ARCHIVE - 2012年09月

2012
09/30

継続


ボランテティア累計は7万人とも言う。昨日は南三陸町内を入谷・志津川市街地と車を走らせた。田尻畑地区の大雄寺前の広大な農地には隅々まで、活動の様子を見る事ができた。「報道ですか」、の問いに「ご苦労様」しか言えなかった。震災後に車の一般道路の被災で不通となった道路のう回路を通る。「柿の木線」は荒町の峠から田尻畑に出て、ここから入谷地区に抜けられ、当時は多くの町民がここを活用した。それは田尻畑地区の菊のビニールハウスの瓦礫が取り除かれてからの事だった。
入谷へは「八幡神社」の秋祭りが二年ぶりに開催された。これが東北放送で放送されると友だちから連絡を貰ったからです。華やかな行列には子供たちの「打ち囃子」、子供たちが元気に太鼓を叩く。この光景は被災前の22年の姿を私の脳裏にあるからです。地域の伝統を守る義務が私たちにはあると、入谷地区は今後も多くの地区民と共に伝統継承に、大きな力を注いでいる。
町に戻る途中には、新しくスタンドオープンが今週5日に迫り、県の福祉事務所も解体が始まった。この場所でも屋上で多くの人たちが助かった。手前の志津川消防署は解体され、今は仮設商店街の駐車場となっていた。消防署員の家族は「慰霊碑と焼香台」をと言うが、角に小さく設置している。町民を守り殉職した消防署員・消防団員の鎮魂はどこにあるのか。防災センターばかりがピックアップされているが、町民の為に命を落とした方は、まだまだ多く南三陸町にはいる。
帰りに五日町に車を止めた。ここにもボランティアが沢山いた。写真は一部ながら数が震災後一年七か月がたつのに、「我が町」への支援の輪の増加に「ありがたい」と、頭が下がる。
互いに助けあう愛ある町づりくの創造が私の願いです。自分さえ良ければと言う人も沢山いる町ですが。
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2012
09/29

流出


大型台風17号が被災地を直撃する。進路予想図では間違いなく南三陸町に高潮・高波をもたらし、被災地は冠水・水没となる。写真は戸倉地区折立から戸倉海岸を望んだ。向こうの大きい土嚢が二つ重ねられ、約1.5mながら波がここを越えている。太平洋に普通の低気圧ながら、志津川湾にはうねりと高波が幾度となく押し寄せていた。戸倉海岸の松林の土地は隣接する国道398号と同じ高さで、現在海抜1mぐらいの気がする。大型台風は最大風速45m・950ヘクトパスカルは、当地に到達するまでは若干勢力は低下するだろうが、暴風・波浪・豪雨・高潮のすべての警報が発令されるだろう。現在私の住む倉庫は海抜40mはあり、高潮・冠水の心配のないだけでも安心です。仮設の生活者も横山の川の氾濫・南方の雨水増水による冠水が心配だ。58カ所の仮設でもこの台風の警戒は最大限の気配りと、行政の監視・警戒体制が求められる。明日は「復興市」がアリーナを会場に開催される。来場者への交通混乱・被害が起こらない事を願いたい。
「復興交付金」の流用が問題視されている。資金の活用に一つの文言があると言う。「活力ある日本の再生」の為の活用も唱っている。19兆円の行方は・10.5兆が真実の復旧復興に使われる。そのうち8.5兆が予算から出される? 所得税の2.1%の25年間、住民税の月1000円の10年間、そして消費税の8から10%の数々の増税は、「東日本大震災」の大災害を名目とした資金の調達に思う、資金不足の政府財源確保の追い風の増税に見えてくる。そんな中で「政党助成金」が30%の減額となった。当然の事ながら民主党に92億・自民党に81億など各政党に配分される。
「被災地の今」で、名取市・女川町・岩沼市の高台移転状況を伝えていた。岩沼では、高台移転地の決定・着工が3県で最初に始まった。後1年で移転整備となるが、市長はスピードが遅いと言う。名取は被災5000世帯の移転に意向がまだだと言う。市は海岸線に防潮堤の背後に水産加工市場建設し、2つ目の防潮堤の背後を3m嵩上げして住宅地の建設をしたいと担当は言う。住民の意向は三陸道の西側の津波被害から逃れた場所の希望も3割あり、あと3割は海側は水産関係者の生活場所として、早期の完成を願っていた。女川においては人口が1万人から現在8千人となり、人口流失阻止に懸命だ。200万円の建設資金独自支援を決定している。原発の交付金があるからと我が町は言うが、資金の捻出を考え独自支援で町民の早期帰還する政策は薄いものとなっている。また、平地の大部分が浸水し高台への移転を願う町民に、整備されていた町の用地の「総合グランド」を高台移転地といて、壊して利用すると言う。それに引き替え我が町は、元の黒崎テニス場・ヘリポート場は、被災者した住民の希望が無いからと、計画にも盛り込もうとせず、被災から3年半から4年係る、原野を高台移転候補地とした。早期の町民の南三陸町での安心安全な生活の確保に、町は遠回りの政策を描く、少なからず住民の流出はこれで増加し、決して戻ってはこない現実を思う。
いろんな復興への不穏な動きに、住民不在と一人ひとりの住民再建の支援の政策の欠如を感じる。みんなで「声」を挙げて行きましょう。

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2012
09/28

高台西地区


今日は南三陸町は朝から雨です。朝2時半から眠れず、5時前に15分かけて戸倉事務所へ、5時にパソコンに向かうも、すぐにお客さんが来た。隣の工場の大家さん、雨で農作業ができないと言い、稲刈りのピーク時の雨は痛いと言う。
写真は志津川市街地の高台移転の西地区の予定地、旭ヶ丘団地の向かって左側に見える山が予定地です。当初は希望者が少なかったものの、中瀬町地区の住民の皆様のご理解で、100戸の公営住宅と174戸が、9月24日の特別委員会で現在の意向の数が報告された。当初は希望者が少なかったものの、ここにきて示された計画に希望者も増えた。2年後を目指す入居ながら西地区は半年ぐらい予定より遅れる見込みとしている。行政では同時期の完了と、早期の造成建設目指しているが、想像を絶する高台移転事業は、自治体のみならず広範囲の復旧復興に、政府も目標は示しているが、5年10年と長期の計画を描くしかないのが現実のようだ。
CIMG2832.jpg
これが西区の都市計画図です。縦の赤線が国道398号で、横の赤線が3つの高台移転地を結ぶ横断道路です。西地区から中央区までは国道と八幡川の上には、12mの高架橋が架けられるとも言われている。現在の被災地からは想像もつかない復興計画、私が生きている間にはその壮大な構想の完成は見えそうもない。
現在の尖閣・竹島の領土問題が日本経済に大きな影響が出ている。観光の大得意様の中国の富裕層、あるホテルは4800人のキャンセルとなり経営悪化と言う。そのお客は皮肉にも韓国に流れていると言う。
サラリーマンの年収の発表があった。平均409万円となり15年で58万円のダウンとなった。高い年収業種は713万円の電力・ガスで、宿泊・飲食が230万円だった。あくまでもこれは全国平均であり、地方である南三陸町の住民サラリーマンの年収の「160万円前後」は、現実で厳しい生活がある。中国の賃金安や「デフレ」「円高」が、所得の減収の原因ながら、公務員給与は平均で550万円で、全国レベルではなく地方に準じる姿勢を見せるべきと、被災地事情を思うと感じる。
人件費が安く、広大なマーケットの中国に、日本から1万4000社が進出している。その4社に1社は赤字と言う。「反日の渦」は南三陸町の事業所にも大きく弊害を与えていた。安定した部品の一部が来ない、高騰しているなど、被災地企業のダブルパンチがあった。
「危機管理はあらゆる想定を描き対処していく。当たり前の事ながらこれができない。」、我が町は行政トップの危機思考能力の欠如を思う。石破氏の政治の考えは、強い日本の指導者として、国民の大きな期待がある。「何が批判なのか顧みる事が必要です。」、石破氏の受け売りの言葉ながら、重い納得のいく考えだった。

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2012
09/27

治水・利水


歌津地区に「払川ダム」が立派にできていた。入谷地区から「こもれびの道」を通り歌津払川地区に出かけた時に、その大きさに写真を撮った。震災が起こり1年6か月、何もない平時だったら町民の皆さんも、南三陸町に初めてできた大型ダム、見に行った事と思うが、現在そんな余裕は被災者住民にはない。今後飲料水としての取水も視野に入れ、台風などの山への豪雨などの治水も図る。現状を思うと歌津地区への70億ものダム建設、今後の津波防災の構築の必要性を思うと、複雑な心境だ。
昨日は志津川地区の「敬老会」があった。77歳以上の対象者1100人の内、300名が久しぶりに顔を合わせた。町内の100歳以上が12人で、5人が志津川地区におられる。間違いなく南三陸町は高齢化が進んでいた。
ボランティアの数は累計で6万人に及んだ。年度末で7億4500万円の義援金や、寄付金が2億8600万円あったと、行政報告で伝えられた。今もボランティア・義援金・寄付金は今でも全国・世界から支援は続いている。
今日は南三陸ホテル観洋で歌津地区の敬老会が開催される。志津川地区からの議員は志津川との、出席概念は震災において私にはあった。しかし、南三陸町は全町民「ひとつ」になり、共に今生かされている事に感謝し、喜び合い一歩づつ前に進んで行きたい。と会場で感じた。

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2012
09/26

感謝「涙」


「南三陸町都市計画」の志津川地区の高台移転の中央区の写真で、新井田の町営住宅跡地の背後地が、その場所にあたる。
建物の基礎の撤去がそろそろ始まる。現在多くのボランティアの活動で、被災地の小さな瓦礫が取り除かれ、高台の造成の土を市街地の埋め立てに使う。戸倉のゴルフ場のように産廃の心配はないので、一揆に大型重機で進むだろう。
山の土地は志津川の財閥と言われる皆さんの土地と聞く。市街地の多くの土地を有していた旧家の財閥、町民は言う「みんな同じになった」と、復興と言う名の元に、多くの復興交付金の流れは、又しても富裕層と言われる人たちに回るように感じる。
昨日は議会が終了し、議長は言う「これからは議会と行政が一体となり復興に向かいましょう」と。多くの金の流れがあり、人の「金欲」は決して消える事はない。しかし、議長の言葉を信じ後一年、南三陸町の再建に私は全力を尽くす。
CIMG2830.jpg
この写真が中央区の造成設計図です。志津川小学校から新井田の45号線の間にあたる。駅ターミナルや生涯学習センター・子育て拠点施設がここに整備される。また、45号線の道路が嵩上げされ新たなルートで建設される。
志津川地区の2カ所の都市計画、もう一つの西区の防災集団移転の意向は今バラけてきている。小中学校に近い中央区は子供のいる家庭が、多くこの場所を希望しているようだ。
決算議会も終わり町の財政や組織・管理施設分野が、三年目を迎えやっと理解が深まってきた。町の保有する「株」もあり、震災による株価下落で「100万円」が目減りした。銀行が7割で電力が3割だった。
300億に及ぶ23年度の決算額、通年の80億に比べると4倍となる。現在600億となり行政でもこの額に戸惑いもあると話す。町民の救済を第一にお願いしたい。政府での復興交付金の使途に問題ありと世間は言う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:32 】

2012
09/25

どうすれば


町民の皆さんを守るために対策本部で、町長の指示を待ち津波襲来を受け、屋上に避難した町民と町職員の写真が、3.11の直後にスポーツ新聞に掲載された。
初めに、屋上から海・川の状況を見る姿、屋上避難・津波が屋上に達する、電波塔には二人の姿、何派も続く津波に耐え、悲惨な光景が二枚、引き波・瓦礫と果てた防災庁舎が最後の写真で、津波の襲来時系列で今も会社にある。職員の最後まで頑張った姿は、いつも会社の掲示のこの新聞で見る、町の早期再建の意識を欠かすことなのは、毎日見ているからでもある。

「どうすれはいいんだろう」と今日、投げかけた。

「残す」「残さない」「検討する」が、今、議会で陳情が毎日のように議論されている。
昨日のニュースで大学の有識者と言う人たちが大震災の遺構として、「石巻大川小」「気仙沼の打ちあがった大型船」、そして「南三陸町の防災センター」を上げた。この方はここであった多くの悲劇などどうでもよい事で、津波の脅威を後世に残す場所としい、言っているだけの事でしかない。なんの意味も「住む人々」にはなく、物より生き続ける事に、この町で今後も暮らし続ける事にあると思う。
決定の最終権者は、職員を踏みつけて生かされ、今度は家族の願いを踏みつけて生きようとしている。今日議会の議員採決で「防災センター」をどうするかが決まる。賛成・反対の姿は、ネット配信・議会広報で町民に示される。

「町民はこの議論への思い・関心」はどうなのだろう。

多くの町民は、今生きることで精一杯で、あまり関心はないのが現実です。早期の生活の場の確保でしかなく、こんなことに行政・議会の多くのエネルギーと時間を、費やす余裕など、いま南三陸町にはない。

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2012
09/24

母の涙


夜中1時30分に目覚め眠れず今となった。
昨日の殉職遺族の話に行政トップと三役他の対応に、家族の激怒と涙に、行政の不満の更なる増加と、殉職家族の更なる仕打ちに興奮し、考えると眠れなかったのが実情です。
常々言うトップの「職員を守るのは私の使命」「町民のために」は口先だけのパホーマンスだった事が、これで確信へと繋がった。殉職した職員の今までのトップへの擁護や、決してトップを批判する事なく、守り続けてきた事への裏切りは許せない。
12名とも言われる家族の陳情、4人の幹部の家族への対応は、一家族づつの涙ながらの「防災センターの早期解体」の声に対し、町長は一言の発言もなく、口を開いた副町長の言葉は「13年10月の解体」だった。無情な町のトップの発言代弁、「私は言っていない」と逃げるのだろうか。来年の9月は町長・議会議員選挙がある。「保身」の為なのか、復興復旧対策だけを考えると言うのだろうか。
多くのトップの作り出す問題に、復旧補正予算議論への空転時間の無駄、責任は誰にあるかおわかりだろう。講演依頼がまだまだ自治体から要望されているが、支援の御礼の講演と訳を言う町長、これ以上「町づくり」の町独自の対策や施策思案の時間としての、町長の仕事から時間を削らないで欲しい。
今日は「大震災特別委員会」で陳情の5つが議会にかけられる。昨日の家族の話に「早期解体しかない」、自分の甘い性格考えは大きなミスに繋がり、一つの票で現在、町は良くも悪くもなり、町民の復興へのマイナスとなると、昨夜、知人の忠告で学んだ。こんな私の性格をも政治は利用する、こんな町の政治事情を感じる。
みなし仮設・仮設生活者の実情を本当に町は把握しているのだろうか。町は人口流出の現実を知らせていないのか。2か月ぶりで人にあった。その家族・親戚は6家族すべてが年内に登米市に移住すると言え。ショックは隠せなかったが、個々の生活の状況や家族を亡くした心境を思うと、「南三陸町志津川に居てほしい」は言えなかった。
北海道伊達市に移り住み「イチゴ栽培」を始めた山元町のイチゴ農家、2年をめどに宮城へ帰としていたが、農家はこのまま伊達市に住む事を決めた。伊達市の農家は「イチゴ苗」を購入し栽培していたが、山元町のイチゴ農家の苗からの栽培に驚く。建ててもらったビニールハウスを、今度は自分で建設すると言う。「ここで暮らす」との英断を農家は決めた。
今も南三陸出身者が支援を続けている「那珂市」で悲惨な事故が起こった。軽自動車を運転していた高校生が、二人死亡した。荷台に4人乗っていたという。秋の交通安全のプラカードを持つ町民が街頭に立つ、児童・生徒の交通事故撲滅に、町民が安全運転を訴えている。
写真は歌津伊里前市街地、仮設商店街には「あつみ」が大好きだった「ベガルタ仙台」のフラッグがたなびいていた。現在2位で彼の力が乗り移っかのようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2012
09/23

ありがとう1


昨日は多くの支援の形をしる事となった。
自宅に向かう途中、多くのボランティアさんの姿を町中で見た。五日町の小さい瓦礫片付けに、バス2台の150名近い大団体が被災地にあった。それが写真です。
津山総合体育館では「南三陸町から感謝をこめて! ありがとうフェスティバル2012」が開催された。被災時に登米市の皆さんにお世話になり、現在も仮設で多くの南三陸町町民が暮らしている。5名のミュージッシャンがボランティアで参加し、武蔵野大学の生徒さんも応援に駆け付けていた。
「防災センター」にも100名余りの「観光支援」があったと、この場所に初めて出かけた父が話していた。数名の方に話しかけた、「ここを残した方がいい」との来町の人に聞くと「はい」、当時の現状を話すと涙ぐんでいたという。私は父に「自分がやるべき事が見つかったんじゃない」と話した。
ボランティア事情では、来ても宿泊と予算の関係を皆が言う。現在、「被災地を視る」決して観光ではない。被災の苦悩の気持ちを分かち合いたいと話す。その悲しみを聞くことで支援風化を防ぎ応援を続けたいと話す。連休の来町団体にこんな支援の形もあると聞いた。
現在、今後をどうするかを行政に、被災者は突き付けられている。子供・資金・コミュニティー・年齢・土地問題・家族の形態など、全てを鑑みて家族会議をしていて、喧嘩になる事もあると言う。我が家は「父主導」「私主導」の部分で現在分かれているので移転の考えは、方向性が決まっている。しかし両親が弱り私が体調崩せば、今後の在り方はは一転する。
今日は彼岸の中日の翌日、3・11から今日を迎え、何軒かの殉職家族の家に初めて行く、葬儀には行っているものの、もっと話を聞きたいし、家族の生きた姿を伝えたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:50 】

2012
09/22

情報不通


町から補助が住宅建設に当たり「700万円」でる。こんな事を聞いたと被災した方が言っていた。これは住宅建設でのローン利息の補助の限度額です。
多くの復旧再建への情報を正確に把握されていない被災町民が多い。高齢者世帯はその核たるものと私は思う。まだ20%近くの南三陸町民が高台移転への意向を決定していなく、行政の高台移転の個数確定での設計計画が進まない事は、この部分が問題としてある。国の復興交付金での移転は、もし住宅建設で入居戸数が決定と合わない場合は、行政での建設資金の埋め合わせとなる。8分の1から全額資出となれば、困窮財政での負担は健全な自治体からの転落となる。
人口減少は一年半で2400人となり、死亡者数から出生数を差し引く自然減が1400人となった。出生は23年は60名と前年の100名から40%の減少があった。400人の転入があり1800人が転出し、社会減が1400人に上った。22年2月末の1万7666人の10%が減少した事になる。転出先は登米市が667人、次いで仙台市が394人となっている。10年後の33年には1万3365人を町は予想し、復興事業などで1万4555人にとどめることを目標としている。
よく外れる行政の想定、震災地前からの過疎化があり、従来から住んできた住民の移転による人口改善が難しい気がする。26年9月ごろからの高台移転の準備完了の、この2年間の流出を抑える事は、今の行政の政策・計画では人口は間違いなく減っていく。
情報の正確な周知は住民の南三陸町帰還の意識定着へと繋がる。被災から3年半かかっての生活の場の町の確保は、未曽有の震災とはいえ早期対策により、帰還短縮できる日本の財政があり、制度改正・緩和により実現できたと思う。復興大臣も言う自治体のやり方・提案には必ず答えると言う。
写真はベイサイドアリーナの停留所に停車する「JR東日本」の気仙沼線の線路を利用しての「BRT」です。戸倉駅まで鉄路の早期復旧はなるのかの、戸倉地区選出の議員の質問に町長は「大丈夫」と言っていた。後一年の任期でのこの発言の実現は絶対無理と思う。言葉に行動に真実味の薄い発言と、多くの置かれている実情から感じる。
「防災センタービール」は商品棚から撤去されたと話を聞いた。被災者・殉職遺族の事を思えば当然の事ながら、こうなる事を予想できない「産業再建」の、幹部の一人の行動とはあまりにも想定の欠如を思う。「もう想定外」の発言は聞きたくなく、堅実な南三陸町の復興をと考える、志の高き仲間との町づくりを進めたい。

【 未分類 | CO:2 | TB:× | 10:29 】

2012
09/21

:計画速度


一か月前は基礎工事が行われ。側部分の壁が建てられた。友人の家も箱形の各部屋を組み上げる構造で「あっ」と言う間に形づくられた事を思い出す。この地方の「在来工法」とて町内に建設中の建物を見るが、平時よりは格段に速いと思う。
「レオハウス」「積水ホーム」・・・など多くのハウスメーカーの看板を目にする。

これが一か月後の姿です。

昨日は志津川仮設商店街の「はしもと」さんで晩御飯を食べた。今が旬の「さんま香味揚げ」が美味しかった。ノンアルコールは車なのでしょうがなく、しかしながらたまにの贅沢もいいだろう。
マルセン魚店で蒲鉾揚げを買った。5時30分商店街は閑散とし人影はまばらだった。週末のイベント時とは大きく違い、「平日のお客さんはこんなもんです」と人は言う。
今日も一日議会で、夜は中総体が今月末になった、志津川中学校の数人を含めた戸倉スポ少の指導へ行く。最近は筋肉痛がなかなか消えない。脹脛の痛さは血行障害だとテレビで見た。年齢と共に体の不具合部分の箇所は至る所に表れているのが実態です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:10 】

2012
09/21


一か月前は基礎工事が行われ。側部分の壁が建てられた。友人の家も箱形の各部屋を組み上げる構造で「あっ」と言う間に形づくられた事を思い出す。この地方の「在来工法」とて町内に建設中の建物を見るが、平時よりは格段に速いと思う。
「レオハウス」「積水ホーム」・・・など多くのハウスメーカーの看板を目にする。


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2012
09/20

なんでもあり


瓦礫とは何?と考えると、松原公園に山積みとなっている、津波の破壊された家々など、地域に散在するものがそれにあたると思っていた。総量は37万トンと言う。
町内に残った被災した公的施設、町営住宅・病院・保険センター・一般家屋も瓦礫、塩害木・車も瓦礫で、家屋流失の基礎部分のコンクリートも瓦礫とみなしている。現在9万トンが処理され、県での処理の公的建物・車などは、5万4600トンの処理が終わっていると言う。旧農協スタンドの裏にあったタイヤの山積み瓦礫は、現在「塩害木」の枝葉が変わって野積みされている。戸倉の第二瓦礫置き場に移された街中の瓦礫も多く、まだまだ処理の終わりは遠いが、先週末に焼却炉の「火入れ式」があった。
新聞報道・知人の知らせにより写真のものが販売されている事を知った。驚きの「地ビール」で地元の業者の提案製造販売品である。オイスター(牡蠣)ビールである。新しい発想での商品開発は認めるが、ラベルの「防災センター」の写真の活用は信じられない。他の自治体では多くの死者の出た施設の「将来への遺構」は絶対ないと明言しているのに、営利目的でのこの提案は「死者への冒涜」である。
現在「防災センター」の存続の議論が、町内・行政・議会で全国で残すか否かを考えている。こんなデリケートな問題を含んでいる、南三陸町の「悲劇の象徴」を、商魂とは言っても町民の一人として、誰しもがありえないと判断するだろう。行政のトップのブレーンとも言われる企業主、考えも「類は友を呼ぶ」とも言うが、町づくり・町民の生活早期確保の前に「利益主義」が、色濃く見えてくる町事情でもある。
町内のこれからの若者の取組・優しさに比べると、あまりにも悲しい町づくりの先導者の暴走と、意識の違いが見えてくる。一日も早く町民の帰還を願うばかりだ。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 08:43 】

2012
09/19

傷は消えない


原発の30K圏内には戸倉地区の全域と、林・大久保の一部が入り、今後の原発の在り方は他人事ではない。女川町では原発の廃止には慎重な考えをと言う。
そんな中で「代替エネルギー」「省エネ」が政府で真剣に考え・方向性が現在議論されている。町でも昨日「太陽光エネルギー助成金」が補正で示された。1KW当たり50万円の設置費に3万円で、普通は4KWで200万円に、12万が町から補助され、国県と合わせ上限32万が設置内容により補てんされる。大きな設置費に対しての30万は、小さい建設支援に感じるが、今後の電気の確保を考えると、人々は自然エルルギに向かっている。南三陸町でも今後、住宅建築が進むが「太陽パネル設置」は見る限り一割にも満たない。
昨日は夕方お客さんが来た。「太陽エネルギー」「LED電気」の住宅に格安設置の話だった。輸入品ながら品質保証承認を受けている。仲間も新築ですでに太陽光パネルを設置した。政府ももっと助成額を上げ本気で、自然エネルギーへの転換に取り組むべきと思う。安定した電気には「原発」と、枝野氏はまだまだ不安定な自然エネルギーだと言う。
地震大国の日本、また地震・津波などの自然災害が近々に原発を襲ったら、震災の福島の現実がほかの地域にも及ぶ、その恐怖と町の消滅を思うと、原発防衛策は強固なものに、代替エネンギーの準備は今から至急行うべき政策をと思う。
写真は志津川地区の「大雄寺」で、山門は消えうせ、もう一本の寺への道路も、数百年もの樹齢の杉の伐採の後に、木彫りのフクロウが帽子をかぶり暑さに耐えていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:56 】

2012
09/18

風雲急を告げる


巨大台風が沖縄や九州・四国に爪痕を残した。熊本では大潮と台風の低気圧が海水を押し上げ、最大で「177㎝」も海面が上昇した。
やはり南三陸町も大潮で本浜・十日町地区は、海水が被災地に押し寄せ、川も堤防いっぱいに増水し、側溝から溢れ出て町の至る所を濡らしていた。今日の通勤道路に多くの「カラス」の群れに異常を感じ、何もなければと祈る。
今日の写真は土曜日に父と仮設に向かう時、そうない山に浮かぶ豪快な雲、最近の空には今まで見たことの無い雲が多く見られる。心配性な私ではあるが、一つとして同じ事のない「雲の魅力」に、何気なく空を見上げシャッターを向ける。南三陸町の皆さんに「上を向いて歩こう」を思い出してもらいたい。あの素晴らしい時代が必ず来ます。
連休も終わった。「敬老の日」、私は何も両親にはしなかった。普通に暮らす事が幸せと今思う。「何がくっべが」、父はまだ物への執着があるようだ。仮設に物資が少し届いた、まさぐるように袋を開く姿に、何もする事が無いための行動と、私は分析するが。
子供の「いじめ」が7万件を超えたと言う。65歳以上が3000万人を上回った。22年生まれの「団塊の世代」が65歳を迎え、国民の三分の一が高齢者となった。税と社会保障のバランスは、少子高齢化へと日本の社会体制を、今から改善の道へと向かわないと、将来への不安は増すばかりです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:14 】

2012
09/17

もう


会社の前の空き地に、まだ一か月ぐらいなのに、屋根も窓も出来上がり、住宅建設が家らしくなっていた。
岩手県の建設会社さんながら、三棟を一揆に建設し同時の完成に向かっている。建設方法は外壁は出来上がりの壁を立て、内部には複雑に大小の柱が入っていた。300坪に三軒ながらコンパクトで20坪前後の住宅ように思う。賃貸の住宅が二軒で、一軒は身内が住むと言っていた。
昨日は水尻川沿いを車で走った。お寺の前には多くの車が駐車していたので、ご法事・墓参りと思いきや、ボランティアさん達の車だった。この三日間の貴重な連休を、被災地への支援に来ていた。多くの若者たちの「助け合い」の気持ちの心がけに、頭が下がるばかりで、歩く支援者の隣を走る時は、頭を「ちょこり」と下げながらの自分がいた。
中国の「反日」の暴動は拡大と、毎日のようにデモ風景をメディアは伝える。低所得者の増加があり、富裕層との格差がこうした、「反日活動」に若者を向かわせる。「暴動者は仕事のない人たち」と、中国の働く人々は言う。日本企業への略奪や焼き討ち、中国で生活する日本人を心配する。
日本では「民主党」と「自民党」の党首選挙の、立候補者の対談・街頭演説が行われている。日本でのこうした行動がない事を誇れると、一人の候補者は語る。「平和な国、日本」がここにある。南三陸町町民も政治に無関心と感じるのは、「言ったって」との、前の見えない遅い復旧に行政への諦めがあり、不信感がある。
今、言わないと。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 07:49 】

2012
09/16

介護1


登米市からの母親の「入浴サービス」が来る。もう半年以上にもなるが、やはり入浴は気持ちいいと言う。仮設での生活ならサービスを受けられるだろうか、疑問に思う。サービスからの前日の「明日よろしく」は毎回の連絡、しかし、親父の携帯は繋がらないという、こんな事が多く、私に転送され連絡が入るが、私からの電話も不通である。非常時の連絡は、固定電話に2コールが私の家のルールにある。
この写真は私の被災からの復活への原点でもある。自宅・会社の全てを失い、車と両親が残った。もう一つは兄弟・親戚であり、友人という人との繋がりである。
選挙もここから始まり被災後のスタートも、ここを拠点として町内を朝から晩まで動き回った。少しの落ち着きが今あるものの、再建の進まない南三陸町、住民からの意見の集約、
行政への訴えや抗議に近い私の発言は、こうした情報の収集から始まっている。
町民の声だけでなく、来社してくれる町外の人の情報も欠かせないが、ネットでの情報収集は、同僚にはない引出しとして、新鮮な質問となる。
今日は父親も入浴したいという。1か月ぶりだろうか。また、民主党の「政権交代」が始まった日だと言う。

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2012
09/15

負けない5

2011-06-19 04.41.15
防災センターの存続・解体延期の陳情について議会で昨日審議された。「語り部」の方も傍聴に来て、執行部と議会のやり取りの推移を真剣に見ていた。同僚の防災センターで友人の子供が亡くなった父の代弁者として、行政の二転三転する、あり方の考えに強い口調で語る。行政は「解体する」から、「話を聞き検討する」に変わっている気がする。観光に密接に関係する問題であり、「被災地は今観光でしか復興できない」趣旨の論調も多いが、「町民の復興無くして町の復興はない」と私は思っている。
私は「防災庁舎は解体」ありきで、その前に何がここであったのかの検証と、この姿を10分の1ぐらいの形で、祈念館・記録館に残す、、亡くなられた方々の鎮魂の場を作り語り継ぐ事で、この問題の着地点を考える。町長は「起訴されているのでコメントできない」と釈明しているが、起訴前から現場の検証や何が起こったかは、職員遺族に話したのでその他には公開は考えていないという。あの現実は私は把握しているが、町民はこの自分たちの「公僕」としての職員が、私たちのために津波の犠牲となった現実の姿を知らないままで、町は「事実の風化」を目論んでいる気がする。ぜひ語り部の方の防災センターでの出来事を聞きたい。意外とバスで来町し語り部の話を聞いた町外の人たちが、防災センターの出来事を知っているかも知れない。
東野・広島などの「語り部」の方はボランティアの人も多く、町の語り部は観光協会から依頼され、バス一台「31500円」の消費税付きでその中から「5000円」を観光協会から受領していると町から報告された。11名の「語り部」がいて多忙との話を聞く。町内を走るバスからもその状況が判る。ここには被災地町民の大部分の係わりはなく、関心も薄く何も知らない町民がいる。現実の生活に追われ、こんな町の現状を知る余裕も予知もなく、この恩恵は誰にあるのかを正していきたい。
知人の企画で先輩仲間との一席を登米市で設けてもらった。登米市は何もなかったような繁華街から、志津川の瓦礫の町に戻り、今はその姿も当たり前の現実として受け止める自分に、復旧の遅れをしょうがないと思え、そのなにも酷い被災地の惨劇に人の力の小ささを思う。時間が解決してくれると言うが、その時には人も町も無いかもしれない。
今後示される志津川地区の都市計画は、夢のような構想図に見える。これが完成するのは10年後・20年後となる。その時は私も今の行政の中枢の人間もいないだろう。次の世代の人間がこの役目を引き継ぐ、今から二代目・三代目が現在の悪しき慣習を継承しないように祈るしかない。
昨日の先輩たちの考えは「登米市への吸収合併」を示唆する。こうなった場合、今のこの壮大な町づくりは、南三陸町民の先人たちへの畏敬の意味もあるが、最悪のシナリオは町を作り上げてきた先祖に、申し訳はたたない気持ちでいっぱいである。
何とか「南三陸町志津川・歌津」の再建を願う。戸倉地区は大きな岐路に今あり、存続さえどうなるのか、地区を守る事は「戸倉中学校」を残す事で、地域の団結を生むと私は思う。慎重だった統合問題は、被災し隣町への住民移転という町の取った政策が、早期統合を生んだ事を地域はもっと行政に問うたほうが良いと思う。
自分本意にならないよう地区民の話を聞く事を基本としたい。地域民の「行政は話を聞いてくれない」と言うお母さんだの話を、私は信じる。

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2012
09/14

負けない4

2011-07-08 05.27.27
7月9日私はこの場所にいた。水尻川の自動開閉水門の操作室にはカキ養殖の浮きや、収穫できるカキが覆いかぶさっていた。松原住宅の手前の防波堤は跡形もなく、海と繋がり海岸線の分断の姿がここから良くわかる。こんな光景は今の状況からは判断できる予知もない。
水尻川の橋は自衛隊による臨時の架橋から、建設会社による現在の橋が架け替えられたのも、この時期だった。行政に負けないくらいの被災後の写真を撮りためてきた。何故なら今の津波の痕跡が無くなってしまっている、今の志津川地区建物で既存するのは、防災庁舎・高野会館・電話局で、公的なものはこれぐらいしか残っていない。町の遺構をどうするのかの議論は「防災センター」だけで、公立病院・松原住宅など、津波の脅威を示せる建物はもう何もない。
昨日の一般質問で被災した学校の再建は、と言う事の行政の方向性は、名足小は避難道を確保して来年度二学期からスタートを計画する。戸倉小は解体されゴルフ場跡地への新築をめざし。戸倉中は統合で今後議論していくと言う。行政の地域民の意向をくみ再建を模索していたと私は思っていました。それが統合に決定と感じるまでに、行政の考えが見えてくる。朝、地区民の声に、「善王寺小に帰して欲しい」だった。意見の交換の場もないと言う。私は行政のトップの話より、町民の話の方を信じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:46 】

2012
09/13

負けない3

2011-06-11 09.10.34
昨年6月11日はこの場所に立っていた。写真を見て撮った私自身も何処だろうと一瞬考えた。町民の方もこの姿に判らない人も多いだろう。「宮城県漁協志津川支所」です。現在東浜に仮の事務所で漁民支援を行っている。原発の「風評」があり魚価の低迷に頭を痛めている。志津川名産「銀さけ」も価格が半値以下ながら、東電の風評被害の補助金の支払が決定している。秋に向けて美味しい水産品が水揚げされている。底魚の「たら」が心配されているが、多くの魚には心配がないと南三陸産の魚に太鼓判を町は押す。
昨日は私の「一般質問」は終わった。私の提案への「できない」「今検討している」だけだった。行政の報酬の5%の報酬カット・特定の職員の定年延長廃止、などは町長はしない。この財源を被災者支援や、多くの住民の公務員採用で、定住化を図り人口流出を防ぐがある。病院新設に透析部門をは、東北大学の教授を座長とする策定委員会で、体制やあり方を検討中といい、40名を超える患者救済への意欲の姿は感じなかった。「医師の招へいが厳しい」は透析部門の閉鎖から言い続け、「南三陸クリニック」の高橋先生の来町を受け、解決した矢先の震災だった。今後は透析部門の完備の要望活動をしていきたい。
昨日は平野復興大臣と郡政務官が来町し、行政・議会との懇談会があった。私は多くの町民が悩む「二重ローン」問題を聞いた。救済策があるという。困っている住民支援の活動がまたできた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:39 】

2012
09/12

負けない2

2011-05-11 09.02.31
昨年の5月11日の善王寺小学校が写真データにあった。この日は戸倉小学校の入学式があり、学区以外ながら私も「戸倉剣道スポ少」の子供たちの、被災しながら入学式を迎える、頑張る姿の祝福に行った。「何で来たの」みたいな視線を、今でも大人の目を覚えている。
昨日は「東京海上自衛隊」? による、まだ捜索していない海岸・海地域の捜索があり、椿島近辺で遺体が一体発見された。防災センターでは多くの方が、手を合わせたと報道がされ、一年半の節目? と思った。
テレビでは南三陸町の仙台での「みなし仮設」などの生活者が、ボランティアの支援により、「再会サロン」が開かれ、沢山の南三陸町町民のしばらくぶりの再会の笑顔があった。皆さん元気でいらっしゃる事に、早く戻ってきてほしいとの思いが募った。
子供の自殺が200人あったという。昨年の情報ながら、過去最悪と言う。教育委員会・学校・家庭、そして大震災の影響もあるのだろう。
家族が「ひとつ」となり、何事にも向かう事で、多くの子供問題が解決する。子供の事を一番に考えることが、被災地の子供を守る事となる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:08 】

2012
09/11

負けない1

2011-04-14 13.31.14
23.4.11、この日二回目に本浜地区の自宅・工場を見に行った。何も探すことなく黙って写真の姿を見つめた自分がここにいた。「負けない!」は私の生きる原点があり、何事にも自分の全勢力で向かう事で、「負けてもいいから思いっきり」を、まだ力量の伴わない子供たちに今でも言う。
今日は一年六か月の震災からの一つの節目である。間違いなく前に進んでいる。しかし、各々の地域の再生には、住民の希望する再建計画とはなっていないとの話も多く聞く。人生は思うままに行かないのが現実だが、再建は住民の意向が酌まれるよう、行政の取組が必要と思う。更なる苦悩は精神的なものとなり、将来の希望を失う結果とならないようにして欲しい。
松下金融郵政担当大臣が自殺した。現職の大臣の突然の自殺の報道に、政界での混乱も、血の気を引くくらいの激震となった。73歳の年齢で前立腺の病もあるというが、週刊誌の「女性問題」の掲載も関係しているとも言われる。鹿児島県出身の薩摩精神の真面目人間に何があったのだろうか。
人の死・動物の死も最愛の身近な命の終わりは、「死にたい!」との気持ちまで追い込む。「防災庁舎」鉄の建物にどれだけの、尊さがあるだろう。私には観光ありき、利益主義がここにあるとしか思えない。
今日から「9月議会」、戦いが始まる。いざ町長!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2012
09/10

入谷


被災前から知っていた女性の、被災地の発信の活動を聞くことができた。4時間を超える休みない会話に、3・11からの月日の長さがあり、苦労・一生懸命生きた・苦労・・、その少しの合間に多くの人との出会いの喜びがあった。
私より体を労わりながらの全国を駆け巡るその姿は、子供たちのため・地区の為にとの思いが、結果的には自分のためだった事に気づいた。子供たちへの真っ直ぐな心を、被災があっても、この悲劇の現実の中でも、今をしっかり普通に学校に通い生活する事が、大人への育成の基本にある。
「ゆとり教育」の弊害が語られる。教育を受け育った親が今にあり、その親が子供を育て、一般常識の欠如が子供たちに影響していると、教育学者が話す。すべてがそうであるとは私は思わないが、そういう親子を時々見る。さうならないように子供教育に真剣にかかわる指導者は、各々の教育のスタイルの中でそならない教育方法を模索し実施していた。
最近変な「パワハラ」が色々な場所で発生しているように感じる。「自分が上司」で少々の事は何もしてもかまわないと、勘違いしている。こうした指導者・上司の下で仕事をしている人は大変で「平気でいやがらせ」をしているのに、それを気付かないでいる現状がある。
昨夜眠れなく「NHKドキュメント」を見た。復興交付金が被災地以外で2兆円も使われていた。19兆円を投じでの被災地の復興を目指すが、建設・エコなどあらゆる側面への、省庁による予算の引き抜きにより、もろもろの理由ももとで「復興交付金」との名目の予算が使われていた。
現在の南三陸町の商店事情は、「コンビニ依存」が強く、ボランティア・建設関係が毎日のように活用する。地元の商店の復活はこうした面からも厳しいと思う。歌津の商店街は観光客を対象と言うよりは、住民の生活用品の販売の形態が色濃く出ている。この継続は今後の歌津地区の再建には継続し残す事で、歌津地区の昔のような商店と地域民が一体となった町が再生される。
伊里前商店街のあった場所は「緑地公園」としての再生を行政は考えている。国道の8.7mの嵩上げ、防波堤の建設、伊里前川のバック堤の背後地の関係で、商店街の復活は厳しい、しかし商店街では大学教授を招き、希望するあの賑わいを見せた「伊里前商店街」の再生を模索する。ある社長さんは国道の高さを下げて、皿貝IC・港ICの中間と言う利便性の中で、休憩地として買い物の場所としての機能を兼ね備えた、商店街の形成を考えていた。木材は沢山ある、それを利用した長屋形式の「道の駅」的な構想を話してくれた。南三陸町歌津は海産物で栄えた町、これを町の再生に「道の駅」として生かさない手はない。後継者問題もテナント形式により、商店主がいなくなったら、新たな人が入れる体制を作れば、今のこうした問題も解決できるのではと話す。
この後で「入谷地区」に行った。ひころの里の仮設住宅計画、仲の町の水田を整地しての第二の南三陸町の形成、ひころの山々の開発など、多くの話を私に「なぜ行政はしないの」と、疑問をぶつけてきた。これを話すとまた文章が長くなるのでやめておく。
なんで志津川地区のみを行政は言うのだろう。南三陸町は一つなのに。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 09:24 】

2012
09/09

8.7m


防波堤・バック堤の「8.7m」は新たな都市計画の防災対策として、決定済の案件ながら、志津川・歌津の風景や風土を守るためには、今回の計画には改善するべき事があると、まだまだ若者・漁民の中で議論と要望の声を聴く。
写真は戸倉海岸で先月に「起工式」があった。工事の始まりの祝辞に、海岸での潮干狩りの話が出てきた。ここはあさり放流場所であり、漁民は無料で獲れるが、一般の人は子供500円・大人1000円で楽しむ事ができた。しかし、こんな昔の被災前の「潮干狩り」ができるのか、また、ここでこうした営みが繰り返しできるのだろうかと、写真の海岸の状況やスーパー堤防のような防潮堤の設置で、親子が海の楽しみ遊びができるか、何年かかるのか、将来は見えてこない。「職住分離」を語るなら、津波防災面よりも生活の場確保により、住民がまた暮らせる集落づくりが最初のような気がする。戸倉海岸の背後地を整備しても誰も住まない、被災地の再建の大きな予算の使い場所として、南三陸町の人々がまた帰れる対策として、順番ははたして正しいのだろうかと、国県・町の政策に疑問を持つ、誰のための税金のつかいかただろうか。「国民の命」を守ると言うが、先人が築きあげた町の存続を考え、計画の見直しを含めた、町民との会話が必要と思う。「復興特需」は誰の? と。
今日は志津川市街地のボランティア活動風景の写真を使おうとおもったが、逆光で暗い光景となったので使わなかった。週末は150名を超える方が、泥まみれになりながらも、楽しんで被災地支援活動をしていた。気仙沼地区には「ボランティア支援」は余りなく少ないと言う。
南三陸町への支援は強い発信力の賜物と思う。御礼の自治体への後援会の講師の依頼にも、丁寧に答えている事があるのかなとも感じる。
電線の後ろの鉄塔の頂点が8.7mの位置となる。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 09:27 】

2012
09/08

畑さん


今また志津川の市街地から戸倉の町はずれの「荒町」に帰って来た。その時間を無駄な時間と感ずるようになり、燃料も再度の高騰で現在は1ℓ「142円」と燃費の悪い私の車での無駄は、加えて大きな負担となっている。
自分にとっての高台移転も何時になったら辿り着けるものやら、仮設生活者も同じ悩みの中で今後への生活に、現在はあきらめのようにも感じる。
昨日の「都計審」の会議では、都市計画の高台移転地の中央区の場所を決定し、町の国道の「路線配置」が県で一昨日決定となった報告がなされた。旧志津川の都市計画の廃止も承認された。制限区域の解除地域には、今後の生活の場を決定できないままになった人たちにも、「一筋の光明」となる改正がなされた。道路の位置の決定には、「私の土地の利用には絶対反対」、との意見があった。この場所での事業の再開しかなく、絶対に離れません。との強い意見と要望があったと報告された。県による都市計画が決定する事により、「強制権」が発動される旨の説明に、自分の土地であっても、その権利を否定する力に、国民・県民は本当に弱い者と感じた。
自治体支援で震災直後から派遣された方が、昨日「今度帰る事になりました」と挨拶に来た。出会いは偶然で父親が声を掛け、その後で公人としての質問の応対や説明を受け、彼と話す機会が多くなった。親切な対応と笑顔の接客、自分の身に置き換えた相談の受け答え、地元の職員でもなかなかできない対応に親近感と頭が下がった。
差沼で家族と暮らしていると言うが、一年4か月にもなる南三陸町への自治体支援、特別手当など手厚い報酬ながら、被災地の仕事実績やご苦労への対価としては、当然と彼の活動を思う。今後も多くの自治体派遣を貰うが、自治体職員のマニアルどうりの対応は、仕方ないと理解はするものの、被災者の身になり親身にできる限り対応してほしいが、業務の機械的な動きは迅速な事業推進作業となっているのも事実です。
宮城県内の自治体での専門職で「409人」が必要ながら「103名」しか確保できていない。この現状で早期の高台移転業務が、被災地の買い上げ「換地」がスムーズに行くかというと厳しいのは判る。
兵庫県西宮の「・・さんありがとう」。すべての自治体派遣職員に感謝です。写真は被災地発信の「リッチー」さんでず。今週も県内の祭り会場で頑張っています。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:22 】

2012
09/07

伐採へ


ようやく津波による南三陸町内の「塩害杉」の伐採が本格的に始まった。写真は天王前セブンの国道45号向かいの塩害木が、専用の大型重機による伐採される光景です。
今回の津波での被災地の中で一番多くの杉への塩害が発生したのが「南三陸町」です。緑の山の低木が被害により茶褐色に枯れる姿が町内の至る所で見受けられる。塩害木は木質ペレット(バイオマス燃料)にも適さず、伐採もチェーンソウの歯が消耗しやすいなど、多くの問題が伐採にはあり、ここまで伸びた原因ともなっている。枯れた杉の光景は被災地の暗いイメージをいつまでも消す事にはできず、そのままにしておく事で更なる倒木による被害も懸念されていた。
昨日は「志津川剣道の伝統ょ守れ」と、戸小・入小へとポスターの掲示をお願いしにいった。対応は様々で「頑張って下さい」と、先生に言葉をもらったり、対応は地域性を大いに感じた。戸倉小を対象の小学校剣道指導は、現在、志小・戸小・入小の三校を含めても、小学校剣道の団員は一人だけとなった。ピーク時は志小・戸小だけで35名を超える団員を抱える程の活気もあったが、子供たちの趣向の変化により、減少の一途だったものが、今回の大震災で現在の状況となった。歌津中での「剣道武道必修教科」となり、志津川地区でも戸倉中が剣道を選択している。「臭い・汚い・辛い」の剣道は今の中学生からは、選択肢として狭く減少の一途である。しかし、スポ少の団員の同級生への働きかけがあり、志中では2年女子が7名、一年男子が10名と、スポ少の活動の貢献が大きいように感じる。現在の三校で一人の団員から、一人でも多くの「剣道団員獲得」は、志津川地区の剣道の伝統を消さないためにも、「剣道少年団活動継続」は自分の責務と思っている。指導後継者も一人誕生している。剣道の経験した子供さんを持つご両親の協力をお願いしたい。
今日は「都市計画審議委員会」があり、行政の進めるままで承認され前へ進む。現行の昭和の「12年火災」「35年チリ津波」の区画整理の廃止など、延々と続いてきた志津川地区の土地整備事業は、新たな局面を迎える。来年の9月の任期まで、この立場に居られる事は、町の再建の一役として貢献していきたい。

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2012
09/06

海再生は


水産業・漁民の再生は間違いなく進んでいる。しかし、その他各事業所の再建への現実は厳しい事を、昨日は聞いた。
街の三分の一が被災し消滅した気仙沼市、被災した会社を見て「廃業」を決めた社長さん、多くの関係組合からの義援金に大きな力を貰ったと言う。また、後継者の「私が継ぎます」との言葉に家族で再建を誓いあった。
私と同じ事業所は大半が全てが塩水をかぶり、機械は全て使いものにはならなく、一つの例で最低の再建事業費は4000万円はかかるだろう。県助成金を多くの書類提出で設備資金の四分の一位を得る事が出来たと思う。各種の機械はメイカーからの支援もあったと話す。「マイヒストリー」の自費出版物の主体としての再生をしている会社で、被災後の仕事は皆無で、最近になり注文が入るようになったという。ある女性が震災の現状を書き記しておきたいとの受注をもらった。注文時の暗い顔が出来上がりの本をもらったときの顔は明るい笑顔に変わっていた。会社の仕事が被災者に「希望の光」を与え、自分がこの一役を担えた事と、自分の仕事が被災者の心の支援となる事が、一冊の本の作成でわかったと話す。「マイヒストリー」の作成をしたいという方は私に連絡してほしい。
また、こんな現実に涙する事となった。気仙沼で震災後「復興マガジン」を制作し、無料で市民に配り全国にも発信した。会社は三階建てながら一階は浸水し、居住を二階以上とし、一階は仕事場だった。すべての機械が使用不能となり、設備の支払部分が負債となり今の経営に大きく圧し掛かっていた。被災後は気仙沼市の事業所の復活の情報を無料で流し、ボランティア支援への恩返しの活動をしたり、仕事の利益ど返しでここまで突っ走ってきた。そして現在今後の経営がままならない事に直面し、事業の再建・自己の今後に厳しい現実が迫っている。しかし、今後も被災地「気仙沼市の復興」に尽力していきたいと言う。
被災地において今「復興特需」があるが、私たちの業界の厳しさがある。家庭が印刷会社化し仕事が減り「ダンピング」の嵐の中で淘汰が進み、20年間で宮城の印刷会社は、158社から97社へと減少しているデータが示された。宮城の印刷レベルは全国でもトップクラスながら、印刷会社減少の歯止めとはなっていない。
こうした気仙沼の現状から、厳しいながらも南三陸町の二社の経営はまだましと思う、「我が社」も二名の従業員ながら、経営は何とかなり借金にも追われていない。農協の共済があり今の役職により、今を維持している。
昨日は登米市での病院ふたつの駆け持ちは疲れました。その後の剣道も副代表がいたから、子供たちの指導は出来ました。駆けつけ9時近くに帰り、爆睡朝七時までとなりました。
写真は昨日の会議の場所「大谷海岸」です。広大な海水浴場の再生の目途は立たず、9mの防波堤には地域民は反対で、今後は「堤防設置反対」の要望書も提出を考えていると、ホテルの方は話している。被災地の多くの地域民は「自然の共同し地域民は生きたい」と、それがここで「生きて行く道」と考える。行政が国から示される事の「鵜呑み」と、住民が望む生活環境には大きなひらきを感じる。

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2012
09/05

継続


昨日は支払・振込関係の処理に金融機関を回った。77銀行の通帳の磁気が不良でATMが使えなかった。登米町で作成し取り替えた通帳、仮の新店舗の77銀行でもまた使えなくなった。一昨日は「一万円札」がおかしいと支払で指摘され、「フォログラフがない」「中央の部分が丸い」など、支払の中の一枚が違っていた。77銀行で確認したら一番初期のもので、偽札ではなかった。
仮の庁舎から海岸線の先には「仮宮城県漁協志津川支所」がある。半年近く行く用事もなかった。会社のメインの固定電話が止められていた。引き落とし残高不足によるもので、被災後に漁協との取引がない事が原因でもある。被災前のような取引の再会はまだまだ厳しい。
仙台銀行は柳津が志津川支店の代理店で、登米市での再発行をした経緯の中で柳津支店は行きにくい。気仙沼信金も夏ごろの店舗再開との話だったが、いまだ動きはなく社長の個人通帳は再発行できなく、銀行から配当金の通知だけがあった。
郵便局は横山を現在利用している。志津川の局までは20分、登米市横山までは4分で行ける。被災地ながら関係なく地域によってこんなにも違う。農協も津山までは13分、多くの知人がいる志津川農協が行きやすい。
今後も町民の多くがこれからの生活のために、金融機関にお世話になる。26年9月の高台移転の整地完了が、27年3月頃になり、この時期に金融機関へのお願いと活用がピークとなる。ここ頃までには3店の志津川での銀行の復活をお願いしたい。
漁協に向かう途中に写真の光景を見た。ボランティアさんの色とりどりのテントが並んでいた。昨日も多くのボランティアが志津川市街地で暑さの中で活動をしていた。多くが大型バスにてホテルでの宿泊、支援活動をしているなかで、個人のボランティアのテント暮らしをしながらの活動に、その大変さに低頭しかない。熱いだろうに蚊は大丈夫など、倉庫・仮設での生活と同じように、厳しい継続の支援活動がある。
今日は気仙沼市の大谷で「宮城県印刷組合支部総会」がある。午後は登米市の眼科と「笹原先生」に診察・処方をお願いする。9月までとなる診察料の無償の被災者支援が終了となり、この制度を大いに活用する。夜6時30分からは志中武道館でスポ少の練習がある。今日は2時半に目覚め4時30分に戸倉の仮工場に来た。帰りは夜9時過ぎになるだろう。議会が終わるまではこんな生活が続く。
昨日通告締め切りの「一般質問」は私が4番目となった。いつものメンバーが今回も檀上に立つ。病院建設・原発問題があり、高台移転は毎回の事で、自然エネンギーの活用など、取り組むべき事業が沢山ある南三陸町です。

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2012
09/04

青春爆発


高校生には社会の動き・政治にも興味を持ってほしい。しかし、この文化祭では高校生である事を大いに楽しんでも欲しい。私の高校生生活は、余りにも楽しい思い出が少なかったからで、現役の志高生には後悔しないよう、今をエンジョイしてほしい。
失恋があり、家庭事情により家業の仕事があり、早退・遅刻・休みが3年生の時に、カードの2枚両面を使った。だが大好きな剣道は、一年生当時の志高応援団長さんの後押しで、一年から屋上で活動をし、高三の生徒会では「剣道愛好会」として認められた。苦しい悔しい事もあったが、歴史を残せた事も、母校「志高」の良い思い出としてある。
政府の「赤字国債発行法案」が法案可決に至らないままだ。地方自治体へり交付金の「4兆円」は交付されないままで、自治体は起債しないと職員の給料が支払えないという。また、政党助成金も出せない。安住大臣は緊縮財政でここを乗り切る事をお願いする。「党利党略」の渦の中で「党首選」の代表選びがあり、「維新の会」の維新八策にも、すぐには出来ない提案が示される。
政府の「政党改変」がこれまでもあったが、短命が多く、「小泉」「小沢」などの多くのチルドレンも、小泉郵政解散では80人を越える当選から、現在は一桁しか残っていない。強いものに乗り換え当選だけを求める議員が多いと感じる。自分の志と信念を貫く強い意志が無くなっている気がする。目の前の利益に目がくらみ、「私欲」に流され2回・3回の当選は、町民・国民にとって税金の無駄遣いでしかない。人間弱くなると計算し道を選ぶ、国会議員たるもの「歳費」を目的の議員職、いったい何ができるだろうか。被災が無かったら私の議員としてのやろうとしてきた事は、「最終章」に来ていたが、大震災での「問題山積」に、今後どうしたらいいのか悩んでいる。任期はあと残すところ一年となった。
今回の一般質問は「雇用の場の枠を広げ、高校・大卒の地元出身の後継者の若者に与え、優秀な人材の人口流失を阻止せよ」と、「震災による生活習慣病・高齢化進行による透析患者の増加対策として、平成27年4月に開業を予定する公立南三陸病院に、透析施設の完備と、設置にあたり病院の財政難と医師支援を国に求めよ」の、この二点を質問する。
11日から始まる9月定例会、今回の質問者を注視してほしい。インターネットで議場風景が配信される。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:59 】

2012
09/03

船だまり


本気で体を労わらないと長く町の再建への共働ができなくなる。目の異常は体・精神に大きな疲労を作り出しているように感じる。
現在仕事をさせてもらっている「荒町地区」、交流と親睦のゴルフに昨日参加した。すべての道具を流失し、準備し練習を行い迷惑を掛けられない気持ちで、プレーに臨んだ。
昨日は30度を超える強い太陽の光の元で、芝生の照り返しの中で2年ぶりのゴルフは大変な現実を突き付けられた。眩しい光でボールが霞み良く見えない中でボールを打つ。熱中症に近い頭の「ボー」とした状況で、午前・午後のプレー、昼のビールは美味しく、発汗は異常となり飲酒したせいもあると、先輩から注意を受け帰りは同乗者と運転変わってももらった。5時には帰り眠り夜中3時に目覚めたが、まだ顔面に違和感を感じる今である。
「志津川ゴルフクラブ」のコンペも昨日で、多くの人たちが被災を受けた中で、日曜の休息と被災からの再建に向け、精気を養っていた。
今週は議会の一般質問が5日の締切、6日は宮城県気仙沼・本吉印刷支部総会が大谷「海洋館」である。7日は都市計画審議委員会もある。合間に内科と眼科に行こうと予定を立てたい。
質問の調査と書類の整理に時間を作り、剣道の夜練も2日ある。題名の「船だまり」は船が嵐を避けたり、物資の補給場所の役割を持つが、漁民が体を休める場所でもある。人が安心して暮らせる場所「高台移転」と同化して私は思い感じる。間違いなく「わが町」の住民格差は益々広がっている。
ブログが終わる頃、朝一の仕事ながら、目が痛く霞む。写真は「双葉寿司」さんの解体が先週末に始まり、2日から3日で終わるだろう。また一つ志津川の思い出多き施設が消える。ここでは高校三年の仲間と初めての同級会を開催した場所であり、多くの思い出と寂しさが残る。

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2012
09/02

志高文化祭


志津川高校の「旭ケ浦祭」が昨日、同窓会と共に開催された。多くの車が仮設が建設されている校庭のグランド以外のスペースを埋め尽くしていた。被災地の町民の多くが高校を応援している姿がここにある。
体育館では音楽コンサートが開催され、高校生のパホーマンスが熱気を帯びていた。会場の体育館では写真の「書道の応援」のエールが張り出されていた。三島高校書道部の「とどけ未来への光」と輝く色で力強く書かれてあった。女性のロックバンドのクラスの仲間との演奏は、今年の思い出として被災の時代を生きて来た事を、きっと忘れる事はない。
同窓会には仙台支部長の佐々木さん達が来賓として参加した。支部では「311円」の会員からの募金をしていると言う。津波の事、母校の生徒への支援の継続や、高校野球の看板の作成など、会員相互の連携により、仙台から志津川高校を今後も支援していく事を誓った。
被災直後の志高生徒の町民の救助活動の姿を私は誇りにおもっている。町民も口々にその感謝の言葉を話す。閉会の挨拶で遠藤副会長は言う「いまのわげしたづと、もう言えない」と、この活躍を振り返る。
1時30分からは交流ホールにて「志津川町づくり協議会」の設立式が開催され、父親と共に参加した。2720世帯?
に送付した案内、協議会への会員に388世帯、その内の114世帯が集まった。準備委員会のメンバーの顔触れがあり、理事・監事の選任が事務局案で了承された。規約・計画・予算が協議された。心ら残った質問に、役員選任にあたり委員への利益関係はないのか、「私利」「私欲」での協議会活動はないと思うが、行政側に付くのではなく「町民の顔」みて、町づくりをしてほしい。自分の大切な時間を協議会理事としての活躍に期待し感謝したい。と行政の取組に警鐘ともとれる発言に、会場からは「パチ・パチ」と、少しだが賛同の反応も聞かれた。
私の知る範囲では町長の身内での選任の色濃いものと感じる。しかし、なり手がいない事も現実としてあり、被災地町民の現実の厳しさがある。会長には及川善祐氏が選ばれた。漁業者1人・会社員1人・社協1人で、11名の理事の内7人が商工会関係者となった。40代が1人で65歳以上がいなく、もっと20から30歳代の多種多様な人選を私はお願いしたい。
まだまだ一部の人たちだけの町づくりが今後も続けられる。
志津川地区の高台移転は26年度中の旬の移転計画から、平成27年度の3月へと計画の遅延を、テレビ報道がさなれていた。行政への取材のもとでの情報収集と思う。
仮設の生活は長引き、町外への移転は加速し、元の被災地への居住建設が、待てない住民の反発とあり、それ象徴している。

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