ARCHIVE - 2013年02月

2013
02/28

薄氷を踏む思い


参院の補正予算が一票差で可決した。通過しても衆院の可決が優先するが、「薄氷を踏む思い」の発言は、自民の勢力は大きくなりつつあるが、「謙虚」に国政にあたっているとのアピールと、安倍総理の愛国の保守的な気持ちの表れを思う。
今日の朝もフロントカラスは霜で覆われ、7分のアイドリングを要する。荒町までの通勤は8K往復で多い時で5回はする。それを一日を欠かす事なくしている。こないだ月の平均のガソリン代を調べたら、5万円前後の推移で、フルタイムの4WDでガソリンを必要とするタイプの車のためとも言われた。
写真は未だに圧雪・凍結の工場までの道で、昨日はすれ違いで深い雪に踏み入り、脱出に苦労した。小川の方にタイヤが空回りし危険の多い道である。春になると「田お越し」などで、地区の農家の人たちが頻繁に道路を使う。「並石線」と言い町道でもある。
被災前の一般質問で「並石線の整備を」と質問した。大災害が起こり既存の町道は「入谷横断一号線」を初め、総ての改修道路工事が手を付けられない状況となった。被災された方々だけでなく、被災を免れた人たちも、町の営みが機能していない状態での生活の苦労がある。
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歌津地区の伊里前市街地を通る度、何も無くなった市街地で、頑張っている「熊谷酒店」さんが気になっている。歌津の仮設商店街は10店余りが、肩を寄せ合い地域の買い物の場を提供している。伊里前は国道の嵩上げと防潮堤の8.7mの整備があり、その背後地を含めると伊里前市街地の町の形成は昔どうりとはいかない。代々続く自分の土地の愛着と、やれるところまで営業を続けていく、との根強い商魂なのだろうか。
これからの町づくりには、「絶対この町で再建する」と言う強い決意と責務を持つ事が必要ながら、この未曽有の大災害に、諦めともとれる町を離れる人達も少なくない。そんな中での歌津の「熊谷酒店」さんの姿に学びたい。見て感じるだけの私の考えながら、「南三陸町」の存続を心配する。
町の状況は人口の推移にあるが、知りえた情報に驚くが、紹介するのは控えたい。
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2013
02/27

この童の為に


昨日は11時から旧藤浜小に向かう398号のパーキングで、本吉・気仙沼で初めての「防災集団移転」の地鎮祭・着工式が100名の関係者が参加し行われた。8台のテレビカメラと多くの記者、そして関係者や地域の人たちが再建のスタートの祝いに駆け付けた。
20地区28団地の工事が24年ここから一揆に始まる。藤浜は10世帯46名の「防集」で、造成工事費は165375000円であり、25年12月に造成完成予定となっている。津波被害の海岸線の復旧復興の集落の姿は、美しい完成予想図が示され、私は28団地の総ての再生の姿を全国に伝えたいと思う。
5戸以上で「防集」が成立する。5戸での地域再生は、荒砥・袖浜・合羽沢の三地区があり、私の知人も28団地とは別に今計画しているが、できるのだろうか? 66.8haで1096戸が計画され、ここに名を連ねている人たちは、間違いなく地域に残る事と思う。造成終了は早い物で25年12月で、半分近くが26年度中旬となり、長いもので27年12月となる。「防集」は地域民の合意・同意の中で計画されている。志津川市街地は27年度末ながら、地区民の同意は全てが一緒かと言うと、まだ数も流動的である。
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藤浜地区の防集を祝い、戸倉中学校の生徒による祝舞「長清水鳥囃子」が、着工式に披露された。春に向かう暖かい日差しが祝舞を包んだ。
大太鼓の音で始まり、笛・鐘・小太鼓の軽快な囃子が始まると、来賓者が身を乗り出して戸中生の長清水鳥囃子を見つめ、出てきた獅子舞をカメラで追う。多くのメディアも子供たちの活動の姿を紹介し、県内・国内へとこども達による地域芸能が伝えられた。
獅子舞の頭には戸中の生徒会長の小山君がいた。獅子の口からの垂れ幕は「祝南三陸町まちづくり事業着工式」と書かれていた。
小山君は「戸倉剣道スポーツ少年団」に在籍していた。最終目標の「剣道二段」の取得を被災後の審査で合格した、頑張り屋である。小学校当時は5年からリーダーとして仲間を引っ張り、最終学年には本吉地区少年剣道大会で、初の戸倉剣道に優勝をもたらし、個人でも優勝した。低学年から小さい体で団体の「先鋒」として役目をこなし、今は私よりも身長も大きくなっていた。長清水鳥囃子も生徒会長として、学校の仲間といっしょに、生徒数が少なくなった今も笑顔いっぱいでみんなと頑張っている。戸倉中は27年度からの統合も議論されている中であるが、戸倉地区は「絆の強い所」と誰かが称賛をしていた。
今日は・・・。今度の3月予算議会は、9人の議員が町への質問の檀上に立つ。

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2013
02/26

町はダイヤモンド


朝が明けるのもずいぶん早くなり、陽の光も温かく感じるようになった。朝5時半に水尻川の水門からしばらくぶりで夜明け前の荒島の写真を撮りました。
小さくなったベットの母が「今日は寒いね」と言う。昨日、一週間のメアーズでの「ショートステイ」から帰り、親子3人の生活に戻った。戸倉荒町の小川沿いに「山の工場」に向かう道路は雪はさっぱり解けず、今日の寒さか車のライトで、雪の上がキラキラと輝く、初めての光景にダイヤモンドを散りばめたように映る。山の工場は氷点下5度を寒暖計は差していた。7時から印刷を始める為に、エアコンとストーブで温め、15度とならないと仕事にはならない。国道沿いの事務所に変える途中のラジオで、津波注意報は「3m」津波警報は「5~10m」と言う、確実な事を再確認したい。津波基準を変わるとの内容だ。昨夜も栃木で震度5強?とか聞いた。3.11の大震災後は地核変動により、日本各地で地震活動が活発となり、余震か新たな動きなのか、地震学者でも測り知れない実情を思う。
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今日、登米市で「みなし仮設」としての、県の借り上げ住宅としての、アパートや借家などで生活する、南三陸町の人たちが集まる会がある。被災前から親交のあった方が私と会いたいと「議会事務局」まで電話をくれた。今日は11時から戸倉藤浜地区の「防災集団移転第一号起工式」があり、出席するので行けなくなった。次回は必ずいきたい。来月には直接家にうかがい、現状はどうなのかを伝え、聞きたい。
人影と共に夜、被災地に「明かり」が灯った。昨日紹介した「くう海」で本設の志津川地区のすし屋さん、歌津管の浜にも「すし屋」さんができたとも聞いた。「待てない!」が町民の心にあり、いち早く動いた事業者は、その努力が報われている気がする。
そろそろ山に行かないと!

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2013
02/25

終の住処


登米市柳津の土地付き建売住宅のチラシが土曜日に入った。1650万~1850万円の価格設定で、土地は50~70坪で建物は総二階建約30坪、狭いながら価格設定も被災前よりは高い。家の間隔も写真の通り土地いっぱいであり、建設業者の利益主義が見えてくるが、建設資材の高騰もあるようだ。
昨日は知人が道すがら会社に寄った。何かと聞くと石巻のハウスギャラリーを見に行くと言う。資金が潤沢にある被災者ばかりではなく、3千万・4千万の住宅建設などできるわけもなく、ごく一部の人の建築スタイルの建築設定のように、建築住宅ギャラリーは私には映る。
昨日の「福興市」は新たな位置にて開催され、その場所を見に行こうと思ったが、来客や書類のまとめで市街地に行くのが4時頃となり、さすがに片付けられていた。その後また、亡くなられた方の焼香に行ってきた。その帰りに「くう海」が開店とあり、顔を出してきた。
「いう海」は被災前には「すしの青葉」だったが、新しく生まれ変わり改名していた。旭ヶ丘団地の下に位置し、建設が始まるもなかなか開店とはならなかった。これが被災地の大工さん不足である。
入店すると被災前のままの奥さんの「いらっしゃいませ!」と元気な声で迎えられた。仮設での再開ではなく本設での店内はまるで違う。土地さえあれば多くの事業所は、事業再建補助を大部分が受けているので、「早く本設したい」が事業所の本心である。店内は満員のお客さんで、知人・お得意さんが開店を祝いに駆けつけ、笑顔笑顔とご主人の威勢のイイ声、奥さんのテキパキとした動きに、当時の「すしの青葉」を思い出す。
先ごろ「石巻工業団地内陸に造成へ」との放送をラジオで聞いた。104社の被災再建の4分の1の会社が対象で、20haを用意し新年度予算に計上していた。理由は石巻市外への企業の流出を防ぐためだ。市の税収の減額を防ぐが第一の目的だろう。
我が町の危機感のない現在の町の再建手法には疑問がいっぱいある。


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2013
02/24

復興へ


こないだホテル観洋に「フォーラム」があり、出かけた時に志津川市街地の全景をしばらくぶりで見た。見える漁港部分と高台の学校、そして背後の山並みは見る限りそんなに変わりなく目に映る。しかし、被災後の夜は市街地の灯りは一つも無かったが、現在は電柱の整備も進み市街地は光を灯し、町から再生される姿が見打てくる。
また、昔の名士が亡くなった。南三陸町前の志津川の「助役」として、2代前の町長を支え町の発展に尽力した。まだ若く私の叔父と同い年と言う。今回の震災による心痛で町民の多くが死期を早めている現況が、我が町にはある。
今までの過去にはない町の危機が現実にあり、普通の国からの復興案や資金だけでは、町の存続は厳しく、町民の「町再建」の意識の拡大と、復興への力の結集の継続が無いと、昔のような素晴らしい美しい町の存続も再建も難しい。
明日は一般質質問の通告締め切りで、今回は「町民の生活再生のための生活環境整備を早急に」で、大型スーパーの出店を積極的に進め、町民の買い物の場確保を一日も早くと訴える。もう一問は「学校の防災教育による津波対策は万全か」です。名足小学校の被災した学校が25年度2学期から再開する。子供達・先生方の町の防災マニアルに関して教育長の考えを聞く。

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写真は「小森御前」前から開発が進む、御前下地区を望んだ。スタンド「宮城商店」さんがいち早く新店舗で営業を始めた。この場所が被災後の一大的な商業地商店地となると私は思っている。急ピッチでの自分の店を出店する事は、安定した顧客の確保に繋がると、我先に土地・建設業者の確保で動いていた。
被災地でも幸せへの出発の声も聞こえてくる。来月にはゴルフ仲間も少し遅いが、家庭と言う幸せな場所を確保する。また、家族の津波による突然の死に、帰郷し女性との出会いで幸せを掴むと言う。被災しても辛い事だけでなく、幸せも多く生まれる。最近の町の広報でも「結婚した方」「子供の誕生」など、被災直後の死亡者だけの欄が、今は逆転しているようだ。
婚活努力に「あなたも!」と周りに良く言われるが、私は私のスタイルを貫きたい。

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2013
02/23

聖域


「聖域なき関税撤廃には参加しない」と今朝、安倍総理が記者会見をしていた。国産牛肉・米など関税は維持しないと、農業者の衰退と減少に拍車がかかる為に、国益は国民の生活を守るがある。その他も国益を考えてりTPP参加は避けて通れない気がする。
今日の写真は宮城県の合庁跡地です。ここまでが八幡川のバック堤(河川堤防)の位置と行政より説明を受けた。海抜は6メートルになると言う。「本当なの?」。三階建ての県合庁の屋上に避難した人々は辛うじて助かる位の津波が、千年に一度のL2にあたる。百年に一度のL1と言われる津波は、「宮城県沖地震」の想定津波の7.5mへの、今後の津波防衛体制のバック堤の位置となる。現在ある志津川仮設商店街は後3年半で解体されるが、この近隣にはドラッグハウスが2軒建ち、その他にも町の飲食店が出店を予定している。
今日の河北新報にも「ウジエスーパー」が写真の場所に出店を希望しているが、行政との都市計画との重なる部分があり、出店計画の縮小を余儀なくされている。被災前まであった大型スーパー「ウジエ」の出店が今回白紙となれば、町民にとっての買い物の場の確保がされなくなり、困るのは町民である。多くの商店主はウジエの集客力は、自分たちにとってもプラスと言っているのに、なぜ行政は「買い物難民救済」として、真剣に町民の事を考え建設に前向きに取り組みをしないのかと思う。多くの商店街がこの部分に集まる事は、復興への足掛かりまた姿として町民上げて喜んでくれると思う。
しかしながらバック堤の最終位置がこの場所なのには、多くの不安がよぎる。4mの津波でも八幡川の遡上は「津波増幅」と常々言われているのに、政府のバック堤の防衛想定はここで大丈夫と言う。また、L1規模の津波で復興した商店域の被害発生となると、南三陸町の再生までもが危ぶまれる。国県からの町づくりへの助言も必要だが、町民の考えも多く取り入れていくべきと思う。だが時間は待っていられない。
住民の意向調査は志津川地区に置いては昨日までながら、21日時点の集計は298世帯が移転の報告がされ、あと100世帯からがまだ意向がされていない。私の知人ほか数世帯は3地区への移転希望を当初したものの、すでに他町に土地取得と建設へと歩みを進めている。厳しい町再生の現実がある。
私は両親の為・自分の為に、幸運にも残った高台の倉庫用地に住宅を建てる。待ってなんかいられない。両親は共に91歳となった。

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2013
02/22

mas


昨夜の「町づくり協議会」の高台移転部会には多くの傍聴者が集まった。顔ぶれを見渡すと二人くらいしか判らない。意外と私は人を知らない事を自覚した。
16人が参加したが8名が欠席で、だが部会としての参加率はいつもより高い。一人ひとりの発言では個々の意見や考えの違いがあった。区割りについての考え方を、参加したすべての人の意見を聞いた。これまでの「ワークショップ」から、次の段階となった気がするが、進め方・別の問題点がだされ、また議論がそれた気がする。
私は現実的な事の議論をもっと深めた方が良いと思い、「行政区ごとの移転」に少ない地区の方との融合で100世帯を理想としたい話した。100坪の取得基本はその世帯の中で、資金力により調整すれば良い。今の人口流失問題は土地の確保に時間と価格が掛かる事に起因している。スピード感を持った高台移転が求められる。移転の形は自分の将来性と資金力により、土地付き戸建か公営住宅となる。この部分は移転の土地の価格がある程度決定したので、2月22日まで「意向決定」をお願いしたいとぎょうせいは話す。移転の住民の意向が決まり、必要な土地の面積が決まる事で、移転地の買取確保など広さが決定し、高台移転が前に進む事ができる。
写真の「mas1」が志津川仮設商店街の中にできた、友人の「田中前」の場所です。テイクアウトで自慢の奥さんの焼く「お好み焼き」を食べてもらいたいと話、店内でも食べられる。初めての人は迷路的な感じがあるが、商店街の探索もまた楽しく、お目当ての店を発見する前に、新たな名産品も店に入り見つけられる。
中小基盤機構の制度は5年で、あと3年半ぐらいで仮設商店街は撤去される。出店まで個人店の経費も掛かり、回収となるかはギリギリだろう。今後の商店の自己再建と、また新たな仮設商店街の形成をどうするかが、今後の課題としてある。
今日はデスクワークとなるが、狭い会社事務所での「一般質問」作成には、私の居場所はない。

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2013
02/21

言葉が見つからない


昨夜もトレーニングジムで剣道の後輩でありジム仲間の知人に、震災での多くの家族の逝去を聞き言葉を失った。新井田地区は私の知っている方も多く、亡くなられている事は知っていたが、天災とは言え「神も仏もない」と、その話からその惨さに慰める言葉がみつからなかった。新井田地区は震災前は約200世帯の住民がいて、町営住宅にも多く町民が暮らし、また町の新住宅地として、チリ地震津波後に新井田川の奥隅々まで開発され、2世代3世代とその家の代々の生活がこれまで続いていた。今回の津波で「120名前後の方が亡くなられ、南三陸町で一番の犠牲者となった地区と思う。「チリ地震津波でもここまで来なかった」と言う過信が、多くの犠牲者を出した要因と言われている。町内多くの人たちがまだ震災から「心の傷」が癒えていなく、まだ一歩を踏み出せない現実がここにもあった。
国会で「災加算金」が14%しか給付されていないと、高台移転が進まない実情を政府に問いかけていた。それは被災地の諸々の厳しい状況を、国会議員の大部分が肌で理解していなく、机上の数字だけの事を言っているだけだと思う。
三陸産ワカメは全国の7割を占めていて、週初めに「初入札」があったが、昨年の3割安だと言う。ワカメの養殖は復旧したと思う、そこには自然の大きな力がある。被災後の品薄の高値があり、今年の3割安でも平年価格から比べればまだ高いと思う。17日から東京からの教え子のボランティアの仕事は、歌津地区のワカメの加工だったと言う。漁師の方は優しく指導してくれたと話していた。加工作業の人件費がポランティア支援で経費が掛からないのは、事業・生活再建の資金となり大助かりだろう。
平均月収が「31万7千円」となり、1990年の調査を初めて最低となったと言う。ボウナスも含めての価格で、年収は約380万となる。しかしながら残業が増え、正規雇用が減り、非正規に企業が雇用体系を変え、支出を減らし内部留保を増やしていると、野党や働く人は言う。やぱり我が町ならず地方公務員の平均500万越えは高い。地域にあった公務員報酬は、町民も当然と多くが言う。
夜間走る車の「片目走行」を危ないと思っていた。最近自分も「何か暗い」と感じ、目のせいと思っていた。今朝さすがに暗いとライトの汚れを取った。前初灯が消えていた。今日自動車店に連絡し修理してもらう。
写真は本浜地区の志津川漁協の解体が始まった。

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2013
02/20

変わらない?


あの津波で何も無くなった「千葉家」、周囲は99%の解体・基礎撤去・整地への進んでいるのに、我が社・我が家だけは未だに、その残骸を露わにしている。建設課に話すも解体はしますと言う。昨日は雪の中の本浜道路を通ると、「甦れ南三陸町」を掲げていた、さかなのみうらさんも解体となり、漁協は解体中で漁網会社の二階建て鉄骨は跡形も無くなっていた。「都市計画」が指定された志津川地区は、「基礎撤去」は町で行い資金は国から復興交付金で賄わられ、町づくりは行政主導で被災地の再生が成される。まだ! なぜ?
昨日は葬儀に参列した。弔電には「安倍晋三内閣総理大臣」からがあった。多くの町の名士が集まったが、平時ならもっと沢山の町民が集まっただろう。「ぴーちゃん」と幸せだった頃をひ孫が話していた。今日から私の母は一週間「ハイムメアーズ」さんでお世話になる。銀行から下ろしてと父から通帳を渡された。介護施設に2万、その他に「法事」「結婚」と、千葉家の本家としての役割の出費があり、「必要だから」父は言う。一か月「3.5万」の国民年金、二人で月7万、私がいなければ生活は出来ない、これが「高齢者夫婦」の被災地域だけでない、日本の家庭状況と思う。こまい事を言えば電気・水道・食品・・・そして税金など、年金だけでは普通の生活などできない。生活保護の増加を我が町でも起こると懸念している。意外と「ハイムメアーズ」にお世話になっている人が多く、その重要性を感じる。町にあった「特別老人ホーム」の土地は決まったが、その再建の姿がなかなか見えない。
「ローン金利補助」の申請は意外と問題なくできそうだ。それは少しの会社事情と行動力が私にあるからで、昨日も登米町の「法務局」での書類取得があった。「り災証明」を持参すれば書類経費が掛からない。そこにはお二人の老夫婦が悪戦苦闘している姿あった、震災により今までない事をしないといけない現実に、行政としての支援の必要性を痛感した。
今日は少しは会社に居れそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:04 】

2013
02/19

書類の山


国・県の補助金申請、銀行の借り入れ申請など、多くの書類提出に頭を痛める。グループ補助事業の県への申請にも自分自身であたり、頭の悪い私には多くの苦労により内定・受給を昨年受けられた。そして今回は「住宅建設」での「利子補助」を受ける為に、今準備をしている。、「り災加算金」は書類は簡単ながら前段の申請が終わらないと受給はできない。国の被災者救済の補助金には多くの書類が必要で、町がその業務の受付をしている。これを活用し再建する全て高齢者家庭ができるだろう? 心配する。個人の財産などなく、マイナスからのスタート、現金さえあれば何の事はない。事業の早期再開に共済建物の少しの保険金は全て使いはたし、不足分は他に借り入れもした。倉庫用地としての土地は何とかあるが、住宅建設には「ローン」を組むしかない。
昨日、水尻川で多くの白サギを見た。被災前は一羽を時々見るぐらいだったが、サギも海岸線の住家を無くし、私の町にも多くが集まっている。被災した窪みの水たまりに15羽がいた時は驚いた。この日も干潮時の川の浅瀬に10羽以上が集まり、エサを探している様子だった、近づき写真を取ろうとしたら、いっせいに飛び立ってしまった。住家を無くした人間と似ているとその時感じた。
突然知らない電話番号が来た。「何とかして下さい」と言う。志津川市街地で事業をなさっている方で、志津川市街地の都市計画から外れ、自宅でない事業所としての土地の、基礎解体を個人でやって下さいと、行政から言われていると言う。私の仲間も同等の事を言っていた。「そんな事はないだろう」と思っていた。「危険区域指定」は基本的に、住家は買い上げられ基礎撤去されるが、それ以外の工場・事務所などは、勿論買い上げられないが、基礎は国県が整備すると思っていた。ましてその二人は志津川市街地の周囲ながら、繁華街と言っても良く、事業の再建・住宅建設など再建に向かう中で、道路一つはさんで、こっちは解体するが、前は自分でやって下さいは、余りにも不公平である。「復興庁」「復興局」などに掛け合うも「そっちへ」とたらい回しにされ、結局「自己解体」と言う。こんな土地が市街地には歯が欠けたように点在する気がする。
今日も「大雄寺」の葬儀に参列する。

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2013
02/18

何だろう


サンポート跡地に積まれている物が何なのか伝えたいと、毎日ここを通るたびに考えていたが、実行できなくていた。山から切り出された杉の枝葉が木材と共に、ここなど一時置き場として各地区に置かれている。しかし、まだまだ町内の津波襲来の山裾には、「塩害杉」がある。24年度末には基礎瓦礫、大型建設物の解体撤去があり、25年には震災瓦礫の焼却も終了する。一年一年「復興計画」に添って町は生まれ変わりつつある。
広域消防に勤務し殉職された方をまた二人知る事となった昨日、身近な人への墓前には手を合わせたものの、「あの方も」と驚いている。また「生と死」の厳しき現実に、「人生の綾」的な終末の出来事を聞いた。2年目を迎えようとしているが、知らない事がまだいっぱいあるようだ。荒砥から戸倉在郷、廻舘から折立、塩入から戸中など、津波は志津川湾に入り時計と逆回りに回転し、南三陸町の海岸部に押し寄せて、私の知る方々そして多くの人を飲み込んだ。
東京から剣道の教え子は栃木出身の友だちと、我が町のボランティアに来た。町に来る前に「世界遺産」の平泉を観光にと教え子は案内し、南三陸町に私の所に付いたのは夜8時を回っていた。「観光」と一緒の「支援」でも、こうしてボランティアに来てくれるのは嬉しい。今は冬で寒いが温かくなると必ずボランティア支援者は増加する事は間違いない。この週末も50名くらいのボランティアさんが、センターに集まっている姿も見つけた。
今日は「住宅建設契約」と「住宅ローン申請」をする。年老いた両親のために大無理をして、旅立たせる「終の住家」を準備する。私のでもある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:55 】

2013
02/17

きんちゃん


共同求人説明会は終わった。2時の一時間前になると、ぽつり、ぽつりと事業所が帰りはじめ、私も2時10分には会場を後にした。「南三陸プラザ」の玄関は急拵えながら、素晴らしい会場施設であり、食堂もあった。しかし、玄関には来客の靴が並んでいた。
そのあとで昨日開店の「田中前」さんの、章生さんと奥様にお祝いに行った。ドアを開くなり「きんちゃん今来たばかり」と、先輩から話された。「大判焼き」を手渡すと、「ありがとう」の気持ちと余計に代金を払っていったという。テレビで見るあのままの「きんちゃん」だったと思った。お忍びで「被災地の人たちを元気にさせようと」来たに違いない。商店街の「しのや」さんで食事をまだしていたと言うが、私も「そっと」帰りました。
忙しい一週間もまた終わりです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 16:02 】

2013
02/17

あー良かった


40社が一同に会しての「共同求人説明会」、我が社には求職者は無いと思っていたが、一番目に私の前に座ってくれました。「あー良かった!」。
印刷業界が垣間見れた話を聞く事が出来た。そこには印刷会社不況があり、地元に帰り就職したいとの思いがあった。「経営者の仕事・雇用に対する意気込みを聞きたい」と言う。私は将来に希望を夢を描き仕事をして欲しいと伝えた。「お金じゃないんです」と言う、経営者の資質が問われていた。私の多くの話に興味を持ってくれたようだが、私の希望的なこれからの経営方針であり、「これから一緒にやろう」が願いです。
判ってはいたことながら、低調な今回の企画だった。住民も被災地での労働を考えるが、町にはとにかく何もないが実情です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:13 】

2013
02/17

懐かしき味


昨日、志津川仮設商店街に仲のいい先輩の店「田中前」さんがオープンした。被災し全てを無くしマイナスからのスタートとなった。ここまで来るまでの苦悩を聞くと、この道のりの大変さを痛感する。是非皆さん南三陸町志津川名物「京風お好み焼き」を食べに来てもらいたい。「ボランティア」「観光支援」で南三陸町にお出かけなる皆さんにも、店主の人格もさる事ながら、町の再生に頑張る店主の笑顔を見てもらいたい。
今日は10時から南三陸プラザに於いての「共同求人説明会」に参加している。仕事を探している町内の皆さんには、是非この機会を活用してほしい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:43 】

2013
02/16

怖い


夜中1時半にトイレへ、そのまま眠れず3時に布団から起きスープを作り、朝食を取った。日テレニュースを2回半見て、5時12分に家をでた。外は雪が舞っていた。走るとその雪は本降りとなり、ライトを上向きにしても道路の中央がどこか判らず走行、頭がボーとなり黒崎パーキングで車を止めた時に、その雪が吹き付ける写真を撮った。20分掛けて戸倉荒町の仮事務所に付く、不便な危険な通勤がいつまで続くのか。
急に睡魔が襲い寒い事務室のストーブの脇で眠る。体の半分が寒い。その時の夢は「ブレーキを踏もうとするが踏めず前にせまる車」で起きた。1時間半の二度寝となった。3時間半しか寝てないのに、その後眠れない事でいろんな体験をした。この1週間の多忙で身体と頭がおかしくなったのだろうか? 今日も午前と午後にお客さんが来る。
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昨日の議会で良い話を行政から聞いた。「新病院に透析のスペースを設計に盛り込む」と言う。「病院建設の透析部門は先生の招へいが決まってから」と言い続けていた町長、12日の透析患者の1002名の署名を集め、陳情書を議長・町長に提出し、その成果が出た。影ながらそのお手伝いをした経緯がある。メディアもテレビと新聞で町民に伝え、その多くの力が町を動かした。境県会議員も医療問題調査特別委員会で、県の保険福祉課にこの状況の対策をと、議員活動をしてくれました。
ロシアのモスクワから1500Kの場所に「隕石落下」した、朝の日テレの映像に驚きました。1000人が怪我をしたと言い、まるで映画のような多くの映像に、地球が宇宙が大異変の時期にきているのではと私は思った。
写真は戸倉広畑の被災地に、嵩上げされた小さな土地に家が建てられている。まるで市街地の都市計画のミニチュワの姿に私は映った

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2013
02/15

裏と表


二日前の山の工場へ向かう道路、綺麗な雪の風景ながら、沢沿いの道路の積もった雪の下は、圧雪のアイスバーンであり、轍となりここ一か月はそのままで、ハンドルを左右に取られ沢に水田にと、車の走行には十分に気を使っての運転となっている。こないだは融雪剤を財布する軽トラックが沢に落ちた。運転手にけがは無かったが、「切曽木仮設」への荒町からのう回路の、少し急な登り口は道路の全部が凍結し、なれた方しか走行はできない気がする。
昨日の14日は「バレンタイン」、私にも地域の高校生が「お世話様です」と、バレンタインがんづきを持ってきた。「手作りがんづき」ですと、可愛いラッピングに入っていた。荒町の知人の倉庫を改造し、仮の事務所として仕事ほ初め、「黄金郷菊」を震災の墓前へと、花売りアルバイトとして雇った高校生で、時々顔を見せてくれる。「ありがとう」、ホワイトディーは「ゴディバ」でも!
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1年11か月も過ぎ八幡町の駅前にあった「静江館」さんにも、解体の幕が張られ、やっと解体となる。志津川市街地で残された大きな建物が、そのままでこれまで残されてきたが、市街地もやっと復興への嵩上げがなされる。と言う事は、高台移転の土地の造成が始まると言う事に繋がる。
ニュースで今を知る。私の従妹も昨年暮れにガム島で親族だけの結婚式を挙げた。今回のガム島での悲惨な事故は他人事でなく感じる。最高の祝宴が最悪の事態となった。最近は結婚は家族だけで海外でが多くなったが、国内よりも多くの危険もある。私は日本での多くの人たちによって祝福されたほうが良いと常々思っている。
今度の日曜から「戸倉剣道スポ少」の教え子が、東京の友だちと「ボランティア」に来る。今回で彼女は2回目となる。ボランティアは宿泊・食事・交通費・作業保険と、全てが実費で、支援活動もお金に余裕がないと、被災地での支援活動がしたくてもできない。宿泊場所だけは受け入れの場所を提供したい。女性二人テントで野宿など無理で、まして厳冬の今のボランティアは大変だ。「無理せず頑張れ」、私のスポーツ指導は間違ってはいないと、感じる瞬間がこうした成長した子供たちの姿にある。
昨日は丸正の社長さん?がテレビに出ていた。電気料金の値上げで「400万円」経費の上昇は大変と言う。被災後に急速冷凍大型施設を国の補助金で建設した。ここに掛かる電気量が、東北電力の「円高」「石油高騰」「原発廃止」などの結果、7月1日から平均で11.41%、一般家庭で約8%、企業向けは「約17%値上げ」が、この400万円だった。年か、月かはわからないが大変な出費となる。
今日は議会、また病院建設の会議で「透析施設設置」ができない理由と、別な方法で治療ができないかと、再度質問したい。

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2013
02/14

住宅復興元年


町民の皆さん、そして全国に「南三陸町」の復興への歩みを伝えたいが、今の最大の私のブログの目的です。
14日はいろんな催しや式典がありました。朝一で会社の仕事をすませ、10時から「入谷桜沢公営住宅建設」の地鎮祭から着工式までに参加しました。町長は復興に向けての今年は「住宅復興元年」と着工式の祝辞で述べ、安全祈願の「鍬入れ式」は写真のような形で執り行われました。引き続き町長の号令で「立木伐採」が行われ、式典後は入谷婦人部の皆さんの「はっと汁」が振る舞われました。先祖代々の伝承の土地を、南三陸町の再建の為に提供して下さった、地権者の皆さんに、行政の一員として心より感謝を述べたい。
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午後1時30分からはホテル観洋に於いて、「国土政策フォーラム」が開催されました。被災地三県での国交省の被災地フォーラムで、宮城県では南三陸町で開催され、命を守る安心・安全な新しいまちづくりとして、「南三陸モデル」の発信と題され、講演とパネンディスカッションが午後5時まで開催された。
私の隣りの方に「何処からおいでになりました」に、「秋田からです」と言う。これらの防災について、地震・津波の少ない秋田でも、防災の見直しが検討され、関連企業としてフォーラムに参加したと言う。つい、こんな方法でも観光立町に繋げているのかと思ってしまう。
東京大学地震研究所助教の「大木聖子氏」の防災教育についての講演は参考になった。歌津中での防災教育という事で、すでに南三陸町には来町され実践されていて、子供達の防災意識はさすがに、南三陸町は進んでいると話していた。
地震・津波への「南三陸モデル」は、「世界モデル」でもあると言う。3分間続く地震はM9クラスで大津波が発生するのは確実と言う。想定外は津波は「国の想定」にも無かったと言う。だから「想定外の津波」と大木さんは話していた。地震のマグニチュードは震源区域の面積であると言う事も知った。一分間の地震はM7~8と言う。地震の3分越えは海底の震源なら大津波の前兆として、今後は迅速な避難行動の「自助防衛」をしたい。

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2013
02/13

神社


今朝も起きたら雪となっていた。昨夜は積もっていなかったのに、「また雪かー」が父親の朝の一声でした。
町内の東山公園下から市街地を一望した。気づかなかった風景が「今日の写真」としました。被災前の農協と東光の間を通った先が「おくまんさん」と言い、昔の遊び場だった。その右脇に鳥居があったのは判っていたが、塩害木を切ったため、神社が露わとなった。小高い山がくっきりと表れ、昔から町の守り神社がここにあった。
昨日は新設される公立病院に「透析部門の設置を」との陳情に私も同席した。3時からの記者会見には4社が集まり、東北放送は夕方にその放送をしてくれた。三陸新聞も朝刊記事として掲載がされた。議長さん町長さんと5時30分まで陳情はかかった。陳情者は我々の時代に新設になる病院には、将来のためにも「透析施設」を設置させたいとの思いからで、80歳を超えた阿部さんも大分疲れ、他の三名の方も自分にむち打ち、今後、透析を受けられる方たちの為にと頑張ってくれた。1002名の署名は20日間足らずの間に集めた。
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第一次産業は間違いなく復旧そして復興している。浸水した農地は津波の塩害もあり、その部分はまだ時間が掛りそうだ。菊のハウス・イチゴのハウス栽培は順調な動きをみせている。写真は入谷の中の町にできた「いちごハウス」で、夜の八時に赤々とハウスから光が「ぼんやり」と光る。なにも無かったかのように入谷地区は、昔も震災となった今も、変わらぬ営みが続いている。この地区での新しい町づくりをなぜ模索しなかったのかと、町民の一部で囁かれている。
透析の前もっての施設の設計は、新設となる病院にはしないという。「物置でもいいから透析の場所は確保してほしい」と陳情者は町長さんにと言う。また、栗原病院には透析施設を造ったが医師がいないから閉設となっていると町は言う。いつもの行政の答えながら、透析患者の一人は話していた。栗原は透析の施設が別にあり「近陸栗原病院」に透析施設がなくても間に合っているんだと。南三陸町は違う、遠い人で2時間も片道に時間を要する。条件の違う病院を例に、透析部門の設置には問題があると言う。切迫感のない行政の決定権賢者と病院策定関係者がいるからと、透析施設完備に消極的さを感じる。先生の招へいも別な対応策があると陳情者は一生懸命はなしていたが、その声は届いてはいないようだ。
今年度内には多くの復興への見通しの決定が迫られている。

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2013
02/12


日本の漁業について勉強に、昨日は仙台「シルバーセンター」に出かけた。被災地の海の再生がこの日の後援会の課題だった。世界から見る南三陸町がこれから、水産業での町の再建できると実感する。海の力は大きいが、それを復興の力と変えるのは人間でしかない。
高齢化・後継者など、現在の漁業を取り巻く問題は多々ある。漁業従事者の平均年齢が65歳を超え、平均年収は220万円と言う。自然の海の中での、天候によっては過酷な職業ながら、日本人の「食」の中心でもある。それに比べ「ノルウェー」の漁業は、収入は900万円を超え、従事者も若返りが進んでいる。なぜかと言うと、漁場の管理をハイテクにより管理する事で、燃料と無駄を削減、魚の乱獲を無くし、効率的にまだ小さい魚を獲らない、成長した魚を水揚げした。そして、規制に反した時は漁業ライセンスの剥奪や、多額の罰金となるなど、水産資源を守る事をした。結果は減少した魚も増加し、安定した所得にも繋がった。「漁業権」は日本と韓国と台湾しかない事を知った。そうした中で北欧の漁業は輸出が主体で、日本向けの魚が多いと言う。日本の食生活も昔は魚が大勢ながら、現在は肉へと逆転している。
講演は大学教授と水産会社部長だったが、水産業は、今後も大丈夫で管理漁業が求められ、「乱獲」は漁業を衰退させるだけだ。今後も外国からの漁業産品が多く輸出されるが、日本の消費者のニーズにあった、「食」の水産品の生産に、シフトする事も必要と言う。
被災地となり復興への途上、今必要とされる事を、今日は議員となり、議員らしい活動が初めて出来る気がする。

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2013
02/11

行く末


これからについて多くの人たちと話す機会が多くなった気がする。今朝も知人に「遺言状」を準備したいと相談されたと言う。私も、いつまで生きられるのかと思う両親と、自分もそう遠くはないと思っている。最近は同級生や仲間・知人とも「今後どうなるのかなー」と、再建とともに話す。子供が成長している事と、子供がいない仲間が多い事で、心配は軽減している。
連休ながらすることが多い。午前は洗濯をして、父を1か月ぶりに入浴をさせ、もう一回洗濯をし、父も母親の洗濯をした。仮設での事で水道が凍結破裂して、洗濯も入浴も長くできなかった理由がここにあった。しかし、我が家には倉庫がある事で、仮設の予期せぬ事故にも対応ができている。
午後は仙台から戸倉で被災した知人が来た。町のやっている現在の復興の形に、大いに不満と憤慨をする。彼はすでに仙台で生活費の確保の為に、永続的な仕事に見つけ付いた。戸倉の土地は買取となるが、価格の低さと嵩上げが1㎝もされない事に激怒する。家族と長く過ごした場所が被災し、道路の嵩上げがされ、防潮堤ができ買い上げされる自分の土地は、猫の額の大きさとなり、何の復興の姿にもならない事に怒る。
現在、透析の「陳情」の支援をしている。私の同級生にも「透析」を受けている事もあり、新設される「志津川病院」には絶対必要と思う。採算的にも黒字となる部門、毎年「赤字補てん」を余儀なくしている経営に、将来的にも「病院改革」の必要性を思う。被災前も後も3億の町よりの財源支出があり、新設される病院にも同じような財源が町から持ち出しとなると言う。「町民の命を守るため」と行政は言うが、改善が何一つされないままで、町民の税金が使われている。病院が企業ならすでに破たんしている。社長も辞任で責任の所在の追及と、職員の削減となるが、自治体の一部、公務員と言う事で赤字のままの経営を続けている。
話しは逸れたが、ある方に「妻には頭があがりません」との話を聞いた。透析をしていたが「腎移植」で現在は透析をせずに済んでいる。あの苦しみをしなくて私は幸せと言う。今後、腎移植などの医療技術の進歩やIPS細胞など、透析がしなくても良い時代が来るかもしれない。それまで町の病院に透析施設を設置して欲しい事への「陳情書」である。
昨日は8時に帰った。まだまだ沢山の行動をしたが、この辺で止めておく。今日は仙台の後援会に参加する。

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2013
02/10

槌音聞こえない


昨日は総理と共に被災地「気仙沼市」に来た小野寺五典防衛大臣、被災地の現状を伝えていた。今朝は「報道2001」に出ていて、中国の艦艇からのレーザー照射事件、北朝鮮の脅威に対し、今後の対応を話していた。
昨日は本吉町まで出かけ「小泉大橋」を通った。臨時の大橋の脇の川底に、本設と見られる橋の支註の基礎部分が大型クレーンにより、「矢板」が撃ち込まれていた。我が町はどうだろう「三陸道」は小森に完成した橋脚、山肌があらわとなり、着実に北へと道路は進んでいる。後は何がと言えば水産業の復旧と、四分の三の補助事業と中小基盤機構の仮設が建てられているだけで、町民の生活環境復旧は、土地の買い取り買い上げが、多くの資料・書類の提出があり、目に見えてその進捗の確認はできない。その為に「復旧が進まない!」と私は強く感じる。最初に住民の高台移転事業をと、多くの町民は言う。人がいなくなるよと!
「防災集団移転はまだいいの?」と聞かれた。今、計画されているので終わりと私は思っている。気仙沼市長が進まぬ高台移転に、5カ所に300世帯分の土地を市が確保すると言っていた。25年には造成を初め27年から30年には入れるようにする。と言う。南三陸町の最終は28年3月31日との予定にあるが、待っていられないと自分達で、土地を確保し「防災集団移転」を申請し、補助をして欲しいとの考えなのか。もがき苦しみ「終の住家」を模索する。
陸前高田の「一本松」は塩害で伐採された。多くの遺構を考える中で、地元の木材を使った「慰霊」をする場所に、安倍総理が手を合わせていた。我が「南三陸町」には未だに、慰霊塔・慰霊碑はない。「防災庁舎をこのまま残したら、南三陸町は笑われる」と言った人がいた。あの多くの職員が亡くなった場所を、あのままの姿をさらす事を言うのだと、私は思った。まだまだ多くの考えの中で、右往左往しているが、「10月には解体すると行政は言っている」、9月から10月にかけて南三陸町の大きな岐路を迎える。

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2013
02/09

感謝を捧ぐ


夕方に入谷に行った。398号を旧道に入る入口に、知らぬ間に大きな建物ができていた。私の仲間から聞いていたが、「大学の研修センター」だと言う。これから今後国内の大学生が被災地「南三陸町」に来る、こうした大学生の宿舎?集会所?などとして活用される。と聞いた。入谷には農協葬祭部あり、葬祭センターを備え、葬儀・お通夜の会場として活用かれている。現在こうした施設は町にはなく、町民皆さんは重宝していると聞く。
この日ここにも死亡の告知が成されていた。私のお世話になった方の奥様の訃報をこれにより知る。町内の何処にも告知の看板は無く、家族のみでの葬儀となる事が現在多い。56年間生きお世話になり、関わった方の死に、感謝の気持ちを捧げる事を、生き生かされている私の使命と思っているが、知らぬ間に「人生の幕」を閉じている方々が多くいる気がする。合掌です。
この旧道への志津川から入谷に入るカーブ、震災後に多くの事故が発生している。以前は知っている人たちは減速し旧道に何事もなく入っていた。また、今年の厳寒の中で積雪・凍結の道路事情により、その危険・発生多発を危惧する。
長崎のグループホームで火災が発生し、認知症などの高齢者が入居していた。4人が死亡し8人が病院に運ばれたと一報で聞いた。現在建物構造は耐火性や密閉気密よる冷暖房の抑制を図っている。外壁が強靭で火災発生時には、早期消化を妨げていると聞き、消化活動が大変と聞いた。
被災地「南三陸町」での、交通弱者・買い物弱者・所得弱者など、高齢化も重なり「生活保護家庭」の増加を懸念する。

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2013
02/08

大雪・地震・津波


今年はまだ2月8日、39日しか経っていない。なのに「爆弾低気圧」による突然の大雪が2回、東京などの都会での混乱が連日報道された。地震も今年は多く「震度4」が数回あり、北海道など震度5の地震もあった。箱根での異常な地下の変動もあると言う。海外の大地震での「津波警報」があった。志津川市街地の国道45号の「う回路」の問題も、行政の対策は講じられていない。道路は国の管轄であり、避難道整備は町の来町者・町民交通のライフライン整備ながら、被災地復旧が先と言い進まない。
石巻市からの情報
宮城県沿岸に津波注意報が発表されました。
津波予想到達時刻は、17時30分です。
予想される津波の高さは50cmです。
沿岸部に近づかないようにしてください。
(石巻市 防災対策課)
こんな携帯への連絡が入らない事を願いたい。
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大雪の通勤時の戸倉西戸地区の何もない原野となった集落、その奥に「切曽木仮設」があり、この辺の被災者が暮らし、奥地から国道まで大雪の原野を通り仕事場へ向かう。こんな厳しい生活がこの冬は繰り替えされている。
もう一枚の写真は、大雪の夕方の「防災センター」の瓦礫、今は訪れる人もまばらで、ひっそりとしている。来月の11日午後2時46分には、二回目のあの日を迎える。
基礎瓦礫撤去が急ピッチで進み、年度内の決められた時期まで終わらせるため、運搬トラックがこないだまで、旧駅前からの道路を埋め尽くしていた。危険との判断で現在は高野会館裏にトラックが列を作っている。その意味がやっと解った。今度は置き場がいっぱいとなり、松原公園なのかと勘違いしていた。
昨日はベイサイド「アリーナ」のトレーニングジムで夜に運動を一時間、ウォーキングマシンは20分、結構これがキツイ! しかし、6回目ながら腹回りが少し細く! 気のせいだと周囲は言う。

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2013
02/07

待ち合わせ


ソロモン諸島での8.0の地震により、津波発生の注意報が発令された。この日は写真のアリーナBRTの停留所で、南方から町の用事で来られる方と、待ち合わせをした。朝からの雪は午前中には本格的となり、写真のバックが雪で見えないくらいで、大雪警報もだされた。
午前10時から役場で委員会があり、危機管理課から消防・防災体制について説明を受けていた。皮肉にもこの日の午後に「津波注意報」が発令され、携帯でも石巻市からの警報の受信となった。50㎝の津波予想で夜6時の到達、戸倉のセブンも6時前には閉店となり、町は車の通行はあるものの静まりかえった。大雪・津波と南方仮設からの行政への用事は本当に大変と実感する。
南三陸町は漁港・被災地など復旧の真っただ中、「潮位計」の設置状況はとの問いを行政側にただすと、漁港の整備の途中なので、整備が終わり次第三カ所に設置をする。と午前に知った。潮位に関しては女川・鮎川の情報が、我が町の津波の到達の潮位となっている。
昨日は広島で避難している知人と会う約束があった。こんな時に津波注意となり到達時間を一時間経てから、唯一開いているお店で今後の事を相談された。車で向かい8時30分に「代行」をお願いすると、「11場までありません」と言われ、無理して弟に送ってもらった。朝は車を取にタクシーを使い、津波の事を聞くと到達したとの情報は聴いていないと言う。朝のテレビで岩手県の被災者は「自己判断はしない、指示に従い避難しました」と話していた。あの忌まわしい呪縛は私の心にも残るが、自己での判断で私は今後も行動しようと思う。
住宅ローンも金利補助も、提出の多くの書類があり、そしてその順番に厳しく、これをおこたると制度を受けられなかったり、想定以外のその出費に頭を痛める。高台移転もまだまだかかるし、町の再建が本当にできるのか? と町民の方々の多くの「不安の声」に思う。

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2013
02/06

友好


南三陸診療所の道路から入口の右側に「イスラエル友好モニュメント」ができた。(写真)大震災から間もなく現在のアリーナ脇の駐車場に、イスラエル国から医療団と病院施設の仮設が約10棟、南三陸町の医療支援としてできた。直後は、緊急で設置したアリーナりトレーニングジムの診察から、各科ごとの最低限の医療体制の構築に、イスラエル国の支援を受け、被災地に一番大切な「医療設置」で住民の命をつないだ。
上の部分には赤の星印がペイントされ、皆でそれを支える人の彫刻がある。出かけた時は当時の混乱で大変だった事を思い出し、復旧復興へと進んでいる事を感じてもらいたい。「大震災の風化」を防ぐ役割ともなっていると思う。
昨日は「共同求人説明会」の開催会議が役場会議室が開催され、補助事業を受けた38社が大面接会に参加し、その席割などを決めた。偶然隣となった方も「人がいなく、今後同時に高台移転となった時には大変となるから」と話していた。切実な復興への陰の部分がある。
町民税務課に行った。納税率が以前から県内での下に位置していた、我が町の住民納税がある。私もその原因の一人としてあった。会社経営も厳しい中で、「国民健康保険税」に悩む、日本の皆保険は世界の先頭を走る制度で、高齢者二人を病院費用は「後期高齢者保健」で、私も「糖尿病・白内障」で国保の恩恵を受けている。納税義務は当然で、普通の生活ができ、病気の診療費の7割負担は助かる。
最近学んだ国民年金は、65歳となり受給資格となる現在、「障害年金」としても年金受給前に障害者となると障害年金を受けられる。しかし、65歳となり「年金決定受給後」は、障害年金の受給とはならないと言う。これを考えると年金受給後は、障碍者とはなれない、65歳以後に「脳梗塞」「親近梗塞」などの重い障害を受ける可能性が高く、大きな不安を感じる。
まあ、いろんな事があるが、一日一日気を付けて生きていきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:16 】

2013
02/05

勇み足


昨日は沢山の人々と会った。国の補助事業や住宅補助事業など、多くの書類を要する。その中で急ぎ・あわてる事で、「取り消し処分」と言った、大きな罰則を科される。こんな危険な事実が現実起こっていると言う。「正直に」「堅実に」がいろんな事業の進行にも求められ、「その分時間が余計に掛かるんだ」と、関わった担当者は教えてくれた。
昨日は知人と役場庁舎に行った。玄関で迎えてくれたのは写真の「鉢植え」だった。多くの問題を抱え町の受付や「復興事業推進課」に出かける。そんな厳しい今後への生活維持の相談に、落ち着き担当者に向かえる気がする。
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昨日は本吉町まで大雪の中で車を走らせた。その途中の「磯の沢」の入口で、造成された土地で「地鎮祭」が、家主さん・建設関係者と思われる皆さんが、神主さん囲み神事を行っている光景を写真に、通り過ぎたが戻り撮影した。一日も早くこの光栄にあやかりたいとの気持ちからだ。
仲間との集まりに予約を入れようとしたら、風邪を引いて休みにしますと言う。今年に入り「学級閉鎖」との町の声を聴く。仙台徳洲会病院で院内感染の2人が、インフルエンザで亡くなったと報道された。14名の職員・看護師の感染があったと言う。病気を治す病院での予期せぬ感染、十分注意してもらいたい。
商工会・ハローワーク・町職業紹介所で支援する、「共同求人説明会」が2月17日に南三陸プラザで開催される。締切間際の参加を商工会に申し込んだ。県の補助事業を受けた方が対象のようだ。人口流出阻止対策のひとつとして、雇用の場の紹介・求人募集と思う。私も4名の求人を補助事業の支援後も、23年7月ごろの事業再開からしているが、2人は確保しているが一年半も、誰も求職依頼はない。これが職種のカップリングが上手くいっていない被災地の求職状況です。
「安倍内閣」で初の閣僚の辞任があった。徳田復興大臣政務次官で一身上の都合と言う。よりによって復興庁からで、女性問題のようで「相手に迷惑がかかるので話せない」と言う。
何処の男も同じですね。男と女しかいないし、異性を好むのは当然ながら、立場と時期がある。私の同級生も「結婚あり」「婚活中」など、独身男性には頑張って欲しい。「あんだもだよ」。

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2013
02/04

待ってられない


志津川市街地再生の重要となる「国道398号」、登米市米谷まで志津川から続く道路、その途中の入谷地区に自転車修理に愛車を持って行った。
「若草会」と言う農家の方々が加工品を作っていた工房の前に家が建ったのを見つけた。農地だった場所を宅地に転用しての、市街地での被災、再建に入谷地区を選んだ。市街地からの移転はつらい物があっただろう。長く町で暮らした住家での、家族の思い出多き場所からの別離、多くの家族の決断があっただろう。
昨日は足を延ばし米谷の母の実家により、志津川地区の本浜町の出身の方の家にいった。黒沼十文字地区は志津川市街地からの住宅建設者が多いと聞いた。土地も4万前後と、志津川市街地の東・中央地区の「6万5千円」と、土地取得価格から比べても、大分格安の地価となっている。長引く高台移転までの時間で、登米市への移転を決めた、南三陸町民は少なくない。土地・建物を入れると2500万から3500万円は掛かるが、まだ被災した土地買取とならないのに、その建築費の捻出できる事に驚く。
米谷街道と言われ、昔は志津川地区からの海産品などの「しょいこ」と呼ばれる人が、町内から浜から、当時の東和町・登米町への志津川町からの行商で、生計を立てた時代があった。志津川町での昔から延々と続いていた、「生業の姿」が全て無くなり、新しい志津川の「生業の形」が今生まれようとしている。
今日、住宅建設会社が「見積」を持ってくる。やはり25%の資材・人件費が上がり、予期せぬ出費となりそうだ。これが2年後3年目には、「予想もできぬ状況がありますよ」と、建設会社の営業は話していた。
この2月には色々な町の行事が、商売上の予定が入っている。予定表のボードはいっぱいとなっている。

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2013
02/03

高齢化加速


若い家族そしてその両親などは、子供の為にと一日も早く安定した土地に移転したいと言い。おじいさんおばあさんも一緒にと言う。志津川がイイと年老いた高齢者だけが地元に戻り暮らす。年老いて福祉施設・病院養老病棟の環境の安定が、「公立病院」に求められているが、地域医療圏の再建で各科の減少など、町の財政・人口を考え策定案が計画されている。
我が町には町民有志で運営していた老人ホームが被災し、ここでも多くの入居者が亡くなった。しかし、老人ホームに入居希望が今も150人を超えると言われている。現在、袖浜から荒砥にかけて2軒の「老健施設」がある。写真は「いこいの海あらと」であり、海に日本一近い学校「荒砥小学校」の跡地に建設された。被災直後は地区の住民の避難場所として開放され、多くの被災民を救った。私の親戚も当初2つの施設に4人が入居していたが、二人が被災後の混乱の中で逝去した。幸せに暮らしていたと言う。
私の両親も施設入居予備軍であり、「何時でも入りたい」と言う希望は叶えられない状況とも聞く。被災した老人ホームもいまだに土地は確保しているが、造成もされていない。多くの不安の中で、被災地の高齢者は老いている。住宅建設・核家族化・町財政難など、安定生活を求めるには被災地「南三陸町」は、厳しい現実の中で、町民は一歩ずつ、人口減少の中での再建途上と言える。
志津川市街地の「復興計画」は、瓦礫・基礎は撤去されても、商工用地の再生・企業誘致・水産事業加工場再建などは多くの問題の中で、予定どおりは進まないと私は思う。この計画ミスの責任はだれが負うのだろうか。「また想定外だった」と言うつもりなのか。一日も早く修正内容は町民に示すべきと思う。

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2013
02/02

荒砥漁港復旧へ


二か月ぶりの荒砥は大きく変わっていた。地盤沈下した「荒砥漁港」は海水が漁港を乗り越え、沈下は1m位あった気がする。漁業の復興が進む中で、漁港での船の乗り降りや各種作業は、漁港整備の遅れもあり、海産物の再生が順調な中、水揚げに苦慮していた。ワカメの生産も2年目を迎え、天候にも恵まれ今年も豊漁が期待される。その他にもカキやホヤなど海産物の生育も順調と聞く。
荒砥も被災した基礎の上に倉庫を建設し、漁業の作業をしていた。行政の被災地の漁業集落の嵩上げも進まぬ中で、待っていられない生活の再建があった。漁船や漁具の南三陸の水産業再生に多くの補助金が回されているが、居住区の再建は手薄い現状に、自己での再建に奔走していた。
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商工団地から平磯に向かう細い道路を通り荒砥地区に抜けられる。その途中の東浜団地裏すでに立派な住宅の形が出来ていた。荒砥漁港に行く途中にも大きな建物があり、大手ゼネコンの宿舎なども見られた。町内の空いている土地などにも、在りとあらゆる場所のスペース狭しと、プレハブ事務所と宿舎が建設され、土地を探す業者も苦悩していると聞く。
第二商工団地のアンケートから、議会で町との係わりを聞くと、町長は商工会の動きを見て行くと答えた。さすがに商工会出身のトップ、今一番しないといけない住民の高台移転の早期建設よりも、商工会会員の意向も同じレベルで考えているようだ。
再度「第二工業団地構想」のアンケートが11月に来たが、私はこの方向性に「今はまだ早い」と答えたため、2回目のアンケートは提出しなかった。その後の動きはどうなったかは知る由もないが、賛同者での動きもあると小耳にはさむ。
昨日は登米市に南三陸町町民の、登米市移住の「市独自支援があるのか?」と電話で聞いた。「何もありません」と言う。200万円の支援は、「り災加算金」とダブリ、勘違いしている人々が少なくない。何処まで行っても町民の不安と苦しみは消えない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:24 】

2013
02/01

情報伝達


現在南三陸町には新聞配達されているのは、志津川・入谷・歌津が「河北新報」が1350枚と、戸倉地区が250枚の合計1600枚で、被災前の3900枚の半分以下となっている。訃報などの三陸沿岸の情報は「三陸新報」が担っていたが、部数は南三陸町内で1000部余りだったと思う。今は郵送で対応しているが、その数は微々たるものと想像する。
三陸新報での訃報の情報の取得は、現在は皆無に近く、街中に掲示される看板で訃報の告知で知るしかないが、「密葬」で静かに葬儀を行うかとかも多いようだ。30年来の付き合いのある仲間の父の訃報が届き、出来る限りのお手伝いをしたい。
昨日で「眼底出血」のレーザー治療が終わった。左目の重症は変わっていなく、糖尿病の血糖値とヘモグロビン数を下げて下さい。との医師の指示を受けた。待ち時間中に同級生が「怪我」をしたとの連絡がはいった。生活に支障となる大けがに、お互い被災地での再建に向けての途上、気を付けようと、互いに無理せずにと誓いあった。
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春の便りが南から告げられている。昨夜は焼香の流れで「みみふさぎ」の仲間の、儀式の後で少しお酒を頂いた。出てきた「サラダ」の色の鮮やかさに、写メで撮りました。
戸倉のコンビニ前のトンネル前の分厚い擁壁が、やっと重機で砕かれ撤去される風景を撮った。被災しての無残な姿が少しずつ片付けられる。記録として残すことも自分の仕事と思っている。
町中で気づく二カ所の基礎瓦礫は、戸倉小跡地と病院脇にある。現在まで42%で3月末まではすべての基礎が撤去される予定だ。その後で県の事業として「破砕機」で細かくされ、地盤沈下の埋め立てで使われる。志津川市街地は当初6mの嵩上げだったが、「職住分離」の方向性から予算が出ないと、初めて4mの嵩上げになったと行政から報告された。大型スーパーの建設申請は、高台横断道路の計画があり、スーパー側に計画縮小を要請しているが、折り合いがついていないようだ。町民の買い物環境の整備は、今後に町に戻ってきても必ず必要となる部分で欠かせないと思う。
自分も町も色々と問題がある。

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