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ARCHIVE - 2012年10月

2012
10/03

風土


歌津に出かけた折に「みなさん館」を見てきた。オープンは7日日曜だったと聞くが、確認して出かけてほしい。管の浜地区は「及新」さんが建設され、ローソンができ、プレハブの貸部屋が45号線に並んでいる。内陸の津波到達の地区にも事業所・建設宿舎、また、自宅再建の家々も建ち始まっている。
こないだから歌津の伊里前の高台移転の情報を聞きまわっている。契約の山への移転から、元の位置への商店街の再建、升沢への45号線沿いの移転など、二分三分する考えがあり専門家を入れ今後どうするか検討し、行政に働きかけていくと言う。また、行政の公的施設の建設も歌津に置くべき、升沢地区は歌津の中心であり、銀行・郵便局・保育所などはここに建てるべきで、今後はここを歌津の中心として、考えるべきと言う意見もあった。45号線も海岸線から歌津の高台を通すべきと、今後発生する津波の絶対到達しない場所へのルートを考え検討するべきと言う方もある。5年後の開通の「三陸道」が伊里前地区の高台移転予定地にルートがあったが、避けてのルート変更となり、現在移転戸数の減少と言う事が起こっている。市街地の国道の嵩上げによる通行への議論はあるものの、国土交通省では国道復興再建に向けた設計の考えは決まっているようだ。防潮堤の建設も今となっては見直しは難しく、これを変更する事で町の「復興計画」も大幅な遅れとなる。町としても変更はできないと言う。町民の提案も「中央防災会議」での考えが優先し、町もこれにならっての復興再建の道を歩んでいる。
変なのは県の管轄で町の瓦礫は撤去されている中で、防災庁舎解体も県の計画は9月清水建設で解体となっているのに、町はこの解体だけは「残す」を前提で、引き伸ばしているように思う。
週末に知人が電話をくれた。「松原住宅は死亡者も出さず、あそこで助かった方もいる。こうした意味でも遺構として残してもよかったと思います」だった。私も当初から思うし同僚の仲間もそれを言ってはいるものの、町ではこうした議論もないままに、あの大きな建物でさえ「あっ」と言う間に解体を終えた。行政の考えが議員であっても解らない事が多い。未曽有の天災ゆえの事と言う、秘密裡の内に多くの事を行政は処理している部分もあるようだ。
現在、「被災者・住民が不在の復興」と言う、行政運営がなされている。行政キェック機関としての議会の役割も果たされているかと言うと疑問も残る。膨大な復興事業の隅々までの調査は現実として無理である。
みなし仮設・仮設生活者への詳細情報の周知、今の行政の状況では難しいのが現実だろう。また、被災住民も全ての情報の把握は厳しい環境の中にある。
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