ARCHIVE - 2013年04月

2013
04/30

被災地は何処も


予定どおり昨日は歌津の大衆食堂さんで本吉郡剣道連盟の総会に行った。総会に先立ち県連の指導者のよる合同稽古会も開催され、中学生が50名と地区の指導者など30名が普段できない練習を行った。8段の指導者が元立ちとなり、スポ少での指導者も普段かかない大汗をかいた。総会後のビールに「最高だ」と親睦会で話す。
歌津から足を伸ばし気仙沼市小泉までお客さんを訪ねた。被災した中心部は瓦礫は無くなったものの、復興の姿はこの写真どこからも感じられなかった。高台移転はと聞くと、近かく木々の伐採は開始するが、2年後の造成完了であり、住宅建設は28年になるだろうと言う。被災地の住宅状況は何処も変わらない。
国道45号の道路沿いの高台には、自己再建の住宅建設が進んでいた。行政の土地確保、造成から整地の経過を待っていられない、資金に余裕のある方々は、自分で土地と建設業者を探し、制度や書類作成をして住宅建設を進めていた。
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南三陸町の応援団「う~み」が来社した。本当は「高知県観光大使」の肩書を持ち、音楽をとおし被災地に元気を与えてくれる。たしか大阪出身なから高地を「終の棲家」と決めたと聞いた。「凄いいい所だよ!」と高知県を紹介してくれる。ぜひ生きている内に訪れてみたい。この写真の笑顔のままで、多くの人たちに笑顔の「おすそ分け」をしてくれる。性格の暗い私などには、会って顔を見ただけで自然と笑顔が生まれる。これから戸倉の中学校に行き被災地支援をすると言っていた。
前半の連休最後のこの日、朝早く仙台の叔母が電話をくれた「うに丼食べられる」との問い合わせだった。知っている商店街の方に9時半に電話すると、「予約はできませんが11時なら大丈夫ですよ」と言う。11時過ぎに高速の米谷から入り、「30分行列して食べたよ」「美味しかった」と大満足でした。家族4人でドライブしてのお昼ご飯、南三陸町への5時間の「うにを食べる旅」、イイ企画だと思いますよ。
今日は何をしようかなー?
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2013
04/29

南三陸町の旬のおすそ分け


昨日は一週間の疲れは取れたものの、大切な連休の休日を有効に使う事が出来なかった気がする。
帰ると入谷の方から「天ぷら届いているから」と父は言う。何かと思いつつ、たぶん「タラの芽の天ぷら」だろうと冷蔵庫を、今の旬で揚げたてのおすそ分けを「冷蔵庫はないよ」と話した。香りの強い「山菜の大様」を美味しくお腹いっぱいにいただいた。
安倍総理の「エグザイルコンサート」見学、地元山口県の参院補欠選挙、そして現在はロシアのプーチン大統領に会いに「訪露」している。7月の参院選挙の前哨戦で、28万票のダブルスコアで民主党の元法務大臣を破った。当選した江島氏は下関市長を4期務め今度は国政に参加する。参院選は7月また選挙となるが、今回の山口県の投票率が36%で「23%ダウン」した。宮城県での市長選も10%の投票率の低下があり、選挙への国民の意識の下がっているようだ。参院は自民と民主が同数となり、参院選の圧勝が目に浮かぶ。我が町の10月のダブル選挙も投票率の低下が予想され、誰に有利化と言うと現職にプラスとなる事は間違いのない事実です。今の生活への不満があっても、それを選挙結果に反映させられるかと言うと難しい気がする。
関越バス事故の記憶もまだ生々しく脳裏に残る中で、昨日「一周忌」となり現場にバス会社社長と家族が手を合わせた。家族は「友だちに支えられた一年だった」と言い、一日も早く手を合わせる「慰霊碑の建設を」と話していた。遺族の言葉は当たり前の事で、南三陸町の町長にも同じ事が言える。職員42名を含めた800名の犠牲者への、鎮魂の気持ちが町の何処にもない事に、町民はもっと声を高く上げるべきと思う。余りにも人への哀悼の言葉が行動には表されず、「哀悼の誠を捧げる」の言葉ばかりに、本当にこの人は死亡者への畏敬の念を持っているのか良く判らない。
今日は本吉郡剣道連盟の総会が歌津であり、総会前に中学生の合同練習も予定されている。

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2013
04/28

ゴールデンウィーク終了


南三陸町「払川ダム竣工式」の案内が届いた。村井知事・佐藤町長の案内で、5月18日の式に引き続き「伊里前福幸商店街前広場」で、交流会が開催れるとの案内もあり、土曜日のこうした歌津地区での開催は、被災地商店の活性化に繋がる。
この案内が25日に届き、その前の23日の伯父の通夜の時、白石の共同墓地への同行をお願いされていた。そして、昨日白石の「創価学会東北池田記念墓地公園」に納骨のために、法要を兼ねた式に親戚家族二人に同行し参加した。白石蔵王の麓の広大な土地に、会員皆さんの共同墓地として、米国風の墓地が整然と広がっていた。ゴミ一つない墓地の管理に驚く、私の地方のような各家での自己の墓地の管理ではない、最終的な身の納まり方がここにはあった。
両親の今後の事で考える。今まで祖母を送り、叔父叔母そして知人など、納骨まで関わった人たちがあり、当地方で行われる葬儀の形態に並び、千葉家の埋葬方法を私はする。我が家の代々の霊が遺骨と共に、祖父から始まり最近の叔母まで、10人が「法名碑」に刻まれここに眠り、その後に両親と私が刻まれる。
白石から内陸に入ると、七ヶ宿町」があり七ヶ宿ダムが広がっていた。この日の強風にダムに引き込まれそうになった。ダムの底には七ヶ宿の集落が沈んでいる。
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七ヶ宿町の「道の駅」が当然ここにもあった。ダムの湖畔にあり連休初日の来客が、道の駅を訪れ、町の特産品を買い求めていた。レストランに3時頃に行ったせいか私だけしかなかった。
南三陸町の近隣には「じょうぼんの里」が石巻の道の駅としてあり、登米市には「もくもくランド」、「南方道の駅」があり、県一・全国一と言われる、岩出山の「あら・伊達な道の駅」がある。観光立町と町長が声高らかに唱え、水産業・加工業の振興を進めている我が町のある。そんな中で町民が多く求める「道の駅」が未だになく、観光客の既存の店と道の駅との二分化を懸念すると、「道の駅」の在り方に以前は反対の立場だった。震災後の新たな町づくりには、「道の駅」としての海の駅構想を、商工・水産団体の有志は声高に話す。
来町者を交流人口と行政は言う。地域交流は一部分の「地域と地域」との交流と話す町長、他の地域との多くの南三陸町町民との交流を私は模索したい。庄内との議員会の交流がありその一歩が、1日に町を訪れ私と交流する。そういった一人一人が交流する機会を、行政は作っていき、町民も積極的に参加をする。共に「笑顔のおもてなし」が、生き生きとした暮らしとなり、町民皆が楽しく生きていける、生活不安解決の根底として今必要とされる。
私なりの生き方の希望がここにある。今日は事務所に缶詰となり、原稿書きをする。

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2013
04/27

復旧から復興へ住宅再建


大震災による公共施設の復旧は、復興交付金を受けるための「災害査定」が県・国によって成され、町の再建の為に解体費から建物再建まで、復興交付金の交付の対象となり、被災地自治体は国の救済制度により復旧へと進んでいる。
志津川地区市街地の東地区の大部分の建物は解体が進むが、本浜地区の一軒の個人宅は、まだ何一つ震災当時と変わらず、河川堤防が建設される場所に「凛」と建っている。このは家族への思いと、国から言うがままでの行政の対応への反発に映るが、この事実は確認していない。すでに入谷に作業場と自宅は建設したとの話もある。だが70%近くは常民の承諾を得ていないとの事も、昨日の町協で発表された。
南三陸町スポーツ交流村の施設が震災の修復工事に、二年が過ぎてやっと工事がはじまっている。施設すべてに地震の影響があった中で、多くのイベントや式典が開催された。ドレーニングジムは私は12月から活動を始め、2月までの3か月間健康の為に運動をしたが、3月からの工事に合わせ休んだ。しかし、施設は5月までは危険のないよう、施設の使用を許可していた。半年間の復旧工事予定となっている。
全ての工事に地元の建設業者が関わり、「建設特需」はこれからも多額の見たこともない、町への復興資金に行政は関わる事となる。自己再建に苦しむ方と、多くの仕事が生まれた建設業者との、格差が生まれるが「法の下の平等」があり、売り上げは税金として町民に平等に還元される。
10月の選挙で多額のお金が動く事を今から懸念する。町民のモラルが生き残る事を期待したい。
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あの強固だった志津川漁協も、現在やっと解体されている。東地区の大規模な再建計画の元で、順調に工事が進んでいると行政は言う。
漁協は私が高校が終わった頃は、まだ木造の事務所だったが、その後鉄筋コンクリートの建物なり、こんな事となるとは誰が想像しただろうか。漁協の当時お世話になった遠藤専務は、津波で犠牲となり、前専務は県漁協の役員としてまだ漁民の為に頑張っている。その前の旧市場のかぎ取りの佐藤さんも津波で亡くなった。当時課長だった荒沢神社の遠藤さんも、今は息子さんに変わり一線から退いている。こうした多くの皆さんにお世話になり、千葉印刷があり現在の私がある。津波後は環境・人員も変わり、1年間の参入遅れが、自社が入る余地をなくし、以前の係わりへの漁協との交流はない。長い繋がりの回復は難しいような気がする。
今日は伯父の納骨のために白石市に行く。従妹が一人は可哀そうと知人も「私も行きますから」と昨日電話をくれた。その方も母と妻も今回の津波の犠牲となっている。家族の亡くなる事の寂しさと辛さのわかる人たちが、沢山わたしの周りにいる事に救われる。
3時間はかかるだろうか? 今日からゴールデンウイークだと、ニュースでは高速の渋滞を伝えている。時間の計算が予定どうり行くかが心配です。

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2013
04/26

私的激動の一日


知人から「ブログ楽しい事を書いたら」と助言を受けた。しかし、私の周りには楽しい事など現在何もなく、たまに好きなものを食べ飲む事くらいしかない。行政への不信感とトップの行動への怒りしかない。後は家庭の両親の今後である。
昨日も「臨時議会」があり、26年度からの戸倉中の統合合併が決まったと、教育長から地域・PTAの了解と意向が決定されたとの報告が成された。この行政報告に地元地域の議員が、今日の報道で知ったと質問するくらい、議会にとっての突然の唐突の発表だった。戸倉地区は人口の流出が多くあり、生徒の不足が最大の原因である事は判るが、そうならない方策を行政が講じない事を原因を思う。戸倉地区の仮設の戸倉・志津川に確保するとか、残った中学校の防災体制・避難路確保などによる、被災した場所の再生で「地域の絆」の象徴として、存続する方法を考えないなど、地域崩壊の原因は行政にあると、柔らかく行政に指摘した。
南三陸町で最初に桜の蕾は、黒崎に突き出るホテルの来町者を迎える「一本桜」と、この時期毎日の「桜事情」の自分的確認で感じる。10日前ごろか朝の通勤時に、交通の少ない時にカーブの窪みに車を止め撮影した。週末には「桜吹雪」になりそうだ。
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昨日は午後に1時に目の治療で石巻へ、帰りは6時となった。帰り道で三陸道から道かずら、西の方角にモクモクと黒い大きな煙を見つけた。豊里町の方角だろうか、「火事なのなかー」と見えにくい目で見つめた。レーザー照射の2回があり、苦痛で「もういいかな!」と思った。志賀主治医に治療を任せ、先ずは眼底出血をレーザーで取ってから、白内障のレンズの手術との計画だった。新人の若い医師はこの引継ぎがなかったのか、説明を聞くが、ここまでの状況が判らないようで、「あなたは右目は網膜剥離で白内障の手術などでは治らない」と切り出してきた。主治医に任せての治療ながら、突然の担当医変更の治療方針転換の指示に驚き、少し考えさせて下さいと、今後を思案している。
夜は6時30分の志津川地区の高台・商工・公園の各部会が、一同に会した会議が役場庁舎であった。町長も出席していた、私は30分の遅刻を許していただきたい。2時間の会議は商店形成や観光の来客の為の町づくりをどうするか?が、議論の中心で、公園部会も被災者や来町者の鎮魂、その他に自然公園や共同農園・被災地体験などがあり、遺構や震災の記憶の継承など、私は商工・観光の視点が強いと感じた、会長が議長で商工会の幹部とあり、議論の振り方も「かがり火まつり」の再開は、商店を早くや「道の駅」「海の駅」などがあった。被災地住民の高台移転が本文のはずの町づくり協議会が、行政の3地区の高台移転が27年度で、28年3月末に造成がされ、町民の住宅が建設の始まりの予定の中で、進まぬの地区の在り方が定義されなく、その為の高台移転部会の色の薄さがあり、その理由を伝えようと自分も手を上げ、部会の状況を説明した。
会場には傍聴者も50名はいだろうか、委員の発言は簡略と議長は言い、町長の最後の発言は「10分」も取った。私はまるで「選挙演説」のように聞こえた。いったいこの「町づくり協議会」は何なんだろうと思った。阪神・淡路の「まち協」とはまるで違うと感じた。閉会の挨拶の副会長は「町長さんお願いします。」と町長の活動を讃える。お仲間会議と私は捉えている。弱者の支援の薄さを思い、高齢者対策をと言うのは一部の委員でしかない。今後も協議会の姿に修正の言葉を向け、「町協」の進捗を伝えたい。南方仮設にて同様の会議を開催すべきと声を大にして言いたい。「町長は来るだろうか」。
朝から忙しいけど、重い話ですみません。

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2013
04/25

南三陸の人材の産道


今年も日曜日に志高の校門前に立った。普段は「用事の無い方の入門禁止」ながら、現在は校庭に被災者の仮設が80戸余り建ち、住民の車が日限り無し往来している。志高からは多くの優秀な人材が出ている、お医者さんもいるなど、優秀な人材を社会に送りだしている。
昨日は契約納期の前倒しの依頼に、朝6時から山の工場に行き、従業員と3人で夕方まで働いた。今日・明日と会議と石巻日赤への予約があり、その私的事情によるものだ。夜は明日は6時に町づくり協議会で、明日は志津川剣道スポ少があり、帰りは9時ごろとなる。毎日の父の不安げな顔と会話に、朝後ろ髪を引かれる思いながら、同じような人が町には沢山いるからと納得させている。この解決には会社と自宅を建てるしかない。今年には何とか実現させたいが、来月にも建てたいとの思いが強い。
昨日は庄内町との姉妹都市との交流会があり、一人の方と意気投合し5月1日に来町すると言う。改革派で行政の欠けている部分を一人で「反対討論」をし、行政への改善を指摘する。ある意味で私に似ているのかなと思う。
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戸倉沖に多くの漁船を見つけた。こんなにも多くの小型漁船の姿を見たことはなく、共同での養殖施設の収穫だろうか、共に助け合う「頑張る漁業」がこれで、収穫魚種によるが、後1~2年でこの事業は終了となる。ここから新たな南三陸町の漁業が始まる。
長崎県日南市で町おこしの人材募集に「月給90万円」で募集すると言う。まぐろ漁業で栄えた時代の、「油津商店」の繁栄から、シャッター商店街となっている。そんな中で33歳の新市町が打ち出したのが、「商店街生き残りの町起こし」の人材を、一般から公募すると言う。ノルマは4年間で20店舗を確保する。という制約があり実績報酬だと言う。日南市のサラリーマンの平均月収が24万円ながら、優秀な町起こしの人材確保達成で、ノルマの4年間で90万の給料は安いかもしれない。
前高知県知事は自分の経験から言う、公募は「二流しか集まらない」「地域の有権者のごり押し」など、公募による人材確保の弱点を話す。
私の町でもある職の「公募」があった。報酬は月収90万にもなる職だった。現実になにも成果も出さず辞めた。辞任後の関係者の話に、町長がすでに決定済の陣容と聞く。退職後に町長が関わる会社に取締役して採用され、借家も町長の今住んでいる家でお世話になった。正に前知事の指摘を地で言った話と重なる。
もう町のこんな「自己保身的」なやり方を、町民は許すわけにはいかないだろう。

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2013
04/24

BRT本格整備へ


志津川林地区の高架橋には、と重機が線路の外された線路上で道路の整備をしていた。旧陸前戸倉駅の場所は原型を留める形跡はなくなってきて、大きく線路のバス走行へと、JR東日本は早期の鉄路行バスへと進める。鉄路の復旧は川に架かる全ての鉄橋が流され、その復旧工事の多額の経費と、多くの資金投入が実質的に無理との判断から、その方向性をBRTへと決定した。10分の1での予算のJR早期輸送がその裏にある。経営者は「費用対効果」があり、「復興へJR東日本」も努力しているとのイメージアップもある。大企業はやっぱり違う。
昨日は商工会工業部会があった。震災による会員の法定脱退が60事業所にも及んだ、反面復旧工事関係者が新加入し、若い方々の事業進出も見られた。脱退には私の係わり多くある、老舗・改革を訴えてきた人たちの名前があった。淋しい感が募り町の停滞を強く思った。今残った強い事業所の町と言った「南三陸町」と私の目には映った。
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こんな激しい雪が4月の我が町には降り付けた。先週の日曜日の事です。ゴールデンウィークに入ったのか、志津川の絶壁のホテルには、多くのバスが駐車していた。連休は何も天候異変が無い事を祈りたい。「観光支援」の皆さんは南三陸町を含めた被災地への、ボランティア応援団としての観光です。
南三陸の被災された町民の皆さんへの「絆の支援」の観光である。

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2013
04/23

がんばっぺ戸倉!


昨夕、先日亡くなった伯父の娘、すなわち従妹が伯父の老人ホームの私物を持ってきた。絵が好きな伯父は入所後22年間も、半身不随の動かぬ利き手の逆の手で、色鉛筆で絵を描き続け30冊にも及ぶ、スケッチブックを持ってきた。この作品を伯父の作品集にして、伯父の子供たちに残そうと思っている。
また、伯父の人生の足跡を従妹が話してくれた。戦後の食事の米もない時代、私の父も内陸から米を自転車で運んだとの話は聞いたが、伯父も背広で海産物を自転車に積み、志津川の内陸に売り歩いていたと言う。こんな千葉家の過去の生活の厳しい時代を聞いた。
戸倉荒町に「ひと休み」さんがある。被災地での復興に携わるトラック運転手さんや、営業で訪れたサラリーマンが、昼食を取れる場所として重宝されている。看板には「がんばっぺ戸倉!ひと休み」とある。その脇の駐車場の空き地に、今年も桜が満開となり心を和ませてくれる。戸倉駐在所も被災した折立から、この場所に設置されている。
震災後はここも瓦礫でいっぱいとなったが、ひと休みさんは何とか残った建物を再建し、今も戸倉を訪れる皆さんの「お食事処」として、「がんばっぺ」と来町する皆さんに、町はみんなで頑張っていますと伝え、共に復興に向け頑張りましょうと、声を掛けているように見える。
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2日前の日曜日は真冬のような光景が、戸倉荒町には広がっていた。ここの東北カネタ志津川工場の向かいに「ひと休み」がある。
昨日の国会中継の自民党の質問に、いまアベノミクス効果で社会が平安になったようなやり取りが、国会にあったように私は見えた。ある自民党の議員は子供たちに夢へ向かう為の考えを、今の執行部の何人かに聞いていた。被災他の子供たちへの「未来への希望」にと考えは判るが、現実の被災地の子供達には向かっての言葉としては、余りにものんびりとした国会のやり取りに、中継のテンビを消した。自民党の今の指示の高さに胡坐をかいているかのようだ。昨日の国会のやり取りには「サザエさん」がでたり、「はくしんくんくん」など、国会の笑いは被災地の事を忘れているかのようだった。
アベノミクス効果は、円高・株高でデパートの10数か月以来の増収となり、反面、漁民の燃料高騰で全漁連が一斉休業の動きも見せている。私ごとでは印刷業の売り上げがアップしている。ともメディアは伝えていた。世間の円安での一部の商品の販促チラシがその要因となっている。しかし、被災地の印刷業者の廃業の波は増幅している。大手の設備の整っている印刷会社が存続し、中堅の業者は設備投資もままならず、倒産廃業の流れは一向に変わってはいない。
千葉家は他の二人の兄弟が残る。印刷業の千葉家はその長くは続かないだろう。私で3代目で100年間の創業は実現しそうだ。

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2013
04/22

今日はアースディー


昭和22以来の4月の積雪は66年ぶりと言う。昨日も地震が全国で発生し、仙台の1㎝の桜の花に積もる雪に、地球の悲鳴のような地核変動が多発している。中国四川省の大地震はM7.0ながら現時点で184名の死亡と1万1千人を超える負傷者が出た。住宅がレンガなどの土づくりで、以前の地震の対策を図った為に、これぐらいの被害ですんでいるとニュースは伝えていた。
登米市・石巻市・栗原市の市長選挙は、現職が全て当選した。南三陸町も11月2日の町長選挙がある。震災後の私の行政トップへの不信感は、防災庁舎問題・私の行動での戸倉荒町への仮設200軒の建設拒否、戸倉ゴルフ跡地の多額の買い取りや交渉の不自然、跡地の産業廃棄物の発見での調査不自然さ、漁港整備費と庁舎・病院仮建設の一括提案・町長の業務上過失致死「告訴」、多くの人事の不思議など、被災者の救済と職員への家族への対応など、こんな行政体制を町民は真剣に投票行為として、選挙になるかと言うと、今の所は誰一人、対抗馬としていない。「このままでいいの」と思う、町民の選挙でのトップの選択肢のない状況を予想する。石巻市での16%の投票率の減少がある。多くの人が震災で生きる事で精一杯が現状にある。登米・栗原も10%以上の投票率の低下は何を意味しているのだろうか。「震災復興の為に頑張る」と当選の弁があった。私たちの町のリーダーは、私たち町民全体の生活を考え守る人材を選出したいがあり、その選択肢を町民に与えて欲しく、新たなリーダーの誕生を私は期待する。
高台移転整備の遅延は人口流失の更なる加速がある。嵩上げ・観光・遺跡よりも早くと皆が言う。
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大雪の中を志高の登校坂に桜を見に行った。避難場所となったここから、志津川市街地を望むも、今年も何も変わらない雪の積もる市街地が広がる。
福祉の里も建物が解体中で、この場所には何が建つのだろう。この日の季節外れの雪にも桜は枝いっぱいに花を咲かせていた。

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2013
04/21

何か変わりましたか


一昨日のフロントガラスの凍結にも驚くが、今日の寒さは最低気温2度で、蕾の桜も多くがこの寒さと雨に、桜も驚いているだろう。
昨日の朝、前日の夕方の登米の志津川病院から着信に、朝8時前に病院に向かった。二日に1回を目標に顔を見に行く事を決めていた。付く看護師補助の方が足りない物をと電話をくれた。「心配させてすみません」と言ってくれた。イイ補助の方が付いてくれて安心している。
「肺炎」も安定に向かい普通に近い生活の為の備品が必要で、昨日の夕方も行ったが今日の夕方も、車酔いのひどい父を10日ぶりに病院へ連れて行く。
港橋からの写真には、志津川漁協の強固な施設が今解体されていて、大森地区の漁業関係施設の建設がある。町の漁業の中枢で共同販売部門の拡充を図ってきた。しかし、これからの生産者は「6時産業化」に取り組み、新たな生業の在り方の変革で担い手、女性の力が労働現場に求められる。獲るだけの漁業・作る漁業から、「生産」「製造」「販売」までを一貫して行う環境づくりが町に求められ、新しいスタイルの第一次産業の変革へと、生産者がその要望を行政に求めていく、活動をしないといけない時代にきている。独自の形の「道の駅生産品販売」が必要と思う。
毎年予算を貰う「委託事業」の一部の事業者は、行政への癒着の温床の部分も見える。委託での財政の削減は、町経営では職員報酬が大きな負担となるからである。職員としての報酬ではなく、第3セクターとしての町の能力支援で、町民の平均所得に近い形の報酬で、雇用の創出を図るべきと訴えるが、第3セクターとしての考えは行政にはないようだ。
山形庄内町は場所や政府の制度を活用し、予算を確保しながら外部・地元若者の活動できる場所の造る事業をしていた。議会の活動は先進地視察であり、町に新たな事業の展開を求めていくがあるが、既存の会社の新たな拡大のみを追求し、新しい町づくりとは言葉ばかりのまやかしにしか私には見えない。
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写真は東山の夜桜の見る方への、広場までの階段沿いに照らされた明かりです。午後からは雨も収まる。西宮神社の代々続く伝統と歴史に触れ、神社へのお参りで、新たな町づくりを願い、何も無くなった志津川市街地を、今後の再び変わりゆく街を神社は見つめて行く。チリ地震津波・志津川大火からの再建も、ズーと神社は見つめてきた。桜の木も以前のような力強さはないが、その姿を「凛」と見せ続けている。今回の津波で流された老木の跡には、新しん苗木が植樹され、今年も花を咲かせてくれた。

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2013
04/20

正に激動毎日の南三陸町


昨夜は半年ぶりにスポ少の剣道で防具を付け、南三陸町の若き剣士と共に剣道を楽しんだ。2年の女子の団員が友だちを誘い、昨日お母さんが息子を連れて道場にやってきた。震災後に親の会との確執の違いから、心がバラバラとなり、現実に解散も考えた事はあった。「先生うちの子を最後まで」と、現在在籍の親から言われ続けてきて、新しい友だちを連れて「一緒にやろう」と、仲間が出来てくれた事で、多くの蟠りが吹っ飛んだ気がする。また一から気持ちを新たに臨みたい。
9時に帰ったが一時間の中学生の稽古で感じるのは、握力の減少があり、練習から脹脛の張りが今も消えない。そんな思いの中で携帯着信を見た。米山の「公立志津川病院」からの着信歴があった。返信の電話を入れるも転送が掛かり、宿直の人に回ったようだ。7時には1時間掛けて病院へ行く。本当に不便な被災地の病院事情がある。仮設の病院に予算を掛けても病床を南三陸町に設置すべきだったと、今となり強く思った。27年の4月の本設まで町民は待てない。
昨日の夕方に県の「ローン金利補助内定」の報告が、町の復興推進課から来た。愛知県の建設会社にすぐに電話し、「建築申請」の手続きができますと話した。自分の家から「両親を送り出したい」があるが、間に合わない状況が来る日が、近づいている気がする。
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「写真に何の山」とお思いになるだろうが、住宅再建の復興の遅れがここに起因する。志津川小学校の裏山でここから遺跡が出土し、国の法律で遺跡の発掘なしには開発は出来なく、全ての調査は一年も時間が掛る。
2週間ぐらい前に気づいたのだが、仮設の建設が成され、そこに多くの車が駐車していた。遺跡調査で多くの雇用がされ、その人たちの車だと思う。
先ごろに92歳の叔父の葬儀を3日が済ませた。会場は同級生の葬儀社に相談し、喪主が最終的に決定した。経費を最大限に節約して行った。そして「弁当事情」を知った。近隣の8社に電話するも全てで断られた。夕方のお通夜の弁当を御前の早くに頼むも駄目だった。一つには建設業者の労働者の弁当があり、あるお店では300個の予約があった。店でも毎日のように労働者のお昼で、突然の対応が出来ないと言う。せめて前日のお昼前に連絡を言う。一週間前の予約でないと弁当は出来ませんとの店もあった。最終的には隣の市のお店に頼み込み何とか準備をした。
町には店にも以前のような余裕は何処にもなく、お店の繁盛は良い事ながら、こうした盛況は被災いした一般住民には、震災特需の何の恩恵がない。

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2013
04/19

早期道の駅建設で復興加速を


2日間の町外視察交流会、出る前の好天と気温の上昇があり、桜の満開を予想するも帰っての寒さに驚いた。また、今日の朝も寒さでストーブを活用する。2・3分咲の桜の東山公園の夕方の風景です。気温も地球の異変を思う、そんな中で旅先で宮城県沖の「5弱」、八丈島の「5強」の地震が発生した。何が起こるか判らないここ近年の地核変動があり、「想定外の想定」を国・県・自治体は考えないといけない。
今日もホテル前を通ると10台以上ものバス、二日前ももう少し多くのバスが駐車していた。同僚から聞くと「東芝の社員研修」のバスと言う。被災地支援と地域間交流の研修があり、その活動は入谷地区の植栽があり、その方にも町長の講演が「新規社員の研修」の一つとして設定されていた。
全国からの被災地への「観光支援」は何処にプラスとなっているのだろう。「被災地への支援」であり、全ての被災した方たちへの、企業は支援の目的としている。10台の40人で400人があり最低でも宿泊代最低8千円として、3日間を掛けても約1000万円となる。少なく見積もってである。「入湯税」もホテルからは半分以下が徴収され、こんな事を企業は支援の観点からは想定していない。「支援の心」を被災地だからと利用している、少しこんな面も垣間見られる。
被災し仮設に暮らす町民はこうした支援、そして町の対応は知らないだろう。「そんなのどうでもいいから早期の高台造成を」と言う。
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「道の駅とざわ」を初めて見た。最上川の大きなカーブのとざわ村にあり、韓国の宮殿風の巨大な建物に圧倒された。お昼どきながら来客はまるでない。まだ寒く春遠いせいなのだろうか、一番奥の建物には「プルコギ」が食べられますと表示も見えた。「チジミ」「キムチ」も美味しいのに、地元商品の展示の閑散さに、「道の駅」の一面を見た。
行き帰りのトイレ休憩は、鳴子の「あ・ら伊達な道の駅」だった。行きも帰りも多くの観光客で店内はいっぱいだった。地元の物産・農産品が並ぶ、「地元の食材食堂」「採れたて農産品」があり、その他にも「独自ドーナッツ」「チョコのロイズ」など、他の違いをアピールする。「道の駅」の前では震災後しばらくぶりで、南三陸町の「七海水産」さんの店があり、南三陸町の海の幸「ワカメ」を販売していた。水原さんの母は私の親友で、私の母と同じような「老い環境」にあった。「頑張りましょう」と互いに声を掛けあった。みんな頑張っていた。
被災地の「復興特需」があるものの、「業種の格差を町はどう調整していくのか?」 と私は思い町に質問するが、明確な解決策は見いだせない。公正・公平な「復興交付金」の支出があって当然ながら、その手だては今の行政にはないようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:38 】

2013
04/18

庄内町の充実


山形県庄内町の議会視察と交流感謝会に、震災復興に共に協力して、益々復興支援を確認し合った。人口は約23000人ながら住民環境の整備の充実に、我が町の復旧再建に多くの学ぶべき事を確認した。CIMG2483.jpg
20年を超える体育館前の建設ながら、その大きさに驚かされた。国体の会場として「バレー競技」を誘致し、余目地区に代表する多目的の体育館を視察した。また、屋内での「フットサル」「グランドゴルフ」などの施設としての、「ほたるドーム」があり5億の建設費で、造船会社が落札し造船技術を取り入れた建設と言う。八幡スポーツ公園は、10㎝の芝生のサッカー場で公式の試合対応、ソフトポール場二面と芝生広場も隣接する。芝生は10年の耐用年数と言う。10億で二つで15億と格安の建設施設費だった。
片道4時間半で疲れました。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:04 】

2013
04/17

身近な高齢者の誌の連鎖


14日告示の登米市の市長・市議の同日選挙の掲示ポスターに、3年前の当時の突然の自己の出馬の何の準備も根回しなしの、無謀な選挙参加を思い出す。親戚・支持者も多くはいない、限られた人たちの協力と、一人での後援会設立・選挙立候補申請・選挙カー準備など、選挙をする為・議員候補者となり、当時の行政トップへの不信感を疑惑追及・改善を訴える為に、自分の人生全てを賭けての選挙に臨んだ。今でも大変だったが行動して良かったと思っている。政治への参画は自己の何かしたいとの熱意しかない。邪心が少しでもあれば町民には伝わる。多くの支援者が候補者の「邪心」を認めたり・相手の嘘の目論みを見抜けなければ、真の町民のための行政政治の参画ではない、町民のマイナスな「政」が繰り替えされる。
昨日は父の兄の「火葬」「お通夜」に参加した。兄弟・叔父叔母・親戚に声を掛け、一緒に見送りましょうとの誘いに6人が集まってくれた。多くの事情を抱えている事で、兄弟親戚での普通の葬儀とはいかない理由があった。身内が亡くなったと言う、最後のお別れに残された兄弟家族の義務がここにある。合掌です。
農協の戸倉の同級生職員の協力に感謝です。従妹の娘が一人だけで父を送り出す。この悲しみ辛さを少しでも助けたいとの、従妹として当たり前の事をした。
今日は議会の「山形庄内町」への交流会に行く、入院の母と「孤独」と言う父を置いての、一泊二日の議会行事は、家族への不安で後ろ髪を引かれる思いだ。

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2013
04/16

静かにお眠り下さい


突然の従妹からの電話だった。父が「呼吸停止」したと言う。気仙沼の特老に30年以上は入居していただろうか。私の父の兄で93歳位になる。写真の花のように物静かで、頭の良い何でもこなす叔父だった。
最近、周辺の高齢者の知人の死に連日直面している。志津川時代に町の事を考えて、その中枢にいた人たちと言って良いだろう。震災の影響は薄い死だが、父との同じ時代を勇敢に生きた方々であり、今は南三陸町となり志津川町の基礎を形成した。
当時との町政運営の違いを大きく感じるが、行政・政治の中に入って、初めて自分が知っただけなのだろうかと、自分の立ち位置を確認するのに懸命に足掻いている。
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上の写真の花は会社の女性従業員が植えた花で、下の水仙は隣のお母さんが、雑草を取り春に備えて「花が咲く」。春の草花は新たな息吹として、人間に力を与えてくれる。我が家を言えば従妹たちの出産が続く影で、父の従妹たちの病床や介護施設への入所がある。人間の「生と死」の営みがここで繰り替えされる、その現実を直に感じている。DVC00021.jpg
被災後に歌津田の浦からの、「田茂川地区」にある神社を見つけた。大津波でも神社の被害はないようで、真っ赤な鳥居とその上の小高い山に、神社が残った。
今、南三陸町の「さくら」は大きく蕾が膨らんでいる。全ての学校の入学式を終え、初々しい一歩を歩み始めた。満開は今週末になるだろう。志津川の桜の名所は「東山」で、東山公園に奉られている「西宮神社」も、そろそろ桜の花びらで覆われる。一番のおすすめは志高の登校坂から舞い落ちる、桜の花吹雪です。来週中ぐらいにこの光景が見られると予想する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2013
04/15

未知への挑戦


昨日から登米市の市長・市議選挙が始まり、米山の公立志津川病院に行く途中、現職の対抗馬の方が横山で街灯演説に、3年前を南三陸町の選挙を思い出した。
その帰りには登米市の「道の駅」、明治の小学校の脇に位置している。そこに観光バスが止まり観光イベントなのか、当時の学生の服装の観光ガイドが、訪れた方々に手を振り来町への感謝を示していた。この場所も地元の野菜・イチゴや産品の味噌・油麩を販売していた。「はっと汁」などの自慢の食文化を、道の駅のレストランで食べられる。また登米町の物産の全てがここで販売されていて、商店・農家の隔てなく商品が置かれている。「なぜおらほの町にないの!」と本当に疑問に思う。
写真の津山「モクモクランド」には好天に誘われ、家族づれの車が満車となっていた。隣接する遊具のある遊び場には、多くの子供たちが遊び、それを両親が見つめていた。こうした場所がなぜ「南三陸町にないの?」と、本当に町の考えの不思議を思う。志津川の観光地にも、子供の遊び場と、大人がゆっくり買い物できる環境の必要性を思う。そうした環境が小さな津山町には整っているのに。
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「一人は怖い」と今日も出がけに父は言う。母の介護施設から病院と、私の朝早く夜遅い生活で、共にいる時間が少ないせいか、一人が寂しいと言う。
今週は水・木曜日の二日間「山形県庄内町」に議会で行く。昨夜この私の居ない2日間、「一泊で温泉にでも」と父に提案した。90歳を超えた高齢者の一人での宿泊は、ホテルも泊めてくれない気がする。「仙台の兄弟へ」とか「友だちとの一泊」とか話をするが、煮え切らなく私が段取りをする事で納得したようだ。母の病院・議会の視察・仕事の段取りなど、来週からの目のレーザー治療予定となり、その分だけでも安心している。これが被災を受けた人たちの問題として、高齢者を抱える家族にある。
今日は議会の原稿をまとめる為に、朝5時には戸倉荒町に入った。

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2013
04/14

もう諦めた


今日この自宅の倉庫から戸倉の仮事務所に出かける時の、私を見送りに出る父親の不安な姿を初めて見た。朝の寝起きの会話に「もう諦めた」と言う、何を朝から言うのかと問いただすと、おふくろの事だった。現在米山の「公立志津川病院」に入院している母がある。「俺も疲れた」と初めての泣き言を聞いた気がする。「何の事」とまた問うと、家での介護は無理で自分の事で精一杯とだと。当然の事ながら90歳を過ぎても、いつも年を取っても、しっかりしていた目標としてこの父、この震災後2年と1か月を迎え、母の病気と認知、父の「弱音」はこの大震災の為に早まった気がする。多くの志津川の人たちが、こうした精神的に弱い部分が、この2年目に表れてきた。
私は町民の為に何かをしたい。町は復旧・復興へ進み、建設関係者は復旧工事に毎日追われ、目標を無くす町民の高齢者がいる事が心配ながら、町も何もその真の救済はしていない気がしてならない。何をすべきかだが?
こうした家庭の不安は、家族がいる事で多くの問題は解決する。我が町にも独身でいる事を、「今の生活でイイ」と言い、男女も無理に家庭を持つその努力をしようとしない。現在は良いだろうが、老いて一人になる時に問題は起こる。家族を持つ努力いない事は、生きていく事の問題への先送りでしかない。今日は母の状態を見に私一人で行く。
写真は御前下の開発の姿です。復興・復旧の工事関係会社の新倉庫と、スタンドが国道398沿いにあり、その奥には「コメリ」が建ち、薬王堂の建設の計画がある。撮影場所は志津川仮設商店街からです。
私自身も時々「投げ出したい」との気持ちに襲われる。「誰かの為に生きる」との生きる目標ができれば、救われると思うのだが。

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2013
04/13

南三陸町スポ少結団式


南三陸町の子供たちが一同に会した平成25年度「結団式」が今日の9時から、総合体育館で開催された。私の「志津川剣道スポ少」は結局、志小2年生女子一人からの、戸倉剣道を卒業しての25年度からの「古巣」の志津川剣道の出発となった。
今年は「オリンピックフェスタ・IN南三陸町」と題して、オリンピック参加選手が、被災地の子供たちと、「ふれあい運動会で共に汗を流そう」と5名のメダリストが来町した。挨拶で水泳のメダリスの柴田選手が、「ルールを守って全力で取り組みましょう」と話してくれた。どうしても強く・一番にとの事ばかり、スポーツには求められるが、スポーツを通して友だちと出会えたり、会話する事で社会人としての、人付き合いの基礎が形成されると思う。その身近な場所が、こうしたスポーツ少年団である。
5つのチームに分かれての運動で、我が団の一人の女の子が不安の中で、団体活動をする。隣の歌津中学校の女性徒が話しかけてきて、女の子から笑顔がこぼれていた。ボランティアスタッフも多くの気遣いの中で、楽しく結団式をする団員に「ほっ」と、二階の観客席から見つめていた。
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5人がメダルを付けて元気に紹介の後で駆けて入場した。一番は水泳の柴田選手でアテネ五輪で銀メダル、次にシドニーで銅メダルの・・・、後で名前は紹介したい。3番目はシンクロスイミングの鈴木選手でアテネで銀、次は柔道の杉本選手でロンドンで銀、最後にソフトボールの高山投手だった、アトランタで優勝した。五人が全て有名なオリンピック選手メダリスト、こんな有名選手の来町に驚く、多くの町民が来てほしかったが、沢山の子供たちの参加で私自身が安心している。でも凄い「高山の投球」は接戦のアメリカとの対戦は、いまだに覚えている。
今日の朝5時33分に兵庫県淡路市の震源10Kの、震度6弱、マグニチュード6.0の地震が発生した。阪神淡路大震災の記憶があり、南海トラフの発生が予想される中での、今回の地震は、東日本大震災の津波の記憶も冷めやらぬ後で、メディアの受け止め方もちがった。
M6.0とこないだの東日本のM9.0との差は、数10倍の違いを理解していたら、こんなにメディアも騒がない。しかし、南海トラフへの警戒意識の拡大は国民の為とも言える。
今週の多忙は周りには理解できないだろう。医師の「家族で話合って下さい」があった。我が家では家族の繋がりが高齢者の両親とあり、廻りからは「冷たい」と思われる決断がある。当事者でしかわからない現実がここにある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:41 】

2013
04/12

日の出の志津川湾


写真と肉眼での景色はまるで違う。今日の朝5時10分の景色をみんなに見せたいし、被災し厳しい生活ながら通勤のこんな機会で、生かされている瞬間を感じる。
昨日は石巻日赤眼科で白内障の症状の軽い方に、眼底レーザー治療の為の注射を目にした。右目だけの生活は目が見えない状況に近く、勿論、車の運転も文字を見る事も出来ず、何もできないに等しい。これが「失明と言う事か」と恐怖感さえ感じる。何もできずに会社で従業員の動きと指示をする事しかできない。4時間後に眼帯をとり若干だが多少の生活ができる。
知人と志津川仮設商店街の食事処「はしもと」さんで、晩御飯を取った。しらうおの天ぷらとパッケの豆腐でんがくと旬の刺身、季節感溢れる食事に大満足です。店内にはスーツ姿のサラリーマンが10名はいた。町の予算などの話に、町で仕事をする他県からの大手の営業マンのよいな感じがする。1000億を超える25年度予算が議会で可決され、土地の嵩上げ・買い上げ・高台移転設計の、UR都市機構などのコンサルタンタント委託料が大半を占める。
昨日は志津川市街地の「土盛り」までの予定表が届いた。4月に起工承諾の願い、5月浄化槽撤去を発注、6月浄化槽撤去着手、8月土盛り開始と言う。八幡川東地区の被災した市街地が対象の場所で、何時までかかるかは計画書類を探し見ても判らなかった。
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いつもと違う場所から志津川湾を撮った。水平線の湾中央からの「日の出」で、「明けない夜はない」と言うが、真実の町づくりは真っ暗のままで復興が進む。
熊本県阿蘇の観光地で、韓国の高校生の乗った観光バスが、他の観光バス同士で正面衝突事故があった。以前の大雨で阿蘇山の観光道路の片側通行の工事中で、山の濃霧と誘導の指示が見えない為に起こった。我が町でも至る所で道路の復旧工事の同等の現場が幾つもある。中半端な指示は事故への引き鉄となる。運転者も十分注意してもらいたい。大阪の高校体罰問題で、東京の学校でも2184校で聞き取り調査があり、126校で体罰が確認されたと言う。その内22名が骨折や歯を折るなどがあった。そんな中で岐阜県で、元Jリーガーが中学生13歳に、両腕を骨折させたと逮捕された。「指導の一環」と言っているが、足で蹴った体罰でボクシングと同じで、「拳」と「足」の違いはあるものの凶器である。信じられない事が学校のスポーツ指導で起こっているのも事実として、現在色々な部活で報道されている。
今日から今年度初めての私の関わっている「志津川剣道スポーツ少年団」の活動がスタートする。第一声として何を子供たちに話すか、毎日考えている。

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2013
04/11

志津川市街地の変化


4月に入り仙台・宮城ディステネーションキャンペーンがスタートし、JR東日本と連携した宮城県観光推進月間3か月は、奥州藤原の里まで、観光地域を延ばし昼間から町内を大型バスが行きかう。志津川山根の地域にも瓦礫撤去のボランティアを載せたバスが3台並んでいた。「観光支援・ボランティア活動」がJR・JTBなどの企画するバスで、町に多くの人が来ている。
町へのボランティア入込は、石巻・気仙沼でこれまで15万人で、南三陸町はそれに次12万と言う、三位の県内の自治体に大差をつけている。
昨夕は「ウジエ出店計画の町の消極的な報道」がTBSであった。町の土地・道路計画があったり、仮設商店街への影響があるとの原因として、町長自らが発言していると話していた。ここには買い物弱者救済は何処にもなく、自由な買い物環境・雇用対策・町税収確保・地元農産物の発信機会などの、今後再建に必要とされる町の政策は、住民の生活環境確保対策などの、町民の求めている部分が手薄である。
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この写真は、町の「住宅建設元年」としての重要な事業所となる、丸平木材さんの工場の拡張の為と思われる、山の開発が現在行われている。南三陸産材の生産加速で工場拡大があり、産材活用補助金の制度の追い風を受け、今後は町の製材工場の規模・稼働時間の拡大が図られる。
地盤沈下した土地に「土が欲しい」との声がある。事業や住宅の建設がその目的とも聞く。この山の削られた土がどこに行っているか、まだ調査はしていない。全町に於いて復興の槌音が聞こえ、これを全て把握するには、私一人の力では小さ過ぎる。現在、町内の漁港などの全てで修復工事が行われ、工事に必要な土をここから持って行っている気がする。
利子補給・土地の買い上げ・県の雇用補助・県の入札資格更新など、全て自分で書類を書き申請している。書類の不備の電話や不足分の再提出などがあり、私用・公用と病院と共に忙しい日々がまだまだ続いている。来週は一泊二日で山形出張がある。卒業・入学が終わったと思って、少しの安堵感があったのに?

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2013
04/10

栄光あれや新志高生


新しく佐藤充幸校長を迎え、志高25年度がスタートした。登校坂の桜もここ2・3日の暖かさで蕾も大きく膨らみ、今週末から来週に高台の高校から桜の花吹雪が見られそうだ。今年は情ビ・普通科の110名が入学した。生徒の減少はあるものの、昨年より5名の減少に納まった。町内からの中高一貫教育の中で9割以上を占め、豊里・桃生・北上の中学からの生徒もいるが、被災前から比べると他町からの志津川高校への入学は減った気がする。校長は「学びを努力する事は己のためであり、常に考えながら高校生活を過ごして欲しい」と話す。社会に出る為の学力や人間関係を深める力を育むのが、高校での生活の中で会得する事ができる。「積極果敢」に何事にも向え、志高生、後輩たち!
ウインドーズXPが来年4月9日でセキュリティーサポートの配信を終える。買い替えは3割がまだで企業は4割を超えるXPが今も稼働している。我が社は全てのウインドーズが流失し、被災後に買い替えたパソコンを3台全てを「XP」と変えている。何が一番かと言えば「セキュリティー」部分で、企業はこの部分の管理が会社を守る。我が行政も多分すへてがXPとなっている事と思う。

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山にある工場も春の草花が咲き始め、小川はキラキラと水の輝きを見せている。被災し現在の場所で仕事を始め、何も地区への活動をしない中で、日々温かく気遣いを頂き、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
石巻の市長選挙が14日に告示され、21日の選挙に当たり立候補者の、町政の考え方を市民に伝える集会が開催された。登米市でも市長・市議選があり、議員の4名の削減の成され、市長選も「無競争阻止」の為に津山町の方が立候補する。我が町も10月選挙ながら、今の所、町長・町議とも新人の出馬の姿は見えず、「新しい町づくり」への住民活動があまり見られない。組合のトップが何年も変わらず、若い担い手のトップへの育成が図られない状況に、町の変革改変の動きは見えない。これで良いと町民は思っているのだろうか? 志中・志高と新校長となり、教育方向への新しい姿が見える。
日銀の「異次元の金融緩和策」により、100円に迫る円高となり、株価も14000円も見えてきた。しかし、多くの国民の生活は一向に変わらず、地方は楽になっていない。最低賃金は未だに「685円」で、緊急雇用の時給千円への雇用に疑問を持つ、17日余りの労働で14万円、漁民の頑張る漁業も、世帯主の35万ともう一人の従事での25万、1家庭月収60万は水産業の再生の元で、国の交付対策充てられている。後1から2年で終了するが、その後は自力で所得をこの額まで、全ての漁民が確保するのは厳しく、漁業を辞める方も多いと関係者は言う。それに引き替え、小規模商店主は制度を活用できず苦しみ、働けない町民の人たちも将来に不安を増幅させている。
デフレからインフレへの日銀の政策は、誰の為だろう。共産党の穀田氏?の言葉を思い出す。政府の大企業の優遇税制そして対策で、弱い国民への支援策の薄さを私も思う。
今日は又、目に注射だ。レーザー治療の出血を抑える為ながら、先生に「しないと駄目ですか」と聞いてしまった。ちょっと辛い。

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2013
04/09

入学者減少にショック


志津川町出身の町外に住む多くの皆さんがブログを見ていると言う。自分たちの時代の同級生の数を知らない人はいなく、今現在進む母校からの生徒の減少を、心配している事と思う。「今回の大震災ではしょうがないから!」と言うだろうが、この一大事を今残る町民皆さんと頑張っているのが現実です。
我が子を伸び伸びと成長させる為に、環境の良い場所を選択するのは、親として当たり前の事ながら、若者の減少流出も加速する中で、「この町を」と言う仲間たちと「一緒にここで」と残る事を説得し、町の再建に今後も取り組んでいきたい。
志小の佐藤父母教師会会長の「早寝、早起き、朝ご飯」は、規則正しい生活で、小学生の安定成長が図られる。新入学生に語られるこの言葉を、多くの在校性もこの言葉にならい、すくすくと育っている。志津川小学校には42名のピカピカの一年生が今年入学し、我が母校で初めての学校生活を始める。
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志津川中の入学式は新しく佐藤正幸校長を迎え、60名の一年生で25年度がスタートした。午前の志小に続き、午後1時30分から志中の入学式が行われた。卒業が99名の生徒を志中から旅立たせ、今年度の60名はさすがに淋しい。
佐藤校長の話に「松籟」の話が印象に残る。松籟とは「松風の音」と言う、松原公園の黒松や山の赤松が志中生の活躍を見つめてきた。登校坂の松籟坂を「しょうらい」とひらがなで示しているのは、松籟を将来とを掛けているとも初めて聞いた。
昨年まで続いていた生徒会誌の「松籟」は37号の作成に、発汗から携わっていたが、価格競争の波にのまれ、「松籟38号」は隣町気仙沼の東京本社の会社で落札し発行された。私の関わりでここまで来た、30年以上もの生徒会誌との繋がりが、この震災と共に途切れ流され消えたとの気持ちが強い。一部の志中との時代の終わりを感じる。
この「東日本大震災」は、私にとっても多くの人と歴史との終わりを告げている。人との繋がりの「希薄な時代」を強く感じる。しかし、震災で多くの人との繋がりで町は生かされている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:50 】

2013
04/08

自宅の倉庫は無事


昨夜の南三陸町に吹き付けた強風は、震災後初めてと言う位凄かった。トタン屋根や家の壁がはぎ取られるような感じだった。昨夜の夜中12時半から眠れず、布団に入ったり椅子に腰かけテレビを見たり、5時までこんな状況だった。風がピークの時だったからと思う。2時30分ごろは下から揺れを感じたのは「地震」と、地球異変を一晩中体感し、朝方1時間半眠った。夜中の父の咳が酷く、私の常用の咳止め薬を飲ませると、咳が「ぴったリ」と止まった。先生の処方に感謝したい。
昨日の戸倉折立の入口のカーブの写真です。道路の上まで波が押し寄せ、通行する車を波が襲っていた。道路には「小石」「海藻」が上がり、海水も国道まで押し寄せていた。年に数回こんな状況に「国道45号」はなる。県の国道河川管理局に電話を入れようと思うが、この場所の波浪対策をこうじるのは難しいとの関係者から話を聞いた。
昨日の南三陸町の建設会社の「住宅見学会」には、多くの町民の方々の姿が会場にはあった。強風と雨で来場は厳しいと思っていたが、398号から次々に入谷鏡石の場所に車が入り、駐車場は満杯となった。地元の会社の建設で初めての見学会の盛況は、多くの被災者が家を無くし「早くマイホームが欲しい」との現れと思う。移転予定地の造成により土地が確保できれば、被災者の住宅建築は一揆に始まる。建築建材・大工さんの確保を被災地すべての人が心配している。
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フキノトウがこんなにも花びらを広げていた。今日の志小・志中の入学式は、少しの風はあるものの無事に開催されそうだ。暖かい日差しの中で子供たちが新しい学校生活のスタートを始める。志津川小学校は5日に、2年から6年生が25年度の始業式を終え、新入生を迎える。230名余りの人数と言う。1学年平均「56名」位となり、前年度の卒業生が44名で過去最低だった話もうなずける。
3.11から3回目の入学式は、被災地に在りながら「嬉しい家族の一日」となる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:14 】

2013
04/07

結婚式


土曜の結婚式に備え父は体調を整えていた。そんな中での母の退院やベットからの落下などで、看護に係っきりになり、金曜にハイムにショートステイと、一週間多忙での状況で、姪っ子の土曜午後1時の結婚式の「祝い吟」に向かった。金曜・土曜の午前まで、佐藤徹内科の先生に通院し、「38度前後」の熱の中で、夜の咳込みに堪え、91歳の年で無事にその大役を全うする事ができた。
母の食事・生活介護の生活で、姪っ子の為にと全力で、問題を解決し式に向かう父の姿に、私は頭が下がる。「断れば」いっぱい楽なのに、本家の一番の叔父としての役目を果たした。その姿の写真を載せてみた。
詩吟へのこだわりは、吟ずる漢詩の意味を聞く皆さんに伝える事から、吟詠が始まると言う形をとる。詩吟の先生は津波で逝去された前教育長の田生さんで、日國誠流詩吟連盟理事長でもあった。結婚も人との係わりであり、それに繋がる周囲の人との繋がりである。生きていくための人間関係・形成を大切にしてもらいたい。
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この写真は新郎新婦もキャンドルの光に輝いているが、それを見つめる子供の眼差しに輝きを見た。千葉家と阿部家は新婦の両家であり、その従妹たちも幸せな家族を持ち、子供達にも恵まれ、普通に家庭をしている。
現在、町にも晩婚化や独身貴族が多く、悪い世間の時代の流れがあり、代々の家庭生成に途絶えとなる状況が沢山ある。そんな中で我が家は私以外は、今の所安泰と言えるかも知れない。
現在高齢者がいて子供がそれを看ている。その2・3人の親を介護の環境に、色々な事件が発生している。この問題解消には、10代後半から結婚を子供たちに意識させることの必要性を思う、まだまだは最悪の状況に繋がり兼ねない事を、肝に銘じておくべきです。
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写真は今日予定の国道398号沿いの入谷鏡石地区の「住宅見学会」の新築住宅です。木造建築で地元の工務店が工事にあたった。今、大手のハウスメーカーのモデルハウス見学会はあるが、地元工務店の展示会は初めての気がする。
「三陸産材補助金」があり、その他にも「県産材の活用の補助金」の制度もあると言う。今回の展示の住宅は「シックハウス」に対応した、木材での体に優しい建物材をつかっていると言う。その原因の「ホルムアルデヒド」の、接着剤などを使わない工法と言う。まだ先とはなる高台移転の住宅建設の参考にご来場いただきたい。
爆弾低気圧が当地方にも週末影響となるとの予想も、何とか今日はもちそうだ。明日の昼間が最大の影響を予想する。明日は志小・志中の入学式がある。日本の南から低気圧被害が報道されている。明日も予報が外れる事を願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:18 】

2013
04/06

観光立町南三陸町


今年のゴールデンウィークは過去最高の国民の移動がある。仙台・宮城ディステネーションキヤンペーンが今日から初週末を迎える。海外への移動も過去2番目と言う。中国や韓国との国交の不安の中でも、こんなに多くの国民が海外へ行く。仙台空港が「赤字」となっている報道が昨日あり、民間への委託の方向も県では模索していた。
今朝は濃霧に包まれ、「一寸先は闇」のような天気となった。昨日の好天から週末の「爆弾低気圧」の発生を発達を懸念する。写真は3日前の黒崎パーキングに打ち付ける大波があり、これよりも気象は荒れると予報士は言う。千葉県銚子の4月の風速の最高を記録し、その風速は40mを越えた。関東での通行者も歩けないほどの、天候異変が今活発に発生する状態となっている。DCのスタートがする、南三陸町の町民が「おもてなしの心」を持ち、来町者を迎えたい。
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「ここにしかない物を買いましょう」と、志津川仮設商店街に向かう来町者が、こんな話をしながら歩く。写真は31日の突然の大雪の時の風景で、「観光支援」のお客さんには、あいにくの天気は申し訳ないが、記念に残る南三陸町の旅となってほしい。
「語り部」のプログラムには、ガイド自身の震災の体験や教訓の話で、復興計画や津波メカニズムなどの、専門的な事は話はしていないと言う。その他に学校や防災庁舎など、公共施設には寄らない、その取決めの中で観光協会に属する「語り部」がいる。昨年度は17382人が受講し、2月末までながら受講と言う名で、当時の状況を全国から来た人達へ伝える活動をしている。有償での「語り部」ながら、心に伝わる観光支援としての活動と受け止める。売上金額は437件で10177850円であり、ガイド謝金は2579912円となった。バスの語り部ガイドは30分まで「31500円」で、5000円が語り部さんへの報酬と聞き、バスの使用料が残りの部分となるのだろう。
今週も大勢の観光客が南三陸町に訪れる、観光もさることながら、亡くなられ不明の方たちへの「鎮魂」の願いが祈りがある。

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2013
04/05

一歩一歩の変化


2年1か月目近くが経ち、一歩ずつの復興の姿がこれです。昨日開催の志津川保育所の入所式で、あの日の翌日にこの場所に立っていた。
私が幼少時に通った志津川保育所で現在は上の山にある。「ここから集団活動の始まりです」と、佐々木所長さんは言う。0歳児から5歳まで27人の幼児が25年度に入所となった。入所児の名前による紹介は「はい」と返事をする子と、恥ずかしさの余り泣き出す子や、親に抱き着く子など、当たり前の光景がここにはあった。
私の幼児期は両親の家業で、2歳位から志津川保育所に通った。今は何もないが旧志小のプール跡地向かいが保育所だった。保育所に行きたくないと「だだをこねた」ことをいま思い出す。
瓦礫でいっぱいとなった志津川市街地が、現在は鉄骨となった瓦礫の建物も解体され、更地が延々と続いている。あの姿に「志津川はどうなるのだろう」と思い、水源の確認に入っていた水道関係者に水道の今後を聞いた。
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手前は五日町で木造の住宅は全てが無くなっている。中央が防災センターで、右側には鉄骨の骨組みだけの建物が2・3軒残った。左側は志津川病院を中心に、サンポートと電話局・アパート、個人の建物も何軒か残った。現在は「高野会館」と「電話局」だけが西側に「ぽつん」とある。この広がる瓦礫には町民の一人一人の思い出と歴史があり、多くの悲しみが点在している。
金融緩和策が日銀黒田総裁により発表された。市場に資金を135兆から、国債買取などで2倍の270兆を2年間で拠出する。「個人や企業がお金を使い市場にお金が出回る」と言う事で、デフレから脱却を図る。白川から黒田と総裁の変わりを、「オセロ」と評した言葉に納得した。「マニタリーベース」は大丈夫か?と解説者は言うが、勉強しないと。
東日本大震災の義援金が「225兆?」と言う。最高が米国の30兆で、二番目が台湾の29兆だった。この結果に「台湾仏教協会」の義援金3万円を頂いた、活動を思い出す。他に発展途上国からも6兆?の義援金があった。日本の世界への義援金や途上国への資金提供があり、その「お返し」としての、全国からの義援金となった。
今日からスボ少があり、「志津川剣道スポーツ少年団」となる。地域の剣道事情や伝統も歴史も知らずの同名の団体が誕生している。地元の「志津川剣道協会」の会長への相談のない、この紛らわしい状態の解消に、管轄の教育総務課の今後の対応に期待したい。

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2013
04/04

南三陸町の再建問題


昨日は「紹介状」と予約の必要な石巻日赤の眼科に、朝の仕事をして8時30分にでかけた。眼底の造影剤の投与ながら、生々写真で申し訳ない。現実から目を背けても何の問題解決にもならない事を判って貰いたい。
12時30分に帰り「ローンの利子補給」の書類を銀行にもらいに行き、その足で役場の復興事業推進課へ、書類の提出をした。2~3週間で利子の補てんが決定で、建築許可申請を提出し受理され、やっと建築が開始される。
建築の確認されていなかった倉庫の登記を済ませ、銀行の書類がまとまり、最後の書類の支払計画を添え役場の書類の全てが整った。この期間1か月間があり、総ての書類提出にかかる各機関の時間は、お役所・企業の仕事にあり、総てが同様の被災者や事情により、時間を要している。「緩和」「ワンストップ」がなされてもこの現実がある。
帰ってからは来客のあり「贈与問題」の相談に来た。兄弟の贈与ながら今まで音信不通だった贈与対象者を、どうしたら解決できるかだった。とりあえず「行政書士」を紹介した。町の建設事情の情報を聞くと、商工団地付近で土地造成・住宅建設が一揆に進んでいる。高台移転を進めていた方がいて、志津川地区の3地区の27年度末の造成完了まで待てないが、こうした土地の確保と造成建築へと繋がっている。私の知る方もこの名前にあった。
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27年4月から新病院で診察が始まる。そんな状況下で母の認知症と介護をどうするか、我が家の最大の問題がある。母の介護で全てに影響が発生している。退院・父の疲労・自分の時間の束縛・・・がある。我が家の共倒れを懸念する。やはり「福祉介護施設入居」しかない。自分の目も順調な治療とはないっていない事で、更なる通院が医師より指摘された。
それでこの写真はないだろう。と皆さんは言うかもしれない。この夜は初めて方たちと同席の会話があった。被災し仮設で子供を育てているお母さん、「大変です」とは言うものの子供たちの姿とお母さんには笑顔が溢れていた。子供達から元気と頑張る力を貰っていると直感した。私も家に帰れば両親の世話があり、現実に戻った時に脱力感に襲われ、「よし頑張るぞ」と言う心を削がれる事となっている。しかし、子供の未知の力を理解している。
その時間のさなか「母親がベットから落ちた」と、父からの連絡が入る。やっと病院から退院し、病院での「家へ帰る」との看護師さんへの迷惑を回避したと思ったら、家に帰れば帰ったで又問題発生です。今朝6時には家を出たのでヘルパーさんに、「身体が痛い」などの更なる問題発生を心配している。
今日は志津川保育所の入所式に出席する。こども達の笑顔にまた救われる。私にいったい何ができるだろうと、自問自答する一瞬がある。結婚式が土曜にあり、来週は志小・志中そして志高の入学式が月・火曜日に、水・木は目に注射、金曜は会議、誰かの為にはなっているだろう。

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2013
04/03

被災地は日々変化


南三陸町の総ての漁港の工事が本格的に復旧工事が始まっている。水門は2級河川は残骸の水門が外され「護岸堤防となり、以外の小さな水門は従来の形で復旧されるが、防波堤と同じにまだその始まりの風景は遠い。
「NPO」の進出が被災後は多く、被災地支援事業をするとして入ったが、その支援がされないままで消滅している。ある浜には水産業の復興・雇用など支援に来て、その代表陣に町の水産のトップや団体の幹部が入ったが、1年もたたず何の成果も出ずに撤退したと聞く。最初の希望・考えと違った状況に、国からの多くの資金を受けながら、震災・復興の名の元に、金目的に「アリ」のように群がる。地元の参加した人全てとは言わないが、とにかく人間の意識が津波により混濁しているようだ。
朝のラジオで、岩手の自治体も復興で入った「NPO」に、町の町長・副町長・関係職員の責任を、第三者委員会で資質・見識の劣る事で、このような事になったと指摘した。NPOの経理の姿や使途不明金など、国からはもとより町からの資金提供もあったのだろうか、委員会は町の事業展開に怒りのトップの関わりと、職員知識の見識低下を、今回の問題の原因と言う。
私の所にも来たNPOも「又、来ます」と言って、すでに半年も顔を見せていない。二転三転する提案に不信感が募り、経過と行動を見ていた。初めのNOPは、私の関係会社の営業の方を通した知人の紹介で、現在名古屋で出資者が裁判を起こそうとしている。復興のためにと言い、素人が再建事業し、そこに被災地復興もあるだろうが「儲かる」がある。
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田の浦の「うたちゃん」も笑っていた。
民主党の前平野復興大臣が民主党からの離党を決めた。メディアは「当選できないから民主党を離党した」と言っている。私は被災後初めての復興大臣、直後の被災地の為に奔走し、早期の復旧やあらゆる問題解決にここまでやってきた。この係わりに道半ばで「蚊帳の外」は、自分的にも納得いかないのだろう。民主党での政権獲得はもう無理で、被災地岩手出身でもあり「地元の再建に深く関わりたい」が本意で、離党の訳を当選の為とは私は思っていない。
7月の「参院選」はすでに始まっていた。選挙無効の「一票の差」の問題もあるが、無所属での出馬で選挙に臨む。小沢大国から厳しい船出だが、海面下で色々な動きが見え隠れする。

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2013
04/02

スーパーを早く!


歌津地区の商店街形成をどうするかは、現在も歌津の「町づくり協議会」で議論がまだ続いている。伊里前の昔の賑わいの復活が、歌津地区の再生に繋がって見えてくる。
町は現在の場所での商店市街地を再生し、枡沢地区に現在多くの店・事業所が再建され、枡沢団地は奥の奥まで色々な町再生の施設の建設があり、高台移転もこの地区に伊里前から住民の半分がここに移転を計画する。町の考えだと郊外には量販店などの、地元商店ではない他所からの郊外型の出店を目論んでいる。人口の減少は志津川地区よりも少なく、地域の結束を強く感じる。そんな地域と歌津を考えている。
3月までで「ワカメの生産」わ終える。と、そちらこちらから聞く、今度は牡蠣を4月5月とするが、ボイルでの出荷だという。
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昨日のシルク総合開発の開所式には、入谷地区の皆さんが出席され、新たな入谷地区への企業再開に祝福に集まってくれた。
最後に事業の再開でのスタッフが紹介され、高校生の7人が就職し、地元「志高」からは5人で、その他にも1人の8名が檀上で自己紹介をした。若きスタッフを交えたシルク総合開発の入谷工場が、この4月1日から始まった。シルクアミノ酸・絹などの生産があり、遊休農地の解消と雇用の創出など、企業誘致の成果が今後南三陸町で発揮される。町に新たな山内じんのじょうが開拓した、繭の隆盛がまた再開・生まれようとしている。
4月となって、被災住民は「国保の3割負担」が始まり、減額・免除がなくなる。

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2013
04/01

南三陸町での旅立ち


25年度の始まりは救急自動車が北から南、そして東から西と「ピーポー」の音を町内に響かせていた。
私にとっても今日はいつもの年度初めとは違う気分となっている。身近な高校生の大人としてのスタートが他人事とは思えない事にある。朝2時30分には起き「日テレニュース」と、4時からの「おはヨン」の中田さんの笑顔で、情報収集から、いつもと同じように始まった。
今日は寒い朝で勿論フロントガラスは凍結、物干し竿の雫が丸く点々と凍っていた。朝5時からの駅前に洗車を予定し、凍結を心配したが大丈夫、日中に時間がなく「愛車洗車」し新たな気持ちで一日を始めた。就職した教え子に写真の「日の出」の眩しさを送りたい。君たちの晴れの門出、この太陽のように南三陸町で光輝いて欲しい。そして今日の日の気持ちを持ち続ける事を願う。
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私はこの場所の同僚の死を忘れない。一日も早い「慰霊碑」と「避難塔完備の慰霊の丘」の設置を誓いたい。昨日は雪景色の姿を見せていた。
今日も朝から父親の繰り返しの質問攻めに遭う。「母の今後」と「家庭の今後」と年度の初めにふさわしい話題ながら、朝5時から話す話題としては重過ぎる。今週末の従妹の結婚で昨日は床屋を済ませ、私に気遣いながら、自分ペースの生活がある。やはり91歳は高齢で両親は同い年とあり、二人の介護施設への入居は近々の課題で、理想は在宅介護ながら私一人の手は負えなく空いてはいない。この理想と現実の狭間で対策を講じないといけない。
朝のNHKの焦点・視点で、「緊急雇用政策」を題材で専門研究家が解説していた。被災地の緊急雇用は今年限りが原則としてある。有償と無償の作業・仕事に格差もあるが、被災地では必要な制度と言う。現在の日本において行政・自治体の「緊急雇用制度」は、常設として被災地のみならず今後必要と言う。一時期ではなく今の社会情勢を考えると、政府の政策として緊急雇用の形態を、あらゆる面で検討が必要と言う。
子供たちに「心の豊かさと安らぎ」を備える為に、読書が必要と水俣市の市長が言う。熊本市の10分の1の6400万の図書館費なから、図書館にスイーツの店を置いたり、調剤薬局に図書を置いたり、100冊まで一括貸出など、「水俣病の暗いイメージからの脱却」を図るためにも、子供たちに本を読んでもらい、物を大切にする気持ちを養う活動を紹介していた。
今日は午後に南三陸町に震災前からあった「企業誘致」の、「シルク総合開発」の開業式に関係者が招待されホテル観洋で開催される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】


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