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ARCHIVE - 2012年08月

2012
08/25

BRT


気仙沼線はBRTとなり、線路の上をバスが走るという、ふれこみでスタートした。気仙沼線の海岸線の大部分は津波により、流失・分断されたものの、早期の復活を願い、この方法がとられJRバスが線路を走る。しかし、現実は気仙沼市内の4区画の線路をバスば走るだけで、すべては国道45号線を通る。柳津から気仙沼感を1時間30分で走っていた路線は、現在2時間を要し、各駅までの到着時間も定時とは、交通量によりまちまちの時間となり、計算しての活用とはいかない。
各自治体のトップは「鉄路」と最後まで唱え、そして今も言い続けているが、到底叶わぬ要望と現在になり思う。JR東日本は赤字路線の復旧には消極的な事実があり、宮城交通の代替バスは、互いの利益の共有が今回の「BRT」での合致となったと思う。被災地域の足として復旧にはなくてはならないもの、早期の足の確保として自治体としては受け入れるしかない。
そして今、停留所の危険が「陸前戸倉駅」にはある。セブン戸倉店の前が停留所となり、朝の通学時の工事現場へのトラックと関係者の買い物でごたがえす場所、高校の送り迎えの車との混雑で危険が増幅していると聞く。何もなければ良いが多くの危険が伴っている。写真は旧戸倉駅から折立方向のトンネルと路線です。ここがBRTとして線路だった場所を修復して、バスを走らせるなんて、予想も見当もつかないし時間がかかる。そして無理なのではと想像する。
気仙沼線の復活も南三陸町の復旧が「カギ」であり、乗降客の数が関係し、住民の町への帰還が問題である。この面からは厳しい鉄路の再建と思う。自治体はその代替としての在り方の根本から、議論を重ね、新たな道路交通網の構築を図るべきと思う。やはり「三陸道」が大きなカギとなりそうだ。戸倉地区はいったいどうなるのだろうか。本当の「陸の孤島」とならないためにも、南三陸町の第二の町拠点としての大胆な政策・開発が町に求められる。「戸倉字町」は良い場所なのだが、町は一向に振り向いてくれない気がしてならない。
今、「戦没者慰霊祭」から帰ってきた。戦争からチリ津波を乗り越えて、私の「志津川」そして「南三陸町」はある。その先人たちの築いてきた「礎」を汚すことない、町の復興そして再建をする、生きている町民には義務がある。その気持ちを失う事なくまた、南三陸町で生き続けて行くためにも、早期の町づくりが求められる。
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