ARCHIVE - 2013年09月

2013
09/30

子供達が家族で遊べる場所を


歌津地区は広く地区民の事を考えている。伊里前福幸商店街の脇には、家族でも遊べるスペースがあった。何も無くなった市街地に、学校の校庭も仮設が建設され、のんびりとちょっとした家族でくつろげる場所と、市街地の高台に近い場所に、小さな遊園地をあった。
先日に連休のモクモクランドでの人盛りの場所に行ってみた。そこには木造の大型遊具が二基とベンチ、そして広い芝生があった。ここに多くの子供連れの家族がいた。その他にもくつろげる場所がランドにはある。勿論食事処も何カ所かある。直売所には味付けご飯やお餅なんかもあった気がする。
南三陸町の志津川地区にはこうした家族が、子供連れの観光客が遊べる場所が一か所も無い。被災から2年半が経ち、観光の商店街での食事・買い物の場があっても、精神的にくつろげる場所の設置をしない事に疑問に思う。復興事業が大変なのは誰しも解るが、まだまだ続く復興事業がある中で、こうした精神的にゆとりを育む場所は、小さい子供を持つ家族には必要と思うが、行政に考えて欲しい。
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オリンピックが「東京開催」と決まり、猪瀬知事は「お・も・て・な・し」の心を持って誘致から本番に動き始まった。
東京カジノ構想があり、東京湾に大型客船を浮かべ、来客を迎えたいと言っている。
日本は「パチンコ業」の発展が衰えはあるものの、その拡大はまだまだ続いている。業界の売り上げは「12.1兆」と言っていた。競馬・競艇などのギャンブルと言われる物があるが、そのデータの差に驚いた。
9月中の県の5次義援金が出ると言っていたが、被災し仮設で生活する3県の生活者の多くが、「パチンコ」に走っていると言う噂を聞く。一日も早く被災前のような生活に帰る事を望む。それは仕事に付く事しかなく、水産業の再生での「工場誘致」が近道のように思うが。
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2013
09/29

入谷街道は住宅ラッシュ


今日は気仙沼・本吉郡中学校剣道大会新人戦が歌津中学校であった。生徒の頑張りを見届けようと出かけてみた。
男子団体は6チームの総当たりで、5人がそろっての出場は3チームで、1試合目の接戦の中で3対2で勝った事が大きく、その一試合目の先鋒「行場」の2対0の勝利が優勝に導いた。2試合目の連勝中の歌津中とは一身一体で、引き分けで3試合まで進み、副将「及川」が接戦の末、面2本で勝ち大将が引き分け、前半の2勝で「志中の優勝を確信」し、見届けて会場を去った。総合力の勝利だが先鋒・中堅・大将の安定感があり、行場の成長とチームハークが良い結果をもたらした。
その後で入谷地区の親戚を訪ねた。途中には日が良いのか上棟式が二軒あり、信倉線沿いには「地鎮祭」の竹が刺されてあった。
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もう待てない!が被災住民の本音だろう。年月が3から5年かかると、手持ちのお金が枯渇するとの話しが、早期住宅建設・生活再建の理由と言う。
私の病院と薬代に驚いた。悪い病気は糖尿病で、診察には血糖値検査キッドがあり、飲み薬とインスリンがある。先生からは「節制してますね」とお褒めの言葉を頂いた。ヘモグロビン数が4か月前は「11」だったのに、9.8から昨日の「8.6」と、確実に食事療法とお酒を3分の1にし、改善へと繋がった。しかし、診察は7千円と薬代は1万円かかり、一か月8500円、年間で10万の医療費となる。体の節制無しだと「失明」「透析」へと、合併症となる。糖尿予備軍の皆さんにはこんな最終的な症状にならないよう、今から家族そして自分の為に、本気の治療に取り組んで欲しい。私の第一の転機は20年前の「甲状腺ガン」の時にあったが、食事療法と適切な食事治療を怠った事が、今回の失明寸前となった。
大事に至る前には必ず転機があり、気付くか、そのままにしておくかの選択肢があった。阪大のミスが大事態を生む!

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2013
09/28

昨夜7時火災発生


一昨日は夜7時に晩御飯に箸をつけようとしたら、町づくり協議会から電話がきた。「今日は来ないのですか」だった。通知の電話はあったが、返事をしていなかった為だが、出かけて判った。出席者が8名しかいなく、会員の多忙でワークショップの議論が少ない事での連絡と思った。傍聴者にも議論に加わって頂き、多くの考えと提案となった。
そして昨日は、これも夜7時でいつもと違うサイレンが聞こえてきた。救急・パトカーでもない音は「火事!」とわかった。「入大船のバス停付近の民家火災です」との防災無線で、混乱があってはと思い、朝に現状を確認にいった。バス停に人がいたので聞くと、「このまだ先で風呂場のボヤでした」と教えてもらい、大事に至らなくて安堵した。写真は信倉線の入口でここから入谷に抜けられる。鎮火には30分を要したが、アリーナの消防署から15分は掛かるだろうか、消防団の活動と消火栓があるのか、水尻川の上流で防火水は確保できたのかと、今後の被災地の火災を心配する。
他人事ではなく、我が家は90歳の父が私が出社すると、一人で食事の支度をする。認知の初期と判断するが、別な仕事をしてしまうと一方の事を忘れてしまう。既に鍋の焦がしで終わっているが数回を数える。高齢化や核家族化が進み、私の家だけの問題でない事を、南三陸町の仮設生活者の独居老人宅が多い現実でも判る。

一昨日の楽天優勝が被災地に元気を与えてくれた。さんさん商店街の仮設広場では地元の楽天ファンが集まり、皆で優勝のビール掛けをしている風景がテレビで流れた。同級生が南三陸町楽天応援団長で、万歳三唱では顔をクシャクシャにして、喜びを爆発していた。多くの仲間が涙・涙があり、見ているだけで自分もこの場にいる感じが得られた。楽天の県内への優勝の経済効果は139億と試算し、日本一になると1.6倍の223億と言う。これが県内の小売業も入れると、楽天優勝効果は宮城DCを遥かに超える。

昨日は銀行がローン契約の問題点を言ってきた。私の糖尿病は深刻で銀行の保証協会での承認が得られず、別な形での提案を持ってきた。支払うだけの資金の裏づけだった。生命保険がありますと、父を保障に付け預金を提示し、又これで審査に掛けると言う。まったくである。私の状況でこれだと、町内の1000戸を超える再建の資金策でも厳しい現実が待っている気がする。

被災前に戸倉剣道スポーツ少年団の子供たちと、楽天スタジアムに出かけた事を朝思い出した。4年前になるだろうか、苦節9年目の優勝の丁度中間地点にあった。

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2013
09/27

若者の議会選挙出馬に大拍手


昨日は午前に気仙沼に行った。父親の障害者申請が市町村の「社会福祉事務所」とあったので、志津川福祉事務所と勘違いし出かけた。ジャスコ向かいに県の仮設事務所が建てられ、行ってみると福祉関係は新城にありますと、今度はそっちに行くと町の担当部署での扱いとなりますと言う、1時間無駄な時間を過ごした。帰りに小泉の瓦礫処理場が解体されていたので、写真を撮ろうと小泉橋の袂から、一円を眺めると震災後から何も変わっていなく、BRTのバス停と気仙沼線が道路に変わっていた。
今まで頼んでいた「クリーニング店」さんが9月で閉店となり、本吉の店に貯めていた10枚のYシャツを持っていった。不便の何物でもなく、もっと多くの生活に必要な店が、一日も早く出来る事を願うのは私ばかりではない。
昨日は報道関係者から「町長出場会見」と「防災庁舎解体会見」が今日あると聞いた。11時30分からの歌津地区の敬老会があり、その中で1時からと聞いた。しかし、出馬の政策発表は2時30分で、4時からの通常会見で防災庁舎解体を苦渋の決断と涙に声が詰まって話した。資金面と復興の妨げになり、42名の死者も出し、解体をと願う町民の声を、ギリギリまで伸ばして結局は解体となった。一番は保存の財源だろう、政府からの資金が出ないと決定し、1億も解体に掛かる現実と、町づくりの支障が最大の原因だろう。

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2013
09/26

老兵は死なず 生きてきた術を語る


昨日は志津川地区の「敬老会」がホテルで開かれた。77歳の喜寿を迎えた方が102名となり、敬老会の仲間入りし、志津川地区の77歳以上は1113名で、この日は320名が参加した。被災の年は開催されず、昨年初めて震災後開催されたが、厳しい環境で参加者あったものの、今年は昨年を遥かに超える方々が参加した。町内の100歳以上は9名でトップは104歳の志津川の女性の方です。77歳以上は2541名を数えた。
その一人で87歳の方の葬儀があり、孫の弔辞に「家を建て送り出したかった」「海の上は寒いから一枚余計に着ていけ」など、多くの事を祖父から学んだと言う。しかし、何もできなかったと悔やんでいた。家督として祖父・父親の後を継ぎ、今、漁業についている事が最大の、祖父孝行と私は思います。
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袖浜の荒沢神社の「太郎坊杉」が塩害の為に伐採されるとの話を聞き、昨日、神社を訪れると遠藤宮司さんが居たので話を聞くと、「そんな事はない」と言われ安心した。小学生の頃の遠足に「太郎坊杉」を見に行った事を思い出す。あれから50年の月日にも「凛」として鎮座する。樹齢800年と言い、高さは30mにもなる。
伊達藩の良材として杉が植えられ、その二本が文化財指定を受けた。「次郎坊杉」は昭和33年の台風で倒れ、現在太郎坊が袖浜の海岸線を見守る。最近、今回の津波をかぶり塩害となった杉の4本を切ったと言う、大きなもので直径は1mを超えるが、この比ではなく太郎坊は3mを超えるようだ。戦国時代から幾多の津波・台風の天災にも負けず、南三陸町志津川で生き続けている。「南三陸町からこれ以上人が去って行く事を阻止したい」、これが今最大の私の願いだ。
「皆さんの一票で新しい南三陸町の未来が築かれます。10月27日の投票に行きましょう。」一票を投じた方に、子供たちの暮らす生まれ変わる南三陸町を託し作られ、将来へと子供たちに引き継がれます。そんな大切な一票です。太郎坊杉のように未来永劫まで南三陸町を存続したい。大好きな旧志津川町の「海・山・川・人」を語り継ぎ残したい。

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2013
09/25

我が町はジオパーク


連休で被災地でなかなか行けない場所に足を運んだ。
写真は折立漁港で、先月までの工事進捗率は10%にも達していない、復旧工事の進められている所です。毎日のように隣接の道路は通過しているものの、そこからが中には入れなかった。この光景に復旧の厳しさを感じる。護岸は捲られ何処から工事を始め、漁港の再生を図るかの現実を、漁民から行政は早期復旧を要請されている。何故かと言うと来年1月から始まる「ワカメ収穫」の水揚げ場・船着き場しての場所を求めている。現在はワカメの再生で漁民の収入はこの地区でも大きなものとなっている。
折立川には釣り人が居た、各地区の工事の復旧場所にも日曜日は、釣り人の姿も少なくない。魚の住む環境が再生し、魚に釣り人が集まってきている
気仙沼から南三陸町の海底や地形が特有である事が判明し、「ジオパーク」の指定がなされたと、朝のラジオで放送された。昔からの地形であり明治・大正・昭和の大津波の発生があり、今回の津波の大被害で、地質の捜査も技術革新から、分析を重ね特有の地形と指定された。地形は数千年の年月で形成され、今に至っている。この指定で政府の津波防災の特別な政策が講じられる事を願うしかない。
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八幡川にも連休とあり家族連れが、釣り糸を垂れる姿があった。
旧くろしおグランンドの前あたりになる場所に、写真の姿を見る。昔は「ハゼの宝庫」で多くの釣り人が町外からも、南三陸町志津川の3河川に集まった。被災しまだ時が立たない時分も、大型のハゼが連れたと話を聴く。被災前は多くの釣り客が、竿にかかる小さな魚まで釣り持ち帰っていた。それが自然のままに2年が経過し、釣り人も少なく魚体も大きくなっていた。川底は土砂が積もりながら、魚の生活する藻やエサが生息を始めている証拠だろう。
今日は本浜地区の方の葬儀に行き、お昼からの南三陸町志津川の「敬老会」に父親を連れて行く。90歳を超えいつ時時が止まるかも知れない中で、共に生き抜いて来た方々との再会をさせて上げたい。

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2013
09/24

復興と政治そして置き去りの民意


住民の高台移転に多くの問題点と、解決の厳しさを知り「どうしたら」と頭を痛めている毎日です。自分の事の段取りは、工場・家族生活や今後について、だいたい終わらせる事ができた。
今日の三陸新報に南三陸町の選挙情勢の今が掲載されていた。町長選は一騎打ちに、町議は4人の空席に元職佐藤・新人の小野寺・及川が立候補を決め、その他に数名の動きがあると言う。私の知る限り3人は70代と60代、これで新しい町が作れるだろうか、若い人たちの新町づくりの支援、・再建への、政治政策が深く図れるだろうか。私も含められないかもしれないが、若い40代さらには30代の10年後の町の担い手が、政治に参加する事で町は変わりそうな気がする。
こないだ中堅の女性に、「選挙出馬」を投げかけたが、私なんかと言葉が帰って来た。「町を何とかしたい」との熱意があれば、我が子の為にと考えれば、何とかできるものです。
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三陸道の進捗のスピードに驚く、たった一日と言えないくらい大きな変化をある。国道398号の米谷の町寄りに、大きな鉄骨の高架橋が今架けられていた。凄すぎる工法が三陸道の至る所で繰り広げられている。
それに引き替え高台移転計画は「早期!」とはなりそうもない。行政にはどうする事も出来ないのだろうと思う。「東浜地区」がスタートしたが、ここを重点地区とすると、他の移転希望者からの異論は勿論でる。しかし、加速する住民の町外での再建の動きは、町内での暮らしを決めた私には見えなく、登米市で暮らす事を決めた方の情報を、収集する事で町民の移動の把握が出来る。
私は行政は確実に近い人口の動きを予測している気がする。「現在の14500人」との報告は町のたてまえで、「人口が減っています」と言えば、流失の加速を助長する懸念があるからの理由だろう。

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2013
09/23

晴天の連休に家族が繰り出す


昨日は佐沼の中田に被災者の自己再建の相談に出かけた。午前中に行くも出かけて留守で、こんな時に限って携帯を充電したままにして、電話も掛ける事が出来なかった。良く考えても番号も携帯記憶で番号も知らない、便利なようで記憶の低下ともなっている。知人はパソコンを使わず極力文章は文字を書くと言う。漢字を忘れないようにとの対策だった。
帰ってから再建者に資料を置いてきたせいで、帰るとすぐに電話がきた。「午後と言ったから出かけてました」と言う。これも言った事を自分が忘れていた。この年になるとすぐ忘れる。言葉が出なかったりも「健忘症」の前兆なのだろう。午前は津山経由で三陸道を通った。荒町から35分で、「どっち近いの」と聞くと米谷と言われ、30分で自宅に付いた。
登米市への住民の流動は現実的に加速の話を聴き、土地も普通の土地だったり農地の転用等が進んでいた。南三陸町から未だに「どこか土地無いですか」と来ると言う。この現状に行政は復興計画どおりに進めると一点張りだ、本当にこれで良いのか、なにも策を講じないいで良いのか、町民の皆様と考えでいきたい。
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連休の昨日の中日、津山の「モクモクランド」は駐車場・農協・臨時駐車場も、お昼には満車となり、入れない車が道路で右往左往していた。何かイベントがあるのかと見ても何も看板が無い。見ると家族連れが「遊具」のゾーンに集まっていた。秋彼岸の中日にお父さんの家族サーアビスだろう。天候にも恵まれ45号は車の行列が発生していた。その中で横山の「測定」が警察で実施され、最高のお土産は元気な姿と言い、今年の事故多発の宮城で事故発生の抑止効果を生んでいる。
南三陸町にも1時過ぎに大混雑だろうと、高台から商店街を望むが、お昼が終わったせいか津山程の車は無かった。この違いに理解ができないが、家族が楽しめる場所は津山で、遠くからの観光客の場としての商店街なのだろう。こないだ「志津川は飲食店がある事が集客に繋がっている」と話を聴いた。今からでは残り2年半となった、商店街の期間があり、今後の新しい場所での再開移転に不安を語っていた。
また、旧本浜町の方が亡くなった。

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2013
09/22

母校の頑張りに同窓会もエール


母校「宮城県立志津川高等学校」の25年度同窓会総会が昨日あった。志高生の震災直後の新たな活動を知った。校庭に白で「S・O・S」の文字を作り、ヘリが着陸できない事態に、南三陸町の直後の被災状況が把握できない中で、多くの支援がこの緊急メッセイジを見て、志津川高校に集まったと言う。
高校には眼下に「老人ホーム」があり、そこから高台のある高校へ避難し、高齢者の救助に生徒が頑張った。救護から介抱・一時的な場所の提供など、なにも無い学校での生活の中で、被災者救済や現状をいかに伝えるかを、考えながらこの厳しい環境で被災者と共に生活した。
来年で志高も「創立90周年」を迎えると言う、女学校からのスタートが上山で始まり、私が入学する2年前頃に、現在の場所に建設された。私は昭和50年3月卒業生として、38年間も長くこの地に暮らし、今も志高と係っている。10年ごとの記念誌作成にも2回、地元の印刷会社として作成した。
志高は南三陸町志津川にある高校として、この町で共存の中で生きる事の大切さを、当時の先生がたが居て実践してくれた。昨日も体育教師としてお世話になった三浦先生がおられた。私と5歳ぐらいしか違わない兄貴的な感じもする。
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今月21日から秋の交通安全週間となった。南三陸町では20日に出陣式があったと聞いた。今年の県内は事故が多発し、緊急事態宣言で安全運転の徹底を呼び掛けている。
被災地の南三陸の海岸線でも死亡事故が多発し、警察の警戒も至る所で検問・違反にあたっている。昨日も志津川から戸倉荒町に入る所で、正面衝突事故があった。ドライブインの前でパーキングのスペースもあり、警察の駐在所の仮設もある。見通しと警察の赤色灯もあるそこでの事故は、見通しの良いから故と、先を急ぐ車運転のマナーの低下が大きな原因として考えられる。50Kの速度制限はあるものの、はみ出し禁止区間ではなく、道路が蛇行している事も、事故多発の原因があるように感じる。
今日の日曜には会社までの道すがら、多くの町民が道路に立ち、プラカードで安全運転を訴えていた。

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2013
09/21

偶然の境目が生死


ある方から聞いたが「高野会館」は残す。と言う。幾度となくこの会館での生と死の綾を聞く。被災後に多くの芸能大会に見学に行った人で、留まった方、家が心配で帰った方の事実を知る事となった。放火婦人部の方は責任感の強い方で、戸倉まで帰る途中で亡くなったと聞く。町内の高齢者の方は「ここに来てたから助かりました」「家にいたらどうなったか判らない」とも言う。今後ここは4mの嵩上げで「祈念公園」ができる。そして、「高野会館」が南三陸町の遺構として、後世に2011.3.11の震災津波を忘れる事の無いように、祈念公園としての場所で生かされる。まだこうなるかは今後決定される。
昨日の河北新報にも町民の方が、娘がまだ行方不明と当時を綴っていた。午前中に病院に行くはずが、この日に限って午後に行って津波と遭遇し、「なんで」と父親はその時の事を振り返る。
南三陸町の津波の死者不明が行政より伝えられた。町に住民登録の方の死亡不明が820人で、遺体未発見は200人を数える。又、町住民登録外はその中の56人があり、たまたま南三陸町に来ていたか、車での通過中と偶然が重なった事による。不遇の死でもある。
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7日の福祉祭りに行った時に、玄関フロアに飾られた風船を撮った。歌津の夏祭りの花火が、NHKで報道されていた。1500この風声には町民の願いが、「短冊」に秘められ空へ放された。亡くなられた家族への言葉だったり、一日も早い復興をとの願いを綴られていた。
花火の大輪に町民の笑顔を重ね合わせ、「笑顔の花を咲かせましょう」、これからも皆さんといっしょに頑張っていきましょうと、伊里前の福幸商店街の高橋さんは、被災後からの歩みを想い出し、言葉を詰まらせ話していた。

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2013
09/20

防災庁舎解体 ほんと?


昨日、報道の方が読売新聞を持ってきて、庁舎解体するんですか? と新聞を見せてくれた。読売は南三陸町には皆無と言って良いほど、購読者は少なく中央紙でもあり、議会同僚でもほとんどが知る由も無かった。
同僚が議会でこの真意を町長に聞くも、こうした事は言っていない、と話す。「交付金で資金をとの復興庁に打診とあり、こうした行動をとってはいない」から、新聞の情報の出どころが行政からでないと、新聞報道を否定した。
庁舎の遺構として残す維持管理の経費が1億円を超える。こうした理由から断念と、「防災庁舎撤去へ」と大見出しで伝えていた。町関係者の話と言う。いったいこれは誰なんだろうと推測は難しい。
昨日は決算議会を終え、執行部との懇親会がプラザ3階であった。挨拶で恒例となっていた予算決算終了後の、議会での議員と執行部の激しい議論に、互いの質問と対応を讃えあうのがこの慰労の会であると先輩は言う。
被災前の初めての3月予算議会での懇親会を思い出す。勝倉・阿部の同級生がここにはいた。しかし、今回の大震災で殉職しこの場に同席する事はできなかった。さびし過ぎる! 二人は中学時代からの剣道の仲間であり、ライバルでもあった。この二人と町の運営での審議の場で、議員と執行部として討論するなど、夢にも思わなかった。殉職した彼らなど他の職員の為に私が何ができるかだ。立場をど返ししても、住民と共に南三陸町で、復興に向け新しい町づくりに、今後も取り組んでいきたい。
今日も事務所脇から、子供を送迎バスに送り出す、荒町地区の皆さんの明るい語り合いと笑いが聞こえてきた。

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2013
09/19

元の生活に戻った


来月誕生日が来て90歳となる父、ペースメーカーで又元気になった。鎖骨の下に機器を入れ、この部分から心臓の4カ所に分かれている心室の2カ所に、刺激を与える線を通し直接心臓の筋肉に刺激を与え、心臓の動きを正常にしていく。これで機器の電池が5年間も機能を保ち続ける。腕が上がらない、服が着れないと朝から大騒ぎだ。
今日は2時から特別養護施設の「いこいの海・あらと」で敬老会があり、父も初めて参加する。家族と共に行う企画もあり、誰も来ない入居者はかわいそうだと従妹は言う。父の従妹夫婦も入所している。幸せと思うがこれからの見て行く家族は「大変」と言う気持ちが強い。
写真は被災前に南町地区に位置していた、志津川の「牡蠣剥き場」だった場所で、私有地が繋がり突き出る形で、漁船が係留しやすい場所として牡蠣の施設があった。震災時には津波で分断され突端にはひき波で瓦礫が山のように積み上がり、陸地から離れどうなのだろうと思っていたら、2日前にいったら埋め立てられ半島の形が出来ていた。
志津川市街地の防潮堤の場所、海岸道路や嵩上げの高さを、大森の高台の家や上山緑地の高台を示し、あそこまでの海抜10mを埋め立てと言っていた。水尻川も河川堤防が計画され、保呂毛に向かう橋から100m上流が起点となり、海岸までの8.7mの建設で、陸地を守る河川堤防となる。「親水」と言う言葉に、「浸水」と勘違いする人は私だけではないと思う。西側地区の「祈念公園」の在り方が、町協の公園部会で議論され、松原や砂浜海岸の再生を模索している。8.7mの防潮堤を低くできないかと言う提案もあるが、8.7mの国の防災の基準は維持されるようだ。国は再び災害が発生しないように、強固な市街地づくりを決定している。水に親しむ事は町の観光の一つとして、こうした環境の整備も南三陸町には欠かす事はできない。
決算議会から既に「選挙モード」の感が議場には漂っている。

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2013
09/18

激動の3週間だった


9月定例議会が10日からで、11日の一般質問となり質問のまとめなどに迫られる中で、1期目最後の16回目の質問を終える事ができた。
3日の石巻日赤での担当医の今日から入院しましょう。との言葉あり9日に父親のペースメーカー手術があり兄弟で立ち合い、15日間の入院の中で、病院への状況把握に見舞いも重ねた。入院準備から昨日17日の退院まで、社員にも手伝ってもらい退院ができた。
親戚の土地問題も深刻なものとなり、遠くからの地権者来町の相談にも立ち会い、登記所や行政税務課、遺跡の事など土地の相手方との相談準備に、聞き取りや不動産業者など手回しをした。
土地買取や相続問題など5件の町民からの相談も、行政からの現状確認や対応について、行政とやり取りをしたが、無理な1件については今後の対応となっている。
住宅建設の業者が来たり住宅ローンの事など、一気に対応や処理にその中で追われた。昨日は中払いを今週末にお願いしたいと連絡が入り、ローンの融資が間に合わず、どうするか思案中でもある。
町の動きの情報発信の行事への参加もあった。体も壊す事なくここまで良く来れた。父親の頑張りと周囲の支えで一日一日を送る事ができている。
特別養護老人ホームの母の請求も来た、7.7万円弱ながら直ぐに支払った。この間も週一回の様子伺いは父の代役でもある。母は私が誰かは気づいているかは怪しい。
まだまだ町の復興は進まず、被災者再建支援に努めていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:04 】

2013
09/17

歌津上沢の取り組みだった


「山里を食らう」が、歌津の上沢地区で被災前に開催された。歌津地区内の至る所からの来客で、会場の「上沢分校」が埋め尽くされ、多くの笑顔がこの場所で、井戸端会議のように誰彼の境無く、語り合われた事を思い出す。
銀山温泉の「滝見館」は歴史溢れる蕎麦処だった。歌津上沢も「遊休農地」が増加し、田束山の観光の山裾に位置し、「向日葵」を植え景観の改善にも取り組んでいた。合わせてそばを植え、米と蕎麦の耕作を進めていた。そこで地区民が開催したのが「山里を食らう」と言う、地域活性化の取組で、地域民が一体となり歌津の住民も、皆でこれを支援していた。
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メニューのそばは「1050円」だった気がする。山形の山の食材が小鉢に盛られ、「山形銀山を食らう」と言った感じだ。ここまでなる時間を私は測り知る事はできないが、この銀山発掘の山奥で食べられた食材がこれだったのだろう。川には「やまめ」が泳ぐ。のどかで、静かで、老後はこんな所で暮らしたいと思わせる。
台風18号の京都を含め、各県に大きな被害をもたらした。死者不明が11人と人的被害も高齢者が負っている。南三陸町には夕方通過したが、時折の強風があったが偏西風に乗り、一気に北海道に向かった。台風の西側に吹き込む暖かい風が、雨と強風をもたらしたようだ。冠水した水田の泥まみれ米が心配だ。
今日は議会5日目となる。いよいよ決算審議になるが、行政の予算執行が適正かを審議する。議会の行政監視の立場に対し、「議案の審議」に否決や特別委員会へ付託するなどの議会判断に、「復興が遅れる」「なんで反対するんだ」と、知人から意見された。被災地だからこそ混乱する行政の予算執行に、適切な判断と国民の税金の上での予算の使い道に、南三陸町の予算を大切に確実に執行されているか、を議会の審査が担っている。
なんで高台移転が遅いのか、人口が減っているのか、被災者の生活救済への取り組みなど、行政がしっかりとした予算の執行で、新しい町づくりをしているのかの、チェック機関が「南三陸町議会」であり、町民から選ばれた議員の役割としての活動がある。

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2013
09/16

伝統と歴史に感動


10時に入谷中の町に行く。中の町地区の「一本松」の道路に所に車を止め、八幡神社の行列を待つ。打ち囃子の太鼓と笛の音が中学校上の神社の方から聞こえてきた。
水田は金色色に稲穂が育ち、今年は多雨や猛暑はあったものの、平年同様の米の収穫を農協は予定している。
行列は本堂の神事から入谷中の石段を下り、入谷農協支所での打ちばやしを披露し、川沿いを巡り一本松のお休み場所で、最後の神事を行いう。役員・来賓としての町長の榊を納めがあり、子供たちの入谷打囃子の奉納がされた。多くの地域民に、伝統芸能の打ち囃子の色とりどりの様装に、カメラ愛好家がシャッターを切っていた。
復興への願いの地域の祭りに、多くの報道陣も集まった。
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獅子を操る舞い手の姿に集まった人たちの目線が集中する。
この日は台風の影響で「60%」の降雨量予想に、大祭の開催を危ぶむ声もあったが、午前中の一連の秋季大祭の行事は無事に開催された。
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一年間の地区の繁栄が祈られ、3.11からの震災の早期復興への願いを、集まった皆さんが手を合わせ祈り誓いあった。

台風18号の北上により、福井・和歌山・滋賀・京都に、「命を守る行動を」と気象庁は呼びかけている。関東では再び「突風」が発生し家屋が被害を受けた。
今後の東北への台風の影響は、今現在は測り知る事はできないが、事前の対策と行動の準備は、しておくに越した事はない。何も被害がこれ以上起こらない事を八幡様に祈ります。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2013
09/15

古い歴史に町づくりを学ぶ


昨日は山形県に古い歴史での観光地としての発展地を個人視察してきた。
尾花沢の「銀山温泉」があり、多くの観光客が1Kもある駐車場から、歩いて銀山の温泉街に老いも若きも、歩いて訪れていた。「行って見る価値はありますよ」と近隣の県民は話す。写真の川の両側に古い旅館が、表面は木造で3階4階と見えるが、コンクリートで側面をカバーし、旅館としての耐震性を維持し今も旅館営業していた。小さいエリアながら昔の「銀山」とし栄え発展した宿場町として、この古き歴史に学びたいと思う。
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上段の写真は「山寺」で、神社などの山岳信仰で栄えた町です。
ここにも狭い道路いっぱいに観光客があり、道の両側に商店も並び店員が、お客さんに優しい声で挨拶し、「寄って下さい」とおもてなしの心を込めて、山寺を紹介し迎えていた。
山寺駅前の商店からスタートしたが、商店街には来客の店の駐車場はあっても、観光で見に訪れる方々の駐車場は、やはり1K離れた場所に設置されていた。
芭蕉が訪れた山岳信仰の場として栄え、色々な商品はあるが名物は「蕎麦」しかない。これでも多くの人たちが訪れる。その訳は信仰にあって古い町並みを見に来ている。若者は古い伝統に触れ、山形県の名物としての「蕎麦」を堪能していた。それ以上の発展は個々が自己努力ながら、この歴史での「観光立町」を図り、町は来客の案内や告知に努め、町民の生業は地域の住民が歴史の歩みそのままに、今もその生き続け、のんびりと暮らす姿の宿場町を見に来る。歴史には伝統には大きな人を呼び込む力がある。
一部の業者が発展を遂げる状況に、行政が深く関わらない事で、その行政の支援は全ての町民に行きわたる。こんな南三陸町になればと私は思っている。私はこんな昔の生活意識に又戻れないかと考える。
淘汰された店主は毎日の繰り返しの暮らしが、当然と言う生活で納得して営みをしていた。今は「生き馬の目を抜く」という時代の中で、防衛としての新たな事業の形態を考え、開発発展を求める事で、安心し生活できる社会となった。生活弱者となりうる人々の生活の確保は行政が担うべき問題と思う。

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2013
09/14

連休初日

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山形県の銀山温泉まできた。高速の便利をフルに活用し、三時間半ぐらいで『おしんの里』の舞台にきた。予想以上の温泉街の風景に感動の連休初日となった。

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2013
09/13

疑り深いは慎重と言う事

また良い情報を議会で得た。被災者雇用補助事業に、事業所に普通雇用3年間で、「225万円」が補助金額120・75・30万円補助される。3年間に渡る補助は、長期の雇用となるようにだと言う。今までは県に書類を提出し審査するが、何度も書き直し訂正し再提出の話を聞く。今回の補正予算に町でも申請できる制度と担当は説明していた。25年から28年まで雇用の拡大に間違いなく繋がる。私も2年前から書類をダウンロードしたが、申請までは至っていまい。多忙すぎる毎日からだ。
また、私の親戚が竹川原で被災した。町の土地の買い上げ価格が700万以上の場合、議会の議決が必要と言う事で議案に出てきた。場所が道路と隣接、土地が広いとの理由があり、30mも離れていないのに1.5倍の買い上げ価格にさがある。今はただの原野と化している土地、被災者再建の資金となる買い上げ価格、少しでも高く買って欲しいと思う。土地の地価の基準は理解するが、国の資金での買取り、行政の町民救済の観点から少しでも高く買う努力を願いたい。
トルコで卒業旅行の大学生が殺害された。誤認逮捕となったりはしたが犯人が逮捕された。テレビでも狭い道だった事が判る、事件はこの狭い道路が関係していた。車で二人の自転車と接触し口論から殺害となった。トルコ国の日本への愛国は他の国々より強く、その訳は和歌山県串本町にトルコ船が難破した時に、献身的な救助があった事から始まる。初代党首は日本の国を真似しなさいと言い、教科書には自国の遭難船を救助した国、日本の串本町と紹介している。今回のトルコとのオリンピック招致の最終決戦で、日本が勝ったものの日本への祝福の言葉を国民が言う。犯人は誤認逮捕の親族で、親族を犯人と通報した。驚きの事実が次々と出てきている。海外は怖いと思うが、今回の事件はめったにない事で、国際人になる事で自分の生活圏も変わり、若者たちには世界で活躍してほしい。
サンマが高い。こないだ魚屋さんの「一匹350円」には手が出ない。例年の2.5倍と言う。最近町中に死亡葬儀を告げる告知板が目立つ、今度は同級生が逝去した57歳であり、早過ぎる死として捉える。自宅を流され、町に帰れないままでの仮設での他の地での死があり、私は両親は自宅から送り出したいと思い、自宅建設を早期実現に向かっている。
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2013
09/12

議会に対する姿勢は


昨日、自分の質問が終わった。成果はと言われると、今まで通りの計画で復興をしていくと行政からの答えだった。防災庁舎は今後も解体は検討する。早期の住宅再建は計画どおり進んでいるが。少しの遅れがある。合併特例債の使い道は、新庁舎建設は「新町づくり審議会」で建設の必要なしとの判断があり、特別枠の債務としての資金は防災整備などに活用された。町長の権限による「新町庁舎建設」がなされていたならと強く思い、震災の犠牲者も減ったと私はと確信する。
写真は、平成の森の仮設住宅で、イオンの販売車が来ている事を初めて知った。

4年間の私の議会活動を檀上にて述べさせてもらった。
私の議員としてのスタートは、行政の入札や政策の中身について、多くの疑問や怒りから、議員への立候補を告示ギリギリで決断しました。予算の使われ方、職員の「町民の公僕」であるはずの公務員の在り方など、町長に多くの疑問をぶつけて、改善・見直しの気風が高まってきた時の、今回の「東日本大震災」の大津波がありました。
町が壊滅的状況となり、被災者の安否確認や、被災地の情報発信、スポーツ少年団の維持支援、大地震の記録収集をしながら、議員としての被災住民の声を、町の担当部署に伝え住民支援を続けてきました。長いようで短い2年半だったと私は感じています。住民雇用も会社の再建も進め、5か月目には仕事も再開し1人から2人と、被災地で頑張っている住民の、少しではありますが、雇用をして住民の生活再建支援をしてきました。しかし、一人の議員の発言の弱さを痛感したスタート、被災直後でありました。
被災後の行政の講じた復興政策の疑問点を付き、改善・修正を求めてきたが、仮設の登米市への建設、防災庁舎問題、戸倉ゴルフ場跡地利用、産業廃棄物の出土があり、町としての存続に繋がる町民の流出が進む中で、その適切な対策を今だに取れてなく。各地区の防集事業、志津川地区の津波拠点整備事業がなかなか進捗が遅いように感じます。このような状況となっている事を、私個人ならず住民の多くが行政への怒りを持ち、「町民の声」への町の政策が解決とならないままで、現在に至る経緯があります。住民の生活再建よりも、商工業出身の行政トップなのか、商工・観光を第一かのような、行政の復興への考え方が進められているように見えます。苦しい・悲しい・辛い環境の、被災民の「怒りの声」が、私の行動のエネルギーとなっています。
こうした「復興計画」の元で、町長の事業展開に対して、被災住民の多くの悲しみを救うためにも、町長の4年間の政治活動について質問し、今後への対策を伺います。

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2013
09/11

筋書きのようなドラマ


今年も「旭ケ浦祭」が開催された。7日は行事が沢山あり母校の後輩の、元気なパフォーマンスを見る事ができなかった。
被災前の光景が目に浮かぶ。駅前の大通りをスタートし、志高恒例の「仮想行列」で文化祭はスタートし、町を練り歩く事で町民への告知となる。今の後輩は被災地の中にあり生徒数も減少し、校庭には仮設があるのに、一生懸命に高校生活を送っている。一生に一回の高校生生活は、きっと君たちの宝・力となり、大人の人としての基礎が育成される。無駄に過ごす事のないよう、「肝に銘じ」活動して欲しい。
ポスターは商店街のBRTのバス停留所に掲示されていた。21日には「志高同窓会」があり、3000円の会費で南三陸プラザを会場に開催される。被災前は「高野会館」であり、昔のように同窓生が顔を合わせる事ができる。何でも普通に戻る事で人は安心する。
今日の通勤時には45号線の交差点に、車の通行のカウンターをする学生らしき人たちが、計測しているようだった。大型トラックの交差点の、黄色から赤への変更時には、くれぐれも気配りをお願いしたい。「おー怖い」、こんな瞬間に出くわした。
「人生は筋書きのないドラマ」と言うが、昨日の町長の議会での出馬表明は、筋書きのように感じたのは私だけでは無かった。

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2013
09/10

なぜできない早期住宅確保


もう少しで塩見町のそびえるように積んだ、基礎瓦礫の山が無くなる。多くのユンボと破砕機が瓦礫を処理し、水没した土地・道路に埋め建ての砂利とした活用され、港湾の跡地にも道路の修復へと使われている。
ピーク時には約だが20台を超える重機のユンボと、地元にはない破砕機が10台近くで、大型トラックがひっきりなしに砂利を運ぶなど、総力を上げて瓦礫処理を進め、確実に今月中には終了すると思う。この事業は県の事業と思うが、戸倉の被災瓦礫の処理も今月頃には終わりと、減の事業の速さと町の事業の遅さを感じる。戸倉の処理場で働いていた人に聞く、「これからどこで仕事をしたら」との今後への不安を。
2年半も経つのに何故住民の高台移転は一向に進まないのか。進んではいるが27年末とか29年末など、造成整地が済んだ順番に希望者を入れるというが、住民の土地確保への今後の混乱が図り知れる。
町長主導で土地の確保、東地区を重点的に造成整地など、住民が安心して入れると言う姿を示す事で、町民の将来が見えてくる。こんな話も選挙の対抗馬となる方が、発言している。多くの納得が得られる発言と評価する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:43 】

2013
09/09

早期住民帰還の風となれ


昨日は町長候補となる方の出馬記者会見が歌津の総合支所であった。新聞社5社・報道4社のカメラが並ぶ中で、歌津出身の候補者は自分の南三陸町の再建への意気込みを伝えた。
早期の住民の安心して暮らせる場所の確保と、あらゆる復興への事業に於いて、将来に向けた安心感が持てる復興事業への修正を図ると言う。現職への気遣いも忘れなく、相手への誹謗中傷ではなく政策で町長選に挑戦したいと語る。
防災庁舎問題は議会の決定を重視し、解体の方向を示す。遺構としての提案として、防災庁舎と同じ高さの慰霊碑としてのモニュメントや、解体された鉄骨を利用した慰霊碑と同等の構造物を、「慰霊の丘」が整備されたら作る。などの提案を示した。
会見では町づくりの全ての部分への自分の主張があった。亡くなった役場職員に報いるためにも、今回、「町のために出馬を決意した」と話す。住民の生活に将来への安心を作りたい。気になった言葉に、「人は山に生き海に帰り、海に生き山へ帰る」、このようなニュワンスの話に、さすがに本吉剣道連盟会長を長年務めあげ、公務員としての多くの経験から、先人の生き方を説いていた。
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今日も海に沈む私の住んでいた本浜町周辺を、久しぶりの太陽が照らしていた。
オリンピックは被災地の復興の姿となる2020年、宮城スタジアムなどの競技種目もあり、観光地として世界からの来町者を迎える事となる。安倍のミクスの追い風として、日本はどん底から少しは上昇するが、社会保障など高齢化問題の解決には程遠い。経済効果は3兆円で、それ以上の相乗効果も期待している。
昨日も5名の町民の不安解決に取り組んだ。何かあったら電話して下さい、今の最大の私の仕事です。

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2013
09/08

町民目線の福祉の町に


第2回福祉祭りの開催が、規模を縮小して昨日アリーナであった。1か月前のチラシ配布の中身を見て、私は町民の老人ホームの展示会場で、慈恵園の開催がいつ頃なのかを聴こうと思っていた、会場の老人ホーム「慈恵園」のコーナーは、ゲームはあるものの家族づれが、他のコーナーよりも集まっていた気がした。
南三陸町の民間の慈恵園は津波により崩壊し、職員はじめ多くの人命が失われたが、再建へと向かっている。土地の確保には1年以上も要し、現在は設計の業者選定に入り、来年には完成し入居者を募集すると言う。高校生の雇用は勿論、地元住民雇用を目指していると言う。一日も早い完成を町民はまっている。町外の仮設でみなし仮設で暮らす人たちの、将来の受け皿としての使命が「慈恵園」にはある。スタッフを始め一からの再建に向け、残った職員や再建を待つ職を失った職員があり、入居希望者は一日も早い「終の棲家」としての場所を待っている。
今朝、3時から体のかゆみで目覚めた。今年の夏は「かゆみに襲われた夏」と言う感じた。蚊はいなくなったのに、いまだに「身体がかゆい!」、タオルケットに何かがいる気がする。今日は掛布・敷布を買おうと思う。朝までぐっすり眠りたい。この御蔭で東京オリンピックの決定の瞬間を見る事ができた。
気仙沼のフィシングの千田選手や、パラリンピックの佐藤選手のプレゼンに感動した。「被災地に元気を」と言う宮城出身の二人の活躍も讃えたい。猪瀬都知事はもとより安倍総理の原発への質問へ、400トンの汚染水の流出に、0.3K立方の港湾で汚染をブロックしていると、質問者にはっきりと言った言葉で答えた。招致の成功は「チームワーク」と言う。町民が一丸となり復興に向かえば全てが解決するような気がする。
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「あいだみつを」の一つの言葉で私は救われた。しかし、家にあった「みつを」の本も3冊流された。昨日、田中前さんで詩の「ただいるだけで」があった。人が心穏やかに生きる上で必要な気持や、人間の真の生き方があり、生きる事に悩む事があったら、是非「あいだみつをの作品集」見ていただきたい。きっと今の自分を救う言葉がある。
今日は10時から町長選に出馬の記者会見が、歌津総合支所で行われる。

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2013
09/07

町づくりは町民の意見で


5日の志津川市街地町づくり協議会で、驚きの事実が伝えられた。現在20地区28団地が決定し、測量・買取・設計が進んでいる中で、保呂毛・田尻畑の「防集」の場所が、建設の断念をした。理由に国の決めた一軒あたりの建設費の5千万円ながら、造成整備に8千万円以上かかり、造成の中止を決めた。当初20軒を予定し現在17軒と言う希望者は、志津川の3地区への移転の方向で検討を余儀なくされ、行政はこけを調整と言う。この場所での生活を想定し今後を計画するも、また、一からの考えの見直しは、「この場所は駄目となりました」を、被災後2年半が経ち、一年も前に場所決定の元に、ハウスメーカーとの建設相談や、資金の確保の為に奔走していた矢先の、移転場所の消失に落胆は隠せない。
宮崎監督が映画の制作から引退を発表した。コナンが原点と言うが、私は「ナウシカ」が大好きで20回以上は見ただろう。普通には生きられない大気の状況で、原因は水であり大気汚染により、草花が毒匂を出す中で、自分はこの草花と地下で綺麗な浄化した水で暮らす。我欲が強い力を得て我がものとする相手と、自然の大切さと生物への優しさで、人間の心を変えていく。その中の音楽・音響も心に響くメロディーを奏でる。映像と音楽の監督の二大巨匠の合体で、この名作が生まれた。多くの映画の中で最高収益は「千と千尋」であり、集客も含めこの記録はまだ敗れていない。
今日の写真は本浜地区の方が、昔の街並みの生活者の名前を手書きで絵にして、私に「なんかの役に立てて」と手渡してくれた
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戸倉営業所の仮設トイレの隅に、花が咲きそれに舞い踊る蝶に、目を奪われ写真を撮った。毎日の緑と被災地の喧騒から離れ、暮らす今の生活は人間の生きる場所として最高である。
今日、基礎だけが出来き一か月が経った自宅建設現場に、型枠業者が7時前に来ていた。建設場所の確保は、住民だけでなく事業所も厳しい中にある。その中で商工団地の倉庫の狭い空き地に「終の棲家」を両親の為に建設している。
宮崎監督は言う。若い時は次々とアイデアが浮かび、作品がどんどん生まれたと言う。現在は作品を作る苦しみがあると言う。私も仕事の納期に追われる被災前の会社が夢にでてくる。自分ができる仕事の量を今は把握し、競争意識も今は薄れ、生活が仕事が出来るだけで良く、できる限りの勢力を住民の再建支援に費やしたい。子供達の為にと言う宮崎さんと何処か似ている。
昨日は土地問題で2人の来客があり、スポ少の関係者が来たし、議会の調査で行政に聴取にもいった。住宅再建の資金繰りにも動いた。後は佐沼と登米にも用事で出かけ、「マイタウン情報」の配布にも動いた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:03 】

2013
09/06

町づくり協議会はなに


昨日も6時半から月一回の予定の、町づくり協議会の高台移転部会が、委員の過半数の出席12名で、高台移転の志津川地区の住民意向への、実現にどう配置できるがを議論した。以前の問題提議への答えが欲しいや、住民の疑問に答えて欲しいとの、アンケートの答えとその資料提示に、しぶしぶ事務局は配布をした。町協の移転部会と言う会議に、会員個人のこの日の会議では関係がないとでも言うのか。もっと多角的な側面の問題に、早期の解決に向かえるためにも、被災者の苦悩を部会が把握しておく事は当然のことである。
夜中の雨もあり松原の「土置き場」と化した場所は、至る所に水たまりができていた。雨が降っても復旧工事は休まず動いている。ボランティアさんも何日と被災地に来て、自分の大切な時間を被災地の再建の為に力を注いでいる。しかし、自然の力は人間の力をあざ笑うかのように、草木が一か月と言わず生い茂る。「いたちごっこ」と言うが、自然の猛威へは一歩ずつの復興への前進しかない。被災地への全国からの支援は、住民の支えでもある。ふるさと納税や義援金と言う被災住民の支援の活用は、行政での遺構意向に沿った行政決定があるが、支援者の誠意が意向どおり使われているか、多くの疑問を私は持っている。その疑問を問える立場に現在いる。今、復興への活動に無駄な時間と資金の使途は、町の人口へとその衰退の結果を生む。
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国道45号の十日町を通った時に、西の保呂羽山から放射線状に雲が流れていた。こんな空の雲の状況は見た事がない。現在の異常気象による「ゲリラ豪雨」「竜巻」は、積乱雲の発生で起こると報道で伝えている。夏から秋らしい空へと変わったが、今年の天候は一揆に一変する。
こないだある方が来社し、「どうするのだろう」と思っていた、写真の高野会館の解体は、遺構として残す事となったと聞いた。この地区の公園地区は4mの嵩上げで、30年度前後に整備されるが、25haから5haに減少し、通過する45号の沿線に、商店・観光地? らしき街を創ると言う。被災地で在り人とは住まない地区、いったい住民の減少する町に何を行政は必要としているのか、私には理解できない。復興への事業としての予算・期間が決まっている。だからと言う理由は、住民の早期生活再建の障害でもある。
昨日の町づくり協議会でも高台移転の事業が遅いと行政に詰め寄る光景があった。3地区の造成事業開始は来年1月から、予定の場所の森林伐採を始めます。と言うが、色々事情がありまして1月~3月までにはと、発言のトーンが突っ込みにより、後退して行った。ガンバレ町協!

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2013
09/05

継続の力に愛を感じながら


先月の志津川デイサービスセンターの跡地の下の水田は、多くのボランティアの活動により、小さな瓦礫が取り除かれ、新しく農地に生まれ変わろうとしていた。
震災から2年半が経とうとしているが、ボランティアの活動に「継続は力なり」と、被災地支援の復興へのパワーと、本人の活動の継続パワーの、二つに大きい事を思い頭が下がる。気仙沼や石巻の「ボラセン」は閉めたと聞くが、南三陸町の今も続くボラセンの努力により、多くのボランティアが復旧支援に来てくれる。
こんどは栃木で「竜巻」があった。「スーパーセル」と言う巨大積乱雲による被害が月曜で、昨日も台風が熱帯低気圧に変わったものの、低気圧に向かい南からの湿った空気と、西からの山脈を越えた風が、関東でぶつかり竜巻が起こったと言う。栃木は以前から雷が多い所ながら、今年の気圧配置に災害の拡大を今後も予想する。従妹も栃木の西那須に暮らす、これ以上何も起こらない事を祈りたい。愛知県名古屋の繁華街のある町中で、「109ミリ」もの1時間の降雨に道路は冠水し、車のバンパーまでも雨水で溜まった。毎日続くゲリラ豪雨のニュースに今年の異常気象の特殊性を思う。以前からも思っている二酸化炭素による、オゾンソーの破壊が温暖化を生んでいる。

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2013
09/04

対抗馬にトップどうする


月曜の新聞での小野寺寛氏の町長立候補の出場表明から、今日で4日目となるが関連の電話が10回を超える。小野寺氏は本吉郡剣道連盟会長でもあり、歌津伊里前の「道合剣道スポーツ少年団」を設立をされ、震災の前年頃に20周年?の、設立祝賀会に多くの教え子や親の会が集まった事を思い出す。最後の行政の役職は「歌津総合支所長」だった。
震災直後に歌津中学校で私は会い、多くの町職員の殉職に対しての対応に、町長に「激怒」していた事を今も覚えている。スポ少の子供達への接し方も優しさばかりを感じる。全ての人への対応も謙虚で丁寧な方である。反面、大否定する方も少なくない。
歌津地区からの出馬は地区の人口との兼ね合いもある。志津川地区の現職は戸倉にも入谷にも仲間を持っている、旧志津川町出身と言う強みがある。震災後の被災住民の動向が問題で、一向に高台移転の現状が見えない事へのいら立ちが、どのように投票行動に出るのか、私にも計り知れない。
写真は「しろくおグランド」の現状です。何台ものトラックが破砕された基礎瓦礫をここに運んでくる。大型トラックには「安全運転」の旗が、全ての町の被災地で作業車につけられている。「被災地の黄色い旗たなびかせ運動」とテレビが伝えていた。現在町で稼働しているトラックは1千台を数える。町民の車への「譲る活動」や「トラック間の労わり活動」など、運動の成果が見られるが、一部のトラックはまだ高速の運転が見受けられる。
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私は町内の被災車両は全てが町外に搬送されたと思っていた。こないだ志小に学校が始まる直前に出かけた時、バイクや車がまだ「旧保険センター」の跡地に置いてあった。それをブログで伝えた10日前後の、戸中運動会で前を通ると、9割かたの車両ガレキが片付けられていたが、数台の中に写真のような車があった。志小の児童が通学時にこの姿を見る、いったいどんな気持ちだろう。子供たちが被災地を通り学校に向かう光景は、復興への姿ばかりではなく、こうした姿も目にする。もう「津波の面影」を小学生の目から排除しても良いと思う。
今日もまた何かが起こりそうな気配がする。朝、布団に引っ掛かり部屋で転んだ。危ない危ない!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:07 】

2013
09/03

通勤ラッシュこれが朝毎日

竜巻の発生は臨時放送で伝えられた。67人の重軽傷をだし、夕方のニュースがすべて竜巻の被害が報じられた。今年の異状気象は30年に一度発生するものと言う。
朝五時から起き6時になり『隣の病院に行く』 と大騒ぎ、いつもと違うと今度は救急車と言う、血圧200あると簡易の測定器でなんども測定する。私がいるから、その甘えと捉えている。毎日一人ている父親、不安を抱ええての生活は、町内に沢山あり、こんな毎日を暮らしている、と今日強く感じた。
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父親の心臓は大分ダメージを受けている事が今日、循環器の担当医師の説明で判った。普通は一日12万回動く心臓が、7万回と6割しか稼働していなく、一分間で4分間心臓が止まっていて、勿論脈拍も少ない。主治医は「すぐ入院した方が良い」と言う、父も私も直ぐに「お願いします」と決定した。
ペースメーカーの埋め込み手術も、多くのリスクを抱え1万分の1で、事故が起こる確率を秘めている。父は交通事故で入院した事はあるが、自分の身体の事で入院は初めだ。丈夫な体を持つ剣道5段錬士です。「こんな事は初めてだからゆっくりできる」と、ベットで横になりながら話す。2週間ぐらいの予定だが、決して命には問題がないとも言えない。何せ90歳の高齢であり、被災の長年の生活異変を口にする。
日赤の担当の先生は又素晴らしい人にあたった。うるさいおしゃべりの父親の話に嫌な顔もせず耳を傾けてくれる。看護師も5月の私の入院と科は違えど、優しい対応と凛々しい対応に、理想の看護師・医師の姿を見た。
被災の町「南三陸町」に戻り、その風景を見ると「何時になったら」と思い、観光支援者とて、こんな感情を持つときが来る。行政には自活の道を考えて欲しい。日本も県も「観光立町」を声高に言うが、社会保障もままならない国に、観光客とてこの生活の現実に、貧しい他国の事を思う気がする。そんな時代が来る前に「町の事は町で」と言いたい。

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2013
09/02

志津川に帰れず、また一人。


昨日は原稿書きの時間に充てていたものの、8時から電話が鳴った。7時半、9時と政治番組で10時までの視聴が、私の日曜日の過ごし方なのに、何もできない一日となった。
東京の友人から町の状況と、10月の選挙状況で1時間の電話。その途中で着信があり、同僚からの情報の提供の依頼を受けた。その時、来客があり、午前中はこれで終わった。朝4時起きの為に昼に1時間眠った。午後は仮眠中に来客で起こされ、その次に別なお客さんにタッチして、一緒に今日2回目の来客には勘弁してと、ちょっとイライラ。
午後の来客は最近の気仙沼地方の新聞報道の、「町長選挙候補者」の件だった。決して現職の無競争の再選はあり得ないと、新人候補の両立に向かい、近日中に表明するとも話していた。46歳の男性で、もう一人は63歳の私の近しい歌津の男性と言う。南三陸町の政治に関係する方々の活動が見えるが、「私はイイです」とその係わりへの参加拒否を言明した。
病院跡地と車屋・製造業跡地に、震災瓦礫に続き基礎瓦礫が被災後から「ズー」と山積されていた物が、写真の量まで減少した。
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9月1日は「防災の日」として制定された。関東大震災の10万人以上の死者をだし、静岡県には9mの津波も発生した。昨日は南三陸町でも7時にサイレンが鳴り、8時までだったが、戸倉に向かう45号ではなんの行動も見られなかった。夕方のテレビで町民が避難する姿が放送されていたが、ゆっくりと坂を上る姿に、危機感は無く3.11の時を思い出す。
今回の「南海クラフ地震」を想定した防災訓練が、各地で開催され、安倍総理も炊き出しや地震体験機での光景が写し出されていた。南海トラフの被害は「220兆円」であり、国家予算の2倍以上で、死者も33万人を超えると予想する。これが発生したら現在の「東日本大震災」の復興予算は必ず減額され、もしかかると国の危機が訪れる。
予算がいくらでもある。との行政トップの話があった。首長とての危機感の無さに私は驚く。何が起こるか判らない現世、国民の血税の税金は大切に使いたい。来年4月からの8%の消費税は8兆円の国民からの徴収となるが、社会保障としての年金が毎年1兆ずつの増加がある、現状を理解し復興交付金は有効に使って欲しいと、被災自治体自治体トップに強く言いたい。
朝刊に「小野寺寛町長選挙出場表明」とあった。後2か月を切り本格的に選挙戦が動き始めた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2013
09/01

大きな町民の移動に驚く


昨夜は登米市米谷の「雇用促進住宅」に二人の同級生を訪ねた。2年半を迎えようとしている「あの日」から、大きく人生設計が変わった二人に、被災後に「みなし仮設」に移り住む現状と今後を、食事をしながら語り合った。初めての訪問に快く答えてくれた。
大きなショックを現実の出来事とて知り受けた。必ず帰って来るとは言え、住所を登米市に移したと話され、長引く町づくりへの高台移転から、一定の落ち着いた生活をする為に、登米市民になったと私は理解する。また、多くの町民の登米市への新たな移住の現実に、町の再建に大きな問題点が拡大していた。
住民の生活環境にスーパーが無いのは不思議と言う。現在の生活は登米市中田に15分、石巻に30分で南三陸町に帰るのも25分ながら、現在の町には生鮮食品の買い物ができないのは不便と言い、高齢者の生活のできない状況が、仮設住宅を建てたものの、普通の生活や高齢者の買い物の足が無いと、町再建への町の取組方を指摘していた。スーパー出店には行政も協力すべきと、声を大にして言う、既存の商店を守るためだけの政策に、町の発展はないと一刀両断に否定した。私も再建する商店は守りながら、生活環境の整備・高齢者の足の確保は、高台移転が後2年以上も掛かるなら、当然町が取り組むべき事業で在り政策に掲げるべきと思う。
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2年半も経つのにいまだにこんな状況が町に広がっている。商店の再建は住民の為と、中小基盤機構による5年間の営業が華々しく開店し、行政の大きな支援と、商工会・観光協会がタイアップして支援し営業ている。志津川市街地への商店の再建へ、基盤機構の商店が今後移り、営業始めるまで27年末から28年と言われている。住民の為にどれくらい役立っているか、私を含めた多くの町民は口にしている。
さっきも東京の同級生から電話がきた。町の状況に変化はありますか、選挙の動向はなどを、機関銃のような質問攻めにあった。現在は高台移転・災害住宅への入居への問い合わせが多く、土地問題などその支援やアドバイスに追われている。

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