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ARCHIVE - 2012年09月

2012
09/15

負けない5

2011-06-19 04.41.15
防災センターの存続・解体延期の陳情について議会で昨日審議された。「語り部」の方も傍聴に来て、執行部と議会のやり取りの推移を真剣に見ていた。同僚の防災センターで友人の子供が亡くなった父の代弁者として、行政の二転三転する、あり方の考えに強い口調で語る。行政は「解体する」から、「話を聞き検討する」に変わっている気がする。観光に密接に関係する問題であり、「被災地は今観光でしか復興できない」趣旨の論調も多いが、「町民の復興無くして町の復興はない」と私は思っている。
私は「防災庁舎は解体」ありきで、その前に何がここであったのかの検証と、この姿を10分の1ぐらいの形で、祈念館・記録館に残す、、亡くなられた方々の鎮魂の場を作り語り継ぐ事で、この問題の着地点を考える。町長は「起訴されているのでコメントできない」と釈明しているが、起訴前から現場の検証や何が起こったかは、職員遺族に話したのでその他には公開は考えていないという。あの現実は私は把握しているが、町民はこの自分たちの「公僕」としての職員が、私たちのために津波の犠牲となった現実の姿を知らないままで、町は「事実の風化」を目論んでいる気がする。ぜひ語り部の方の防災センターでの出来事を聞きたい。意外とバスで来町し語り部の話を聞いた町外の人たちが、防災センターの出来事を知っているかも知れない。
東野・広島などの「語り部」の方はボランティアの人も多く、町の語り部は観光協会から依頼され、バス一台「31500円」の消費税付きでその中から「5000円」を観光協会から受領していると町から報告された。11名の「語り部」がいて多忙との話を聞く。町内を走るバスからもその状況が判る。ここには被災地町民の大部分の係わりはなく、関心も薄く何も知らない町民がいる。現実の生活に追われ、こんな町の現状を知る余裕も予知もなく、この恩恵は誰にあるのかを正していきたい。
知人の企画で先輩仲間との一席を登米市で設けてもらった。登米市は何もなかったような繁華街から、志津川の瓦礫の町に戻り、今はその姿も当たり前の現実として受け止める自分に、復旧の遅れをしょうがないと思え、そのなにも酷い被災地の惨劇に人の力の小ささを思う。時間が解決してくれると言うが、その時には人も町も無いかもしれない。
今後示される志津川地区の都市計画は、夢のような構想図に見える。これが完成するのは10年後・20年後となる。その時は私も今の行政の中枢の人間もいないだろう。次の世代の人間がこの役目を引き継ぐ、今から二代目・三代目が現在の悪しき慣習を継承しないように祈るしかない。
昨日の先輩たちの考えは「登米市への吸収合併」を示唆する。こうなった場合、今のこの壮大な町づくりは、南三陸町民の先人たちへの畏敬の意味もあるが、最悪のシナリオは町を作り上げてきた先祖に、申し訳はたたない気持ちでいっぱいである。
何とか「南三陸町志津川・歌津」の再建を願う。戸倉地区は大きな岐路に今あり、存続さえどうなるのか、地区を守る事は「戸倉中学校」を残す事で、地域の団結を生むと私は思う。慎重だった統合問題は、被災し隣町への住民移転という町の取った政策が、早期統合を生んだ事を地域はもっと行政に問うたほうが良いと思う。
自分本意にならないよう地区民の話を聞く事を基本としたい。地域民の「行政は話を聞いてくれない」と言うお母さんだの話を、私は信じる。
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