ARCHIVE - 2013年06月

2013
06/30

多くの被災者に花を捧げに


昨日は一迫町に「ゆり園」と「あやめまつり」を知人に誘われ出かけて来た。土曜日で大きな町の施設でないので、人影は疎らながら、色々な種類・色とりどりのゆりに来園者は心癒されているようだった。
現在の町内に置いての葬儀には、訃報の有無が判らないと言う現実の中で、親戚や会社から多くの献花があり、帰りには献花の花が参列者に配られる。その中には立派な「ゆり」があり、強い香しい匂いを放っている。それを「ゆり園」で思い出した。今回の震災で亡くなった方々の分まで、花を愛でようと、震災時・葬儀の時を思い出し、設置されているベンチで10分以上も、「ボーと」その咲き乱れる「ゆり」を見つめた。
そして、今日の河北新報の報道に現実に引き戻された。登米市に仮設入居している住民の50%弱しか帰還を考えていないと言う記事があった。議会でも町長に言う。一日も登米市に移住している方の事を考えてと。登米市に仮設が建設されてから、住民の帰還を行くたびに聞く。こんな環境の良い場所から、何もない地元に帰るのは難しいと伝えられた。
南三陸町内の仮設の建設をズーと訴えてきた。何回もブログでも訴えたが、町の持っている場所の「ひころの里」「林際小学校跡地」「黒崎のテニスコート」があり、この場所なら直ぐに住宅建設は可能で、ここに仮設住宅を建設を! と被災後言ってきた。また、戸倉荒町に200個の仮設建設提案も、7月には町長に直接「建設計画」を地権者と持っていくも、建設は全て決まっていると、一言で却下された。その後で南方第2、横山幼稚園脇、津山体育館の仮設の建設となった。
町の存続も危惧されている中で、こうした問題発生も予測できなかった町長に、津波の想定が出来なかった、危機感の欠如があった、その訳がここにもある気がする。今更と思う方もあるだろうが、今後進む復興計画にも「ブレない!」で推進すると声を大に語る。
こうした人口減少問題発生に対しても、「ブレない!」と言っていた事に驚いた。
CIMG1250.jpg
「山王遺跡公園」は縄文・弥生の遺跡が発掘され、国指定史跡となり、その遺跡の上に「山王あやめ園」を造ったと、観光客の皆さんに観光協会の方が説明していた。
南方にもあやめ園があるが、一迫の「おやめ園」は町の真ん中にあり、隣の小学校も木造造りで、目の前の川の橋も「木造」で、「なかよし橋」と確か命名していた。町の中に自然の中に公園が作られ、「道の駅」「総合支所」など、町が創造されていた。
登米市の仮設に住む人の意見に、登米市に「災害公営住宅建設を」と言い、「病院・雇用が無い」と今の南三陸町を現実を話していた。来月4日には「病院計画」の臨時議会がある。多くの問題を行政に話すが「暖簾に腕押し」と、明確な問題解決への答えは無い。あっても時間が掛る、今進んでいるなど、復興への厳しさを語るだけで、町民が納得できる答えは無く、町民の諦めが登米市南方仮設の、住民行動としてある。
町から住民を仮設建設として外に出す事で、住民からの行政への復旧遅延・反発・批判の「声」をかわす狙いも行政にはあり、登米市への住民移転の考えがあった気がする。移転させる事で行政のペースで町づくりが出来る。その弊害が人口の流出に現れた。そんな事は私でもその危惧感は持っているし、そうならない政策を講じていく。
この「人口の流出」と町の再建」を前に、もう一期の議員への出馬を決定的なものとした。ITや情報手段を駆使し町民の皆さんに、新しい町づくりの在り方を伝え、南三陸町を発信して行きたい。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:52 】

2013
06/29

モアイのマナを信じて


色んな問題が前にあり全て投げ捨てて、平民になった方がと思う時が一瞬ある。しかし、ここまでこれたのも「何かをしないと」と、目の前にあった事の解決に努力してきて、余計な事を考えずに済んからで、高齢者・子供達・仲間の笑顔が見られる事で頑張ってこれた。目の前の問題を解決する事に向かう事が、自分のこれまでの時間を埋めてくれた。
今度は長野県から来る物資支援と、マジック公演支援がある。そのもう一つの活動は、町長の「今は鎮魂碑建立の予定はない」との発言があった中で、支援してくれる大きな団体と協力し、沖縄の「平和の礎」? のような、誰でもが手を合わせられ皆が集まれて、町に来た方も鎮魂の祈りが捧げられる場所を造りたい。そこには「意に反し命を閉ざされた町民の名前を全て刻み」たい、こんな構想を多くの皆さんの同意を得て、実現したいと思っている。
これが町民の皆さんの笑顔に通じる活動と今思い、今後多くの方々とお会いし話し合い進めて行きたい。夢に終わることなく町民皆さんと共に歩んで行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:41 】

2013
06/28

自律しての再建に脱帽です


昨日も歌津に出かけた。伊里前の市街地に架かっていた「歌津大橋」は解体へと進んでいる。総てが解体され遺構として残るは「防災庁舎」があり、そして「高野会館」だけとなった。町長は何を考えて、どうしようとしているのか良く判らない。
震災直後直ぐに「小泉進次郎」氏が歌津に来たと言う。それは、歌津出身で神奈川県三浦半島で現在生活している方が、大震災で連絡を取れない歌津に大根などの野菜を持ってきた、その時に選挙地盤である小泉氏が同行したと言う。その貼っていた写真の日付が「23.3.11」となっていたから驚いた。現在は農家をしているのだろうか、持ってこられた野菜を被災した住民で分けて食べたと聞く。政治家としての行動力に頭が下がる。自民党青年部長の役職にあったと思うが、若さと勢いを感じた。こんな若き政治家の多くの出現を期待したい。我が町にも。
歌津大橋の海に向かっての左の道路が、左右別々に残った高架橋が昨日外されていた。歌津市街地の象徴が無くなって行く姿を、町民はどのように感じ見たのだろう。歌津地区の団結力なのだろうか、住民の仮設からの減少が少ない事からも感じた。南方仮設の空き室は減少していると聞くが、登米市の生活条件と造成地の拡大に、その理由があるように感じている。同じ場所に留まる事で住民は我慢し、人口流失は防げた気がする。
130627_115715.jpg
志津川から清水そして細浦に向かう中間の高い丘に、住宅の造成が進んでいた。個人での再建とは思うが、こんなにも高い場所に自宅の移転を進めている。それは土地の確保が大変な被災者の現状がある。
今、長野県飯島町の「マジッククラブ」の8名の方々の、南三陸町での支援公演の準備段取りをしている。一泊二日の予定で2カ所の仮設での「被災地の皆さんに少しでも笑顔を」とハード日程で来てくれる。地元の宿泊場所を準備し、公演会場は歌津と南方の二つの仮設に決めた。多くの皆さんにとの要望で、避難者の多い仮設に決めた。
以前に飯島町の農家の方からの「ネギ支援」も、配った仮設では平等にと「1本づつ」の住民に配布をしたと言う。仮設への物資の持ち込みは簡単ながら、仮設の自治会長・多くの皆さんの方のご苦労に感謝申し上げたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:43 】

2013
06/27

自然の恵みの再生


「松本サリン事件」が今日だとラジオは伝える。あれから随分月日が経ったが、この震災も2年が過ぎ、5年10年が経っても、復興と大きな住民の傷が癒える事も、住民の再建の道半ばの途上と今を思う。
中小企業は1~9名の人数の会社を言う。1995年から2005年の時期のリーマン恐慌で、価格破壊のデフレとなり、下請けの中小企業は仕事の減少と、価格破壊により東南アジへの仕事の流れで、仕事が2分の1に・収入も2分の1となり、利益が4分の1となった。そして40%の中小の下請け企業が減った、と言う。
来年4月より3%の消費税が上がる。それに対する政府の住宅対策として、所得510万円以下の家庭で、ローンでの住宅建設に30万円の現金を支給する。IPS細胞の医療への承認が、加齢黄斑編成の目の治療に、厚生省が研究目標で許可をした。目は大切なものと身を持ってしった私には、IRS細胞の初めての医療への活用に「眼」だった事を嬉しく思う。見えない部分に細胞を植え付け再生すると言う。今度は「クローン」だ。鼠のシッポの「一滴の血液」から、一匹の鼠へのクローン再生が成功した。多くの医学の再生ながら、我が町も震災からの再建があるが、「早期再生」を必要とし、人口減少と言う問題がこれで解決できる。
CIMG1061.jpg
戸倉地区の大水害が震災前に発生した。山に降った雨は「ミネラル」として、海に多くの栄養分として流れ込む。綺麗な翁蔵山の青空に浮かぶ光景と、戸倉折立の海がその前に広がる。干潮時には海底の海藻が海面に現れ、この下にアワビ・ウニがいて、栄養に富む海藻を食べ、美味しい南三陸の水産物を育む。
こないだお隣さんから写真の「ウニ」を貰った。勿論、甘みとコクはまったりとした触感で判る。モアイの力「マナ」は、被災地にきっと大きな勇気と夢を与えてくれるだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:15 】

2013
06/26

大森地区の高い所


昨日も色々な出来事がありました。午後に「65歳男性の行方不明」が防災無線により、町内に放送されました。車の色や特徴なども後に伝えられ、夕方になり発見された。歌津港地区で本当に何もなくなった地区で、その精神的なものもあったのか65歳の方で、まだ私と9歳しか変わらない、多くの不安と再建が進まない事が原因としてあげられる。
町内の造船会社が「上棟式」を迎えた。ずいぶんと水産関係は復旧としているように思っていたが、船の復活はまだまだだと漁業関係者は言う。そんな中での造船会社の再建は、造船のスピード感が生まれ、町外に外注していた船も、早期の自己の船の完成が可能となった事と思う。
後ろを見上げると大森地区の震災で流失を免れた、高台の家が修復工事が始まっていた。こないだここの一番上の家と言う父の知人の奥さんがきた。父は言う「高台の一番上から来たんだぞ」と、御主人が生前の時は父も良く自宅を訪れた。ご主人の高台の不便な場所への自宅建設には、当時「また津波が来る」との対策からなのかも知れない。
CIMG1124.jpg
大森地区の一部はすでに山を削った土を、浸水した市街地の嵩上げに、土盛りが始まったと言っていた。しかし、トップが言っていた十日町・五日町・大森そして本浜町は、8月からの嵩上げとも報道では伝えていた。自分の自宅もまだ始まってはいないが、ここがとその場所を見て、その面影も無くなるのかと思うと、寂しさが込みあげてくる。
「ブログの炎上」となった岩手県議の小泉議員が、ダム湖畔で昨日「自殺」しているのが発見された。自分の発言で多くのコメントや電話抗議は、自分が生きていてこれを解決し、この問題の定義者として、別な形で謝罪する方法があったのではと思う。「病院は刑務所か」を、ブログで発信したらどうなるか?は、二年間休む事無く続けたブログ、自分の発信に酔い、いい気になり本音でブログに書き、ソーシャルネットワークにより、多くの人の目に留まる怖さを知った。これが余りにも発言の内容が、世間に現在の公的む立場としての影響力がある事案だった為に、全国へと情報媒体を通し、更なる国民の感情炎上拡大となった。
私も最近はそんなにないが、年に一度ぐらいは気遣いに欠けた文面に知人から「何書いてるのや、そんなの止めろ」と言う事は、数回受けて書いてよい事と、心に納めて置く事の内容は、十分に精査して現在はブログに書いている。早とちりは「消去」「謝罪」は迅速にが、ブログを今後も続けていく上で、最低限気配りしないと今後の「ブログ継続」は、自分の生き方・生活にも影響を及ぼす事は間違いがない。多くの人に情報を伝える事を目的とするブログながら、政治家のブログは多くのリスクを持ち、内容を注視していて、失脚を目論む人もいない訳ではない。コメントは怖くて見れないまでに、読む側の事を常に気にしながらブログをしている。
「高慢になってはいけない」「自分の胸に問いかける物」「胸にしまって置く事も必要」など、気に留めながら毎日ブログを書き、今後も続けていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:05 】

2013
06/25

復旧工事の大規模進捗


石巻に先週末に出かけて来た。石巻市十三浜は道路の復旧工事も済み、漁港の復旧工事も終わっているかのように見える。しかし、北上川は大川小学校周辺の、河口・河川の水田・護岸部分は津波により、海・川に沈みその改修工事が、大規模に現在進む、その範囲も北上川の両岸に及んでいた。
十三浜の「釣鐘神社」は御神体も残ったと言うが、その周辺の住宅地は全て流され、今はその姿の影さえも見る事もできなく、今後もここには住宅の建設は難しい物と思う。川の津波対策への工事期間も途方もなく必要で、その安全性を確認して、この地区の人々は住宅建設への帆を進めるかも知れない。
その足で「上品の郷」の道の駅に立ち寄った。バイキングを楽しんでいると、バスツアーの方々が入ってきた、聞くところによると気仙沼市からの「石巻ハウスギャラリー見学」と言う。農協がこの企画をした。今後進む住宅建設の「住宅ローン」「建物共済保険」の加入がその目的にある。
昨夜帰ってから「住宅建設はどうなっているんだ」「騙されているんじゃないのか」と、口論となった。住宅建設は会社と両親の為と思い進めているが、被災地の住宅事情がある。建設会社が住宅建設の多発で、仕事が追い付けなく、住宅資材としての「コンクリート」が、予約順番性と聞いた。こうした理由から工事がなかなか始まっていないが、その訳と説明された。我が家も地鎮祭が先月の12日だったから、あれから1か月半が経とうとしている。愛知の住宅会社の選択は、地元で対処できない事が対応できるとの考えながらで、地元の会社の活用にあたり、こうした問題が今、発生している。
CIMG1022.jpg
辛坊さんの太平洋横断はヨット沈没により断念となった。これにより辛坊は「この国に生まれて良かった」「海上自衛隊の海上救助飛行機の最高水準を知った」と言う。昨夜のニュースで、原因はヨット搭載のカメラにより、親子のマッコウくじらとの衝突らしい、目の前を横切ろうとするくじらの背びれが見え、その後で「ドン」との衝撃を受ける映像があった。くじらに向かいヨットが進行しぶつかった。その可能性が高い。
全日本柔道連盟の今度は色々な不正な公金利用があり、上村会長の辞任が決定たが、10月と言う事に柔道関係者からも反発が起こっている。女性柔道家からの「セクハラ問題」の告発から、役員の全員解雇へ向かう中で女性役員の登用など、改革が進められている。個々の役員としての対場・精神の心の充実が必要と思う。今度は同じ熊本出身の山下氏が会長に就任となる。周りに感化される事なく「我が道」で、山下さんにはあの優しい気持ちで、全柔連の改革に当たって欲しい。
何事にも長く就任している事で、いろいろな「我欲」が生まれ、人間は欲には負けてしまう動物と言う事を、私も感じるが、新しい人が出てこないと改善とはならない。被災地にある南三陸町はこの現状の中にある。「東国原さん南三陸町に来てくれないかなー!」。こんな事を誰かが言っていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:21 】

2013
06/24

南三陸町内の復興の姿


町全域に復興に向かう光景が見えてきた。写真は戸倉地区の入口折立に、土の嵩上げがされている。土の落ち着きには時間が掛るので、すぐに建物が立つ訳でもないが、この海岸から20mも離れていない場所に、新しい工場が誕生するかもしれない。この海岸線も8.7mの防潮堤が建設となる事は決まっている。歌津管の浜にも海岸から50mしか離れていない場所に水産会社が震災後、間もなくできて、その発信力・宣伝効果は大きい。
水尻川の破壊された遠隔操作の水門の所に、地質ボーリングの機械が川の上に設置されていた。本格的に水門の解体と河川堤防の建設への調査が始まったのだろう。大型の海上のサルベージ船も町の沿岸に何隻も作業の姿が伺える。行政が言うように多くの事業が5年目を目途にピークを迎え、震災8年後には市街地の嵩上げも完了との計画があり、この時間のスパンで10年間の復興計画が進む。震災瓦礫・基礎瓦礫も今年度中には町中から全てが消える。今度は広大な被災地に、高台造成の土取りの、茶色の土が一面を覆う事となるだろう。
CIMG1037.jpg
今日も雲一つない青空が広がり、夜には「スーパームーン」が輝く南三陸町です。
そんな中で何かが起こる月の眩い輝きの中で、都議選が開票された。10%も投票率の減少で、維新の政治への新風に陰りが現れた。橋下共同代表の「従軍慰安婦発言」は、女性票の減少と発言のブレや謝罪で、若者層などの「政治が変わる事への期待感」の喪失により、維新が後退すると言う、保守の復活があった。自民・公明で過半数が確保され、維新は3から2議席となり、民主の43から15議席は更なる政党の改変への予兆に見え、参院選での結果次第ながら、大きな保守政権の長期体制の復活の有無は、参院の過半数確保に掛かっている。
共産党の「憲法改正反対」「消費税増税反対」「社会保障」「大企業増税」など、弱者救済策を声を大にして叫び、政党助成金も受けていないなど、今の厳しい社会にブレずに発信を続けている結果が、都会の全国から集まった国民に支持され、8から17名の当選は前回の2倍を超えた。みんなの党も1から7議席と、日本維新の3から2議席の大惨敗の票が、多くの野党に散らばったと私は思う。
国会議員の定数削減が叫ばれているが、これにより「地方の声」が中央に伝わらなくなると言う。また、政党助成金の1割を削減すれは、議員を30人分の報酬に充てられる。定数削減は多くの議員の意見が伝わらなくなる。真剣に議員選挙に向かう事は、国民の権利として、政治に自分の意見を伝える為にも必要です。
厳しい南三陸町の被災者の生活の中ながら、町が早期の復興に向かう為にも、町民の皆様には投票行動を行って欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:25 】

2013
06/23

我が道わ歩む仲間


昨夜は同級生の仲間が久しぶりに集まった。26年も続く31年生まれの同級生のゴルフの会、会員の後輩の結婚をメンバーが集まり祝福し、この御蔭で仲間と会う事ができた。
「ゆうじしばらくぶり」との挨拶、本当に会っていない仲間の最近の状況変化に驚き、15人が集まったがその他の仲間とは町内にいるせいか、すぐあえるので情報の交換は出来なくていい。おいおいブログで紹介していきたい。
御前下地区の大型商店の建設が進み、高台に小さく散らばっていた、商店が復興へと向かう中で、東浜地区の「リッチー」さんを覗くと、仮設でのラーメン店にはスーツ姿の営業マンらしき方が、昼食をとっていた。その数が意外と多い事に驚いた。平日の少し隠れた場所ながら常連さんを持っている。(写真) 沼田第2期仮設の下で、アリーナに向かう右側にある。
昨夜のお祝い会では、結婚した二人に「早く子供を」との、駆け付けた仲間から多く祝いの言葉で贈られた。「今夜も子づくりを」「毎日エッチしなさい」との声は、普通ならタブーだったが、子供がいない仲間もいるし、未婚もいるし、結婚を迎える子を持つ親もいる。子供を持つ事での絆の深まりと、結婚し子供が出来る事の自然を、多くの言葉が祝う会の仲間から語られた。我々の会の良さがここにある。
被災地であり人口減少の町の中で、まだ若い二人への期待が込められている。
130620_180733.jpg
こないだ初ホヤを食べた。地元のホヤだと言うが、被災前のホヤの色と違う。この事を先輩に聞くと「天然ホヤ」だと言う。養殖だともっと黄色みを帯びていると、これからドンドン水揚げになるからと言われた。塩竈の「マリンポート」に行った折、大きなホヤがあった。店員に聞くと1個300円だった。是非一度南三陸町産の夏ホヤをご賞味頂きたい。写真は志津川仮設商店街の「はしもと」さんのメニューにあったホヤ刺です。
昨日は神割崎レストランに食事をしようと出かけたが、ボランティアさんのバスが2台いてその人の多さに驚き、今度は平日のお昼前後に行こうと決めた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:01 】

2013
06/22

この国に生まれて


今日は歌津地区の「ウニ開口」となった。昨日は戸倉地区の開口ながら、漁民が被災し「ムニ剥き」の自宅施設が流失し、衛生的な面で外への持ち出しは「ダメ」と言っていた。ウニを剥き加工できる衛生管理が行き届いている所では良いらしく、南三陸町の「うに丼」は町内の一部飲食店で販売され、来町の観光客に好評である。ゴールデンウィークの仙台・宮城DCでの町への来町者を「2万人」と、行政は報告していた。
辛坊治郎氏の盲目のヨットマンとの、「太平洋のヨット横断」は浸水によく失敗した。救助された辛坊さんは「多くの方に迷惑をかけた」「この国の国民で良かった」と言っていた。海底からの突き上げるような「ドン・ドン・ドン」との3回の衝撃で浸水し、ヨットは沈没した。ここは「くじらの通り道」でもあり豊潤な漁場でもある。浸水から5分10分・・・との時間の中で、排水から避難ボートへの乗り込みと、自分達での命を繋ぐ行動をとった。ボート内での自己の「低体温症」の危機感は、体験したものでしか判らなく自然の海の驚異がここにもある。10時間の漂流中で助かって良かった。
CIMG0993.jpg
昨日は歌津「平成の森」へ出かけた。父から聞いたのだが、平成の森の坂の文字は、歌津の2代前の佐藤栄太郎町長の書だと言う。先人の軌跡として残されている事に感激する。栄太郎町長は歌津地区の剣道の基礎を造った方で、勿論、剣道・居合の有段者でその教え子の方々が、歌津地区の今も剣道の伝統を引き継いて、今年も地区の中学校剣道大会で、男女の連続優勝を続けている。
写真は歌津町の小中学校に向かう登り坂で、またその上にと民家の建設が進んでいた。津波で自宅を失った住民は「高く、高く」と、住家を内陸部へと移していた。年を重ねた津波防災の今後の姿がここにある。歌津地区の目玉としての構造物だった「歌津大橋」、旧歌津町を象徴する橋だったが、津波の脅威を伝える「遺構」としての今後の役割として、一部は残した方が良いと思う。長崎の半分となった鳥居を思い出す。長崎原爆の遺構として、今も町中にひっそりと残っていた。
橋下と言い、辛坊と言い、私の中では政治の考えで斬新な構想を持つ、政治改革者して捉えていた。二人の最近の発言と行動は、今までの二人の生きざまで大きな挫折体験で、世間を騒がせたものの、二人の行動・発言が今までと変わる事のないよう、私としては願いたい。二人の事だから決してこのままでは終わらなく、この経験で又大きくなるだろうと思し願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:29 】

2013
06/21

町に人を呼び込む観光とは

2011-04-15 07.46.02
「復興観光ホテル」について今日のブログで、決定済みと関係者から聞いたと書いたが、議会での問いに企画課長は「まだ何も決まっていない」と言う。ぜひ、これを信じたいが「建設」を知る事業所もあり、「もう、とっくにその話は聞いていますよ」と言っていた。何処の話が本当なのか、誰を信じればいいのか、わからない南三陸町の復興への取り組みです。しかし、行政の議会での報告は重く、「場所も事業もまだ決まっていない」との発言を私は信じ、企画課長の言葉に嘘は無いと思う。
被災地の海水浴場の再開のニュースを最近聞く。写真は23年4月15日の光景で、あれから2年3か月が経つ、南三陸町の自然の体験が一番で、それと被災地の支援が望ました。被災地に「お金を落とす事」で恩恵を受ける人は、極わずかと私は捉えている。今後も行政の裏側の町民の知り得ない事に、目を耳を研ぎ澄まし監視して行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:05 】

2013
06/21

嵩上げ完了30年


志津川地区の嵩上げは今年度から始まり、今後市街地形成の中心となる、加工場そして観光・商工ゾーンとなる、十日町・五日町・大森地区の嵩上げを中心に行い、全地域も順次行うと町長は言う。志津川被災地の嵩上げの完了は、5年後の平成30年を想定している。被災者の鎮魂の「慰霊碑」「供養塔」の建立は現在の所では考えていない。と、これも町長発言として明確にした。
議会の始まる日に「慰霊碑建立支援」の話が私にあり、行政にその旨を話し提案にしてくださいと言われていた。3月4日に町長へ町民の740名の「慰霊碑建立要望」にも、町としての建立・設置の考えは現在の所ないと、要望者にも伝えたと言う。こんなことから支援者の話も議会で切り出せなかった。聞くところによると、気仙沼本吉地区でもこの団体の支援により、鎮魂碑が建立させていると言う。やはり行政が主導での早期の「慰霊碑」の設置は町民主導でやるしかない。町への「碑」の建立は、志津川仮設商店街のモアイ像の設置場所に隣接建立がふさわしいと思う。祈念公園が出来たならそこにモアイも移設する。祈念碑も移設すれば何の問題もない。と提案したが、これも町長に「モアイ像と一緒に慰霊碑を考えているなんて」と、否定された。モアイと一緒で何が悪いか思案する。
昨日、議会中の電話のバイブは「町に大型ホテルが建つと言うが本当ですか」との話だった。担当課長に聞くも知らないと言う。後で聞くと、民宿組合の会議に係長が説明に行くと言う。と言う事は行政が関与し町長も知っての事案だろう。今、町内の民宿のグループ補助での再建が進む中で、「この件は大きなショックだ」と民宿関係者の一人は言う。JR東日本の「復興観光ホテル」は建設決定の事案とも民宿の方から説明会後に連絡が入った。
大きく復興への進路を切ってはいるが、多くの住民の不在の感を私は否めない。今、行政の進める政策決定の形が正しいのかは、町長・議員の選挙が10月であり、これで町民の判断を問うしかない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:09 】

2013
06/20

美しい自然の南三陸町へ


今日の梅雨の晴れ間の田植えの終わった水田風景を撮影した。もう稲は元気に青々と生い茂っている。全国では干ばつや豪雨と異常気象が続き、多くの被害が出ている。
昨日は人口の増加している島「小豆島」がテレビで放送されていた。瀬戸内海に浮かぶ温暖な島で若者が移住していると言う。島ながら大型スーパーもあり生活面では心配なく、島からも一日に何回も大型フェリーが往来している。ある30代の夫婦は、雪国の北海道から冬場の除雪の大変さを考え、両親を島へ呼んだ。もう一組の30代は自然の景色に魅了され、ここに来た。ある夫婦は温暖な気候での農作業を楽しんでいるが、虫やヘビが出てくるのが嫌だと言う。この辺は南三陸町の方がまだ少なくて心配が無い。
130620_082353.jpg
忙しい時期が過ぎトラクターも会社の工場脇でで一休みしていた。梅雨の晴れ間の太陽は新緑から濃い緑へと変わりゆく、木々の青葉を輝かせていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:14 】

2013
06/19

ブログの選挙活用とそのモラル


ブログ・ツイッターによる事件が発生し、「ブログ炎上」となり、メディアも選挙運動にIT解禁となり、その危うさが発覚となった。
岩手の県会議員の病院での対応の暴露は、自分の「県会議員なんだぞ」との横暴さと、低姿勢さを忘れ「天狗」となった自分の堀った「墓穴」でしかなく、今後の議員としての資質が、住民の選挙行動でその立場が判断される。ブログを初めて2年目で毎日の更新は誰かに似ている。
復興庁の官僚のツィッターでの「つぶやき」は、国民を愚ろうし自分がどんな立場かを忘れ、この言葉の下品さに、こんな人間に被災者の気持ちなど判るはずもなく、直後の「更迭」は当然の結果だろう。こうした人たちが、後はいない事を祈りたい。
有名人の名指しの誹謗は、有名であるが故の発信の影響力がある。直後に消去したが、この事実は多くのメディアで報じられ、タレントとしての立場さえ無くなる致命的な事態となり得る。
自分だけのパソコンに向かい書き込みは、多くの人たちの目の届く所となる。それが反対派の人なら引きずり落とす口実として、多くの所に知れ渡る事となる。
私も9年目を迎え「炎上」らしきものも体験している。仲間がこれはまずいよと指摘してくれる。止める事なく続けているのは、町出身の方が町の情報を知りたがっている。その方々の為にもチョットのリスクを秘めながら、今後もブログを続けて行きたい。
CIMG0698.jpg
町中にあるツツジは心を癒してくれ、被災した町の商店は、仮設での小さな店舗で店先の花々が咲き、来店する人々にチョットの安らぎをくれる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:56 】

2013
06/18

寂しさと出会い


造船業は更なる増設を現在行っている。県の漁業特区の推進の中で、2年と3か月が過ぎても漁船の元通りの復活まではまだほど遠い。震災後は町の造船所の総てが被災し、水産業の再生には漁船は欠かせなく、造船所が自己での事業を模索し始まり、助成や補助がまだ国から出されない中で、造船所は漁民の要望に応えようと、早期の漁業再開を後押しした。当時は被災地での造船は無理と、全国への漁船の発注が、個人や漁協などが動き漁業の一日も早い再開へと動いた。
現在は被災地の再建と共に、三陸沿岸の水産業への復活再生は、震災から復興の日本の再建との位置づけで、事業予算の活用の緩和策で、志津川漁港の周辺の整備も加速する。荒島の光景の中には多くの改修工事の関係漁船が見えた。
130617_124419.jpg
志津川地区にある「大雄寺」さんの山門が改修されていた。海からは1㎞近くはある場所まで津波は押し寄せた。町指定の杉並木は塩水をかぶり、倒木したり塩害で立木となり、危険だとして全てが伐採された。寺の法面には花木が植えられ、寺の周辺環境は少しずつ新しく生まれ変わろうとしていた。
知人のお父さんの逝去への参列で、しばらくぶりで大雄寺さんを訪れた。95歳との長命の中で、ガダルカナルの戦争体験を持ち、終戦後の動乱の中で自転車屋さんでの「でっち奉公」を経て、現在も引き継がれている「佐藤輪業」を立ち上げた。東南アジアでの戦争体験て言うと、高校時代の佐藤先生を思い出す。歴史の教諭だったがジャングルでの過酷な体験を話してくれた。そんな中を生き抜いて来た、先人に学ぶことが「今」沢山ある。
我慢し今をこの地で生き抜く事で、「あの津波は・・」と話せる時が、この南三陸町の町民として語れる時が必ず訪れる

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:14 】

2013
06/17

仲間からの連絡


昨日はしばらくぶりに予定の無い日となった。しかし御前中から仲間が入れ替わり立ち代わりに来社した。
出張地から帰った同級生が帰って来て近況について話し、次に地元で頑張る仲間が相談に来た。仲間の「お祝い会どうしたら」との相談で、仕事の多忙で手が回らないと言う。次に知人が見舞いで野菜などを持ってきてくれた。今度は電話で、家族との生活場所を決めたと連絡をくれた。南三陸町での生活を諦め石巻での暮らしを選んだ。次に来客で、支援制度について聞きに来た。結局この方も登米市への移転を決めていた。地元での生活場所を探すのも大変で、高台造成移転も時間が掛り、他の地での生活も多くの問題と不安を抱えていた。
130617_062251.jpg
朝しばらくぶりで被災し基礎瓦礫撤去となった本浜地区を廻り状況を見てきた。本浜の旧防波堤の左側には海中の瓦礫撤去や護岸工事の大型船が横付けされ、大森地区の造船工場の建設が急ピッチで進められていた。我が家の土地は更地となっているものの、行政からの造成地からの土置き場として利用したいと連絡があり、便槽・浄化槽の位置の場所の連絡をと通知を、今日にも出さないと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:50 】

2013
06/16

皆が笑顔に


私は何事にもポジティプに物事を考えないと前に進めなく、心に引っ掛かるものを自分が納得いくようにしない限り、精神的に体調の異常な状態になる。
今日も一つの問題が解決した。母の施設に入所はしたものの、介護認定3では17万円位の入所料金が掛かる。しかし、二日前の金曜に行政より「認定審査会」の決定通知が来た。結果は「介護認定5」となった。歩行困難と認知症進行があり、高齢者家庭の自宅介護が無理な、諸々の理由で最高の介護必要との判断をもらった。施設入居と特別養護老人施設への入所も優位となる。父の被災前から5年に及ぶ解除からの解放となる。
家庭にも少しの安堵からの「笑顔」が戻った気かする。だが被災し再建も含めた私と二人の男生活は今後も続くし、今度は一人家に残され、話す相手も少ない状況下での、父の「認知症」となる事を懸念している。
今日の写真は志津川仮設商店街の皆さんと、BRTの商店街に併設された停留所で、高校生と一緒に写された吉永小百合さんの「自然の笑み」は、心が癒され落ち付ける気持ちになれるのは、私だけではない。
DVC00010.jpg
南三陸町の皆さんが町への帰郷を果たし、住宅再建と公営住宅への入居ができ、自然の笑顔が南三陸町に溢れる、その姿を見届けるまではこの町で生きて生きたい。
それが何年後となるかは、町の復興計画はあるものの、今の町の姿を見ていると何時になるかは想像もつかない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:48 】

2013
06/15

まてない町の造成計画


町の復興計画のもとで進められている復旧・復興の再建だが、時間の経過と共に住民は自分の生活を守り、今後に向けての生活の再建を、町内に宅地を求め、町外でも始まり南三陸町へは帰らないと言う。
南三陸町の存続のためにも人口減少や流失に対しての町の取組を、議会の一般質問で聞きたい。その原点にあるのが被災した各地区の再建である。「先が見えない」、これが住民の不安となり、その不安から抜け出す為に、土地の確保と生活の落ち着きを取り戻す為に、他の土地での生活を始める。こうした住民行動を、攻める事など誰ができようか。南三陸町住民が「帰って来たい」と言う環境を早期に構築し、こうした考えとなる前に伝える事が行政に求められる。
後2回となった私が議員として、得られた特権が「一般質問」にありこの行使は議員として当然の活動である。23年3月11日の大震災により壊滅的となった町の、再建への行政への住民の再建不備を追求し「声」として伝えたい。
今回は「戸倉地区の再建は」として、ゴルフ場の移転地の造成は何時に、戸倉の海岸線の道路整備は、小学校と保育所の整備は、コミュニティーの再構築は、神割崎の観光整備は、瓦礫処理場の跡地再生は、神社・寺院の再建支援は、の7問に関し今の対策案を聞く。また、「志津川市街地の今後の計画は」として、嵩上げの計画は、防災体制の堤防・河川堤防の進行計画は、慰霊塔・祈念碑の計画は、の3問を質問する。多いと思われる質問数ながら、こんなにも住民の不安視する問題が山積の、南三陸町です。
昨夜の少年剣道の指導へ向かう道すがら、6時20分なのにこんなにも明るい、志津川市街地の変わらぬ状況が広がっていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:46 】

2013
06/14

納得できる一日に


ここ2・3日の梅雨入りのような天気があり、今日もそんな天気と週間予報では伝えていたが、今日の朝の青空と空気の美味しい気持ちに、南三陸町の写真のような風景に、やっぱり志津川「我が故郷は最高」と感じる。
海岸沿いのホテルでは8時には、玄関に観光バスが横付けされ次の目的地に向かう。これから夏本番を迎える。海水浴場の整備はまだ何一つ進んでなく、そろそろ「観光立町」を目指す町なら、計画・準備の方向性を打ち立てるべきとも思え。仙台・宮城DCも残すは後半月、一時的には観光客が減るだろうが、被災地への「観光支援」はまだまだ続き、「おもてなしの心」をお客様の被災地見学だけではなく、景勝地としての南三陸町の観光整備も、復旧・復興と同時に進めるべきと思う。
歌津地区も「ツツジ」の時期も終わり、「払川ダム」の観光地としての計画もそろそろ打ち立てないといけない。利水としての飲料水確保はできているし、治水としは歌津市街地への水害の心配は、高台移転の町の今後の居住対策で、その心配は無くなったに等しい。
民主党の無駄を無くすための政策は、自民となり方向性を変え、経済の再建の為に公共工事の復活となった。本当に必要なものの工事の精査を国は図り、生活保障の確保や雇用の確保を、医療や最先端技術の企業の振興で、雇用の場の構築を進めるべきである。言葉・口で言うのは簡単だが実行は難しいが、手を拱いている時間はない。
CIMG0903.jpg
被災後初めての楽天の観戦に昨日出かけた。梅雨に入り天気は小雨の中での応援だった。「セパ交流戦」も最終局面にあった事は、今日の朝のニュースで知った。ソフクバンクが勝ち楽天が負けて、優勝がソフトバンクに決定した。
楽天・広島戦は新人の「則本先発」で、ここまで負けなしで来ていたと聞いた。一回裏に楽天4番のマギーのスリーランで始まった。則本のピッチングは1点は取られたが、安定した投球は8回まで進み、楽勝のはずだった。9回の表にピッチャーがラズナーに変わった。私はと言うと小雨の中で7回8回と眠りの中に居た。9回目を覚ますと3連打され満塁、まあ2点のリードで逆転まではいかないだろうと、安心して見ていた。しかし、その瞬間の3塁打で逆転でもう1点追加され、3対5となった。監督采配なのだろうが大切な一戦なのに、星野監督の厳しい采配が影を潜めた。
シーズンを通しての大切な一試合があり、攻撃や守りそして一球がある。9回のピッチャー采配は、交流戦ならず「クライマックス」への参加の否かが、掛かっていたかも知れない。時折々の多くの情報や過去の結果を総括した、自己の判断が勝敗・将来を左右する。
勝負事は厳しく難しく、日々の生活にもこうした「人生の岐路」があり、生死にも関わってくる。人の上に立つと言う事は大変な事と強く感じる。中途半端なトップなら辞めるべきと私自身も思っている。事故ある時は真摯な対応で臨むのが寛容だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:33 】

2013
06/13

仲間の頑張れの行動に感謝


7日に突然の誘いだった。大阪府印刷組合東大阪支部の方々が、東北復興支援に気仙沼においでになり、25年度支部総会を気仙沼市のプラザホテルで開催した。気仙沼支部は気仙沼だけと勘違いし、前日になり本吉の会員にも出席依頼が来た。現在は一社廃業となり2社ながら私の会社だけが参加した。気仙沼も2社で不幸があり、総会後の交流会には本吉・気仙沼支部から2社三名が、その誘いへ答え、被災後の支援への感謝の意味を込め加わった。
全国の印刷組合からは9700万円、大阪府からは1600万円、東大阪支部からは90万円の支援が、今回の被災地の印刷会社に義援金として配分された。全て流失しての事業の再建には微々たる支援と言うが、全国からの印刷被災者には額以上の、多くの同業者の再建活動に大きな勇気と元気を貰った。
東大阪支部は7つの市が集まり、43軒の組合加盟の印刷会社があり、東大阪市だけで人口は50万人もなる。支部では一泊二日の「弾丸ツアー」の企画で、バスで被災地を回り懇親会の次の日は大船渡を巡り、大阪に帰ると言う。東北の被災地のお役に立てばとの思いと、発生を予想する「南海トラフ大地震」の備えとして、気仙沼での総会・交流会を企画した。
CIMG0742.jpg
支部長の永谷さんは多くの被災会社への気遣いを欠かさず、25名の参加された会員の皆さんも私たちに応援の優しんお声を掛けてくれた。支部長の着ているTシャツは、被災した気仙沼の会社に製作を依頼し、「ガンバレ東北、立ち上がれ気仙沼」とプリントされていた。
交流会では私の被災してから今に至るまでの歩みに、熱心に耳を傾けてくれてくれた。ホテルでも「語り部」を聞いたと言う。ホテルの従業員がお客様に被災地の状況を伝え語った。余計な経費を出費させない計らいと思う。
この日は往復2時間かけて、朝一に母の施設での生活用品を持って行った。現在も、点眼は一日6回を医師に指示されていて、無理しないように固く言われている。退院後の日々に追われる生活の中で、まだ療養が必要で投薬の励行もついつい怠る現状がある。
まだ目の視力回復の変化はなく、今日は退院一週間目の診察に行く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:42 】

2013
06/12

歌津を西から東へ


昨日は歌津地区の石泉まで出かけたが、こんな奥の道まで舗装整備されている事に驚く。財政的にも水産業の発展している歌津地域であり、合併前に町の保有の財産を、公民館の整備・地区の施設整備などに予算を活用し合併を進めた。
震災後に合併が正しかったのかで、時々仲間と議論になる。それは合併時の取り決めがされた、「合併新町庁舎建設」が実施されないままで、大震災を迎え多くの職員が殉職した事に起因する。この事は紛れもない事実として、合併協議会での決定に疑問を呈し、旧町歌津町議会の決定議決に対し、議会を軽んじている行政の考え方がある。新町になり当選した首長が「合併協議会」に、庁舎建設を議題とした事に問題がある。こうした過去の行政の行動に反省し学ぶ事で、震災からの再建は、議会制民主主義の決定をゆがめる事のない、町政が実施されるよう祈りたい。
写真は西光寺の津波で被災した墓地で、田束山の方向からの帰り道、工事している光景と今を撮影した。7月8月とお盆の時期を迎える。3月11日に二周年を迎え、三回忌となったがお盆も2年目は一つの節目でもある。私は多くの知人の事を語り継ぎ、人前でも大泣きして生きたい。その為にも亡くなられた方たちが眠る場所は、町の責任として整備は必要と思うが、「宗教分離」と町での復旧支援は出来ないと言う。
130611_163800.jpg
歌津地区を巡ると至るところで住宅建設が進められている。平成の森の仮設へ行くと、登り坂の途中にいつの間にか写真のような家が、ここまで建築されていた。まだまだ志津川地区よりは住宅建設があり、これも水産業の漁民・加工業者の頑張りの結晶なのだろう。管の浜にも「小太郎」の名前が新しい建物の前掲げられていた。
志津川市街地は何時になったら嵩上げと、市街地の再建となるのだろうか。私は一つの新しい事業の展開を市街地で描いている。印刷業での町復興への事業では、復興支援・被災地発信としては薄い気がする。90歳となる父も巻き込み、高齢者にも生きる活力となる事業所展開を模索する。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:16 】

2013
06/11

BRTは北へ


大久保の水尻川のたもの生コン工場側の気仙沼線の線路は、津波の防衛をしたが、国道の鉄橋の高架橋の下から一揆に、津波は大久保地区を駆け上がり襲った。まさかここまではと自宅に居た知人もその犠牲となった。
現在、気仙沼線の線路は解崩され、鉄道の代行のバス「BRT」がここを走る。この場所までは戸倉駅のあった所から、トンネルや海岸線の高架橋を越えてここで下りる。南三陸町の志津川湾を一望する場所を通り、この風景を楽しみにBRTを体験してもらいたい。鉄道が無くなった今、人の輸送路だけでなく新たな観光の一つになると思う、こう考えていく多くの要素を有する気がする。
南三陸町を訪れる政治家や自治体関係者の来町が減っている気がする。ラジオを聞いていたら「南三陸町のボランティア募集」だと言う。津波の流入した土地の小さな瓦礫撤去と、水産関係の作業する人用の為の告知がされていた。人口や面積の割合に対してもボランティアの数は、被災地に於いても一番の国民が支援に来ている。
「観光とボランティアが両方楽しめる」、こんな企画や提案で南三陸町に来てくれる形を、町を初めとするコンサルタントそしてNPOなどの参入が必要だ。しかし、被災地には関わってきている一部の団体の、交付金の使途不明活用なども、今問題発生が起こっているので慎重さが欠かせない。
志津川スポ少剣道の基礎を作ってくれた、佐々木先生の元気な様子を昨日知った。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:08 】

2013
06/10

戻らない昨日の一日


「悔いの無いように!」は私が子供達、そして自分に言う言葉です。中学三年時代の中体連で、最初で最後の中学最後の個人戦、緊張で「一回戦敗退」は自分の生きる厳しさを知る原点で、自分の力が発揮できなかった事で、現在の私の事に臨む時の生き方にある。出きる事は全て事前におこない、自分の許される限りの努力する。10年前になるか中学の指導の立場があり、その中での大会では子供たちに納得のいく指導により、結果と子供達も満足できる試合ができたと思う。被災を受けての体育大会は環境は元より、精神的にも厳しい中で、生徒も指導者も満足できる練習ができない状況で、大会に臨んでいる。今年も団体は確か「歌津中男女優勝」となったようだ。地域の指導者・父母そして生徒が厳しい環境でも、練習や剣道一筋の取組で目標の第一段階の、気仙沼・本吉地区大会での県代表となった。「おめでとう」「頑張った」と労いの言葉を送りたい。
昨日は午前の剣道大会見学と、個午後に洗濯とクリーニング出し、同僚との打ち合わせなど、今日の仕事の段取りの合間にする。何人かの「退院したの」の電話もあった。一般質問は今回は「戸倉地区の再生は」と題して、被災地地区の七つの問題について、町の考え方を正したい。また、志津川市街地でこれから始まる、高台造成と被災地の嵩上げについて、「市街地の再生」の2題について行政に聞く。
戸倉荒町でも昨年はコメ作りをしたが、津波被害と関係なく「休耕田」となったと言う。この地区ならず被災しない登米市でも、遊休農地が多く三陸道から見られる。安倍総理の「農家所得倍増」を10年でと言う。「150万円」国民所得を上げると言う。これは全てではなく、今後国民前所得の増加が見込められ全国平均である。南三陸町の町民所得でもなく、その恩恵は町にはない。しかし、「復興特需」に沸く業種は、津波以前以上の所得となっているだろう。
今日は報告書提出の会議がある。写真は朝4時の「袖浜漁港」です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:55 】

2013
06/09

健康1


私のブログには生活の中で病気との係わりの姿を書いている。自己責任として「生活と病気」との深い関係が、今の生活の中で健康なら必要のない時間を費やしている。しかし、それが生活の安定と繋がっていた。
手術14日前から血糖値調整の為に食事制限が、内科の先生より言われた。一日規則正しく3食をとる事を指示された。勿論間食も夜のビールも駄目である。それを励行し血糖値の調整なしに手術ができ、入院時は糖尿食を1週間続け、当初は200~270の値で推移していたが、退院時の最後の食前の空腹時血糖値は「105」と正常値まで減少した事に驚いた。それはここ20年オーバーながら見た事がなかった。
昨日は東大阪市の方々25名との交流を、写真の島の前にある気仙沼の「プラザホテル」であり、帰ったのが10時半となり、起床は5時30分と予定どおり6時間の睡眠となった。6時から5分ごとの点眼薬を6個、糖尿の薬を6個とインスリン、食事は自分で作ったハムと目玉焼きとレタス、ご飯とみそ汁とコーヒー、時間を20分は掛けて食べる。それと洗顔と歯磨きを同時に進めて「1時間」を必要とする。朝はこんな毎日を日課と今している。そして、15分掛けて戸倉の事務所に向かう、これを忠実に毎日繰り返し退院後25日を迎えた。日中は相変わらず分刻みで動いている。
今日は洗濯とこれから中学校の総合体育大会の剣道を見にゆき、議会の通告書を作成し同僚に相談をしに入谷に行く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:12 】

2013
06/08

驚きの毎日2


父の朝の第一声は「介護施設への待機高齢者が42万人」と言う。この現実には母の自宅介護でその大変さに触れ、施設への入所に当たり、その多くの障害に苦労ばかりだった。介護認定・本人の状態・施設の場所・家の生活状況・入所料金など、総てがクリアされ始めて施設に入れる。町の包括支援センター・社会福祉協議会などの支援も、介護施設への入居については家族があたる。こんな状況と施設が少ないからとも言われている。父親も今から考えておくべきと助言するも、「大丈夫だから」と言う。
懐かしい被災した行政区の方と被災後初めて会った。元気な姿と声の影には色々なご苦労があった。「孫がお世話になっています」と、一時町に帰って来たらしく、わざわざ志中武道場まで来てくれた。私が被災後に初めに聞くことは「今後はどうするの?」だ。「志津川に帰ってきます」と嬉しい言葉を聞く事ができた。「もう帰って来ません」「来れません」との返事が多い中で、本当に嬉しい言葉を聞いた。
土曜日の朝ながら通勤車が、そしてトラックが多い。携帯のバイブが鳴った、隣に止めようとブレーキを踏むと、後ろのトラックから「クラクション」、少し急だったかもしれない、こんな危険が多い被災地の道路現状だ。
知人が突然の事故に見舞われ、私と入れ替わりに入院したと聞く。自己の多忙に係らず不慮の事故が起こる、大事に至らない事を願うばかりです。写真は伊里前小学校に立つ国旗だ。サッカーでは皆さんも良く見るが、普段は余り気を付ける事はない。国旗は天皇陛下が立たれた頭をお下げなられた場所の青空に旗めいていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:21 】

2013
06/07

驚きの毎日1


昨日は突然の電話があった。大阪の印刷組合支部からで、気仙沼に行くので宮城県気仙沼支部と交流したいとの事だった。被災地にあり事業の全てを失ったが支部長の役職にあり、震災からの復興の現在や、印刷業の再建の厳しさを伝えようと思う。今度の土曜の事ながら万障繰り合わせて参加しようと思う。同じ支部の方々の身内の不幸が相次ぎ、仲間の欠席の為もある。
今朝のラジオのニュースには驚く、盛岡市の孤独死・孤立死が昨年214人と言う。県警も含めた対策として郵便配達での、配達先の異常の通報で、早期の発見に協力をもらい、事故を未然に防ぐと言う。盛岡市などの大都市、被災地でなくても、地方の過疎化・高齢化の問題がある。現在は被災地での被災者雇用があり、仮設生活者などの見回りなど、被災者への目配りができるが、復興予算としての民生費としての、被災者を見守る予算が無くなった時の状況を思うと心配だ。
円が急落した。日々の動きに「一喜一憂」しないがあるが、株価も乱高下して投資的な要素がここにはあるようだ。アメリカの雇用統計で世界の投資が動く。アメリカでは日本政府の政策を「アベノリスク」と比喩する。橋下維新共同代表が、「大阪八尾市に米軍基地の誘致」と突然発言した。沖縄の米軍基地の日本へのリスク分散と思うが。八尾市民には何の連絡説明もない突然の発言らしい。メディアへの政策発信があり、また「メディアが悪い」とのせいには、前回の事もあるのでもう言い訳はできない。「日本維新の会」の今後が心配でならない。日本の改革の旗頭だったのが、私は必要で良い事だったと思うが、このまま終わったらあまりにも淋しい。若者の改革の意識が今後削がれる事を懸念する。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2013
06/06

小さな窓から見える


5月に入り「鼻水」が何故か止まらない。昨日テレビでこの症状は、最近の寒暖の差に影響していると言う。風なのか? 新たな「花粉症」なのかと考えていた。年と共に免疫力の低下による体の異常と思っている。
昨夜行政の派遣職員の方から夕方電話がきた。「土置き場としてお宅の土地を使う許可を頂きたい」と言う。これを断る意味は個人的に土地の贈与問題はあるものの、早期の住民の高台移転を考えれば、個人の事情は言ってはいられない。こうした電話に高台の造成は確かに進んでいるとの実感を思う。しかしながら、まだ了解していない土地もあるとの事を聞いている。志津川市街地の都市計画もあり、強制での移転に最終的はなり、早期の住民の理解を得れるよう、行政の所有者が納得頂けるような説明をお願いしたい。
「小さな窓から見える、この世界が僕のすべて」は、松山千春の「窓」と言う私の好きな歌の一曲です。この一週間、写真の窓の風景がすべてだった。部屋に閉じこもり目と糖尿の治療の日々、部屋から出る事はシャワーと診察だけで、ベットでの生活は一日6回の点眼で、朝と就寝前は6個の目薬をさすしていた。
こんな生活は生まれて初めての体験だった。私の世界は狭いとも知った。
CIMG3618.jpg
石巻の市街地を一望できる場所に「日赤病院」はある。一日の外来は会計の番号から750前後と思う。3時の予約時の会計ナンバーは、最後になりこれ位の順番だった。
今年の徳仙丈の50万本の、レンゲつつじと山つつじの群生林は、寒さのせいと雨の量で例年より遅く、花の開花も少ないと言う。私の知人も徳仙丈のつつじの保存に、父親と2代に渡り保護と管理、そして全国への発信を続け、ここまで全国的に有名になった。山の頂上の群生の管理は、開花の前後は元より年間通し、目配り気配りは欠かせなく、数10年にも及ぶ係わりを話す。
震災前の今から5年前ごろに山頂まで登った。360度のパノラマと一面の薄ピンクの彩のつつじの群生は、テレビや言葉では言い尽くせない素晴らしさだった。私はもう山頂へ登るのは無理と思う。気仙沼と本吉の両方から登れるが、私は本吉からで途中までは車で、山頂まではそこからつつじの回廊を潜り、2時間ぐらい時間を要した。それ以上の価値が登頂と共に実感できた。今週末の満開と話していた。田束山と徳仙丈山の「つつじの観光連携」を模索して、「さあ始まる」と言っていた矢先の、今回の大震災だった。
この素晴らしさを感じるのは「今でしょう!」。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:06 】

2013
06/05

一週間の町の復旧進捗は


先月の29日から今日まで「7泊8日」の入院生活から解放され、たまった仕事に明日から取り掛かる。今日は母の病院からの退院と、その足で南方の「翔裕園」への介護施設の入所・手続きまでを済ませ、やっと今、ブログを更新している。
入院は一人で行き1時間20分の、糖尿による網膜剥離と白内障の手術、網膜の障害となる血液の眼底出血処理の、レーザーの痛さは半端なく、半失神での病室のベットまでは、その記憶は虚ろだった。看護師の介助と夜中の「大丈夫ですか」の、当たり前の仕事に「救われた」気がする。ありがとうございます。そして感謝です。家庭の状況と親戚兄弟の事情を考えれば、一人で入院はやむを得なかった。関わってくれた全ての看護師さんの、笑顔と淡々とした仕事に、人の命を守ると言う使命感が伺えた。
130605_173138.jpg
私の住む南三陸町の、私の居なかった一週間の復旧の変化は、病院跡地に置かれている基礎瓦礫が、見る限り5%位は破砕されていた。被災地の嵩上げや埋め立てに使われるが、何処に置くのか、何処から嵩上げするのかは、街中を見る限りその姿は見えてこない。震災瓦礫は戸倉で焼却され、全て終わるのが予定より6か月延びて、今年で中に終わる。基礎瓦礫も志津川駅前や歌津川向にまだ山積みされ、多く見ての見た病院跡地の処理率、まだまだ掛かるだろう。
志津川沼田地区に大きな基礎だった工場建設用地は、鉄骨が2階まで組上げられていた。私の住宅建設は母が体調の急変とならないように、早期の建設を業者に依頼するも、基礎建設業者との価格の不一致と、業者が忙しく地鎮祭をしてから、一か月経とうとしている。いつになったらと請負業者をせめても、相変わらずの状況は、被災地と自分の建設業者の繋がりの薄さと理解している。
眼は3週間から3か月と完治までは時間を要するとの看たてだ。糖尿病からくる「増殖性網膜剥離」は、ほおっておくと失明となる。私の生活習慣と同じ人と診察前に昨日話した。脂っこい物とお酒が大好きと言う。そんな人は「飛蚊症」が見えたら気を付けて下さい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:13 】

2013
06/04

子供達に大人が元気を


町内の小学校の運動会は順延する事なく、すべての運動会が1日の戸倉小学で終わった。私は行けなかったが天気はまずまずで、先月18日の志津川小学校の運動会は写真のように、多くの人で仮設で半分となった校庭はうまった。こんな光景にほっとさせられた。
昨夕に役場の土地買い取りの部所から電話がきた。本浜の私の名義の24平米の土地の、最終書類の請求だった。本人と実印と印鑑証明2通と通帳で、振り込まれて手続きは終る。これは、我が家の土地の七%でしかなく、残りはすべ換地で本意ではないが相続の壁に負けてしまった。
CIMG3140.jpg
アベノミクスで企業のボ―ナスが6万円上がり、平均84万円となったが、南三陸町の被災者にも私にも、何の恩恵もない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:46 】

2013
06/03

早期復帰と観光立町


歌津商店街での初めての「復興市」は多くの来場客でごった返していた。26日にお昼頃に出かけると、多くの出店ブースでは威勢の良い声が飛び交っていた。その中央でイベントステージがあり、ロックバンドの若者達が元気なパフォーマンスを繰り広げていた。その前では中高の若者がリズムに合わせ声援を送っていた。その後ろで50歳前後の町民の方達が、写真を撮ったり見つめていた。きっとその元気が南三陸歌津の地にも届き、地区民も元気をもらった事と思う。
せっかくの土日は平日の多忙からの解放で、週末のイベントへの参加は避けたいが、いざ出かけると「行ってよかった」「元気をもらった」と感じる。私の父もそうだが年のせいで「出ぶしょう」になっている。老いも若きも一緒に「集う」事で、連帯感と結束で復興へ向かう力の増す気がする。
仮設入居者・みなし仮設などの生活者が減っている。これは被災から新築による地元再建者がいる中で、故郷の再建を諦め、現在住む場所での再建を進める人がいて、その数は地元再建よりを多くいる。現実住宅再建は28年度からが本格再建ができる環境となり、まだまだ遠い先を見据え被災前の7割位の住民が、仮設で頑張っている。
驚きの話を聞く、「地元再建」を強く言う行政職員の、隣町での住宅建設の状況だ。それが管理職だと言う。同じ被災者とは言え、住民とは大きく立場も環境も違う。
CIMG3569.jpg
いま、「復興たこ鎮くん」は全国で頑張っている。震災津波で壊滅的な被害を受けた「南三陸町」を全国に伝えている。「金たこ」の鉢巻が取れ掛かっているのは、町民の心が折れ掛かっているとの警鐘を、私に伝えようとしているのか。比喩の考え過ぎながら、多くの町民の声が私には届いている。
隣り町の登米市から「ハットくん」が被災地歌津の応援に駆け付けてくれた。登米市の観光協会・登米の「ゆるキャラ」です。登米市の庁舎の広場では毎年「はっと祭り」があるが、地元で古くから愛された食文化である「はっと汁」があり、町おこしにこれを取り入れた。我が家とて何もない時代に、小麦粉を練って醤油やアンコ、そして汁ものに入れて食べていた。お米の変わりでおやつに良く祖母が作ってくれたのを思い出す。我が町にもブームの「ゆるキャラ」を是非作ってほしいと思っている。気仙沼には「ほやっキーくん」がいる。
観光立町の必要性は大いに判るが、住民の帰還・帰郷がないと、遠くない時期に町は無くなりかねない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:22 】

2013
06/02

歴史から共生と恩恵を学ぶ


大阪城は初めて見た。私の関西は「姫路城」への高校の修学旅行しか記憶がない。生まれて一回はここをと思っていた。豊臣秀吉が建設したが、歴史に疎い私だが、現在はこの公園に憩いの場として多くの人々が集ていた、大阪城公園としての素晴らしさに驚く。国際的に大阪の中心地の観光地、中国・韓国・アメリカ・・・など、多くの言葉が飛び交い驚きの声を聴く。奈良からの小学生が就学旅行で来ていた。城の頂上の天守閣に、ここまで来て行かない手は無い。しかし、那智の滝の100数段の階段ですでにギブアップだった。エレベーターもあるが階段で登る、城の下から続く沢山の階段だが、城の中の中段部で足の痛みから休み休みので天守閣、金の鯱を目の前1mで見る事ができた。剣道を愛する私としては時代歴史の戦国時代から、侍の誇りと強い精神力を学び、この年まで先人の生き方に沿い、この大震災を生き抜いてこれたと思っている。
CIMG0343.jpg
大阪城の広大な敷地と、石垣・城壁に当時の建設方法に興味深々、あの5m8mにも及ぶ石垣の一つの大きさに、当時の城主の権力もあるだろうが、重機も技術もまだ開発されていない時代の建築に驚きがある。
今後本格化する町づくりの広大な事業も、将来に繋がる南三陸独自の防災体制、住宅形成などがあるが、早期に必要な造成地・公共施設・生活環境などは、ありきたりの構造物でも良いと思う。大阪城の内堀の写真だが、当時の建設・防衛の粋を駆使した姿、城・城壁・多重防衛など、津波防災の観点からも学ぶべき事が多く見受けられた。津波と当時の外敵からの守りとして違うものの、数百年前の防衛体制の対策形態として学ぶべきものを感じる。だが、自然の計り知れない威力は、南三陸町の人間の英知を集中し、未来に生きる人間の為に、何らかの形で繋げていく構造物の建設としたい。
串本町への行政視察から今日で10日目を迎える。串本町での震災の支援の感謝と、古からあるこの地方の津波の歴史を学び、勝浦・串本では観光と水産業での、町づくりの姿を知り、大阪城では防衛と言う意味での、津波防災のヒントを掴んだ。
いま10日の一般質問の原稿を作っている。今回は戸倉地区の再建策を行政に問う。18日から6月定例会を迎える。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:04 】


TOP