ARCHIVE - 2013年07月

2013
07/31

アリーナの修復進む


「長須賀つながりビーチこども広場」とのポスターが総合体育館に掲示されていた。歌津地区の長須賀海岸が津波からの被災したものの、安全が確認されオープンを知らせるもの
だと思う。お笑い芸人と出店でオープニングが7月の20日にあったらしい。多くの行事がある中で、今年の梅雨明けの遅い事で、まさか海開きが成されていた事に昨日気付いた。8月の10日までと言うので、道路も整備された事もあり、歌津地区の海岸線の復興の姿を見に行くのもいいかつ思う。「町開き」は行政でこんな所からの引用?かと、私は思った。来月10日までの期間、今週末からはお天気に恵まれそうだ。
こないだの気仙沼の豪雨は、84ミリであんなに冠水した。南三陸町の雨量を聞くと「67ミリ」だったが、歌津港地区の通行止めがけ崩れはあったものの、国道への影響はなかった。伊里前市街地や志津川地区では駅前へ向かう道路周辺で、冠水の通行止めがあったが、大きな被害はなかった。志津川の被災地は地盤沈下ながら、交通の混乱はなく、夏祭りも仮設商店街で開催された。しかし、これに甘んじる事なく異常気象の対策に気を配っていかないといけない。
130730_091318.jpg
何もない平時なら南三陸町周辺の海岸線では、夏祭りが毎週末に開催される時期でもある。気仙沼市は来月の10・11日に開催とのポスターも見つけた。昨日は父親が気仙沼の「大友病院」に行くからと、4時から言い出し忙しい中ながら従業員に送ってもらった。8時に向かい置いてくるだけながら、往復2時間30分も掛かってしまう程、震災復旧の車で混雑していたと聞く。
ソフトバンクの斉藤和巳投手が引退した。ダルビッシュ投手も若い時に、あんな投手になりたいと話すくらいの逸材で、沢村賞・投手3冠・開幕15連勝など、輝かしい順風満帆の野球人生の中にあり、タレントのスザンヌさんと結婚もした。6年前に肩を壊し今までリハビリをしてきたが、35歳で引退を決めた。引退記者会見での涙を拭わずに、周囲の復帰支援してくれた人達と妻に感謝の言葉を綴って話していた。6年の月日は長いのか早いのかは、本人の未来へ向かう気持ちで変わる。楽天の田中投手は確か開幕14連勝で、斉藤投手の記録にもう一勝で並ぶ、次の先発が楽しみとなった。
今日は志中下を通過する志津川第一トンネルの着工式があり、10時30分から地鎮祭が開催される。午前中は公務で終わりそうだ。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:25 】

2013
07/30

何んとかしないと毎日の焦りに


昨日は安倍首相が「さんさん商店街」を訪れ、店主が差し出すお酒と蒲鉾を美味しいと、テレビを通しての被災地南三陸町の訪問を知った。石巻では子供たちからの手紙を渡されていた聞く。こんなにも我が町は観光・水産物の商店関係のアピールで良いのだろうかと、毎日のように今後を心配している。
昨夜は「志津川地区町づくり協議会」があり、冒頭で及川会長が「日本で一番のトップがきた、早期の高台移転をお願いした」と挨拶で述べた。会議では東地区の増加で、新たに北区の移転地区が示された。多くの町づくりの報告に、町の知らない間の多くの変更に驚いた。市街地の東側は10mの嵩上げ、西側は4mで公園地区にも道路沿いを、町が買い取り区画整備事業をすると言う。三地区の高台移転の今後の引き渡し予定では、東が27年下半期から中央区は27年末頃の引き渡し、西地区は29年下半期の引き渡しの予定と説明された。夜に工事をするなどで早期に移転に努力すると、事業を担当するUR職員が言う。
志津川からは私の他に3人の議員が出ているが、こんなに志津川地区の状況変化を知らないでいるかも知れない。もっとこの現実の厳しさに共に対処して行きたい。執行部側の昨夜の説明には換地の減歩、市街地の在り方など、「町開き」と言う新鮮な響きの町再生に、被災者住民の高台移転が「ぼかされている」ような気がする。
CIMG1642.jpg
行政主体の本位の考えに「違う」と常に私は言う。生活の場の確保優先と言う、住民視点・目線での復興が新しい町づくりの原点と私は思う。花のような笑顔が早く見られるように!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2013
07/29

いよいよ志津川地区が始まる


先週の25日の雨の中で「南三陸町志津川地区復興まちづくり事業着工式」が開催された。写真を見ればわかるように、イスラエルの医療支援のモニュメントの道路向かいで、志津川診療所の前にあたる。
仮設の病院建設は3億円が赤十字の資金で建設され、今回の着工式も住宅の再建より、いち早く27年の4月開業予定の病院・ケアセンターの建設があり、これも70億の資金が赤十字から支援される。同時進行の東地区の高台移転があり、27年度内の公営住宅と防災集団移転の、津波復興拠点事業が始まる。
昨日、東地区の災害公営住宅入居を希望する方が電話をくれた。登米市の仮設に住む方で、高齢に伴い病院の近い場所に入りたいと言う。自動車でのガソリン代も厳しいと話し、「あと2年長いですね」「本当に入れるんですか」と、多くの不安を訴えていた。登米市の48%が早く帰りたいと言う反面、病院・雇用問題で南三陸町には帰還しないとの声も聴かれた。現在「待ったなし!」の状態となっているのに、復興計画どうり「ブレない」政治決断を、行政は声高に言う。
CIMG1985.jpg
復興市街地整備課課長の凛とした説明は、対応と言い判りやすいと私は絶賛している。事業制度的にも高額で膨大な難しい事業に、理解するのに大変と私は幾度となく説明を求める。自治体からの派遣ながら、公務員としての真摯な町民への対応に、一部の職員の舌足らずと比べても、見本となる公僕と思っている。事業全体の町対応の責任者として、UR都市機構とも密接に関係し、今後の活動を期待する。
山口・島根での豪雨被害が深刻となっている。道路の断裂や橋の崩落など「激甚災害」の指定も必要な状態で、南三陸町は震災復旧の途上であり、資材や建設会社の確保への影響を懸念する。今回の災害は「湿舌」の状態となり、340ミリが短期間で数日の降雨は「ゲリラ豪雨」という言葉として定着し、気仙沼の1時間の84ミリは7月の月間降雨量に匹敵する中で、この雨量の凄さがこの数字で判る。
現在、多くの造成が町内で行われ土砂災害が心配される。雨が降っていないのに「大雨洪水警報」の発令は、一揆に始まるゲリラ的な短時間での一極に起こる、集中豪雨への警戒の事前対策を求める連絡でもある。昨日も隣の栗原・大崎に何回も出された。地球規模の気象異変があり、関東では渇水や高温により、トオモロコシが全滅と言う。
行政へも何回も震災への復興復旧の今ながら、被災現場でのこうした異常気象の天災への対策も必要と、常々警戒をと言うが、住民への再度の災害対策は今は出来ないようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2013
07/28

南三陸町志津川湾夏祭り福興市


27日は昨夜の大雨洪水警報に引き続き雨の雲の一日でした。南三陸町恒例の「志津川湾夏祭り」が被災の花火大会と共に、福興市と共催で3回目?の開催となった。
ここ一週間の朝靄に煙る日々の中で、この日は朝から一日「靄」に南三陸町は、目の前が見えない状態で、視界は20m位で早々「メッセージ花火」は午前中に中止となった。「花火大会」は来月に順延となり日程は後日と言う事だった。
今年の夏は震災復旧に大きな障害となり、工事の遅延ならず造成現場の赤土などの流出の不安も大きく、不安の中に被災者町民ある。今回でも大雨の中を来町してくれるお客様に感謝したい。
CIMG2034.jpg
モアイの力でも今年の天候不順は何ともならなかった。まだまだ被災地には大きな試練があり、今回の気仙沼の84ミリのゲリラ豪雨での、地盤沈下した町の浸水での車の損失は、再建途上の市民に大きな障害となった。南三陸町は被害は無いようだが、旧駅前までの通りは今朝も通行止めとなっていた。
ポータルセンターは町民が集える場所と定義される報告のチラシが配布となった。観光協会が主体となり土地は町営住宅の跡地で、町民と観光支援の全国の皆さんとの交流が、多く生まれる事を願いたい。
CIMG2076.jpg
車の特設スティージの前の観客席には、雨の中で出演のゲストを見つめる姿があった。雨の中で洋服を濡らしながら聴衆者に「ありがとう」思う。
多くの出店でのテントも並び、出店の皆さんの努力にも敬意を表したい。住民の再建に力を向けたい私には、イベントに大雨の中でも頑張る姿に頭が下がる。
昨日も復旧復興の現場の視察の報告をまとめる為に、事務所にカン詰となった。今日も情報発信の原稿をまとめる為に、会社にカギを掛け会社に閉じこもる。
嬉しいニュースが入った。本吉気仙沼地区で優勝した「歌津中剣道部女子」が、今年は県大会で準優勝となった。チームワークが団体戦では欠かせなく、互いに助け合い自己の役目を全うする先に、結果が伴ってくる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:39 】

2013
07/27

不安いっぱいの被災地


今日の7時の志津川市街地の南町と八幡川の、川からの海水の流入により、地盤沈下した場所が海水で覆われていた。
昨日の夕方6時過ぎに志津川にも「ゲリラ豪雨」が発生した。志津川は大きな被害は聞こえてこなかったが、商工団地からの雨水が、国道を一揆に流れ被災市街地の道路は、走る道路の車が走行により大きなしぶきをあげていた。気仙沼地方の携帯へのエリアメールが鳴った。
避難勧告(継続):気仙沼市
大雨により、南郷1・2区・神山・田中前1・2区、田谷・本郷1・2区・九条1・5区、表松川を対象に避難勧告を発令しています。
その他の地域においても自主避難を受け入れています。
避難所は、「九条小学校、条南中学校、新月中学校、鹿折小学校、総合体育館、すこやか、松岩公民館」を用意しております。
避難の際は、道路の状況も悪いので十分気をつけて下さい。
(気仙沼市)
この時に気仙沼市では2200世帯に避難勧告が出され、仮設生活者も含む2500名の市民が避難したと、夜9時のニュースで報じられ、けが人は無かったものの多くの車が水没したという。解除されたのは今朝の6時22分にあり、気仙沼市街地を流れる大川氾濫の危機は、今後の津波防災の河川堤防整備で対策が講じられる。
130727_065829.jpg
昨日のブログで話した新井田地区の仮設の橋です。今後進む中央区の造成で大型トラックの川の横断に不可欠な橋となる。
新井田川の位置を国道の嵩上げ移転により、今の川を天王山地区の側に移す。大きな被災市街地の都市再生計画により、山からの雨水の流れが変わる事となる。気象異変が世界で起こっている中で、自然へ大きな人の手が入る事で、今まで続いて来た生活の営みが、現在の志津川の市街地の形態となった。何も影響がなければと思う。
今日の町は「南三陸町志津川湾夏まつり福興市」です。午後2時から夜8時30分まで、トコヤッサイ復活や花火大会も開催される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:11 】

2013
07/26

真一文字の三陸道


写真は4日前の志津川インターの風景です。後2年で開通する小森までの三陸復興道路は、歌津から本吉間の道路の法線も示され、一直線に北へ北へと進む。
小森に出来るインターに合わせるかのように、小森には2軒のスタンドができ、御前下には1軒のスタンドがあり、ここが町で震災後一番先の新装オープンした。被災地の市街地には今も1軒のスタンドが営業をしている。国道45号沿いの開店を模索している。今月の31日には「南三陸道路1号トンネル」の着工式が、志津川仮設商店街の前の現場で開催される。昨日は志津川東地区の着工式があったが、復興の造成工事も一揆に始まっている。自己再建の住宅建設も国道から一歩山に入ると、その姿が見えてくる。
CIMG1922.jpg
こちらは新井田の津波最終到達場所から300m入った、磯の沢地区にできる三陸道の高架橋で、最新工法で道路を両方の山へと道路を繋ぐと言う。目に見えて三陸道の進捗度は判る。高台移転は志津川地区の初めての着工式ながら、住民の命を守る公的施設の病院の新設を一番に動いている。27年の4月の開業を目指し、重点的にこの部分の造成工事が、今回の着工式でもある。
スポ少の事で同級生の教育委員会の総務課長に噛みついた。現在、全国的に部活の指導者の暴力問題や、未だに陰湿な「いじめ」が影であり、必要以上の学校への親の関与の「モンスターペアレント」の存在が、学校の混乱に拍車を掛けている。学校のトップの生徒の環境が一番で、生徒の身を守る校長の外部への対応が、求められ校長の資質やしっかりとした考えで、こうした問題が解決できる。相変わらず先生の「ワイセツ事件」も全国の教育者にあり、善悪の感覚が、理解度が薄いのは、学力だけの頭でっかちの教員も、少なくないのが原因の一つに考えられる。
公務員としての教員も職員も、「高給取りの公務員」は誰の為の公僕かをもう一度確認して欲しい。「その前に子供の親である」とは理解できるが、町の一大事、子供は周囲の力で間違いなく育つし、自分も大人になる為の「術」を今備えている。上司の監視がその上に立つものの役目でもある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:43 】

2013
07/25

戸倉小学校跡地の今


戸倉中仮設にアルバイト仕事を持って行った折、狭い登校坂を大型バスが登って来た。観光バスだと思うが、被災者の仮設に観光バスは行けないと思っていたが、確かにすれ違ったが問題は無いのだろうか。
写真は登校坂から戸倉の漁港を見渡したが、あの時から何も変わっていない海岸線が広がる。折立漁港は全て流され、町向の小学校前の防波堤は津波の勢いで、海側に瓦礫となって今も残っている。この地区では折立漁港裏に盛り土が現在なされ、水産会社の建設が盛り土が落ち着いたら成され、戸倉小学校跡地には被災木材や、今後進む防潮堤のための破砕の砂利や土が置かれてあり、今後進む398号線の10mに及ぶ、道路の嵩上げの土としても利用される。
130720_111947.jpg
この場所の398号沿いに建設重機のレンタル会社がオープンした。
志津川地区の津波復興拠点事業が、今日「安全祈願祭」と「着工式」が雨の中、テントで100名以上の関係者が集まり開催された。やっと始まった気がするが、工事が始まればどんどんと復興が進む、病院などの公共施設が初めに建設され、その周辺の造成で住宅の建設も順次行うという。防集も災害公営もこないだ始まった造成が、5割・8割と進んでいた。
自己再建があちこちで始まっている。建設機器の不足の為の、工事現場の重機からトイレまでレンタルが必要となる。我が社の戸倉にトンレが二棟、そして商工団地の倉庫にもトイレがアクティオの物が設置された。
新井田川の新井田住宅の前の川に仮設の橋ができた。BRTの道路整備の為の大型トラックの通行するためのものらしく、その工事は2~3日でできた。土地の確保が成されれば山の造成は早く、志津川市街地は110ヘクタールで、広さはディズニーランドの2個分で、土量は東京ドームの3個分の340万㎥と言う。解りやすく聞こえるが想像以上の造成内容である。
志津川地区も判るが、戸倉団地が地域の流出が進む中で、ここが最初と思うが。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:58 】

2013
07/24

港地区民高台へ


歌津港地区は本吉町の堺にあり、漁村と農業で成り立ち「港駅」に地元のスーパーが建ち、保育所も以前はあり、のどかな田舎の集落だった。地区民も写真の場所に集まり家が並び、地区の自然の中での営みが震災前はあった。
海岸から港川が流れ左側には水田があった気がするが、現在は地盤沈下で未だに海水が埋め尽くしていた。「住宅は高台へ」との町の政策により、45号線の町境の場所に一部移転を計画し造成が進んでいた。元の住宅地も作業場が一軒見えるが、ここには暮らすための住居は建てられない。
CIMG1926.jpg
「ガイドライン」がある。民主党政権下での復興大臣は平野さんだった。今回の参院戦で無所属となり、小沢王国と言われる岩手県で、生活・民主を抑え当選した。ダントツの投票率は復興大臣としての、被災民に対する真摯な対応があり、「大臣だ!」との奢りもなく、被災民に耳を傾ける大臣と言うイメージが、投票数を押し上げたが、それ以上に復興大臣としての実績があった。
平野さんが南三陸町を訪れ現地の状況視察に来た。その時に私が質問したのが「ローン問題」で、大臣は「是非ガイドラインを活用して下さい」と答えた事を、今でも鮮明に覚えている。その後に県の復興庁から担当課長さんを含め、二人の方がガイドラインの説明に私を訪ねてきた。何軒かの実施した例を示し、周知をお願いしたいと資料を渡された。会社の支援する新聞にガイドラインの仕組みを要約し、2回に分けて掲載した。
昨日、「ローン大変です」との話を聞いた。何で「ガイドライン使わないの」と話すと、家族で決めかねていると言う。最近、ガイドラインで整理しました。今やっているんですが色々と書類が大変です。など、家庭によって使うかはいろいろあるが、現状を把握し、早くやった方が絶対に次の生活が開ける。毎日の仮設での生活に追われている中で、将来の為に大変だろうが、やっておいた方が良い事は是非に挑戦して欲しい。現実、何もなくなった家へのローン返済は、精神的にも辛い。それを回避する手段があり、次のステップに進む資金の貯蓄のためにも、自分でやるしかない事も判って欲しい。
私とて決して楽など何処にもない。両親を施設に居れ、住宅ローンや土地の買い上げも進め、祖母の父への相続が無理と理解し、540万円が宙に浮き、30000万円の借金をし、突然の出来事への手持ち金も備え、一つ一つ目の前の問題を片付け生活している。
生きていく為に制度活用などで自分でやるしかない。是非何でも聞いて欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:12 】

2013
07/23

若者に夢ある町に


英国のキャサリン妃が男の子を日本時間の午前0時24分に出産したと、「オハ4」の朝4時34分の速報で伝えた。「ロイヤルベビー」の誕生にイギリス国民は沸く。王位継承順位はチャールズ皇太子に次ぎ、ウイリヤムズ王子に次ぐ継承位となる。震災以後の日本は政治での株価高騰・円高だけの経済の事しかなく、将来に繋がる国民の若者が盛り上がる事が、少ないと私は感じる。
そんな中でここ一か月の間に、結婚の祝い会が私の周りで3回もあった。ブログでも紹介はしているが、喜びの会に関われて本当に嬉しい。6月のゴルフの仲間の結婚と、今月の13日の同級生の仲間の娘さんの、被災を受けなからの、最近にない盛大な結婚式は、新しい南三陸町を創っていく、若い世代の門出として良かったと思う。また、21日日曜の同級生の結婚の地元での、ささやかなパーティーは、同級生の奥さんからの「必ず主人の故郷に帰る事を約束した」との話に、仲間が盛大な拍手を送った。
ここ一か月の多忙な中で、仲間の二つの「祝いの席」を段取りできた事は、今考えると良かったと振り返る。幸せな3組のカップルに、マイピクチャーからお祝いの写真が何かを探した。祝いの席の写真は皆さんの満面の笑みと、新郎新婦となった「幸せは二人」しかなく、幸せな顔をお見せしたいが、載せる事は「個人情報」と「掲載承認」が得られてないので、こないだ南方仮設の同級生のお母さんが育てた、大きな八重の「向日葵」の二輪を載せて見た。明るい黄色の大きなヒマワリは、輝く未来に向けて生きていく、二人にピッタリの花だと思い載せて見た。
テレビで見つけた「若者に夢ある町に」の言葉のフレーズは、特に珍しいものでもないが、昨日この言葉を見つけた時の新鮮な気持ちを感じたのは、こうした一か月の喜びの機会に同席できる事ができたからなのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:53 】

2013
07/22

怒りの町民の声


昨日は本吉郡の級審査が伊里前小で開催された。通常は歌津中ながら、今年は参院選と重なり会場の変更となった。
受験者もいつもの半分に近く、被災地とための児童・生徒の減少が第一の問題で、剣道人気の低下もその理由に上げられる。24人が2級から7級の審査に、小学生の2年以上の児童が挑戦した。結果は写真のように全ての合格となった。一級の受験者は無かったが、志津川中の剣道部への一年生の入部がなかった事が原因なのかと思う。
同級生の結婚祝い会には突然の2人の欠席はあったが、二人への祝福に15人が集まってくれた。出席者にまだ独身が5人いる中で、仲間のお相手の容姿に入場の時の驚きが隠せなかった。オペラに精通し何曲かを披露し、また仲間のデュエットにも快く答えてくれた。当日の日曜は登米市から5人が駆け付け、5時からの祝賀会は9時近くまでなった。なぜかと言うと、そこには被災後初めての再会の仲間があったからだ。主賓の二人も被災後の出会いや経緯の説明で、人の出会いと、どこかで繋がっていた人生の妙を感じさせられた。
昨夕に「あの態度は何だ」と町民からお叱りの電話がきた。投票に行った折に、投票所での町の管理職員が投票者へ目も向けず立会人と、会場で立ち話をしていたと言う。私が「不在者投票」に行った時は、職員は腰かけに座り投票説明と、投票行動にミスがないかを見つめ、町民の立会人も3人が、椅子に座り投票者に「御苦労様」と、投票行動への感謝を伝えてくれた。この神聖な投票所に於ける、職員の態度に怒っていた。職員のモラルを議会で行政に問うも、指摘をするが一部の人間の横柄な態度に町民は怒り、私にくる行政の苦情がこの件が半数以上となっている。「行政に伝えている」が、上司への処分も厳正に検討すべきと思う。「被災地の行政職員は頑張っている」は判るが、町民も被災地に於いて頑張っている。
今日も町民の怒りが少く心の負担が小さい事を祈りたい。後日この件と学校の件は、担当課にその真実を聴きに行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:16 】

2013
07/21

民宿再建に集う


海岸線にあった南三陸町の8割を超える民宿が、今回の大津波により壊滅的な被害を被った。被災後に再建された民宿は1軒足らずで、建設場所や資金など多くの問題の中で、再建が一向に進んでいないのが実情です。そんな折に2軒目の歌津地区の民宿「コクボ荘」さんが、海岸線から少し離れた場所に建設され、開店祝いが催された。
集まった地域の方は被災直後の、コンボ荘さんの炊き出しに感謝を述べ、地区の住宅の再建の弾みにもなると語った。店主は町の再建に貢献したい。今後進む住宅建設の建設業者の宿舎として、被災地の観光支援の受け皿として、皆さんと一緒に頑張って行きたいと話していた。
CIMG1307.jpg
今、歌津の少年剣道大会から帰って来た。志津川の2名の2年生に、もう一人の突然の3年生参加で、本吉のスポ少の「本吉剣友会」の2名を加え、正規の5人のチーム編成での連合チームは、3位となった。本吉地方の少年剣道人口減少があり、郡連会長は「剣道の伝統を守る為に団員の確保をお願いします」と、会場の子供達や親の会に話した。こんなに深刻な状況が南三陸町の剣道少年団にある。
夕方5時から同級生の結婚祝い会がある。56歳の結婚は仲間の独身の多い中で、被災地にあり嬉しい出来事だが、東京に暮らしての事に少し寂しさを感じる。二人は新装となった民宿コクボ荘さんにお世話になる。再建したばかりの部屋が初めてのお泊りで、羨ましい限りだ。
昨日は建設会社と関連業者が一同に会した。今年の20棟の建設も予定どおりに出来ると話す。大部分が地元の業者で、その連携で迅速に建築が進んでいると言う、しかし、ハウスメーカーで「坪75万」の所にあると言う情報に驚く。今後一坪70万から80万へのハウスメーカーも出てくるのは紛れもない事実としてある。「私の所ではそんなにしない」と、社長は胸を張る。
地元業者の意気込みの力により、被災からの再建が出来ましたと、民宿の奥さんも話す。地元の業者の連携は、公営住宅の戸建の地元業者の協会だけでない事を知った。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:31 】

2013
07/20

十人十色の取り組みを


昨日は公務に総務委員会と広報委員会が重なった。双方とも大切な会議ながら、震災復興の現地調査に参加し、復旧が進む漁港と、高台移転の造成地と災害公営住宅を、雨の中の調査と視察を行った。
午前は戸倉地区の藤浜の高台移転の10世帯の造成現場に入った。国道398と並行してある移転地は造成が7割位進んでいて、道路からは見えない部分ながら、その進捗率の高さに驚く。25年内に終了する予定で、南三陸町で一番に住民の高台移転地として、生活再建へと向かう。津の宮漁港は80㎝の地盤沈下で、漁港のかさ上げが現在進み、堤防も嵩上げが必要と言う。この地区の防潮堤はL1対応で、既存の堤防・道路を生かし、その背後に新しく防潮堤を造り、津波防災を図ると言う。家があった土地は全てが買い上げられ、その場所を活用する。年度内には「牡蠣処理場」の建設の予定で、年末年始の牡蠣の出荷を想定する。
午後からは歌津の「名足災害公営住宅」の視察をする。ここ一週間の天候不順に、工事の進行が遅れているものの、工期は順調に進んでいる。国定公園内という事で住宅は景観に配慮をしての、コンリクートの擁壁に模様の加工を施した物に設置していた。
CIMG1759.jpg
写真の上段はバナナ漁港で、名足・中山・馬場の3つの漁港を言い、馬場漁港の今の状況です。カモメが埋め立ての盛り土の上で、荒れている海を皆で見つめていた。
平成の森からの排水が下流部で、排水溝のつまりから国道に流れ込んだ、昨日の問題点を視察した。被災した場所の事業所再建があり、町有地としての道路と再建の土地の「境界線の不備」を、同僚が職員にきつく詰め寄る場面は、住民の声が聞き届けられていない事への、いら立ちがあったからと思う。
漁港整備の進んでいない部分は、細浦・折立が進捗率が一桁とあり、漁港と船揚げ・物上げ場が全て流された事で、全面改修のむずかしさがあると言う。被災2年4か月から多くの漁港は、最低限の水揚げができる環境に、漁港の整備は進んでいる。しかし、未だに改修されていない地区の漁民の、早期の復旧工事の要請も強く、そのパイプ役としての私たちの仕事は、職員への「遅い!」の言葉へと繋がる。
昨夜は志津川剣道スポ少もあり、日曜の小学2年生二人の初めての大会出場に、指導も熱が入り帰宅が9過ぎとなった。帰ってから食事の準備をして、着信2件の対応しながらの晩御飯で、就寝は11時過ぎとなり、今朝5時には目が覚めた。月末までのびっしり予定表からこんな生活が今後も続きそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:55 】

2013
07/19

閉鎖社会が進む町


アメリカの車で発展した町が、財政破たんした。その額は1.3兆ドルで100円を掛ければその破綻額が日本円で判る。日本の借金は1000兆にも及ぶが、アメリカの一つの町でのこの額は大借金と言える。南三陸町の年間予算が通常80億で、その60倍の復興資金が掛かり、復興交付金で賄われるが返金しないといけない部分もあり、復興計画の10年後の町の財政状況が気になる。
写真の事を説明しよう。旧警察署前で雨水が道路の冠水を生んで、旧駅前からの道路は夕方には通行止めとなっていたが、石巻・気仙沼への向かう国道45号は、道路の端は車のタイヤが隠れるくらいになったが、国道閉鎖は被災地に混乱を来たすとの判断か、最後まで通行止めとはならなかったようだ。町中の被災地には水たまりはあるものの、川からの海水逆流とはなっていなく、排水側溝の整備が進んでいない事が写真の場所の冠水理由だ。
130718_151238.jpg
川の水位を見れば一目瞭然で、昨日の夕方には排水が勢い良く流れていたが、今日の水たまりでも排水溝からの排水はさほど無かった。今朝も向かいのスタンドにも冠水は残り、警察跡地の一時的な土盛りには、土の流出の防止の処置がされていた。
昨日の夕方突然の電話の相手に驚いた。ここではまだいう事を控えるが、志津川伝統のある町の根幹を作ってきた団体に、圧力ともとれる行動が、伝統の名に一つ知らない者によって、築き上げた伝統と歴史が閉鎖的行動により、歴史が消えようとしている。その現実に何も知らず関わったトップの発言を、重い物と感じて欲しい。全ての状況を把握し行動をとって貰いたいと思い、しばらくはその進捗を見て行く事とした。何も知らずに利用されている者と、自分だけのエゴと教育と言う観点からも、将来の町に不安を強くする。まだ私の意を継ぐ後継者がいる事に、歴史ある伝統の継続を託したい。
北海道の奥尻を中心に襲った大津波から、20年が経った。7月12日午後10時12分に小さな町を、地震発生の3分後に真夜中の住民を津波が襲った。調査で出かけたが高台に町は移り、低い部分を守るように10m以上の防潮堤が住宅住民を守る。避難道が何本整備され、震度4以上の地震で自動で水門が閉鎖する。新しい津波防災対策と、住民の津波対策を講じる中で、人口の流出がす進んだと言う。しかし、住み暮らしていた奥尻に、今、若者が帰って来ていると言う。この報道に私たちの町もこんな形になるのかな感じた。
石巻で補助事業で再建した水産会社が、厳しい状況の中で再開したが倒産した。私も早期の事業再開で顧客を守った事により、現在は地元で残り仕事を始めた人たちから、仕事を貰い生活と雇用が出来ている。石巻の会社は被災2年後再開だと思うが、200社あった得意先が1社になったと言う。離れたお客さんは仕事の為に頭を下げ、新しく水産会社を作り営業していた。今までの会社が再建したから、すぐに戻れる事は無く、急場を助けてくれた会社のお世話に、元に戻れないのが現実です。
会社再建も廃業もどちらも苦しい前途が待っている。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2013
07/18

母が終の棲家へ


今年に入り数度の入退院を繰り返し、肺炎になり酸素呼吸器を付けた時は、もうその命の短さと最後を覚悟した。しかし、病院の看護師さんの対応、先生方の適切な処置により、生きながらえ昨日無事に「いこいの海・あらと」に入所し、終の棲家になるであろう場所に落ち着いた。窓からの風景は施設の奥の部屋ながら、かすかに旧荒砥小学校の体育館の屋根から、志津川の海が見える。津波の心配もなく環境も良く、介護の職員の対応もなかなか親切と、第一印象で感じた。
130717_150600.jpg
4階の部屋は施設の表側に比べればおとりもするが、私たちの家族の母の環境としては最高の場所である。平成23年3月11日の大津波の発生の3時30分以後の、生活の場の移動や環境の変化に、当時88歳の「米寿」を迎えたばかりの両親には、過酷過ぎる環境がそこにはあった。
私の家族はまだ恵まれていた。狭いながらの一部屋の倉庫に家族三人、川の字となり共に暮らしができた事に、周囲に気を使う事のない環境に、また別な幸せの時間を持てたし感じ合った。
施設で「けんじろうさん」の声に父は気づかなかったのか、聞こえなかったのだろう。「・・・さん」とのユニットの入居の方の名前を呼ぶ声に、私はもしかして昔に会社で働いていた方とピンときた。当時に比べ大分お痩せになっていたので、父はその方を施設をでるまで、教えても思い出す事ができなかった。
最近、疲れる何か体がおかしいと言う父、耳が遠く、一人で暮らす寂しさで、精神的に体力的に、体の衰えを隠せない状態に、自分とて不安でいっぱいである。母の月々の施設入居料の事など、「住宅ローン」も今後抱える事に、今後に家庭の不安を私も感じている。他の方々に比べれば・・・との思いで、自分を奮い立たせている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:22 】

2013
07/17

子供の安全通学


夏草が繁茂し道路のカーブなどは見通しが悪いなど、車の運転ならず、小さな子供たちが歩道を歩いていても見えない時がある。本当に危険がその影に潜む。
昨日、私の戸倉荒町の仮事務所前に、戸倉小中学校の通学バスの乗り場がある。被災後の登米市仮設での生活から志津川の小中学校の併設があり、まだまだ今後も通学バスが必要だ。朝晩の建設現場までの大型トラック、通勤の車が荒町の集落の一本道路を走っている。私の朝5時頃の通勤時などは、他の通勤車は高速で目的地まで向かう車が多く、7時頃になると10台20台と車が連なって走行する。荒町の通学バスは朝7時30分の出発で、帰りは4時頃で2度の帰りの通学バスがあった気がする。朝の通学時の賑わいが会社隣で毎日のようにある。
戸倉事務所の前には「垣根」があり、この時期は長い時で写真の40㎝も伸び、45号の道路の見通しが悪く、車を出すときに「危ない!」と、こんな時がここに移って2年になるが、幾度となく「ハラハラ」している。まして低学年の子供達、大人が気配りして安全に車を、時間に余裕を持ちハンドルを握って欲しい。今度、会社前に「通学バス停車場所、注意!」の立て看板を独自に設置したい。
CIMG1652.jpg
昨夕、お借りしている倉庫事務所の大家さんが、会社前の長く伸びた「垣根」の木を短く刈り取った。会社が忙しい中での夕方に仕事をしていた。今日の学校・警察・安全協会の活動があったので、子供たちの安全の確保と言う観点からの活動と思う。今、「子供たちの元気な声が聞こえてきた」! 。
4月から6月までのDCキャンペーンは、77銀行の調査で、103億円の経済効果があったと言う。観光客も98万人が増加し、雇用の創出も大きく生まれた。南三陸町の恩恵も大きかったが、町の再生は、町民の帰還はと言うと、またそれは別の話としてある。一昨日の南方の仮設での飯島町からのマジックショーの後の「早く帰りたい」と、手を握り話すひ孫さんを持つおばあさんの、言葉があれから耳にズーと残っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2013
07/16

鎮魂と元気を


連休の14日を歌津平成の森で、15日の海の日の祝日は南方の仮設を訪問しての、長野県飯島町からの「マジック公演」は皆さんに笑顔と元気を与えてくれた。
「おげんきで」との最後の垂れ幕は、「また来ます」との交流が今後も続く事を私は願った。6名の飯島町マジッククラブさん、そして運転を引き受け、600Kの道のりを走り通した、支援の竹澤議員さんに感謝したい。
南方仮設でも60人を超える皆さんの来場があり、拍手と声援の1時間余りの交流で、互いに「元気を頂きました」「楽しかったです」と言う。これが交流であり、高齢者が半分以上で、杖をついての来場には嬉しさしかなかった。
限られた場所での公演ながら、歌津地区の選択と、人口の流出の加速が新聞報道であった南方仮設、選択に間違いはなかったと思う。長野からのお米30Kの支援品は、今度お祭りがあるので、その時の「おにぎり」として「仮設の皆さんに食べてもらいます」と、宮川自治会長さんは話していた。
CIMG1588.jpg
南方への随行は防災センターで待ち合わせをした。歌津の民宿からの志津川での知っている場所は、有名なこの場所でしかなかった。
9時の出発ながら8時過ぎにはこの場所に来ていた。庁舎前は昨夜そして朝の「大雨洪水警報」の発令があり、駐車場所の半分か深く冠水となっていた。ポツリポツリと訪れる車があり、観光バスも庁舎前の道路で止まり乗客に、「防災庁舎」見せているようだった。
前日「線香を1束用意してもらえますか」との願いは、写真にあるように慰霊のためだった。「凄いね」「未希さんはここでマイクで放送していたんですね」など皆さんは言う。そんな中で「残した方がいいね、広島ドームのように」の言葉は、私には複雑な気持ちを抱かせた。
しばらくぶりでこの地に立った。鉄骨の崩落など安全が確保されていないからと、黒と黄色のロープが2m四方に張り巡らされていた。やはり鉄骨の雨風での老朽化が進んでいるようだった。どうするかを行政は解体時期など「有耶無耶」にここまできている。議会の解体の決定があり、最終的には行政の判断に委ねられているからだ。
今日は戸倉の仮営業所の前で、警察・学校・業者・安全協会の皆さんが集まっていた。会社隣のスペースが通学バスの乗り場で、安全通学の検証が行われ、今後荒町地区の前後に「安全運転」の看板を掲示したいと言う。私も会社前に「通学バス乗り場運転注意」の看板を独自に設置する事を考えている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:40 】

2013
07/15

飯島町からのマジック交流

250714手品
長野県飯島町の宮澤さんをリーダーとする、マジッククラブの皆さん総勢6名が、飯島町の町議会の議員竹澤さんの運転で、9時間30分を掛けて来町した。
被災地の光景にその現状を見て驚きを隠せなく、マジックショーの最中も「大変でしたね」と声を、集まってくれた50名余りの皆さんに話し掛けていた。
昨日初日は歌津平成の森仮設に、50Kの採れたてのじゃがいもを持ち込み、集まってくれた全員に手渡した。また、マジックショーで本の間から出した「アメ」を、不思議そうに見つめる子供達に配った。皆さんもアメを頬張りながら、驚きと拍手で声援を送っていた。
今日は10時から南方仮設に公演に行く。
CIMG1508.jpg
南三陸町の被災した皆さんも笑顔が減っているのは間違いなく、こうした皆さんに少しでも笑いと楽しさを味わってもらいたいが、来町した飯島町のマジッフクラブの皆さんの願いです。色々な仕事を持つ方々が趣味の手品を通して集まり、初めての町を出ての県外での公演が、被災地である南三陸町と言う。このキッカケは飯島町議会での被災地視察の私との出会いからだった。
平成の森の畠山自治会長さんのご理解と支援により、昨日の公演の成果は来町されたクラブの皆さんが、「喜んでくれて良かった」との言葉から伺える。仮設集会所のスタッフの方々のお手伝いにも、1時間30分の公演の中で、夕食前の貴重な忙しい時間、30分遅れての開会にも関わらず、満足いくショーができたと思う。
CIMG1565.jpg
宿泊は歌津泊の「高倉荘」さん、畠山自治会長さんの同級生がご主人と言う、この偶然にも驚く。人との出会いの「縁」をここした事からも感じる。
被災地の人々と支援してくれる人達との出会い交流が求められ、これが今後復興への大きな力となる。高倉荘さん自慢の写真の「どんこ汁」、飯島町の皆さんもこの味に満足だった。御膳に並ぶ南三陸の海の幸に、女性陣も「美味しい」の連発だった。皆さんの口コミでまた多くの皆さんが南三陸町に足を運んでくれる事を願いたい。
町の復旧復興はこうした事で加速する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:50 】

2013
07/14

永遠の宝は仲間


来週21日に迫った仲間の「わげしたぢぶるめ」、一人の子供の頃からの同級生が結婚し、そのお祝い会が開催され、我が地域ではこう呼ばれている。
震災後に地元に残る近い係わりの仲間が、8割方参加する事で進んでいる。56年が経ち未だに友だちとして、事ある毎に集まり助け合う。昨日も同級生仲間の子供さんが結婚し、その披露宴に同級生が喜んで参加した。7人ながらその他の多くの仲間が、同級生の家族の門出に祝福し喜びを伝えた。
昨日の結婚式は何時になく新郎新婦の仲間が多く集まった。将来この仲間に多くの事で支えられ助けられ、共に喜びあうことが沢山あるだろう。その時の幸せ悲しみの共有が将来への宝となり、また、新しい仲間の繋がりが出来て行く。みんなが二人から4人と、倍々と人との繋がりが生まれる事で、南三陸町の再生の力となる。
震災の復興が遅いと先が見えないと、早く安心安定を求め、人々が町から離れて行っている。そんな中で今は町外にいるけど、「必ず帰ります」との嬉しい話も聞こえてくる。「早く」と気持ちは皆同じだが、現実としては難しい事も判ってきている。その事で先を見据えた考えが生まれていた。
多くの仲間に囲まれ結婚した当時を思い出す。その仲間は少し疎遠となっている友人もいるが、皆が今でも友だちで、今後も友だちとの「再会」の時は、「今日は飲むか!」と、今までの歩みが酒のツマミとなる。
昨日参加してくれた新郎新婦の友人知人も、きっとこんな付き合いになる事と思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:52 】

2013
07/13

政治資金の宝庫


私が現在の立場になる前に、私の知る平穏な町で大きな事業としてあったのが、戸倉のゴルフ場の開発があり、町長選挙の争点として二人の候補が争い、志津川の水産業を守る為に、漁民の大反対を受け、反対した候補が当選した。その後で跡地は開発中止となり、ゴミ焼却炉のゴルフ場跡地の利用が行政から提案され、これも漁場と周辺の環境の影響が懸念され、建設中止となった。この時も50億?の事業で数千万のお金が動いたとの噂が、町中の話題となった事を今でも思い出す。ゴルフ場の取り巻く事業には未だに多くの疑問点や問題点があり、政治がその部分に強く関与しているのは間違いがない。
現在から今後に掛けて町の再建事業には、当初復旧復興に4900億円の資金が動くと言われ、諸々の事情から震災事業には監査の緩い事業費の使途がある。被災地の早期の復興のために業者不足や、事業資材の高騰があり、落札が99%に近い価格もあり、普段より10%も復興資金がこれで余計に掛かる。こうした面からも裏で資金が動いていないか勘繰りたくなる。職員の被災地での過酷な職務の中には、不正なお金入りこむスキは少ないが、業者はあの手この手で復興事業に参入を目論む。現在URと言う都市再生機構?が行政に入り、町の復興の建設関係の仲介として仕事をしている。ゼネコンとのパイプも太く、業者不足の問題のなかで、全国の業者の参画の受け皿として、その持っている繋がりノウハウを発揮している。
写真は歌津港地区の昨日の光景です。夏草が生い茂り良き時代の面影は何一つない。大きな変化は気仙沼線の流失した鉄橋が復旧され、BRTの道路として線路が生まれ変わろうとしていた。港地区の海岸線の集落の再生は、この場所でもこの風景からも難しそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:09 】

2013
07/12

今日は21度 じめじめ


志津川地区の汐見町のミニストップ前から荒島方向を望んだ。ここ2.3日は雲が垂れこみ朝もやの町はどんよりと暗く、撮影した朝5時30分は普段もっと明るい。十日町の国道45号の中央部分に移動のガードレール工事設置で、町中は渋滞し上山緑地下のう回路を、急ぎの車は地元の理を生かし、我先にと被災地を通行している昨今である。
入谷地区の熊田橋からの「入谷横断1号線」を、用事があり通行した。橋から直ぐの所は津波の到達地点でもあり、川側の道路の一部が崩壊し交互通行となっている。その先も狭い道路で「譲り合い」の心で、何とか安全な通行ができ、道路沿いの夏草が茂りカーブ先の車の見通しの悪さが、安定通行の障害となっている。こないだ学校の通学バスの帰宅の後ろを通行した。先に出るにも道路が狭く、草内山の入口の停留所から林際まで、安全運転に徹した。「入谷横断1号線」は地元民の道路整備が念願にあり、地元議員の要望も強く、実現工事への矢先の大震災だった。再度設計が必要で2年目を迎えやっと調査経費が予算計上となったが、工事はまだ先になりそうだ。中学生の通学バスは今後も継続であり、沿線の運転は安全に注意しながら、それ以外の車も気を配り通行をお願いしたい。
130709_165930.jpg
歌津「平成の森」の登り口に写真のような水産加工会社が又できた。管の浜には「及新」さんの水産加工工場が、大津波後に海のそばに大きな建物を建てた。その後でコンビニや食事処もでき、そして今度写真の「千葉」さんの登り貼られた、水産品加工の工場が建設となった。被災前に歌津地区のゴルフに参加した時に、優しい声を掛けて頂きお世話になった。勿論ゴルフも上手い。
日々変わる町の姿に復興の加速が視覚で感じ取られる。来月のお盆には多くの方が帰郷となるが、大きく被災した場所より、町の端々を見て頂きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:07 】

2013
07/11

被災者遺族・殉職家族の思い

250710防災
「もう限界です」が南三陸町志津川地区で84年間暮らしていたおばあさんの声だった。戸倉で暮らしていた方はもう登米市に移転する事を決め、近い親戚・知人への住所移転の葉書を出すと言う。行政へは「遅いおね」だった。確かに何も無くなった町の再建は非常に大変なのは理解できるが、何を一番にいしなといけないか、行政トップは判断のミスのしているのかもしれない、それに対する指摘などのチェックも甘い。「申し訳ない限りです」。
国民健康保険の「自己負担の延長」は、福島・岩手では実施されているのに、なぜ宮城県はできないのか不思議だ。国からの支援は必ずされるが、なぜ宮城県はと言う気持ちが募る。
全国紙の読売新聞に、「特殊公務災害32人不認可」との見出しがあった。殉職遺族が地方公務員災害補償基金に申し立てしたものの、32人に不認可の決定がなされた。特殊公務災害に認定されたのは、警察官・消防士と自治体の職員が3人だった。自治体職員は281人で142人が申請し、3人だけが特殊公務災害認定となった。町民の為に最後まで頑張った職員なのに、「逃げればよかったのか!」と感じてしまうと、遺族は話していた、と言う。
全国紙での掲載は南三陸町民の一部分にこの事実が伝わり、多くの町民にはこの事が伝わらない事を意味する。行政の職員殉職の生活支援は、公務災害の最大で2160万円と言う。遺族はお金を言っているのではなく、行政トップの遺族に対する姿勢を、別な形でトップに求めている気がする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:34 】

2013
07/10

復旧と選挙


石泉の歌津の奥地まで参院選挙の掲示板がある。一昨日は共産党で昨日は自民党の立候補者の選挙カーが南三陸町にも来ていたようだ。偶然にも会う事でここにも来た事を知る。宮城県では5人の立候補者が出馬し、県内をくまなく一台の選挙カーで歩く。選挙葉書はみなみの党と自民党の二人から届いた。大きな政党の迅速な選挙活動があり、組織力の強い所のポスター掲示や葉書の発送の準備は万端のようだ。だが、立候補者の選挙公約や活動・演説などで投票の判断にしたい。党首討論会がテレビで週末にあり、前政権の力の失速を強く感じる。日本政治はどうなるのだろう? 地元の衆議院の小野寺防衛大臣の、凛とした活動と姿に共感を覚えている。
昨日は「東日本大震災事業者再生支援機構」から、被災地の印刷業者にチラシ入札の依頼があった。「過当競争」で地方の被災印刷会社が苦しむ中で、競争による仕事の支援は、現在の状況の大変さへの認識の欠如を思う。「すみません」の言葉で申し訳なさは判るが、落札できる可能性が低い。そして、弱小事業所にこんな時間の余裕はないが、こうした被災地支援への活動であり、入札にはわざわざの依頼の電話、答える事でこちらの誠意を表したい。
CIMG1366.jpg
気仙沼線の陸前戸倉駅があった所に「BRT」の停留所が建設中である。町は今後も「鉄路」の復旧を要望していくと言う。数百億での鉄路の復旧を、数十億で済むBRTの再開は、気仙沼沿線の乗客の減少があり、赤字路線への資金を掛けての再建は、JR東日本としても企業経営者として当然の選択と思う。口先だけの「鉄路復旧を今後も要望していく」は、早期の人員輸送と言う必要性からも、BRTは当然で新たな形での電車輸送の、観光と結びつけた集客と採算が見込める鉄道事業の模索へと、町は方向性を描くべきと思う。
昨日は五日町の方の葬儀に大雄寺に出かけた。志津川市街地の皆さんが参列されていて、遠くに散らばっている懐かしい人たちと会う事ができた。一昨日県外に暮らす南三陸町志津川出身の方からメールが来た。志津川の動向が知りたいと町ホームページを見るも、市街地の土地はどうなるのか? ここには家は建てられる? など、何も町のホームページからは情報が得られないと、問いかけのメールに返信で質問に答えた。
トップの「慰霊碑は今の所建設の考えはない」「近い将来には」との発言に、復旧復興そして町民の為の言葉と考えの中に、亡くなられた町民皆さんの事、そして家族の悲しみの癒す気持ちの欠如があった。何とか町外部の支援の話もあり、来年の3.11までには、どこかに慰霊碑を、賛同していただける人たちと実現させたい。早期実現に行動しない町に代わって。
3日前の全国紙の読売新聞に、「特殊公務災害32人不認可」との見出しがあった。殉職遺族が地方公務員災害補償基金に申し立てしたものの、32人に不認可の決定がなされた。特殊公務災害に認定されたのは、警察官・消防士と自治体の職員が3人だった。自治体職員は281人で142人が申請し、3人だけが特殊公務災害認定となった。町民の為に最後まで頑張った職員なのに、「逃げればよかったのか!」と感じてしまうと、遺族は話していた、と言う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2013
07/09

入谷にも変化が


入谷の岩沢の仮設に同級生を訪ねた。童子下に建設を予定する「老人ホーム」も、農地だった所に盛り土が運ばれ、造成が始まっていた。現在、町は復興に進んでいる中で、高齢化は25%から若者の流出により、35%まで上がっていると言われる。今後、高台移転が進むと被災者は、病院・買い物が容易にできる場所を求める。町は高台に商店の形成と、交通網の整備と福祉の充実の為に、いち早く病院や住民福祉の充実を図る「ケアセンター」を、東浜地区に復興の公的施設の本設を第一に始める。27年の4月開設は遅いか早いかは、残った住民が判断するだろう。
老人ホームの入所者は「順番待ち」だったが、高齢者が安心できる場所や、それを支える家族の働く生活の場を求め、家族全部が町を離れるケースも少なくない。高台移転で住民の暮らす場所が確保され、町が落ち着く頃には、いろんな施設の需要も見込めるが、それまで家庭が生き抜く事も大変である。
今日は11時から大雄寺の葬儀に参列する。我が家の菩提寺の「大雄寺」さんに出かけた折に、「この千葉さんのじゃない」と一つのファイルを持ってきた。会社の紙データで30年も制作し作り上げたもので、津波を受け全てを失い、仕事の物が帰って来たのはこれが初めてである。先祖からお世話になっている、菩提寺さんから帰って来た。生死・人生は巡ると言う実感に触れた。
130706_121758.jpg
昨日だけで「熱中症」の患者が1000人も病院に搬送された。15年続けているスポーツ少年団の指導があり、子供たちの指導に熱が入ると、「強くしたい」との熱意でつい忘れがちになり、健康面の留意に欠ける時がある。
子供たちの生活は被災地に於いては過酷で、通勤は通学バスで時間が掛り、勉強も狭い仮設での事で、精神的にも厳しい環境に囲まれている。指導者が活動中に付く事はあたり前ながら、関わる指導者の生活とて同じ事が言える。「無理しない!」が最大の活動する側の、注意しないといけない事と思う。少しの異常がでたら涼しい場所で休ませ体を冷やすか、状況に応じて病院は無いので、救急搬送の準備も決してオーバーな事でもない。過去に戸倉小体育館で、被災前の夏場一度あった。夏の暑い時期で初段審査の為に、剣道の防具を付けての練習の時だった。問題は無かったが、防具を外し親たちが介抱した事を思い出す。過去に一回だけながら夏場は特に、「無理するな」の一言は欠かせない。
岩沢仮設は入谷地区の奥地にある。「がんばっぺ岩沢!」の掲示板に目が止まった。貼られてある「社員募集」は、ウニ剥きの従業員だった。衛生面の関係上、今は施設の復旧を終えた会社しか、ウニ剥きしての出荷はできないと聞く。行政は水産業の再生と言いながら、浜々の衛生施設完備に支援が薄いのも、解決しないといけない問題です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:56 】

2013
07/08

町の細道に入って


昨日は私用なから歌津の石泉から荒砥、そして午後に南方と多くの人たち話す事ができた。写真は歌津吉野沢の途中で撮影した、三陸沿岸道路の工事予定地の立札で、まだ道路の高架橋・嵩上げとなる地盤の造成が始まっていた。遠くに見える造成地は歌津市街地の流失地からの移転の造成工事が進められ、町の防災集団移転事業とは別の、個人での自己再建の造成と思う。
もう一枚の写真は歌津の石泉から本吉小泉に抜ける「グリーン道路」で、海岸線が津波で通行できなくなった時の、う回路として被災地での通行に大きく役立ち、被災者への支援道路に活用された。吉野沢から石泉のカーブから、望んだ先には全国の地域からの建設労務者の、宿泊施設が仮設で建設されていた。奥に見えるのは石泉生活センターだったと思う。
CIMG1332.jpg
帰りは清水から荒砥を廻った。住宅の建設や「グループ支援」による工場の建設が進んでいた。こんど母の入る「いこいの海・あらと」が、この日「33度」となった灼熱の太陽に光輝いていた。
知人の所に寄ると、海の仕事を終え一休みしていた。今年は「ワカメが安くて困った」と言っていた。そして現在「ホタテの麻痺性貝毒」で困ったとも言う。がんばる漁業の国の支援は後2年前後と、今後の漁業の不安を話す。袖浜地区には現在2棟の民宿が建設進んでいる中で、JR東日本の「復興観光ホテル」の今後が気になると話していた。民宿の再建と建設会社・ホテル建設は、お客さんとなる、労務者・観光客の民宿の再建の足かせとなるのは間違いなく、行政の規制も必要とされ、民宿再建の事業支援も、行政が関わるべき問題と思う。
南方の南三陸町の仮設生活者から、「町はどうなると?」との話が消えた。「こっちの人たち登米での生活考えるようになった」と。しかし、この日は入居の方から「災害公営住宅の市街地の状況は?」との問い合わせに、資料を持参し南方に出かけたが、志津川の3地区の公営住宅は、町づくり協議会でも議会でも、まだ場所だけで構想や戸建の部分も何一つ示されていない。
住民の不安は募るばかりだが、市街地の商店街復興は見えない部分で確実に前へ進んでいた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:45 】

2013
07/07

大きく日々変わる町


45mの三陸沿岸道路の橋脚が入谷の、水境峠から町に下る入谷の389号と旧道合流地点から見える。この高さに驚くが至る所に、我が町に無かった復興再建事業が、町で展開され進んでいる。この姿を見てもらう事が、「被災地観光支援」に来てくれる皆さんの行動として今あ、町にお金が落ち、これを交流人口による復興と行政は話す。
県の三陸道の工事監督官は言う、地権者の理解と行政と議会の皆さんの協力により、一日も早い「命の道」としての復興道路が今進んでいる。磯の沢に架かる高架橋も、支柱からコンクリートで「やじろべい」のように橋を伸ばしての建設は、新しい工法による高架の高速道路の建築だと言う。三陸道路も2路線の道路拡張工事が、今、急ピッチで進んでいる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2013
07/06

南三陸町の民宿再生


歌津長須賀海岸の歩いて10mの場所にあった「コクボ荘」さんが、歌津ファミマの前から名足に向かう道路の左側の高台に再建された。
長須賀海水浴場に襲来した大津波は、基礎から海岸の砂ごと跡形もなく民宿は無くなった。二階建ての白亜の館は、目の前の豊潤な海からの恵みが、御膳に並び食べきれない程の料理だった事を今も思い出す。あれから2年4か月が過ぎようとする今、落成の運びとなったと聞く。また、御夫婦に笑顔で迎えられ、南三陸町の歌津の海産物がお腹いっぱい食べられる。海岸線からは少し離れたものの、近い将来海水浴場が整備されれば、ここからでも車で5分も掛からず、南三陸町歌津の綺麗な海を満喫できる。
今後進む高台移転の労働者の皆さんの宿泊は、被災した民宿の事業の再建の大きな力となり、観光支援の皆さんにも、南三陸町の自然を楽しんで頂き、観光支援の一環として、是非「我が町」の民宿の料理を楽しんで欲しい。今までお世話になったお客さんに感謝の気持ちを伝えたいし、被災前のお客さんも訪れて頂きたい。
私の知人も町に今度帰郷する、新しい「コンボ荘」さんを紹介し、泊まる予約をした。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:16 】

2013
07/06

歌津名足街道


昨日は枡沢のファミマから名足に向かう道路をしばらくぶりで通った。一番気になっていた「気仙沼共同生コン」が建設された場所がここにあった。もっと大型の施設と思っていたが、道路沿いに生コンの現場への利便性を考えていた。現在多くのコンクリートが工事現場で必要となっている。住宅建設は造成が27年度までなり、28年度からの住宅建設ラッシュを心配する。27年度までは道路・河川堤防・防潮堤が国県の事業として完成となり、住宅建設の基礎の生コン需要が順調になる事を願いたい。
漁港の整備が順調でない事が格差が議員の発言で判った。その時に平磯以北の水揚げ高が示された。約だが、荒砥は1.1億で、平磯0.7億、清水1.7億で、細浦が3.7億と言う。細浦以外は漁港・船揚場の改修工事が進んでいるのに、「細浦は未だ漁港整備が進んでいない、しかし水揚げは3.7億もある。なぜ細浦が一向に工事が始まらないのか」だった。行政からは「周辺も含め漁港・船揚げ場の総てが流失し、工事が難しい」と話され、「もうしばらく待ってほしい」だった。一番驚いたのは、震災後のあの海岸線の悲惨な状態から、漁民の努力と政府の三陸沿岸への水産業再生政策により、海は漁民の涙ぐむご苦労により再生していた事だった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:12 】

2013
07/05

三陸沿岸道路と楽天気分


昨日の午前は三陸道特別委員会で「三陸沿岸道路」の現地調査に行った。写真は信倉線に架かる三陸道から小森インター予定地を望んだ。まだ一山を超えないと道路は繋がらないが、すぐそこまで来ている。その土量は24万㎥と言う、一か月に2万㎥の土取りで1年かかる事になる、と説明された。東北地方整備局では27年度には小森まで開通と発表している。その以北となる仮称ながら志津川インターまでの、志中武道館下を通るトンネルも7月の31日頃に、「工事祈願祭」を予定している。気仙沼線に変わる高速自動車網の整備は、確実に迅速に進んでいる。
午後は「病院・ケアセンター」の基本設計の報告があり、透析施設が20床確保され、病院内の設計に組み込まれていた。しかし、透析の機器に関しては先生の招聘がまだ決まらない中で、早期の機器の設置は、使われない事で機器の老朽化がある、と機械整備はされなかった。機器設置なしは行政の医師招聘の見通しの立たない事に起因する。機械を設置したから早く医師探さないとの、取組を逃れる為と勘繰りたくなる。同僚もそう議会で話す。
戸倉地区の道路の法線が発表された。アバウクながら道路は、「防災集団移転」の住民を迎えに行くとの制度の形を取っている。その高さは「10m」と言い、道路・防潮堤・防災集団移転ともに、27年度の完成を基本とする。後2年8か月で完成をする。本当に出来るのだろうかと思うし、工事車両も増加し町も様相が大きく変わる。大型トラックの賃金が一日通常は1万5千円ながら、今は3万円で、高い所では4万円にもなると言う。大型トラック不足は深刻で工事の進捗に大きく影響している。町の高台移転も遅延とならないか心配だ。
CIMG0927.jpg
昨夜突然メールが鳴った。相手を見ると普段メールなんてくれない、志高3年4組の同級生からで、題名は「楽天気分」だった。「何?」と返信すると今、球場に来ていて、大差で楽天が勝っているようだった。私の時は9回の裏逆転負けだったのに、昨夜は快勝でロッテに連勝し、初めて7月の首位の座に付いた。まだこれからです「東北復興」に楽天は頑張っている。今年からの外国選手の活躍がその影にある。
夕方の同じ3年4組の仲間から電話があった。また、余計な仕事を作ってしまった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:12 】

2013
07/04

今昔


八幡川の川面に映る役場庁舎が今を思えば懐かしく、当時の色々な出来事に思いを馳せる。現在のこの場所は防災庁舎の位置から直ぐに判る。大きな津波の猛威と2年4か月余りの月日に、自然の再生の速さに驚く。
昨日は中学校の道場を覗いた。剣道部の昇段試験受験の生徒が4人いたので、小さい動作を指導した。剣道は「反復練習」しか技術の向上はなく、覚えるにも時間が掛る。後は本番を多く積むことで剣道は伸びる。一夜漬けの学習では体で覚えるには至らない。
朝、父親が「草刈り機械を買うかなー」と言う。昨日は知人が庭の草を機械で刈ってくれた。それを見て簡単と思ったのだろう。しかし、ここ一か月の間に二人の方の草刈りでの大怪我を知り、昨夜も「危なかった」と作業時の危険を聞かされた。無理して慣れない作業は避けるべきと、多くの危険が潜む事からも、我が家は料金を払っても人に頼む事を決めた。
130704_064527.jpg
病院跡地の基礎瓦礫の置き場のもう一つの瓦礫の山に、破砕機の複合体が設置され、本格的な来年度末までの「基礎瓦礫破砕」の県の事業が加速する。歌津・戸倉や志津川の駅前など、数カ所の瓦礫が処理され、嵩上げや埋め立ての砂利として利活用される。
現在防災集団移転の土地造成による土取りの土が、市街地の嵩上げの土が大きく余るとの話を聞く。広大な被災地の6mの嵩上げに、30カ所近い造成場所の土の膨大さは、想像もつかない。
登米市に移り仮設に生活する町民の、登米市へ南三陸町の住民の移住と、新聞の一面で報道された。人口の流出の歯止めの政策は急務で、人口が1万人も割るとの予想も、町民は口々につぶやく。行政はと言うと現実的な人口動向の調査は、その厳しさが見えてくる事への恐怖感から、調査を控えているのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:00 】

2013
07/03

先進地の活動に脱帽

2013-06-29 13.24.53
志津川市街地の西地区の変更図面を見せてもらった。志津川高校の即浦山で、移転希望者には説明済で、この図面どうりに進めたい。進める?!と行政は言う。この地区に移転希望の方は問合せては。
ゆり園のオーナー制度は、1万円で自分のゆり園の土地を持てて、管理はすべてを園に委託し、見頃には無料で入園、庭にも植え替えも可能と言う。こうした事業家が南三陸町にも現れて欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:10 】


TOP