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ARCHIVE - 2013年04月

2013
04/20

正に激動毎日の南三陸町


昨夜は半年ぶりにスポ少の剣道で防具を付け、南三陸町の若き剣士と共に剣道を楽しんだ。2年の女子の団員が友だちを誘い、昨日お母さんが息子を連れて道場にやってきた。震災後に親の会との確執の違いから、心がバラバラとなり、現実に解散も考えた事はあった。「先生うちの子を最後まで」と、現在在籍の親から言われ続けてきて、新しい友だちを連れて「一緒にやろう」と、仲間が出来てくれた事で、多くの蟠りが吹っ飛んだ気がする。また一から気持ちを新たに臨みたい。
9時に帰ったが一時間の中学生の稽古で感じるのは、握力の減少があり、練習から脹脛の張りが今も消えない。そんな思いの中で携帯着信を見た。米山の「公立志津川病院」からの着信歴があった。返信の電話を入れるも転送が掛かり、宿直の人に回ったようだ。7時には1時間掛けて病院へ行く。本当に不便な被災地の病院事情がある。仮設の病院に予算を掛けても病床を南三陸町に設置すべきだったと、今となり強く思った。27年の4月の本設まで町民は待てない。
昨日の夕方に県の「ローン金利補助内定」の報告が、町の復興推進課から来た。愛知県の建設会社にすぐに電話し、「建築申請」の手続きができますと話した。自分の家から「両親を送り出したい」があるが、間に合わない状況が来る日が、近づいている気がする。
CIMG2488.jpg
「写真に何の山」とお思いになるだろうが、住宅再建の復興の遅れがここに起因する。志津川小学校の裏山でここから遺跡が出土し、国の法律で遺跡の発掘なしには開発は出来なく、全ての調査は一年も時間が掛る。
2週間ぐらい前に気づいたのだが、仮設の建設が成され、そこに多くの車が駐車していた。遺跡調査で多くの雇用がされ、その人たちの車だと思う。
先ごろに92歳の叔父の葬儀を3日が済ませた。会場は同級生の葬儀社に相談し、喪主が最終的に決定した。経費を最大限に節約して行った。そして「弁当事情」を知った。近隣の8社に電話するも全てで断られた。夕方のお通夜の弁当を御前の早くに頼むも駄目だった。一つには建設業者の労働者の弁当があり、あるお店では300個の予約があった。店でも毎日のように労働者のお昼で、突然の対応が出来ないと言う。せめて前日のお昼前に連絡を言う。一週間前の予約でないと弁当は出来ませんとの店もあった。最終的には隣の市のお店に頼み込み何とか準備をした。
町には店にも以前のような余裕は何処にもなく、お店の繁盛は良い事ながら、こうした盛況は被災いした一般住民には、震災特需の何の恩恵がない。
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