ARCHIVE - 2013年01月

2013
01/31

風化2


御前下に仮設商店街を中心に、多くのスタンドを初めとする商店が建ち、建とうとしている。旭ヶ丘から3・11の津波が町を飲み込む姿を見つめていた私には、この御前下地区は決して安全な土地ではない事を判って頂きたい。大手スーパーなどが出店計画を立てていても、防災・避難体制はしっかりと、出店防災計画・避難マニアルとして、告知や訓練を想定して実施してほしい。
昨日、役場庁舎に向かう時に、新井田地区に大型トラックからコンテナが落とされ、設置される光景があった。以前聞いたが「ラーメン店」が建つと言う。新井田地区の再開発は何一つない中で事業の拡大する事業所がある。。中小基盤機構の事業を活用し、「復興ふくろう」を共同考案し、全国に南三陸町から復興の手伝い、発信をしている。多くの女性従業員さんを雇用し、被災で事業所を全て流出しての、自己努力再建であった。
私の一つ先輩の仮設商店街の中の「弁慶寿司」さんに仲間と行った。昨年の末にオープンした、ご主人の同級生仲間も大勢お寿司を食べに来ていて、店内は満員状態だった。津波で全ての物を失っての再出発がここにもあった。しばらくぶりの町内のすし屋さんでの寿司はやっぱり美味く、再建できた笑顔と、又ここで共に頑張れる笑顔があった。もう一軒「近日開店」のすし屋さんがある。同じ地域内に「くう海」と書いて「くうかい」、南三陸の海を食らうと言う意味なのだろうか。
四分の三の補助事業による事業再開のラッシュが、今年度末から延長となった25年度末まで、町内で続きそうだ。

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2013
01/30

地方議員


今日はまだそのままの姿を残す「高野会館」の脇から旭を撮った。逆光ながら被災地はこのままの状況、まだまだ先が見えない。ここでは「明と暗」があり、その決断と判断で「生と死」のドラマがあった。あの被災から私の町は又別な方向に歩み始めた。命を繋げた高齢者の皆さんも、厳しく辛い毎日を今送っている。あの楽しかった日々は何時来るのか。
「地方議員しっかりしろ!」との叱咤激励の講演会と私は受け取った。「民主党のメデッアにおどらされた架空の政治改変」と「官僚が作り上げる国の裏側」「先頭に立つ国会議員の真の姿を見ろ」など、知る事の出来ないニュースメディアの裏側を垣間見た。
末延吉正氏、「ニュースステーション」や「テレビタックル」、「朝まで生テレビ」など、私が政治と言う物に興味を持つキッカケとなった、その番組の出演者選択や演出などを企画したと言う。朝日テレビの政治家へは厳しい見方をしている。
白川日銀総裁の後継人事は今後の日本を占える。その人事にも各党の政策の姿がある。アベノミクスは「金融政策」「財政戦略」「成長戦略」の三本柱で、株価は13000~15000円まで上昇し、円も95~100円ぐらいまで今後上昇する。こんな急激な上昇は自民党の経済財政改革の取組の姿に市場が反応したと。民主政権の崩壊の姿は最初から判っていて、野田首相のあの時期の解散は「100議席」の確保が想定にあった。と言う。その想定が半分にもいかなかったのは判断の甘さがあったと言う。
政治は新聞・テレビニュースだけを見るのではなく、それに関わる人の政治経歴を見る方が良いと言い。政治も歴史も知らないと裏側は判らない。そして官僚の長い政治との関係があった。組合や族議員と言った今までの流れは直ぐには断ち切れない。「民主の菅は終わったが自民の菅は良いと言う」。集団就職からの這い上がりで、政治の厳しさを知っていると言う。大島監督からの「朝まで生テレビ」での若き民主菅への叱責の光景が蘇る。
今日は午前は病院で、午後は議会で、夜は運動をする。仕事はない!



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2013
01/29

変化3


志津川地区の入谷に向かう小森地区は、今回の大津波の八幡川の最終到達地点でもある。ここには志津川ICが出来る予定で、現在は米谷ICから志津川に入る398道路でもある。その398号の道路の中央に「鉄塔」が建った。八幡川を越える高架橋がここにはできると言う。我が町地区「志津川」は大きく変わろうとしている、私が震災前まで自主出版していた、「マイタウン誌」の「大好き志津川!」の当初の副題が蘇る。私は生まれ育ったこの町が大好きで、死ぬまでこの地に住んでいたい。この願いは変わる事はないが、一部の政治の動きでこれ以上嫌いにさせないでほしい。
「生活保護受給者」が被災地で増えていると言う。津波での私財の流失があり、生活状況、精神的に無気力がその影にある。昨日は「受給条件」「申請」の事を保険福祉課に聞きに行った。担当の親切な説明ながら、当事者の辛さを理解するには難しい気もする。事務的に坦々と説明するしかないのも現実なのだと。「何の恥じることもないですよ」「国民として最低限度の生活は憲法で保障されているから」と、生保に関しての受給希望者には話す。
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7時の帰りの空には綺麗に月が輝いていた。走行中に引き替えし「黒崎パーキング」で、撮った写真です。真っ暗闇に丸く大きな光が何なのかは、私は「町の救世主」が必ず出てくると思いたい。このままだと町民の格差の増幅でしかない。
昨日は咳に耐えられずに病院に行った。意外と患者さんは少なかった。薬を処方してもらい、その抗生薬が効いたのか、咳も収まった。
今日は一日仙台の議員講座に参加する。

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2013
01/28

お茶っこ会


平成の森仮設ではボランティアさんが仮設周辺の除雪に活動をしていた。町内の市街地・被災地での人影がないので、寒さの為減ったのだと思っていた。「こんにちは」と被災者に声を、私にも優しい笑顔と共にくれた。昨日の大雪は昼前にはすでになかった。
平成の森でのお世話になった大先輩から、「俺も仙台にいくから頑張れな」と、悲しい声をきいた。町の為に何かをしたい、残したいとの言葉を聞けば、反面多くの町を離れるとの声も聴く。
昨日は大久保仮設の「お茶っこ会」に、仮設を決めてから初めて参加した。父親も母がショートステイでいないので、会に参加させてもらった。カラオケ大会とあり、詩吟をやると意気込んでいたが、カラアケだから言い聞かせた。3時間で弁当からお菓子、カラオケの商品と、福祉士の支援もあり、至れり尽くせりの会だった。仮設暮らしの皆さんの「引きこもり改善」が主旨と思うが、若い入居者は各々の生活予定があるようだ。
我が仮設も先週の日曜の水道管破裂から、連絡がなく自治会長さんの話だと、今週終わったらしいが、私にはまだ連絡が無い。私も会が終わる30分前に参加し一曲「53点」、点数付のカラオケ機に驚く、終わるや否や質問攻めにあった。「一日も早く高台移転」が最大の願いだった。
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観光協会の「街なか交流館」の跡地前の側溝からは海水が逆流し、満潮・大潮時などは、十日町・南町の境にある道路や土地は冠水していた。最近になり多くの車が通るようになり、道路の嵩上げがされた事を知る。先週になりここを通り嵩上げの高さを写真で撮った、50㎝はあった。
現在基礎瓦礫が各所で山積みとなり道路いっぱいにあり、事故や怪我が無い事を願っている。撤去と破砕を同時に進め、地盤沈下の部分に埋めれば、一石二鳥で被災地の復旧が早く進むと思う。なぜ復旧復興の工事を同時にできないか疑問で、予算の使い道や予算がまだ付かないからと言う。計画的に早く進められる事を考え、再建計画をすべきと思う。
地方公務員の給与が「4000億円」減額する。ラジオで自治体は「行政改革」を進めているのに、また報酬減額するのかと言う。政府の1000兆近い借金は、長い間の積み重ねであり、借金の削減しない事から、次世代にそのツケが回される。「我慢する公務員時代」に入った。誰もが公務員を敬遠していた時代から、安定した職として公務員を選択している時代となり、その終わりが来た。被災地の苦悩を共に感じて欲しい。
今日は「生活保護の申請」の仕方について保険福祉課に聞きに行く。

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2013
01/27

町との別離


昨日は運転中幾度となく携帯が鳴った。昨日の石巻地区は大吹雪の走行となり、時速20Kくらいの「のろのろ運転」が市街地にはあった。
家に帰ってから3回の電話への対応をした。「千葉さん帰らない事に決めました」、この決定の報告だった。最終的にはおばあさんの「新しくなる町を見たい」の希望よりも、子供たちの未来将来の事を優先したと言う。「必ず帰って来てください」と言い続けてきたが、この一年近く生活は何も変わらない現状に、子供たちの成長・自分たちの老いを考えての、苦渋の決断だと思う。1年から3年後に公営住宅ができ入居、また土地の造成整地にて買取り住宅建設と、多くの時間の経過を待ってはいられない、こうした被災者の現実を行政は理解していない。「一分でも早く」を求めているのに、計画どおり進めています、障害があったから遅れます。こんな言い訳は成長も老いも待ってられなく、何の理由にもならない。人口流出は待ったなしの状況まできている。これで又7人の人口が減る。
アルジェリアの地元出身の伊藤さん、「母思いの優しい人だった」はメディアでも伝え、「一関高専」の後輩にも、今の自分の世界での仕事を講演指導をしていた。実家は津波で被災し母親は仮設で一人暮らしていた。私の一つ先輩の弟さんががいる事を叔母から聞いた。優秀な家庭と言う。私の知人が事件が発生した16日、偶然にも一人暮らしの伊藤さんを家に招待し、「お茶のみ話」をしたと言う。人の突然の死と助け合う気持ちが、偶然にも同じ日にあった。
行政は「仮設住宅を町外に」や「移転用地」に関して、やはり「町有地」の活用で、人口の確保と流失阻止が出来たと声を大にして言いたい。町民がいなくなっての「町づくり」は、将来の南三陸町の存続という大問題となる。「南三陸町誕生から何一つ良い事がない」と言っていた、ご老人がいた「画数は破滅の数」という。何かがここから変わった気がする。

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2013
01/26

寒気団


また雪が南三陸町には降りました。週末になると近隣のスーパーへ多くの町民が、買い物に車で出かけると言う。高騰するガソリン代・貴重な休みの土日の時間・片道1時間の冬の雪道の危険な運転など、孤島と化した南三陸町民には「買い物難民」的な環境の中にいると言われる。
被災し限られた資金での、住宅・土地の取得での再建があり、少し値段の高いものを買う出費は、まだ長期間の仮設生活を思うと、行政の被災者救済面を考えると、大きい未来への視野を広げて欲しい。
来年26年から本格化する高台移転ながら、町の住民生活の環境整備はまだまだ進んでいない。病院が少ない、郵便局、働く場、教育環境の不整備など、普通の生活するには多くの不安な状況が南三陸町にはある。
昨日、宮城県の地域医療の整備に対し、514億が交付され志津川・気仙沼・石巻などの病院建設の交付は決定しているが、現在の建設費・労務費の高騰により、さらに県は「145億円」を追加要求をし、その中には公立志津川病院などの医師の宿泊施設建設の6億円も入っている。公立志津川病院は27年4月1日から開業を予定する。
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今日の写真は南町の旧マルセン鮮魚店前の嵩上げされた道路から、荒島側を映しました。その中央にはまだ解体されない会社の紙置きの倉庫一階が今も残っている。もう一枚は「小森御前」の神社があった場所、墓石が再び祭られたものの、小高い丘は半分が削られ、無残な姿となっていた。道路向かいの水田は今後大型量販店の建設計画がある。「薬王堂」の名が上がっている。この御前下地区は仮設商店街が現在あるが、今後は大商店街がここに形成される予定だ。
住民の生活の高台移転が進まないのに、商店・観光だけが突出して「我が町」に進んでいる。これで元通りの町の再建がなるのか。

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2013
01/25

バラバラに


私の家族は体調の関係で三人が別々の先生にかかる。私は石巻日赤に2時からの治療で午後いっぱい、父は食欲や何かおかしいと「南三陸診療所」で、内科系の診察に一日お世話になった。と言う。母はハイムメアーズにショートステイで、一週間お世話になています。震災もあるが高齢者家庭と独身という、地方にある問題を二つも抱えていると言える。しかしながら、我が家はそんなにまだ深刻と言う状況でもない。
私の身体の安定が家庭の生活安定となる。今日の明け方「脹脛」を寝ていて足を上げた時に、音と痛みを感じた。「肉離れ!」、30分痛みが取れず心配したが、軽い物だった。痛みはあるが気を遣い今日は生活したい。
「駆け込み退職」が昨日大きく取り上げられた。埼玉で110人の教員の3月末前の、今回の大量退職には驚く。クラスの担任をしていて一年間の途中ながら、退職していく事への子供たちへの影響を思うと、教員とは子供たちに、人としての生き方を教えるはずなのに、と多くの国民がその行動に疑問を持つ。反面退職金の「150万円」の違いは、制度の決定としてキツイはある。聖職者としての教員、自分の生活もあるし「しかたない」と肯定する人たちもいる。愛知県の警察職員にあっては200人を超える。駆け込み退職があった。多い県は不祥事・問題が多く発生しているような気がする。宮城県が報道で出てこない事に安心感を持つ。何人かはいるのだろうが。
今、戸倉から商工団地へ行き、父を病院へ送ってきた。いつもはタクシーを利用するが、昨日に続きの往復の出費は痛く、50分を掛け送ってきた。今朝は2往復もした。7時30分から8時にかけての道路の渋滞と、東浜団地の学童の送迎バスを待つ子供たちの多い事を今日知った。やはり高台だ。
寒い今朝は道路に薄氷があり、車は安全運転を心がけていた。「かき鍋」が美味しい季節となった。

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2013
01/24

鉄道再建


「おい!危ない!」、今日も交通に危険を感じた。写真は戸倉コンビニ向かいの気仙沼線のトンネル前で、BRTの道路としての整備が、線路を道路化の工事として、「ガガガー」と音をたてて進んでいて驚かされた。BRTが決定したのをキッケカに、町内の各場所で整備工事が活発化いる。
この場所で危険な事に遭遇した。志津川から黄色信号となり少し速度を上げた。十分なゆとりがあったが、コンビニから車が出てきて道路半分をふさぐ、バックもせずに「ぶつかる!」と思った。「止まってくれるだろう」「こないだろう」の安易な気持ちの運転は危険だ。黄色信号のタイミングに多くの危険を感じる。町内の事故はやはり多い。
アルジェリアで亡くなられた7人に今朝2人が増えた。志津川出身の伊藤さん、隣の大森地区の方だった。被災され今は仮設で実家は暮らしている事と思う。ガスプラントの開発部長として、世界の最先端で出身者が活躍している事を「誇り」に思う。
2月には町内のホテルで「還暦」の同級会を楽しみにしていた。町内の幹事役の方を初め多くの仲間がその無念さを語る。
今日は6回目の「眼底出血」のレイザー治療となる。母校「志高」の被災の記録の印刷業務の見積もりは、隣町の大手の印刷会社が落札した。デフレによる価格破壊は、我が社の見積もりの半額に近い落札価格となった。全て会社の設備流失で、再建の厳しい現実の壁にぶつかっている。

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2013
01/23

留守仮設


現在は1DKの仮設を活用させてもらっている。その訳は介護ベット・トイレが母の為に必要となり、会社倉庫で暮らし、仮設はお風呂と洗濯に使っている。冬季期間の水道凍結に元栓を止めて下さいとの回覧も回され、行政は水道破裂の予防をしている。
一週間に2回のお風呂と洗濯に、先週の日曜日に仮設に行くとお風呂場の水道が破裂していた。すぐに水道会社に修理を依頼したが10日を過ぎても、「終わりました」との連絡が未だに無い。聞くところによると意外と多くの仮設で同様の事があると言う。たまたま通帳を見ると、あり得ない金額が引き落とされていた。通常は「1700円」ながら「19500円」の引き落とし、項目には水道料金となっていた。「自己責任」しょうがないと思っている。
現在、臨時の工場・事務所そして仮設、今、暮らしている倉庫の四重生活は、出費の大きな負担となっている。1年10か月が過ぎ今後もこの負担を考えると、住宅建設への方向を取らないと、限られた資金がどんどんなくなり、高台移転ができ建設となるまでは待ってられない。こんな状況が、被災した南三陸町の住民にはある。この状況打開としてか、入谷地区で見た新築が進む建物を、羨ましく思いから参考にと写真に収めた。
アルジェリアの「日輝」の職員の、ゲリラによる人質殺害事件があり10名の日本人が死亡した。昨夜の9時近くに数件の電話が入った。「死亡した人に志津川の伊藤さんがいた」と、テレビで仮設で暮らす母親がインタビーされていたと言う。「知っていますか」との内容だった。遠くナイジェリアでの世界的大事件に南三陸町の方が関わっていた事に驚いた。私の兄と同じくらいの年齢と思い電話をした。「一つ下」だと言う。
被災を受けた人々にはいろんな事件・問題が、私の身ならず数々ある。

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2013
01/22

青空と紺碧の自然

CIMG4721.jpg気仙沼市の本吉町小泉地区の瓦礫の焼却施設が大分できてきた。
村井知事は宮城の現状と救済に、県民の代表として大きな発信力を発揮している。突然の復興大臣が宮城に来るという事で、会議を午前中で切り上げ、仙台での被災自治体との意見交換で出かけたが、今は、我が町のトップはテレビの露出は少なくなった。
県職員は平成12年の被災前から報酬カットを実施し、今回の政府の「地方交付金減額」での給与カットに異論を唱える村井知事がいる。今まで政府が国家公務員の報酬ガットをやってこなかった行財政改革には、宮城県はとっくに始まっていたのに、今回の再度の削減策は、「宮城県はすでにやっている、わが県には当てはまらない」と。他の財政改革の無い自治体には、「公務員給与削減」は今の国の財政を考えれば当然と思う。
次の世代に「ツケを回さない」、子供たちに負担を残さないが、今政治に携わっている人たちの責任と思う。


一昨日の夜中は背中の痛みにも近いゾクゾク感で目覚め、知人からもらったパブロンを飲み、朝はゆず湯と喉薬を飲み、風邪の防御にあたった。昨日は体調は維持できたが、今朝6時間の熟睡が出来たが「喉の違和感」で3時半に起き、糖尿の薬などを4錠、ゆず湯・ホット牛乳を飲み、喉薬を3錠そしてインスリンと、正に私は今薬づけと言っても過言ではない状況だ。インフルエンザで無かったことが救いで、高齢の両親への伝染予防には大きく気を払って生活している。
写真は大雪の後の厳寒の日に黒崎パーキングより、椿島と戸倉半島を背にした、「晴天の青空」と「紺碧の志津川湾」を写真に収めた。一年中で何回か見れる自然の風景です。先週は入谷地区で「-13度」だったと聞く、今年は2月まで厳寒の気温と天候が続くようだ。
昨日の会議では、「病院建設計画の素案」と「総合ケアセンターの建設素案」が示された。今後の課題として、「医師の確保」「透析患者への対応」「病院とケアセンターの連携」を挙げていた。高齢化と人口減少と言う大問題を抱えていての、住民の生命を守るための福祉病院施設の整備である。高齢化化率が60%、人口減少が町の予想よりも2千人以上も減ると言う現実の中で、二つの施設の建設は運営を含め厳しい状況となる。当初は70億の病院建設予算ながら、病院建設費29億円と言う。東地区の高台移転の土地の5分の1近くが、この二つの地域に充てられる。

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2013
01/21

命の鉄道路


この頃林から黒崎までの気仙沼線の高架橋の上を、鉄道JRの作業員らしき人たちが、線路の確認調査にあたっていた。「BRT」へのバス移送が本格化され始めている。電車が走っていた所をバスが走る、高い狭い高架橋での走行に心配な点がある。私は被災後に何回か登ってみたことがあるが、鉄サビが浮きガードは大丈夫だろうか、運転者のハンドル操作に狭い故の不安を感じた。歌津は伊里前の駅舎から、歌津中学校の下を通り、港駅前のトンネルまでの整備が、だいたい完了しているようだ。130120_112731.jpg
昨日・一昨日と戸倉への道の途中で取材のカメラクルーを見た。私の会社の脇の狭い通路へ、ホテルや海岸線の学校で被災した生徒達が、気仙沼線の線路の上を通り、被災の無い荒町の私の会社裏まで徒歩で避難したのは有名な話である。荒町の生活センターにひと時避難し、横山の小学校に移り、やっと落ち着く事ができた。セイターでは負傷者の治療にこの地区で生活していた小澤先生の息子さんが、お医者さんを福島でしていて、医療支援で駆けつけてくれたとの話もある。荒町の入口までの津波は、この手前で止まった。被災しない場所として、復興の住民移転の場所となるべき地域ながら、この地区の土地利用は何一つない。
昨日の南方仮設での「高台移転部会」は、ここで暮らす住民の傍聴から、会議への参加と住民の移転の不安を、少しは取り除いてくれて気がする。「一日も早く私が生きている内に南三陸町にもどりたい」の、強い意見が南方仮設で暮らす町民から、最後に一言言いたいと発せられた。「最新の情報の周知をちゃんとしてもらいたい」など、遠く登米市での生活に不信感が募っているようだ。何軒か仮設に寄ってきた。「いつに造成が終わるの」「もうこのまま仮設で」など、諦めの声も聴かれた。
今日は会議へ、そして本吉まで仕事で出かける。

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2013
01/20

変化2


南三陸町内を歩くといろいろな変化に出会う。毎日のようにどこかに復旧復興への歩みの姿を目にする。被災後もこの町で生きて暮らしているからであるが、居たくても居れない町民の皆さんの心境を察する。
昨日は戸倉仮設に知人を訪ねて行った折に、戸倉小前の松原海岸・跡地が、また大きく変わっていた。海岸線は8.7mの防潮堤が計画通りに進んでいるようで、戸倉小の跡地には被災した瓦礫が無くなったと思ったら、今度は基礎瓦礫がここにも山積みとなっていた。住宅地の復旧は住宅瓦礫の撤去から、土地の嵩上げで新しく町づくりがなされる。町の職住分離の政策があるが、小さな全て集落の今後の姿は私には伝わってこない。多くの問題を待つが計画するように進むしかなく、その中で議会から住民から多様な提案がされ、計画に組み入れられるのだが、町の「復興計画」に添う事が多い。
町の地域包括支援センターからの「輝き通信」が届いた。志津川剣道スポーツ少年団の生みの親である。佐々木朗先生が、直筆の迎春の文字を掲げ、笑顔で紹介されていた。金曜に戸倉剣道スポ少の現状と今後を、管轄の生涯学習課の課長に相談に行った。4人の団員を有しないと「少年団」として認められないとの話を聞き、その確認と対応をだった。被災後の少年団状況下で、子供たちのやりたいと言うスポーツの存続の為には、こうした縛りの緩和にて継続を考えて行きたい。と嬉しい言葉を聞いた。志津川地区には戸倉剣道しか現在はなく、被災後も「戸倉剣道」として2年間の継続をしてきた。志津川剣道スポ少からの派遣であり、元に戻る次期を考えここまで歩んで来た。指導の後継もままならない中で、少しの光が見えてきている。
こないだ地方公務員の報酬減額の報を伝えた。昨夜うとうとしながら聞いた事は、国家公務員の7.8%の報酬減額を政府が示している。この予算の減額総額が7千億円となり、地方公務員の報酬が国家公務員より多くなるとの逆転現象となっていると言う。地方の自治体へは「地方公務員交付金」として職員報酬が配分されている。9月議会で職員の報酬を5%カット、定年職員の再任用の廃止と、二つの提案をしたが、町長より提案は却下された。町民の雇用の場も少なく、収入の確保がままならない住民がいる中で、財政の削減も対策を住民が考える「声」を、南三陸町はしないようだ。
今日は午後1時30分から「南方仮設」で、高台移転部会の会議がある。住民の一番の関心事は、高台移転の部会員の出席がすくない時は、傍聴の町民も参加してもらうとの、提案が前回されたが、是非多くの参加と問題点を指摘してもらいたい。


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2013
01/19

生き生き


今、私は思う。南三陸町町民皆さんは、将来の不安を考えながら、地元・近隣市町や県外で生活している。多くの理由を持ち、いま生活をしている。私の知人は1年10か月を経て、ある一定の生活を確保し、南三陸町に帰りたいとの気持ちはあるものの、生き生きと生活しているように思う。
夢を持ち目標に向かい毎日を一生懸命行き、希望が見える仲間も多くいて、苦しみもがきながらも一歩ずつ進んでいて、「生き生きして眩しい」。
元、シルバー人材センターで働いていた仲間も頑張っている。「友の会」の結集で、高齢者のパーワーを被災地から発信している。高齢化の進む町として、その町で「生き生き」生きれる未来への環境整備を今から進めている。
大阪の高校の過剰な指導が「体罰」として全国に報じられ、橋下大阪市長・維新代表代行が強く言い、教育委員会の体質を強く改革しようとしている。教員のモラルの低下を隠し、教員の環境が「パワーペアレント」など、様々な家庭環境で、作り出された、問題を学校に持ちこみ、多くの問題で学校環境が大きく変わった。30年前の「昔の学校」は、陰湿ないじめも自殺も無かった。どこに理由があるのか。
地元で仕事をする私には、恩師の支援の元でここまで仕事をしてきた。しかし、今は厳しい財政の元で「安ければいい」とのデフレ的環境の中で、強い資金力・人員を有する大会社が生き残る形態で仕事が流れる。
小さい町での「風が吹けば桶屋がもうかるは」、互いに助け合いすべてにお金が回る。雇用の拡大を強く政府は言うが、公務員の意識の改革が無ければ、地方の衰退は進み、弱小企業の淘汰はやむをえない。「弱者は消えてもしょうがない」、こうした県・自治体の仕組みを変えないといけなく、トップの弱者救済の意識欠いてはならない。地域に根差した優しい学校のトップの指導が求められる。業者との癒着ではない、共にこどもたちの豊かな環境づくり、町の将来がここにはある。
30年続けてきた志中生徒会誌「松籟」が今年は入札となり、継続落札とはならなかった。これまで作成に携わった多くの先生方の顔が浮かぶ、時間がない予算がないに対応し、続けてきた母校の生徒会誌の印刷業務、これで継続の終了となるだろう。入札ながらデフレの「価格競争」は、下等競争で従業員を繋ぐだけで、会社に利益は残らない。
被災した我が社は中古の機械の支払も、補助金が500万出たと言え、まだ1千万の借金が残り、被災地の復旧復興は業種により違うが、9割が再建はなっていない。
被災前は地元の25歳以下を4人も雇用していたが、このままの「入札ダンピング競争下」では、若者雇用など、再建しようとする事業所には厳しい。
昨夜の今後を予感する変な夢から、こんなブログとなりました。愚痴は今日のブログで終わりにしたい?。

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2013
01/18

大変


大久保から林の信号の頂上向かう時、朝日が眩しく一瞬「真っ白」に目がくらむ。あわてて日よけの目隠しをする。もし、信号で車が止まっていたらと、「危険!」を感じた。
昨日は町民の方が会議で来町と言う事で、お手伝いをした。9時56分着と言う仙台からの「長距離バス」。途中から「30分」遅れです。と連絡が入る。停留所でバスを待つと、一人の方が一面の雪の中でバスを待つ、外は氷点下、気仙沼からのバスを待っているようだ。こうした被災地の環境の厳しさが毎日のように続き、多くの問題を抱え町民は生活している。
結局1時間遅れでバス付いた。矢継ぎ早に「困っている事はないですか」と車中で聞く、1年10か月が経ち、仙台の「みなし仮設」での生活だと言う。「みなし仮設」の今後が気になると話すが、この面は被災地の現状を見る限り、一年づつの延長を今後していくようになると思う。阪神大震災が2年が基本の仮設が、7年に延び、復興が終了したのに15年もかかった経緯からも、未曽有の今回の大震災、総ての面で期間の延長は間違いがない。
仮設商店街で早い昼食は「肉うどん」と、昔どおりの「京極」さんの味に舌鼓、南三陸町に帰りますと答えてくれた。
昨夜はまた始めた「トレーニングジム」の二回目に出かけた。来ている方はまばらだが、男女を含め若い方が多かった。この厳寒の中で体調の管理を図っていた。

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2013
01/17

2月いっぱい


この2日間で雪も終わりと思いきや、今朝も5㎝近くが車に積雪となった。フロントガラスの凍結を取るためむ15分エンジンを回す。こんな日が今年になり続いている。
今日は7時に会社に来た、いつもは大家さんが雪かきをしてくれる。今日は気分が良いのか? 自分でホウキで雪払いをした。荒町の家々では人が出て雪かきの光景があった。会社のこの場所は戸倉荒町の小中学生が、送迎バスを待つ所でもある。15人ぐらいはいるだろうか、大雪でも登校日には歩いて端々から集まってくる。
牡蠣剥き場で仕事をする仲間が昨日来た。14日に根本復興大臣の視察があったという。昨日も一日いっぱい仕事をしたと言う。朝は4時には船を海上の養殖施設に上げに行く、6時頃には牡蠣剥き場は活気となる。町内の魚屋さんで「生ガキ」を見たが高い、地元かは確認しないが、今年に入りまだまだ品薄の状況がある。今は「かき鍋」が美味い、家庭ではできないが、新年会で被災後初めて食した。「勿論旨い」。
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一昨日の帰りの送迎バス、「本吉タクシー」が委託業務を請け負っている。他に普通自動車での町内巡回タクシーを、地元の業者が運行している。
昨日は仙台で「みなし仮設」の生活する方から突然電話がきた。シルバー人材・クランドゴルフでお世話になった人だった。私の叔母が民生委員をしていて、17日の今日、大船で会議がある事を聞いていた。その方も「長距離バス」で来町し会議に参加すると言う。「志津川仮設商店街のバス堤で会いたい」と言う。確かここは「BRTバス停留所」だと思い話す。十日町の市街地の被災地のど真ん中で落とされても困ると言う。知っている方なので情報収集もあり、迎えに行く事とした。
国会で「地方公務員の報酬削減」の方向性を、今日のニュース訂正の情報で知った。これで「6千万の財政支出分が減少する」とか?。私も町の財政改革の面から、「報酬カット」を9月の決算議会の一般質問でした。町民の被災者状況を踏まえた提案ながら、町長は考えてないと言う。知人の職員からも「私もそう思う」が数人から聞いたが、年明け「生活は大変いじめないで」と言われた。賛否両論だが、被災地事情の中での判断は、トップの決断でしかない。何回か質問したがその考えは無いようだ。国の提案は日本の財政の危機を察知してのもので、町の財政の不安はトップは抱いていないようだ。
昨日は3回目のレーザー治療、石巻日赤の行き帰りで4時間を要した。透析施設の志津川病院への設置を望む患者の、悲痛な声の意味がここにあった。

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2013
01/16

成人式


「うちの娘もお陰様で成人になりました」「おらでも成人だがら」と知人・仲間から会場で、式前に言われた。羨ましいかぎりである。私の同級生には独身が意外と多く、子供の成人式と言う跡継ぎの節目の時を迎える事は出来なく、淋しく、町の発展への町民としての責務を果たしていない事を申し訳なく私は思う。
その弊害は、56歳を過ぎる被災者の再建にも影響していた。個人資産が乏しい私などは、猫の額の土地はあるものの、ローンを組むにも長期ローンは無理のようだ。後継者がいればそれはクリアできるのだが。昨夜は1時半に目覚め、色々考え「住宅建設」の厳しさで悩み眠れなかった。両親を送るための早期の住宅建設を目指すも、その計画には多くの壁があった。
ハウスメーカーもいいが地元の建設業者にと思う。現在、高台移転の住宅建設は早いもので1年後、一番広い高台移転で3年後、私も公営住宅をここに希望した所だが、住宅建設の時期までまだあり、今なら手の空いてる地元工務店もある気がする。
昨日、このハウスメーカーと思った訳は、「坪40万円」を唱っていたが、再度聞くと前金が38万円余り、他に191万円で消費税別で、契約時に必要と言われた。やはり1800万は超えそうだ。どうしようが今の心境だ。
親を送り私ひとりになり、その後一人の住む生活の場にこんなにお金をかける必要を意味なく思う。工場の併設ながら早くその方向性を決めたい。
13日の南三陸町成人式、昨年の「町長を湛える発言」パホーマンスが今年は無かった。一年での町長の報道がこの部分を無くした気がする。防災センターでの英雄的九死に一生は「架空」のものと皆が認識している。想定のミス責任ともとらえ始めている。

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2013
01/15

二礼二拍手一礼


「横山不動尊」の雪風景です。明日は一日前前で「お松納め」に地域の氏子さんを迎えるために、山門の雪払いをしていた。みの日も門松を納めに雪の中、一人ひとりと集まってきた。仙台でも大崎八幡宮の「どんと祭」「はだか参り」が行われ、多くの人たちが無病息災を願い集まっていた。
昨年の被災後初の志津川の上の山八幡宮の「どんと祭」の15日に私も出かけたが、人影は見られなかった気がする。後で町の人に聞くと、昨年も開催されたと聞いた。本堂・社務所は無事だったが、自宅は全壊し宮司さんも南方仮設に住み、神事がある時は南三陸志津川まで、巡回バスで通っていると話す。
昨日、南三陸町には新政権となった自民の根本復興大臣が訪れ、瓦礫焼却場を視察し、その後で庁舎で町長と懇談会を持ち、要望を伝えた。議長も同席していたようだ。テレビの報道だと「病院建設の予算要請」をしたと伝える。嵩上げや土地取得での障害があり、「特例要請」をするべきで、住民の帰還対策を講じるべきと思う。町民の声は「しばらくは今の病院でいいから、住宅の土地整備を先にしてほしい」との願いが多い。予算の活用の期間を延ばす「緩和」「特別処置」など、近々に住民要望を叶えるため、中央への「被災民の声」を伝えるべきと思う。
今日の朝の雪は20㎝は昨夜までに積もった。道路はガリガリで、車のフロントガラスも溶けて凍ったせいか、厚く固まり車を出すまで時間が掛った。道路は車で長く連なったものの、安全運転に皆が心がけていた。今日は晴れで夕方までには溶けてほしい。
横山の不動尊での願いは、「南三陸町民が一日も早くまた集まり一つになれるように」だ。しかし、全町民が元に戻れる事は、もう不可能です。ただ願わずにはいられないのが心情です。

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2013
01/14

素晴らしい指導者


剣道は「礼儀に始まり礼儀に終わる」が剣道の神髄として言われているが、私は有段者と強者は、道着の着こなしが綺麗である事を最近感じている。昇段審査でも防具の着装を重視するが、初段ぐらいではその着こなしに重みは感じない。この日の寒稽古の指導者すべての、立ち姿に着装に綺麗な「凛」とた姿が、私には大きく欠けていると感じた。よれよれの袴と臭い道着、私は「野武士」的な生き方が心情を持つ。しかし、指導者とて15年の月日に多くの子供親が付いてきてくれた。
良く言われる事は高段者の指導を受ける事で、この部分と指導者としての気位が備わる。私の剣道と子供達との接点として、潤滑油的な役割を担いたい。「楽しく仲間づくりをしながら剣道を学ぶ」これが私の、剣道指導の原点です。私の指導者は2つ年上の、遠藤先生と小山光夫7段の二人であり、今後も同じとしている。
剣道人口の減少が現在あり、志津川地区には小学生は1人である。何とかしたいが私が退く事で人が集まるなら明日にでも職を辞する事は簡単だが、それで解決するかと言うと違う気もする。
何か具合が悪い、風邪を引いたかもしれない・・・・

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:48 】

2013
01/13

嬉しい葉書


私は「積水ハイム」で、俺は「コベル」で、「ウッドホーム」で「タノ」で「住友住宅」でと、家の形より価格重視で建設会社を決めているようだ。
こないだ平成の森仮設に行くと、ハァミマからの登り口に、「タマホーム」が住宅建設を進めていた。平屋ながら外壁・屋根と可愛いモダンな造りだった。私もこれくらいの大きさで良いと思っている。両親の高齢や事情だと早く建てたいが願いだ。
昨日、寒中見舞いの葉書が届く、被災し東京で暮らす同級生、「昨年入籍しました」との内容に驚いた。同級生三一会の事務局からメールの「この年で若い人ぶるまい」がこれだった。この大震災は個々の人生に色々な変化をもたらし、悪い事や良い事を毎日の中で聞く、「多くの生活の岐路」がここにあった。
昨日は「眠い一日」となった。朝6時半に「ヘルパーとデイサービスが来るから起きろ」と、土曜日でのんびりとは我が家はいかないようだ。戸倉の会社で眠り、走行中の睡魔で仮眠し、帰ってからも眠気がとれない一日を過ごした。何なのか、体の悲鳴と受け止め少し休みたい。今日も「剣道寒稽古」「成人式」の行事が控えている。
昨日の事件に世の中の異変を感じる。「不動産屋の家族3人の死」「お金がないと家族3人の死」があった。こんな事件が被災地で起こらない事を願う。
今の苦境の現世に生かされたのなら、今生かされている証をどんな形でも良いから残したいと考える。

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2013
01/12

排水整備


土地がない、土地があれば!  これが今仮設から住宅を建てたい、生活再建の被災者の願いです。南三陸町に於いては、土地を持っていても「道路がない」となど、多くの問題で家が建てられないと言う。
土地が無いから今はハウスメーカーに、早期の建設依頼もできない。後一年またないと防災集団移転の土地の整備が最初で、それが終わり出来た順にやっと住宅が建てられる。長いもので志津川地区の、中央区・東区が27年末で、28年3月31日となり、それで土地が確認され、ハウスメーカーへ初めて建設依頼となる。その頃となると被災地の住宅建設は最盛期となり、注文して3年4年はかかる気がするし、建設費も予想も付かないくらい高くなると聞く。
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今日の写真二枚は歌津地区の側溝の整備である。本格的な排水溝の復旧が一年10か月が経とうとする今、本格的な重機による工事が行われていた。歌津伊里前市街地の瓦礫撤去と同時に進められていた。「うたちゃん橋」の前に大型重機の光景は、震災以前には想像もつかない。
今日の南町は川からの海水が、この地域を海にしていた。地盤沈下した土地は嵩上げし、排水溝設置工事をする。今のままで排水溝の復旧は、側溝の部分の掘り起こすためと、しばらくはこの被災した側溝を活用し、雨水の排水に使うのだろう。最終的には伊里前の市街地も、議論されている6mからの変化はあるが、嵩上げがされる。
女川町の埋設されている下水道が、嵩上げされた後に地盤沈下のなる問題に、復興交付金の4億が交付される事が決定した。我が町にも市街地西に対象となる下水道が地下に残る。この問題も今後行政に聴くつもりだ。
最近年度末なのか道路の補修工事が、国道45号に見られる。交通規制で予定以上に時間が係る、考慮しながら時間に余裕を!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:43 】

2013
01/11

何もなく


志津川市街地の何もない「雪の町」を志津川中学校から望んだ。雪に染まった町は白いだけで、ある意味キャンパスとして新しい町を描きやすいと思う、
土地の買い上げの事を「復興事業推進課」に聴きに行く。被災された方の意向調査で、土地の買い上げを希望する方が、2000世帯もあると言う。当然の数ながら驚く。今月末には希望する人たちへ、買い上げの中身と確認の連絡をし、3月末からの買い上げ業務に着手する旨の話を聞いた。土地の買い上げ価格の、各場所の提示をして意向の最終確認をし、地権者と直接話しをして進めると言う。
当初は時間がかかると話していた行政、しかし、再建者の早期の自立を促すため、3か月くらいで土地買い上げ金の支払いできるとの説明を以前聞いた。しかし、260件以上の住宅再建補助金(り災加算金)を既に受けた方は、買い上げの資金での再建と思ったが、それは自力での資金の確保であり、今後進む買い上げを再建資金として充てる事は間違いはない。
なぜこれを聞き取りに行ったかというと、「土地買い上げはどうするの」の中身を、直接聞きに行き、伝えるためである。以前の土地の住民意向調査の中に、この仮申請になる物があり、私もこれだけは出した記憶がある。意向調査に応えていない人は、復興事業推進課で申請書に記入し提出しないと、行政の今月末予定の連絡書がこない。ぜひ意向を示していない方は出して欲しい。
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昨日、一昨日と石巻日赤で、左右の目のレーザー治療をした。初めての体験、最初は目への照射の明かりと、レーザーの網膜への病巣の切除は、独特な気分で大変との気持ちが強かった。しかし、二回目での目の具合は大分よい方向になった気がする。
また、無茶な日程で「アリーナの運動」を昨夜から始めた。そのせいか昨夜はしばらくぶりで爆睡できた。最近は思い迷う多くの我が家の問題点で、夜中に目覚め眠れない事が多かったが、5時間の熟睡は溜まった疲れを取り除く事となった。
13日の日曜日は本吉郡の剣道寒稽古があり、午後から成人式が開催される。毎日の厳しい寒さの中で、戸倉剣道からは志津川小1年生の女子ひとりが参加する。先生方よろしくお願いします。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:41 】

2013
01/10

厳冬


昨日の日中の降雪ながら、今朝は道路の積雪も凍結もない国道に、戸倉までの10Kの道のりを安心して走行できた。
途中「旭」の輝きに誘われ、小松原と称される水尻川河口に寄り、撮った光景が今日の写真です。寒さで海上には、外気と海水温の差から「湯気」が上がっていた。幻想的光景は荒島まで湯気に覆われていた。
この場所は大久保地区ながら、ここから少し急な坂を上ると、「チンザンテイ」と呼ばれる林地区に属する場所となる。5台ぐらいフロントガラスの凍結する車、「何で」と思った。想像だが昨日の降雪と凍結で、坂を上れない車を、下に止めたからではないかと思う。1月~3月と今年の冬は被災地に、厳しい生活状態を生む気がする。
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被災地でもある南三陸町ながら、その前から多くの生活環境に不備な町だと言う事を知る。その典型が有事の際の道路整備があった。歌津地区は山間まで道路網が整備され、被災後も避難道路として活用されたが、志津川地区は狭隘な危険な獣道のような道を通り、避難施設への食糧や生活物資を運んでいた。
入谷地区からや志津川小中学校への、物資運搬道路となった「磯の沢地区」は、被災前から数世帯の民家があるが、「井戸水使用」だと言う。別な場所でもこうした状況を聞くが、この場所は町中と言っても過言ではない。
現在、住宅建設・事業所用地の場所を探し、被災町民は血眼になっているが、建設の土地がなく、探したとしても「水道」も「電気」も、多くのライフラインが整備されていない場所が多い。その場所への行政の環境整備は、高台移転が先と支援の手助けとは直ぐとはいかない。
こんな多くの課題の多い被災地ながら、毎日のように「日は登る」。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:15 】

2013
01/09

戸倉在郷


昨年の暮れに戸倉の名勝「神割崎」に出かけた。曇りの戸倉半島の海岸線を走行した。海岸線には大型土嚢が自然の波・風雨にさらされ、ボロボロとなりその日々の経過を思う。
戸倉の水戸辺から在郷奥地を望むと、ガス・靄に覆われていた。この場所にも多くの住居や、処理施設・養殖場などがあった。しかし、今は人はいなくなったと聞く。398号の道路沿いが「戸倉第二瓦礫置き場・瓦礫焼却施設」がある。水戸辺川には鮭の捕獲施設が以前より上流に設置されていた。
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今まで見たことのない大型焼却プラントが各種並んでいる。水田一色だったこの地区は、ガラリとその様相を変えた。
ここで多くの住民が雇用され、大手ゼネコンの従業員が働いている。瓦礫の処理は夏場で一年間の焼却期間を終える予定だ。町中の各所にあった瓦礫は、確実に減って今年度中には基礎瓦礫を残し片付く。こんどは町中に基礎瓦礫の山が今できている。
この場所も「被災地支援観光」の見学のルートに入っている。防災庁舎の人の姿は寒い時期のせいか、その数はだいぶ少なくなった。ボランティアさんも減ったせいか、仮設での飲食店さんの人影もまばらとなってきた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2013
01/08

人生を変えた


被災地の人々ならず多くの方々の人生を変えた「東日本大震災」となった。
写真の八幡川の自動開閉遠隔操作水門の建設者か設計者かは定かではないが、テレビで写真の水門への関わりを伝えていた。この水門で南三陸町が守られると、被災前に子供達を連れてこの場所を訪れていた。
しかし、この現状況を再度家族で訪れ、この現実を思い、新たな決意をしていた。建設会社だと思うが、仕事を辞め防災体制の必要性と、現在の不備を全国の大学などて講演して歩き、新たな防災体制について話し議論し、被災地での仕事の人不足を訴え、防災に向けた人づくりの発掘をしていた。
レベル2だからしょうがない的な国・県・自治体の発想の中で、どうしたらこうした天災から人と財産を守る事ができるかを、若いこれからの人達へ、警鐘や対策を講じようと模索し訴えていた。同様の今までどおりの仕事から、想像以上の見えない物への挑戦をしていた。講演をとおし被災地への道を選んだ人もいると、報じていた。
こうした人材が我が町「南三陸町」にも多く来町し、町からも表れる事を期待したい。頑張っているだけではなく、結果をだせる自治体の陣容体制が求められる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2013
01/07

危ない!


今日は本当に衝突の危機があった。「ぶつかる!」と覚悟のブレーキをめいっぱい踏んだ。「30㎝」は衝突の境目だった。場所は「クリーンセンター」の45号からの入口。まさかここで右折はないだろうとの勝手な判断からに過ぎない。この時、普通の生活ができる嬉しさを思う。昨夜は高校生の就職・大学合格祝い会、多くの心得を指導したが、私自身への戒めでもあったのだが。
写真は高校下の県の宿泊庁舎がいよいよ解体となる。県の解体の事業は順番に着々と進んでいる気がする。
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3日に志津川仮設商店街に「味付けのり」を買いに行った。商店街は閑散としていて、来場者は観光で来た人、故郷に帰ってのお土産買いなど、商店内での順番待ちの状況もあった。今年に入り商店街の飲食店は2度来店した事になる。行ける人は商店街を盛り上げる事も必要かと思う。ウジエスーパーの南三陸町志津川出店問題は、町民にとっては嬉しい動きながら、隣接する仮設商店街への影響、そして高台横断道路のルートとの関係など、行政の判断は難しいが、被災された住民そして全町民の意向を確認し、望む声が多い時は、出店への支援をするべきと私は思う。買い物の車の燃料費や、冬道での走行の危険など、考慮すべき点が多々ある。130105_124429.jpg
今年も防災庁舎の動向問題は避けては通れない。一昨日前の庁舎には黒の服を来た方を多く目にした。新政権となり仙台から気仙沼と閣僚が訪れ、首長と懇談したと言う。この一行が南三陸町にも寄ったと思ったのだが、または遺族の皆さんが手を合わせに来たのか。やはりこの場所は特別な所なのだろう。しかし、赤さびも目立ち危険を感じる。
今年は初めて菩提寺に私が「御年始」に行った。この日も葬儀があった、偶然にも同級生のお母さんの逝去しての葬儀だった。そして、昨日焼香に行ってきた。私の両親と同じ年齢で、多くの先人の皆さんのご労苦への「感謝の気持ち」で手を合わせている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:36 】

2013
01/06

造成遅延影響


昨日は「利府ハウジングギャラリー」に行った。住宅建設の今現在の状況を調べに、何社かの被災者への対応などを、担当主任に現実的な話を聞いた。
地元にも住宅建築の実績のある会社ながら、モデルハウスは50坪前後ながら「坪60万」と、被災者建設住宅にはならない。注文住宅を希望する場合は「坪70万以上」と言っていた。建物の部分の価格で、多くの建設までの調査・申請は別料金で、600万800万と上乗せ費用が係ると言う。大手ハウスメーカーは今なら3月から建設に取り掛かれる。決められたスタイルが何点かあり、それ以外となると設計から始まる為、時間も経費もそれ以上に必要とする。被災者の住宅再建には、土地・予算など再建者の多くの家庭環境により、型にはまったモデル室内状況とはいかない。こうした面でもあり、予算面での事だけでも厳しい中にある。
現在町で進むのは基礎瓦礫の撤去と、造成地の買い上げである。しかし防災集団移転に関しては早い所で一年はかかり、一番遅い志津川地区の中央区と東区があり、平成28年3月末までと、建設までの土地区画整理は時間が掛かる。この時期は建設の全盛期となるが、ここになると「坪単価上昇」「建設期間長期化」など、土地があって契約となるが、「建設契約」が整い「住宅申請」などがあり、今でも1年待ちの状況の中で、一斉に住宅建設が可能となる次期、経費も建設期間も想像以上の、入居までの厳しい問題がある。
町の計画どおりの高台移転造成は、可能時点から被災再建者の苦悩がある。行政はとにかく移転の土地の確保を一歩づつと言うが、早期の造成ができる場所も再検討し、今年からでも建設できる環境を整える事が、今町民から求められている。これをしないと被災者再建は出来ない。10年での町の再建は、住民が安定安全な場所へ移り住むまでと思う。諸々を考えるとこのままで考えると、「復興計画」は何処までなのか、町の描く復興の曖昧さが伺える。
1年10か月が経とうとしているが、町は元の通りなるのは難しく、高齢者が多くなる事を前提に、その家族が集まりやすい環境を作る、新しい姿の大胆な町づくりを模索するべきと思う。間違いなく働く場の少ない、広域的な家族形成で、南三陸町の存続の形が、今も形成されつつある。
写真は磯の沢の事業所建設予定地で、建設業者も県外から確保していて、3月中には完成と言う。現在建設予定地がある方は、工程に近い期間でできそうだが、資金はすでに1.5倍となっている。これが南三陸町被災地の建設事情です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:31 】

2013
01/05

大寒


5日は大寒の入りと寒さが増すと言う。今日、偶然にも曇りの中で日の出を望む事ができた。寒い毎日ながら「今日こそ日の出を撮る」と言う目標を定めると、早起きも意外と苦ではない。
未来を描き計画どおり進める事で、今を頑張れる気がするが、方向性や一貫性のブレは多くの不安を与える。「住民がここで住む」と言う気にさせるのは、10年後への被災後からの軌跡にあり、いろんな問題に対する行政とトップの「対処」にあり、これを有耶無耶にする事で信頼感が無くなり、諦めの自律へと向かう。今は精神的な弱さと、財政的な不安で、住民が事を起こす事は無理である。
誰かが言っていたが、余裕のある人たちは、もう南三陸町から他の地区へ移転している。そんな公務員や組合員はいらないし、税金での給料を払う意味は何もなく、地元に税金を払わない地元公務員は必要ない、とバッサリ! 私も当然と思う。結婚の為などで仕方なく移転するならまだしも、復興へ向かう今、被災町民が仮設で生活する、こんな町の苦境の中で、税金で給料を貰う公務員が町を捨てて、楽な生活環境を確保かるなどあり得ない。こんな人たちが意外と多い、南三陸町の現状があります。
家の祖母は「素晴らしい女性だった」、悪いところも確かにあったがである。着物でいる事が多く、「ハイカラ」な女性で、意外と何でもできた。神・仏を敬い、欠かさず朝はその前に姿があった。他に「上品なおばあさん」は同級生の祖母で、いつも凛としていた。夫を支え子供達を誰にも引けを取らない人材に育て上げた。いつも見る姿は着物だった。私の父の同級生の奥様、この時期になると「寒中見舞い」のはがき印刷を頼まれ、自宅にお邪魔すると、珍しいお菓子と美味しいお茶をご馳走になり、1時間2時間と今や昔の話を聞いた。我が家とは桁外れの家柄、同等に扱ってくれるその優しさに見守られていた。やはり会う時は着物姿の上品なおばあさんだった。
皆さんは今はもういなく、決して気高く気位を示さなくても、自然に気品があった事を思い出す。今はそんな「おばあさん」は少なくなった。昔の志津川町の人たちは優しかった。「人を思い、人を助け、人の為に尽くした」。こんな人々が今は本当いなくなった。

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2013
01/04

仕事初め


昨日は仲間4人と楽しい交流会となった。夜は二人を加え新年会になり、もっぱら町の復興の諸問題について語りあった。私たちは56歳となり、還暦まで4年となり、年金受給まで9年の年月を今後考え、生活設計を描く。自身の再建と町づくりとが互いに関係する中で、老後をどうしょうかと、少し先の生活への準備としての10年間を模索する。
正月2日松原公園を見に行った。震災後の街中の瓦礫は全てがここに集められ、松原住宅の4階近くまで達した。瓦礫の大型分別もなされ、最小までの分別は戸倉在郷の第二瓦礫置き場で行われ、焼却処理へとされる。石巻の瓦礫の分別処理で働く女性の姿をドキュメントしていた。150年間分の瓦礫があり、その瓦礫を分別する仕事に付き、この仕事を最後まで続けたいという。自分の関わるこの仕事で石巻を一日も早く綺麗したいと言う。氷点下となる外の仕事は想像以上に厳しいが、現場監督が「もう辞めてください」と言われるまで、今の仕事を続けたいと笑顔で語る。被災地にあり40歳なる女性ながら、こうした生き方をしている姿に頭が下がった。
写真は南三陸町の瓦礫の中にあったチリ共和国からのモアイの交流の記念碑と、丸い塔の上には町の天然記念物「いぬわし」が掲げられてあった。それか見られるまでに瓦礫は無くなっていた。被災後1年9か月が経ち、「やっと」とも思うが、あの瓦礫の高さと大きさを毎日のように見てきた私には、早いと感じ山が無くなった事への驚きは大きい。一歩づつだがこうした光景からも、復旧復興は進んでいるのだろうと感じる。
チリ共和国からの送られた本物の「モアイ像」が日本には届いている。その日は12月25日と聞く、南三陸まで来る日はまだ未定だが、クリスマスプレゼントと捉えたい。南三陸町の復興への願いがチリ国民から込められ、友好・親睦、子供たちの成長に寄与する事と思う。こうした事が新年発行の「モアイ新聞」書いてある。隅々まで読むと二つの町の古くからの繋がりが見えてくる。
我が社も仕事が始まった。家では母の訪問診察に来てくれた、長野のボランティアさんから、手作りのカレンダーが届いた事に父が喜んでいた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:15 】

2013
01/03

初売り


南三陸町の昔の初売りは早朝6時から始まり、五日町・十日町を中心とする、町内全域で開催され朝早くから多くの町民が町を埋め尽くした。新年の挨拶も初売りであった事を思い出す。チラシもピークは我が社でも15枚も印刷し、町内4社で60枚を超えるぐらい初売りに、町の賑わいと繁栄がここにありました。
志津川仮設商店街は「さんさん商店街」として、25年の初売りを迎え、及川組合長が復興の意気込みとフレッシュさを発信したいと言っていた。商店街全員で輪となり、今年も頑張ろうと誓いあった。餅つき大会も開催された風景が放映されたが、来客はまばらだった。意気込みは被災しながらも美味しい物を来場者への、笑顔での販売がどこの店でも見てもうかがえた。
伊里前「福幸」商店街でも、年末年始福幸セールとして、元旦を除く6日間の「お楽しみ抽選会」で来場者に新年の福をと商品券を振る舞った。2・3日と甘酒サービスもある。是非皆さん仮設から出て、皆さんとの初顔合わせいかがですか。
今日は仲間と「さんさん商店街」で新年会を企画しました。買い物も一つながら父親に頼まれました。少しでも地元から買い物をしましょう。
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写真は志津川の大雄寺さん裏に建設されている建物です。3.11の大震災で亡くなられた皆さんが、今年に「三回忌」を迎え、ご法事の会場がない事が問題となっている。聞くところによると、その場所をお寺さんで建設していると聞き、会場に活用するのかと思う。
我が家でも親戚の供養会があるが、3月初めに何とか袖浜の民宿を取れたと言う。前にも紹介した「南三陸プラザ」が今年から稼働し、多くの町民の皆さんが会場確保に少しの安心を得ている。ホテル観洋さんしか志津川にはなかったが、震災後に袖浜の「下道荘」さんの再建は多くの皆さんが喜んでいた。
南三陸町は現在は晴天ながら、天気の急変が多い気象状況です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:05 】

2013
01/02

鋭意努力


今年の初日は綺麗に南三陸町志津川湾の水平線上に輝きを見せていた。テレビ報道ながら多くの人たちが、被災地の一日も早い復興を願って手を合わせていた。
議会の原稿を元旦から始めた。親子三人での元旦を味わってはいるものの、食べて横になってテレビを見る。何か「もったいない時間」と、一人になれる戸倉荒町の事務所にいった。テレビっ子の世代の私、マラソン・お笑いの番組に目を奪われる。仲間の電話・来社に思うように仕事とならない。これが私のお正月、昨年の被災の年からは少しは普通になれた気がする。
年末の29日に志津川市街地の商工会に立った。商工会の基礎には大型重機が4台、大潮・高潮の対策か基礎の上に上げられていた。重機の間から防災庁舎が覆いかぶさるように見える。一年と9か月が過ぎ、今年こそは「庁舎解体」となるだろう。市街地の復旧が進む中で、今年こそ「慰霊塔」「鎮魂碑」の建設を是非進めて欲しい。防災庁舎の跡地は祈念公園となるが、まだ何一つ進んでいない。行政の被災を忘れない為の、モニュメント計画に取り組む事で次に進める。
何処の地区でも「遺構問題」で住民の議論がある。高田松原の「一本松」、塩害で伐採となったが、落ちた「松葉」から新芽が接ぎ木により再生した事が、メディアで放送されていた。次への希望の芽が再生を誓った。
こんな明るい話題が南三陸町にも沢山できる事を願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:58 】


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