FC2ブログ

ARCHIVE - 2012年11月

2012
11/12

第二の市街地に


私の震災後の第二の生活の拠点は、一時的にも入谷にすべきとの考えは、間違いない判断と確信した。
昨日の「入谷秋まつり」の会場となった「ひころの里」には、多くの地域民や仮設からの町民の姿があった。餅まき大会もこれでもかと言う位に盛大に大量にまかれ、「入谷地区民の心意気」を発揮し、入谷小児童による「打ち囃子」は、子供たちの元気と笑顔が、町民の再建への力となり、家族の打ち囃子の取組の厳しさも、力強い伝統継承への地域性を感じた。入谷婦人部のダイスは元気そのもので、会場の子供達や応援に駆け付けた仙台の団体も踊りだし、その後で「花笠おどり」で会場を盛り上げた。仙台の団体の祭り支援には、はっと汁やとん汁が来場者に振る舞われ大行列となった。
入谷には10の地区があり、地区ごとのテントでは、野菜・お餅・焼き鳥・遊びなど、地域ごとに会場を盛り上げ、「くるみ餅」は11時前には売り切れ、「あん餅」も後わずかとの声に、2個購入した。「餅まき大会」は最高の盛り上がりを見せ、「校長先生こっちにもまいて」と、小学校の父兄だろうか、商品の番号の入った「まき餅」に、先を争うように餅を追いかけていた。
CIMG3594.jpg
写真は「入谷打ち囃子」の獅子と舞手の写真だが、囃子舞いの中で子供たちが、次から次と「獅子」と「舞手」が早変わりする事を、今回初めて見て知った。
各地域の芸能・文化の子供たちによる伝統継承の大切さを感じ、地区がバラバラになった本浜地区の「七福神舞い」も、地域の休止の時に若者たちが、伝統の継承をしたいとの声を思い出した。
会場となった「ひころの里」、心部の広場に仮設建設をと叫び続けたが、行政はこの声には耳を傾けず、登米市南方への仮設の建設へと舵を切った。結果的には多くの町民の人口の流失となった。場所・環境・学校の総てがここにはあった。「何故!」との気持ちを未だに思う。
現在は入谷地区に商店・住宅などの生活の拠点としての光景が多くある。行政の決断は南三陸町の将来を本当に考えた末の政策だったのだろうか。多くの不信感がいまだに心の奥底にある。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:57 】


TOP