ARCHIVE - 2012年12月

2012
12/31

大晦日


2回目の南三陸町の年越しとなる。多くの町の住民生活支援や活動支援があるが、住民には諦めの行動と決断が伺える。志津川地区を考えても、町内の仮設に生活する人たちより、最後まで仮設が決まらなかった南方地区の仮設生活者に、登米市への生活の場移転が多いようだ。
昨日上の山八幡宮前の信号から、神社を望んだ。社務所と神社が残り、この日10時頃ながら社務所には明かりが見えた。駐車場には何台かの車が見えた。被災前志津川区民の多くは、新年の神棚飾りやお札を、氏子が買い求めに行っていた。昨年はその光景は見なく、15日のどんと祭にもその風景は私は見る事ができなかった。早く通常の習慣が戻る事が復旧復興に繋がると常々私は思っている。来年は住家の建設を目標にする。勿論、神棚・仏壇を自宅には置きたい。
一昨日の夜半の雪は山々を白く染めた。朝7時ごろだったが戸倉のコンビニから荒町に向かう時に、徒歩でバス停から歩くむ学生の姿があった。BRTの限られた停留所から、何も無くなった国道の歩道を2K以上も徒歩で帰る。小中学生は「送迎バス」ながら、高校生は大部分が徒歩で荒町まで帰宅する。精神力の強い大人となる事は間違いがない。
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「ニューヨークタイムス」が紙ベースから、電子版のインターネットでの電子書籍としての配信となる。「ペーパレス」への時代が今後も加速する。契約料は現在の3割くらい安く、新聞情報を得られると言う。ネットでの情報発信が主流となり、雑誌や週刊誌も減少していて、新聞もピークの半分近くにアメリカではなっている。日本も同じ状況にあり、印刷関連企業の減少は続く。
写真はおすばで祭りの店に並ぶ「真タコ」を買い求めているや客さんの風景です。地元の方よりも近隣の町からのタコを買うお客さんが多いように見える。「我が家」事情は、90歳を過ぎる両親は歯が弱く、餅と同様にタコを喉に詰まらせる心配から、食卓には余りタコの刺身などは出さない。町内での魚屋さんでは煮たこを干す光景が多々ある。習慣・伝統の風物詩が復活している。
今日は何もせず年越しを味わいたい。
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2012
12/30

商売繁盛


昨日の「おすばで祭り」は、会場が被災後の仮設志津川病院の跡地の狭い会場ながら、10時には多くのお客さんと、「売切御免」の札が、ケースにすでに貼られてあった。南三陸町志津川はやはり「真ダコ」だろう。販売テントではタコの姿はあるものの、「水タコ」が多く「真ダコ」は少ないし、「志津川真たこ」は価格も水タコの倍以上はしていた。しかし、来場客のお目当ては、やはり「タコ」であり飛ぶように売れていた。
「あっぺとっぺ沖の須賀」がテントで水産物を販売していた。被災した漁師さんの集まりで、水揚げの海産物を仲間たちと、大きな掛け声で販売していた。これからは生産・販売が第一次産業家の残るべき姿と私は考える。「石巻市雄勝の「オーガッツ」がその良い例ながら、その向かうカベは厳しい。
その後で「志津川仮設商店街」に回る。さすがにお客さんは「おすばで祭り」に奪われ、閑散な状況だった、終われば間違いなく客はこちらに戻る事と思う。
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戸倉からの行き帰りは「さかなのみうら」の前を通る。花のバイキングの芳賀さんの跡地を改装してオープンした。「よみがえれ故郷がんばれ南三陸町」と看板を掲げ、狭い駐車場には多くの車がはみ出し並んでいた。
地元の商店の復活も被災地の復興には欠かせない。一歩づつ前に進む事で明日が見えてくる。私には「見えたり」「隠れたり」と、これからの町づくりがどうなるのか、見えなくなってきている。行政の町民に伝えていない事があまりにも多く、私ですら知らない事が多すぎて、突然の報告に驚く。
ついに明日で今年も終わる。

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2012
12/29

おすばで


年末の29日は南三陸町志津川では恒例の「おすばで祭り」が開催されていた。3・11の震災後も「復興おすばで祭り」が開催され、会場は寒さの吹く市場から、アレーナ近辺に移し、今年も開催される。
「おすばで」は当地方の方言で、「酒のツマミ」を意味する。漁師さんは海から帰り「おすばでなぬがねえのが!」が、茶の間に落ち着き一杯お酒のおつまみを奥さんに言う。タコ・あわび・かき・ホタテなどが、店頭に並ぶ、震災以前の賑わいは小さいが、この町の復興への願いと気持ちが、こうしたイベント祭りにある。今から会場に向かう。
写真は松井田の友人の新築したばかりの家が津波で流出した所です。裏山は「久須志神社」で、ここにも地域住民が駆け上がり助かった。この場所の1K先近くの海から津波が来て、ここから又1K先まで津波が到達し、予想を絶する津波の威力に、多くの地区民の尊い命が失われた。
行政の想定する範囲を超え人口が流出している。「復興計画」「病院計画」「都市計画」など、多くの震災後の町づくりの計画が、見直ししないといけない状況となった。南方で生活する南三陸町民の皆さんも「登米市での生活でもいいかな」「お盆にお墓参りすれはいい」と、故郷での生活を諦める言葉を聞く。
ウジエの出店も計画の見直しと新聞に掲載されているが、これは町の人口減少が要因ではない。商店の賑わいが、住民の買い物の場が、町民の笑顔が、一日も早く蘇る事で町の復旧再建の追い風としたいと、ウジエさんは言う。
石巻でのボランティアさんはピーク時の10分の1と言う。我が町でも何時かはこんな時を迎える。

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2012
12/28

変化を知る


毎日のように旭洋さんの会社の前を通っていたが、「南三陸ブラザ」のこの大広告塔を初めて見た気がする。南三陸の新たな名所になる、斬新なデザインにまたの繁栄を思う。年明けには私の従妹もここで結婚の披露をする。
「未来の党」の嘉田滋賀県知事、小沢氏との分党を決めた。「国民の生活が第一」に戻り、森参議院議員が代表となる。私の嫌いなタイプの政治家と前置きする。嘉田代表は阿部知子代議士と共に二人で、未来の党を継続する。小沢一郎氏の国皆の生活が第一は、今回の衆院選で9名の当選となったが、未来の党の得票による比例が7人が当選で、他は小選挙区での二名は小沢氏と亀井氏であり、当選の為の離合集散そのものがここにあった。小沢一郎氏は力がありすぎてカリスマ性に人は寄ったが、時代は終わったとも言える。夏の参院選も先が見えるようだ。嘉田氏の一つの決断のミスが、新たな政界改変にブレーキを掛けてしまつた気がする。「脱原発」「消費増税」は、橋下氏と、議論し共にやって欲しかった。
夏の選挙は始まっていた。みんなの党は民主党との、選挙区での競合しない協力に動いていた。自民は衆議院のような大勝は難しく、阻止へ第三局がまた躍進する事と思う。嘉田氏にはもう一回、二つの事を協議するべき、橋下氏との一緒に政治改革の風を起こして欲しい。と私は考えるが、石原氏の東京での票は伸び悩み、強硬派の言動にも不安を抱く国民も多い事が実証された。
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南三陸町歌津のアワビを昨日貰った。「開口」だったと言うが、以外と値段が安い事に驚く、市場と地元浜値価格の違いがここにある。
昨日はまた南三陸町で火事があった。袖浜地区の漁港での「船舶火災」だった。水産業の再建に向かう漁民の多忙や、新造船での作業が影響しているのだろうか。
私の午後は石巻日赤で右目の注射の日、看護師さんの話声に南三陸町から火事の患者さんが来ますとの声が聞こえた。大事に至らない事を願った。来月は眼底の出血のレーザー治療が始まる。左右で8回のレーザーで一回保険3割負担で「33000円」を要する。しかし現在は医療費免除が3月までとなり、大いに助かる。高額医療での返還もあることだが。
今日はお客さん回りを30件予定する。

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2012
12/27

町民皆が復興庁


宮城6区の小野寺五典氏は「防衛大臣」になった。以前に外務副大臣の経歴を持つ、こうした意味からも適任と言われる。復興大臣のポストに是非と思っていたが、でも大丈夫です被災地の地元の為に今後も支援活動はできます。復興大臣は福島県出身の根本匠氏が就任した。福島の被災地の県民の気持ちは五典氏同様にもっとも理解している人材と言える。「危機突破内閣」と位置付け、18人の閣僚全員が「復興大臣」と安倍総理は言う。今回の人事で一番気になり注目しているのが、福島県出身の森まさこ氏で、少子化担当大臣で女性参画担当でもある。弁護士で議員としてはまだ若く、女性ながら菅総理への一般質問で、「居眠り総理」と「歯にもの着せぬ」鋭い発言があったと言う。被災地の親子を思い、被災地の女性の状況を理解し、風評被害にも取り組む姿に、弁護士としての力量と女性としての優しさを兼ね備えた、被災地を思う良い人事と感じた。内閣平均年齢は57.7歳となった。
今日の写真は「繁栄した時代」と「屈折した時代」が交錯する風景です。宮城県合同庁舎が解体されたが、南三陸町の庁舎の代替としての思案もされていた。南三陸消防署の有望な職員の殉職があった中で「火の用心」の跡だけが残る。今を象徴する「BRTバス停留所」が志津川仮設商店街に隣接建設された。高校生が登校するためのに、旧駅前にあり街路灯もない中で、やっと落ち着いたと思ったら、高校から福祉の里を通り仮設商店街までは、冬に向かう階段の滑りと距離が二倍以上となる、誰の為のバス停なのと思う。
入谷での「町づくり協議会」で、住宅建設までの不安を吐露した会員がいた。造成・移転・住宅建築の時間の遅れでの、住宅建設費の高騰を心配する。こないだまでは「1.5倍」との話があり、別の高台移転部会員からは住宅建設可能時には「建設費が3倍以上になるのでは」との話があった。驚きの分析をしていた。
今、南三陸町民が求めているのは移転場所と働く場だと言う。こうした住民要望に対し行政は一時的な救済で、町の復興の真の対策とはなっていない。大型スーパーの建設計画は、行政の後押しで何とかなる。建設となれば「雇用の場」「買い物の場」などの、町民が求める物が二つ解消する。一部の町の再建よりも、人口流出の歯止めには、観光よりも生活環境の整備にある。
今後の行政行動に十分に注視していきたい。志津川市街地に出来る「高台横断道路」の建設、浸水となった土地の活用は、住民の再建の道筋が見えてからでも良い。

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2012
12/26

極寒


あの日もこんなに寒く雪の舞い散る夜を迎えようとしていた。
この風景から1年9か月が経ち、津波の瓦礫は撤去され、この場所の中央にあった県の合同庁舎も今は解体されその姿はない。
この場所は浸水域であり危険区域に「10月1日」に指定された。これにより人の住む住家の建設ができなくなった。しかし土地の買い上げの対象となり、住宅再建の費用が買い上げにより、再建資金が国の支援制度が適用され活用できる。
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この場所には「ウジエスーパー」が、「ツルハドラッグ」がと新たな商店街が形成されると言う。それ以外にも被災した商店・飲食店が開店を予定する。しかし、この場所には人が住む事ができないのが原則にある。まさに「職住分離」を掲げた行政の大津波後の、町づくりの考えが実施しれている。
昨日は予定どおり午後は、眼底出血のレーザー照射の為の、眼球への抗生剤の注射をし、4時間は眼帯での安政を指示された中で、経過を待ち入谷公民館で開催の「町づくり協議会」に参加した。夜中の雪の中の運転の不安はあるものの、自分の部会員の役目の全うすべく情報収集を行い、自分個人としての考えを述べた。多くの行政・部会事務局への進め方への、厳しい熱い意見が投げかけられた。
次回は南方で1月20日午後2時に開催と言う事になった。今回は20名のうちの半分が出席となった。他の部会も20名がいるが、別の部会も半分近くが欠席している。志津川地区の町づくりの3部会があるものの、被災し仮設での生活で、南方への参加は家庭もあり大変だと思う。しかし、多くの境遇での意見による、新たな町づくりの提案は欠かせない。
我が社も28日までの仕事としたい。

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2012
12/25

サンタと恵


「メリークリスマース」と言って、サンタがトナカイが何人も店に入ってきた。祝日ながら出社してくれた従業員と、志津川仮設商店街の「はしもと」での事だった。
サンタの代表が店主に「プレゼント」を渡す。仮設の店舗での頑張りへのエール、サンタをしているのは岡山の支援の大学生と思う。一年も前になるが別の仮設の店で、泣きながら「南三陸町にずーと来ます」と言っていたのが、岡山県の大学生だった事を思いだした。
昨日は店に今の旬の味「真だらの白子」がメニューにあった。町内の再開した魚屋さんにも真だらが店頭に並んでいる。昨日の大雪の寒い夜は、「たら鍋」が恋しくなる。店のメニューにもあった。一人前「1500円」今度注文したい。その時はお酒も是非一緒に楽しみたい。
写真は一年六か月が過ぎようとする我が社の戸倉営業所です。友人をしてもらっている先輩の倉庫を半分借りての、被災からの再建であった。昨日は大雪の中で、朝5時ながら20分を要した。今日は道路の凍結も心配し、40~60Kのスピードで15分の道のりとなった。多い時には5往復もする。結構ガソリン代が大変だ。
そんな場所ながら、我が社には戸倉まで何人もの方が仮設など、今の住まいからおいでになってくれる。志津川市街地が全て無くなり、街中からその周囲に散っている今、人との交流が皆無と言っても過言ではない。集まるとなると「足」が問題になり、その機会を持つ事を仲間同士が意識し、互いに気を回し無理して皆が集まろうとはしない。これが被災地の人との繋がりを減少させている。
今日は日赤で「眼に注射」をする。夜は「町づくり協議会」が入谷公民館である。そしてまた、商工団地に帰る事となる。


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2012
12/24

クリスマス


こないだ志津川の仮設商店街に買い物に行った折に、商店街スタッフがツリーを飾っていた。セイターの広場が夜に雪の中で煌めく。今日の朝は今年一番の積雪となっていた。今日も道路の圧雪となり運転の減速で、事故の抑止に努めて欲しい。家族での「ホワイトクリスマス」となった24日の南三陸町です。
昨夜も午後6時30分にけたたましい消防のサイレンが鳴った。その後での防災無線での「歌津吉野沢のコミニティーセンター付近の火災」と聞く。友人がいるので電話するも出ない状況だった。こないだも町のゴミ処理場の「ペレット工場」での火災があり、気仙沼市では2人の焼死者を出す火災も発生した中での、今回の火災発生だ。やはり「住宅火災」で、吉野沢地区の人たちの炊き出しもなされたと言う。被災し多くの家庭が仮設で生活し、世帯が少なくなった中で、火事の発生率の多さの原因解明も必要と思う。
私も昨日は朝ご飯の準備で、弱火にしたガスをそのままだったと父親に指摘された。昨年はコンセントのブレーカー付きながら、コンセントが不接続で焼け焦げ、発火寸前だった。火の元のチェックと、家族での互いの確認で、防火は出来ます。
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昨日、歌津からの帰り「皿貝」の家でのイルミネーション」を見かけた。6時ながら真っ暗闇の中にイルミが輝く。被災前もクリスマス近くになると、皿貝の国道の一つの風物詩となている。
昨日は葬儀に参列し、被災後の別な状況を知った。残った家での被災者の受け入れ保護があり、高齢者の生活状況の変化で、入院が余儀なくされ、家族一丸となりで高齢者を見守った。「おじいさんとひ孫」との話だった。95歳での天寿を全うしての逝去を、最後まで家族が寄り添い看取った。また、介護施設のスタッフの心温まる触れ合いで、互いに生きる力も貰ったと言う。こんなドラマが被災後の南三陸町では、何処かしこであった。
母の実家で米を持ってきた。認知や足の不自由でベットでの、しゃべらず寝る事の多い母が、甥っ子の実家近所の話に、いっぱいの話をしていた。デイサービスでの4日間の生活は、前回とは違い母には良い結果となった。自分から話しかける事などなかった最近、この姿にまだまだ大丈夫との疾患となった。父には手が係るが家族三人で、一日一日を平穏に今後も過ごしていけそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:33 】

2012
12/23

年末戦略


年末年始への準備が加速している。地元の産品の発信は今がチャンスとしてあり、「志津川真たこ」は3県に送り、「千葉りの店」の味付け海苔は今年も順番待ちの状況で、仙台を初め南は九州まで発送をした。南三陸町は水産業の町で「かまぼこ」がお美味しい、「マンセン蒲鉾店」がお得意で正月の蒲鉾は、セツト物をピークには50個以上、近隣の親戚は元よりこれも全国の友だちに送り喜んでもらった。
昨日はしばらくぶりで仙台に行き、昨日買い求めた「志津川蒲鉾」を兄弟・甥っこ達に届けた。仙台一番町に車を止め、アケード街へ行くと「さ・か・な・の・み・ら・ら」の店の名前があった。南三陸町の産品をテントで販売していた。間違いなくそうなのだろう。多くの週末・年末の買い物のお客さんが集まっていた。
被災地の店の原点は写真の「鉄骨」しかない店からである。昨日は友だちが「防災庁舎解体になるんだね」と言っていた。今年の9月の解体予定が伸び伸びとなり今に至っている。新聞にこの事が掲載になったのだろう。志津川市街地の東側に現在も残る残骸は、全て解体になる事は決まっている。
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水産業はまだまだ厳しく、水揚げは被災前の10分の1に満たなくとも聞き、行政の報告だとだいぶ復旧していると言う。秋サケも地区により水揚げに大きな差が出ていて、津波の影響で鮭の回遊のロートが変わってしまったのだろうか。アワビの開口も例年どおりの場所をめざし漁をするものの、いつもの場所にはアワビはなく、場所を変えると限られた時間が終わると嘆く。歌津はたしか4トンの水揚げで、「さっぱり無い」と漁師はいう。水尻川の鮭の捕獲も採卵の施設もこないだ撤去された。牡蠣は年末の高値を想定し調整に入り、ホタテが欲しくても志津川での水揚げはなく、品不足で魚屋さんは来客に頭を下げていた。
防災庁舎前も道路の嵩上げがすみ、海水の流入が解消された。年末年始はこの場所にどんな姿があるのだろう。あと10日となった南三陸町の24年、県の合同庁舎も解体され、聞くところによると、この地域の開発や大型スーパーの出店の声を聴く。やはり町外に移転し仮設に住む南三陸町民は二の次としか思えない、町の情勢に疑問ばかりだ。

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2012
12/22

越し方


被災前ごろから会社の建物の老朽化を考え、解体をどうするかを建設会社に聞いた事がある。一部ながら「500万円」以上との答えに驚いた。
これから自分が何年仕事をして、老後をどうするかと常々考えていて、仲間も今後を考え仕事の再建をどうするかを思案していた。土地を取得し会社を建て設備を整える計画は、後継者がいて初めて成り立つ計画である。後10年、15年生きるための生活を考えるが、両親を送る事が当面のしなくてはいけない事と心に思う。
商工団地の現在住む倉庫の近くで、倉庫・作業場の解体が現在進んでいる。この土地の処分も現在発展している会社が取得する。津波で被災しながらも大きな力を発揮する企業が必要と思うが、住民の再生も考慮しながらの巨大企業化を願いたい。
「越し方」「来し方」「生き方」は、自分の人生の終末をどうするかにある気がする。

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2012
12/21

老化


今、印刷工場へ戸倉荒町から田んぼを通り、真っ暗な山へ行き暖房を付けてきた。田んぼの反対側は小川が流れ、砂利道にハンドルを取られながら準備をしてきた。被災地の事業所はどこもこうした状況下で仕事をしている。便利だった工場は、限られた仕事の場へとやむをえず移し事業を始めている。私の工場も山中の牛舎を改装し機械を入れた、年末の寒さの中で工場に小さな明かりが山に灯る。私なからず仮設の生活者も同じで、厳しい状況にある。私は仕事ができるだけでも幸せです。
現在56歳で脳も老化を続けている。しかし、生活で厳しく何かを求め必要にかられると、脳の機能の部分が成長し発達すると言う。記憶は悪くなっている気がするが、漢字・言葉など必要に求められ、現在少し前より多くを記憶し、言葉として文字として頭に浮かぶ、今しないといけないと、脳細胞・血管が発達しているとの、研究結果に努力する事の大切さを知った。「少年と大志を抱け」です。南三陸町の明日を創る「南三陸町議会議員」の若返りで、新しい風を巻き起こす人材の発掘に、町民みなで取り組む必要性を大いに思います。是非挑戦し被災地の再建に、若者の考えを発揮して欲しい。
韓国大統領に初の女性大統領が誕生した。「パク・クネ大統領」、その人である。波乱にとんだ経歴を持つ。母を21歳で亡くし、父は元大統領で軍事クーデターを起こし、軍事政権の大統領となり、その父のハァーストレディーとして補佐し政治家となった。その後父は暗殺されたと言う。60歳独身で子供もいない。大統領選は一騎打ちで接戦となり、「51.6%」を獲得し当選した。女性でも独身でも、国と国民の為に尽くしたいと言う。前大統領のように「裏もなく」、見せかけのパホーマンスはしない。近隣の国々とも平和的な、発展的な政治をしていくと話す。なんか期待できそうだ。
夜中12時半から眠れず、2時間布団でいろいろ考え眠れず2時半、日テレのニュースと「オハ4」を見て、途中で戸倉に来てブログを打つ、正に病気である。

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2012
12/20

問題山積み


松原公園の志津川市街地の大山の瓦礫は、見通しが立つまで撤去が進む。第二瓦礫置き場への瓦礫処理場に移った事での、現在の量となった。
そして、また市街地に大山が出来つつある。マツダ本社の跡地に基礎瓦礫がそれです。家が流された跡地の基礎は、コンクリートと鉄棒が入り組み造られている。その残骸は破砕して土地の砂利の嵩上げや道路の埋め立てとして再利用する。しかし、木材などの瓦礫は焼却すれば減るが、基礎瓦礫は体積が大きく変わる事はないものの、市街地復興の資源として再利用の利点とある、その処理には大型機器と時間か係そうだ。
朝出社の前に消防車のけたたましいサイレンで気持ちが締まる。5分後に戸倉の会社に向かう時になり「防災無線」が火災場所を伝えた。電波が悪いのか「入谷・・・」と聞こえたが、黒崎パーキングの衛生処理センターの向かう所に、消防車が止まっていた。よく見ると海水を消防車に酌んでいるようだ。「何で」と思いのままに荒町に付いた。
小中学生の送迎バスの子供たちの見送りのお母さんが、「戸倉脇の沢ってどこですか」と言う。防災無線は「戸倉脇の沢」と火災現場を伝えたと話す。町内の地図を開くと、「ごみ処理場」「衛生センター」しかない場所が「脇の沢」た゜った。民家火災と聞いたが、その地図にはその二つの公共の施設しかない。間違いはないと思うが、ここが火災現場と思う。
復興の24年も残す所、後10日余りとなった。交通事故もそうだが、今日は水道も凍結し、暖房機器の管理も気を配って頂きたい。昨日もまた町民の訃報を聞いた。

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2012
12/19

失望


冷たい朝6時5分、林の信号機前から志津川湾を望む、まだ旭は水平線上の前線の下にいた。まだ真っ暗ながら湾には数個の明かりが見える。もうすでに海上で漁師さんが仕事をしていた。
朝のニュースで容疑者を搬送中のパトカーが大型トラックと正面衝突し、容疑者が死亡した。福岡県筑紫警察署管内の出来事だった。筑紫中学校の生徒さんたちが、歌津中に送られた応援の作品を思い出した。運転のプロの事故に驚くが、被災地でも見通しの良いアリーナ近辺の道路で昨日も事故があった。知っている町職員の顔もあり、その現場が大事に至らない事をねがった。朝の国道の大型トラックが、被災建築資材を搭載しけっこう早いスピードで、三陸海岸のカーブを走る、さすがに「怖い!」と一瞬思った。毎日多くの早朝出勤の皆さんに、「時間の余裕」「急いでも何分も変わらない」など、安全重視をお願いたい。事故を起こしての精神的苦悩を知っている私だからこそ、言え事なのかも知れない。
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昨夕「横山峠」の山の上にこんなきれいな、雲に浮かぶ「紅空」を見た。
夜中1時過ぎ「おやんつぁん」と呼ぶ母の声で目覚めた。熟睡しているように見える父は、その言葉には起きる事はなかった。母に聞く「怖い夢を見て」、親父を案じての行動だった。認知の少しある母のこの気持ちに「夫婦の在るべき姿」と、「夫婦はいいな」と再確認する。父の毎夜の姿ながら、ピクリともしない状態に、声も掛けられなく眠れない、考えさせられる長い夜となった。
今日から母は「ショートステイ」でハイムメアーズに4日間お世話になる。こんな事もあり夜のこんな行動となったと思う。こうして介護施設への高齢者の、終の棲家としての岐路が今かと感じる。
今日も多くの皆際との被災地の復旧への話をする一日となる。

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2012
12/18


先週の12月の季節はずれの大雪の、戸倉西戸の西城魚店前の国道45号の道路です。道路沿いにあった住宅が全て無くなり、見通しが良い分スピードを上げ、交通量の少ない時間は多くの追い越しの車もうかがえる。
先ごろにタクシーに乗った折の、最近の交通事情を聴いた。事故は被災前より多い事は聴いていたが、オバーに言えば南三陸町内に「一日一件」の事故があると言っても過言ではない。昨日も来社したお客さんが、戸倉コンビニ手前で、事故があり怖かったと話す。写真の雪の日も、アリーナ交差点・戸倉向かい浜の海岸線でも、多重事故があったと言う。先週末も横山峠からの下りの荒町手前で、下りの車が逆のガードレールにぶつかり、救急車が来たりパートカーも来て、交通規制となり夕方の渋滞となった。町内のあちらこちらで道路のガードレールが破損し、ねじ曲がっているのを見かける。
現在「当たり屋」が県内で発生している。情報では大阪ナンバーで81件が確認されている。町内での発生は確認が無いと言うが、行政での防犯の予防活動は、発生してないなら周知はしないと言う。ナンバーも偽装で発覚は難しい。しかし、事故があったら「すぐに警察へ通報」、この実践で対策ができる。
知人が8月に東京からの若者の車との衝突事故、居眠り? 追い越し?の正面衝突は現在も打撲と、目には見えない体内での骨折に、通院や寒さでの痛みに苦しんでいた。「観光支援」は嬉しいが無理をしての運転や、被災地の通行は危険がいっぱいで、夜の通行は街灯も少なく、突然の段差もあり、凍結によるスリップも考えられ、スピードは控えめを励行してもらいたい。「観光支援」はバスツアーを進めたい。しかし、宿泊施設の確保は難しい事を言いたい。雪景色の三陸海岸の風景は美しく、ホテルの露天風呂からの雪と志津川湾、タイミングが良ければ水平線からの「日の出」も年明け頃から角度により見られる。
昨日は納税に町民税務課に金額を確認に行く。町県民税が24万円超で、4期に分け6万2千円は、被災し全てを失った我が家にとっては大きすぎる。また、国民健康保険も減額となってはいるものの、9月以降の年末までの12万円の、総額20万円を支払いにいく。私の両親は健在で「高血圧」の薬や診療費の健康保険がかかっている。皆保険の日本にあり納税の義務は行使すべきの考えが、被災者であってもある。これは私が払える現状にある事が前提としてである。町の税収が現在4分の1で、6億ぐらいかと思う。足らない部分は国からの補助金で補っている。
選挙が終わり石破幹事長の行動に感服する。55歳で私より一つ下だった、選挙の告示に沖縄に入り、最後も沖縄に来たと言う。「自民への追い風はない」と言い切る。今、一番大事なのは「被災地」と「沖縄」と言う。そこで沖縄への力の入れ方は、地元の下地氏を落選に追いやった結果でも、行動に県民が動いた。今何をすべきかを、今後のために行動していると私は思う。こうした事前の行動が今後に繋がる。我が町はこうした危機感の欠如が見受けられる。
朝は4時に起き、5時にはもらった大根で「おでん」を作り、両親に準備し6時前には戸倉の営業所に来た。

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2012
12/17

衰退


民主党の敗北は見えてはいるものの、ここまでの後退に驚く。
傲慢な態度の初代復興大臣の松本氏は落選し、樽床氏・田中真紀子氏・城島氏・鹿野氏・千石氏・・・など、大臣クラスが8名落選、管氏・海江田氏などは比例重複で復活当選となった。
宮城県は自民の5人が当選し、安住氏が幹事長代行として、民主党の宮城でのただ一人の当選となった。6区は自民党小野寺氏が大差で2位の鎌田氏を引き離し当選した。是非被災地気仙沼出身として「復興大臣」のポストをお願いしたい。前大臣の平野氏には「ご苦労さん」と感謝をしたい。次期大臣の被災地への新たな支援政策には、大いに期待できる気がする。忘れていたが輿石幹事長は参議院なのだろうが、大いにあの野田総理をバックアップしている姿にも、謙虚さと横柄さがうかがえた。間違いなく国民は国会議員の活動の総てに、「嫌だ」の投票行動を表している。
自民党の石破幹事長には勿論笑顔はない、安倍自民代表にもこれからの政治の行動に、国民の投票行動に応えるいくために、気持ちが引き締まると言う。
決して自民党が躍進したのではなく、「民主党が自ら落っこちた」と言った感じが、私にも見える。「政権交代」に大きな期待はあったが、あっけなく3年4か月で終わってしまった。第三極は「日本維新」も、橋下氏と石原氏の考えの差を大いに心配する。「日本未来」も嘉田氏の卒原発だけでは近民の票を集める事が無理だった。小沢氏は当選したものの、時代は終わったように思う。嘉田氏は橋下氏との連携により、もっと三極として新しい風を吹かせられたような気がする。
世襲は悪い事だとは思わなく、小泉・後藤田・河野・・・など、政治家としての資質と使命を受け継ぎ、国政を託しても良いと思う後継者もいる。
「刺客」「落下傘」など、こうした政治的策略は成功もなく、その策略は成果を得る事はなかった。「国民新党」は下地氏も落選したが、追い出された亀井氏は涙の当選となった。自民の藤村官房長官も小選挙区で3位で落選となった。「ミサイルを早く打ってくれればいい」との、選挙直後の発言が票に表れたと言うより、官房長としての発信力の低さにある。野田氏は地元で圧倒的な票を獲得したが、民主党の最大責任しての身の処し方があるが、こんなに大きな大敗に代表を辞めるだけで、その責任が終わりとは私には考えられない。政治家はこれからの活動で返せばよいとの事なのか。
昨夜の8時から湯中、そして朝とテレビ報道にくぎ付けとなり、ねぶそくで今のブログ発信となった。こんな話面白くもないでしょう。土曜日にホテル観洋でOGAのクリスマス会があり、400名を超える方が集まった。

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2012
12/16

強風が


「帽子が風で飛ぶ」、これくらいの強風下の市街地のこの日です。写真はちがやさんの駐車場向かいから、三陸道のインターが出来る小森の方向を望んだ。基礎瓦礫も撤去され市街地の復旧が進み、河川堤防の8.7mが川沿いにでき、被災地の嵩上げが今後される。また、この場所は市街地ゾーン形成の商業・観光ゾーンとなる。
仮設生活の被災者には、将来への住民の人口増加は難しい。生活の安定とブライバシーの確保がなく、周りに気遣いながらの生活がある。若い夫婦が家族を増やす事も、なかなか出来なく。恋愛もできない南三陸町の被災者は置かれる現状を心配する。私の仲間も多くがまだ独身ながら、婚活を自分自身の努力でおこなっている。「彼女を連れて仮設で」と、どうどうと行動する事が、気遣いもあり難しいと私は思う。南三陸町の出生率と結婚の数は減少しているが、高齢者の死亡は続き、人口は減少している。行政の観光客での交流人口の確保は、町存続の意味的にも無く薄い気がする。
住宅建設の土地確保、建設業者の選定など、住民が知りえない所への監視の目が、「機会の仕事」である。嵩上げが当たり前に行われると思っていたが、1年9か月が経ち、嵩上げは今後の進め方で変わるかもしれない。こんな大きな事を1週間前に知った。予算が町にあれば嵩上げをするが、国からの支援が無ければ、嵩上げは出来ない。別な形での被害地・新水域の在り方が変わる。「嵩上げしない!」こんな事を町民誰ひとり考えていない。
市街地の6m嵩上げが今後どうなるか、町民の皆さんの監視の目を強化してほしい。

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2012
12/15

本格的に


「町独自支援は」と、行政のトップに聞く。被災した自治体は財政難の中で、復興交付金頼みの復旧復興があり、税収の減少と減免制度の元で、余分な財源はないと言う。だから地元住宅再建の支援策はあるが、それ以外町独自支援策は今はないと話す。多くの町民が町外に流出し家の再建もしている。大半が公務員と組合員と言う。一番町民・組合員を守るべき、保護するべき人たちの、町再建からの離脱に「違うだろう」の気持ちが強くなる。共にこの地からスタートしてほしかった。
震災後の混乱でも「行政体制」「議会体制」に多くの疑問を持ち、今回で議員になり13回目の質問を今週に終える事ができた。町民の公僕としての行政職員の意識が薄く、「してあげてる」的な考えで業務をし、目に余る「高飛車」な態度の職員もたまにうかがえる。
行政職員には町民に真摯に優しく、再建に共に苦しみを分かち合える精神を持つ、こうした職員が互いに切磋琢磨して、行政運営にあたる体制づくりをして欲しい。議会は「若返りと女性の参画」を町民が積極的に、考え参加し「どうしたら」と仲間と考えて欲しい。自分の信念の元に行政と対等に向き合い、住民生活の向上を、子供達・高齢者と言った弱者に優しく、町発展の為に強い経済体制の構築に、一部の人間だけの町づくりから、総ての町民・組合員・団体との連携強化を図り、町から強い発信力で全国に世界に、町の多くの良き所を広め、「この町で住みたい」との人々の移住拡大に、多くの政策を町民提案も聞き入れ、南三陸町の生活の伝統継続に、頑張っていく体制づくりが今必要と思う。
写真は現在町内・海岸で川での地質の調査が進んでいる光景の一つで、歌津大橋の下での寒さの中での作業です。。いよいよ「土地の嵩上げ」「津波からの防潮堤」「新たな道路編成」へと踏み出す。高台移転も今年度内に、入谷や名足の「災害公営住宅」の造成が今月から始まり、平成26年7月31日の完成と言う。まだまだ先だとは思うが、意外と月日は早く過ぎる。
これは私が思う新しい町づくりの住民の意識改革です。

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2012
12/14

仮設生活者は


町も大きく動いていた。また行政と強く関わる組合・人々も動く、高台移転・土地買取・買い上げなど、1000億円の補正予算額となった。仮設での生活者は町からの情報を元に再建への準備をしているが、土地が見つからない限り、行政が準備するまで、何もできなく前へも進めない。「一歩ずつ」ながら、その一歩は遠く霞む。
昨日は「戸倉駅」の調査費が予算計上された。現在の戸倉のコンビニ前がその場所で、被災後にすぐに戸倉駅の再建をと機会で私は質問した。もう一年半が経つ、JR東日本は鉄路の復活は、採算面で当分は無理と言い、現在、写真の「BRT」が町内を走る。そして、志津川仮設商店街には、立派なバス停が建設が進み、年内にも完成のように思う。戸倉の駅は復活する。それはバスによる復活であり、決して鉄路ではない。なぜ南三陸町の荒町まで線路は生きているのに、こからの折り返しの鉄路再建とはいかない。採算・整備・調査があると言っていたようだが、JR東日本への住民の熱意もあるが、今回の大震災で何を先にかと言うと、被災地の復旧復興と、もっと必要な部分の被災地鉄道の再建がある。住民生活の順番も、「我が町」はどちらにしても、後回しにされている気がするる。
「コレストップ」と言う言葉を初めて聞いた。温暖化に向かう地球の二酸化炭素排出の規制がある。こんな問題があり大手企業にはCO2の抑制のための割り当てとして、森林のCO2の吸収を、持っている自治体から、森林の面積に応じ、対価をお金で買う。こうした制度のもとで、当町の800ヘクタールのCO2吸収の4000トンのうち、2000トンをNTTドコモに売ると言う。その額は1トンあたり1万円と言う。制度は判っていたがこの事に、南三陸町が関わる事は良い事と思う。しかし、「コレストップ財団」が一手にこの事業に当たり、1トン当たり1700円の経費と、毎年50万円の調査費がかかる。今回350万円が補正予算された。この町の森林は契約する事で縛りがかかり、町の森林と言えども、勝手に伐採したりできなく、活用も許可が必要となると思う。行政のみならず金儲けには多くのリスクは付き物である。
我が社の社長が取り組む「被災者住宅建設支援事業」も、NPOと地元企業との兼ね合いがあり、ハードル・リスクは高い。
今写真に見える鉄骨も解体の方向に今後進む。町内すべての被災した構造物は「解体!」が決定している。

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2012
12/13

情報が欲しい


驚く事の多い一日となった。
9時55分の北朝鮮のロケット打ち上げ、そして尼崎殺人事件の角田容疑者の獄中での自殺があった。朝鮮のロケット解体の映像により、世界が発射の延期を伝えた。この情報の確認の甘さ、やはり見抜けなかったのだろうか。多くの監視体制をしても、子供じみた北朝鮮の目論みを多くの情報把握・調査の大人は知らないままで、突然の発射があり、想定以上の技術の向上も見え、世界が愕然としたのは間違いない事実となった。安保理の制裁もさる事ながら、世界の大国も、世界の平和を害する一国の行動に厳しく対処すべきと思う。中国の行動もあり、パレスチナ・アフガンなどの非人道的な人の行動は、人間が秘めている悪の部分、これは無くならないのかも知れない。
多くの事件の真相が解明されないままで、多くの親族を自分が手を加えずに、殺害した尼崎の人畜にも劣らない角田被告の行動は、鬼の面をかぶったあの顔、一度見たら忘れない。自分の「欲」のままに周囲の考えも聞き入れず、目に見える強い圧力で、何人もの人生を踏みにじり、理不尽な死へと追いやった。角田被告は就寝に見せかけ、Tシャツで首を絞め窒息死の「自殺」をした。「悪いのは全て私です」と言葉を残して死んだ。現世の行われている社会経済の中でも弱者・弱小企業があり、これ守るのは政府? 人でしかない。
被災前は人口が17944人が住んでいた南三陸町、震災で793名が死亡不明となり、16971人に減少、ここから現在は10月末で15253名となった。世帯数も約5400世帯が4867世帯と減った。高台移転の計画が進んでいるものの、場所により一年後が最短で、最長で27年末の3年半後となる。先が見えない将来に南三陸町での生活をあきらめ、町外へと散っている。全壊・半壊のり災加算金申請を、368世帯が申請をしていた。町内での住宅再建は81件で県内が162件の報告があった。人口動向は2453人で、転出が2187名があり、これが人口の流出の現状である。私の同級知人たちも登米市への住宅建設をした。登米市が730名・仙台420名・気仙沼130名があり、石巻・栗原や岩手・東京など各地区へと生活の場を町外へと移した。
土地の買い取りも多くの問題点がある。宅地としての地目の買い取りは、庭などの菜園や店舗・倉庫も一体と認める所は買い上げる。土地はあくまでも相続がすんでいる地権者との買取業務となる。志津川市街地の都市計画・公園事業・防集のかかる場所は、全てこの条件のもとで買い上げを行う。公園事業の予定地の縮小が検討され、今後この方向を地権者と交渉を行う。買取のできない土地は「換地」を行うが、場所などは相談の上今後進める。まだまだあるがこの辺はまた紹介したい。
こんな中で南三陸町には今日も眩しい太陽が昇る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:47 】

2012
12/12

復旧と安全


市街地の病院前の冠水していた道路が「50㎝」のアスファルトの嵩上げが終わった。道路沿いのスタンドに、雨水がその分流れ込んでいる。スタンドはしょうがないけど、安全が第一とドランバーを気遣う。しかしこの段差は怖い。
「昨年の津波を思い出して下さい」はNHKのアナウンサーの言葉だった。町の防災無線はマニアルに沿った放送をしていると言う。この言葉は被災地の子供たちにとっては、あの忌まわしい記憶に怯え、泣き出す子供もいたと言う。被災者には多くの配慮が求められる。
防災庁舎解体は県の事業として決められたとおり行うと言う。これは行政の言葉ながら、今年の9月の解体予定から、解体の期限いっぱいの来年9月と話す。議会のそのやり取りの攻防を、NHKのテレビの、「蛇と地リス」の攻防がダブって見えた。厳しい疑問の追及に、あの手この手での説明づけての、引き伸ばしと私は感じた。
7日の地震そして津波発生があり、石巻鮎川に1mの津波襲来があった。三陸沿岸の水産業には幸運にも被害は無かった。南三陸町での津波襲来はあったのかの問いに、津波の検潮機がまだ設置されてないと言う。南三陸町の「津波の象徴」としての被災地なのに、全国の地震・津波の状況には余り報道として上がらなかったのは、行政の全国への発信の整備が、1年9か月が経っても整っていない事を露呈した。「津波はあった」が行政の答えだった。
「前立腺がん」が90年が一万人の死亡だったのが、07年には急激な伸びを見せ、3万~5万人? との増加に、自分もここが不安視している。現在は血糖値の採血で、ガンの発症の身体の有無を調べていて、今のところその兆候はないと言う。ガンで亡くなる芸能人が今多く、早期発見で治る可能性が高い。中村勘三郎さんの「癌晴る」は、彼独自の復帰への大きな気持ちだった。
今年の冬は「厳寒」だろうの私の感は当たりそうだ。山での多くの遭難は、12月の日本海側の昨年の10倍とも言われる積雪が原因している。冬を、寒さを、雪を侮るなかれ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:56 】

2012
12/11

自宅は


魚市場の方向に用事があり、志津川市街地の地盤沈下の本浜町を見てきた。大きな様変わりの中に自宅の倉庫の一階が残っていた。基礎も含め解体されない事に疑問があった。他にも一部の土地だけが基礎撤去がされないままで、残された意味を聞きたい。
市街地の現在ある防潮堤から少し後ろに、8.7mの壁とも思える国の「津波防災マニアル」どおりの防潮堤ができる。その内側の部分に漁協の建物と、鉄骨瓦礫が残っている。聞くところによると鉄骨にサビ止めが施され、土地の嵩上げなどの再建がされた後で、鉄骨を使い工場が再建されるとの事を聞く。
家に夜7時に戻ると自宅の空き地にビニールシートで覆われた物があった。父の言うには二軒隣の建設資材の大工さんの所の材料だと言う。近々倉庫の解体をするらしい。現在建設木材が高騰する中で、ここには多くの材料がまだまだ残っている。この材料の行く先を心配する。現在の商工団地は地価の高騰があり、私が取得した時は坪6.5万ながら、今は倍以上となっている。
商工団地は事業の拡大を目指し、高台の造成で水産・建設などの事業所が、町場の狭い場所から広い場所へと仕事の場を移した。今回の大津波で市場に近い海岸線での水産加工場の建設があったものの、津波の脅威・不安から商工団地の北側に、「第二工業台地」の構想も現在、商工会によってアンケートが取られた。
南三陸町の町民の考えも、大津波で生活・生業を含めた、海近くから高台の安心して暮らせる場所へと、意識の持ち方が大きく変わった。
今回の写真は、市街地海岸部の地盤沈下の現状を目の当たりにし、55年慣れし親しんだ場所からの離別を再確認した。・・・買い上げされるのか? が心配で、自宅・工場の再建の資金が、この土地買い上げが元となるのだが。・・・

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:52 】

2012
12/10

住宅早く

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住宅建設の仲介は多くの問題がまだまだある。自分の家を建てる事で、皆さんに進められる物か、そのリスクの回避をする為に、年明けには着工を始めたい。2DKながら自分の住家を最低限度の生活の確保を、低コスクの住宅を手に入れたい。こんな住民要望の方々の支援をしていきたい。仕上がり価格は「550万円」になりそうだ。CIMG4341.jpg
。明日から12月議会となる。今回は2番目となった、質問は・・・

高台移転の問題点と住民意向の重視を

① 志津川市街地の防災集団移転の西地区があり、津波災害復興拠点整備事業として中央区・東地区がある。戸建て希望の数が西地区173戸に対し、住民意向調査では50戸で、東地区においても147の区画に対し190世帯が土地を希望している。この住民の要望と、町の造成の区画整備の差に対する町の対策は。
② 志津川市街地の都市計画に対し、津波対策としての避難塔・避難道路の確保は充分か。加工工場・商工事業所・企業誘致など、ゾーンへの観光客や来町者の市街地の避難防災マニュアルなどの計画は。
③ 職住分離の方向性の中で、現在、第二工業団地のアンケートが商工会の方から事業所にあり集めている。この事業に対する町としての関わりと、今後の町として第二工業団地の計画をどう考えていくのか。

高台への住宅建設が最大の「新南三陸町への目的に」と行政に訴える。

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2012
12/09

町再建


今日の写真は、志津川市街地の高台移転の中央地区で、今後造成が行われる平地と山々です。現在は戸建が176戸を計画しているが、希望は140戸であり、この部分はまだ余裕がある。意向を決めかねている12%の残りの皆さんもこの状況を知る事で、どうするか早く行政に伝える行動へと向かう。しかし、12%に南三陸町志津川での居住を既に諦めている方も多くいるように思う。
今日も新井田川には最近の雨、そして2日間続いた雪が川水へと流れを速めていた。この新井田川は被災前にあった新井田屋さんの前で、小学校裏と磯の沢へと二つに分かれている。新設の新井田川のルート変更は本当に大丈夫なのだろうか、不安である。
7日のアンダーイズ地震は、三陸沖で発生し、防災への今の対策への急務な面を露呈した。明治三陸地震は8.9で、昭和三陸地震は8.1と、30mにも及ぶ津波で沢山の人たちが亡くなっている。内陸に大船地区の名称は、こんな内陸まで船が津波で流されてきた事の、実証でもある。地震発生の場所により、津波の発生の警報を出して、津波防災としての避難行動がある。「職は低地」では本当に良いのだろうか、との疑問もあり、町形成は全てを高台が過去に学ぶべき事と思う。
志津川仮設商店街の立地も商工出身のトップの判断としてある。町民の買い物の場としてではない事が、「一日平均9名の町民来店」で、その在り方・政治判断の是非が問われる。
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十日町から保呂羽山を望んだ雪景色です。被災した市街地の再建には住宅建設がある。大阪府堺市認証のNPO法人の「桃鵬」が南三陸町での事業展開に、我が社を選んでくれた。その事業は15坪2DKで「3500000万円より」から、住宅建設を請け負うと言う。しかしながら、水道の設置・ガス設置などはなく、低価格の理由は外国建材・資材ほ使い、10軒の住宅がまとまる事で、低コストを実現した。被災者が家を建てても、住むまでの事ができるかと言うと、被災地の住宅関連施設の業者の確保は厳しく、土地の造成整備も2年後以降であり、被災者の再建には資金や業者・土地と多くの難関が目の前にある。通気口・エアコンなどの仮設にあるものはない。仮設は県での支援で、入居できるとすぐに生活ができるが、再建住宅は六点セットを持ち込んでも生活はできない。難題の多くが350万円で建てても、仮設生活からの新生活への状況は厳しく、その他の部分の仲介や制度活用の支援はできるし、10軒の建設再建者の確保もある。できるか判らないが、どんな形であれ被災者支援の協力はできる。
被災者支援のNPO法人と地元住民の協力なくして、再建者の住宅再建は無理と私は考える。もし興味がある方は連絡をください。説明をしたいと思います

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:37 】

2012
12/08

津波再来


2月の今日、今年度の冬初めての大雪となった。被災地に降り積もる雪はさらに冷たく悲しげに感じた。防災庁舎にも深々と雪が降る朝6時30分です。
そして昨夜の震度4となった南三陸町の地震だが、石巻などは震度5弱と、昨年の地震のような感覚をもった。震度4ながら長かった、3.11は比べものにはならないが。この時は戸倉荒町の被害が無かった場所、そして両親も高台の倉庫、市街地とは違い、こんなにも地震発生で「避難」を考えない事は初めての体験となった。
街中に入る車の「規制」が警察により行われ、海岸部から多くの車が内陸へと、連なった車の列が会社の目の前を走る。夕方5時18分の地震から間もなく「津波警報」が発令され、当地方にも1mの津波が5時40分との到達時間が示された。6時には石巻鮎川に1mの津波が襲来した。携帯電話は繋がらない、あの時の状況となった。
3.11も地震発生から津波襲来、そして冷たい雪が降り始めた事を思い出す。自然の人間の行動に対する怒りなのか、震災復興よりも政治の混乱での選挙、自然の警告と合致するのが不思議だ。
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放射冷却の朝、旭の橙色が暗闇の被災の町を照らす。
昨日の津波警報が発せられた沿岸部の夜の通過は怖いと女性は口々に言う。女性だけではなく、総ての住民は東日本大震災の大津波を報道の映像で見て、その怖さに怯え、浸水域に居た全ての人たちが避難したと言っても決して過言ではない。
「こないだの津波を思い出してください」の、防災無線からの言葉が発せられた。この言葉は強く重いと聞いて思った。
私が生まれ育った志津川市街地の嵩上げ事業は、全てを今の近々におこなうべきか。それよりも高台移転などの住居の確保をするべき、との議論がある。行政の言う「土取り」の土の置き場の確保を言うが、この辺は解決できる問題と思う。
南三陸町民の人口確保は、長すぎる住宅確保でできない事で、しかたなくふる里を捨てて、町外へ行くという住民の話を多く聞く

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:12 】

2012
12/07

乱世


朝5時、町は動いていた。旧警察署前の道路の嵩上げ舗装や、道路のライン引きが真っ暗中で進められていた。
こないだ「・・・の所在分かりますか」の電話が入った。病院での待ち時間で、我が社で印刷した本の、印刷所電話を見ての電話だった。作品は「花咲くころ・・・?」で、10数年は前の仕事だった。
大震災で地元での生活から、隣市での仮設での生活が今あり、固定電話も南三陸町なら同じ番号で、色々な方からの安否確認ができるが、知人の方は所在探しに、いろいろな手段を講じた中で、心配と不安が募っての1年8か月だったと言う。学生時代からの同級生との事だった。
誰かは本の題名で思い出し、さっそくその旨を伝えた。1年8か月ぶりに声を聴けた事と思う。
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中村勘三郎さんの死は57歳と私の一つ上で、多くの人たちから期待されての急逝に、仲間たちの心中は察するに余る。
大竹しのぶさんは知人として最後を看取り、元夫の明石さんまさんも同じ年で、二人の笑いの掛け合いを思い出す。人に笑いと笑顔を届けようと、人生を突っ走ってきた。歌舞伎の勘九郎の頃のあの笑顔を思い出す。
50歳半ばは体に変調が現れる事なのかも知れない。三一会の私たち同級生にも言いたい、「いつまでも大丈夫はもう過去の事ですよ」と。まだまだ復興への長い道のり共に南三陸町の再生の為に頑張りましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:42 】

2012
12/06

故郷の川


私たちの故郷の思いで多き川が大きく変わろうとしている。志津川の新井田川は現在の位置が反対側に移る、それは国道45号の上山沿いへの嵩上げ道路への、移築建築のためである。自然に造られた川の流れを、町づくりのために人口の川流れとする。こうした自然の大地形成に人の手が加わる事を、私は良しとはしない。
写真は歌津伊里前川です。まだ何も被災から変わらない現風景がそこにはある。しかし、鮭は故郷の川へと戻ってきていた。地区民も川との係わりの中に、今までの生活がここで繰り替えし営まれてきた。
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「しろうおの川」が伊里前川にあり、しろうお祭りが地元の新しいイベントとして、始まった矢先の大震災大津波の、商店街の崩壊が起こってしまった。
写真は川の「ざわ」で今年に造られたものです。以前は幾つもの幾何学模様が川にはあった。現在はこの一つを見つける事ができた。必ず「しろうお」の遡上が再び地域の再生へと導いてくれ。
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歌津ギョリュウと田束山のつつじを描いた、歌津地区のマンホールの絵が私は大好きだった。
このあいだ被災地の橋のたもとで見つけ、写真に収めた。しかし、下水道の機能は崩壊し、再建の見通しもたっていない。
ボランティアの語り部は、まだまだ個人の再建の途上である。今後はこうした小さい故郷の営み、生活の習慣・伝統などの歴史も、被災の状況と共に伝えていって欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2012
12/05

ありがとう


長野県の飯島町の議員さんからの紹介で、農家の方から二度に渡り「南三陸町の皆さんへ」と支援物資を頂いた。
初めはじゃがいもを夏に、今回はネギを100K頂いた。南方仮設に50K、平成の森に30K、吉の沢・歌津中に10Kづつで、昨日すべてを仮設に届ける事ができた。少しの心づくしとして「志津川タコ」を送る事も、昨日のうちに済ませた。
「長野県飯島町の宮澤さんありがとうございます」。宮澤さんはサラリーマンから農業に転身されて、こうした被災地支援の志を持っている。オール日本がこうした気持ちを持つ事で一つになれる。決して物だけではない。

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しばらくぶりで吉の沢仮設にいった。「復幸茶論」に自治会長が不在と言う事で、ネギ10Kを置いてきた。仮設によって受け入れの態勢・気持ちが色々ながら、有効に苦情がでないように住民への配布を願いしたい。大変な自治会長の仕事と理解し、今後もよろしくです。
「中村勘三郎が今日の2時33分に亡くなった。」と突然の訃報に驚いた。食道ガンで手術をし必ず復帰できるものと確信していた。現在57歳で歌舞伎界に新風を巻き起こす人材として、大好きな人間の一人だった。二人の息子も歌舞伎を越え各世界で活躍をしている。親の教育の元で息子たちも素直に成長し大人となった。家族の理想の姿を見ていた。
57歳で手術療養中に肺炎を拗らせ呼吸不全となり、華々しい人生をこんなにも道半ばで逝く事を、誰が思い本人も想定もしていなかった死だろう。
嘉田未来代表が「小沢氏に影響されそうだ」、比例でも名簿順にゴタゴタしている。小沢氏の影響力で今まで、政党からの分裂は政治の不信へと繋がり、国民不在の政治がここにあった事を思い出してもらいたい。「嘉田知事そして未来代表」決してぶれる事なく我が道を通していただきたい。多くの国民・女性と政治不信の国民、小沢アレルギーを持つ人間は応援しています。私もあなたの理念・政策には賛同しますが、今後の推移で投票行動を決めていきます。
私は「明日の命はどうなるか判らない、この一瞬の今を大切にしたい」と人に常々話す。後悔だけはしない「我が人生」としたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:47 】

2012
12/04

侮るな


やはり2時半となった。「眠れない!」、質問の中身が頭の中をグログロ回る、起きて文章にしたためる。こんな夜中の繰り返しが一日おきの昨今となっている。
昨日、折立の地区の道路の看板が気になり、車を降り確認した。南三陸町の45号の冠水3地区の、道路嵩上げ舗装が示されていた。旧志津川病院前は、歩道との「縁石」の高さ以上の道路嵩上げ舗装がされ、志津川の2地区は復旧工事が最終段階となり今日を迎えた。
さっき気仙沼・本吉地区に「大雨洪水警報」が発令たれ、戸倉荒町までの走行にも、大雨が打ちつけ雷の稲妻が光っていた。そして、秋田の内陸で震度4の地震が発生した。3.11から一年9か月がもう直ぐで、100年に一回の大災害大津波。「自然を侮ってはいけない」と心で囁く。何が起こるが判らない社会情勢と、世界的な自然の猛威が各地で起こっている。
歌津の洪水写真が立て看板にある。志津川での生活が主体で、こんな写真の光景に、地盤沈下が海岸線全域にある「我が町」となっていた。
6時18分、石巻地区に「竜巻警報」が出た。
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「小沢一郎を使いこなせない自民・民主党に、官僚を使いこなす事などできない」と、未来の党の嘉田代表はハバッサリ。
彼女の発言に橋下大阪市長の、維新八策を示した当初の新鮮な勢いを感じる。石原東京都知事との結集で、橋下色が見えなくなってきた。野田首相が上手な事を言っていた、「赤・青・黄色などの色が混ざると色が見えなくなり透明になる」と、色の三原色の事と「党利党略」「離合集散」であると言っていた。さすがに「松下塾」で磨きあげられた話術を感じる。
青空にそびえ立つ「防災庁舎」、こちら側から大津波が襲来した。三階には防災機器が未だに残っているようだ。一人の男性が車を降り、真っ直ぐに庁舎正面に立ち手を合わせ頭を下げていた。町民皆が今もこの気持ちは変わらない。
昨日も志津川「さんさん商店街」には、多くの観光支援の皆さんが訪れていた。私は知人と「豊楽食堂」で五目ラーメンを食べた。志津川病院の裏にあったお店は跡形もないが、店主の遠藤さんは80歳の半ばを越え、いまだに現役で町の復活に頑張っている。私は元気をもらいお母さんと共に、「新生南三陸町志津川」を見るまでは死ねない。とは思うが。

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2012
12/03

師走


「寒い寒い」と父親が夜中に私に話しかける。四時に起床し昨日のニュースを確認する。昨日は9時20分に荒町営業所から町内へ、その途中に「トンネル崩落事故」の報を聞く、10時前から受付が始まった。写真は私が感じた今年初の氷と雪の景色に寒さの訳を知った。
「後悔しないようにしたい」は、こんなにも別れが突然で、してあげられなかった事への反省の言葉だった。入谷地区においても就職したばかりの青年が亡くなった。したい事が沢山あった事と「若い死」に、深い悲しみの日となった。
高齢化の方向に加速する南三陸町、若者の流出と「町づくりの担い手」の早すぎる死に、町の将来を懸念する。
「できる事は今すぐする」「後でするは出来る事の先送り」「その強い気持ちが時間と共に薄れる」「嫌な事は先送り」など、こうした事は何の解決にもならない! この事を幾度となく体験し、私の今の行動がある。「今を時間を大切に!」であす。


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寒さ故にこんな風景に出会える。「け嵐」と「瓦礫焼却場」の二つの煙に旭が反射する。戸倉地区の小学校があった最終入り江に位置する場所からの写真です。
昨日はアリーナ交流ホールで「復興まちづくりフォーラム」が、公益財団法人「さわやか福祉財団」の主催で開催された。私も参加をずいぶん前から予定していたが、仲間の手伝いにこの日の一日となった。私の仲間も「おわかれ会」の閉会を待たず、フォーラムの役員として閉会挨拶にと駆けつけて行った。
葬儀の途中で同僚が「フォーラム行くの?」と電話をくれたが、彼も葬儀への出席だと言う。寒さに向かう中、亡くなる方が多い南三陸町の昨今です。
12月に入り、私ことの多忙であれ、会社の仕事が暇であれ、成るようにしかならず、懸命に南三陸町の復旧に取り組くで行きたい。

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2012
12/02

南三陸の贈り物


「南三陸の贈り物」は、被災前に南三陸町の沢山の恵みを弁当に詰め込み、新しい名産品にしようと、印刷業の私が考案し、知人のお店の皆さんの協力を得て、製造販売しネット発信した弁当の名称です。南三陸町産の穴子・ホタテ・つぶ貝・菜の花・イチゴ等々、15品目を一つの弁当にギュと詰め込んだ。勿論「志津川の真だこ」も名産品であり入っている。
写真は水尻川でカメラで帰って来た白鮭の捕獲で、採卵し稚魚まで育て放流する。捕獲・採卵が水尻川の袂で、淡水組合の皆さんやシルバー人材の会員さんがあたっている、シルバー人材さんは今はない。
北海道からご主人の仕事で都会に来た主婦が殺害された。22歳の男性容疑者、空き巣に入り帰って来た主婦を10数カ所も刺し殺害した。出会いがしらの殺害、22歳のまだ若い青年が容疑者として取り調べられている。26万円を2回に渡りコンビニで引出、その4日後に家賃5万数千円を払っていた。空き巣の前歴があり、防犯カメラが多くの場所で男性を捉えていた。軽犯罪の行動が凶悪犯罪として、全国の報道の的となり、この事に双方の家族の事を思う。
今の犯罪には現在の社会情勢・家庭教育などが囁かされるが、若者の短絡的は行動であるが、一生懸命にこんな社会であっても、もがき苦しみ今を生きている若者もいる。社会のせいにするのは一部の若者の逃げなのだろうか。企業・社会が見守る政治体制に変える事を、今回の衆院選の投票の選択肢の一つとして、選挙に足を運びましょう。
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多くの恵みを与えてくれる「志津川湾」、昨日は一昨日に開口となった「志津川産鮑」を友人からご馳走になった。知人たちも地元で取れるアワビはさすがに美味いと言う。
南三陸町の海岸部の津波による地盤沈下は、沢山の弊害を生んでいる。その一つの現実を見つけた写真がこれです。車のボディーやホイルのサビであり、その他にも電気系統の故障など、嵩上げがまだなされない所に、高潮・冠水を受ける事業所では、車への被害がでている。
海との共存共栄をもっと行政で考え、「我が町」にあった復興の形を議論して行く環境を、行政で作るべきと思う。NHKでの先ごろの報道での、石巻市・気仙沼市・名取市などの、住民行動が南三陸町にもあるべきと思う。

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