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ARCHIVE - 2013年07月

2013
07/08

町の細道に入って


昨日は私用なから歌津の石泉から荒砥、そして午後に南方と多くの人たち話す事ができた。写真は歌津吉野沢の途中で撮影した、三陸沿岸道路の工事予定地の立札で、まだ道路の高架橋・嵩上げとなる地盤の造成が始まっていた。遠くに見える造成地は歌津市街地の流失地からの移転の造成工事が進められ、町の防災集団移転事業とは別の、個人での自己再建の造成と思う。
もう一枚の写真は歌津の石泉から本吉小泉に抜ける「グリーン道路」で、海岸線が津波で通行できなくなった時の、う回路として被災地での通行に大きく役立ち、被災者への支援道路に活用された。吉野沢から石泉のカーブから、望んだ先には全国の地域からの建設労務者の、宿泊施設が仮設で建設されていた。奥に見えるのは石泉生活センターだったと思う。
CIMG1332.jpg
帰りは清水から荒砥を廻った。住宅の建設や「グループ支援」による工場の建設が進んでいた。こんど母の入る「いこいの海・あらと」が、この日「33度」となった灼熱の太陽に光輝いていた。
知人の所に寄ると、海の仕事を終え一休みしていた。今年は「ワカメが安くて困った」と言っていた。そして現在「ホタテの麻痺性貝毒」で困ったとも言う。がんばる漁業の国の支援は後2年前後と、今後の漁業の不安を話す。袖浜地区には現在2棟の民宿が建設進んでいる中で、JR東日本の「復興観光ホテル」の今後が気になると話していた。民宿の再建と建設会社・ホテル建設は、お客さんとなる、労務者・観光客の民宿の再建の足かせとなるのは間違いなく、行政の規制も必要とされ、民宿再建の事業支援も、行政が関わるべき問題と思う。
南方の南三陸町の仮設生活者から、「町はどうなると?」との話が消えた。「こっちの人たち登米での生活考えるようになった」と。しかし、この日は入居の方から「災害公営住宅の市街地の状況は?」との問い合わせに、資料を持参し南方に出かけたが、志津川の3地区の公営住宅は、町づくり協議会でも議会でも、まだ場所だけで構想や戸建の部分も何一つ示されていない。
住民の不安は募るばかりだが、市街地の商店街復興は見えない部分で確実に前へ進んでいた。

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