ARCHIVE - 2012年11月

2012
11/30

眠れず

朝2時30分から眠れずこんな事を思った。
町の独自支援は再建する住宅のローンへの金利補助と、水道の本管から自宅までの引き込み二分の一負担、100万上限だった気がする。浄化槽の設置補助支援もある。
生活の再建には手薄い町の住民定住支援があり、国県の復興交付金には予算の使途の「縛り」の中で、住宅建築への多大なる負担となり、被災前に暮らしていた生活を取り戻すには厳しい状況がある。「町の財源が無い」などの理由から、町民の町からの流出があり、防止策が行政では講じていない気がする。もっと手厚い十分過ぎる、町民が求める支援に応える事は、以前から言っているように本当に無理なのだろうか。
何回も問いかける行政への疑問です。
石巻の津波による被災者が住宅再建に親子で臨んでいる。土地と住宅で700万円の買い上げにしかならず、ちなみに土地は坪7万円と言っていた。再建の住宅と土地で三千万円かかり、1600万円の資金の調達に悩んでいた。現在は被災した家を700万円で修復し、現在も家族5人で今の家に住んでいる。
「日本未来の党」の嘉田代表、昨日は滋賀県議会から、「知事を辞めて代表職に専念すべき」と指摘されていた。公務に支障のないよう、公務時間以外で活動しますと話していた。滋賀県「琵琶湖」への思いを強く感じた。
埼玉県の出身で京大に入学し、滋賀県庁に就職しその後で大学教授となった。「農学博士号」を取得し、環境社会学者として琵琶湖の研究や環境改善に取り組んできた。「もったいない」を唱え、税金の無駄使いに一石を投じた。未来の党代表として「卒原発」を訴え、「若者の主婦の才能を生かす」、こうした考えで国政に「捨石」となる覚悟で、今回国政選挙に参入した。
石巻の「ヤマニシ造船」が、事業者再建機構からの採択をうけ「50億円」の支援を受ける事となった。我が町でもこの機構からの支援があったような気がする。一部の人たちの活用ではなく、多額の支援がされる、団体で貰い配分できるなら、行政も関わるべきと思う。
写真の「ファイルアップロード」が今日は出来なく、昨日昼前から始まった防災庁舎の屋上での警察の「現場検証」の現場、偶然にも限られた時間ながら、この場所を通過した。勿論この光景も写真に収める事もできた。テレビ報道のカメラも二台あり、時間を聞いて来たのだろうが、私はそんな気もなく、この一瞬のチャンスを掴んだ。諸々の思いが自然と機会を与えてくれた。
防災庁舎屋上の現場検証の写真は、アップできるようになったら発信をしたい。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:26 】

2012
11/29

卒悪政


未来の党の嘉田代表は「卒原発」を打ち上げ、10年後に「原発からの卒業」を公約に掲げている。党派別の比例での投票で「日本維新の党」とどのくらいの位置にいるかが、私の焦点としてある。
朝の防災庁舎は写真のような光景だった。総てがビニールシートで覆われ、その前には警察のパトカーが警備をしている。いつまでこの場所が世間の話題として、メデッアにさらされる事となるのだろう。しばらくブログには掲載しなかったのは、「見るだけで気分が悪くなる」との声から、今の状況紹介はしなかった。年末向けある方が「防災庁舎を年賀状に写真入れて下さい」との依頼があった。多種多様な考えが錯綜する中で、早くこの跡地に変わる「鎮魂の場」を創るべき思う。これで亡くなられた方・いまだに見つからない方の霊、家族の皆さんも納得する方法と思う。観光は二の次にするべきと感じる。
出来る事をいま生きている人たちはするしかなく、多くの悲しみが癒される日まで、共に想い出を胸に前に進みましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:03 】

2012
11/28

日本未来


滋賀県の嘉田知事が「日本未来の党」を立ち上げた。第一の目的は「脱原発」の為だと言う。その他に「脱官僚」「脱増税」で、国民の生活の小沢氏、脱原発の山田氏、減税の河村氏などが参加し、第三局が新たな形成となってきた。
写真は朝6時20分の「防災庁舎」で、周囲を全て型枠の足場で覆われていた。
昨日の報道では「志津川駅」が1K内陸に移動が決まった。BRTの運行は鉄路の道路化が進んでいる。志津川中央区がその場所にあたる。七ヶ浜町では事業所に「50万円助成」が決まった。国県の補助を受けていない方が対象となる。小さな商店への支援として吉報と思う。長野の方は「南三陸町は話題に事欠かない」と言っていた。
北海道室蘭で「爆弾低気圧」で5万6千世帯が停電し、3日間に渡り続くとの事と、気温が「-5.2度」と、震災直後の状況を思い出す。こうした異常気象の発生を危惧し、地盤沈下での想定以上の高潮を心配する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2012
11/27

発信の初心


防災管理センターに警察の現場検証の動きが昨日報道で成された。写真は今も変わらない防災庁舎ながら、周辺には足場が組まれている。職員の聞き取りなどがセンターの隅々まで調査される。告訴は町長への「業務上過失致死傷」で、その警察による現場検証が、今週に実施される。

町民皆さんは「家族の為に生き」「今後も家族の為に生きて行く」、この事を私は信じ最後まで復興に臨みます。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:31 】

2012
11/26

お世話様


昨日は好天ながら寒い一日となった。同僚からの誘いで午後気仙沼に同行する事になった。
気仙沼での教育環境や被災後の復旧の経過を改めて検証した。気仙沼の週末の土曜日、居酒屋は何処も満杯で、会場と駐車場の確保は大変と聞き、前日の予約で何とか会場を確保した。被災した学校の方との話では、在校生・卒業生の「アルバム再製」に取り組んでいた。海岸部の家は勿論すべてが流され、記憶探しをしていた。45号沿いの被災した商店・事業所は、元地又は高台の土地にと店舗・事業所の再建をしていた。大谷地区の再建は、「大谷海岸」の再生がならないと地区の商店復活はなく、9mを超える防潮堤の建設が、地区の再生の問題点として今だに議論となっている。しかし、計画は国県の主導で予定どうり進む可能性が高く、自分たちの住む町づくりの意見も取り入れてと、今後の「我が町」の町づくり同様に聞き入れて欲しい。
写真は入谷の「木漏れ日の道」で、しばらくぶりで通る事となり、内陸の山々に沈む夕日に魅せられた。「山がんの里」からの眺望です。
CIMG3841.jpg
昨晩は気仙沼の友人宅にお世話になり、朝早く帰宅しブログを書き、正午には再度気仙沼に行った。
「宮城第6区小野寺五典事務所開き」の案内を貰い参加した。五典氏は国会陳情でも親身に地方からの議員に答え、復興夏祭りにも来場してくれた。気仙沼・本吉の地域の代表として、被災後も現地の苦悩をテレビなどで伝え、行政にも幾度となく状況の把握に訪れていた。気仙沼市長、栗原・大崎の3市長が自治体首長が支援の願いで挨拶をした。大崎の市長はがけ崩れの復旧工事を県から、国の直轄にしてくれた政治活動を大絶賛していた。今回の被災地支援の、「クループ支援」は、五典代議士が政府に掛け合い実現した。との話に「政治活動」の実践を感じた。南三陸町長の顔は伺がらにかった。
気仙沼市議は勿論ながら、南三陸町議員からも私を含め4人が参加した。常日頃の小野寺五典氏の南三陸町への多大の支援政治活動への恩返しは当然の行動と私は思う。町民からも3名の方が来ていた。高橋元県会議長も自民県対として支持の声掛けを求めていた。
テレビでの衆院選が私たちの選挙区でも熱戦を帯びてきた。「子を第一に思わない親はいない」、これを子供達にも両親にも声を大にして言う。将来こども達には必ず理解してくれる時が来るからと。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2012
11/25

変化1


復旧工事が一歩づつだが進んでいる。今回は駅につながる道路がアスファルトに昨日に通過となった。冠水対策として、長い間段差や穴などが深くなっては埋めていた、この繰り返しが幾度となくおこなわれていた。
この道路は「398号」「三陸道」に繋がり、そして「防災庁舎」への道である。ここには観光支援者への心遣いもある気がする。また、これは観光振興が第一との町の考えがうかがえる。第一次産業の整備、生産者の所得の倍増で、この生産者と加工販売業者が繋がり、同党の利益が得られる事で、「観光立町」として成り立つ。
CIMG3730.jpg
南三陸町第一回福祉祭りが文化ホール・総合体育館を会場に開催された。ホールには福祉関係施設が、町内すべてから集まり、それを支援する大学・ボランティアなど、赤いジヤクバーで来場する町民の皆さんに、優しく親切に丁寧に、説明などで接していた。
外ではトマトの飾りの車が「おでん?」を無料提供し、焼きそば・コロッケなどのテントには行列ができていた。多くの「ぬいぐるみ」には子供たちが集まり、子供が喜ぶ「人形劇」「風船」があり、「風船アート」には大人までもが行列していた。
「弱者に優しい社会」が福祉の基本で、多くの企業や支える人々が一同に会した「輪来祭」でした。
今年は被災地に多くの予算が付き、支援団体の協力があり、このような催しとなった、。今後もある程度の予算を回し、町民の交流馬となる事を願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:42 】

2012
11/24

6m


南三陸町福祉まつりが今日10時より、ベイサイドアリーナで開催される。「つながる」「未来へ」輪来際と題し、「わ」「ら」「い」祭と読ませ、多くの支援者・団体の協力の元、大々的に催される。以前は福祉の里に於いて関係団体が「
ささやか」に開催していた。
今回の「わらい祭」は良いミーミングと私は思う。福祉への関心が広くなり、人々の捉え方も幅が拡大し、社会がこの部分の充実を求める。65歳以上が3000万人超となり、高齢者を皆で守り、高齢者にも元気な皆さんには、頑張ってもらわないといけない時代が今である。
「輪」は世界・町民みんなの輪であり、和やかに生きて行きたいという、町民の希望・願いがここにある。「来」は震災からの復興であり、未来に町を繋げる事と、子供たちの明るい未来に向けてと、子供たちに南三陸町の「町づくり」を託したい。との町の町民の願いがここに秘められている。
こないだ石巻市桃浦地区の「コアハウス」が紹介されていた。漁民の皆さんの「漁業の復興」と「住居の確保」に、ある大学と工務店が協力し考案した。建坪約15坪で「700万円」と想定し建設をすると言う。「今後の建て増しもできる」が最大の利点で、漁民の為に「サンルーム」を組み入れ、勿論お風呂もある。海仕事で冷えた身体を温め、洗濯物やカッパなどの身に着ける道具を、早く乾かす場所として作る。桃浦の漁民は言う「小さくても良いから故郷に住みたい」「早く仮設から出たい」と声を大にして話していた。
資金の格安住居建設は漁民たけではない。この二つの希望は誰しもが持っている。しかし多くの問題点がそれを現実のものにできない。これが今後高台に移転を考え、住宅建設を断念せざる負えない用件で、災害公営住宅の選択がここにある。現在公営住宅希望が900世帯ある。被災前に賃貸の建物で暮らしていた町民がこんなにいただろうか。資金面・高齢化・将来の蓄えなど、多くの課題に直面しこうした方向性に舵をきらなくてはいけない、苦渋の決断がある。
昨日手紙が届いた。今、「みなし仮設」に住んでいて、町からの支援は何一つないと言う。みなし仮設は県の支援であり、ある団体の支援を受け、何とか現在まで生きて来られたと書いてあった。防災庁舎にも一言、ある自治会の会長さんが、町民の声の欄に「残すべき」と、ある広報誌に投稿していたと言う。この方も「残すべき」と。私にとっては複雑な気持ちでいっぱいである。
今夜は気仙沼の友人から「身体を休めに来て」との誘いに乗る事とした。「お風呂も準備しているから」と、ありがたい。被災後に初めて、ゆっくりとお風呂に入ったのも彼の家だった気がする。明日は代議士の事務所開きの案内があり、南三陸沿岸の被災地の現状発信者として、頑張っておられる方、是非行ってみようと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:11 】

2012
11/23

2011-04-15 10.48.32
アワビの宝庫がこの南三陸町のリアスの海岸だ。3・11の被災でなにもかも失った漁民の皆さんが、この一か月後に漁業資材の回収に動いていた。
幼いころは水遊びに、「荒島」「デベソ島」、この辺が私の海に親しむ場所だった。水中メガネは必需品で、海の綺麗さ素晴らしさと、海藻の根元にはアワビ・ウニが見渡す限りに生息した場所を知っている。昨日は「アワビ開口」の報道があり、漁民は言う「さっぱりだ」「いねぐなった」と、やはり今回の津波の影響は大きいようだ。しかし未知の力を持つ海の再生力、生物の生命力と、産卵により子孫の継続など、当たり前にその力を発揮してくれる。海だけは必ず再生する。
昨日、戸倉剣道の教え子が「大学合格」を伝えに来た。多くの不安を胸に受験日を迎え、この二週間前の彼女の喜怒哀楽の激しい様子からも察した。まずは良かったね、頑張ったね! です。
いじめの全国調査があり、小さいいじめに似た行動も、その範囲に入れた調査で、その数は例年の2倍となった。いじめの境目は微妙ながら、当事者の苦悩・苦痛は極限の精神なのだと思う。私も中学で先輩・同級生にも「怖い」と感じる事があったが、これは先輩たちのあたりまえの行動と納得していた。
「集団で一人をいじめる」などの陰湿な行動はなかったが、今は集団でないと何もできない。一人ひとりが強い気持ちを持つ事で「14万4千件」と言ういじめは半分になり、周囲がもっと仲間を守る事で、四分の一ともなる気がする。
銀行で高校の恩師とあった。南方仮設から南三陸町に事があるたびにバスで来る。住居の再建・各種書類の取得など、様々な用事で、一時間をかけ生まれ住んだ町に足を運ぶ。この日はホテル観洋での「出版祝賀会」だと言う。被災直後の町の姿、子供たちの頑張る姿を、支援を受け写真集を出版し、被災地からの出版は全国で公表を受けた。「佐良スタジオ」の佐藤信一さんがその人で、我が社にも一冊がある、本当に志津川の歴史に残る一冊だと思う。
自民党の安倍首相が言ったからか判らないが、円が70円台から80円代に上昇し、平均株価も上がった。トヨタの収益は外国での車販売がある。円が1ドル1円上がる事で「350億円」の利益が増す。2007年9月「リーマンショック」があり、2006年6月124円していた円が底値76円だったと言う。この差を考えると単純に「1兆6800億円」となる。政府の金融対策が早期に必要な事が直ぐ理解できる。中小の金属加工工場の東京大田区の減少率は50%にまでなった。
シルバー人材の活動が休止となっているが、先ごろ「干し柿」の作業が入谷地区であった。体を動かすこと、何かをする事の喜びを、高齢者の皆さんが訴えているように私は思う。さあ家を出て活動しましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:35 】

2012
11/22

キラキラ


「政治は勝たない」と言うのが、世襲議員にはあるのだろうか? 元総理の鳩山氏の迷走には、政治の素人にも「言葉の重みのなさ」を感じる。多くの発言で責任をとり、総理を辞任し、次に次期選挙には出ないが、出馬すると発言を変え、一週間前の事務所開きで「民主党から出馬する」と支持者の前で宣言したのに、昨日の「出馬しない」は、周囲への迷惑でしかなく、金持ち世襲議員の我がままとしか感じられない。民主の顔として「マニフェスト」で世間の知る事となり、その民主党の公約は一部以外はすべて達成とはならなかった。その姿がマニフェストとして幾度となく、「駄目な民主」の象徴が鳩山氏となった。このことから私も「発言の責任」を知る事となった。慎重に慎重にと!
こないだ仮設に社員募集のチラシが入っていた。「プラント内作業員」「重機オペレータ」の求人だった。午前8時から午後5時までと、午後5時から午前5時までと、戸倉の第二瓦礫処理工場の仕事のような気がする。給与は日給9千円、オペレーターは1万1千円とある。南三陸町の被災地はこうした仕事しかないのが事実で、若い女性が好む店員・事務員などの仕事は皆無で、若い男性とて現代っ子は、こうした仕事は好まないようだ。こんな中で若者の流出は、将来の町の存続の危機ともいえ、若者がこの町に残ろうと思う「職」を、町が積極的に作る必要性を感じる。現在、高校生・大学生の就職試験の真っ最中でもある。南三陸町に3人の戸倉地区の高校生が、初級に合格し地元に残る。行政にはこうしたこれからの南三陸町の担い手が町外に出ない対策が求められている。
「キラキラ」「キラリと光る」などのキャッチフレーズが、南三陸町の表面にでている。ポスターは「キラキラ丼」で、被災前には10軒以上がこの販売をしていた。現在は主導して商店主は少なく、志津川仮設商店街の出店者が中心となっている。一昨日の山形からの「観光支援」のバスツアー者は、「松原食堂さんでお世話なります」と、キラキラ丼を楽しみにしているようだった。
私は思う、キラキラ光るのは「町民であり自然」で、この輝きが町を光輝かせる。町づくりをするのは町民ながら、町民が生き生きし元気でないと、理想と言葉だけになる。
昨日も志津川市街地の「上の山緑地」の下には、多くのボランティアさんが寒さ対策を施し、建設者のような仕事をしていた。
鳩山さんはやっぱり宇宙人なのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:57 】

2012
11/21

冠水対策


先月も大気圧と大潮・高潮で旧公立志津川病院前は冠水し、大型トラックが雨水を巻き上げ走行していた。写真はその場所ながら目安となる物はすべて解体されていた。現在アスファルトが以前の道路に嵩上げされ、歩道の仕切りまで旧道路が高くなった。これでいくらかは冠水対策がされ、多くの不安が解消され冬へ向かえる。しかし、異常気象がまだ突発的に発生するので、まだまだ安心はできない状況です。
昨日は山形からの「観光支援」の大型バスが町内を巡っていた。亡くなられ不明の方々の「鎮魂」に、お寺でお経をあげる事も観光支援にはあると言う。伊里前の仮設商店や店を廻り、食事は志津川仮設商店街で、そしてお土産もここで買うと言う。多くの支援と逝去された皆さんへの霊を鎮める活動は、地元の被災者は現状の中ではできない部分でもある。
ある霊感の強い女性は、とある場所に行くと、亡くなられた霊が行き場がなく彷徨っていると、その姿が見えると言う。海で亡くなられた方にこうした霊が多いと言う。こうした被災地に来てくれる僧侶の皆さんによる読経は、一人でも多くの霊の鎮魂のためと話を聞いた。3・11も3年目があと5か月でまた来る。商魂たくましい事業所は、「三回忌」の供養の場の確保に向け建設を加速する。こうした場所が無い事は家族にとっても「悩みの種」と聞く。
121121_064239.jpg
戸倉の折立の国道45号も、アスファルトの嵩上げがされ、冠水問題はこの場所は間違いなく解消された。この地区も基礎瓦礫が背後に見える、市街地の瓦礫は広さ故かまだまだ進んではいないが、ここは9割が終わっている。
高台移転の土の運び場所は地盤沈下した場所でしかなく、6m嵩上げに必要な度量として、一日も早い基礎瓦礫の撤去が必要となる。
TPP(環太平洋経済連携)は、第一次産業の従事者にとっては、死活問題である。私の知る農業経営者にも、TPPは将来への夢の失墜にも繋がる。広い目で見るとプラスとなる事業所もあり、「国益を害する」物は自由化しないと言うが、一長一短があり、この議論はまだまだ続きそうだ。
今日も三重県から来客がある。被災直後の支援者からの、南三陸町のかかわった方への招待の講演で、この現状と津波被災事実に涙する人々が多くいたと、昨日知人が電話で教えてくれた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:33 】

2012
11/20

体調管理


「女の道」のピンカラ兄弟の宮史郎さんが多臓器不全で亡くなった。まだ69歳で歴代2位の300万枚を売り上げ、我が家にもレコードはあった。体調不調から病院に入院、投薬などで治療にあたっていた。
昨日も知人の所にいった。5月の交通事故で当初は何もなく、むち打ち・打撲ぐらいだと思っていた。しかし、胸の痛みがなかなか引かず検査すると、あばら骨の一番下が骨折していた事が判った。扇風機の風でも痛く、この寒さで朝晩痛みを感じ、普通の生活でも支障をきたしている。保険も最低限しか見てくれなく、示談も進まないという。加害者は被災地見学の若者たちと言う。諸々の思いが錯綜する。
私の叔母にムラサキイガイのむき身を半分おすそ分けした。「美味しかったよ」と声が帰って来た。「大変な剥き作業だよ」と言うと、「私が剥くから」との答えが返ってきた。昨日、牡蠣剥きの方に話し、3バンジョウをお願いした。一箱千円の現場特別価格で分けて貰う事となった。写真は牡蠣の水揚げで一緒に付いてくるムラサキイガイ、手間がかかり売り物にならないと言われ、水色の写真の箱がそれである。
こないだパックで魚屋で販売していた物は、150g?「350円」と高価なもりとなっていた。加工しだいではやはり「宝の山」である。
漁民の皆さんの所得の格差を思う。確立された販売・加工ルートを持つ人たちは、昨年のワカメ養殖でも、南三陸ワカメの需要拡大そして品薄で、1000万円以上の水揚げの方の話を、歌津地区で多く聞く。水揚げそして加工・販売ルートの漁民の開拓が求められ、漁協の今後の役割の重さと大きさが必要と感じる。
大学の初任給が20万円前後と調査報告が出た。5千円~7千円が減額となった。ここにも日本の不景気と大企業の世界からの経済からの衰退が見られる。南三陸町に於いても希望する雇用の場も少なく、つなぎ雇用と言う国・町の対策も、月13万円と、被災からの復興への雇用の所得としては、今だけの生きて行く生活費でしかなく、将来への蓄えや子供達への小遣いと言うわけにはいかない。
昨日、戸倉荒町の我が家の工場のある山に行くと、「ドーン」と言う音に驚いた。ビン来たのは「狩猟」である。この辺にはキジの姿を多く目にするし、野兎なども時々見かける。最近では被災した市街地でも、タヌキが無残な姿で道路に横たわる。しかし、「ドーン」のこの音そして「流れ弾」、こんな事が頭に浮かぶ。
未曽有の大災害で多くの町民・知人の死と言う事に直面しているが、やはり「死」は怖い。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:39 】

2012
11/19

大同


綺麗な海風景だった今日、南三陸町は今年最低の「0.4度」だった。戸倉駅となっているセブンの前のBRTのバス停、7名の高校生が気仙沼方向に立ち、この寒さの中でバスを待つ、家族の送迎も益々寒くなる今後を、大変だろうと思うが子供たちの将来の為、当然の事ときっと話すだろう。
この寒さの海に漁船が見える、陸上よりも寒さは厳しいが、海水温は外気の0.4度よりは温かい。厳しい自然が美味しい海産物を育む。
支援員がストレスの中にあると言う。仮設の隣接する「サテライト」? 支援員が常駐する場所してとらえている。今日の朝のラジオで一割の支援員が臨床心理士のカウンセリングが必要と言う。支援員は仮設生活者の支援がするが、その仕事は専門家ではなくその活動は大変だ。「アルコール依存症」「DV」など、家庭の中には色々な状況の中で、多様な問題が起こっている。と言う。放送は岩手県のある所の事ながら、決して他人ごとではない。
昨日は上の山緑地でのグランドゴルフ大会を見に行った。私より10~20歳年上の皆さんが、木枯らしの強風の中で元気に活動している。20代から50代は子育て、そして仕事に忙しいのだろうが、こうした団体での野外のスポーツというと、なかなか出来ないのが被災地の実情だろう。健康・精神面の健康維持の確保には体を動かす事は必要だと思う。
昨日国内のある会社で社員の連帯感を育成する為、会社の運動会・芋煮会などを行っていた。普段の職場では上司と部下、社員同士が話や笑顔で対する事はなかったが、こうした活動でコミニケーションが取れるようになったり、普通に会釈できたり団結が生まれたと話していた。何よりも若者の間の交流が生まれ、「一人ぼっただった」が「友だちができた」と話す。こうした結果からも独身者の解消にも繋がる。
現在地域ごとの「運動会」「スポーツ大会」が無くなっている。この部分の復活は将来への団結力として、元気の源、生きる力として今こそ必要と思う。
「小異を捨てて大同につく」、これを大政党は野合と言う。同じ考え方向性を持ち、隠し事なく事に向かう事が私は基本と思う。それを確認する術、分析する知力は「自己責任」として、多くの資金・信用の消失は自分が背負う。こうした考えのもとに多くの事業に参加をしているし、検討をしている。だから多忙な毎日を送っている。
今週は来客もあるが、会社・自己の書類提出の仕事が主体としたい。いや、しないといけない。来月には定例会があり、通告が3日締切で、11日から会が始まる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:37 】

2012
11/18

出会いは別れ


今、上の山緑地でのグランドゴルフを楽しんでいる方々のプレーを見てきた。曇り時々晴れの天気ながら、風が時折強く霰交じりの枯葉が舞う中で、「カーン」と玉を打つクラブの音が高台に響いていた。
十日町の志津川市街地にはボランティアさんがこの中で活動している。今日の八幡川は水面も高く、側溝から溢れた海水が南町・本浜町・塩見町・五日町の、地盤沈下している所は海のような状態となっていた。
先週初めに知人が来社した。一年以上も会ってないのに生き生きした顔となっていた。彼の目標は「吉永小百合さんのように生きたい」そして「会いたい」だ。震災を受けてもその信念は変わらず、福祉への活動も続け忘れていない。現在は「二種免許取得」し「マィサージ師」に挑戦している。「手話」「2種ヘルパー」など、直向きなその生き方に頭が下がる。震災で全てを失い「ゼロから」と、私と同じながら、たくましいその挑戦力に学ぶ。先輩はきっと自分の目標を達成するだろう。自分の身体だけは気遣いを欠かさないで欲しい。
写真は震災直後に臨んだ場所から歌津の海風景を見た、市街地は瓦礫の撤去があり、少しは変わったのだろうが、私の眼には何の変化も感じられない。この場所は「伊里前小学校」の校庭で、天皇陛下・皇后陛下が海に向かい、頭をお下げになった場所として、全国に放映された。現在は校庭を仮設が半分埋め尽くし、名足小学校が「併校」され、仲良く歌津地区の児童が学業に励んでいる。
海には堤防が旧歌津漁港ながら消え、船の姿も少なく「歌津大橋」だけが残骸となり今も変わらなく残る。町の「遺構」として最適な光景と私は思う。現在ここをどうするかの方向性もまだ決まっていない。歌津地区は「100名余り」の尊い命が失われた。地域民のショックは心の傷は一生癒える事はない。
午後から大阪府堺市からお客さんが来る。NPO団体で被災地の支援をしたいとの事だ。義援金・見舞金の不透明な金の流れが、被災直後にあり、現在も一部分の人の為に「復興交付金」が使われていると町民は囁く。10年間で町には一年前に4900億円?が復興・復旧に財源として国からくる。適正な無駄のない活用を願いたい。町民に平等公正に、「町民国民の税金なんだもの」。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:22 】

2012
11/17

津波から逃げる


「地震が発生したら」どうしますが。大きさに応じた避難行動をとる。志中の防災研究の「てんでんこ」を思い出す。家族が自分の身体だけでも避難行動をとり助かる。「自助」ながら高齢の両親・子供たちの事があけば、そうばかりとも言ってられない。
「津波が来た時」どうしましたか。海が大きく引くなど異変を注視し、海から目を離さず、状況に応じた徒歩・車の選択をして、高台に逃げる。とにかく早く逃げる事を考える。高齢者対策は、地域が連絡網を普段から確立し、できれば高齢者の住む場所は、津波到達地点以外に居住をするべきと思う。
こんなやり取りが自治体からの視察研修であった。
「職住分離」を南三陸町は実践する町づくりへとシフトしている。「避難路」「土地嵩上げ」「防潮堤」で今までの場所でともあるが、地震に津波に怯えながらの毎日は、高齢者を抱える家庭には難しく、今回の被災の体験の風化がない事を、後世への警鐘を鳴らし続ける町として、町づくりをする義務が「我が町」にはあるようだ。それが「観光?」と言うと違う気がする。、
CIMG3649.jpg
二つの写真は津波の被害の盲点にあった。同僚の同級生が亡くなったと昨日聞いた。気仙沼線が土台だけとなった基礎の前に海の方向を遮っている。国道45号の道路から線路の上から、津波が知らないままに一揆に襲ってきたのだろう。逃げる時に海の状況を見れない、こんな津波対策は「まさかここまで」との、想定外の津波に原因する。
「チリ地震津波は新井田地区までは来なかった」、こんな過去の記憶が避難行動を遅らせた。ここから40mの国道45号まで少し上がる場所が、津波が家々などの瓦礫を市街地から押し上げてきて、止まった地点となった。この距離でも避難行動ができなかった事となる。合掌。
現在自動車会社もやっと工場を立て始めている。清水浜の駅下の鈴木ボディーさんは、今年の8か月前に工場を建て営業始めた。マツダさん(写真)は、汐見の本社は流失し、天王山の店舗は津波で被災したが、震災後、お客様の自動車確保・修理などでいち早く、稼働し交通手段の安定化に努めた。そして今、志津川モータースさんが工場を建設中である。総てを失い土地・資金など、多くの課題を克服して事業の再開へと向かっている。しかし、一社は再建とはならなかった。それは社長さんの死亡に起因する。経営者の主導なしには再建の厳しさがある。合掌。
志津川市街地の形成は、若い経営者に委ねられているが、果たして市街地の再建には多くの問題があり、市街地形成も大規模な都市計画であり、まだまだ先は長い。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:14 】

2012
11/16

再建へ


街中の瓦礫撤去が進む中で、昨日10時から入谷地区で「デイサービスセンター起工式」が開催された。現在「歌津デイサービセンター」しかなく、利用者は1時間30分を掛けて施設の利用をしている。行き帰りで3時間は、利用者の対象となる高齢者は、体への負担は厳しい事となっていた。そして、このたび国県の補助事業に、法人2社の助成金を頂き建設の運びとなった。場所は入谷公民館の前の空き地で、入谷地区の地権者のご理解で、国道398号に隣接する、交通の便が良い場所への建設が実現した。入谷地区民の協力のもと区長代表と地元議員の協力もあり、今回の建設へとなった。
夜は6時30分から町づくり協議会の「高台移転部会」が町庁舎2階会議室で開催された。会員は450世帯となり、3部会があり、当部会は22名の部会員の中で18名位の参加により、4つのグループに分かれ、高台移転に向けた「移転方法」「平均100坪の利用」「行政区をどうするか」など、移転に伴う多くの課題に対し議論が交わされた。西・中央・東地区の希望者数に、行政の区画設定に大きな差があった。「希望する場所に住みたい」は被災者住民の最大の願いであり、今回も住家場所が重複した時に「抽選」的な記載もあり、部会員の中から始めに「抽選での取決めはダメだぞ!」と、第一声に語られた。仮設での決定に公正の観点から、弱者優先の中で抽選での入居が決められた。不透明な点があり住民の不信感で行政への反発となり、大問題となった経緯があり、最後まで住民が納得の上での、移転場所を決められる事を部会員は言う。
東地区の土地希望者が190戸ながら132戸しか土地の整備はされなく、西地区には174戸の整地ながら50戸の希望と、まだまだ流動的ながら、できうる限りの住民の希望が叶う、高台移転となるよう行政にはお願いしたい。行政は「復興交付金」の使途にあたり、制度活用には多くの縛りがあると言う。それを住民の為に有効に使うべき方法を、国に「働きかけ」「要望」をする事が行政の役目、国の押しつけを住民にするのではなく、交渉するのが行政の仕事である。
今日の朝の「放射冷却」により、車のフロントガラスが凍った。今年の冬は厳しいと今から、被災者のみならず南三陸町の住民の大変さを予測する。ショック!は政治評論家の「三宅久之」の訃報だった。あんなに半年前までは元気だったのに、厳しい政治家への厳しい発言の陰に、妻への国民への優しさを秘めた人だったのに。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:47 】

2012
11/15

号外


野田総理が明日の「16日解散」を党首討論で発言し、一気に衆院選に向かい政党は動きを加速する。また、「時間ですよ」の森光子が92歳、心不全で亡くなった。
「野田くんはバカが付くくらい正直だ」と、先生からの通知簿に書いてあった事を、野田総理の父親は成績よりも、この部分を褒めてくれた。こうした親の教育の元に彼の生き方があった。「嘘つき」に対する世間の言葉に、葛藤・苦悩した時の中で解散を決意した。「議員辞職を考えていた」との一昨日の発言も事実ながら、多くの思案・選択肢の中から、最終決断が解散だった。党首討論は野田総理に主導され、リーダーシップを感じ、これで支持率が上がる気もする。民主党の鳩山議員が今回の解散に反論しているが、自己の延命の何物でもない。民主党の役員会での総ての反対は、残りの期間を、どうせ今度は負ける事を意識しての行動しか見えず、これが国会議員の姿と見られかねない。
赤字国債発行法案の内諾と、議員削減を来年の通常国会で果たすこと、そしてそれまでは議員の歳費を2割カットする等、次期政府への約束を取り付けての、総理としてのやらねばならぬ事を、自分の総理の立場で責務として、最後に達成した。これがリーダーと私は思う。「維新の会」で動いていた、投票行動も、前原・安住・桜井・・・などのいる「民主党」、少ない好きな政治家のいる党、小さくなっても民主党にも魅力を感じる。今うろうろしている政治家は「覚悟を見透かされる」と前原は言う。
子供ながらに「時間ですよ」のお風呂シーナに、胸をどきどきしながら見ていた事を思い出す。若い頃にテレビで刺激を受けた大俳優が次々に無くなっていく。いつまでも人は生きられるわけでもなく、人は「人生の越し方」を考え生きないといけない。私は今後も拘り生きて行きたい。
裏切りを昨日二件確認できた。「町の再建は町民と一緒」との思いで行動している今、信頼が消え・人が去る事に心弱さが出てくる。しかし、今はそれ以上に多くの支援の輪と繋がりがある。正直にこれからも私は生きたい。
今日しばらくぶりの水尻橋から、荒島と志津川湾の日の出の色に魅了され仕事を始めた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:39 】

2012
11/14

道すがら


昨日も気仙沼の往復路、気仙沼・本吉の沿岸の被災地を望んだ。くまなく見渡しながらの風景は、小泉の「瓦礫の処理場」は、津谷川の両岸の水田は大部分が開発され、被災前の姿をうかがう物は何一つない。山肌の削られている所は、今後の住宅建設の整地として、赤土の土地を落ち着かせている。その他この地区には仮設を売り出している場所が二カ所にあり、水産・農業の町の独自性があるようだ。
気仙沼線の高架橋は国道上で寸断されていて、線路上にはコンクリートの塊に何か十字に立った物が、幾つも置かれてあり、「禁じられた遊び」の事を思いだした。近くでは農協組合員さんの繋ぎ雇用?の草刈り労働の姿も見られた。小泉の市街地も基礎撤去は始まっているが、震災後から何一つ生活の再建の様子は見られなかった。戸倉地区と同じで海岸線の集落の再建は後手後手と言う感を否めない。
昨夜のNHKのクローズアップ現代の番組で、林業の再生復活は「総合的木材産業」を図らないといけないと、ドイツの「森林官」を紹介していた。国内の若き製材業者は、市場のニーズにあった製品の開発を、地域ぐるみで取り組む事の必要性を実践し、「地産地消」の精神の元、林業の再生事業に生産者と考え取り組んでいた。結果3割の売り上げの増加と地域に雇用を生むまでとなった。
「外材は安い」とこの部分だけが市場にあり、日本の事を考えた地場産品の活用に取り組む、ハウスメーカーも安いだけでなく、「良い国産材」を使い日本の再生を考えた経営へとシフトし、事業展開を始めた。
戦後に植林した木材が60年を過ぎ、伐採時期となり日本の木材は「宝の山」と言う。50K圏内で製材し住宅建設に使うのがベストと言う。南三陸町は今後「高台移転」「住宅建設ラッシュ」となる、復興への先駆けがここにある。

CIMG3595.jpg
こんな光景に目を止めた。「売船」の看板を歌津管の浜で見つけた。震災後、漁民は津波で船を流失し漁業が出来ない状況となった。そして一年八か月を迎え、まだ船の確保ができないでいる漁民も多く、順番で造船が進んでいる。
北海道から100隻が気仙沼・本吉地区に来た、しかし南三陸沿岸漁業に合った漁船を漁民は求めている。半分くらいは沿岸漁業では使えない船と聞いた。
また、漁民の高齢化で漁協組合員も「頑張る漁業」が終わると減少するとの、状況もあり漁船の需要は、諸々の問題を抱え推移している。
第一次産業は「6次産業化」への道を現在向かっている。余計な経費を省く事で、今後の生産者の収入増加で、後継者もこの辺がカギとなる。
被災者のみならず南三陸町民は、一日も早い「希望と安心」を掴む為、一歩づつ進んでいる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:48 】

2012
11/13

いのちの森


国道45号沿いの立て看板が気になり先頃近くで見た。志津川自工さん向かいの山も震災津波で、杉が塩害を受け、伐採されたのが夏の時期で、最近なり看板が設置された。
看板には「ふるさとの森」の再生は、水産業の海の栄養のプランクトを育む。その為に広葉樹などのタブの木を植林をした。この事業は国土緑化推進機構・毎日新聞が助成し実現した。塩害木が伐採され、今後の「植林事業」は津波の防災木ともなる。しかし、林業の後継者不足、担い手の確保は、林業の価格の低迷の中で、「森林組合頼み」で現在の町の林業は成り立っている。
桜井センリさんの「孤独死」は、自分の行く末を暗示する。しかし、自分なりの死に方も事在る毎に考ている。センリさんは86歳で身内は妹さんだけと言う。新聞受けに溜まった新聞での通報で判った。クレージーキャッツの華々しい時代のメンバーは犬養さんだけになった。東京では年間三千人が孤独死している。都会の喧騒の中で静かに「自分の幕」を閉じて行く。
CIMG3643.jpg
未来の子供たちの為に今直ぐの、町の景観としての山作り、今の大人がやらなければいけない事であり、国も取り組む事業として、震災地の爪痕の景観を、町から少しでも無くすことも、復旧復興と同時におこなう必要がある。
民主党の野田内閣も「年内解散」の方向性と各新聞紙が報じた。選挙は年内・来年とまだ流動的だが、野田首相の昨日の委員会での「嘘つき」の議員からの連呼は、彼のプライドが許さなかったと解説者は言う。
多くのやり取りをラジオで聞く時間が昨日はあった。仙台から気仙沼の往復の5時間、「政治家」としての議論は互いの信念と、議員としての裏の姿が垣間見れた。「追及に屈しない」「強い!」が実感として伝わってきた。間違っている事も勘違いも、総てに対し正当化し、誤り方も自分の立場を主張し続ける。こうした面から見ると私には向いてない職業に感じた。
皆さんは「マイコプラズノ肺炎」を知っているだろうか。現在高校で流行している。咳が止まらず、勿論感染すると言う。就職・入学試験の真っ最中の今、熱と咳は生徒の思考のみならず、感染予防の観点から受験できないと言う状況にもなる。感染予防も受験対策としてあり、被災地の受験生の苦悩はまだまだ続いている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:03 】

2012
11/12

第二の市街地に


私の震災後の第二の生活の拠点は、一時的にも入谷にすべきとの考えは、間違いない判断と確信した。
昨日の「入谷秋まつり」の会場となった「ひころの里」には、多くの地域民や仮設からの町民の姿があった。餅まき大会もこれでもかと言う位に盛大に大量にまかれ、「入谷地区民の心意気」を発揮し、入谷小児童による「打ち囃子」は、子供たちの元気と笑顔が、町民の再建への力となり、家族の打ち囃子の取組の厳しさも、力強い伝統継承への地域性を感じた。入谷婦人部のダイスは元気そのもので、会場の子供達や応援に駆け付けた仙台の団体も踊りだし、その後で「花笠おどり」で会場を盛り上げた。仙台の団体の祭り支援には、はっと汁やとん汁が来場者に振る舞われ大行列となった。
入谷には10の地区があり、地区ごとのテントでは、野菜・お餅・焼き鳥・遊びなど、地域ごとに会場を盛り上げ、「くるみ餅」は11時前には売り切れ、「あん餅」も後わずかとの声に、2個購入した。「餅まき大会」は最高の盛り上がりを見せ、「校長先生こっちにもまいて」と、小学校の父兄だろうか、商品の番号の入った「まき餅」に、先を争うように餅を追いかけていた。
CIMG3594.jpg
写真は「入谷打ち囃子」の獅子と舞手の写真だが、囃子舞いの中で子供たちが、次から次と「獅子」と「舞手」が早変わりする事を、今回初めて見て知った。
各地域の芸能・文化の子供たちによる伝統継承の大切さを感じ、地区がバラバラになった本浜地区の「七福神舞い」も、地域の休止の時に若者たちが、伝統の継承をしたいとの声を思い出した。
会場となった「ひころの里」、心部の広場に仮設建設をと叫び続けたが、行政はこの声には耳を傾けず、登米市南方への仮設の建設へと舵を切った。結果的には多くの町民の人口の流失となった。場所・環境・学校の総てがここにはあった。「何故!」との気持ちを未だに思う。
現在は入谷地区に商店・住宅などの生活の拠点としての光景が多くある。行政の決断は南三陸町の将来を本当に考えた末の政策だったのだろうか。多くの不信感がいまだに心の奥底にある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:57 】

2012
11/11

共に生きましょう


昨夜は嬉しい連絡が入った。戸倉地区の高校生が南三陸町職員として内定になったと。「町の復興に貢献したい」と、試験前に私に話してくれた高校生、震災前の中学生当時から役場に入りたいと、将来の夢を話していた。戸倉中が被災し学校が無くなり、高校も満足に通えない中で、ここまで頑張ってきた。大学生などを含め29名が試験を受け、採用5名に入れた。彼らの頑張りに拍手と、今後の町づくりの担い手として、行政のリーダーとして「新生南三陸町」を、多くの仲間と共に築いて欲しい。その時は今の執行部・議員は全ていなく、「悪しき慣習からの脱却」は、間違いなく起こる。
今日の写真は県の土木部からの、伊里前川沿いの復旧事業の形です。この大改造の姿を見届けるためにも、町民のみなさん生き続けて、生き抜いて下さい。
CIMG3496.jpg
伊里前川の断面図で、コンクリートで覆われた川の堤防、「しろうお」は、「ウナギ」はどうなるのと、生息していた自然環境を地区住民は心配する。
戸倉中学校の統合そして廃校が27年・26年度に実施される。生徒数がその問題点と言われているが、その要因は戸倉地区民を登米市に多くを仮設移転させた事が要因にあると、私は分析した。子供を持つ両親は、教育の安定環境を求め、故郷を捨てても子供たちの学習環境を求めた。
被災前に「住民懇談会」があり、戸倉の地区担当の班となり、地区民との懇談で「一中三小」が話題となった。地元のメンバーも、この方向性にはまだまだ時間がかかると、当時あったように思い出す。
在郷・西戸・折立の三地区においては、各地区50名以上の住民が死亡した。この中には統合反対と言い続けた方がいた。教育長は子供たちの学校環境の充実と、多くの生徒と共に学ぶ事で沢山の学習・経験ができると言う。しかし、この言葉の裏側には行政トップの思惑を感じる。町の財政が一番問題で、町としては当然考慮にはあるが、被災し今後の住民の動向も掴めない中での、2年後の統合は、もっと調査して行うべきと思う。
PTAの6割が統合に反対の中で、戸倉地域全体の意向も絶対聞くべきと思う。これから結婚し家庭を持とうとする若者もいる。それが今の中高校生であり、ここにも調査を広げるべきと思う。戸倉地区の切り捨てのように感じるのは私だけではなく、大震災で亡くなられた皆さんの、戸倉への思いも考慮しているのだろうか。財源の確保は町の政治の責任として、行政の仕事であり「政策」で確保すべきである。難しい問題ながら、こり辺への取組が一方向だと思う。
「少年よ大志を抱け」は、よく大人が子供たちに言う。今は行政にも言いたい。独自の被災者支援に「我が町」が薄いのも、財源は国任せ、とにかく金を、政策がともなう金遣いをと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:10 】

2012
11/10

充電


二日前に今後を考えさせられる事件が発生した。高齢の両親との三人家族、来るべき時期が着々と近づいている。
両親の老いに自分の生き方を考慮し、どうしたら楽しく笑顔で毎日を暮らし、両親を送りだせるかを考える。その途中ながら予期せぬ事が起こる。
復興への勉強会が、7時から8時30分前まで歌津地区で開催され、白熱した議論の為に30分延長となった。隣の地区だったので帰りが9時を過ぎ、食事し10時過ぎに床に付きもちろん爆睡だった。夜中に「バタン」もちろん目が覚めた。倉庫の小上がりの前で母があおむけになっていた。父は睡眠薬で眠りの中でなかなか起きられない状況、70K近い母の体重を二人で支え起こしベットへ、「何やってんのや」と父の怒号が夜中に何度も響く。「電気もったいないがら消そうと思って」と言う母、しかし誰も悪くなく互いに今の生活を思っての行動だった。
原因は母の膝痛と認知でしかない。時計を見るとまだ12時前だった。打ち所が悪かったら「死」も考えられる。その後色々考えると眠れず「ウトウト」、またバタンゴトン、今度は両親二人がベットの横で転んでいた。「いったい何が」・・、今度は母がパジャマの長いズボンに引っかかり、それをかばった父が一緒に転んだ。時間は夜中3時だった。翌日に二人に打撲痛が出る事を覚悟したが、今日まで大事には至っていない。まずは一安心です。
昼間には仕事で「ゴタゴタ」し、家庭ではこんな事が、自分の活動も当然する事は当たり前です。全てを無難にこなす事で、毎日の充実感に今を不安なく生きている。
多くのトラブルは早期に処置し、今後に問題を持ちこさない事で、ストレスを貯めなく心穏やかに毎日が暮らせる。
昨日は同級生と一年半ぶりで、多く会話ができた。また、多くの仲間に自分のしている事を、どういうふうに思っているかも直に聞く事ができ、元気をもらえた。70年代・80年代にタイムスリップができ、「明日への充電」ができた。
明日は南三陸町入谷の「ひころの里秋まつり」がある。出かけ山の元気も貰ってきたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:48 】

2012
11/09


一昨日、志津川本浜地区の瓦礫撤去場所に、我が家の状況を見に行った。コンクリートの倉庫の一階はいまだに解体されなく、「自費」となるのかと心配だ。それと土地の相続がされてなく、この場所も行政は相続がはっきりしないと、土地は買い取らない。と言う。被災しすべてを失い、再建にも大きな壁が立ちはだかっている。先祖からの土地には少し諦めの自分がいる。
今日6時に志津川の中心地から、基礎瓦礫の撤去の光景を見た時、その大小の瓦礫の山積みが朝日に輝き、私には、一つ一つが「お墓」に見えた。正に家の墓地であり、多くの町民も亡くなり、重機の撤去はまるで今の姿を、人・物への「尊い命への鎮魂」に映る。青森の「恐れ山」と同化した。
「まったく! 嘘!」と感じてしまう出来事があった。大切なお客さんとのアポを取っていたのに、車の故障によりキャンセルとなった。鳴瀬の三陸道を出た所で「エンスト」。何とかセッティングした経緯があり、三重県からの来た社長、どちらも気の毒だが今被災地では「あり得ない事」が当たり前に起こる可能性を秘めている。
昨夜は歌津総合支所で開催された「復興てらこ屋」に出かけた。7時から開催で会場には、気仙沼土木事務所の総括担当が出席し、伊里前川の「河川堤防」の今後の建設の進め方を説明してくれた。志津川地区を中心とする再建の姿は把握するが、歌津地区で展開されている、河川・国道の今後の復旧の進め方について、初めて聞く事となった。歌津町向から払川の道路は、河川堤防の建設で、以前あった歌津消防署前で道路が寸断され、川上の建設会社のあった場所から、皿貝の歌津よりへのう回路となると言う。河川堤防の一番高い所には4mの道路ができるが、一般的にはテレビでよく見る歩道的な場所・役割となる。しかし、県の管理下にあり「管理道路」として。県事務所の車は堤防管理の観点から車の走行をする。
参加された歌津住民からは、「8.7mは決定なのか」「堤防の形状は」「自然環境の維持は」「コンクリートではなく緑や土を」「川と町が分断されるのでは」「現在の橋はどうかるの」「堤防の背後地は」「今後のスケジュール」はなど、多くの疑問が出され、この部分に親切に土木の総括担当が、選ばれた全ての質問に答えてくれた。私は「しろうおはどうなるの」「建設模型を作って」に関心をもった。この場所にあるお寺の孤立や市街地住民との分断など、住民にとっては心配な事ばかりが山積する。
活発な議論が必要な場所にも、この熱気があって欲しいと、住民に指摘された。行政は国・県にならう事で復旧復興が順調に進む事が、町民の為になると考えている。「住民の意向・陳情は聞き入れないのか」との強い発言もあり、県職員が戸惑う場面もあった。地権者への周知については「契約や区長
に連絡し地権者に周知してもらい、町が直接総ての地権者には行政からは個々には連絡しない」と言う。これで納得できるか!?

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:25 】

2012
11/08

変化


町が激変している! 志津川市街地は毎日のように見ているが、基礎瓦礫の撤去は大々的に進んでいる。伊里前や戸倉なども瓦礫が小さい山から日増しに増え大きくなっている。行政は言う基礎の瓦礫が撤去されれば、高台の土地の「土取り」を市街地の土地の嵩上げに使うと話す。急速に復旧が進んだ感を思う。
写真は昨日「衛生センター」に行った時、中央にこんな施設が出来ていた。聞くと「木材ペレット加工場」だと言う。杉の塩害木の伐採・処分が問題となり、その木は建築木材・木質ペレットとして適さないとの話も聞いてはいる。今後の高台の山々の木々が伐採整地され、住宅地としての整備進むなかで、多くの木材の処理・処分が課題となっている。多くは住宅建築材として使われるが、その陰にも問題が山積している。
昨夜、仙台の「みなし仮設」で生活している方から電話が来た。「千葉さんに一票入れなくなりました」と言う。それは南三陸町の住民で無くなったと言う事です。直接的な言葉にショックを老けた。一票無くなる事でなく、住民が減っている現実をじかに言われたからである。多くの知人も登米市に移住していることもあるが、昨夜の言葉には多くの重みを感じる。本当は「志津川に帰りたいんです」と、「近くに病院が無いと駄目なんです」「高台に住居では生活ができない」など、新しい南三陸町の都市の再生には多くの不便があり、仙台市での安定した生活を選んだと話す。行政はこの現実を掴んでいての、人口動向を復興計画の中に加味しているのだろうか。
全ての厳しい住民の意向に沿っていくと、今、行政の新しい町づくりに取り組む士気が削がれる事が懸念される。こんな諸々の事情を精査してみんなで町を造っていけたらと思うが、理想と現実は和合は難しいと感じる。「こちらを立ててれば、こちらが立たず。」がある。復旧か復興か、住民主導か行政主導か、どちらを優先していけば、早期に町づくりができるか。すべてに万全はできなく、現実を見てほしい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:12 】

2012
11/07

地域性


先週末に石巻へ「住宅展示場」を見に出かけた。初めに入ったハウスメーカーの価格に驚いた。建坪「50~60万」と言う。その他照明などでも10万円位、坪単価が上がると言う。仕上がりで5000万円で、総てを失った被災者には考えられない額であった。
メーカー説明者も多額の支援があると言う。「700万円以上」のと、色々聞いていくと利子の補てんで、決して住宅建設支援金ではない。ハウスメーカーも利子分の補てんがあるから、高価な住宅を提示・展示しているのだろう。来場者の声を聴くと「この額でも商談する」、そんな方向性に見えた。
10数社があり五社位見学したが、だいたい3千万円前後の建物だった。南三陸町において住宅建設にどれ位を設定しているだろう。すでに建設を終えている住宅は二千万なんか、かかっていない。これが被災者の再建できる、ぎりぎり上限の額だと私は思う。
知人は再建援護金、町独自補助を差し引いて、プラス300万で住宅建設ができる、当初の計画がある建設会社の話に、興味深々で私の話に耳を傾けてくれた。被災地の建設の関連企業での資材の高騰で、予算の上澄みが必要となり、現在は2DKで15坪「900万円」までに膨らんだ。すべての補助金を差し引いても、手出しで最低600万円は必要となった。
色々なメーカーがあり、これからの生活を考え、家族と相談してこの町での再建を進めて欲しい。
CIMG3396.jpg
志津川湾の戸倉寄りの海上で一人で作業をする漁師さんの船を見つけた。日中の天気の穏やかな日は良いが、荒れた海上での作業の大変さを知っている。過去に5月の連休での釣りで、天候の急変で死ぬ思いをした。仲間のカッパや上着を掛けてもらい、寒さから身を守った。中国での万里の塔でのトレッキングでの3名の死亡は、こうした天候の急変に起因する。
漁業の後継者問題はこの震災により、益々厳しい状況との話を聞いた。「頑張る漁業」の三年間から、この国の支援政策が終わる頃には、激変となると言っていた。
昨日の四万十市の議員団の被災地調査での懇談会、同僚の被災された直後の活動を知った。5日間何も食べず初めに食事をしたのは、自衛隊へりの「おにぎり一個」だったと言う。防火用水を飲料水としてとの話には、地域により救援支援の差に驚いた。ある地域での翌日の朝「温かい味噌汁を目の前ですする姿」を今でも覚えている。また、防災庁舎屋上との「ショートメール」で交信し合えた事にも、また驚いた。
あの冷たい震災の日に色々な出来事が起こっていた。生きるために人間が必至に生きた証がここにあった。多くのこの事実を知る事で、今後の防災対策に活用すべきと私は思う。住民からの聞き取りを積極的に進める必要性を感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:10 】

2012
11/06

心の目で


「老眼乱視」の私の状況を知ったのは、歌津の「小野幸」さんでの目の検眼からだった。あれから15年は経つだろうか、酷使してきた目は次の悪い段階へと進んでいた。
25歳ごろから夜中・残業での仕事があった。暗い自分のワークデスクでの作業、目の事など何の心配もしていなかった。そして今回の震災でのローソクの下での、3.11より6か月間毎日のように、一日の記録をメモ帳に綴った。写真のような小さい文字で書いていた。今はメガネを掛けても見えない。あの時の記録すると言う強い気持ちで書き文章化したのだろう。そのくらい一生懸命毎日を生きていた。
登米市の「みうら眼科」で、白内障と診断され、昨日「石巻日赤」に診断書をもらい診察してもらった。先生曰く「重症」ですと、白内障だけでなく多くの病状を指摘された。この先生に任せる事を決めた。白内障の手術は来年5月まで予約でいっぱいと言う。この事実にも驚いた。先生・看護師・職員の対応に毎回ながら、その親切な対応に頭が下がる。こうした患者への対し方は、我が町の病院の関係者にも、学ぶべき事が大である。
私の希望する白内障の治療は「多焦点」の眼内レンズながら、自己の目の状況により、この治療ができない事もあると先生は言う。この手術は保険は効かず、「自費」と言う、片目は30万くらいで両目で50万を超えると言う。仕事柄この辺はしょうがないと「多焦点」としたい。
アメリカ選挙の投票が今日となった。オバマは「皆保険」の法制化の政策を現在進めている。米国全国民への保険加入の義務化と入らない人には罰金を徴収すると言う。これに反対する人々は、アメリカ精神である「自己責任」「自由競争」の精神に反すると、反対候補への投票を訴える。アメリカ国民5000万人が保険に入っていなく、手術には盲腸手術でも数百万と言われ、アメリカ国民は簡単に病院にはかかれないと言う。昨日の私の「自費」も入院すると100万を超える為、片目づつ2回に分けてこおなぅとの説明を受け驚いた。
当たり前に自分の身体の健康があると思っている人たちが多い、病気をして初めて健康の大切さを知るが、その時はすでに遅いとの現実も少なくない。生活の不規則・不管理・不摂生により寿命を縮めている。普段からの検診は当たり前で、家族があり自分に責任を持つ人は、万が一の事を考え主治医を持つ事を進めたい。明日は3か月ぶりに主治医に薬を貰いに行く。
昨日は寝不足で6時に寝てしまい、夜中3時前に起き、今会社でブログを打っている。そして多くの病気を今抱えている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:41 】

2012
11/05

戸中祭


「戸中祭」の生徒の発表と全校合唱までだが聞いた。戸倉地区の復旧の姿を総合学習で生徒は現場を巡り、漁業に頑張る地区民の皆さんの頑張りに学んだ。
津の宮の漁港では、津波によりすべてが壊滅したものの、施設や養殖物は再建され、海の環境が大きく変わり、プランクトンが豊富になり、3年で出荷できる牡蠣が6か月で今は出荷できていると報告する。銀サケも2.5万個から3万個の稚魚を昨年には放流し、生産出荷を始めた。「戸倉の海は自然の力で再生した。戸倉の底力で復活した。」と、戸倉地区の素晴らしさを感じ伝えた。
3年の総合学習では「戸倉を創ろう」と題され、各班での復興の形や姿を研究発表した。戸倉は昆布が冷たい海のものと、温かい海の昆布の両方が獲れる海域であり、ワカメを含め1億円、牡蠣は3億円、その他ホヤなど合計7億の水揚げがある。今後は「牡蠣養殖」では以前は3千台あった牡蠣の養殖筏を1千台に減らし、価値を高め同じ額の水揚げ売上にしていくなど、戸倉の漁業の担い手としての構想のような考えも発表された。「祭り」として防災意識を高めた、伝統の芸能を継承していくと言う。ワカメとタコのグッズや、きぐるみ・独自絵柄のエプロン企画などを発表した。4班はCM作成を担当した。「支援してくれた方々への感謝や絆で学んだ事は、ありがとうの・・・」、歌詞には「たくさんのものを失いました。そこから立ちたい伝えたいありがとう」「大きな花を咲かそう」と綴った。町の復興の担い手となり頑張ってもらいたい。
一年生は19人・二年生16人・三年生18人のクラス合唱、そして全校合唱は指揮者・ピアノと、生徒は少ないが生徒が一丸となり作り上げた。「決して変わらぬ絆で生きている」という歌詞で、この曲を選んだと言う。
会場のアリーナには多くの保護者が集まった。戸倉剣道の教え子もリーダーとして指揮者として、大きく立派に成長してくれた。素直に明るいままでこれからも育ってほしい。
子供たちの環境は厳しく、何人かの子供の姿が無かった。各々の事情の中でも仲良く家族そして同級生の「繋がり」も大切にして欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:03 】

2012
11/04


会社の何もない地面に自然と生えた、ピンクと紅色の菊がこんなにも綺麗な元気な花を咲かせ。明日への力をくれる。
ひまわりが終わりコスモスが咲き、今は野菊が咲く、こんな自然の良さを来町の皆さんに感じてもらいたい。
被災の生生しい悲惨な場所や復旧の向かう現場だけでなく、南三陸の良さの自然や海山の恵みを愛で味わった欲しいと思う。
121101_184104.jpg
志津川地区の仮設商店街に時々出かける。先週は「いくら丼」を店主に無理を言い、小鉢でお願いした。予算の関係もあり無理を言った。
出るや否や「いくら丼」をかきこんだ。食べかけの写真をご容赦頂きたい。今年初めてのご馳走、イクラがいっぱい盛られた「どんぶり」、店主は言う「普段食べない子供たちも美味しいと食べるんですよ」と。店独自の作り方で、「どんぶり」の中身も違う。
今が旬、はしりの「鮭のはらこ」の醤油漬け、一度は南三陸町の商店提供の「いくら丼」をご賞味いただきたい。
今度、私の先輩も志津川仮設商店街に参加する。「寿司」「お好み焼き」の店です。年末か年明けか、楽しみにしている。
121103_190053.jpg
昨日は友人にこの辺で言う「ジェンテケッコ」を貰った。フランスの「ムール貝」、正式名称は「ムラサキイカイ」だったと思う。
写真は貝を湯がき身を取った。一鍋で丼に写真のくらいしか取れない。この鍋で四回も作業し、夜の貴重な休みを二時間以上も要してしまった。
朝のスープの具として、今夜は甘辛く煮込み食卓へと、父親に準備をお願いした。
昨日から血糖値の測定器がやっと使えるようになった。自己管理に頑張り少しでも寿命を延ばしたい。町の再建の為に。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:12 】

2012
11/03

伊里前


あの美しい街並みは何処へ行ったのだろう。リアスの入り江にある歌津の市街地の繁華街がここにはあった。向こうの両端の半島から「悪魔」が白波を立てて襲来した。
一番前が「歌津大橋」で、この高さを一揆に飲み込み、津波避難場所の伊里前小学校の校庭まで押し寄せた。町の「津波防災」のマニアルを「一」から見直す事が求められ、今まで暮らした地域での生活が難しく、生活は高台で仕事は被災地の嵩上げの場所で、これで゛生業」や「生活」が成り立つと言う。このあり方が「本当の町」と言えるだろうかと思う。
色々な住民が今町づくりを考える。町づくり会議への参加者は行政の計画の在り方に疑問を持ち、自分なりの考えを持つ方が多い。
しかし行政は「復興計画」には踏み込む事を「ダメ」と言っている。この部分は微妙な問題で何とも言えない。
津波がまた再度襲来したら、人間・町の復活は難しく、ここまで想定し町づくりを考えないといけないと思う。「避難道の充実」がそのカキとなる。当初の「復興道路計画」は知らないうちに消滅した。これが他の被災地ない「大型避難道路」の構想だったのに、いったいあれは何処へいったのだろう。
CIMG3215.jpg
「白亜の館」と言われているホテル、被災前の夜の「穴子釣り」の小舟の船上から、光輝く豪華客船のように闇夜に写しだされた事を今でも思い出す。
現在町内を歩くと「仮設宿舎」が至る所に建設されている。大手の建設会社が地元の建設会社との「企業体」を形成し、高台移転・被災地の嵩上げを進める中で、工事のマンパーワーの生活の場確保が我が町にも求められている。この部部を地元の事業所での宿泊体制の構築に、行政がもっと積極的にあたるべきながら、町では町内の宿泊事業所の復興に向けた、再建や復興特需への住民の為の協力支援に、もっと復興交付金を活用すべきと思うのだが。この業種の小規模の経営再建がなかなか進んでいないのが実情である。
町の再建は、住民の「生活の糧」がでる事が復旧・復興であると私は感じる。それが行政の取組と思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:32 】

2012
11/02


朝、西の空に真っ直ぐに伸びた「虹」らしきものを見つけた。場所が悪いと新井田の広い場所で虹を探した。しかし、みつからなく「チャンスは一瞬」と自分に再度言い続けた。空をぐるっと見渡すと頭の上に、大きな虹の輪を見つけた。
志津川小学校から志津川市街地の高台移転の中央区の山に架かる、下の写真では薄いが見えるだろうか。震災後こんな大きな綺麗な志津川に架かる虹は見た事がなく、今日は何か良い事ありそうだ。私よりも南三陸町ならず、今苦しんでいる被災地の子供たちに、一つでも良いから嬉しい出来事があって欲しい。
戸倉西戸に魚屋さんがオープンした。「西城魚店」さんであり、前にあった場所での再建となった。自宅は私と同じ地区で、高台移転地区であり現在は1m近い地盤沈下となっている。店は多くの来客はお客様しだいと言う、店を始められた事に喜びがあると、私は店主の笑顔から感じた。だが考えるような仕入ができないと「一言」ほつりと話していた。これから大好きな刺身が荒町からの帰りに帰る。


CIMG3313.jpg
昨夕、防災無線で「火災発生」と放送がされた。大森の町営住宅での住宅火災と言う。狭い道路の場所、様子をみていると、再度の放送で「誤報」との事で一安心した。7時過ぎに今度は「竜巻警報」がテレビのテロップで流された。
外は急に雨・風・稲妻・雷と突然の自然の猛威となった。2時間近くは続いただろうか。自然異常間違いなく世界で起こり、勿論、日本にも被災地でも起こっている。早期の対応・対策を講じる必要性を思う。折立の高潮の防御、志津川市街地冠水対策など、難しい整備なから何時までもこのままとはいかないだろう。
秋田では雷からの出火との報道もあり、自然からの災害は人間は防ぎようがないが、できる限りの防衛策を講じておくことで、人命が救われる。
今日は出かける、何もない事を願いたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:52 】

2012
11/01

一つ一つ


南三陸町の黒崎パーキングから見える、国道45号の風景に驚かされた。曇りのち雨の天気予報ながら、海は荒れ気味の天候で、写真の海からの波が国道を走る車を飲み込んだ。少しオーバーながら軽のワゴンに、上から波しぶきが覆った。地盤沈下があり護岸の形状から、こんな状況が起こり冬に向けて心配と、地域の通過する住民は言う。今日は国道管理の仙台河川土木事務所に電話しようと思う。
アメリカを襲った日本の国土より大きいハリケーンは、普段のコースならニューヨークには上陸はない。偏西風の今までにないコースで、海抜1mのマンハッタン島は、4mの高波に都市が沈没状態となり、地下鉄などの交通網の寸断で通勤は徒歩となった。
「我が町」にも言える。地盤沈下した市街地、地球の異常は天候の今の姿でも、今後に大きな心配となっている。先人たちは「う回路」「国道ルート変更」など、将来を危惧する提案をするが、行政は復旧が先と手が回らないと話す。新しく造る町そこまで踏み込んだ、「町づくり」に取り組むべきと思う。
昨夜の「町づくり協議会」は40代50代にその上下が混じる体制と映る。東松島市の提言を行政に渡した方は70歳ぐらいの高齢者だった。子供たちが暮らす将来の町づくりを、今の世代の枠を超え、素晴らしいものとしたいが、描く姿の理想に高さを感じた。土地もない・資金もない・人も減少する南三陸町では、私は夢より現実を思う。「光輝く街」は未来の子供たち託すしかない。30年50年後を。
CIMG3203.jpg
昨日は戸倉小と戸倉中に出かけた。写真は戸倉在郷の瓦礫焼却場の煙で、ここに「慈眼寺」さんがある。副住職の学友が神奈川県の「少林寺」の住職さん、当地を訪れ学校の流失や浸水での子供達の苦悩を心配していた。お寺の法要の時に「募金箱」を設置し、少ないですが戸倉の子供たちにお使い下さいと言い、義援金を戸倉小の教頭先生に渡してきた。
また、戸倉荒町出身の佐々木さんと「常陸太田市瑞竜中学校」の生徒会の顧問の先生との交流があり、佐々木さんの母校の小中学校と生徒会・学校が交流したいと、この旨を伝え交流方法を相談に行った。やはり多くの学校から同等の話があり対応は無理と言う。「手紙での文通」でしたらと、その綱渡しが出来た。戸倉中は50名程度の生徒数、確かに多くの要望には応えがたい。そんな中でも何校かとは交流していた。
学校では「ホームページ」「メール」などのITシステムが設備されていると思っていた。現在は持っていてもPTAや教育関係との連絡網で活用しているのみと言う。志津川中のように300人前後の学校にはあり、たしか入谷小でもインターネット活動があった気がする。
今日は昨日の月末と各種用事から少しは解放される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:26 】


TOP