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ARCHIVE - 2013年05月

2013
05/04

三陸道ばかりに見うる復旧


昨日の南三陸町の志津川仮設商店街の賑わいをテレビのヘリコプターで紹介していた。米山の志津川公立病院の様子伺いの帰りに、車の渋滞を見る。駐車場は既存の用意された場所では対応できないようで、県の庁舎のあった解体空き地は、商店街への来場者のいっぱいの車で埋め尽くされていた。私の中型スーパーの為に、県の土地の提供の考えは行政にはなかった理由がここにある。仙台・宮城デスティネーションキャンペーンは6月までで、これで数年間にわたる開催は終了すると聞く。
河川堤防の整備はボーリングの地質調査も終わり、この場所は大々的に道路の嵩上げも含め変化を今後遂げて行く。浸水した低地部を通らずに済む、「高台横断道路」は西地区の変化があっても、絶対必要な生活道路・避難道路として、生活地と病院・行政・学校を結ぶ。
写真は町からアリーナに向かう「磯の沢」地区に、現在工事が進む「三陸道」の高架橋の工事現場です。町の復興の姿が見えない中で、国・県の工事はどんどん前に進んでいるのに、国の言う被災地の「早期復興」は、被災者優先ではなく行政に丸投げし、資金を提供するだけのように感じる。後は行政の復興へのやる気で、被災した自治体のトップの考えで、復興の形・スピードは違うと思う。
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病院から帰って倉庫の片付けをした。写真は今まで歩んで来た「夢の跡」です。活版印刷からオフセット印刷への変遷の中で、必要と無くなった「活字」を私は思いが強く捨てられないでいた。しかし、今後の限られた時間の生活があり、現在、多くの思い出を捨てる事をしている。自分の事は全て自分で片付けて行く事を加速している。
90歳の父親と互いに身体を心配しながら、重い活字を片付けた。父のぎっくり腰を労わるつもりが、朝から自分の腰に痛みを感じている。

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2013
05/03

雲一つない空が広がる


こんな雲一つない南三陸町はしばらくぶりです。しかし、風邪は強く桜の咲く春となったのに日差しが肌寒い。北海道や山間地では雪が降り、地震も余震と言うが全国で発生し、富士山も「世界遺産」となったものの、周辺の自然の異変が発生し、地球的異変が日本全国で見受けられる。撮影の場所は、「しお彩」さんの跡地で、現在は仮設を車でまわり、美味しい惣菜を販売している。仮設生活では味わえない「お店の味」を格安にお届けしている。
昨日も天命を全うした方の焼香に行ってきた。「志津川を造った先人のこれまでに感謝です」。この家族親戚とは多くの係わりがあり、偶然とは思えなく互いの必要性があった気がする。今も自分の環境に密接した位置にいて、これからの町づくりと復興再建の心の部分で、共に頑張っていきたいと思っている。
また、役場で偶然に会いたいと思っていた人に会った。何処にいて津波からどうなったかも知らずにいた。「千葉さん」と声を掛けられ、3年ぶりでもあり顔は覚えているが? おばあさん車にいるから顔見せてと言われ、90歳近いが笑顔で以前のままお会いでき嬉しかった。あの日は「公立病院」に入院していたと言う。西病棟屋上に娘さんと非難し、その後は自衛隊のヘリコプターの固い鉄の床に乗せられ、石巻日赤に搬送されたと聞いた。あの日は町民個々が諸々の環境の中を生き抜いていた。現在は仙台で暮らしている。お母さんの「頑張らいよ又帰ってくるから」と嬉しい言葉を聞けた。
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現在、遺跡がある志津川中央区の高台移転予定地区の新井田に、ラーメン店の「浜の屋」さんがある。「復興ふくろう」の作成をする傍ら、南三陸産の海産物を使った、「南三陸復興塩そば」を販売提供している。志津川産の「ブランド銀鮭」の炙りと、三陸産ワカメとメカブがラーメンに載っている。今年3月11日からオープンし、多くの復旧工事の労働者に好評で喜ばれている。一度ご賞味して頂きたい。震災直後から女性の労働の場を提供し、被災しながらも社長は登米市から会社に通い頑張っている。
昨日も母は病院から帰ると看護師さんを困らせていた。「息子さん声を掛けて下さい」と電話が私の診察中の石巻日赤に来た。明日行くからと声を掛けると、「何処で待ってればいいの」と声が返ってくる。多くの問題が我が家に在り、介護支援制度の全てと関わるスタッフ皆さん、そして兄弟の協力をもらい、これからも生活するが、その道もまだまだ長いと思っている。父の諦めの言葉に「何言ってるの」が、繰り替えし生活する倉庫で語られる。

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2013
05/02

早く病院が欲しい


この向かいに見える山に「公立志津川病院」「総合ケアセンター」ができる。27年の4月からの開業が決まっているのに、土地の買取が議会に提示されているが、まだ土地の造成はこれからである。
ベイサイドアリーナの「コアラ館」の図書館前から写真を撮った。そこから見えるのはタコの形をした時計のモニュメントがあり、東屋には陶芸の窯があり、その窯を近くに寄って見るとタコの形をしていた。タコでの町起こしが我が町にはあるが、ここまで行政がタコのこだわる必要を不思議に思い、その物の役目の活用が重要と思う。
昨日は意を同じにする同じ世界の人間との交流があり、有意義な時間で学ぶべき事が沢山あった。「類は友を呼ぶ」とのことわざを地で行く再会となった。南三陸の新鮮な魚貝類の刺身としらうおの天ぷらと仙台の「牛タン」、そして通しは「しらすの釜揚げの載ったホウレンソウ」で、旬の味にお酒も進んだ。連休の中日の平日の楽しいひと時を過ごした。
彼は今日は「うに丼」をお昼に食べると言う。今が旬なのか被災後「季節感覚」が無くなっている気がする。毎日が追われる一日で、昨日は登米市との連携の介護支援の、「ケアマネージャー」が母親の退院後の打ち合わせに来た。介護の認定での出来る限りの施設入居利用と、在宅でヘルパーが受けられる限りをお願いした。父の負担軽減が最大の目的で、自分が介護するのは、もう少し待ってほしい。近々に退院の予定ながら、その時期が来た時の心配をあるが、「なるようにしかならなく」「できることしかできない」、これが我が家の介護のスタンスです。
そう言えば昨夜も名産品の「タコ刺し」を食べた。勿論「ゆでダコ」だ。
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この写真の向かいの山は、災害公営住宅と防災集団移転が造成整備される。ここも27年末まで掛かる予定です。写真右にもイスラエルの医療支援の記念モニュメントがあった。こんなに色々な町の建築物があるのに、被災者の「慰霊塔・慰霊碑」が何一つない。この問題を6月議会の一般質問でやる必要性を思う。しかし、「暖簾に腕押し」的な行政の対応に、強く言えないのは、復興に一生懸命向かう行政職員の今がある。他の行政の被災者への鎮魂対応を調査しないと、この問題を行政には指摘提示できない。中途半端な質問で大切な時間を今使う余裕はなく、町民全体の被災後の環境整備の多くの問題がある。
そういえば昨日も東京の報道機関が、「買い物弱者」の問題で来町したいと言う。こうしたメディアの力が、行政を動かすと思っていたが、意外とその成果が見えてこない。
この時も公立仮設診療所には、救急車が飛び込んできた。

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2013
05/01

復興の風景がここに


天王山の現在の姿ながら復興の風景がここにあった。東山公園は流出した桜の代わりに苗木がボランティアの手により植樹された。また、直後から毎年開催されていた伝統歴史が引き継がれた、例大祭も開催されている。左の山の整地は嵩上げの「土取り」のためであり、復興への第一段階である。また両方に見えるトラックの積み込み場は、町の水産品の運送が本格的な拡大発送がなされている。市街地の嵩上げも高台移転の土地の造成で出る土を、被災地への嵩上げの土として活用を図り、市街地の整備が並行して始まる。復興への足音は確実に一歩づつ響き進んでいる。
昨日は商工団地内の緑地が整備され、歩道や休憩のテーブル・イスなどが置かれていた。一昨日散歩がてらにこの場所に父が行ったら、ボランティアさんが休んでいる父に、「写真を撮らせて下さい」と声を掛けてきたと言う。被災前の近所の人たちも集まり会話ができたと話していた。震災となり近所にこうした場所が出来る事を私は望んでいた。高齢者が住む場所が無く工業団地内で住む事となり、寂しさを癒す場所が求められている。
沼田の商工団地は三代前の町長勝倉三九郎氏が造った。団地内に緑地の整備は広さに応じ造らないといけない、それが「百万本植樹事業」として平成9年に実施され、ここが被災後に手つかずのままだった。この場所に100本もの「こいのぼり」がゴールデンウィークに合わせ飾られていた。歌津の被災市街地にも多くの「こいのぼり」が棚引いていた。
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愛知県安城市での連続放火事件の犯人として、36歳の男性が捕まった。23軒のうちの10数件を自供し、「母が亡くなり寂しくてモヤモヤしてやった」と言っている。
昨日天王前の路上で同級生に会った。しばらくぶりで立ち話を30分はしただろうか。南三陸復興ステーションの職員だった山内さんが、大学の教授?としてその知識能力が認められ、新たな世界に被災地支援から羽ばたいた、と聞いた。彼女ともっと話をいておけば良かったと今となって思う。若い人材の新たな道への飛躍を私はこの機会だからこそ、頑張って欲しいと思っている。できれば町での再建事業に新たに関わって欲しい。
反面、先人たちの震災後の苦悩の中の急逝に触れる。「誰々が亡くなった」と数か月過ぎて知る事となる。先人への「感謝の意」を伝える事なく静かに幕を閉じている。歯医者の先生も亡くなられたと聞いた。色々とお世話になりました合掌。
今日は庄内から知人議員が来る。夜に南三陸町の素晴らしさを伝えたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:49 】


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