事業、志津川地区の津波拠点整備事業がなかなか進捗が遅いように感じます。このような状況となっている事を、私個人ならず住民の多くが行政への怒りを持ち、「町民の声」への町の政策が解決とならないままで、現在に至る経緯があります。住民の生活再建よりも、商工業出身の行政トップなのか、商工・観光を第一かのような、行政の復興への考え方が進められているように見えます。苦しい・悲しい・辛い環境の、被災民の「怒りの声」が、私の行動のエネルギーとなっています。
こうした「復興計画」の元で、町長の事業展開に対して、被災住民の多くの悲しみを救うためにも、町長の4年間の政治活動について質問し、今後への対策を伺います。

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