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ARCHIVE - 2012年08月

2012
08/05

ずーと支援します


岐阜県白川のテントの「あゆの塩焼き」が美味そうで店の人に声をかけた。「ご苦労さんです」の声掛けに「被災直後からずーと南三陸町支援に来ています」との話が帰ってきた。有難く感謝でしかない。初めての復興市が志津川中学校で、全国からの支援物資やボランティアの皆さんにより、あの瓦礫の山積みとなった被災の丘で開催された事を今でも思いだす。
岐阜県白川町商工会青年部の「みそ焼けいちゃん」と、看板には大きく書かれてあった。被災地の支援は「地場産品の発信」でもあり、今後も含めた青年部の交流がここにはある。この真夏の猛暑の中で、せっせと炭火であゆを焼く姿に、白川町の被災地を思う心と、自分の生まれ育った町の特産品発展を願う心がここにある。町全体を考えていることが「原点」にある事は、誰もが思うことで、現在は復興という方向性に、復旧復興の名前を利用した動きが、今の町には見え隠れする。
8月の解体で進む「防災センター」に、解体まった! の動きがある。その理由もわかる気もする。津波の脅威の痕跡としての必要性も理解できる。お訪れる「被災地支援観光」は、南三陸町の収益にと一部の人間は言うが、「町民不在」の感は拭えない。もう一度議論も必要だが、家族を亡くした人は、この場所で悲しみが「フラッシュバック」すると言う。今回の津波はまだまだ住民への「混乱の種」を巻いている。
そんな時に長野県の知人が、農家の人が「南三陸町に生産したじゃがいもを是非送り食べてもらいたいと言うので受け手になって」との話があった。受け皿を探すが誰もいなく、自分が小さい仮設に配る事にした。歌津・南方そして町内を今日回りたい。
また、復旧・高台移転の遅延に繋がりかねない事案が中内の水面下で起ころうとしている、原因はと言うとまた「あの人」となりそうだ。第二瓦礫置き場の焼却場の建設は進み、補助事業の事業所も62社が決定し、町内に個人の造成建築が進み、昨日は10社の水産業者での建設された、冷凍工場が報道で紹介された。10数億の国からの被災地の補助事業によりできたと言う。被災者住民には関係も薄く、一部の今後の業者プラスでしかない。住民はいったい何処に向かえばいいのか。その矛先は? 「泣き寝入り」が実実のような気がする。朝に父親が志津川の大火、チリ地震津波からの復興は20年かかったという。そして今回の大災害は50年! それ以上かかるだろうと予想していた。
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