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ARCHIVE - 2012年11月

2012
11/17

津波から逃げる


「地震が発生したら」どうしますが。大きさに応じた避難行動をとる。志中の防災研究の「てんでんこ」を思い出す。家族が自分の身体だけでも避難行動をとり助かる。「自助」ながら高齢の両親・子供たちの事があけば、そうばかりとも言ってられない。
「津波が来た時」どうしましたか。海が大きく引くなど異変を注視し、海から目を離さず、状況に応じた徒歩・車の選択をして、高台に逃げる。とにかく早く逃げる事を考える。高齢者対策は、地域が連絡網を普段から確立し、できれば高齢者の住む場所は、津波到達地点以外に居住をするべきと思う。
こんなやり取りが自治体からの視察研修であった。
「職住分離」を南三陸町は実践する町づくりへとシフトしている。「避難路」「土地嵩上げ」「防潮堤」で今までの場所でともあるが、地震に津波に怯えながらの毎日は、高齢者を抱える家庭には難しく、今回の被災の体験の風化がない事を、後世への警鐘を鳴らし続ける町として、町づくりをする義務が「我が町」にはあるようだ。それが「観光?」と言うと違う気がする。、
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二つの写真は津波の被害の盲点にあった。同僚の同級生が亡くなったと昨日聞いた。気仙沼線が土台だけとなった基礎の前に海の方向を遮っている。国道45号の道路から線路の上から、津波が知らないままに一揆に襲ってきたのだろう。逃げる時に海の状況を見れない、こんな津波対策は「まさかここまで」との、想定外の津波に原因する。
「チリ地震津波は新井田地区までは来なかった」、こんな過去の記憶が避難行動を遅らせた。ここから40mの国道45号まで少し上がる場所が、津波が家々などの瓦礫を市街地から押し上げてきて、止まった地点となった。この距離でも避難行動ができなかった事となる。合掌。
現在自動車会社もやっと工場を立て始めている。清水浜の駅下の鈴木ボディーさんは、今年の8か月前に工場を建て営業始めた。マツダさん(写真)は、汐見の本社は流失し、天王山の店舗は津波で被災したが、震災後、お客様の自動車確保・修理などでいち早く、稼働し交通手段の安定化に努めた。そして今、志津川モータースさんが工場を建設中である。総てを失い土地・資金など、多くの課題を克服して事業の再開へと向かっている。しかし、一社は再建とはならなかった。それは社長さんの死亡に起因する。経営者の主導なしには再建の厳しさがある。合掌。
志津川市街地の形成は、若い経営者に委ねられているが、果たして市街地の再建には多くの問題があり、市街地形成も大規模な都市計画であり、まだまだ先は長い。
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