ARCHIVE - 2013年08月

2013
08/31

戸倉中の最後の運動会


8時50分からの志津川中学校の運動会の入場行進が始まった。週間予報の曇りに傘マークが心配されて、運動会の開催が危ぶまれたが、何とか開催の天候に、皆さんの頑張りが天に通じたんでしょう、と校長は挨拶で述べた。
クラス対抗で「赤」「緑」「青」に分かれての競技は、1~3年生の各クラスごとの勝敗で優勝が決まる。学年の垣根を越えた連帯で競技に向かっていた。長縄跳びは0回や35回など、短い練習期間での結果の違いはあれど、一生懸命に取り組んだ結果として、笑いあり歓声ありで、会場に集まった家族を楽しませていた。
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来年から志津川と戸倉が志津川中学校で統合となる。
志小の校長先生が都中から、「戸倉中の運動会に行きます」と話され、志中運動会を後にした。私は戸中の運動会を知らずにいた。地区民が伝統を築いてきた学校の、閉校は悲しい事と思う。震災での人口が子供達が少なくなった現実で、教育委員会は震災前は27年の当初の予定を、この現状で26年に早めた。志津川小学校校庭に向かった。
「最後の戸中運動会」、この光景を伝えるために、私も5種目で席を立った。にぎやかな実況放送と風景に、親が参加しての親子いっしょの競技など、集まった戸倉住民の笑いを誘っていた。応援は「白組」「紅組」分かれて、チーム独自の応援合戦も、生徒数は少ないながら元気は声援を送っていた。
今日は歌津中の運動会も開催された。全てを廻っての光景の報告は私一人では無理である。また、伊里前小の兵藤先生が先週の金曜日に退職されるとも聞いた。清水小・入小そして伊里前小校長として、長年、南三陸町の児童の教育環境の充実に努力された。長い間「ご苦労さまでした」と言いたい。
地元の新聞に町長の対抗馬としての出馬の噂があり、それも二人と聞いた。佐藤町長の9月定例会で出場するかを表明すると言う。今後も町の話題は尽きない。
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2013
08/30

人の話を聴く内弁慶に


現在は父と二人で一部屋に住んでいる。自分が仕事を始めた頃から、20年は仕事の話以外は父と話はしなかった。そのクッション的な存在が母だった事を思い出す。その母は現在施設で入所者と暮らし、私が会いに行っても母からの言葉は無くなった。
昨日は一日話す言葉は無かった。今日の朝、4時に私は置き原稿のまとめをして、食事の準備をバタバタと始め、三日前の残ったジャーのご飯を食べようとした。父がご飯を移し米を炊こうとしている。「残ったのを食べるから」と言うと、耳の遠い父は「なぬ!」と言い、コメをとぎ始めた。また、二人の中には会話が無くなった。時間は朝5時で、こんなに早くしなくても思う。父の一日の三分の一は横になっている事が多くなった。昨夜は父の為にと大根をサバ水煮でおかずを作った。
仮設での現在こんな環境にある家庭もあり、多くの問題発生を聞く。また高齢者の一人住まいも多く、手を差し伸べる先は仮設を廻る「福祉士」だけと言う世帯の、不安の大きさを思い、人と話をする事で救われる
写真は「南方仮設」の主要道路に、オレンジ色の夕日が綺麗だった。盆踊りの会場の南三陸町民の、今後への生活を決めた方と、町の高台移転を待つ方の、笑顔と様子には大きな違いを私は感じた。
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私の会社向かいにアパートの建設が進む。今週の日曜に始まったばかりなのに、昨日は基礎に生コンが流された。信じられない被災地で在りながらの、工事の進捗の姿が見られる。建設会社は岩手とも聞く。
現在、自宅のローンの申請を進めている。最終段階ながら建物共済に一括支払いがあり、私の内容で45万円が掛かる。また、銀行の「保証協会」や手数料で35万円も掛かり、住宅建設費以外に70万円、それ以外にも現実経費が発生している。高台造成がなっても住宅建設の厳しさを感じる。だから災害公営住宅の需要の拡大を予想する。公営住宅の事前申請が40%とも聞き、住民の今後の意向も決断が付かないでいる気がする。
大崎市で災害公営住宅が建設される。170戸で今からの建設ながら、来年6月にはできると言う。それに引き替え100戸に満たない数だけが、南三陸町では建設中で、残りの900戸は28年3月から29年度末までと、被災地で何を住民が求めているか考えて欲しい。亘理町では、土が足りないと神奈川県?から船で輸送に、土盛りの土として活用の他、防潮堤にも使うと言う。自治体トップの積極的な復興事業の活動がある。東松島市の市長は津波震災の農地208haを、28億の圃場整備・水路建設を、県下で初めて事業化と、メディアが伝えていた。
被災自治体に住民が求めている事を、把握しての早期の事業の完成の為の行動が重要だ。

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2013
08/29

南三陸の過去と今


南三陸町の「慰霊碑建立」のプロジェクトは、津波記憶の風化しないようにとの、ここまで津波がきたことを、百年千年も先までも伝える、モニュメント的な石碑の建設が目的と、担当者からの考えを聞いた。
とりあえず建立場所の候補地を見てもらった。上の山緑地の「海円寺」さんの敷地と、町の公演の部分が、志津川市街地を望む好位置と、プロジェクトの皆さんも納得の場所だった。海円寺さんの奉られる石碑があった。「明治大津波」の碑で120年前の津波襲来を、後世に伝えるもので、先人も偶然にもこの場所を、祈念石碑建立の場所として選んでいた。
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帰り折立漁港に大型サルベージ船が停泊していた。折立漁港は復旧改修工事が未だに進んでいない。進捗率が3%との話も聞く、期限の決まっている工事で来年までの予定だ。全ての漁港として機能を流失した物の、復旧は現実的に厳しいと言う。
サルベージ船は海底の護岸の瓦礫を取り除く、漁港再建の第一段階の作業と思う。多くの瓦礫が引き揚げられ、その瓦礫の中に不明者がいる気がしてならない。

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2013
08/28

かさねがさねの想い


こんな表紙のパンフレットを見つけた。「かさねがさねの想い」と題され、加藤広重氏の作品が表紙にあった。内容には「被災地の空に響き渡るような、演奏、歌、朗読・・・」とあり、そのテレビでのオーケストラの演奏に、広重氏の絵が映った。その絵の色とむき出しの鉄骨に違和感を受けた。
「南三陸の黄金」は絵に付けた題名と思うが、町の全ての消失と鉄骨の空洞感のこの二つが夕焼けに黄金に輝き、土地本来の姿と故郷再生の希望を絵にしたと、広重氏は解説をしている。現実のこの姿への想いは千差万別で、この絵への感動は町内には少ない気がする。しかし、多くの全国の人々に南三陸町の悲劇を伝えるには、最高の絵のように思うし、音楽家や関わったアーティストと支援団体へは、風化させない意味では素晴らしい活動と思う。この絵を見て南三陸町を直に見たいと思う人は沢山いるだろう。又これば交流人口に繋がると思うと、複雑な気持ちになる。
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昨日、役場に用事で出かけた。志津川東地区の着工式が先月25日にあり、やっと高台移転が進むと思っていた。しかし、一か月経っても現在の役場向かいの、森林の造成への木材伐採などの姿は見えなかった。昨日、現場を見ると森林の伐採が始まっていた。
親子の関係は色々ある。「藤圭子」と「宇多田ヒカル」の親子関係も、二人の持つ内面的な事情と考えに大きな溝があった。12年前に娘の発した「もう私の前にいないで」との言葉で、12年間も親子は会う事は無かったと言う。世間一般でもこんな事はある。娘、ヒカルは自分の歌でメッセージを母に送り続けていた。
私も今、相続問題があり、従妹たちへの連絡を取っている。祖母が亡くなった時に伯父叔母そして孫たちが集まった。それ以来疎遠になっていたが、電話の向こうには変わることい従妹たちがいた。

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2013
08/27

町の計画は実現するの


志中の仮設に行った時の市街地の風景です。あの時からこの光景は変わらないように私は見える。この日もマイクロバスが2台が志中の高台にいて、ここからの市街地を見に来たようだ。
この風景は町の復興計画により一変する。向かいの「旭ヶ丘団地」の左側にある杉山は、西地区の高台移転場所なから、固い岩が出たせいで2カ所に分裂され、整備造成完了が29年度と一番遅くなる予定だ。「高台連絡横断道路」と八幡川の「河川堤防」が今後出来る。堤防は海岸部からの海抜で8.7mを予定し、県の合同庁舎前が嵩上げ0mの部分にあたる。その八幡川に架かる西地区からの連絡道路は、川を超えるために10mを超える事となる。
目の前の空き地は南三陸町民の買い物の場だった、「ウジエスーパー」が再建出店予定地として看板が立てられ1年半にもなる。説明したように河川堤防と連絡道路の完成により、道路からの出入り口の問題で、建設に至っていないのが実情と思う。県合同庁舎跡地は送迎バス置き場となり、観光客の駐車場として利用され、町の住宅があった場所は住民と観光客との交流の場という「ポータルセンター」が、観光協会への義援金で建設されたと聞く。
今、被災者住民が必要な物はなんなのか? 住民の早期帰還には何が必要か? 人口の流出阻止に何をすべきか? この辺を最優先の問題として、行政は取り組むべきだと思う。
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何気ない四季の移り変わりと、虫たちの営みに、戸倉荒町の山の工場では出会える。町中の喧騒と人間の「我欲」のドロドロした関係を、忘れる事ができる。
今日の我が町は朝から、雷と豪雨にみまわれ、町中の冠水を心配するも、大きな被害は無かった。川の氾濫・洪水も午前中の雨の予想で、天災の発生には至らず、天から見守られている気がする。

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2013
08/26

日々変わる被災地の今


通勤時にしばらくぶりで、いつもの場所からの写真「荒島」を望んだ。自然は四季での変化はあるものの、変わりなく南三陸町の志津川湾に鎮座する。
昨日の異常気象は大阪梅田に「ゲリラ豪雨」をもたらした。10分で27.5ミリが降り、繁華街は一瞬にして冠水し、飲食店などは冷蔵庫など食品の全てを駄目にした。一時間にすると「160ミリ」になると言う。「命を守る行動を」と気象庁は言うが、何処に発生するか判らない一極集中の豪雨、冠水対策も講じ方にその難しさを思う。島根の江津への豪雨も多くの災害をもたらし、8月の降雨は「474ミリ」と、平年の8月の3倍にあたる。排水が追い付かないと言う、被災地の現状は海や川に囲まれた南三陸町に於いても、考えられる災害であり、対策の為のう回路の整備は決して無駄ではない。
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水尻川と大型土嚢そして自然の山々、そこには惣内山の峰が連なっていた。しばらくぶりのガスに曇らない青空が綺麗に南三陸町の上に広がる。
「口は災いの元」とよく言うが、「リップサービス」の大聖な私には、大きく気を引き締めなければならない部分だ。今後は「貝になる」事に努めたい。
今朝は震災後に懐かしい人が訪ねてきてくれた。町内の方ながら被災前は毎月のように会社に顔を見せていた。兄弟の身内が亡くなりましたと言う。南三陸町の町民は何処かかしかで、兄弟・親戚・従妹など、誰かが津波の被害を、人的・物質的にも被っていた。

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2013
08/25

気仙沼の仲間と語り合い


気仙沼での昨夜の仲間との親睦会と、午前9時からの剣道大会は、志津川スポ少の2回目の大会出場だった。小学生2年生が二人ながら大会への出場は、経験を積む事を目的とし、「勝つため」に「負ける事」も一つの通過点と位置付けている。子供たちはまだ本格域には中体連終わりからながら、一生懸命に頑張ってくれた姿に、まだまだ一線を退く事に、やらなければならないとがある気を気付かされた。
帰りに本吉町大谷を通った。45号線は大谷海岸と平行して走り、大型土嚢で海岸からの海水の流入を防いでいた。大谷での防潮堤問題はどうなっているのだろう。海岸の麓では大型旅館「海洋館」の建設が鉄骨4階となり白亜の館が再建されていた。
帰りに平成の森の登り口には「楽天・・・」と看板があり、車の案内者が駐車場に立ち、歌津地区に沢山の駐車場が準備されていた。「楽天田中」が日本中で、世界のメジーのスカウトの見守る中で、チームの5連敗を阻止し連勝の記録を伸ばしている。その楽天のイースタンリーグが南三陸町で開催されているようだ。
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仲間との会食のなかでの諸々の話題で、「もう潮時じゃない」と指摘された。誰が志津川剣道の伝統を継承すればよいのか、剣道の担い手の確保が出来ていないが、その後継者が今、芽生えつつある。
開会式で一人の選手が倒れた。夏休み最後の日曜の大会、学校の始まりと大会の練習があり、緊張での睡眠不足が、一時的な貧血状態となり倒れたのだろうか。
明日から学校が始まる、気を引き締め青春を謳歌して欲しい。

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2013
08/24

今朝の志津川市街地


大潮と満潮が現在の朝に丁度あたり、志津川市街地の「今」がこの写真です。九州地区では連日の35前後の気温による、海水の膨張で市場や沿岸部の地域が冠水していた。
今年は太平洋高気圧と大陸のチベット高気圧の影響による気温以上があり、寒冷前線の停滞や湿舌、高気圧の重なりにより四万十市が「41度」と国内の最高気温を更新した。自治体は前までの埼玉は熊谷?は2位となり、四万十市は「日本一熱い町」として、町起こしの一つに加え商魂たくましい姿を見せた。反面、四万十川の渇水は深刻で、こんなに雨が少ないのも初めてと聞いた。名物の「鮎」のとも釣りも、暑さの為に鮎が冷たい所に停滞し、活性化も見られない事から釣り客も少なく、今年の7月からの「鮎漁」も不良で、今後の漁が深刻な問題となっている。
今日は「八幡川かがり火まつり」として、第28回復興市が開催される。前回中止となった「南三陸夢メッセージ花火」も7時50分から開催される。今日の天気は良いようだ。
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三国連太郎の生き方をNHKで「懐かしい人」として、亡くなられた方の生き方を紹介する。幼少の頃は中国に渡り点々として、終戦後日本に帰り、闇市を歩いていて映画プロデューサーにスカウトされた。第一回目の映画の役を、芸名として逝去するまで貫きとおした。映画の役作りに歯を10本も抜いて、主役した役づくりこだわった。生き方の考えは「正しいと思う事に正々堂々と向かう」、「そうすれば敗北はない」と言い切る。
ピートローズの記録は「4256本」、あと「256本」は出場機会の関係もあり、イチローの過酷な環境での記録達成を祈りたい。島根県への異常な降雨に「最大級の警戒を」と気象庁が発表した。これで今年今までにない気象報告は2回目となった。
私が「被災地での異常気象への災害対策を」と、被災後に何度も言うが「馬の耳に念仏」的な感が否めない。できないのが現実がら、対策を講じておかないと、何かが起こってからの言い訳に、「被災地だから」で、もう許される事でもない気がする。

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2013
08/23

悲喜こもごもの一日


朝から昼から夕方と、色々な出来事の一日となりました。
私のこの中で一番の心に残ったのが、「藤圭子」の自分死だった。藤は若い時代の自分はこの名前で一生懸命に生き歌い、家族の生活をさせてもらったと言う。藤圭子の名前を言われると、それはもう終わりましたからと、「自分を全否定」した。55歳のインタビーされたこの時すでに、心と体が特別な状況にあった気がする。
そんな一線から離れた時に「宇多田ヒカル」の娘の誕生がある。「オートマジック」は藤圭子の二世として鮮烈デビューだった。普通に芸能生活で生きて、育ててくれた歌手と言う職に生きたらと思うが、自分の生き方を全うしたのだろう。
今は、「阿部純子」と本名にこだわり、藤圭子はもういないと言い、娘のヒカルに世界のミュージシャンとしての夢を、家族三人で目指した。その為には辞めた歌に戻ったりして、子供の為に生きようとした。ヒカルも行方の解らない母を探すために、歌を休止したとも言われる。歌手である事で時間が束縛されての芸能界、宇多田ヒカルは母とは違う生き方をしてもらいたい。たしか一線での結婚・離婚は同じで、何とか無理しないで、共に生きれるパートナーを見つけ、支え合うパートナーを見つけ、素晴らしい楽曲で若者に元気を与えて欲しい。
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昨日は志津川小学校に剣道スポ少の団員の取得した、剣道の賞状を校長に手渡した。校長先生はわざわざ立ち上がり、生徒の頑張りを褒めてくれた。これが教育と私は思い、部外者の学校訪問にいやな顔をする所もある中で、地域との係わりを大切にする、学校のあるべき姿を思う。
甲子園の高校野球の今年のドラマチックなゲームに、こんなにも楽しまされテレビ視聴した事は、近年なかった。見るゲーム全てが9回終わるまで、安心できなく「最後まであきらめない」、この事を高校野球は教えてくれた。
後は「イチローの4000本安打」だろう。世界一には後400本ちょっとで、2シーズンで達成できるとも言われる。世界のピートローズ?があり、日本選手がこれを超える、正にドリームです。私が生きている時代では、イチローに並ぶ選手は世界でも出ないだろうと思う。
写真は保険セイターに並ぶ震災を受けた、バイクが今でも一面に並べられていた。もう一枚は会社の隅っこに咲く花があり、その花が何本も寄り添い咲いていた。一人では生きられないが、一人は楽なようだが、逆に苦しみも一人で背負う事で、一生を暮らす中で大変な一面もある。生きてきた中で作られる仲間の存在が、一生の中でも大切だと言う事を、常に心に持っていて欲しい。今からでも遅くないです。

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2013
08/22

復興が進まないのはなぜ


昨日は町村議会の被災地セミナーが大和町であった。県内から394名の関係者が集まり、東松島市長の被災からの復興が語られ、多くの人脈を活用しての市の再建を説明した。仙台大学の教授は「復興に向けて~私たちに何ができるのか、共に考える~」を講演した。復興の姿は何処も同じだが、被災自治体の状況によって、そのスピード感が違う。この辺は同じ苦労であるが、復興の進捗率は大きく差が生まれていた。それが人脈を使った復旧活動を声を大にして話していた。次は再建へ向かう事業所や個人には、多くの制度があり自治体や国県がそれを支援してくれる、こうした再建への意欲が必要と言う。これは、多くの制度や自己での再建取組ができる人だけに言える事で、高齢と事業環境により再建断念しようか、悩み苦しむ人達も多い。
地元にある大企業や弱小事業所の再建は、町づくりに同等に必要なものと思う。教授が言うのは大震災を負い全てを無くしても、事業の再建に取り組めば、多くの制度があり活用で再建できるし、国・県が支援をしてくれる。との話だ。被災事業所の大部分が再建を模索するも断念しているのが、現在に至っている。地域民が必要としている、町の再建に必要だと、「もうひと頑張りしてほしい」と、町が働きかけで行く事も私は必要と思う。だが津波の脅威を肌で知った事で、被災商店の市街地ならず、復興が進まない生まれ暮らしてきた町で、「生業を続けていきたい」希望は、再建も精神的にも厳しい。
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先週末の「防災庁舎」の光景で、亡くなられた町民への慰霊とは思うが、多くのバス・車両がこの場所にある事に、私は感謝よりも「何この状況」と違和感を抱くようになってきた。震災からの復興が計画通りとは言え、こんなにも市街地の再生が遅い被災自治体はない。進む状況は八幡川の地下の地質調査にあり、27年度までの「河川堤防」の建設に向かう、県の工事ばかりが目立っている。先月の東地区の着工式から1か月が経とうとしているが、住民移転の高台造成の姿は見えない。
早期の高台移転の重要性を今後も町には言い続けたい。何も町独自の策を講じない時の、人口の減少による町の衰退の責任は町にあり、トップを選んだ町民にもある。町民のせいにしようとするかも知れない。選挙選択の責任が町民にもある事の、認識も持たないといけない。仙台市長選も現職の圧勝ながら、35%の前後の投票率があった。
「10月27日」は、宮城知事選と町長・町議選挙の予定である。私たちの町づくりの決定権者、そしてチェック機関としての役割にふさわしい、町全体を考える人の選択が、早期の町再建には欠かせない。

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2013
08/21

盆踊りの輪が広く


夕方5時から8時まで「南方仮設の夏祭り」が昨日あった。午後3時頃、「今年は来ないの」と知人から電話が入った。昨年から南方仮設で暮らす被災者の皆さんに会いに、そして笑顔を伝えようと出かけていた。知っている方は一部の人たちながら、多くが南三陸町の方で、地元登米市の皆さんの支援もあり、仮設生活者ならず登米市で暮らす方々が集まっていた。
6時頃に会場に付くと「カラオケタイム」だった。男性がステージに立ち、長渕の「ひとつ」を歌った。現在私がはまっている歌で、「一つになって共に生きる」がある。歌詞は離れていた二人が一つになる! と言う歌詞ながら、「町民が一つになって故郷に帰ろう」との言葉に、私は言い聞かせ「必ず帰って来てください」の願いを伝えた。
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7時を過ぎるとあたりは暗くなってきた。普通の提灯と特製の灯篭が会場を包んでくれた。メインエベントはやはり「盆踊り」、最初は恥ずかしがっていた観客も、一人二人と踊りの輪に加わ、輪が大きくなっていき、着物姿の若い女の子達も輪に加わった。中央では音楽に合わせて「太鼓」が敲かれる。昔懐かしい盆踊りが再現されたと思えた。登米市の市長・区長らしき方が、集まった町民の皆さんと話をする光景が見られた。自治会長に「町長は」と聞くと、「所用で今日は来れない」との事だった。昨年は出張の帰りに会場へ寄ってくれたが、是非、遠く登米市で暮らす南三陸町の皆さんに、「必ず帰ってきて下さい」との、メッセージが欲しかった。CIMG2506.jpg
ハッピ姿の女性群の踊りの会も、盆踊りに華を添えてくれた。盆踊りは元より、「トコヤッサイ」も踊ってくれた。多くのイベントへの出演で登米市民と南三陸町民との、交流の架け橋ともなっている気がする。
社会保障改革で、70歳から74歳までの高齢者の医療負担が、2割になると言う政府の骨子が発表される。2014年とも言われ負担増は、被災地の高齢者に更なる重荷となりそうだ。

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2013
08/20

安閑とした体制は長続きしない


昨日の夕方西の山陰に沈もうとしている「洛陽」に目を奪われた。毎日繰り返される自然ながら、昨日の感覚はまた違ったものだった。
仙台育英に勝利した「常総学園」がある。今年はピッチーがイイ、バッターもホームランを量産している中で、「筋書きのないドラマ」が毎日起こっている。「前橋育英」との準々決勝はまさかの出来事の連続があった。常総学園が9回裏まで2対0で、2アウトランナーなしから、「2塁ゴロで終わり」でゲームセットと思った。エラでもこのまま終わるだろうと皆が思っただろう。常総の好投手の「足のつり」で9回交代、2番手の投手も2アウトからの同点、延長逆転負けも、諸々のまさかの出来事の連続がドラマを生む。常総のピッチー途中交代は「熱中症」の可能性があるとの判断だった。見る側も野球ドラマに酔い、選手も勝つことの厳しさを知り、今後の人生の厳しさを乗り越える、良い経験としてこの結果を噛みしめて欲しい。全てのゲームにドラマがあり、今年は意外と高校野球が面白く、プロ野球「楽天の田中の連勝」や、ダルビッシュの三振の数など、楽しみがいっぱいだ。
今回は東北の「花巻東」と、ボーイズ・ビー・アンビシャスの校歌で有名となった、「日大山形」が準決勝の明日に進んだ。東北の準決勝への2チームは24年?ぶりと聞く。今回こそ「白川の関越え」を達成して欲しい。ダイリーグのダルビッシュもできなかった事を、今年の東北の選手たちはやってくれそうな気がする。「少年よ大志を抱け」である。
昨日の甲子園は一点差ゲームが全部で、2転3転のゲームは見る方は楽しいが選手の精神的なストレスがあり、練習積み重ねはあるものの、極限の精神状況の中で、出身高や自分の為にこの甲子園に臨んでいる。
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水尻橋に差し掛かると信号が黄色から赤に、海の真っ暗の中に明かりが見え、その光景に今の町の状況がダブリ、伝えたくて写真を撮った。
尖閣や竹島の領土問題が連日、中国と韓国の強硬な行動を見て、心のいら立ちが消えない。国際裁判所に委ねると政府は言い続けている。新たな「竹島問題」の事実を聞く、全大統領の「ノムヒョン氏」の北朝鮮との裏取引が暴かれ、それを国内に知られないように、その国民の意識を目線を日本の領土問題に向けさせ、娘の現大統領の政権運営に支障のないように、「民主党」の立場を守る為に、竹島問題を民主党が煽っているとの話が、日曜の政治番組で語られていた。
政権奪取や身を守るための工作は、国民・町民を偽りの「愛国心」で唱っている一部を知った。

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2013
08/19

山海の恵みに包まれる我が町


太陽の輝きに「黒崎パーキング」に車を止め、海上で作業する数隻の船に海の更なる復旧の姿を見る。被災前は「密殖」が問題となり、湾内の環境悪化が取り正された。現在は湾の海底の浄化となり水族の育成も良好となっている。
土曜にハウスメーカー展示場に石巻に出かけた。夕方4時過ぎたばかりなのに会場は閑散としていた。二つの見学したメーカーに多くの販売戦略の違いを見た。坪39.5万円とは唱っているが、仕上がりは45坪で2500万円と私には手の届かない価格の、最終支払額に驚く。15坪の総二階でも1500万円ではできなく、諸費用を含めると1800万円から2000万円と言う。モデルハウスの出来は申し分のない建物設計で、この部分では欲しい気持ちが募った。もう一軒は「二世帯住宅」をコンセプトとしていた。私のような両親を抱えた家庭には手が出ない価格がそこにはあった。1500万円の本体価格でも仕上がりまでは、2000万円を超える価格が提示された。モデルハウスは3500万円で、親から子供と二代でのローン返済を考えていた。営業は来場者に家庭の状況と今後の計画を聴き、これに見合った建設の大きさ・支払など、無理をしての住宅建設には慎重にと話す。建物への強い自身は耐久性など、「50年保障」を胸を張って話す。
被災民の全てに建設の可能性は低い事を実感する。公営住宅の増加が見込まれ、戸建の賃貸公営住宅の需要拡大と、土地買取の住宅建設の厳しさを痛快する事となるだろう。
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被災した気仙沼線の鉄路施設の有効利用が図られ、区間内の7割近くが復旧し、被災を逃れたトンネルが効果的に利用され、バス輸送の区間時間短縮に進んでいる。写真は黒崎パーキングの上にあたる部分です。
復興交付金があるからそれで町の再建の全てを賄わせると言う、こんな町の考え方は国民の税金と言う観点からも、違う気がする。町の土地や住民の理解のもとで、出来る限り町の用地の活用を図るべきと私は思う。

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2013
08/18

亡くなった方が皆さん見ているよう


30万本と言われる向日葵畑とはいかなく、宮城県三本木のひまわり名所の程でもない、
だが、被災地の真ん中にある15㎡にも満たない、「向日葵畑」は被災地南三陸町を黄色いっぱいに一部を明るくさせ、大きな花はまるで被災地の現状を見つめている人の顔に見えてきた。行政が今おこなっている町の再生を、町づくりの根幹を担う行政トップや、自分が潤う場所と個人的な「私欲」がここにあってはいけない。それを見失っている方が、復興と言う言葉を利用し、住民の帰還や生活の再建の「足かせ」なっている部分が、多々ある事を思い知らされる。亡くなられた方は間違いなく見ています。
今日、岩手県大槌町での「公営住宅見学会」をテレビで伝えていた。我が町はと言うと早い物で26年9月頃の入居可能だ。これから入居者の選定が図れる。現在、公営住宅仮申込書の申請を行政は求めている。大槌の今回の見学会は70戸と言い、125戸の公営住宅と聞いたが、現在24戸の空きがあると言い、被災地の復興の遅い弊害がここにもある気がする。南三陸町も1000戸近い「災害公営住宅」を建設予定といているが、27年度末から30年度までの整備で、この時まで南三陸町住民は待っていられるだろうか。大槌の数字の結果を見れば、当初は125戸の希望があり、復興交付金を活用し、希望があった数を建設したと思う。それが5分の1減った事となる。我が町はすでに多くの人が町外へ離れつつあり、これでまた2年3年を住民が待てるかと言う現状を、行政は把握しているかが疑問だ。1000戸から何%減少による空き部屋は町の責任として、その経費は町の負担という事は町民の負担でもある。行政の事業の遅延の結果が「ツケ」を町民が支払う事に繋がる。
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現在、何を重点目標に町の再建を行うかは、行政のトップの判断が大きく、その監視役としての議会の役割があるが、その発言力が低下している気がする。復旧復興に向かう現状の行政の事業に、意義を申し立てる事は「タブー視」されている風潮がある。町民の人口流出阻止は被災地南三陸町が抱える、復興の加速をと同じ位解決しないといけない問題で、その阻止の対策は生活の場所の早期整備でしかない。
「復興計画」の元で町長ばブレない政策を貫くと言った。スピード感も必要ながら「ニーズに合わせた修正」が、色々な問題が発生している中では必要不可欠な事実と思う。

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2013
08/17

どうすれば?


五日町の阿部旅館の跡地に付近に「向日葵」が植えられ、今朝ごろが満開だろうと、その場所に行き写真を撮った。しかし、写真の向日葵よりも印象的だったのが、上山八幡宮への登り口に咲く自然の草花の黄色に、強い今の生活と、町の現状があると感じ、この写真を今日のトップに載せて見た。
被災前「門前町構想」を町民の支援団体の会で、公演会を開催しそのルーツに感動した。南三陸町防災庁舎は八幡神社の跡地にあり、その脇に町役場があった。移築された神社は残り社務所で神社の運営が成されている。宮司さんの自宅は津波で全壊したが、移築された神社は1000年に一度の大津波でも被災なく残った。神様に見守られたかのような真実で、人間の思いのままに町がつくられた事への警鐘があった。
合併時の5年前の志津川・歌津での議会の決定に従わなかった、現行政・政権の体制判断が、尊い町民の命と優秀な幹部職員の命を絶つ事となった。ちゃんと自然の流れと町民判断で「移転」して、この災害が減災へと導かれたはずなのに、その機会を何人かの「稚拙我欲と政治判断」の中で、今回の大惨事が発生したとは、過剰な私の読みだろうか。
町の再生は門前町での商店街形成で、住民の住居が「避難路確保」の上で、嵩上げされた場所への再建も、意外と町民が納得できる町再生の一つの方法なのかも知れない。
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このお盆時期にも多くの方が防災庁舎の前で手を合わせた。観光バスでの来町者もテレビで報道されていた。亡くなられた町民・職員は、いったいどう思っているのだろう。合掌し一分位問いかけるも、何の考えも声も聞こえてこなかった。
昨日のテレビで女川町の中学生が、「自分たちで何かできないか」と考えた末に、津波到達地点に「記念碑」を建てる活動をした。修学旅行先でも「募金活動」をして、現在700万円を集めた。一つの祈念碑に「50万円」が掛かり、20カ所に立てる予定で、1000万円を必要とするが、大人でも集めるのに大変な額に頭が下がる。
我が南三陸町には「慰霊碑」などの津波での逝去者の追悼の場も碑も建てられていない。800名を超える犠牲者への、残された家族そして町民の願いは何処にあるのが。町の再建に今、交流人口の必要性や、観光客重視の行政の政策を、町民は望んでいるのだろうか。
楽天「田中」が球界の偉業達成をした。21連勝と開幕17連勝である。町の再建を果たしても行政トップの町づくりを、私は偉業とは絶対認めない。そこには町民不在と思える政策があるからだ。

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2013
08/16

ばっぱのごはんが美味しい


南三陸町戸倉地区と言えば、「神割崎」「キャンプ場」だが、私は「椿島」で青島とも呼び、小さい頃には東京からの従妹たちが来ると、船をチャーターして遊びに行った事を思い出す。現在は許可なしに上陸はできない。写真は滝浜漁港の災害復旧工事の嵩上げが進む、光景と向かいの「椿島」です。
昨日の夕方「OHばんです」の宗さんの番組で、「南三陸の企業した女性たち」と題し、3軒の店を紹介した。
「たみ子の海パック」は、店主が選んだ南三陸の産品をパックにして発送している。苦手な「パヒコン」の活用が必要で、仮設暮らしの女性を雇用し、ホームページなどで発信をしていた。
「まゆ工房~彩(いろどり)~」は、戸倉小学校で学習の一環だった、蚕の生産・繭細工を、仮設暮らしの中で製品化に取り組んだ。「販路拡大が今必要なんです」と、活動の販売支援をお願いしていた。
「ほったて小屋」は、被災当初の原発の風評被害で、名産のホタテが売れなかったと言う。「こんなに南三陸町戸倉のホテイは美味しい」と言う事を伝えたくて店を始めたと話す。店主は孫に「ばっぱのご飯が一番美味しい」と言ってくれた。ボランティアさんの支援も受けて何とか現在まで続けて来たと言う。
被災直後は「海が怖い」と多くの若い人達が地区を離れた。その人たちに「戸倉は良い所だよと伝えたい」と言う。涙ながらに話す店主の女性の姿に、震災後も多くの問題と苦悩が被災した浜にはあった。
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震災後に女性の起業を推進していたのが「ジョネット」だった。防災庁舎の隣りのトレーラハウスが事務所としてある。町内でも個人的に女性の皆さんの「起業」の話を耳にする。色々な制度があり、活動している団体の支援も活用し、町民皆さんと町の再生を図っていきたいと思う。
「がんばろう宮城」として、復興のために起業した女性たちを取材していたレポーターは言う。国道45号のBRTの陸前戸倉駅前の「ほってた小屋」さんで食事をして、水戸辺の仮設の「まゆ工房」さんでお土産を買い、海岸線をドライブして「たみ子の海パック」さんで、友だちに海の幸を送る。こんな戸倉の旅なんか楽しいと思いますと、自分ながらのプランを紹介した。
やっぱり「海が怖い」が現実としてあった。「怖いが海でしか生きられない」と、徐々に怖さを克服し戸倉の海に戻った方の事を思い出した。

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2013
08/15

早い鉄路のバス復旧

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終戦記念日となる今日は町中の修復工事も休みとあり、助作の気仙沼線のバス代替の道路の現場に行って見た。しかし、大久保の工事現場は、この日も当たり前のように作業員が重機で周辺の整備をしていた。9月とも言われる区間開通の目標に向かい仕事をしていた。
写真の遠くにトンネルが見えるが、あの大津波は向かいの山肌をなめるように、奥へと進行し全てを破壊して行った。町の崩壊よりも旭ヶ丘団地から見ていた私は、その記憶が今も頭にこびり付いて離れない。「あっ」と言う間に線路を越えた。その後の私の目線は「八幡川」へと移った。その恐ろしい光景を目の当たりにした。家・船など全ての下流にあった物が、黒い水となり津波の通り道となった川が、盛り上がり上流へと加速し進んで行った。
テレビの報道に「うそー!と空を見上げた」と答えるしか無かったと話したが、この目でもっと現実を見つめる事をしておけばと、今となって思う。逃げ惑う眼下の人たちに「津波が来ている、逃げろ!」と、大声で叫び、後は津波で右へ左へと流れる、家を眼で追うしかなかった。
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写真の線路の上を走る「国道398号」は、約10mくらいだろうか、遥かにここを超える高さで大津波が襲来した。河川堤防(バック堤)は8.7mを基準にするが、高台移転場所の連絡道路は、27年度までの整備予定で、八幡川に架かる道路の高さは10以上になる。
この助作は中学生の「通学路」でもあったが、現在は工事などの為通行できなく、「通学バス」が小中学生を送り迎えする。全ての土地には自然の野草が元気に茂り、そして花を付けている。自然の力は復旧復興を妨げるかのように、自然のありのままの姿を呈している。
「お盆休み」は私にはないが、有効にこの時間を過ごしたいと思っている。

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2013
08/14

ひとり墓参り


小さい頃から物心付くまでに母に言われた事がある。「お盆の墓参りは一人では行くものではない」と、その母は施設に入所、共に90歳となった両親で、父は昔からお盆の14日の墓参りをしない人である。ここ10年ぐらいは私一人で墓参りをしていて、この現実は自己責任として今後も続けて行くだろう。あと何年間これができるだろうか? 我が家の墓まで坂道息が上がる。
今日は4時に起きて、4時半に戸倉に忘れた「黄金郷菊」を取に行く。黒崎パーキングからの日の出をしばらくぶりに見た。志津川湾の中央から登る太陽、赤々と朝焼けと海面に長く伸びる。立秋を過ぎて間違いなく日は短くなり、5時30分ごろから世間が見えるまでに、夜明けが遅くなっていた。
昨日も昼間に父からの、「SOS」の携帯が鳴った。心臓がおかしい、動機が止まらない。私は「無視」を続けている。なぜかと言うと、朝から毎日おかしい、体調が変だと言い続ける父がいて、エアコン調整ができていなく、誰が自宅倉庫に来ても「熱いごだ」と、部屋の温度管理が出来ていない事を言う。90歳を超えた高齢者には機械の調整は出来なく、現在2人暮らしの我が家、付っきりの生活などできるはずもない。今年中には自宅・工場が小さいながらもできる。毎日一緒に暮らせる日も近い。
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我が家のお墓から見る大雄寺の墓地の風景で、毎年、お墓が綺麗になっている気がする。最上段にある我が家の墓地、まだ上にも20軒ぐらいはある。
今日は「初盆」の焼香と、休む事ない役場に行く。ローンの建設補助金の追加申請と、スポ少の助成金を受け取りに行く。後は事務所にこもり原稿書きをする予定だ。

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2013
08/13

生活の道


昨日、東京から同級生が帰郷し着いて直ぐに、「お墓掃除」に行ってきたと戸倉営業所によってくれた。2年ぶりの再会ながら同級生は変わっていなかった。夜中に家を出て朝早く誰もいない我が故郷に帰ってくる。お墓は家督が守る、当然の事を続けているようだ。この大震災で東京にはいるものの、生活は一変したと言う。
写真は戸倉のBRTが整備され、「陸前戸倉駅」ができ、道路がトンネルまで真っ直ぐに続いている。震災で壊滅的となった「気仙沼線」だが、2年6か月を迎える来月にこの区間が開通となり、トンネルを抜けると高架橋からの、志津川湾の絶景が鉄道の「バス輸送システム」見られる。水尻川のたもとの大久保地区までながら、戸倉から志津川までの鉄路の風景が再現される。私も開通したら本吉までの、南三陸のリアスの海岸線を、気仙沼線の目線で全てではないが再び見たい。
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写真のここまでが開通する。南三陸町の生コン工場の場所なので、一つ「豆知識」して学んだ事を伝えたい。現在、生コン不足が被災地にはあり、歌津名足が新しく「生コン施設」が出来た。しかし、まだまだ不足し復旧復興が遅れている。どこからでも持ってこればよいと言うことではなく、ミキサー車が回転して現場へ向かう、その運送時間の限界が「1時間30分」と聞いた。
今後、戸倉瓦礫処理場にも現地再建で「生コン工場」が出来るが、コスト的に高く使えないと言う。戸倉の防潮堤や道路は「県事業」ながら、国県事業と町の一般復旧事業の事業費と、その内容で違いがあると言う。私には理解はできない。
仙台市長選挙が現職が再選された。投票率は「31.9%」と前回を「14%」のマイナスとなった。被災者は選挙どころではないのが現実だろう。だが、自治体のトップで住民の復旧復興の優先順位と内容が違う。奥山知事は26年の末まで「災害公営住宅」を3000戸の建設を約束する。仙台市の海岸の津波被害者が一番求めている「公営住宅確保」を当選の公約に上げる。南三陸町は現在、入谷・歌津に26年に84戸を建設予定で、全部で1000戸を予定しているが、完成は27年末から29年末と、仙台市との大きな違いに力の入れ方の違いを感じる。
毎月の11日の震災発生の日に、不明者の捜索が行われている。十三浜の方は妻と孫がまだ見つからず、全国からのボランティアの方の支援をお願いし、毎日のように浜辺の小石を一個ずつ掘り返し、「骨の一個でもいいから」と、そのかすかな願いの活動を続けている。震災の不明者は「2656人」と言い、家族の元に帰してあげたいと警察署員は言う。

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2013
08/12

歌津復興夏まつり

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夜の花火大会は1千発を超える、その花火に亡くなられた人たちの面影と、冥福を祈りますとのインタビューの声があった。歌津のイベントが開催の度に人数が増加し、メディアも多くが復興への姿を追いかけ報道していた。これには歌津の商店の方々の努力と、多くの支援団体の後押しがある。来場して下さる皆さんも、応援サポーターとして、これからも「ズーと」、南三陸町歌津福幸商店街を見守り、歌津地区の再生に皆さんの力を必要としています。CIMG2378歌津
1年9か月の間、太平洋を彷徨い南の西表島に歌津のポストが流れ付いた。そのポストの「引き渡し式」があった。「ボストが結んだ心の輪」として大きな役目を、歌津の郵便局のポストが担った事となった。
歌津の商店街の通路のテントには、今までにない多くの来客があったと思う。それには沖縄出身の「ビギン」がコンサート開催あった事もあり、南三陸町歌津と沖縄西表島とを歌津郵便局のポストが取り持った。係った皆様方の「おかげさま」実現できなのかなーと思える。ビギンは優しい歌と自然の破壊に対する「警鐘歌」があり、「人々の愛」の歌が多く、私の好きなアーティストでもある。
ポストのゆるキャラが、被災地支援のフラガールの踊りに合わせ、会場を盛り上げた。
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午後2時10分頃の「ゲリラ豪雨」の発生で、大きな雷と豪雨に驚かされ、歌津のお祭りがどうなるか心配しながら、30時過ぎに歌津の会場に向かった。
駅近くの駐車場からステージに向かうと、「いまーあなたに、心からありがとう・・・」と歌が聞こえてきた。シンガーソングライターの「う~み」の歌で、殉職した町の職員の為に作った歌だった。偶然のこの時間の会場入りで、この歌が聞こえてきた。こんな大きな「偶然」があるのだろうかと思った。まだまだ頑張らないといけないとの、私へのエール曲で、この歌詩・メロディーで、あの忌わしい大震災と、亡くなられた人たちの悲しみに引き戻される。震災を思い出す事の必要性と、一日でも長く震災を風化させない為にも、残された町民皆さんとこの町で生き続けていきたい。

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2013
08/11

お盆週に向かい


荒町のお墓の前を通り工場に向かう、途中の登り坂の上がり口に満開の紫陽花がある。紫・藍・紅の三色のコラボの花が、葉っぱの総てを花が包んでいた。南三陸町の未来の形として、高齢者・子供達を働き盛りの大人が守る、その為の環境整備が必要で、税収の確保が欠かせなくその為の「働く場」が必要となる。皆が一つの「幹」となり互いに助け合う体制で、復興計画の終了後の町の体制を未来に進む為の、環境の確保を今からしないと、町は復旧したものの町を維持する体制がなく、人も少なく、「破たん」しないとも言えない。観光のみの水産業が主体で、町が維持できるそんなものではない。観光協会の決算が提出された。予想を超える「震災特需」がここにはあった。これが永続的に観光客の流入となる訳でもなく、大学・ボランティアの来町に繋がる事もない。復興と共に打開策が見える状況にはない。この惰性に安閑としてする余裕は、被災地「南三陸町」にはない。「復興予算」も終わり、「合併特例債」も残り5年となり、震災から復興への10年が終わる頃が、最大の危機を迎える気がしてならない。この頃は被災住民の「住宅建設ラッシュ」に、業者が見つからないとも言われている。建設資金も通常の2倍となり、それを見越した方々が、すでにその状況を察知して、厳しい中でも前に歩を進めている。
昨日も相続問題で電話があった。「まだ大丈夫」と甘く考え、大変な状況となっていた。私も大丈夫だと思っていた、予測しなかった「伯父」が亡くなりその相続で現在苦しんでいる。
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血糖値の低下がやっと始まった。係って頂いた先生方に感謝したい。網膜剥離の原因は糖尿病にあった。病院での食事療法で始まった治療は、自宅での自己での食事準備があり、菜食主義になったように、3食以外の間食を止め、野菜とご飯・味噌汁となった。こうした食事に、我が家のチリ津波で被災した当時の、食事内容と酷似するようになった気がする。
写真は今朝の食事で、果物・卵の載ったサラダ、ナスとキュウリの漬物です。被災前その後も「250」が空腹血糖だったが、先週から「170」を中心とする血糖値となりつつある。入院から2か月が経ち、やっと効果が出てきている。
私の生活・健康改変は日赤での片方の目の失明の危機があり、これを転機に生活習慣が180度変わった事にある。自分の身体・環境は自分が守り切り開くしかない。

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2013
08/10

南三陸町のお盆


子供の頃は志津川の各地区で「盆踊り大会」があった。お盆は13日に先祖を迎える、そしし14日はお盆としてお墓詣りを朝5時頃から、高台にある志津川地区の墓地に家族揃って向かう。15日は「初盆」のお宅を訪れ仏壇に線香を手向ける。16日には先祖の霊がまた帰って行く。
「盆踊り」は散らばった仮設生活者の為に、「再会の場」と位置付けている。「志津川仮設商店街」でも14日に開催される。志津川地区の全てが流され、高台に散らばった住民が「集える場」として、主催者は企画するも「観光支援」に訪れた方が、この場所に集まる。こうした皆さんとの、支援への交流が生まれ、繋がりと「絆」を互いに確認できる会話が出来ればと思う。現在夏休みを利用して来町し、中高生の被災地を見る学習の一面も含めた、被災地の状況を知る事の必要性がここにある。大きな天災がどのようなものなのかを知る事で、自分が災害に直面した事に「心得」を確認できると思う。
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商店街の「センターコート」が写真で、中央にはイスが置かれ、気軽に仮設の商店からテイクアウトしたり、店からの出前もできるようだ。仮設の商店への来店は人数が限られ、仮設の大型テントながら「イベント企画」もここで開催されている。
日本の借金が今年度末には一揆に「1107兆」となる。1000兆への借金の大台への危機への堺があったが、アベノミクの経済効果で、国の収入を見越して借金を拡大させた。
イーグルスの田中が開幕16連勝の新記録を達成した。昨年からの連勝は20数連勝となっていた事に驚く。東北に夢をと嶋選手は被災後声高に言い続けた。楽天のリーク制覇は確実なものとなり、クライマックスそして両リークの頂点へと期待は膨らむ。
岩手・秋田で大雨の被害が続発している。1時間と言われる積乱雲の発生が、何回も続けて発生し豪雨の連続が被害をもたらしている。雫石町での一時間「78ミリ」の豪雨で、住民が体験したことの無い雨量で、道路・建物が雨水の下に沈んだ。秋田県大熊市の一時間120ミリの猛烈な雨に、気象庁は会見で「これまで経験のない大雨」と、異気象を伝える。今日は「猛暑日」が全国205カ所と予想される。
異常気象の今後の多発を行政に話すも、行政の対策は何もない。震災からの復興が先と言う。当然の事とは理解できるが、あらゆる事案の発生も考慮し、復興と帰還の早期達成に向け、喫緊の事業は並行しながら進めるべきと、進言するもその耳は持ち合わせていないようだ。

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2013
08/09

花と温情に抱かれて


「緊急地震速報」が気象庁より昨日の夕方4時56分に発令された。震災直後には幾度となく発令された事を思い出す。今回は誤報だったが予想どおりに発生する事は少ないとも言われている。今回は「ノイズ」と検査機の「M7.8」とのご作動とか言われている。「南海トラフ」が現在発生が予想される中で、今回の奈良地方への地震速報は、その対象となる地域に大きな不安を与えた。想定は震度6弱から7程度と言われたが、「震度1以上の地震は発生しなかった」と、誤報を謝罪した。新幹線は止まり、自治体はその対応に追われたと言い、放送局は報道への対応と混乱した。
現在は私の周りには色とりどりの各種類の「紫陽花」咲き乱れ、山でも野草が元気に花を広げ、それに蝶や蜂が蜜を吸いに来る。生命の神秘があり、生きているだけで幸せと感じる瞬間でもある。南三陸町で津波の犠牲になった方々を如何にかして、慰霊し追悼をしたいと思っていて、どんな風にしたらよいか模索する。
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入谷桜沢の398号沿いに、自己再建の造成がまた一つ見つけた。南三陸町内に高台移転の住宅造成が進まない中で、「待てない」と自己再建か町外へと広がり、この町で何とか生きたいと言う方が、町の土地の数少ない中で場所を探し造成へと、自分の「終の住家」を求めている。西地区の29年度の高台移転整備完了の波紋が広がっている。
昨日は「南三陸町へ行くので情報が欲しい」とのメールが入った。「きらきら丼」は何時から何時までに行けば食べられますかと言う。「オクトパスの御蔭で今があります」と言い、工房にも訪れたいと、南三陸町の「観光支援」を感謝したい。千葉からのようだが全国的にも、南三陸町の「キラキラ丼」は有名である。
昨日は夕方「志津川仮設商店街」の松原食堂さんに出かけた。食事の小鉢に「うに」が出た、大ぶりの綺麗な橙色、申し分のない味に納得した。この日も4人の家族連れが「うに丼」を注文し、イベントホールで気持ちの良い夕風の中で食していた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2013
08/08

基礎瓦礫破砕加速


志津川病院跡地の以前の瓦礫は戸倉の津波瓦礫処理場へ、基礎瓦礫が現在置かれているが、10台を超える「破砕機」を活用し急ピッチで処理が進んでいる。写真の光景は変わらないとお思いだろうが、手前にあった物が奥の方まで破砕が終わっている。破砕は埋め立ての砂利や土として、地盤沈下した市街地や、漁港・堤防の修復に活用されている。
志津川市街地で「換地」してもらいたいと思っている。60坪の17%は道路整備などの資金として「減歩」される。45号の再生される商業ゾーンで、再び事業をしたいと思っている。27年の中旬には道路・市街地の10mが嵩上げが終わり、整備され「ショッピング構想」を町長は計画している。ここの十日町・五日町が観光・商業の拠点となる。中小基盤機構の整備事業で、商店街・加工場が、震災後の厳しい環境の中で、仕事ができるようにと「プレハブ」での店・工場として、一時的に5年間との期限の中で仕事をしている。終了となると同時に商工ゾーンへの移転の方向に進んでいる。私も「換地」はここと決めている。中小企業基盤機構の制度が27年度も継続されているのかと、行政に聞きに行くも職員は判らないと言う。高台への住宅の為の資金を使い果たし、制度事業での新たな生き方を考えている。自分の為だけでなく、無くなった町・人の事を伝える仕事をしたいと思う。勿論、今は準備中で人も雇用したいし、困っている仲間も交えて、新しく生まれ変わるこの町で市街地で仕事をしたい。
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先週に戸倉瓦礫処理施設に朝6時にいった。休憩所らしき仮設「・・・」があった、気になり店かと思い見に行った。従業員の休憩場所と思われる。入口には「塵肺マスク着用」との看板まで出ていて、こうした環境で400人もの方が働いている。「瓦礫の分別」がその仕事だか、今年いっぱいで終わると言う。特殊作業なので給料も良いと聞く、ここの仕事が終わり又仕事に付くときの地元の給料とのギャップに、また、働こうとの意欲がそがれる気がしていると言う雇用者もいる。
今日も南三陸町は30度を超える予想がでている。観光支援・ボランティア・被災者を含めた働く人達へ、過労・疲労に容赦なく自然のパワーが降り注ぐ、お体ご自愛ください。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:53 】

2013
08/07

被災者に嬉しい支援が


被災者にとっては待望の情報ながら、余りテレビ報道が少なく、なされない気がするが、被災者にとって喜ばしいニュースを聞いた。一昨日の報道ながらしっかりメモに書きとめて置いた。日本赤十字社からの県への義援金が、被災県民への配分だ。「総額55億4898万円」を、亡くなられた方に「2万円」、全壊に7万円・大規模半壊に5万円・半壊に4万円との事だった。配分時期は来月下旬と言う。生活に苦しむ被災民への義援金は、色々な環境の被災者がいる中で、生活資金の枯渇している方も多いと言われる現実で、本当にありがたい報道だった。その後のテレビ報道は見無いものの、こんなに詳しい報道の数字など記実をした、間違いないと思う。
この報道と同時に、気仙沼市の遺構としての「大型船」の市民の意向調査がされた。68.3%が解体すべきと言う。「災害を思い出すので撤去してほしい」があり、市長も「船主の意向も尊重したい」と、津波での陸揚げとなった船は、遺構としての道は閉ざされそうだ。県内外から来た方々が船の前で線香を上げ、今も慰霊は観光の一面もあり、立ち寄る場所として定着している。そこで暮らす市民は毎日のように見る、市民の意向が最終決定だろう。南三陸町の「防災庁舎」は、殉職遺族・町長・議会・町民の中で、これまで多くの議論の的となっている。そんな中で解体の有無の「町民遺構調査」を実施していない事も疑問だ。庁舎は町民の所有でもある。どうするかは「町民皆の意向」が最終決定と思う。
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上の写真は4日お昼ごろの、「南方仮設」の状況で、この日の午前にあった3回目の志津川市街地高台移転説明会には30名が集まった。志津川のアリーナでの第一回目は100名余りが参加したと知人に聞いた。下は入谷にできる災害公営住宅であり、ここまで造成が進んでいるが、入居までは後一年かかる。
最低賃金が今の「749円」から14円も上がり、全国平均で「時給763円」となる。都道府県では一律同じではなく、地方によりその最低賃金額が低く違う。宮城県は690円ぐらいだった気がするが、業種によっても時給違う。現在は「生活保護費」との逆転現象となっていると言う。支給額は一般所得が多いが、税や社会保障を引くと、生活保護家庭が残るお金が多くなる。宮城県も逆転現象の状況にあると言い、これで解消される事になる。全国でも青森県など数県ある。
昨日も全国で「局部豪雨」があり被害が出ている。1時間に60ミリ以上でコンクリートジャングルと言われる都会では、道路の冠水で車・人の足が奪われる。積乱雲の寿命は1時間し言われ、豪雨がやむと一揆に温度が上がる。
今日の宮城県は予想気温が30度と、家の中で暮らす父の「熱中症」が心配で、「いつも横になっている」生活習慣があり、寝ている内に「熱中症」など、想定外の事を懸念する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2013
08/06

志津川中央区の今


昨日は「浜の屋」さんで白みそラーメンとギョウザを食べた。ラーメンは野菜がいっぱいで、チャーシュウも1枚ながら大きく「とろーり」、ギョウザはあっさりして何個でも食べられる。お昼に行くと建設関係者で店はごった返す。隣の会社二階も利用できる。市街地には飲食店は何もなく、写真のように多くの車があり、労働者も多くおり力が付く物や、塩分を身体は取り込む事は、この暑さの中では必要となる。
現在、中央区の中心を通る、JR東日本の「バス輸送」の、線路から道路への架け替えが、急ピッチで進み、気仙沼から志津川間の、時間の短縮の工事が進んでいる。
写真の左側は「新井田館跡発掘調査」が今年度末まで続けられる。今から500年~600年前の、室町から戦国時代の城跡であり、盛り土による平場が二つあり、その周りを水の無い「堀」が取り巻く構造だったと、発掘調査で現在まで判っている。先祖の作り上げた集落の跡は、この地区が生活するのに適した場所である事を証明している。
中央区の高台移転はこの山の切り土で、段々畑のような構図で住宅地を形成する。志津川地区の移転説明会で「坂の多い場所での高齢者の生活の対策は」との質問が出たと言う、こうした住民の不安には適切な対策を講じて欲しいが、納得できる問題の対応策は、これからと言う事だと思う。
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糖尿増殖網膜剥離の手術から2か月が経ち、糖尿の自分での「食事療法」を続け、入院時から2か月と1週間、朝昼晩の野菜主体の食事に徹し、朝一の「空腹血糖値」が、昨日177と今日の174となり、糖尿と診断され初めて良好の数字となった。食事は一日1600カロリーと誓約摂取量を示されているものの、毎日満腹感の食事をしている。時間がある時は30分ぐらい時間を掛けて食事をする。3食で「間食」は療法後は10%とない。こんな生活の継続が血糖値の良い結果を生んでいた。
今日は父親を「床屋」へ同級生の店が良いと言う。多くの話を聞いてくれる事が嬉しいらしい。その理由に私が何回も言う父の同じ話への無視がある。

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2013
08/05

高齢者の町に


80歳を超える方が会社に私に来たとブログで伝えたが、南三陸町の農家事情は間違いなく高齢化が進み、その所得も厳しい中にある。農協へのコメの引き渡しの収入よりも、親戚縁者や知人に「縁故米」として売る方が得と言われている。
高齢者の農業は機械化により体に負担が少ない工法をとってはいるが、農地の管理そして津波からの再生は大変である。制度基準に則った津波被災からの農地の圃場は、自分が長年掛けて作ってきた農地とは違うと、意義を申し立てる物の、自分が作った元通りの再生は難しい事を今回の事案を通して知った。
私の父親も90歳となり「何回も同じ事を繰り返し聞く」「耳が遠く話を理解していない」など、誰かが傍でホローしないと生活さえ厳しい。銀行・病院などの書類や説明への対応など、多くの不安を思う。
戸倉地区の津波被災での小中学校の再生を地区民は求めていた。しかし、地区民の流出による制度や児童の減少により、再生・再建の夢は厳しく、昨年度に戸倉中学校の統合を決定し、統合準備委員会が発足し、統合に向け双方の学校が現在協議いている。人口の減少はその他にも多くの問題も含んでいた。
昨日は午前10時からの志津川地区の高台移転説明会が南方であり、その中で「現在町に住む住民はいくらなんだ」と、強い口調での何回もの問いに、明確な人数がなかなかでなく、会が停滞した。帰還を模索する住民の人口に対する考え方に、町の存続への不安と受け取った。
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昨日はポータルセンターに出かけ、そこで地震が発生し大きかったので、携帯が緊急情報を発信した。震度5強が石巻にあり、南三陸町も地鳴りと共に大きく揺れた。商店街にいた10台前後が車で駐車場を出た。町は震度3だった「津波は無いだろう」が、私の判断です。震度5強から6強を「てんでんこ」の避難判断を想定する。現在は今回の津波到達地点に家族・縁者はいなく、地震でも安心している。
世界水泳で萩野選手の活躍が目立つ中で、今朝の400m個人メドレーで、同年の瀬戸選手が、日本勢で初の「金」を撮った。瀬戸選手は言う「萩野がいたがら頑張れた」、互いに競い合い自己を高める。これがスポーツをする子供達には必要で、社会に出て生活する為の「独り立ち」の力を身に着け、自分を精神的に強い、障害を乗り越える対応能力を育てる。
今日は総務常任委員会の、私の1期4年間の最後の閉会中の調査報告書の確認の会議がある。高台移転の現状と漁港の復旧工事状況の調査をした。結びでは、「町民一丸で高台移転への早期帰還を叶える」が、震災となった南三陸町に於いての最大の仕事と位置付けた。

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2013
08/04

町民の再開の場を

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建設し土地は以前町営住宅があった場所である。建設資金は「日本アムウェイ」で、市街地の再生後は、センターは解体し再度志津川市街地の嵩上げ後に、商工・観光ゾーンの場所に移築され出来る。アムウェイは私の同級生も会員となり、世界的な販売組織で私も20以上前に会員となり、ドイツ製の包丁セットを買った記憶がある。
テープ8月1日に志津川仮設商店街の隣りに「南三陸ポータルセンター」が完成した。観光協会がカットには町長・社長・米国広報や、文化交流の子供たちも参加した。オープニング祈念イベントが開催され、集まった子供たちには、むすび丸が来町したり、オクトパスのぬいぐるみがプレゼントされた。今後はコミュティ等の様々なつながりの交流の場として活用される。寄付金で建てられた交流の拠点、町の再建の住民が「集い会える場」として有効に活用してほしい。
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センターは1か月余りで完成したそのスピード感に驚かされる。「やれば何でもできる!」とそんな現実がここにはあった。今日の南方での「高台移転説明会」は、午前10時から12時まで開催される。登米市に生活する被災者の帰還が半数を割ったとの報道は、アンケート者が全てでないと言う事で、私は半数を割る事はないと思っている。
たこ鎮の知名度が南三陸町の壊滅的被害で、全国的に有名となった。新たなグッツと言う事でぬいぐるみのオクトパス君が新発売されている。友人が「製造中国製」とあった事に驚き、情報をくれた。格安な製造費は判るが安全性もある、被災地での雇用を考え「地元製造」を模索して欲しい。
「スピード感」が行政へも議会へも、住民からの高台移転が語られる。高台の土取りの土も市街地の埋設物が掘り起こされ、嵩上げする環境が整いつつある。まずは商工観光ゾーンと言い、仮設商店街の残り2年半余りで解体される中で進められている。その場所の確保の為の南町・五日町・十日町の先行の場所の整備が進む。高台造成が遅いとの住民の声に、観光客の受け入れ維持の体制の確保に重点が置かれている、行政と商工会・観光協会の活動ばかりが目立つ。三陸道の「命の道」は被災地の資材・人材の輸送のめたに、国・県は加速度的に開発を進めているが、今日の造成の着工から完成までの時期の提示に、町民はきっと大きな声を上げると思われる。
私的には観光確保開発よりも、高台移転の造成が一番先にやるべきと常に言っている。岩手県の漁民が言う、「漁民が居なくなった後での、漁港の整備の完了では、何の意味も無い。」と、町づくりも同じことが言える。

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2013
08/03

久しぶりの青空広がる


夏と言う感じを実感した昨日となった。青空を1か月以上も見なかった気がする。朝靄が一日続く日は心も晴れない。生育の稲にも「イモチ病」が発生しているとの報道もされ、被災地の農地の再生にも、出鼻を挫かれる今年の7月の天候だった。今日からの週間天気予報には小さいながらも「晴れマーク」が連なり見られる。CIMG2175.jpg
青空と碧い海・緑の島、これが南三陸町の自然美で、一番紹介したのがこれです。時間の流れを、自然が作り出す風景だけを見ているだけで落ち着く。上の写真は志津川地区の「牡蠣処理施設」だった場所の、復旧工事現場に大型重機のアームが何本も高く伸びていた。
昨夜は自分達の仲間が作った。「独身会」を3年ぶりで開いた。一人は震災後の労働の過多で身体を壊し出席できず、4名での発足当時の仲間の会となった。出る話は震災後の苦悩の事だけだった。私の同級生の57歳での結婚に、なんで相手見つけたのとの問いかけもあった。
明日は南方での「志津川地区の高台移転説明会」がある。私はそこに行きたいと思っている。

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2013
08/02

戸倉地区に何をしただろう


戸倉地区との係わりは現在の大家さんとの25年前の偶然の繋がりがあり、「志津川電子」の前社長さんに支持を受けた事から始まる。その後でどういう訳か戸倉の小学校の剣道を指導する事となった。しかしながら戸倉の仮営業所も年内にはその役目を閉じようとしている。
戸倉の荒町での期間、何をこの地区でしただろうと顧みる。被災前の「並石線」のう回路としての活用や観光の一部にとの事を、一般質問で町に問いました。この後の「大震災大津波」の発生で、戸倉の海岸線は壊滅的な状況となり、仮設住宅の荒町への設置に地権者と業者も含めた、早期の建設を町に訴えました。その後で登米市に南三陸町の仮設が600戸建設され、現在では戸倉地区民は650世帯から、約200世帯に減り戸倉団地が出来て戻って来てもも、250世帯ぐらいが地区から他の地へと移転すると予想する。
今回、営業所の隣りが通学バスの乗り場となり、会社の看板を外し「注意、通学バス乗り場有」と看板を自社で設置した。その後で向かいに戸倉小学校の「看板」が設置された。現在まで2年余りの地区でのお世話で、荒町の子供達のアルバイトとして、パソコンの打ち込みやお盆用品や花・果物を販売した。就職の支援・困りごと相談・印刷屋としての支援など、できる事は全てしようとしてやってきた。慶弔はできる限り顔を出す事にした。一番良かったのは荒町の雇用を一人ながら生んだ事にある。
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歌手のグレイは函館出身で、リーダーは「我が町の為に何かをしないと」と、地元でのコンサートを考え、函館市長と市民の総てがグレイの活動を支援応援し、5万人を2日で函館に呼び込んだ。故郷の観光客の減少歯止めに、活性化の為に若者が立ちあがった。
政府の消費税対策が一部発表された。全国で住宅建設の国民に、一定の収入以下の人に30万円の現金支給があり、被災地の住宅再建には収入に関係なく90万円、100万以下の補修にも現金を支給すると言う。来年の4月から景気の動向を見て実施すると言っていたが、実質、実施する事を政府は決めている。被災地の本格的な住宅再建は27年からとなり、その時には10%まで上がる。1000万円で3%上がるという事は30万円の消費税の負担増となり、90万円とは3000万円の住宅で、建設費の増加を考えた政府のこの金額、被災地の全てを無くした住民の住宅は2000万円ぐらいがやっとで、1.5倍の住宅建設費の増加が予想される中で、被災者の再建は本当に厳しい状況が待っている。
戸小の看板は小さいながら大きなアピール性を感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:09 】


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