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ARCHIVE - 2012年09月

2012
09/10

入谷


被災前から知っていた女性の、被災地の発信の活動を聞くことができた。4時間を超える休みない会話に、3・11からの月日の長さがあり、苦労・一生懸命生きた・苦労・・、その少しの合間に多くの人との出会いの喜びがあった。
私より体を労わりながらの全国を駆け巡るその姿は、子供たちのため・地区の為にとの思いが、結果的には自分のためだった事に気づいた。子供たちへの真っ直ぐな心を、被災があっても、この悲劇の現実の中でも、今をしっかり普通に学校に通い生活する事が、大人への育成の基本にある。
「ゆとり教育」の弊害が語られる。教育を受け育った親が今にあり、その親が子供を育て、一般常識の欠如が子供たちに影響していると、教育学者が話す。すべてがそうであるとは私は思わないが、そういう親子を時々見る。さうならないように子供教育に真剣にかかわる指導者は、各々の教育のスタイルの中でそならない教育方法を模索し実施していた。
最近変な「パワハラ」が色々な場所で発生しているように感じる。「自分が上司」で少々の事は何もしてもかまわないと、勘違いしている。こうした指導者・上司の下で仕事をしている人は大変で「平気でいやがらせ」をしているのに、それを気付かないでいる現状がある。
昨夜眠れなく「NHKドキュメント」を見た。復興交付金が被災地以外で2兆円も使われていた。19兆円を投じでの被災地の復興を目指すが、建設・エコなどあらゆる側面への、省庁による予算の引き抜きにより、もろもろの理由ももとで「復興交付金」との名目の予算が使われていた。
現在の南三陸町の商店事情は、「コンビニ依存」が強く、ボランティア・建設関係が毎日のように活用する。地元の商店の復活はこうした面からも厳しいと思う。歌津の商店街は観光客を対象と言うよりは、住民の生活用品の販売の形態が色濃く出ている。この継続は今後の歌津地区の再建には継続し残す事で、歌津地区の昔のような商店と地域民が一体となった町が再生される。
伊里前商店街のあった場所は「緑地公園」としての再生を行政は考えている。国道の8.7mの嵩上げ、防波堤の建設、伊里前川のバック堤の背後地の関係で、商店街の復活は厳しい、しかし商店街では大学教授を招き、希望するあの賑わいを見せた「伊里前商店街」の再生を模索する。ある社長さんは国道の高さを下げて、皿貝IC・港ICの中間と言う利便性の中で、休憩地として買い物の場所としての機能を兼ね備えた、商店街の形成を考えていた。木材は沢山ある、それを利用した長屋形式の「道の駅」的な構想を話してくれた。南三陸町歌津は海産物で栄えた町、これを町の再生に「道の駅」として生かさない手はない。後継者問題もテナント形式により、商店主がいなくなったら、新たな人が入れる体制を作れば、今のこうした問題も解決できるのではと話す。
この後で「入谷地区」に行った。ひころの里の仮設住宅計画、仲の町の水田を整地しての第二の南三陸町の形成、ひころの山々の開発など、多くの話を私に「なぜ行政はしないの」と、疑問をぶつけてきた。これを話すとまた文章が長くなるのでやめておく。
なんで志津川地区のみを行政は言うのだろう。南三陸町は一つなのに。
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