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ARCHIVE - 2012年10月

2012
10/25

桃源郷


しばらく前に仲間から新井田川が、計画でその川の流れを市街地の国道ルートにより変えるとの話を聞き、「嘘だろー」と切り返した。
新井田川は本浜と大森の間が河口となり、上の山と天王前の境を通り新井田まで市街地を走っていた。河口では魚が住みアサリが何十キロも取れた。幼いころは「カニ取り」や「クラゲ取り」をして遊んだ。山間には水田が広がり、メダカが泳ぎホタルも沢山いた。本浜橋のたもとでは「ウナギ釣り」もできたあの頃を、今も忍ぶ。
そんな川も時代とともに護岸工事や川の橋整備なされ、田んぼも埋め立てられ量販店やアパートが建ち、魚も虫もいない川となった。人間の住みやすさと生活の為に自然を人工的に変えてきた。「自然破壊」でもある。自然のあるべき姿は人間に合わせるだけではいけない。自然に繰り返される天災にも最小限の人口的に手をと私は思う。子供を連れて「ホタル狩り」はもう、南三陸町志津川では「おとぎ話」の世界になってしまった。自然の多い町を造るのか、人口的な近代的な町を造るのかと言うと、震災からの復興には近代的な町形成を町は構築しようとしている。
その一つが昔ながらの川のルートの変更だろう。こんな事は私の頭にはなく、古い頭と言えばそうなのだろう。自然の好きな私にはそれしか無かった。その最大の原因は国道45号の嵩上げにある。今の国道を生かしながら、嵩上げでルートを模索するとこの方法になったのだろう。川を生かし今までのままの方法はあったのだろうが、震災からの復興は市街地の大改革へと国は行政は「舵」を切った。
都市計画の志津川市街地形成で祈念公園計画がある。新たな情報を聞いた。八幡川の西を広大な地域が「慰霊の丘」や「鎮魂の碑」の建設予定があったが、この地域の変更で縮小すると言う。今後の方向性の中での変更なのだろうが、そこに居住し今後の生活設計を図っていた人たちの、被災からこれまでの計画はどうなるのだろう。
「職住分離」の被災地の都市計画の基本があり、今後も津波発生を予想し8.7mの防衛体制、今回の16~20mもの津波が襲来した市街地、再生の防災体制はこれでいいのかと多くの疑問を感じる。再度の津波が同じ規模でも、日本国は半分経済的に沈没するかもしれない。という事は南三陸町の産業・経済の町の生活の生業すらも消えてしまう。飛躍した考えかも知れないが、先人・長老は想定をそれ以上に思う。
そして言う考えに、高台は40m以上に一カ所に集め、町を丸ごと移転させる。国道も40m以上の内陸を走らせ、そこに産業道路を結び、避難道を何本も海岸線から、国道に結ぶである。国道はまさして「三陸道」と並行して海岸の山沿いを走らせると言う。
まだまだ長老と言っても、行政への提言者として厳しい目を向けている。
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