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ARCHIVE - 2013年03月

2013
03/22

復旧と復旧


志高と志中からしか「福祉の里」の全体を見る事は出来なかった。正面から見える場所へ立ち志津川市街地を見渡した。何も無くなった町だけが広がり、2年が経っても復興などは何一つ見えなかった。
「福祉の里」は近々解体されると聞いた。地元の有志で建設された老人ホーム「慈恵園」、私の叔母や同級生など多くの入居者、そしてディサービスを受けていた入谷地区の多くの方が、この高齢者の憩いの場所「福祉の里」で亡くなられた。
沢山の人はここに諸々の思いでがある。私は旧志津川中学校として、桜やポプラの木が思い出として大きく心に刻まれている。津波襲来は正面と旭ヶ丘の上り坂からの二カ所から、福祉の里に押し寄せた。この日は「芸能大会」が高野会館であり、福祉事務所の職員も多くが、会場の「高野会館」にいて何とか難を逃れた。まだまだ多くのトラマが「福祉の里」にはあった。海抜13メートルのこの場所は今後どのような復興を遂げるのだろうか。
昨日の「まちづくり協議会」は西地区の大きな計画変更が伝えられた。予定地から硬度の岩盤があった為と行政より報告があった。26年の造成完了で高台移転が始まるはずだったが、行政は用地の変更しながらできるだけ早く変更整備したいという。昨日の会議での発表で、まだ西区移転希望者には伝えていないと言う。一日も早く伝える事は当然の事で、移転者は今後の方向性に再度検討を余儀なくされている。
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志津川駅前は以前の姿を消し痕跡さえ何もない。その向こうに見えるのはマツダ本社跡地の瓦礫の山です。その先には高野会館が見える、その左側に「モアイ像」と「イヌワシ」のモニュメントがあった。
一昨日のラジオで南三陸町へチリ国から贈呈される「モアイ」が、東京の丸の内で一週間展示され、多くの人が集まっている、と放送されていた。志高情報ビジネス科考案の「モアイ君」の缶バッチが配られ、雄新堂さんの「モライ伝説」も会場で紹介されていた。この後は大阪でも展示され、5月には南三陸町に来る。
町の高台を繋ぐ道路は「早期開通」をと昨夜も話がでた。子供たちの「送迎バス」による登下校は、肥満へと繋がっているとも言っていた。志津川市街地の三地区を結ぶ高台横断道路は、現在高台で暮らす子供たちの通学路となる。志小・志中・志高の学校を結ぶ「高台移転横断道路」となる。母親は早期開通を願っていた。
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