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ARCHIVE - 2012年10月

2012
10/05

清水浜


目を閉じてみる。気仙沼線の南三陸町清水浜の駅の橋脚の向こうには、清水の街並みがあった。何十年も地域で支え合い生きて来た、地区の営みがあった。私の脳裏にはしっかりと、ここに町があった事を覚えている。
清水の海岸は堤防に囲まれ、その堤防の高さは中学生ながら「高い」と記憶する。広がる海は遠浅でアワビ・ウニが豊富にあった。海の近くにあった「沼」でのスケートも友だちと遊んだ。町からは自転車で行った、志津川と清水の小学校から、志津川中学校で一緒になり、楽しく遊んだ仲間が多くいる。町の友だちの家に中学生ながら清水の仲間が4・6人泊まった。私の家も離れに一人の部屋だったので、仲間が入りびたりで、遊んだり勉強もした。何人かはいまだに会うが、もうこの震災により「チリチリバラバラ」になった。
清水の高台移転はファミマの向かいの山と決まった。写真の左右の山も候補地としてあったが、遺跡などがあり二転三転し、最近決定し移転は2年後のようだが、あのゆったりとした街並み集落の再生の姿は、見えてこない。
昨日は戸倉在郷・上沢前の同級生が夕方来た。高齢の母親のこともあり現在東京で暮らす。今回は土地の買い上げの事で県の河川局との職員に会いに来た。「第二瓦礫置き場」の焼却プラントの下が彼の土地である。三年後となると彼は言うが焼却は一年で終わる。今後のプラントの活用も議論されているが、跡地については宅地・農地としての権後についてもこれからだ。彼の土地は水戸辺川の1.3キロ地点で、堤防のかさ上げは「7.3m」と説明された。土地の計画設計もまだで、買い上げの価格も活用に合わせた買い取り額であり、決まってはいないと言う。東京での生活は母の老健施設の入居にも、区の福祉の支援の充実を話す。町内の施設だと16万掛かる入居費も4割の区からの補助があると言う。東京生活だからこそ家族が安定して生活できると話す。
町の事を思っているはわかるが、南三陸町に暮らしていないと、自分が関係する事、町の状況などは判らなく、復興の新しい町づくりにも大きく参画できない。町を考える私のパートナーだっただけに、厳しく彼には当たってしまう。
町の土地の買い上げが本格的に始まった。朝に同級生のお母さんから電話がきた。土地の贈与の話だった。我が家も父親が祖母の死亡後「土地の贈与」まだで、土地の買い上げでも祖母の名前で通知が来た。これがまたややっこしい、対象は9人で三人が亡くなっている。20年前に書類は揃ったものの、贈与されずに今に至る。父は言う、固定資産税を今まで掛けてきている、「こんな時に法律とか言っていられないだろう!」「ダメなら買い取ってもらわなくても」と強気だ。国も法律・制度改正や特例処置を講じないと、被災地の高台移転はますます遅れそうだ。
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