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ARCHIVE - 2013年03月

2013
03/11

南三陸三回忌


平成23年3月12日の朝はこんな雪の寒い日から被災地の復旧復興は始まった。私の目には当時の建物などの大型瓦礫は無くなったものの、何も変わらない広々とした、あの時の光景に感じる。被災地のある方が言っていたが、「ここでの再建がされて初めて復興だ」と言う。こことは元の住んでいた場所である。
昨日は同級生や親戚、気になっていた数名に線香を手向けてきた。当時の事そして今に至るまで、家族しか知り得ない、亡くなられた家族の話、「なんであの時」がまだ家族の心には強くある。少しの生と死の狭間での、行動・運の違いに現在の差が、余りにも大きすぎる現実としてあり、今を生きていると言う。将来の孫・子供達の為に、心落ち着ける日まで、ゆっくり笑顔が戻るようにと、声を掛ける事しかなできなかった。
震災死は約2万人となり、15000人の死亡と2700人の不明、震災関連死が2300人となった。まだ震災による入院もあり、精神的に苦しむ皆さんもまだ多い。そんな中での政権政府・自治体の震災対応のリーダーの、復興の何なるかの真の絵を気持ちを描けない持てない、震災復興に「言葉だけの」計画・議会・対策などがある。昨日の被災者多くの不満は、私の気持ちとも通じ合う部分で、何が復興なのかと考えさせられる。

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今日も「防災庁舎」の寒々とした赤茶けた鉄骨がそびえ立つ。「なんでまだあるの」の声は昨日も聞いた。「見ると思い出す」、「子供達も見るのもいやだ」。そして庁舎の事など関係なく、今を一生懸命生きていると言う。
昨日の報道の検証では、20㎝で車は流され、人は足をすくわれ流される。海上の潮位計は7分間での5.77mの海面隆起と5.05ま海面低下での、女川を襲った津波の脅威を伝えた。引き波の速さ力に町の全てのものが、海に引きずりこまれる姿は、正に生き地獄と言う。1万人の人口で870人が亡くなり、261名の不明者の意味は引き波による物と理解できた。釜石の防潮堤は海底から33mと言う、20階建ての一塊3.6トンのコンクリートが、「洗掘」と言う現象により、津波の脅威の力で破壊され海底に沈んだ。1200億と言われる1200mと600mの堤防の建設費1200億が、海の藻屑となった。国交省の津波防災対策担当者は「防潮堤は高くする事は考えていない」と話す。これが検証による津波対策ながら、我が町の対策は、検証前の国の防災対策そのままを計画しているしか言えない。
私は行政トップに聞いた。「復興計画は国からの計画そのままで」「町独自の津波への防災対策になにか」をの問いに、「町の考えで復興計画を作った」と言う。こうした検証からの津波被災の新しい町の姿を、独自計画での再建を考え発信するリーダーの出現を、私は思う。
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